6時過ぎ、怜王がリラックマ無しで僕が寝ている部屋にやって来た。そして掛け布団を持ち上げ僕の右側にすっぽり入ると、左手を横に伸ばし、手の甲を僕のあごに当て微妙に動かした…。 何しているのか聞いて見ると、「おとうさんのひげ きもちいい!」と言う…。そんなもんかなぁと思いつつ怜王を見ると、にっと笑って僕を見た。しばらく布団の中で話しをしたりして、6時15分いっしょに起床。 昨日25日に幼稚園のホールで行なわれたお別れ会の劇の練習で、園児たちは大分厳しい練習をしたようで怜王の声がガサガサでかすれてしまうほど…。もともと声が低い怜王だが、さすがに声が出にくい感じで怜王も困った顔をしている。 怜王は僕もそうだったともうが…外に出ると口数も少なく静かにしているが、部屋の中では朝起きてから寝る直前までずっとしゃべり続けている。そんなしゃべることが大好きな怜王にとって、声がかすれたり出にくかったりと言うのは辛いことであろう。 しかし昨夜がピークだったようで、今朝は大分回復していた。そんな怜王は自分の声が出にくいからか、小さな声で「きょうは どこにもいかないほうがいいよね?」と言った。 昼過ぎYahooオークションの使用料金の支払が「明日までだった…」と妻が言うので、目黒通り沿いのコンビニまで支払に行く。その折権之助坂を「赤信号通過します!、赤信号通過します!」と必要以上に大声を張り上げたアナウンスで通過する消防車3台眼にした。 現在住んでいるところは目黒通りからも山手通りからも離れているのでとても静かだが、目黒通り沿いにあった目黒区平町のマンションでは朝から晩まで消防車や救急車、東京ガス、パトカーなど緊急車両のサイレン音が1日中聞こえていたことを思い出した。 思いだせば平町の前の世田谷区等々力にに住んでいたときも環状8号線沿いで、ここも騒音が激しかった。 怜王が生まれる少し前に平町に引越をしたのだが、そんな騒音気味の環境で育ったためどんなに周囲がうるさくても怜王は眠ることが出来るようになっていた。しかし目黒区目黒に越してからは、とても静かになったこともあってか眠りが深くなったように思うしアレルギーもかなり治まって来た。 ハウスダストや食物アレルギーなどが主な原因であると思っていたが、静かな環境であることでストレスが緩和されアレルギーに良い効果をもたらしたのかも知れない。 夕方から、Facebookにいくつか投稿をした。ひとつは昨日Appleから「新しいMacBook Proが出たこと」、そして妻が投稿した10年前のヴェネチアの町を歩く「僕とSくん(当時東京大学に通う学生)の後ろ姿」でその画像についてSくんが返信を英語で書いたことで、いっしょに歩いているのは僕だとこちらも英文で投稿。 その後は日本語でやり取りしたのだが、Sくんは現在イタリアに赴任中で帰国は5年後。なかなか会うことは出来ないが、僕としてもSくんとヴェネチアやフィレンツエを歩き回ったりバール(Ber)でワインを飲んだりしたことが懐かしく思い出された。
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2011年02月26日(sat)
No.454
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