ys diary
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2011年04月30日(sat)
2011年04月28日(thu)
2011年04月25日(mon)
2011年04月22日(fri)
2011年04月19日(tue)
2011年04月16日(sat)
2011年04月12日(tue)
2011年04月09日(sat)
2011年04月08日(fri)
2011年04月06日(wed)


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
4月30日

 深夜2時くらいに、背中に緩やかではあるが揺れを感じ目が覚めた。目視で寝ている部屋の中を見回したが揺れている形跡はない…。しかし横になると身体全体から、微かな揺れを感じたが睡魔に勝てずに眠りに落ちた。
 5時半を回った頃目が覚めもう寝られないと思いドアを開けて部屋から出ると、ほぼ同時に隣の部屋で寝ていた怜王が引き戸を開けてばったり。同時に目が合ったことに怜王は「おどろいた!」と言った。僕も早いが、怜王も相変わらず早起きなのである。
 怜王にりんごジュースなどを飲ませた後Macを立ち上げ地震の情報を検索してみると、2時3分震源地不明震度3、2時8分千葉県東方沖震度3とあった。2時頃感じ緩い揺れは、やはりあったのだ。
 今朝の朝ご飯のおかずは、久々にアジの開き。怜王は肉も好きだが、魚の方が数段空き!僕も妻も怜王も同じ大きさのアジの開きでそれを見た怜王は「ぼくのぶんもつくってくれたの! おいしそう!!」と大喜び。
 骨はなかなかと切るのが難しいのでとってから、少しほぐして食べさせた。満足げに「おいしい」を連発し少々小さめの茶碗だが持ったご飯も完食。僕らとおなじモノを食べたと言う嬉しさを、身体中で表現していた。
 そんな怜王は「じどうかん なんじから?」と聞いて来たので昨日言った通り9時からだよというと、ひとりで行って来るといいのでお昼に1回帰ってこいよと言い返すと「うん」と言ってそそくさと玄関戸ドアを開けて出かけた。
 つい1ヶ月前では考えられないことが目の前で展開されているこの事実に、嬉しい気持ちとちゃんと行って帰って来れるだろうか?と言う不安が入り交じり僕はかなりそわそわしてしまったが、妻はビーズアクセサリーをたんたんと制作していた。
 僕らの心配をよそに、怜王は11時45分過ぎに帰って来た。児童館は誰が来ているかと言うことは分からないので、行って見て知った子がいない場合もある。きょうは午前中に行ったと言うこともあり、帰って来た怜王は「しってるこはいなかった…」とややブルーな感じ…。
 知ってる子と言うのはたぶん幼稚園の年少さんの時に同じクラスで、年中年長さんと別のクラスになったNちゃんのことをさしていると思うのだが、休日の午前9時から児童館にやってくる子はそれほど多くないだろうし、いわゆるゴールデンウイークに突入しているのでNちゃんも家族でお出かけかもしれない。
 ただ怜王としては知った子がいないと言う現実を見て来て、僕が午後からまた児童館へ行くのと聞くと「いかない… だっていいことないもん…」などと言って履いたが、お昼を食べた後「やっぱりじどうかんにいく!」と言って12時半少し前に、部屋をでた。
 僕は駒場で撮影したプリントや書類をバッグに入れ、1時過ぎ目黒駅に向かった。そして山手線で有楽町駅まで行き、「スポットフォトサロン」から「コダックギャラリー」という名称に変わった銀座写真塾のセミナールームへ。
 今日の講義は先日撮影実習で行った駒場東大で撮影した写真の講評で、所定の時間を30分オーバーし5時まで行なった。そして講義の前に塾生に提案した、銀座ギャラリーBLD(http://bld-gallery.jp/)で開催中の森山大道写真展「Toscana」を、塾生全員で見に行く。
 解散ののち数名で近くの居酒屋で懇親会をし、9時45分JR有楽町駅を出た。目黒駅までは20分ほどで到着し、妻に頼まれた食パンを買いに駅前の東急ストアへ行くと何と閉店してた…。
 東急ストアから少し恵比寿よりのスーパー「まいばすけっと」まで歩き、食パンなどを購入して帰宅。有楽町でメールをした時「頭が痛いから先に寝ているかも…」と妻が言っていて、帰宅するとそのとおりに眠っていた。
 が僕が帰って来た音(そっと帰ったつもりだが…)で目を覚ましキッチンにやって来たが、「起きたけまた寝るね」と言って再び眠った…。
 僕はといえばメールをチェックしこの日記を書いてから、Facebookに眼を通し、零時過ぎに眠ったのである。 
2011年04月30日(sat)  No.483

4月28日

 5時半少し前、怜王が起きて僕が寝ている部屋にやって来た。早い…。早いが、8時過ぎには怜王を小学校に送り出さなくてはならず、ともあれ起きてキッチンへ行き、朝ご飯の仕度をし怜王に食べさせた。
 そしてひととおり終ってから、ひとりでお風呂に入らせた。昨日は小学校の遠足で自然教育園まで行き、さらに2時過ぎに帰宅ののち目黒区民センターに隣接している児童館へひとりで行って帰って来たのが5時過ぎ。
 丸一日動き回った怜王は夕飯を食べ8時過ぎに爆睡を始めたので、5時半起床と言えども9時間睡眠。怜王は十分な睡眠(本当は10時間寝て欲しいところだが…)だが、僕は5時間半くらいと少々足りない…。
 そういえば26日の夜、DRUGをいっしょにやっている横川さん等と渋谷区鶯谷5-7-1Fの「東塔堂ギャラリー(http://totodo.jp/hpgen/HPB/entries/11.html)」へ原芳市(hara yoshiichi)さんの写真展「光あるうちにII」を見に行った。
 とても丁寧にプリントされた6×6のプリントで、久しぶりにバライタの良さを感じさらに原さんの趣味嗜好が心地良く感じられる写真展であった。
 「東塔堂ギャラリー」は原さんが写真展をやるまでまったく知らないギャラリーであったが、程良いスペースと落ち着きのある雰囲気、そして写真集などの蔵書もかなり豊富で素晴らしいギャラリーであった。
 写真展を見た後近くの居酒屋で原さんを囲んで、横川さんや写真家で「Ban Photo Gallery(http://www.ban-std.com/)」オーナーのツジ ヤスヲさん、猫の写真を撮っているデザイナーの南幅さん(http://sotoneko.nomaki.jp/)など10名ほどで歓談。そしてDRUGのDTPをしてくれていたオフィスSのNくんにかわる方も来ていて、21号以降のDRUGの展開についてかなり突っ込んだ話しをした。
 そのDRUG21号はNくんが3月下旬に退社ののちNくんに変わる人を探しているうちに、大地震発生したためDRUG制作がかなり遅れを生じていたがどうにか制作に着手することが出来るようになりほっとした。
 8時10分過ぎ昨日までマンションの入口まで送って行ったのだが、今朝は「ここからひとりでいく!」と怜王が言うので玄関からひとりで小学校へ。
 マンションを出てすぐのところにT字路があってそこを渡るまでクルマが心配で毎日見届けていたが、怜王的にはもう大丈夫だからということなのであろう。怜王が自立して行く額を選びマット切りの注文を出した。様子が手に取るように分かり、何とも不思議な心持ちである。
 9時半少し前、妻は仕事へ。妻を送り出した後雑用を済ませ、10時過ぎCX3を持ち新宿へ。まずは「世界堂(http://www.sekaido.co.jp/)」に行き、額を選びマット切りの発注をして店を出た。マットを切る時間が1時間後ということで、そのまま目と鼻の先の新宿御苑へ行き植物の日中シンクロ撮影をする。
 1時過ぎ、世界堂へ行き額を受け取り新宿駅へ。ゆっくり撮影をと思うのだが、怜王が小学校から帰ってくるのが2時40分過ぎなので余裕を持って帰宅しなければならない。 1時半過ぎ帰宅。
 軽食をとってから先日プリンターで出力しておいたA3のプリント(シトロエンのジャベルTさんからの発注)を、マットに会わせ額装。そして今日撮影した日中シンクロ写真の整理をしたが、1カット理想的な仕上がりの写真があり大満足!
 2時50分、「ただいま!」という大きな声で怜王が帰って来た。おやつを食べさせ3時半過ぎ、怜王を連れ目黒駅前のO歯科へ向かった。今日は”3度目の正直”の日。それは麻酔をして4ヶ所あった虫歯のうち軽症の3ヶ所はすでに治療済みであったが、最後に残された大きな穴があきかけている奥歯(乳歯)が、麻酔が怖くて2度治療に行ったのだが怜王の踏ん切りがつかずにのびのびのなってた。
 さて3度目の今日はというと最初の30分ぐずぐず怖がって治療を拒否していたが、担当のT先生の「レオくん指切りしたでしょ。約束だよ。麻酔は最初ちょっとだけ痛いけど、その後はムシさんが眠っちゃうから痛くないんだよ。頑張ろうよ!もし今日しなかったら、先生もう診てあげないよ」と言われ、ようやく奮起して「ますい ちょうせんしてみる!」と怜王は言った。
 先生がすかさず麻酔を注射し瞬間目を白黒させて驚愕の表情をしたが、そのあとはまったく痛くないような感じで治療が始まり終了したのは何と1時間後の5時半。
 よく頑張った!と言うことで「ますいにちょうせんできたら ダンボールせんきのプラモデルかって!」を叶えてあげるため、すでに5時半を回っていたが目黒から大井町まで行きヤマダデンキでダンボール戦記「LBXアキレス(http://www.lbx-world.com/model/lbx001.html)」を購入。
 妻は5時まで仕事なので今日は夕飯を外でと言うことになり、目黒駅で待ち合わせ権之助坂近くのレストランへ。食べている間微妙に麻酔が切れて来たようで「あ〜 なんかここちょっといたい…」と言ったがしっかり大人の量のうどんを食べ、カルピスを飲みけろっとしていた。
 帰り道怜王が「きょうは○○ちゃんと××ちゃんと△△さんと□□さんのよにんが おやすみだった…」と言った。昨日は遠足で自然教育園へ行っていてその疲れが出たのだと思うが、怜王は遠足から帰って来てから「じどうかんに ひとりでいく」と言って3時くらいから5時過ぎまで遊んでひとりで帰って来た。
 小学校からは「きょうはたくさん歩いたので、早く寝ましょう」と言われて来ていたが怜王にはそんなことはどうでも良いようで人一倍遊びまくった。そしてきょうも元気に小学校に行き、麻酔もしっかり挑戦できてまたひとまわりお兄ちゃんになったように思えた。
 帰宅後怜王はもう歯の痛みはないようで、買ってあげたダンボール戦記のプラモを作り始めた。細かなパーツを外してくっつけシールを貼りとなかなか難しい(対象年齢6歳以上)が、以前だったら投げ出してしまいそうな難しい箇所も、どうにか形にしたりちょっと教えてあげるだけで「あっ そうか!」などと言って上手に作っていた。
 だがいくら作っても作業が細かすぎて、全体の1/3ほどで9時半くらいになってしまったので時間切れで寝かせることに。怜王くん、今日1日お疲れさま!
2011年04月28日(thu)  No.482

4月25日

 5時20分すぎ…、怜王が僕が寝ている部屋にやって来た。何やら楽しそうにすっと布団にもぐり込んでくるのだが、その時点で早いな…と思っても二度寝が出来ない僕としては起床時間となる。
 といっても気にせず横になっていれば二度寝が出来るのかもしれないが、掛け布団をぱさぱさしたり何度も右を向いたり左を見たりするので寝ていられないと言うのが現状…。つまり今朝の起床時間は5時半、と早起きなのである…。
 今朝の怜王は妙に物わかり?が良く、いつも言われなければぎりぎりまでやらない小学校へ行く仕度(服を着ること)も椅子の上においておいたら6時半くらいにそそくさと着たり、キッチンのテーブルの上に必要以上に持って来ておかれていた玩具類も全部自分の机の上に移動したり…。
 そして小学校へ行く時も黄色い帽子をかぶりランドセルをしょってスニーカーを履き、「ひとりでいく」と言ってすばやくドアを開けて外に。どんな様子か後から外に出て見ると、クルマが路地からこないかどうかしっかり目視して渡り一度ちらっと振り返ったがそのまま真直ぐ歩いて小学校の南門へ向かう道路を曲がった。
 先週金曜日まで下校だけ学校の先生がマンションの前まで送ってくれたが、今日から下校もひとり。それに今日はYちゃんという女の子とふたりで給食当番をするようで、「きんちょうする…」などと登校前に言っていて当番をまかされたことによる責任感がそうさせていたのかも知れない。
 怜王を送り出してからしばらくMacに向かい作業をし、授業が1時間増えて帰ってくる時間が1時半から2時40分(おそらく部屋に着くのは45分過ぎであろう)なるので、午後から撮影に出ようと思っているうちにみるみる雨雲が空に広がり薄暗くなったと思ったら雨が降り始めた。
 これはと思っているうちに雨雲は去り、再び太陽が出て来たが雨が降る前より寒くなったような…。で晴れてきたのは良いのだが撮る気になっていた僕のテンションがたった10分ほどの雨で下がってしまったので…、先日もやっていたCD-Rに焼いた画像データを外付けハードディスクに移す作業をすることにした。
 2時40分過ぎ、怜王が小学校から帰って来た。初めてのひとり下校も、無事クリア。おやつを食べて3時過ぎ、斜向いの目黒区民センター隣接するグラウンドへ、サッカーの練習へ。楽しそうに行ったがこれも先週までは妻といっしょに行っていっしょに帰って来たが、今日からは行きも帰りもひとりでやることになった。
 4時15分に練習は終わるのだが、終わった後お菓子を持って行っているので皆でおやつタイムとなるらしい。何時まで遊んでくるのか気になる(心配…)が、今日が充実した1日になることは間違いない。 
 4時40分過ぎ、玄関のドアが開いて、「ただいま〜!」と言う元気な声で怜王が帰って来た。いままで必ず親と一緒に出かけていたのに、何だか不思議な気がする…。
 1日が経つのはあっという間で、5時が過ぎ夕飯を食べ(パスタ)、妻のMacのモニターで「Bonesシーズン2-2」を見て(この間怜王はテレビを見ていた)、8時過ぎに怜王は眠った。
2011年04月25日(mon)  No.481

4月22日

 ここ数日寒の戻りで冷え込み、何を着て良い(1週間ほど前にブルゾンやセーターなど、冬服を大半仕舞いかけていた…)やら悩んでしまう。
 昨日は怜王が小学校から帰って来て「おとうさん きようはサッカーしよう!」と言うので、2時半過ぎから斜向いの目黒区民センターに隣接したグラウンド(広場)でサッカーを1時間ほどやった。
 すでに4月に入ってからサッカー教室に入って週に1回練習をしている怜王のボールさばきはなかなか上手になっていて、いっしょにドリブルやシュートをしてもどっちもどっちで大人と子どもの差はなくなっていた。
 僕が卒業した巣鴨にある本郷学園高等学校はサッカーとボートが盛んな高校で、東京にしては巨大な土のグラウンド(http://www.hongo.ed.jp/wp/examinee/equipment/)があってその横には三菱養和グラウンド(http://www.keimei-fc.com/index.php?%E3%81%8A%E3%82%82%E3%82%8D%E3%81%84%E8%A9%B1)があってあのサッカーの釜本選手(http://kamamotokikaku.jp/)を通学の行き帰りで良く見かけた。
 僕が怜王くらいの頃はサッカーより野球が人気があって、ご多分に漏れず僕も野球を夢中でやっていて小学校2年の時に地区の野球チームに入り、1番でセンターを卒業までまかされた。
 その地区の少年野球のコーチが中学のコーチもやっていて、中学に上がってもそのまま野球を続けるように言われ中学入学と同時に野球部に入った。野球は1年で辞め、バスケットボール部に転部。卒業までいくつかの試合に出場したりした。
 しかし高校に入ると通学時間が長く(千葉の幕張から東京の巣鴨までは1時間半〜2時間ほどかかっていた記憶がある)、サッカー部やラグビー部に誘われたがスポーツの部活には入らず、考えもしない英会話部へ…。
 思わず横道にそれてしまったが、今朝の怜王はミニサイズの揚げパンをふたつと魚肉ソーセージのマヨネーズ和えを食べデザートにひと口サイズのゼリーをみっつ。8時10分ランドセルをしょって、小学校へ向かった。僕はいつもながらマンション出入り口まで行き、怜王を見送った。
 そう言えば昨夜深度5弱の千葉県東方沖の地震が10時47分にあり、その後10分おきに東方沖で3回、1回千葉県北東部をはさみ1時間後の零時過ぎに再び東方沖で揺れがあった…。
 最初の震度5弱は少々肝を冷やす感じで、長い横揺れ…。今朝になってその後にどこで地震があったか調べてみると、零時過ぎの千葉県北東部ののち福島県(震度4)・熊本県熊本地方・長野県南部と場所を特定出来ないくらい広範囲な場所で揺れている…。
 震度が1〜2くらいだと分からないときもあるが、3〜5の間で起こると確実に脅威を感じる。東海沖地震が近いという発言も(確実に1年以内にと断言する人も…)多くあり、心休まらない日々が続くのである。
 怜王が小学校にいった後より陽が射して来て、気温も上昇。今日は妻も仕事は休み。僕は怜王が生まれてからずっと撮ってCDに保存して来ていたが、これからのことも考えて外付けハードディスクに移す作業をした。
 これからのことと言うのはCDやDVDがどれだけ耐久性があるのか未知数なのと、CDやDVDに保存しておくとすぐにあの画像をと思っても取り出すまでに時間がかかるし面倒なので外付けハードディスクにと思ったのである。
 保存し直してみて怜王が生まれてからデジタルで撮影した怜王を写した写真の枚数はおよそ10000カット。前年ながら怜王が生まれた2004年11月19日、僕は出産に立ち会ったが撮影機材はまだアナログ(二眼レフのローライマジックとレンジファインダー・ソビエトカメラのヴァスホート)で、クリニックの方で撮影してくれた出産から1週間の怜王の様子がデジタル。
 そんなわけで最初の20カットほどは、自分が撮影した写真ではないと言うのが残念なところ。しかし生まれてから数ヶ月(正しくは2005年3月3日まで、と言うのはこの日にデジタル一眼レフを購入したからだ)はフィルムで撮影していて、それはそれで良かったのではないかと思っている。
 1時半過ぎ、怜王が学校の職員といっしょにマンション前まで送られて来た。学校から職員といっしょに下校するのは今日が最後で、来週月曜日から登下校はひとり。それに授業も4時間から5時間になり、下校時間も1時20分から2時20分に変更となるのである。
 3時半過ぎ、怜王を連れ駅前のO歯科へ。虫歯の治療をしてもらい4時半過ぎ終了。目黒駅前のマクドナルドで妻と待ち合わせをし、怜王と妻は幼稚園のときの同じバス停のクラスメイト数名とお母さんたちで子どもを預けられる場所のあるレストランがある武蔵小山へ向かった。
 帰宅後再びCDに焼いた画像データを外付けハードディスクに移動。軽食を取った後、GyaO!で「ジャッキー・チェンの秘龍拳」というあまり聞いたことのない映画のタイトルに惹かれ見入る。
 がジャッキー・チェンはおどけた感じではなく、若くてギラギラしていて途中で死んでしまったりするがとても存在感のある役で身のこなしは誰よりも美しく俊敏であった。
 数ヶ月前ウイル・スミスの息子のジェイディン・スミス(http://www.imdb.com/name/nm1535523/#indev)主役の「ベストキッド(http://bd-dvd.sonypictures.jp/bestkid/)」を見たが、ジャッキーはブルース・リーとは違ったアジアの生んだスーパースターなのだと思った。
 10時を過ぎた頃、妻と怜王は帰って来た。怜王は遊び疲れたのだろう帰宅後速攻で眠り、妻もお風呂に入ってすぐに眠った。
2011年04月22日(fri)  No.480

4月19日

 早朝雨の音で目が覚めた。昨日怜王自分のスニーカーを洗い、ベランダに干してあるな…と思いつつも身体が重く取り入れに行くパワーが出ないまま珍しく二度寝をした。
 どれくらい経過しただろうか、キッチンが明るい気がして枕元の携帯で時間を見ると何と6時50分…。慌てて起きてキッチンへ行くと、怜王が床に座ってコロコロコミックを読んでいた。
 何時に起きたか聞いて見ると、「6じくらい」と言う。最近では僕の部屋に起こしにくることはなくなり、何でも自分でするようになっている。やはり小学校に通い始めひとりで登下校をするようになって、ひとりでなにかをするということに目覚めたような感じ。
 今朝はシリアルを食べ、ヨーグルトをデザートにし、8時10分過ぎマンション入口までいっしょに行き怜王を見送る。真直ぐ歩きつつD小学校の南門へ向かう路地に曲がる直前、こちらを振り向いて手を振った。
近頃「 Facebook」に、近況や写真をアップすることが多くなりった。これはFacebookがとてもレスポンスが良く、コメントや写真が伝わっているというHPでは伺い知ることが出来ない反応が直で感じられるからだ。
 そんな訳でこの前の日曜日に怜王を近所の三田公園に連れて行き、楽しそうに遊具で遊んでいるカットとコメントをシェア(アップロード)したので、こちらの日記には写真のみだがアップしておこう。
 11時半過ぎより、陽が射して来た。それを受け、DP1Xを持ち近隣スナップに出る。あちらこちら歩き回り、帰宅したのが1時過ぎ。1時半には怜王が小学校から帰ってくるので、それまでには帰っていなければ(今日妻は5時まで仕事でいないので、スケジュール調整をして僕が怜王といっしょにいるようにしている。学童という方法もあるが、出来うる限りいっしょにいる時間を長く持とうと思っているので通常の下校時間に合わせることにした)ならない。
 データをMacに移動しフォルダに移し終えてチェックすると、いつもみなれているマンションの吹き抜け部分(3階建ての低層マンションで、部屋は吹き抜けを囲むように設計されていてやわらかな透過光がマンション内を明るく照らす)を撮影したカットに新鮮味を感じた…。
 1時半少し前、マンション入口のオートロックを解除する前にポストを覗いて、中から4月24日執行の「目黒区議会議員選挙 選挙公報」を手にして帰って来た。ポストは3つの数字を入力、オートロックは呼び出しボタンと四つ数字を入力と6歳には難解かと思われることをなんなくクリアするのには驚かされる。
 それからもっと驚いているのは幼稚園の時にほとんど口にしなかった幼稚園でのことを、小学校に入ってからは毎日何があったとかこんなことを先生から言われたとか沢山のことを話すようになったこと。そしてもっとも感心しているのは、帰宅し手を洗いすぐ宿題をやること!である。
 宿題が終わりおやつを食べ終えると、なぜか怜王はスニーカーを洗うと言う…。洗面台にお湯を入れてあげブラシの使い方を教えた。
 クツをベランダに干しさて次ぎは何をやるのかと思えば「レゴであそぶ」と言って何やら作り始めたがすぐやめて、「やっぱり じどうかんにゆく…」と言った。今日は区民センターに隣接している児童館でトランポリンで遊べることになっていて、怜王としては友達といっしょではなく初めてひとりで行動することを望んだ。
 しかし小学校から帰って来てすぐ、「ここがいたいから きょうはいえにいる」と右足のひざあたりを指さすので、足がいたかったら児童館でトランポリンは難しいねと僕が言うと「うん」と言ったので行かないと思ったがやはり遊びたいのである。
 足は痛くないの?と聞くと「もうだいじょうぶ いたくないよ これ せいちょうつう っておかあさんがいってたもん」と言った。まぁ大人びた言い回しだことと思ったが、成長痛の解決の方法はないと思うので、痛くないと言うなら遊びに行かせようと児童館へ行き係の人に5時に迎えにきますと言い残し一旦帰宅。陽は陰って寒くなって来たが、CX3を持って近隣スナップに出る。
 途中雨が降り始めたので一旦帰り、5時丁度児童館へ怜王を迎えに行く。傘を渡すと、なぜか傘を剣のように持ちバトルポーズ…。
 それにしても今日は、天候がめまぐるしく変わる日。早朝雨で昼くらいから快晴、夕方から曇天で徐々に雨。それに日中20℃ほどと暖かかったのに、信じられないような寒さに…。
2011年04月19日(tue)  No.479

4月16日

 5時過ぎ怜王がトイレに起きた後、僕が寝ている部屋に来ると思いきやキッチンの照明をつけて静かにしている…。何をしているにか覗きに行くと、昨日塚から買ってもらったコロコロコミック5月号を読んでいるのであった。
 一昨日から「生活にリズムをつけよう」という小学校の小冊子の「早寝早起き」の欄に、「起きる時間6時半、寝る時間9時」と言う目標を掲げ怜王は昨夜8時半少し前に眠った。確かに9時までに寝ているが起きる時間が1時間以上早すぎ…。
 僕は少々遅くまで起きていた(妻は仕事をしていて、さらに遅い時間まで起きていた模様…)ので怜王に本は明るいところで読むよう言って、30分ほど横になり(熟睡は不可能であった…)6時少し前起床した。 
 今朝の怜王の朝ご飯は、昨夜食べきれなかったミートボールパスタと、「じゃこ天」という宇和島産のじゃこ入りのスティックタイプの揚げ物。じゃこ天は初めて口にするとあって、怜王は「おいしい!おいしい!」を連発していた。
 全員朝食が終わった8時過ぎ、妻の真中の兄から11時に神宮前集合で青山墓地で家族会議(花見?)という招集がかかった。これは数日前から連絡が来ていたのだが、残念なことに僕は地震から1ヶ月先送りにした銀座写真塾の撮影実習が駒場東大前であるので欠席。
 10時半妻と怜王は、ビニールシートやおやつなどを持って出かけた。今日は僕ひとりが欠席で妻の一番上の兄家族(3名)真中の兄家族(3名)と我が家2名で8名となるとだろう。
 銀座写真塾は1ヶ月のびたことで、スケジュールにも微妙な支障が出来ている。セミナールーム使用を1日キャンセルしたことで、それ緒補うために最終講義の日から2週間後の土曜に予備日をセミナールームをキープ。
 機材をバッグに入れ出かける準備をしていると、11時30分過ぎ激しい揺れが…。すぐに止まったが心配になってまずは幕張の実家に連絡を入れ、その後家族会議に出かけた妻に連絡を入れると「歩いてたから全然分かんなかった」との返事…。
 1時過ぎ、デジタル機材を持ち目黒駅に向かった。目黒駅から山手線で渋谷に出て、井の頭線に乗り換えふた駅先の駒場東大前下車。 
 駒場東大前駅西口改札前2時集合で、旧前田公爵邸を軸に駒場の町を撮影する。極めて平凡な駒場の町を、塾生がどんな切り口で被写体を切り取ってくるのか楽しみである。
 4時半駒場東大前に全員集まり、次回講義のことや震災で1ヶ月遅い開催となったため1ヶ月撮影と講義をずらして塾を進行するなどのことを伝え解散。
 4名ほど残った塾生と写真を撮りながら渋谷まで歩き、1名帰宅ののち僕を含め4名で居酒屋へ行き懇親会をして帰宅。妻と今日のことなどを話しつつ、1時過ぎ眠りについた。
2011年04月16日(sat)  No.478

4月12日

 昨日の夕方、つまり地震から1ヶ月後の5時20分頃かなり強い余震があった…。もちろん本震とは比べ物にならないほど規模は小さいが、それでもはっとするような嫌な揺れが福島県浜通り震源(震度6マグニチュード7.1)であった。
 東京は震度3〜4であったが、その余震のすぐ後にももう一度同じ規模くらいの地震があったらしいが、なぜかそれは身体で感じることが出来なかった…。1ヶ月の間に頻発する余震で怜王も大分地震には慣れて?来て怖がることはなくなって来ていたが、さすがに昨日の余震には驚いたようでキッチンのテーブルの下に逃げ込んで「もうやめてよ…」と涙目で怖がっていた。
 さて今朝の怜王は、珍しいことに7時少し前まで眠っていた。これだけ長く寝ていてくれるといろいろはかどり、起きて来た時には朝ご飯を含めすべてのやることを終えていた。
 そして家の事以外の重要事項は、小学校から通知が来ていた尿検査の検尿と奇生虫卵検査(これもね寝起きにすぐで、2日間2回行なうことになっている)をするのだ。まず尿を取ってもらい奇生虫卵検査用のシールを肛門にくっつけ採取終了。
 いっしょにお風呂に入り、朝食を食べさせてから小学校へ行く仕度をさせた。幼稚園より1時間も早い8時15分に送り出さなければならないわけだが、お弁当を作らなくて良いので大分楽なのである。
 8時12分そろそろ怜王を小学校にと思っていると、比較的大きな揺れが…。震源地は千葉県東方沖で震度5…。肝をつぶす。8時15分、怜王をマンションの玄関まで送りに行く。
 9時半過ぎ、機材を持ち目黒駅へ向かう。今日はシトロエンのジャベルでの撮影で、クルマはC4グランドピカソ2.0 エクスクルーシブである。
 目黒線で武蔵小山駅下車、長いアーケードのある武蔵小山商店街を抜け中原街道沿いのジャベルに到着。
 ジャベルにつくと道路に草色のCXが停車していて、その前に撮影するためのピカソをスタフが出してくれたところであった。グランドピカソはシルバーで最新型である。早速乗り込みお台場某所へ。
 30分ほどの撮影で撮り切り、首都高に乗り11時過ぎ目黒から出て庭園美術館前で下ろしてもらい帰路につく。ひとまず撮影して来た画像をMacに移し、フォルダに保存。
 1時25分過ぎ、怜王が小学校から帰った。ひとりで登下校し始めて、今日で4日目。もう完全になれたようで、今日は3つの暗証番号をいれないと空かないポストから郵便物を取り出し、マンション入口のやはりオートロックを解除して帰って来た。
 今日は妻が仕事が休みの日なので、いっしょに怜王の帰宅を観察?帰って来た怜王はランドセルから今日持って行った教科書を全部フローリングに広げ、今日はここをやってなんだかんだと説明をし、最後に同じクラスの○○くんの今日の様子を僕らに伝えた。
 ○○くんとはかなりわんぱくな子で、入学の日から担任の先生に起こられるようなことばかりをしていると言う。確かに入学式の日、クラスで初めて全員そろったところで机を叩いたり落ち着きなくきょろきょろしていた…。
 H幼稚園にはここまで大胆にいろんなことをする子はいなかった(入学の翌日の授業で、黒板に落書きはするし、授業中に椅子や机を倒すし、廊下を走り回るしとやりたい放題のようなのだ…)ので、怜王的には驚異に感じているに違いない。
 僕が小学校や中学校の時にもクラスにひとりくらいはこんな奴がいて、みんなから煙たがれていた。当時は先生が一括しそれでも悪さをする場合、ビンタあるいはげんこつで殴ったりもしたが、今の教育者はそれをしてしまうと虐待ととられてしまうのでなかなか難しい…。
 担任の先生は20代後半の女性で、どい言う采配を彼絡みのことで行なうか気になるところ。ただ見たところ若い校長先生がとても冷静にそしてしっかり状況を把握しているように思えるので、しばらく様子を(連日怜王から報告される、○○くんの様子)見ていようと思う。
  そんな事を考えながらいると、午後2時7分緊急地震警報が携帯から鳴り始めた…。やや強い揺れではあるが、3月11日の揺れのような危機感を感じるほどではなかった。震源地は朝どうよう福島県浜通りで、震度6。現地の方々は、どれほど辛いことか…。
 5時過ぎ、夕飯の食材と怜王の飲み物(りんごジュースなど)を購入しに外に出る。目黒川の桜はまだまだ美しく、目黒通りと目黒川が交差する「目黒新橋」には、カメラや携帯カメラで桜を撮影をするたくさんの人たちがいた。
 僕は桜を撮るようながらじゃないが、外出時には必ず携帯するCX3を取り出したくさんの人たちに交じってシャッターを切る。そして買い物をし、帰りにレンタルビデオショップで、アメリカのテレビドラマ「Bones」シーズン2の最後の3枚「9,10,11」をレンタルし帰宅。
 食後に「9」を見て8時半過ぎに怜王をお風呂に入れ、明日の準備をさせて歯をみがかせ怜王は眠りについた。
 妻は建築家MさんのHPの仕事をしていて、僕は今日撮影して来たC4グランドピカソの写真をセレクトし加工する作業をした。
 それにしても今日は、地震(余震)の多い1日だった。あまりに多くて、揺れることに麻痺してしまっているような…。明日はどんな1日になるだろうか?
2011年04月12日(tue)  No.477

4月9日

 昨夜は妻が買って来たマッコリと赤ワインを美味しく飲み、今日あったことなどいろいろ考えつつ零時頃に眠りについた。気分的には朝6時くらいまで爆睡しようとお思っていたのだが、何と妻と隣の部屋で寝ていた怜王が深夜2時くらいに僕が寝ている部屋にやって来て僕の布団にもぐり込み眠った…。
 隣の部屋で怜王が眠る体制は当然ながら大人の布団にひとりで寝ていてゆったり眠れるはずなのだが、僕もひとり用の布団で寝ているので怜王がやって来ると少々窮屈で熟睡出来ない…。
 それに寝相が悪いので…寝返りを打つたびに僕の掛け布団を自分の身体に巻き付け、さらに足蹴りなど頻発するのでとてもじゃないが熟睡は不可能…。
 それでも起こさないようにそっと毛布だけでもと自分の身体にかけつつ眠ろうとしたが、眠ろう眠ろうと思う気ばかり先に行きけっきょく4時半過ぎまで起きてるような寝ているような…周囲の状況が脳裏を駆け巡りそれが遠ざかりだんだん分からなくなった…と思ったら怜王の足蹴りが脇腹にヒットし覚醒…。
 枕元の携帯で時間を見ると5時半…。1時間は眠れてと言うことだと思っていると、「おとうさん ぼくひとりでおきるね…」と言って怜王が部屋を出て行った。
 これでひとまず6時半くらいまでは眠れるなと思って横になると、怜王は頻繁に部屋にやって来て何かを話して行く…。これは叶わない…と言うことで、5時50分起床。キッチンい行くと怜王は妻の携帯で、ゲームをやっていた…。
 何時間眠れてだろうか…と計算すると3時間半くらい。怜王は昨夜8時過ぎに眠っているので5時半起床でも9時間は眠った計算になる。5時間くらい眠れば大丈夫身体だが、今日ばかりは少なくとも後3時間は寝たいと思いながら朝食の支度を始めた。
 怜王はテレビのリモコン操作が僕らより上手で、こんな機能があったのかと思うようなことをやる。人に教わるのが苦手な怜王だが、何でも自分でやってみて開拓して行くタイプのようでこの性格も対外的には善し悪しだがそのうち役に立つかなと思う。
 リモコンを駆使して番組表を出し予約したり画面を切り替えたりしていた怜王が、「おとうさん きょうてれびでアニメが 3じかんもあるらしいよ!」と言った。Macで番組表を出して見るとテレビ東京とNHK教育テレビで同じように3時間くらいある。つまり7時から10時までが、子どもの番組が集中しているのである。
 7時過ぎに怜王にシリアルを食べさせ、デザートにヨーグルトを。テレビを見たり大好きなスターウォーズのライトセーバーを振り回したりしていたが、9時半過ぎ「おとうさん」というので何かと思えば「おにぎりたべたい!」と…。シリアルじゃお腹も空くだろう。海苔を巻いたおにぎりを作り、食べさせた。
 10時少し前頃より、急激に雨雲が空を覆いはじめ、夕方のように薄暗くなって来た。最近の天気予報は、気持ち悪いくらい的中する…。それにしても嫌な天気だ。
 妙な天気ではあるが、今日は桜が満開で目黒川脇はたくさんの花見客であふれていた。夕方家族で目黒川沿いを散策したが、この辺りはいくら花見であるとはいえ極めて淡々と(歓喜の声は上がっているが)していて、集まっている人たちも収集出来ないほどではなくほどほどの人数でゆったり盛り上がっていた。
2011年04月09日(sat)  No.476

4月8日

 昨夜は小学生になっ怜王の初登校日で、ランドセルをしょって両手に荷物を持ちひとりでD小学校へ向かった。もちろん初日なので門の近くまでは慣れたところから見送ったが、怜王は振り返ることなくしっかりした足取りで小学校に入って行った。
 ひとりでどこかに行くと言うことは今までやったことがなく、小学生になって初めてやる個人行動。心配だが怜王は帰って来て(帰りも途中まで様子を見に行った)、「おもしろかった」「あしたひとりで しょうがっこうにゆくよ!」と言っていたので本人的にはひとりで行けると確信したようだ。
 怜王も眠り妻はMac相手に仕事をしている最中の11時32分ころ、どすんと縦揺れが来たかと思うと横揺れが30秒ほど続いた…。3月11日の地震より規模は小さいが、とても危機感を感じる揺れで肝を冷やした。
 これだけ揺れたのに怜王は爆睡していて、怖さを味わうことなく地震(これは余震らしい…)が終息。良かった。
 僕らはまた余震が来るのではないかと心配で、1時過ぎまで起きていたが明日もあることで1時半頃に眠った。
 8日5時半少し前、怜王が僕の寝ている部屋にやって来て「こんなにはやいじかんで すいませんね…」などと言いながら布団にもぐり込んできた。早いなと思ったが、小学校に送り出す時間は8時15分頃なので10分ほどいっしょに横になって昨夜の地震のことなどを話し起床した。
 今朝の怜王の朝ご飯は、納豆ご飯と豆腐とわかめのみそ汁で昨日どうよう完食!8時15分怜王を玄関先まで送り、小学校へ送り出した。今日は玄関先の道路に出て怜王が見えなくなるまでと見ていると、一度振り返って手を振りそのまま真直ぐ歩いて南門のある路地を曲がった。
 妻は今日は仕事なので、僕が11時半に帰ってくる怜王を待つことになっている。このたった3時間で下校は給食が始まってないからで、時間が長くなるのは11日月曜日(1時20分下校)から。
  マンション前まで出て様子を見たい気もあったが、ここはじっと怜王のやることを見ることにし部屋で待つことにした、11時35分過ぎ、マンション入口のオートロックを解除し怜王が颯爽と帰って来た。これで一歩幼稚園製だった時よりステップアップし、お兄ちゃんになった感じである。
 お昼ごはんを食べさせたりしていると、D小学校担任のN先生から、提出した給食に対する食物アレルギーについて、栄養士と校長と担任の3名と近日中に面談がしたいというモノであった。近日中と言っても給食は休み明け11に日から始まるので、急を要する。そんな訳で、夕方3時半に学校に出向き面談をすることになった。
 D小学校へ行き、担任のN先生を呼んでもらい、校長の 栄養士の三方と怜王の食物アレルギー(給食)について話し合いをする。
 とても大切な話し合いで僕が今日の夕方どうですかと切り出したのだが、とても対応が迅速ですぐに面談と言うのは嬉しいこと。それに入学2日目にして担任と校長と栄養士という小学校の中枢に位置する人物と話しをすることが出来ることは、D小学校の気質を知る上でも重要なことのように思えた。
 ※ 栄養士校長との話し合いで当面学校の体制は
○アレルゲンである卵、ピーナッツ類、南国系フルーツ等の除去を栄養士が行なう。
○除去することで栄養のバランスが崩れる恐れがある場合はそれに変わる食べ物を作って持たせること。etc…
 ※ 僕らがやることは
○緊急時:主治医あるいは医療機関を連絡帳に書いて提出(D小学校近くの医療機関等の連絡先)。を教えてもらい提出。
○今まで食べたことのない食材も口にすることもあるので、インタール(アレルゲンを抑制する飲み薬)をしばらく給食前に飲ませるようにすること。
 20分ほどの面談を終え、4時過ぎ帰宅。栄養士も校長もとても熱心に対応してもらえ、給食に対するアレルギーの不安がなくなった。特に校長がメモを取りながらたくさん質問をしてもらえ、さらに安心感が増したのである。
2011年04月08日(fri)  No.475

4月6日

 幼稚園の時の怜王の友達が兄弟含め8名あるお母さんの家に集まると言う話が午前中急に決まって、妻は仕事に出る時間で僕が1時半に近所の待ち合わせ場所へ怜王を連れて行った。
 帰りは家までKくんのお母さんが怜王を送ってくれると言うことで、怜王をKくんのお母さんに預けその足で恵比寿に撮影に行った。撮影終了後東京都写真美術館のミュージアムショップへ行き、妻が「鉛筆削りはちょっと高いけど、これが良いな!」と言っていた二眼レフの形をした「キッカーランド」 カメラ ペンシル シャープナー(http://www.rinkydink.jp/SHOP/2179.html)」を購入しに寄った。
 ネットで調べる限りどこを見ても欠品状態だったので手に入れるのは難しいと思ったが、写真美術館のミュージアムショップには展示されていた!さっそく店員の女性に「これ欲しいんですけど」と言うと「展示品しかないんですけど…」と言うので迷わず「それで良いです、プレゼント用に包装してください」と言ってゲットし4時半過ぎ帰宅。
 入学に必要なものは一昨日購入した上靴が最後であったが、鉛筆削りも必要でこれは僕からの入学プレゼントと言うことで、6時過ぎにKくんのお母さんその他大勢に送ってもらって帰って来た怜王に手渡した。
 さて今日は、怜王の小学校の入学式! 怜王が2016年11月19日に世田谷区等々力のクリニックで生まれてから、それまで以上に月日が経つのが早く感じられる。すべてのことが「ついさっきまで…」と言う感じで、怜王を見ていると自分の小学1年生のころの記憶が蘇って来る。
 入学式の記憶はないが、家の近所の路地でトシオくんという同じ年のこと良く走り回っていたこと。彼といっしょに小学校近くの有刺鉄線近くで野球をやっていて、ボールが敷地内に入ってそれを取ろうと有刺鉄線をくぐったら、左腕に有刺鉄線が引っかかり3センチくらいの傷を負ったこと。
 小学1年生の頃同級生で家が酒屋をやっていたヨシコちゃんのことが気になっていた(初恋だと思う)こと、などいくらでも思い出す。小学生になってからの記憶が、半世紀を過ぎても鮮明であることに驚かされる。
 そんな記憶が残る年齢に怜王が到達しているのだと思うと、何とも言えないものが込み上げて来る!腕に傷を負ったことですら、今となっては懐かしい記憶。出来れば良いことをたくさん経験し、のちにそんなことがあったなと怜王には楽しい記憶を蘇らせて欲しいなどと思ったりしつつ。
 そんな怜王は早朝4時半に僕が寝ている部屋にやって来て、布団にもぐり込み二度寝を始めた。例によって僕は怜王が来てから覚醒してしまい…しばらく目を閉じて横になっていたが、5時半過ぎそれ以上目を閉じていられず起床した。
 朝食の準備をしつつFacebookやメールのチェックをしたりしていると、6時半過ぎ怜王が「いっぱいねちゃった…」と言いながら起きて来た。
 9時15分僕ら三人はびしっとスーツを着込んで入学式が行われるD小学校へ向かった。 9時半受付を済ませたあと、保護者は体育館怜王たちは教室(今年度入学者は46名で怜王は1年1組23人で、1年2組も23人)体育館へ。この段階から親子は別行動となり、子どもたちの小学生としてのスタートが切られたような気がした。
 入学式は10時からおよそ1時間で、終了後校庭で記念撮影をしクラスに戻って担任の先生からの話しを聞いて解散。明日からはひとりで登下校となるので、ふだんから言ってるが道路は白線の内側を歩き路地などの前では一旦立ち止まり左右を見てクルマを確認してから渡ることを僕らより先に歩かせつつ帰宅。
 さっそく撮影して来た写真を整理し、Facebookとfragmentsに同一写真でニュアンスを変えたコメントでアップした。
 3時半過ぎ、怜王を目黒駅前のO歯科へ連れて行く。治療が終了(今日は20分間ほどの治療を、嫌な顔ひとつせずにクリア!)した時点で外で妻と合流し、怜王をバトンタッチであずけ水道橋へ向かう。
 クライアント(T出版社)のKさん、Bさん、そしてフリー編集者のOさんの4人で、恒例のボクシング観戦!これはもう数年前から始まったのだが、Kさんが沼田ジム(http://numataboxing.web.fc2.com/)にかよっていて(10年!)同じジムの須田拓弥選手の試合を見に行くのである。
 須田選手は結婚をしもうじき子どもが生まれるということで、今日がラストファイト。僕らから見るとまだ引退は早いんじゃないかと思うのだが、須田選手はボクシングではない道に進もうとしていているということで最後の応援なのである。
 ラストファイトの相手はフィリピン出身のウォーズ・カツマタ(勝又ジム所属)で、リングに上がった時の彼の目つき物腰にただ者ではない気配を感じた。須田選手は今まで見た中で一番落ち着いて美しいフォームで快調に戦っていたが、2ラウンドにひだり目の上をウォーズの有効打で切ってしまった…。
 切ってしまったが4ラウンドまで何事もなかったようにファイトをして来たが、再び有効打で傷口から血が出てしまい残念ながらテクニカルノックアウトで負けてしまった。しかし須田選手の表情には満足感と言うか達成感のようなオーラが出ていて、とても清々しい素晴らしい瞬間を目にしたような気がした。試合終了してから、水道橋駅近くの居酒屋で11時くらいまで歓談し帰宅。
 さて明日は、怜王の小学校初登校日。8時15分少し前に部屋を出て、僕らは怜王が登校する様子をやや遠方から見送る予定。明後日金曜日からは完全にひとりで登校することになると思うが、そう思っただけでも感慨深いものがある。
2011年04月06日(wed)  No.474

4月4日

 昨日は曇天でとても寒く、開花しつつある桜の花が足踏みしそうな一日だった。そんなわけで一日外に出ることなく部屋の中で過ごしたが、6時半過ぎ怜王が「きょうは まっくで はっぴーせっとじゃないの?」と言うので、ふたりで目黒駅前のマクドナルドへ、ハッピーセット+玩具のライトセーバー(http://www.mcdonalds.co.jp/happyset/index.html)をゲットしに行った。
 だがしかしライトセーバーは人気であるらしく、すでに完売…。仕方がないのでヨーダをもらってMマックを出る。ライトセーバーがなくて落胆するのではと思われた怜王だったが、案外さっぱりしていて「よーだで がまんしとこう」と言った。帰りに東急ストアに寄って、僕と妻の分の夕飯を購入し帰宅。 
昨夜「とれたてテレビ(http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2011/110325-057.html)」でハヤブサ帰還関連の放送に興味を持った怜王は、「これ おわるまでみる…」と言って歯をみがいて布団の中で見ていたが、10時過ぎ最後まで見ることなく眠った。
 そんな時間まで起きていたのに朝は何故か4時過ぎくらいに僕が寝ている部屋にやって来て、二度寝を始めた…。そしていつものように激しい寝返りでスネと腰にキックを受けつつ…、6時過ぎに怜王が起きるまで眠れないまま目を閉じて横になっていた。
 今日は早朝より陽が射し、天気が良いし暖かそうだ。週間天気予報を見ると今日は晴れ時々曇りで、最高気温は13度〜16度。そして今日を境に明日から気温は上昇し小学校の入学式がある6日は晴れで19度まで上がるらしいので満開になるかも!
  午後になって小学校で履く上靴を学校指定の洋裁店へ、怜王を連れて行く。サイズは18.5僂箸泙世泙西さい。この洋裁店何が凄いってレジがとても古く、聞けば100年くらい前のものらしい!
 上靴を手にして怜王はご機嫌で、おどけながら歩く。帰宅後もさっそく履いて、部屋の中を走り回ったり…。
 3時少し前、妻といっしょに目黒区民センター敷地内のグラウンドへサッカーをやりに行った。先日は体験で今日入会、会員(http://fine.ap.teacup.com/yuasa/)として少年サッカーをすることになった。
 5時過ぎユニホーム一式を持って、怜王が帰って来た。さっそくすべてを着込んで、マンション前で記念撮影。完全に気分はサッカー選手で、目つきもなにやら鋭い感じ!?
 小学校もそうだがサッカーグラブも小学生は親の付き添い無しでひとりで行くようになるのだが、グラウンドは自宅マンションの斜向いで徒歩10秒ほどで小学校は数分とどちらに行くにも怜王を目視出来る範囲という安心感が良い。
 今日は丸一日テンションが高かった怜王は、8時から部屋に散乱した油性ペンやらが用紙やらその他諸々の遊び道具を片付け始め、どうにか30分以内で終え歯をみがいて布団に入った。
 布団に入った怜王は寝る直前まで奇声を上げていたが、モノの数分で静かな寝息が聞こえて来た。午後一で小学校の上靴を買いに行き、3時からサッカーを1時間ほどやってさらに1時間ほどグラウンドで遊んできて疲れていたのである。
 怜王が眠ると時計が時をきざむ音や、妻がマックのキーを叩く音、冷蔵庫の音などが聞こえて来て、耳の奧の方で”シーン”という音とも耳鳴りとも決めがたい音が鳴り始めた。
2011年04月04日(mon)  No.473

4月1日

 今朝も5時半過ぎに、怜王は寝ている僕の部屋にやって来た。例によって布団にもぐり込んでくるのだが、激しく寝返りを打つので肩口がスースーして寝ていられない状況…。それでもひたすら目を閉じて横になっていたが、さすがに10分も経過すると目が覚めて来て起きること
 昨夜は比較的早く怜王は眠った(8時半頃)ので、9時間も寝ていると起きたくなってしまうのだろう。しかし僕が寝たのは12時くらい…なので、睡眠時間は5時間半。もう少し温かくなってくれば5時くらいに起きても良いが、今年はなかなか暖かくならず朝はやはり辛いのである。
 昨日に引き続き怜王は幼稚園バスで同じバス停から乗っていたお友達の家に呼ばれていて、今日もまた自由な時間が作れそう。それも昨日は酷い曇天でいまひとつ撮ったと言う感触をつかめなかったので、今日はしっかり歩こうと思った。
 11時半頃妻と怜王は、お弁当を持って近所に住むHくんの家に向かった。ふたりを見送って間もなく、GRDIIIと替えのバッテリーをポケットに入れ撮影に出た。
 今日はTシャツでも良いくらいの暖かさで、昨日から撮影に行こうと決めていた場所は目黒雅叙園から五反田方面で、このエリアは全く歩いたことがなかったからだ。
 まずは目黒川沿いに歩き目黒通りを越え、目黒エンペラー側の遊歩道を歩きつつ撮影。目黒新橋の次ぎの太鼓橋を渡り、下目黒1丁目から急な上り坂の続く上大崎4丁目辺りを撮影していたのだが、思いがけないことに目黒駅にその道は向かっていた…。
 方向感覚が鈍ったのは、杉野服飾大学と杉野系の専門学校(ドレメ)などの敷地が宏大で行きたい方向に行けないからだった。
 仕方がないので目黒駅前の山手線沿いの道を五反田方向に向かって歩いて行くと、今度は線路が邪魔をしてやはり行きたい方向に行けないのであるこの一帯、路地裏を曲がる的なスナップをするには不向きな地形であることを知った。
 上大崎三丁目当りを目指していたのだが、残念ながら線路を渡る場所があまりに遠方で…、やむなく山手通り方向に矛先を変えスナップを続けた。このところ撮影しているのは植物の日中シンクロメインで、スナップはいつもどおり。
 坂道を下ってゆくと再び目黒川に出て、亀の甲橋を渡り山手通りに出て目黒通りと交差する大鳥神社前の交差点から下目黒小学校裏を歩き再び目黒川沿いに。目黒区民センターで目黒川沿いに歩いていると、何と3台のジェットスキーに乗った奴らが凄まじいスピードで通過…。許されていない行為だと思うが、川底までかき回したので、かなり異臭が…。ふれあい橋を渡り、2時半過ぎ帰宅。
 帰宅後撮影して来たデータをMacに移し、日中シンクロの植物の写真とスナップを分けて外付けハードディスクに移して保存。植物の写真のみフォルダを作ってデスクトップに置き、セレクトをして少々加工し「植物頌」ストックへ加えた。そして1時間ほど休憩をし、3時半過ぎ再びGRDIIIを持ってさっき行きつけなかった上大崎三丁目へ向かう。
 歩き始めてみて気になったのが、行き止まりが多いこと。つまり袋小路で「この先行き止まり」だらけで思うように先に進めない、迷路のような場所であった…。そして今住んでいる目黒区目黒一丁目どうよう、坂道の多い町であった。
 4時半帰宅。撮影して来たデータをMacに移し、日中シンクロの植物とスナップを分けてフォルダに保存し全体を外付けハードディスクに保存した。保存し終えて間もなく、妻と怜王が帰宅した。
 
2011年04月01日(fri)  No.472

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