4時半頃に、揺れを感じて目が覚めた…。埼玉県南部震源で、東京23区震度3。3月に入り震災から1年を過ぎた辺りから体に感じる揺れが増え、どうにも気が滅入る。 5時50分起床しランニングへ行く準備をしていると、怜王が起きてきた。火曜日から3日間インフルエンザなどで8名休んでいることから学年閉鎖となっていて、今日から登校再開。 しかし3日分の宿題を全部やり終えなかった怜王は、最後の追い込みで「」音読」しなければならないので早起きしてきたのだ。 早起きは良いが「音読」は評価を親が付けなければならず、ランニングから帰った後30分ほど付き合いどうにか終了。毎日すこしずつやってれば30分もかからないのだが、怜王はそれがやれずにいつもどたばたとやっつけで宿題をやる。困ったものだ…。 そういえば先日怜王と図書館に行き、5冊の本を借りてきた。借りてきたのは数学者、論理学社、写真家、作家、詩人そして「不思議の国のアリス」の作 者でもあるルイス・キャロルの写真家としての側面を描いた「写真家ルイスキャロル(原題:LEWIS CARROLL PHOTOGRAPHER by HELMUT GERNSHEIM)」。 それに精神科医Serge Tisseronが書いた写真論、「明るい部屋の謎(原題:Le mystere de chambre claire:photographie et inconscient )」。僕がカメラ毎日の「アルバム」に写真を持ち込んだ頃(1977年)、編集部にいた(のち編集長に)故・西井一夫さんの「暗闇のレッスン」、尊敬する 美術・写真評論家、美術史家の伊藤俊治氏の「写真都市 CITY OBSCURA 1830-1980」、写真評論家故・平木 収さんの「写真のこころ」。 すでに「暗闇のレッスン」「写真のこころ」は読み終えたのだが、西井さんの文章はとても読み辛く内容も重々しく思えた。。逆に平木さんの文章は含蓄がありながらとても読みやすく、内容も興味深いものだった。 8時怜王が、3日ぶりで小学校へ。9時半妻が仕事へ。僕はそのあとシトロエンの”JAVEL(http://www.javel.co.jp/)”Tさんより依頼のあった、DS21のカットのセレクトをし、さらに小学館から発行されている「OGGI」という女性誌にJAVELの紹介記事がでるというので写真をセレクトして送信する。 昼過ぎ、銀座某所へ打ち合わせに。1時から2時まで打ち合わせをし、まっすぐその足でBLD GALLERY(http://bld-gallery.jp/)へ行き、細江英公写真展 第三期「おとこと女+抱擁+ルナ・ロッサ」を見る。凄い! 細江さんの写真を見ていると、凄まじい引力で精神的な部分がある時代に戻されそうだ。これは過去へという意味ではなく、写真を撮るということへの願望と意思を強く意識すること。 写真評論家平木収さんが提案していた、「Philography」という、「フィロソフー(哲学)フィロオジー(文献学)フィルハーモニー(音楽愛好家の意)。 つまり「Philo」はギリシャ語源の「愛」あるいは「愛でる」と、「Graph(グラフ)」の図像がつながり「Philography」という造語を平木さんは提案していたということを知り、客観的に写真を見たり撮ったりすることの形、つまり「視覚表象文化に対する姿勢を表す言葉」として興味深い。
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2012年03月16日(fri)
No.581
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