ys diary
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3月31日

 隣の部屋で寝ていた怜王がやって来て、僕の布団にもぐり込んできた。枕元の携帯で時間を確認すると、5時5分…。このままぐずぐず起きていられると困るなと思ったが、そのまま二度寝を始めた。良かった…。
 だがしかし、一度目が覚めると二度寝をすることが出来ない僕は、怜王がやって来てから目を閉じて横になっていたがそれも時間切れで5時半過ぎに起床…。もちろん怜王は、気持ち良さそうに爆睡していた…。
 怜王が幼稚園を卒園して何が変わったのかと言うと、朝起きてまず始めにやっていたお弁当作りがなくなったこと。
 思えば3年間土日祝祭日をのぞき、毎日お弁当を作った。3年間は、あっという間だった。そしてそのあっという間の3年間に、僕は何をして来ただろうかとふと思った。
 2009年は 『コダックフォトスクール講師陣による写真展』をスポットフォトサロンで。
同年コダックフォトサロンで『DRUG写真展』、Ban Photo Galleryで個展『breath origin』。
 2010 年の1月に『各界著名人約120名の作品による写真展 SNAPS』を銀座RICOH RING CUBEでやり、同年2月に再びBan Photo Galleryで『 2009年展示写真家オリジナルプリント展』 と、1回の個展と4回のグループ展と意外に少ない…。
 4月6日は、怜王が行く小学校の入学式がある。幼稚園では送り迎えとお弁当があって、妻とスケジュール調整をしてやって来たが、小学校に入ると送り迎えがなくなり給食と一気に手がかからなくなるとずっと思っていたが、いろいろ話しを聞くと1年生は幼稚園より登下校の時間が短く慌ただしいと言う…。
 となると朝見送って夕方3時過ぎに帰宅と言う小学生的に日常は、1年先くらいと言うことになる。今しばらく、僕も妻も自由に動き回れる時間を作るのは難しそうだ。
 10時半少し前、妻が仕事に。昼過ぎまで怜王と遊んだりし、1時半怜王の幼稚園の友達のROちゃんのお母さんが迎えにきて怜王は目黒区民センターの児童館へ。ようやく自由に出来る時間が出来たので、GXRを持って撮影に出る。
 歩き始めて間もなくあれほど晴れていた空が雲で覆われ、暗くなり始めた…。だがせっかく自由に出来る時間が取れたので、撮影を続行するためやや早足で中目黒方位面へ向かいつつ撮影をする。2時半頃雨雲が次第に黒っぽくなって来て嫌な感じだと思って立、妻から「ゲリラ雨だね〜」というメールが携帯に…。
 まだ降ってないと返事を書き送信した瞬間、ぽつりぽつりと雨が…。傘を持って出なかったのでこれはマズいと足早に自宅マンションへ戻ろうとしたが、妻が言うようなゲリラ雨には一向にならずに数分で雨は上がった。
 妻の仕事場は同じ目黒でも前に住んでいた平町に近い碑文谷で、距離にして5キロくらいしか離れていないと思うがこれは碑文谷周辺へのピンポイント集中豪雨だったようだ。そんなわけで撮影続行し3時帰宅。
 撮影して来たデータをMacに移し、さらに外付けハードディスクに移動し保存。3時半少し前、目黒区民センターにある児童館へ怜王を迎えに行く。空を見ると雨雲が急速になくなり、晴れ間が見えて来た。撮影しているときだけ悪天候とは、ついてない…。
 4時怜王を連れ、目黒駅前のO歯科へ。一昨日はレントゲンを撮ったり歯の撮影をしたりと準備だけで、今日から治療は本番。1年半前妻が連れて行きたくないと言うほど治療をさせてくれなかった怜王だが、今日はどうだろうか…と思っていたが待ち時間でもかなり余裕の表情。
 4時半過ぎ名前を呼ばれ治療開始だが、驚いたことにT先生の言うことを本当に良く聞いてちゃんと口を開けて虫歯の治療を受けていた。今日の治療が終わりT先生から「レオくん、すごーい!」と言われて照れ笑い。今日の怜王を見ていると、1年半という期間でかなり大人になったことを痛感させられた。次回の予定を入れ、O歯科を出る。
 帰り道怜王は活き活きしていて足取りも軽い。たくさん褒めてあげ、先日買ってあげたら「おいしい!」と言っていたメロンクリームソーダ(発酵乳使用)をスーパーで買ってあげた。
 自宅マンションまでの間ご機嫌の怜王は、RUMIXで植物や空の風景などを激写。パワフルなのである。
2011年03月31日(thu)  No.471

3月30日

 昨日は怜王を連れ、目黒駅近くのO歯科へ。目黒区平町に住んでいた時に通っていた(数回…)歯科では、口を開けても先生が見ようとすると顔を背けたり先生の手を嫌がって避けたりとまっとうな治療をするのが不可能なくらい怖がっていたようで(僕は一度も歯科に連れて行かなかったのでどれほど酷いものか分からなかったが…)今回は同だろうと心配していたが、口を開けて先生がいろいろ調べても普通に口を開けて治療を受けていた。
 部屋に戻って来てから怜王に前の歯科と何が違うと聞いて見ると、「ひとがちがう」と言うのでどういう意味か聞いて見ると、「せんせいが  かわいい!」だそうだ。
 確かに若くてきれいな先生(以前通っていた歯科も女医)で、成長したこともあるが男の子にとって先生が可愛い(怜王より20歳以上年上だと思うけど…)ことは重要なことのようである。
 それに先生が「レオくんの担当になった、Tと申します」と最初に名刺をもらったのだが、治療が終って帰る時に先生何て言う名前だったか覚えてると聞いて見ると、「Tさんでしょ!」と凄まじい記憶力!いかに怜王が、T先生を興味津々で見ていたか、である…。
 そして「おとうさん ようちえんのYちゃんとTせんせい どっちがかわいいとおもう?」と言うので、どっちも可愛いねと言うと「そうだよね YちゃんHようちえんでいちばんかわいいからね!」と言った。
 さて、昨夜珍しく妻が眠っている部屋で怜王は寝た。妻が寝ている部屋より僕が寝ている部屋の方が狭いので、怜王といっしょに眠ると寝返りをした時に蹴られたり手が顔にヒットしたりと熟睡するのが難しい。
 そんなわけで今朝はゆっくり自分のペースで起きることが出来ると思いつつ昨晩寝たのだが、5時40分頃僕が寝ている部屋にやって来て何やら口にしながら僕の布団にもぐり込んできた…。
 そして例によって寝返りを打ったり話しかけて来たりで僕の眠りは終わり、そんな状態でもしばらく我慢して目を閉じていたが、6時を過ぎた頃ふとんのなかで怜王があまりに動くので布団に入っていても肩口が寒くなりあえなく起床。寝ているところに来られるより、いっしょの部屋で寝ていて起こされる方が良いかも…。
 午前中妻が写真美術館へ、「知られざる日本写真開拓史 夜明けまえ(http://syabi.com/contents/exhibition/index-344.html) を見ている」と言って出かけた。最初は怜王が行くなら3人で行こうとも思ったが、怜王が行かないと言うのでどちらかが部屋に残らなければならなく僕が残ったのである。
 なぜ古いに本の写真史をテーマにした写真展に妻が行きたがったのかと言うと、妻の母方の親戚に前田寅次というロサンゼルスで活躍した写真家がいて、もしかしたら前田寅次に関することが少しでも分かるかも知れないと言うことであったが、寅次の生きた時代(1875-1935)とはかけ離れていたので収穫はなかったようだ。
 前田寅次の写真は現在僕の部屋に保管されていて、大分作品が紛失しているようだがすべての作品を僕が複写したのを妻がフリッカーにあげているのでアップ(http://www.flickr.com/photos/konatsu823/)しておこう。
 前田寅次は渡米しロサンゼルスで亡くなっているので、なかなか日本に彼の足跡を残すものがない。寅次は高知県生まれで葬儀に「高知県人会」という文字も見えるので、高知に住んでいる方もしどこかで「前田寅次」の名前を見かけたらご一報頂けたらと思う。
 ちなみに「前田寅次」はローマ字表記で「Toraji Mayeda」と表記されることもあるが、本人のサインでは「Torazi Mayeda」である。
 3時少し前「サッカークラブ」へ正式に入るため、怜王と妻が斜向いの目黒区民センター敷地内の広場へ行った。ふたりを送り出した後、CX3を持って近隣スナップへ。4時半過ぎまで下目黒、三田あたりを歩き回る。
 目黒通りに架かる目黒新橋近くで、J-WAVEのナビゲーターのクリス智子(http://www.christomoko.com/)さんの名前を発見!「目黒川を豊かな環境にする会」主催で毎年「桜まつり」が行なわれるようだが、今年は地震津波災害のことがあり、提灯こそつけられたがイベント関係は中止されるようだ。
ちなみに今日の自宅近くの目黒川の桜はアップした写真くらいだが、確実に開花が近いことを教えてくれた。
 夕飯の後レンタルしていた、「Bones」を見る。見終えると8時。怜王にどちらに寝るのか聞いて見ると、昨日どうようお母さんの方だと答えたのでそうした。時間で言えば8時半過ぎに、怜王は眠った。
 怜王が眠ったあと僕は、「GyaO!」にリュック・ベッソンの「リボルバー(http://www.astaire.co.jp/revolver/)」が新作としてアップされていたので見た。最初はそれなりかも…と持っていたが、後半ゴダール的な匂いが出て来て(あくまでも個人的主観だが…)最後まで釘付けになり僕の中でのリュック・ベッソンの評価がかなり高まった映画であった。
 ともかく怜王が眠ってくれたことでいろいろ出来る訳だが、明日は昼過ぎから幼稚園の友達数名がマンション斜向いのめげる区民センター内の児童館に行くらしいのだが、妻は仕事で僕は仕事がない日。そして夕方4時半までに歯科へ怜王を連れて行かなくては。
 
 
2011年03月30日(wed)  No.470

3月27日

 5時半過ぎ横に寝ていた怜王が目を覚まし「トイレいってくる」と言って布団を出て、戻って二度寝をすると思ったら「おとうさん ぼくもうおきてるね!」と言って部屋を出て行った。いっしょに起きようと思ったが、昨日妻と怜王が出かけている間「GyaO!(http://gyao.yahoo.co.jp/)」で「アルティメット」「トゥームソルジャー」「ナショナルコード 陰謀の国歌」「ブラックダイヤ「」など途中はしょった映画もあるがMacBook Proで4本の映画を見て微妙に疲労していた?ので起きることが出来なかった。
 うとうとしていると6時を回っていた。キッチンい行くと怜王は本を読んでいたが、キャラメルもなめていた…。こんなに早起きしてキャラメルなんか食べてちゃダメだなと言うと、「だって ぼくのてのとどくところにおいておいちゃ だめじゃない」と言い返された…。
 確かに手の届くところに置いておいたら、自分ひとりだったら食べるな…と思い僕が背伸びをして届くくらいの場所に移動した。
 数ヶ月前から懸案?であった怜王の”虫歯の治療”と”耳あかの除去”だが、目黒区平町に住んでいた頃虫歯が見つかって評判の言い歯科に妻が怜王を連れて行っていたが、そのとき怜王が歯の治療を嫌がって先生が困るほど顔を背けたり手で先生の手を避けたりしたようで通院を妻が嫌がった。
 そのまま引越をしてしまったので、虫歯を抱えたまま卒園。歯磨きは朝夕やらせていたが十分みがき切れていなかったようで、奥歯に虫歯がはびこってしまっていた。小学校に入学する前にどこか良い歯科を探して連れて行かなければと思いつつも、だらだら時間だけが過ぎてしまっていた。
 歯科に連れて行っていた妻が数日前歯医者さん担当が僕で耳鼻科が私の担当と振り分けを決めたので、昨日目黒駅前の某歯科にメールで予約を入れ29日の午前中に連れて行くことになった。
 怜王が平町の歯科に数回通っていたのが、年中さんの5歳くらいの時。それから1年半くらい経過した今、どれくらい治療を嫌がらず怖がらずに治療ができるか…。それが問題だ。
 相変わらず寒い日が続いているが桜の開花予想をネットで検索したら関東甲信越は今月29日(http://sakura.weathermap.jp/)くらいであるらしい。今現在住んでいる場所から、桜が満開となる目黒川までは1分もかからない!楽しみだ。
 今日は久々にFacebookのウォールに、コメントと写真をアップした。写真は2日前怜王とふたりで散歩をしに行った時に、怜王が撮影した花のクローズアップ写真。シンメトリーな構図で、とても良く撮れていると思うのでこの日記にもあげておこう。
 昼過ぎネパールに行ったときに友だちになったLBくんから、日本語で「お久しぶりにお返事します。日本は今たいへんそうですね。だいぞぶですか。私はとてもしんぱいしています。きをつけてくださいね。ご家族のみんな様だいぞぶですか。私はみんな様のためにおいのりしています。  ネパールのLBより」というメールが届いた。嬉しい言葉である。
 さてGyaO!で映画を見ることに昨日ハマり、今日もドラマ「スーパーナチュラル第1話第2話 http://wwws.warnerbros.co.jp/supernatural/index.html」と映画「スピード・コップス」の3本を午前中から午後2時くらいまでに見る。「スピード・コップス」はB級な感じであったが、「スーパーナチュラル」の方はなかなか面白く見る。
 4時過ぎ怜王が部屋でやるひととおりの遊びをし終え暇そうにし始めたので、マンション斜向いの目黒区民センターに隣接している広場へサッカーをやりに行く。夕方になって少し寒くなって来たので遊んでいるのは小学3年生くらいの男の子がひとりでサッカーをやっているのと、3歳くらいの男の子とお父さんが補助輪付き自転車で遊んでいるくらい。
 入口から一番離れた奧に僕らは陣取り、ドリブルしたりシュートしたりを30分くらいやった。野球のような小さなボールを使ったスポーツよりサッカーの方が、圧倒的に怜王には会っているようで楽しそうにそして器用にボールをコントロールして楽しんでいた。
 5時半たまには外でということで、近所のイタリアンレストラン「Salita(サリータ)」へ行こうと意気揚々と出たが、何と開いていなかった…。目黒駅とは反対方向に来てしまったので駅の方まで行くのははばかれ、少し戻ったあたりにある「大戸屋(http://www.ootoya.com/)」へ。
 怜王はうどんと妻が食べていた大きめのチキンカツをふたつ、そしてデザートに白玉のアイスをご機嫌に完食。最近食欲が出て来たようで、大人と変わらない量を食べることがあるがそれが今日だった。
2011年03月27日(sun)  No.469

3月25日

 怜王が目を覚ましたのか、大きく伸びをしたその右手が僕の顔に当たり目が覚めた…。「といれ…」と言って布団を出て帰って来ると、あっという間に二度寝を。例によって一度目が覚めると眠れなくなってしまい、目は閉じてはいるが怜王が次ぎに目を覚ました6時過ぎまでいろんなことを考えながら横になっていた。
 6時10分起床。カルピスを作って飲ませると、昨日妻に買ってもらった分厚い「コロコロコミック(http://www.corocoro.tv/next/)」をゲラゲラ笑いながら読み始めた。
 昨日は地震による揺れを、ほとんど感じなかった。しかし地震速報を見ると福島、宮城、茨城方面で余震が発生していて、さらに予想外なことに広島北部や鹿児島の南西沖のトカラ列島(http://chizuz.com/map/map11205.html)という新たな震源地名も…。
 今日妻は週2回行く仕事の日で、僕は休み。勤め人ではないので撮影の仕事がなくても自宅で原稿書きであるとかがある訳だが、地震のこともあってか今月は仕事が滞りがち…。
 そんなこととは無縁な怜王が1週間ほど前から「ハイパーヨーヨー どこにあるんだろう?」と以前購入しその時に上手く出来ずに放っておいたヨーヨー(現在は「ハイパーヨーヨー(http://hyper-yo-yo.jp/)」が主流)が玩具のどこかにまぎれて行方不明であることから「もういっかい かってほしい…」と執拗に訴えるので、昨日それじゃ明日買いに行こうということになった。
 10時半妻が仕事に出かけたあとの11時過ぎ、怜王を連れて大井町のヤマダデンキへ向かう。今日は昨日よりかなり暖かいが、風はまだ冷たい感じ…。
 目黒駅から山手線で品川まで行き、京浜東北線に乗り換えひと駅先の大井町下車。中央改札を出て、歩道橋でつながっているヤマダデンキ(LABI)へ。そして怜王が欲しいと言う「SPINPHENIX(スピンフェニックス)」を購入。
 すぐ帰ってやりたいと言うので、そのまま駅に向かい目黒まで。そして帰り道にある小さなスーパーの「マイバスケット」で牛乳や野菜や卵などを購入し帰宅。おやつを食べさせ、怜王はなかなか出来ないヨーヨーにチャレンジ。
 3時半過ぎ、怜王を連れて近隣撮影散歩へ。もちろん怜王もカメラ(Lumix)持って出て僕と同じように撮影をするのだが、僕が撮るものをすべて真似して撮る。つまりその逆もあるので、ふたりでしゃがんで花を撮ってたりすることもある。変な親子だと思われているかも…。
 5時過ぎ、妻が帰宅。相変わらず怜王は、技を優先しているのでヨーヨーを上手く上下することが出来ない…。いくらこうすればこうなると昔取った杵柄でハイパーヨーヨー的な言葉で言えば基本の「ロング・スリーパー」を実演してみせるが、怜王はヨーヨーを真直ぐ下ろすことが出来ず苦悩…。
 ゲームのようにひとまず出来ると言ったことは、ヨーヨーだけではなくサッカーも野球も、ギターを弾くこともすべて何度も練習をしてやっとまともに出来るようになる訳で、怜王にはもうしばらく辛抱することを身体を使って覚えて欲しいと思う。
 そんな怜王は2年前くらいから始めたベイブレードは、当初シュートが上手く出来なかったりしたが今では上級者になってどんなことも出来るようになっている。
 ちなみにハイパーヨーヨーの対象年齢を見ると「8歳以上」と明記されている。怜王は6歳で、年齢的にこれから上達して行く感じなのだと思う。そのことを怜王に言うと「えー 8さい!」と驚いていた。
 夕飯を食べた後怜王はテレビを見たりしていたが、僕らはレンタルして来た「Bones10」を見る。テレビドラマで10と言うことは、20作品(DVDには1時間ものが2本入っている)を見たと言うこと。
 DVDを見て9時過ぎに、怜王を寝かし付けた。
2011年03月25日(fri)  No.468

3月21日

 5時45分、隣の部屋で妻と寝ている怜王が起きてトイレに行く音が聞こえた。そしてトイレに行った後僕が寝ている部屋に来て、布団の中にもぐり込んできた。外はとても静かで雨は降っていないように思えたが、6時過ぎに起きて見ると音もなく雨は降っていた…。
 サッカーをやりに行こうと思っていたが、これではどうにもならない。それでも外に出たら面白いかなと思い、6時50分過ぎも敷かしたら早朝であればスーパーやコンビニに牛乳があるかもしれないと怜王とふたりで買い出しに。
 まずは山手通り沿いの大型スーパーマーケット「マルエツ」に行くと、何と牛乳もジュースも入荷されていなかった…。仕方がないので帰り道にある「みんなの市場」という小さなスーパーに入ると牛乳もりんごジュースもあった!
 それを見た時牛乳を2本買おうかと思ったがそれをしたら買い占めをすることだと思い直し、1リットルの牛乳パックとりんごジュース、それに怜王用にヨーグルトを購入した。僕らが買いに行った時点で、棚の奥行きの半分つまり牛乳パックは20本ほどしか並べられていなかった。
 いつもは一番奧までびっしり置いてあるのだが、この分だと10時くらいまでにはすべてなくなってしまうだろう。ともあれここ数日に中にいくら探しても手に入らなかった牛乳パックは、早朝に購入しに行けば手に入ることが分かっただけでも出たかいがあった!
 帰宅すると怜王はおもむろに画用紙を出し、キッチンの床で絵を描き始めた。それは色鮮やかな色使いで、モンドリアンやカンディンスキー・ミロなどのタッチを思い出した。
 8時半過ぎ雨脚が強くなって来たようで、樹木や地面、屋根などに落ちる音が大きくなって来た。Facebookをチェックする。
 9時15分過ぎ起きてから絵を描きベイブレードの改造をやりとひと通りのことをやり終えると、1月までサブマシーンとして使用していたiBook(怜王に自分のパソコンとして使わせることにした)のブックマークからYoutubeでアニメの「ベイブレード」を僕のとなりで見始めた。
 朝怜王が描いた絵を、Facebookのウォールにアップした。するとあっという間に沢山の知り合いから絵を見た感想を送ってもらえ、自分のことのように嬉しい!
 昼食後昨日どうよう、怜王が「おとうさん べいばとるやろう!」と言うのでバトルを始めた。基本的に妻はベイバトルにつき合わないので、僕が怜王の相手をすることになる。怜王は1回戦ごとに改造したりしてなかなかバトルが進まないので、僕も改造をすることにした。改造を始めるとついつい熱くなり、必至でパーツを探している自分にはっとする…。面白いのである。
 3時少し前、今日2度目の買い出しに出る。2度目は僕が飲みたい赤ワインを買うことが目的だが、妻から「バナナも買って来て」と言うことで朝とは逆の目黒駅川の「まいばすけっと」という可愛らしい名称の小ぶりなスーパーマーケットへ。
 ここも朝怜王と行った「みんなの市場」どうよう意外に品揃えが良く、赤ワインとバナナそしてマーガリンや食パンをカゴにいれていると牛乳も入荷されていたのでひとつ購入。これで四五日は牛乳に事欠かないであろう。
 牛乳の入荷が確認出来たのは好材料だが、相変わらずお米やレトルトもの、それにインスタントラーメンなどは店頭に並ばず棚はがらがら…。購入したものをリュックに入れ、「ホテル・プリンセスガーデン」脇の急な下り坂を通って帰る。
 夕食前レンタルして来たDVD、「Bones7」を見る。「Fringe」はシーズン2まで見てしまい、シーズン3はまだ発表されていないので、しばらくは「Bones」で楽しみたい。
2011年03月21日(mon)  No.467

3月20日

 早朝4時怜王が「といれ…」と言ってトイレに行った。あまりに時間が早いのでこのまま起きたいと言われたらどうしようかと思っていると、無言のまま自分の布団に入り2度寝を始めた。
 一度目が覚めるとなかなか2度寝が出来ない僕は、横になって目は閉じているものの怜王が目を覚ました6時少し前までいろいろなことが脳裏をかすめて行った。6時過ぎ起床。
 11日の地震以来少しずつ余震も弱くなって回数も減って入るが、その地震とは震源地の違う場所での地震が拡大しているので気分的に落ち着かない…。昨日もかなり大きな揺れ(震源茨城県北部 M6.1)があり、緊張が走った。
 日本は北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの3プレートが集まった箇所に位置しているので、規模の大きい今回の地震で連鎖反応を起こしているようで終息する気配がないところに不安要素がある。
 不安な中10時半に揺れを感じた(震源地は福島県沖でマグニチュード5.7・震度4)、東京23区は震度2…。
 昼食後怜王が「べいぶれーどばとる やるよ!」と執拗に言い寄るので、10回戦バトルをする。怜王はベイのパーツを大分入れ替えていて、自分なりに最強モデルを作っていた。最近のベイはサイズが多きものも多く、それを改造してくるので持久力がある。
 僕が選ぶのは数年前に出たペガシスとかヴォフルという小ぶりなベイで、その上アタックタイプなので持久力のある怜王のベイには叶わない。大人がやっても子どもがやっても、それぞれ均等にベイの実力だけでバトルが出来るところがベイブレードの良いところ。
 5時過ぎ怜王が夕飯に餃子を食べたいと言うので、目黒駅前の2ヶ所のスーパーマーケットに買い出しに。妻にも牛乳をと言われていたが、どちらのスーパーにも相変わらず牛乳は入荷されていなかった…。
 帰り道空いっぱいに雲が広がって、とても美しかった。しかし雲が出て来たと言うことは曇って来たと言うことで、月は見えないかも知れない。なぜ月がというと今日は1年の中で一番大きな満月が出るようで、昨夜ひとまず撮影をしたが本番の今夜露出を変えて撮影しようと思っていた。
 帰宅後急速に空は雲に覆われ、完全に曇天の空となって満月を撮ることはむずかしいことに…。やはり写真は明日撮ろうとか後で撮ろうと思わず、撮っておいて良かった。
 6時からの「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」が終った頃からそろそろお片づけをと怜王に行っていたがまったくやらずに、テレビをそのまま見続け「平成教育委員会」も全部見た後怜王はようやく眠りについた。
 眠る時に保湿剤をカサカサしたところに塗ってあげ、明日の午前中雨が降っていなかったら目黒区民センターの広場でサッカーをしようと怜王と約束をした。怜王は「わかった!これからねるよ」と言ったかと思うと、そのまま眠りについた。いつも思うのだが、こうした様を見るに付けまだ怜王は神の領域にいると思う。
 そんな明日の天気は、ネットで予報を見る限りでは午前中は雨…。網の目を縫ったように、9時前後雨が降っていなかったらサッカーをやりに行こう。
 とこの日記に描いた時、妻が「月出てるみたい!」と言うのでベランダに出ると、眩いばかりの光を放つ満月が!
 昨夜は手持ちでISO800にして撮影したが、今夜は三脚をたて絞り優先モードでISO0200(Nikonなので)−4補正でシャッターを切り続けた。恐ろしいほどに美しい月の光。昨日の満月より、どことなく怖いと言うか神々しい感じがした。
2011年03月20日(sun)  No.466

3月18日

 好天の中で、無事怜王の卒園式に出て来た。あっという間の3年間で、入園した時は他の子たちより少しだけ成長が遅れていておむつしていたのだが、入園後1週間ほどで自分でトイレに行けるようになった。
 おむつばかりでなく、じっとしていることが出来ず何はともあれ走ったりする。そして怜王はすぐにクツを脱ぎ靴下を脱いで裸足で走り回っていた…。そんな怜王なのでお迎えや何かで幼稚園に行くと、園庭にいる70名近い子供たちから怜王を見つけるのは簡単なこと。裸足の子を見つければそれが、自分の子なのである。
 そんな日から3年が経ち、卒園式では坐ったままおよそ1時間の式の間誰ひとりとして声を出したり立ち上がったりする子はいなく、成長した子どもたちの姿を見て感動した。園式が終わり全員園庭に出ると、仲の良いクラスメイトとともかく園庭を全力疾走で走る怜王の笑顔にいつにない幸福感を感じた。そしてこの子たちが未来の日本を創るのだ、と半ば眩しい思いでシャッターを切った。
 同じ幼稚園の子たちでも住んでいるエリアが違うので、卒園の後同じ小学校に行く子たちは限られている。限られていはいるがアップした写真の左から怜王、そして同じ小学校に行くNSくんの気持ち良い笑顔と怜王の笑顔を見てこの幼稚園の3年間は彼らにとってとても楽しかったのだなと思った。
 さてその昨日、僕はやらなければならないことがあった。それは銀座写真塾の撮影実習を今日19日に控え、夕方に身体に感じる揺れがりさらに数名の塾生から「地震が恐いので、今回は不参加で…」という連絡が数名から入っていて、彼らの気持ちと今現在の地震の状況等を考慮し3月いっぱい(明日を含めて2回)の開催を取りやめることにした。
 取りやめると言うことは受講生に通達しなければならず、夕方からメールと電話との2段が前で全員に連絡をとり明日の開催と26日に予定していた講義を中止し、撮影実習を4月の16日からの開催とする旨受講生に伝えた。
 そしてすべての受講生に連絡と取り終えた直後、写真家福永一興さんとの「モノクロ対談」でお世話になったナイスク(http://www.naisg.com/)「フォトコンライフ」編集のNさんから連絡があり、掲載プリントの受け取りを明日目黒でする約束をした。
 今日は怜王にとって、大人に向かうためのひと区切りの日。そして大学卒業までと学業を思えば、まだまだ16年もある。未来ある怜王の将来を思いつつ、東日本巨大地震から1週間後の今日のことを思い返しつつ眠ったのである。
2011年03月18日(fri)  No.465

3月17日

 6時過ぎ妻といっしょに寝ていた怜王が起き、キッチンで動き回る足音が聞こえた。いつもなら僕が寝ているところに来て布団にもぐり込み「もうおきたい…」などと言うところだが、今朝は起こしにくることなく6時半に起床してキッチンへ行くとひとりでジュースを飲んでヒータのスイッチを入れ本(コロコロコミック)を読んでいた。
 朝食を食べたあとの9時過ぎ昨日からの怜王との約束で、マンション斜向いの目黒区民センター敷地内の広場へ行きサッカーをやった。晴天だが少々風邪が強くゴムボールがかなり流され、思うように蹴ったり出来ずにいて30分くらい遊ぶつもりが10分ほどで帰宅となった…。
 そう言えば昨夜20日日曜に予定されていた「第31回ワークショップ曽根塾」を、延期する旨写真塾を仕切ってくれているKさんから連絡があった。日中電車等の交通機関はおおむねし順調に稼働しているが、施設などは節電や計画停電等の問題で開催やその他を中止している。
 曽根塾で使用予定だった調布「たづくり会館」も明日18日まで閉館で、19日以降の予定がたっていないとのことで中止(延期)となった。ひとつ19日開催予定の銀座写真塾はと言うと、こちらは撮影実習が屋外であり2時間半と言う時間の短さとというこで予定どうり行なうつもりだ。
 今朝の食事で、お米が底をついた…。これでしばらくは麺類中心の食事となるなと思っていると、兵庫県西宮市に住んでいる妻の母から心配する電話があって、そのときお米が売ってない旨伝えると妻が伝えると”お米とお餅”を送ってもらえることになった!
 1時半過ぎ「フォトコンライフ」のモノクロ対談でお世話になった、写真家福永一興さんから携帯に電話が。掲載の仕上がりのことやらその他、諸々写真に関する話しを1時間近くした。
 2時を回って仕事をしていた妻が友達のSちゃんと会うために、怜王を連れて出かけた。電話で思い出し、千葉の実家の母に連絡をする。実家のある千葉市花見川区幕張5丁目は、これまでに計画停電はなかったと言う。メッセなど都市機能が集中しているからだろうか…。
 2時半過ぎスーパーその他コンビニなどの食料品の入荷チェックも兼ねて、スナップ撮影に出る。いつも歩かない場所、つまり目黒通りを挟んで目黒雅叙園がある下目黒方向へ目黒川沿いに行く。
 途中突然の空き地で、その場所から目黒エンペラーが見えた。どんな建物があったろうか?と思いつつシャッターを切る。そして勾配のきつい行人坂(下目黒1丁目の大円寺前)をのぼり、ホリプロの壁に貼られたオーバーメーキングで蝋人形のような藤原紀香のポスターを撮る。
 駅まで行きまずは東急ストアに入る。妻から牛乳とヨーグルトがあったらと言われていたので真っ先にその場所へ向かうが、牛乳は皆無でヨーグルトもかなり微妙な感じではあったがどうにかゲット。品物を見るとりんごジュースやグレープジュース、オレンジジュースなどもまったくなかった…。
 さて肝心のお米は当然のようになく、魚介類や肉類も閑散としていて節電もあるのだろうが品物がない棚は電気が消されていて何とも淋しい光景である。
 牛乳を買うことが出来なかったのでコンビニ(三ヶ所)やドラッグストアセイジョーにも寄ってみたが、牛乳は置かれていなかった…。
 帰宅すると妻と怜王は帰っていて、何と妻が仕事に行っている会社で共同購入で生協に入っていて、地震前に注文していたお米5kgが届いていた。助かった!
 さて明日は、怜王が通っている幼稚園の卒園式。好天を望みたい。
2011年03月17日(thu)  No.464

3月16日

 昨日零時を回ってから、地震が頻繁に発生している。それもピンポイントではなく広範囲に1時間に3回〜4回、なかでも千葉県東部・宮城沖・福島県沖ではマグニチュード5を越えた地震の発生だ。
 専門家に寄ると今回の地震の余震は1ヶ月くらいは続くと言っていて、聞いた時そんなに長く続くものかなと思ったがどうやらそのようだ。
 震源の中に岐阜県飛騨地方や群馬県北部と言った、いままでなかった震源地名が出ているのが気になる…。
 4時50分キッチンにある置き電話に着信があったことを知らせる発信音が携帯電話に入ったのでどこからと思えば、妻の友達のSちゃん。こんな時間に何かと思い別室で怜王と寝ている妻に声をかけると、どうやら携帯にかけようとして間違えて置き電話にかけたようだ。
 そのことで怜王が目を覚まし、眼が覚めてしまった怜王は起きるつもりになり、一旦妻と眠ったように見えたが数分後僕の布団にもぐり込み掛け布団をぱたぱたさせたり動いたりして眠るつもりがないようだったので、ひとりで起きてキッチンいても言いよというと「うん そいうする」と言ってリラックマを抱いてキッチンへ向かった。
 さすがに零時過ぎに眠ったので5時前に起きるパワーはなく2度寝をすると6時半くらいまで爆睡(最近地震のこともあって、熟睡出来ないでいる…)。
 8時半過ぎ、クロネコヤマトで妻の上の兄から荷物が届いた。怜王が4月から小学校に上がると言うので服やスニーカーなど、息子さんのお古(と言ってもすべてきれいだった!)などで、僕がもっとも嬉しかったのはソニーのハンディーカム「HDR-CX12」が入っていたこと。
 喜びながら取り説を見ると、付属ソフトを使わなくても静止画像は見る(保存)ことが出来るが、動画は対応していない(Macintosh)と書かれていた…。Macで見る方法もあるようだが、いろいろ調べて見るとMacOS10.5までで、10.6.6のMacBook Proには対応していない…。
 テレビに接続して再生が出来ることは確認で来たが、さて保存はどうしよう?その都度業者に頼んでDVDなどに焼いてもらうのもなんだし…。
 3時過ぎ、19日から「ガスの科学館」写真展「東京屋上散歩」があるとのDMをもらっていた写真家の鷹野さんから連絡が入った。今回の地震で節電と言うことで、写真展が中止(ガスの科学館が3月中休館)となったという。
 4時半過ぎ、家族で買い出しに出る。本来なら僕ひとりで良いのだが地震が多発して危うい状況なので、仕事以外は常に家族そろって移動することにしたのである。
 買い出しのメインはお米なのだが、目黒駅周辺のスーパーを巡ったがお米は皆無…。その上商品がない棚やコーナーは節電で照明が落としてありそれを見るだけでブルーになる。昨日炊いた三合のお米で、もう我が家に買い置きはなし。
 数日前にうどんや焼きそば、それに冷凍物の餃子や唐揚げやパスタなどはまだあるのでしばらく困らないと思うが、食品の流通(特にお米)が早く元に戻って欲しい…。
2011年03月16日(wed)  No.463

3月14日

 昨日福島第一原発の1号3号の不具合から、強制停電が決定された。今朝起きて地震関連の情報を見ていたら、Facebookに下記のような知らせが届いていた。



災害関連情報 - 3月14日 午前4時45分 更新

計画停電について
3月14日の朝より、東京、栃木、茨城、栃木、群馬、千葉、神奈川、埼玉、山梨、静岡にて、地域ごとに順番に送電を止める「計画停電」が実施されます。
各市町村を5つのグループに分け、午前6時20分〜午後10時までの間に順番に3時間程度、停電となります。

グループ分け、停電時間については Yahoo! JAPAN - 計画停電情報(東京電力提供) を参照してください。

なお、停電に伴い、交通機関の大幅な規制(運休を含む)が行われる予定です。

JR | 東京メトロ | 都営地下鉄/バス | 東急 | 小田急 | 京王 | 東武 | 京急 | 京成



 幕張の実家にいる弟から計画停電に付いて、「幕張」 の地名で「2.3.4」と三つに分かれていて、実家がある幕張5丁目がどれにあたるか分からないという電話が入った。
 このFacebookの計画停電情報をチェックして、さらに当初6時20分から第1段の計画停電の実施を10時以降に変更の告知を確認した上で、弟に連絡を入れた。
 9時半少し前「幼稚園は18日の卒園式のみ行ない、今日を含め17日まで休園」という幼稚園の連絡網(電話連絡)で知らせが入った。あらゆるスケジュールが、狂い始めた。
 10時2分頃、余震あり。怜王は自発的にヘルメットをかぶり、キッチンのテーブルの下に避難。僕はテレビ周りの背の高い棚を押さえた。茨城県沖が震源で茨城県は深度5、関東は深度3…。嫌な感じである。
 さて幼稚園が卒園式まで休園になった怜王は、せっせと絵を量産し始めた。最初はガウディの建築のような建物やケーキなどの図で、もうひとつはテレビを見てイメージしたのか災害地を取材している中央のカメラマンとカメラに向かってマイクを持って報道をしている人、海にはカニ浜にはアリの姿も見えるが怜王の絵には悲惨なものは描かれてい。
 11時1分福島第一原発1号機に続き、3号機が爆発(水素爆発で2回…)。11時25分ころ津波避難指示(八戸沿岸、六ヶ所村、岩手大船渡など)が…。
 12時少し前、銀行と買い物に行った妻から、「アトレしまってるし…、東急ストア外まで行列が…」と言うメールが入った。昨日の段階ですでにレトルトものやインスタントものの棚ががらんとしていて、今日は食料品など入荷し補充があると思っていたがそれをあてに地震と津波の影響で流通機能が麻痺して通常どうりの入荷等がむずかしくなってくるだろう。
 ここに「計画停電」が重なると、少なくとも首都圏は正常な機能がしずらくなり混乱状態になってしまうだろう。「計画停電」も当初の予定から何度も変更をしていて、何が正確な情報なのか分からなくなっている…。しっかり情勢を把握してから、公布して欲しい…。
 1時半過ぎ、借りていたDVDの返却も兼ねて外に出る。いつもと変わらない景色が広がっている。それに気温が高く、とてものどかな感じ。目黒川沿いに権之助坂下の目黒新橋を渡り、レンタルビデオ店で「私はうつ依存症の女」「BONES 骨は語る-1」の2作を返却。
 そして今週は仕事はどうにもならないので、テレビドラマである「BONES 骨は語る-2.3.4」の3巻をレンタルし、スーパーマルエツで食材を少々購入。マルエツではインスタントラーメンはおろか、お米の在庫はまったくなかった…。
 帰りに目黒区民センター内の広場で、持参したボール(小ぶりなてんとう虫が描かれたボール…)でサッカーをして遊ぶ。幼稚園が休みでもこんな状況で外に出るのもはばかれる感じなので部屋でゲームをしたり絵を描いたりだけではさすがの怜王も退屈のようで、体力を持て余しているので妻と三人でサッカーで発散させた(こんな小さなボールでも、僕らも動き回ったことでリフレッシュした)のである。
 帰宅後ひと息いれてると3時56分携帯の緊急地震警報が鳴ったので見て見ると、震源地は長野県と表記されていて驚いたが、ネット検索してみると長野ではなく茨城沖…。間違いだったようである。警報が鳴って数秒後、軽い揺れを感じた。
  夕飯を食べたあと、借りて来た「BONES 骨は語る-2」を見る。配役には今ひとつのように思えるが、こうしたドラマは終わると次ぎが見たくなシステムのようだ…。「フリンジ(シーズン3のレンタル開始を待っている)」に続き、こちらもまんまとハマってしまったようだ。
2011年03月14日(mon)  No.462

3月12日

 昨日起きた地震は信じがたい揺れで、一瞬この世の終わりかと思った…。怜王も幼稚園から帰ったばかりで、家族全員いっしょにいられたことを幸いだと感じた。最初の揺れがおさまった時まず通帳や印鑑、最低限持ち出せる撮影機材をひとつのカバンに詰め込んだ。
 そして千葉の実家に電話を入れ両親の安全を確認し、妹に連絡を入れた。妹のご主人や子どもたちは全員働きに出ているので、昨日は帰れなかっただろう…。
 震源地である宮城県を中心に太平洋側に面した各所で津波が発生し、陸前高田市、福島南相馬町などは壊滅状態となり日本各地で地震と津波で信じられないほどの大災害となった。災害状況を伝えるニュース映像は悲惨極まりないもので、地震もさることながら津波の恐ろしさを痛感した。
 地震発生直後あまりの怖さに大泣きする怜王にヘルメットをかぶらせてキッチンのテーブルの下に移動させ、僕は背の高いテレビ周りの棚を揺れている間押さえ続けた。 
 余震が断続的に起こり続ける今回の地震は12日9時52分現在まだ終息せず、交通機関も不安定な状態であるため、今日行なう予定であった銀座写真塾の撮影実習を中止にすることにして塾生全員に電話やメールで連絡を入れた。10時12分、18分、25分、49分余震あり…。
 ネットで今回の地震についての情報を収集していると「11日午後2時45分、日本三陸沖でマグニチュード8.9の地震が発生した。 米国地質調査局(USGS)によると、震源地は東京から北東側に243マイル離れた地点と推定される。 海外メディアは”今回の地震は2月にニュージーランド・クライストチャーチで発生した地震の30倍を超える規模”と伝えた。」という記事があった。
 午後になって逗子の海の近くに住んでいる知り合いの安否が気になり置き電話と携帯に連絡を入れたが出ない。出かけているのかもしれない。
 3時過ぎ、近所のスーパーマーケットに家族で買い出し。たまごやインスタントラーメン、納豆などが全くなく棚ががらんとしていた…。
 3時57分、いきなりドスンと立て揺れが…。ネットで震源地を調べると、何と東京湾…。それに関東震源地を中心に大半は震度2もしくは1ほどであったが、川崎辺りと東京湾を挟んだ千葉の市原辺りは震度3…。震源地が連鎖しながら、南下しているような…。
 今日は朝からテレビをつけっぱなしで地震速報を見ていたのだが、5時を過ぎた頃より福島第一原発1号機が爆発し天井が崩落というか骨組みしかなくなっていると言う速報があった。
 午前中に撮影した1号機2号機3号機4号機の4機が写っている映像のあと、4時過ぎの映像を見せた。そこには一番左にあった1号機の外壁がなく骨組みだけで映し出されていた。
  地震、津波、原発トラブルと、今回の地震が最悪の自体になっていることを痛感させる映像であった。原子炉内が冷やされないと言うことは、ウランの核分裂によって生じるセシウム137(放射能の強い放射性物質で、原子爆弾が爆発した際に生じる「死の灰」の成分)」が大気に飛び出して行くことになる訳だが、その後海水を注入し最悪は脱したらしい…。
 そして時間が経つにつれ連絡が取れない列車があるとか行方不明の人たちや、災害を逃れたもののビルの屋上や逃げ延びた場所で孤立している人たちがたくさんいると言う報道が…。
 衣食住が正常に機能しない状況は、これから長く続くことが予想される…。何とも言葉にならない。
2011年03月12日(sat)  No.461

3月10日

 昨日は某社からの依頼仕事のメインである、撮影の部分をクリア。カット数が2カットと少ないのでかなり決めうちしたが、それでもいままで歩いて気に入っている場所とかがこれほど適切に作品につながった(イメージどおりのカットに仕上がった!)ケースは稀だ。
 あとは月末までに400字ほどの原稿を書くだけだが、撮るのは一気に自分のイメージで出来るが文章はそうはいかない。つまり架空の幻想だけ描くのであればいくらでも書き進められるのだが、そこにはいろいろ正確に記さなければならない部分も多くありざっくり気分の赴くままに書けない。
 今月は中旬以降あまり自由が利かなくなることが予想される(幼稚園の卒園が18日で、それ以降4月の6日の小学校の入学式までずっと怜王といっしょにいることになることも含めて…)ので、重要な仕事をコントロールしつつすべてを前倒しで行なっているのである。
 さてそんな今朝、昨日どうよう怜王は5時45分過ぎに目を覚まし、「はやくおきたい…」と言ってぐずった…。怜王は昨夜9時くらいに絵本の読み聞かせをしてから眠ったので8時間45分の睡眠(本当は10時間つまり7時くらいまで寝て欲しいのだが…)でまあまあだが、僕が寝たのは零時過ぎだったので5時間45分ほどの睡眠時間。少々辛いのである…。 
 5時50分起床。まずは怜王にりんごジュースを飲ませ、昨日入らなかったのでお風呂に入れお弁当(今日はミートボール弁当)を作った、お風呂から出た怜王は、昨日妻が借りて来たDVD「オープンシーズン3 森の仲間とゆかいなサーカス」をiBookのモニターで見始めた。
 8時50分過ぎ、妻に連れられ怜王は幼稚園バス乗り場へ。僕は機材のチェックをしたりして妻の帰りを待ち、9時半荏原のシトロエンのジャベルへ(http://www.javel.co.jp/)4月のHPトップ写真の撮影である。
 目黒から東急目黒線でふた駅先の武蔵小山下車で、アーケードの長い武蔵小山商店街を抜け中原街道に出てすぐのジャベルへ。事務所でTさんと会いメールで伝えてあった代官山某所へゴールドのCX25プレステージュで向かった。
 今日の山手通りはけっこう渋滞していて、さらに撮影したい場所周辺が何故か道路工事だらけ…。しかし一番気に入っているスペイン風の建築物の前で撮ることが出来たので、わずか9カットでフィニッシュする。今までで最短の撮影であった。
 一旦ジャベルに戻り、再び武蔵小山商店街を抜け、武蔵小山から目黒へ。帰宅すると妻は幼稚園の卒園アルバムの色正で出かけていた。さっそく撮影して来たばかりのデータをMacに移し、画像をチェックし1カットセレクト。
 2時過ぎ、怜王が妻といっしょに帰宅。「おとうさん おべんとう  ぴかぴかだよ!」と怜王が開口一番。ご飯もミートボールもひとつも、残さず食べて来ていた。明日金曜日を含め卒園までお弁当を持って行くのは4日。
 一番最後の日は一度も作って持たせたことのない、大好きなカレーをチャック付きパックに入れて持たせようと思う。怜王に言うと「それがいい!」と大喜びであった。
 4時過ぎ、銀座リングキューブへ。MHさんを始めリングキューブを運営しているスタッフの方たちと歓談し、その後MHさんと某所居酒屋へ。
 9時少し前に帰宅すると、怜王が出迎えてくれた。こ〜ら〜まだ寝てないのかと言うと、「おかたづけしたりしてたから…」と言った。そして9時には寝ようねと言いながら布団を敷いて歯ブラシと水を入れたコップを差し出すそそくさ歯をみがき、幼稚園から借りて来た絵本を持って寝室へ。
  帰って来て落ち着かないが、絵本の読み聞かせをした。今日怜王が借りて来た絵本はいる使いが斬新な長新太の「みんな びっくり」と言うサルが像のおしりに像の顔をいたずらで書いた物語り。なかなか面白く、読みながら自分自身も楽しめた。絵本を読み終えると、数分で怜王はひとりで眠りについた。
  そういえば帰宅すると双葉社から、「フォトコンライフ」2011年春号(3月10日発売)が届けられていた。この雑誌では写真を撮っている訳ではないが写真家の福永一興さんがナビゲーターの「モノクロ対談」という4ページで、過去に細江英公氏なども登場しているロングラン企画である。
 モノクロについての対談形式ではあるが、結果的に写真を撮ることのはじまりから今現在までのひとりの写真家の足跡を記すような感じに仕上がっているので、僕自身そう言えばあの時こうだったなと言うような、あらためて自分の仕事を振り返るようなニュアンスがある。
 それにカメラ毎日に掲載されたデビュー作「パンチングボール」やポートレートの「クリスティーヌ」「breath」「MAHIRU」そしてデジタルで撮影した最近のモノトーン作品など今までに発表したり写真展をしたりした作品の一部が掲載されているので読み応えはあるかも。
2011年03月10日(thu)  No.460

3月8日

 6時半少し前、怜王が「だから でられないんだよ…」と突拍子もない言葉を発して目を覚ました。どうした、嫌な夢でも見た?と聞いても、ぼんやりした感じで目のあたりを少々こすってから目を開いた。
 そして何事もなかったように「もうおきたい」と言って身体を起こし、僕を促した。昨夜妻は今日入稿の幼稚園の卒園アルバムの制作をしていて、僕の記憶が正しければ僕らが起きる少し前までやっていて眠ったばかり。
 お母さんはアルバムの仕事でちょっと前まで起きていていいまねたばかりだから、大きな音を立てたりしないでねと怜王に言いつつ起床。
 りんごジュースを飲ませ怜王のお弁当の仕度を始めると、おもむろにベイスタジアムを持って来た怜王は、ベイバトルを始めた…。大きな音を出さないようにと言ったばかりで困ったが、眠気が頂点に達して眠った妻は少々の音では目を覚まさず深い眠りに落ちているようなのでそれ以上怜王に注意をするのをやめた。
 今日は幼稚園最後の預かりの日(延長保育)ということで、大半の子たちはあえて預かりで幼稚園で皆と思いっきり遊ぶ日。もちろん怜王も夕方5時まで預かりで、8時50分過ぎ嬉しそうに妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった。
 9時半過ぎから妻は卒園アルバムのデータを数名の幼稚園のお母さんたといっしょに浅草の某印刷所へ入稿に行くので、怜王を送ると早々に帰って仕度をして出かけた。僕はと言えば少々たまった洗濯物を洗濯気に入れ脱水が終わったら干すを2度行ない、陽が射して来た10時半過ぎ機材を持って撮影に出た。
 確実に都市的な雰囲気が欲しいので、撮影地は歩いて15分ほどの恵比寿に絞り1週間ほどまで歩いたある建物のある場所へ直行。そして自分でも怖いくらい、狙いどおりの写真を撮ることが出来た。
 2時間ほど撮影をし再び徒歩で目黒駅方向へ向かい、「まいばすけっと」という始めた入ったスーパーマーケットでお昼のお弁当と飲み物を買って帰宅。まずは撮影して来たデータ緒をMacを立ち上げ外付けハードディスクに保存し画像をチェックしていると、予想外に早く妻が帰宅。
 手にはお母さんたちと寄ったと言うアメ横で、定価13500円のマグロの切り身を2000円で買って来たのだと言う。重さを量ってみると697gとずっしり重たい。今日の夕飯は「マグロ丼」と妻が言った。
 そんな妻は「眠い…」と数回繰り返し言い、「4時まで寝る」と言って眠った。さすがに2時間士かねていないと、こんな時間が一番眠くなるだろうと思た。2時を過ぎた頃より、晴天から曇天へ。
 ユアン・マクレガーが出ていたので、 「彼が二度愛したS」と言う映画をGyaO!で見た。ユアン・マクレガーが地味な会計士の役で登場し何だかB級な感じがしないではなかったが、途中からストーリー展開がかわりただならぬ様相を呈して来たときに、ミシェル・ウイリアムズと言う女優が登場した。
 どことなくナスターシャ・キンスキーを思わせる風貌が気になって過去に出た映画をチェックすると、見ていない映画だが「ブローン・アパート(http://blown-apart.com/」でユアン・マクレガーと共演していた。
 ユアン・マクレガーは良く知らない俳優であったが、「トレインスポッティング」以降サブカルチャー的な存在となったという記憶があるが、それにしてもミシェル・ウイリアムズとのツーショットはとても絵になると思った。
 5時少し前、怜王が帰って来た。開口一番「おべんとう  ごはんつぶひとつぶものこさず ぜんぶたべたよ!」と言った。いっぺんに部屋がにぎやかになる!
  夜になり妻が買って来たマグロを使って、怜王にはにぎりを、妻は刺身、僕は丼と3人さんようで夕飯を食べた。が三つあったブロックの選んだそのひとつが「ちあい」の部分が多い場所だったようで気持ち生臭く感じたが、すしに合うと言われている本マグロとあって美味しく頂く。
 夜になってシトロエンのJAVEL(http://www.javel.co.jp/)のTさんと撮影の打ち合わせを携帯メールで行ない撮影日を決めたり、撮影依頼のあった某社Iさんから写真以外の原稿の詳細をメールで送られて来たのでこちらも返信を。
 時期尚早でペンディング状態の仕事がいつから動くのか気になっていたが、昨日テレビCFで企画が本当に通ったことを確認し、それ以前に「○○号あたりからお願いすると思います」との連絡をもらっていたので、TVCFで見た最新刊のが都合と照らし合わせるとあと仕事がスタートするのは5月発売の号。つまり4月に入ってからのスケジューリングとなるように思った。
今日もまたお片づけが遅れ結果的に9時少し前に寝る準備をすることになった怜王に、幼稚園から借りて来た「おばけまほうにかかる」という絵本の読み聞かせをし9時過ぎに怜王を寝かし付けた。
 さてトータル4時間ほどしか眠っていない妻が、速速く眠ると思ったら怜王が寝たあとパソコンでドラマを見始めた…。妻がキッチンでWindowsのノートパソコンでドラマを見始めてから僕は逆にだんだん眠くなり…、10時半少し前にギブアップ。
 妻は引き続きWindowsで海外もののドラマを見るきまんまんのようで…、それに引き換え妻より確かに多く昨日寝ているが僕の方に何故か睡魔が乗り移り10時半過ぎ怜王が寝ている部屋に行き眠った。
 眠ったと言っても早朝まで何度か目が覚めるだろうし、いつものような夢を見て一喜一憂して嫌な感じで目覚めるかもしれないが、ともかく今日のところは眠ろうと思う。
2011年03月08日(tue)  No.459

3月7日

 5時半過ぎ怜王が目を覚まし、「といれいってくる」と言ってトイレに行った。外からは雨の音が聞こえていて、少々薄暗い。トイレから戻った怜王は、そのまま自分の布団にもぐり込み二度寝を始めた。
 昨夜怜王は9時少し前に眠り、僕も少々睡眠不足だったので11時過ぎには布団に入った。結果的に6時半に起床したので、怜王は9時間半で僕は7時間半。だがしかし昨夜はいろんな湯無をたくさん見ていてその都度目が覚めたので実質的な睡眠時間は6時間くらいであろう。
 たくさん見たといってもすべてのストーリー(ストーリーりと言うより夢は断片の連続なので、物語りと言う覚え方は出来ずあるシーンを覚えているのだが…)を覚えている訳ではないが、ひとつ夢の中で僕は高校生、それも転校生で休み時間にトイレに行こうとするがトイレが見つからないまま休み時間がなくなって来て、ぎりぎりのところで見つけられたが何とトイレは5mも上にありそれも空中に浮いているような感じで便器のみが見えたのだ。
 どうやってそこに行けるのか、何でドアもなく浮遊しているのか困惑が頂点に達した時に目が覚めたのである。その夢は怜王が「といれにいってくる」と言って起きる寸前に見た夢の記憶である。
 僕が見る夢の大半は、知らない町あるいは知らない家(旅館とかホテルであることが多い)に家族や友人たちといるのだが、家の中を歩き回っているうちにどこから来たのかも分からなくなり仕舞いには誰もいなくなると言う夢か、今日のようなトイレが見つからないと言うパターン。
 さて6時半にいっしょに起床し、いつものようにりんごジュースを飲んだ怜王はおもむろにコピー用紙を持ち出し絵を描き始めた。細かなディティールの真中に描かれた「レインボーブリッジ」の言葉が鮮烈!
 8時50分雨の中、妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ怜王は向かった。今日のお弁当は、コロッケと魚肉ソーセージで小さな容器にウスターソースを入れひと口サイズのゼリーをデザートに入れてあげた。
 早いもので3月もすでに7日で、怜王が幼稚園に通う日数が残り10日となった。小学校の入学式(4月6日)までにそろえておかなければならないものはペンケース(筆箱)と上履き(上靴)。それに卒園・入学兼用?の、新しいスニーカー。
 妻が怜王をバス停まで送って帰ってくる間に、雨はみぞれ、そして雪に変わった。真冬の寒さだ。しかし雪はぼた雪で、キッチンの窓から外を見ると、向かいの古い青アートの軒先にツグミ?たちが雪をしのいでいた。
 外はどんなふうだろうとカメラを持って目黒区民センターに架かる「ふれあい橋(この橋から中目黒方向を望む眺望がお気に入り。もうじき目黒川は両サイドの桜の樹が満開になり川面が見えなくなるほど美しい光景に変貌する!)」まで行き、目黒川を望むと寒々とした景色が広がっていた。
 GyaO!で、ロシア映画を連続で見た。一昨日は「ウルフハウンド」そして今日は「アルマゲドン・コード」 。どちらも見せ場の多い作品で、ロシアもファンタジーものや女性のアクションものがけっこうあるようだ。
 今日もなんだかんだで、怜王に絵本の読み聞かせをして寝かしつけたのは9時少し前。僕らの都合もあるのだが、ここ数ヶ月怜王が8時に眠ったと言う記憶がない。子どもは10時間寝なければと言うが、今は昔、すべてのことが当てはまらない時代に突入しているともう。
 さて幼稚園の園長保育(通称預かり)も、明日で最後。仲の良いKくんが明日5時まで預かりと言う情報から、怜王も妻に「明日預かりで言い5時まで」と言われると、「うん、いいよ。あしたはYちゃんもKくんも…もあずかりだから!」と預かりが嬉しいらしい。
 明日は天候も回復すると言う予報もあるので、1本某社から依頼されている撮影を撮り進めることになるだろう。さてどこに行こうか…。
2011年03月07日(mon)  No.458

3月5日

 5時半過ぎ、怜王が目を覚ました…。そして「といれいきたいけど がまんしてるんだよ…」と言うので身体を起こし、起きてるから行っておいでというとすくっと立ち上がりトイレへ。戻って来たので、まだ暗いから明るくなったら起きようと言うと「そうだよね まだくらいもんね」と言って二度寝を始めた。
 6時半起床。今日は土曜日だが、幼稚園はある日。朝ご飯は、焼きおにぎりを作って食べさせた。そして食べ終えた怜王はひと口サイズのゼリーを3つたべ、おもむろにベイブレードを入れた引き出しを持って来ると改造を始めた。
 しばらくベイブレードに夢中になっていたが、突然立ち上がりA4の用紙を持って来てボールペンとクレヨンを用意すると、あっという間に観覧車を中心としたコンポジションの面白い絵を描きあげた。
 8時50分妻に連れられ、幼稚園バス乗り場へ向かった。子どもはみんなそうなのだろうが、起きてから幼稚園に行くまでの間目一杯自分なりの遊びをする。帰ってからも、寝るまでの間目一杯自分のやりたいことをやる。まだ神の領域にいる?怜王を見ていると、購入してまだ読んでいなかった本を思い出した。
 その本は「男の子の躾け方 ーあるドイツ人からの提言ー」作クラウス・シュペネマンで、生まれて始めて購入した子育てに関する本である。
 この本は先日渋谷東急百貨店の「MARUZEN&ジュンク堂書店」たまたま眼にとまり、ページを開くと第1章冒頭に「子どもは、神から与えられた謎である」という文に惹かれ購入。
 ふたりが部屋を出てから、読み始める。”躾け方”とタイトルにあるが、この本はハウツーものではなく副題にあるように「提言」であり、日本の子どもに対する躾けやモノの考え方に対する啓発的要素の強い内容で引き込まれるように読んで行った。
 12時過ぎに怜王が帰って来たのでお昼ごはんを食べさせると、食べ終わってすぐ「おとうさん べいばとる しよう!」と言うので20分ほどベイバトルをする。そして一段落し再び「男の子の躾け方 ーあるドイツ人からの提言ー」の続きを読み始め4時少し前読破。
 第2章最後一文にシュヴァイツァーの「生命への畏敬」から「…たった一つのかけがえのない生命の尊重」を引用したあと
「教育制度そのものも変わって来ると思う。そのねうちがあまりにも無視されている子どもたちの怒りを込めて、この本を、終える。」
と最後まで日本的躾け突き詰めれば今の日本を憂い「子どもたちの怒りを込めて」と言うしめの言葉に重みを感じた。
 4時過ぎ家族で買い物に行こうと思っていたら「ぼくは いかない」と怜王が言うので、僕ひとりで(まだひとりで留守番をさせる訳にはいないので、妻に残ってもらったのだ)駅前の東急ストアへ。
 行きは裏道から住宅街を抜けて行き、帰りは権之助坂商店街を通って来た。途中いつになく長蛇の列になっていたライブハウス「鹿鳴館(http://www.rockmaykan.com/)」で、帰宅後Macを開いて出演バンドを検索したが、何とHPの3月のスケジュールが見ることが出来なかった。気になる…。
 夜になって夕飯も終え、テレビで大好きな「バクマン(http://www9.nhk.or.jp/anime/bakuman/)」見たあと妻とお風呂に入った。
 出て来てから「きょうも おとうさんとねる!」と宣言をし、幼稚園から借りて来た絵本(いちばん すごい まほうつかい)を読んで欲しいと持って来た。この絵本はまったく僕にとって未知のもので、読み進めて行くうちに僕自身も入り込んでしまったが怜王もどうようで口を開けて物語りの成り行きを知ろうとしていた。
 少々文字数の多い絵本であったがゆっくり読んで10分ほどだったと思うが、読み終えると「しばらく ここにいて」と言うので良いよと言った瞬間に怜王は眠りに落ちた。それは信じがたい光景で、寝顔を見るたびに”まだ神の領域にいるのだな”と思うのであった。
2011年03月05日(sat)  No.457

3月3日

 このところ、僕が寝ている部屋で寝たがる怜王。部屋が狭いので少々窮屈だが、昨夜も同じ部屋で眠った。どうしてこの部屋で寝たがるのだろうと最初のうちは不思議に思っていたが、成長の一段階なのではないかと思えるようになった。
  と言うのは妻といっしょに寝ている部屋は僕が眠る部屋よりキッチンからの見通しが良く、眠るときも引き戸を開けておけば僕らの顔が見ることが出来るからだ。僕らの顔を見ることが出来ると安心する、これは絵本の読み聞かせをした時「しばらく ここにいて…」と寝るまでいっしょにいて欲しいとよく言っていたことからも良くわかる。
 僕がひとりで寝ている部屋は引き戸ではなくドアで、キッチンからは死角。それでもその部屋で絵本を読み聞かせをしなくとも、ひとりで布団に入り本を読んで眠くなったらそのまま眠ったりしはじめたのはやはり成長の過程なのであろう。
 5時半過ぎ、横に寝ている怜王が目を覚ました。そして「といれ いってくる」と言ってトイレに行き戻って来て再び布団の中に入ると、「きょうはようちえんやすみだから ゆっくりできるね!」と言った。そしてそこから1時間、僕らは二度寝をしたのである。
 休日でもないのに幼稚園が休みと言うのは、今日は「新入園園児一時保育」で在園園児はお休みなのである。
 6時半起床。いつものようにりんごジュースをコップに入れて飲ませ、僕は朝ご飯の仕度を。妻は昨夜遅くまで卒園アルバム制作(来週月曜入稿らしい…)をMacで行なっていて、まだ起きることの出来ない時間なのである。
  そう言えば「徹子の部屋に出演します」と”Facebookでお友達”のハービーさん(http://www.herbie-yamaguchi.com/)が、ウオール(書き込み欄)に書いていたので見てみた(http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/)。
  吉川晃司や福山雅治との撮影旅行の話しや、吉川晃司をアシスタントにして川村かおりの撮影に行った話しなど、他のミュージシャンを撮影するカメラマンと一線を引いた、ハービーさんの撮影スタンスがわかりとても興味深く見ることが出来た。
  残念だったのは日本人ミュージシャンの話しが大半で、ジョー・ストラマーやホーイ・ジョージなどのロンドンのミュージシャンとのエピソードが聞けなかったこと…。しかし予想もしなかった寺山修司の話が聞け、とても良かった。
  さて今日は平日だが幼稚園が休みということで…、朝ご飯を食べ終わったあと「きょう どこにいく?」と言った。最近再度熱が上がって来た、ベイブレードの「ベイ太2号」をやりに行きたいと怜王が言う。
  妻的には大井町に新しい「atre(http://www.atre.co.jp/oshirase_list/index.php?scd=5#1100)」が今日オープンしたと言うことで、行く先は大井町のイトーヨーカドー(おもちゃ売り場にベイ太2号が設置されている)で、帰りに「atre大井町2」に寄ることになった。
  1時過ぎ、家族で外出。外に出ると想像以上に寒く、少々薄着で出たことを悔やんだ。が権之助坂商店街の坂道を登って行くに連れ身体が温まり、駅に着く頃には寒さをあまり感じなくなっていた。
  まだまだ落ち着きのない怜王は、京浜東北線を待つ間、階段の手すりを何度もよじ登ったらい降りたりを繰り返す。…。それを見ていたら動物園でひたすら同じルートを周回するライオンや小動物、あるいは回遊魚の様が思い浮かぶのであった…。
 大井町駅に着くと「私服見に行くから…」と妻が言うので、僕と怜王は駅前のイトーヨーカドー5階のおもちゃ売り場へ直行。平日とあって小さな子はいたが、6歳前後のこは皆無。ベイ太2号は貸し切り状態で、30バトル(30分?)ほどやったところで妻がやって来た。
  欲しいスカートはあったようだが、何やら迷っているふう…。何でこの時期に洋服をと言うと、幼稚園の卒園式(3/18)と小学校の入学式(4/6)に来て行くフォーマルなスーツっぽい服を探しているのである。 
  妻は「atre2」ではなく元からあった「atre」で服を見て、どうやらスカートだけは気に入ったものがあったようだ。そんなわけで再び「atre」へ行き、まずは書店に行って怜王用に「コロコロコミック3月号」を購入し、スカートを妻が買っている間同じフロアのベンチに坐って本をいっしょに見て妻の買い物が終るのを待った。
  で「atre2」はと言うと、入る以前外から見えるエスカレーターに乗っている人の数があまりに多いのにひるみ僕も妻も行くことを断念…。そのまま京浜東北線に乗り、品川で山手線に乗り換え目黒まで。東急ストアで夕飯の買い物をし帰宅した。
  夕飯を食べたあと怜王は突然画伯になり?、ざるに置かれた野菜や果物といったいわゆる静物がをあっという間に描き上げ見せにきた。色合いのディテールも美しい素晴らしい絵で感動!
  今日はゆっくり目の睡眠で、怜王は9時近くまで起きていてここ数日どうよう某が寝ている部屋で寝たいと言った。そして眠る前まで男同士の話し(子ども同士はバトルごっことしょうして、相手を叩いたりけったりする。しかし怜王は争いを極端に毛嫌いしていて叩かれてもやり返さないところがあって、調子に乗った同級生に良く引っ掻かれたり叩かれたりして帰って来るのでそのことへの対処法を伝授)をし9時過ぎ寝かしつけた。
2011年03月03日(thu)  No.456

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