ys diary
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2月27日

 寝起き早々怜王が「そるぶれいず おーくしょんで しらべて」と言った。「ソルブレイズ」とはローソンで限定発売されたベイブレードで、Yahooオークションで見ても\5000以上の高値が付くベイである。
 ベイの通常販売価格は\600円前後なのだが、すでに販売が終了した限定商品となるとオークションでとんでもない価格に上がるのである。いくら欲しいと言われても、誕生日でもクリスマスでもないのに買ってあげられるような金額ではない。
 それはちょっとむりだなと言うと、今にも泣き出しそうな顔に…。そんな顔をされてもオークションで落札をするつもりがないので、通常のベイの値段とオークションに出品されている「ソルブレイズ」の値段の違いを説明すると、「すこしかんがえる…」と言って無言でベイブレードの雑誌の裏表紙に乗っているベイの広告をじっと見始めた。
 その姿を見ていると自分自身が中学生の頃、バーンズという会社のファイアーバードタイプのエレキベースが欲しくてカタログ見つつ父に頼んで買ってもらったこと。
 あるいは高校生の頃管楽器がやりたくていろいろ調べてフルートとアルトサックスをそれぞれ銀座のヤマハ音楽教室と飯田橋にあった尚美音楽学園で習いに行ったのだが、そのときもフルートもアルトサックスも父に頼んで買ってもらった。
 エレキベースもフルートもアルトサックスもかなり高額だったと思うが…、親としてはやむなく買って上げずにいられなかったのだと思う。
 その頃両親は僕が音楽の仕事に付く(僕自身もギターは耳でで覚えたが、譜面が読めるようになりたいと思い単音の管楽器を選んで勉強した)のではないかと思っていたと思うので、仕方なしに買ってくれたのだと思が6歳の怜王に仕方なしに買うなどはしたくない…。
 しばらく本を見ていた怜王が、「おーくしょんでたかいなら やっぱりいらない」と吹っ切ったように言った。3・4才の頃だったら大泣きをして欲しがっただろう。我慢することがどういうことか、だいぶ分かって来た(ほっとした…)ようだ。
 午後から銀座へ。目黒から三田線に乗って日比谷まで行き、日比谷線に乗り換え東銀座下車。地上に出るとまさに「東京マラソン2011」が開催中(すでにゴールしている人 http://www.jiji.com/jc/p?id=20110227134522-0517059&n=1 がいる時間帯)で、走っていると言いうより歩いている人の方が多かった…)であった。
 新橋演舞場の近くの「パウパウアクアガーデン(http://www.paupau.co.jp/html/map.html)」へ行こうとしたが、少々迷っている間に怜王は駐車場で楽しそうに遊んでいた。
 場所はすぐに分かり、さっそく入ってみるとお客さんはけっこうたくさんいた。何を買いにきたのかと言うとメダカ(妻が飼っている)の水槽に入れる水草で、目黒辺には熱帯魚などを扱うお店がないのである。
 この熱帯魚がたくさんいる「パウパウアクアガーデン」は、お店と言うより水族館と言う風情で怜王は大喜びであった。
 水草とメダカストーン(http://mizumono.com/news/release/newproduct/004769.php)を購入し、「パウパウアクアガーデン」をあとにした。
 晴海通りは混雑していたのであえて裏通りから数寄屋橋へ向かい、「銀座ファイフ」の2Fへ。第33回 三菱合同写真展 《テーマ 四季・自由》が開催されている「フレームマンギンザサロン(http://www.frameman.co.jp/ginza_salon.html)」へ。
  グループ展で20号からDRUGに参加したN社のHSさんと21号から参加が決まっている同じN社のTMさんが参加していている。会場入り口でHSさんと会い、写真展を見て終わったあと少々立ち話をする。
   「フレームマンギンザサロン」をあとに、有楽町ビックカメラへ。オークションで高値の付いたベイブレードは買ってあげられないが、新発売の「バクシンスサノオ90W(\590)」が欲しいと言うので買ってあげ、帰りは有楽町駅から山手線で目黒駅まで。東急ストアにより、夜のおかずなどを購入して3時半過ぎ帰宅。
  新しいベイブレードを手にした怜王はさかんに他のベイと比較したりパーツを入れ替えたりしてたが、「おとうさん べいばとるしよう」と言うので今日買ったばかりの「バクシンスサノオ90W」を怜王が使い、僕は今まで買いそろえたベイ(どちらかと言うとアタックタイプのベイが好みなので、ストームペガシスという初期のベイ中心に)を使って10回戦のバトルをする。
 「バクシンスサノオ90W」は比較的コンパクトなタイプではあるがなかなか手強く、勝敗は3:7で怜王が勝利し満足そうであった。
  
2011年02月27日(sun)  No.455

2月26日

 6時過ぎ、怜王がリラックマ無しで僕が寝ている部屋にやって来た。そして掛け布団を持ち上げ僕の右側にすっぽり入ると、左手を横に伸ばし、手の甲を僕のあごに当て微妙に動かした…。
 何しているのか聞いて見ると、「おとうさんのひげ きもちいい!」と言う…。そんなもんかなぁと思いつつ怜王を見ると、にっと笑って僕を見た。しばらく布団の中で話しをしたりして、6時15分いっしょに起床。
 昨日25日に幼稚園のホールで行なわれたお別れ会の劇の練習で、園児たちは大分厳しい練習をしたようで怜王の声がガサガサでかすれてしまうほど…。もともと声が低い怜王だが、さすがに声が出にくい感じで怜王も困った顔をしている。
 怜王は僕もそうだったともうが…外に出ると口数も少なく静かにしているが、部屋の中では朝起きてから寝る直前までずっとしゃべり続けている。そんなしゃべることが大好きな怜王にとって、声がかすれたり出にくかったりと言うのは辛いことであろう。
 しかし昨夜がピークだったようで、今朝は大分回復していた。そんな怜王は自分の声が出にくいからか、小さな声で「きょうは どこにもいかないほうがいいよね?」と言った。
 昼過ぎYahooオークションの使用料金の支払が「明日までだった…」と妻が言うので、目黒通り沿いのコンビニまで支払に行く。その折権之助坂を「赤信号通過します!、赤信号通過します!」と必要以上に大声を張り上げたアナウンスで通過する消防車3台眼にした。
 現在住んでいるところは目黒通りからも山手通りからも離れているのでとても静かだが、目黒通り沿いにあった目黒区平町のマンションでは朝から晩まで消防車や救急車、東京ガス、パトカーなど緊急車両のサイレン音が1日中聞こえていたことを思い出した。
 思いだせば平町の前の世田谷区等々力にに住んでいたときも環状8号線沿いで、ここも騒音が激しかった。
 怜王が生まれる少し前に平町に引越をしたのだが、そんな騒音気味の環境で育ったためどんなに周囲がうるさくても怜王は眠ることが出来るようになっていた。しかし目黒区目黒に越してからは、とても静かになったこともあってか眠りが深くなったように思うしアレルギーもかなり治まって来た。
 ハウスダストや食物アレルギーなどが主な原因であると思っていたが、静かな環境であることでストレスが緩和されアレルギーに良い効果をもたらしたのかも知れない。
 夕方から、Facebookにいくつか投稿をした。ひとつは昨日Appleから「新しいMacBook Proが出たこと」、そして妻が投稿した10年前のヴェネチアの町を歩く「僕とSくん(当時東京大学に通う学生)の後ろ姿」でその画像についてSくんが返信を英語で書いたことで、いっしょに歩いているのは僕だとこちらも英文で投稿。
 その後は日本語でやり取りしたのだが、Sくんは現在イタリアに赴任中で帰国は5年後。なかなか会うことは出来ないが、僕としてもSくんとヴェネチアやフィレンツエを歩き回ったりバール(Ber)でワインを飲んだりしたことが懐かしく思い出された。
2011年02月26日(sat)  No.454

2月25日

 怜王がまだ起きてこない、5時50分起床。お弁当を作り、お風呂のスイッチ(全自動)を入れた。6時半「かにって うみにいるから なんでもしってるんだいよね!」と言いながら、怜王が起きて来た…。寝起き第一声はいつも奇抜なことを言う事が多く、今朝もびくりした。
 そして「ここはぼくのあなだとかいいながら ときどきばんざいするんだよね!」と言う。確かにカニはバンザイをしているように見えるし、良く小競り合いをしている。夢の中にでもカニが出て来たのだろう。「プロディジー(http://www.theprodigy.com/)」のカニの写真のCDジャケットを思い出した。
 6時50分怜王をお風呂に入れるが、お風呂の中でも「かには なんでもしっているんだよね」と言った。これはどうやら夢を見たのではなくベイブレードに出て来る「ワタリガニ テツヤ」というキャラのことのようだ…。
 8時50分、今日は我が家に幼稚園の卒園アルバムスタッフ(お母さんたち)が7名ほど集まって、写真のスキャニングなどのミーティングを10時から夕方までやるというのでさすがに僕の居場所はなく…、朝も僕が直接幼稚園に怜王を連れて行きその足で千葉の実家へ本の整理(昔読んだ本が山ほどあって、必要最低限の腰後を処分することがまだ終っていないのである…)に行くことにした。
 今幕張の実家には両親と弟が住んでいて、僕の荷物は目黒区平町にいる時に暗室道具を実家の物置に移したがこれはさすがに処分したくないので置いておいてもらうとして、本が押し入れにパンパンに詰まっていて(20代中頃に実家を出てひとり暮らしを始めた頃大事な本や写真やフィルムは持って来ていたと思ったが、すでに忘れてしまっているような大量のプリント(1975年前後)やフィルムも出て来た…)が信じられないほどありそれを片付けて欲しいと弟に頼まれているのである。
 今日はともあれ詩集と画集を残す方向で、小説や評論のたぐいは迷わず処分対象(前回整理に行った時、作家の赤江瀑だけは処分ぜず持ち帰った。というのは赤江瀑の作品は、どういう訳か書店に置いてなく古本屋かネットオークションでしか手に入らないから…)にした。ちなみに僕にとって、赤江瀑は上田秋成・泉鏡花と同等なのである。
 5時過ぎ、目黒に到着。お母さんたちどうしているかのメールを妻の携帯に送ると「NKくんが今から帰るところ」と言うので順番に帰って行ったのかなと思いつつ帰宅すると、他の人たちは都合が悪くてNKくん家族しか来なかったのだと言う…。
 いろいろ思うところもあったが、夕飯を食べ7時過ぎから「第9地区(http://d-9.gaga.ne.jp/)」を見る。昨日は「オーケストラ(http://orchestra.gaga.ne.jp/)」を見てその前の日は「バイオハザード・アフターライフ(http://bd-dvd.sonypictures.jp/biohazard4/)」を見る。「バイオハザード」は、ひとりのとき再度見てしまった…。
2011年02月25日(fri)  No.453

2月23日

 6時過ぎ、怜王が僕が寝ている部屋にやって来た。今朝は暖かい感じではあったが、微妙に身体が重くすぐに起きれずしばらく話しをし(今朝は25日にやる劇の話しで、台詞が3つになったという…)6時15分過ぎにいっしょに起床した。
 まずはりんごジュースを飲ませ、お弁当作り。3月17日が終業式で18日が卒園式 なので、お弁当作りはあと16回。今日は、生姜焼き弁当を作ってみた。
 8時50分怜王は妙にてきぱきとクツを履き、幼稚園バッグ(ショルダー)、帽子、絵本バッグ、そしてお弁当と水筒を持ち、元気よく妻といっしょに幼稚園バス乗り場へ向かった。
 妻は帰宅して30分ほどMacに向かっていたが、「布と怜王の洋服を見に行って来る」と言って出かけた。僕はと言えばMacでやりかけの作業があったので30分ほど部屋にいて、10時過ぎGXR+50mmマクロとGRDIIIを持ち恵比寿方面へ撮影に出た。
 「東京二十三区清掃一部事務組合清掃工場目黒清掃工場」というとても1回では覚えられないような名称?の施設脇を通り、目黒区三田を抜け、GXRでスナップをしつつ恵比寿ガーデンプレイスへ。
 といっても目的はガーデンプレイスそのものではなく、「恵比寿麦酒記念館」裏の小さな公園のような場所。
 ここには小さいがたくさんの種類の植物が植えられていて、犬の散歩程度で人通りも少なくとても好きな場所なのである。
 じっくり見て回り現在進行形である日中シンクロの植物の写真を撮った。植物の撮影を終えカメラをGRDIIIからGXRに持ち替え、しばらくガーデンプレイス周辺のスナップをし12時半過ぎ帰宅。
 撮影して来たデータをまずは外付けハードディスクに移して保存し、撮影した60カットから7カット植物の写真をセレクトし即効加工をし「植物頌」のフォルダに保存。
 1時半、妻が怜王の洋服と布を買って帰宅。2時過ぎ、怜王が幼稚園から帰って来た。怜王の洋服と言うのは幼稚園は制服があり毎日同じ恰好で良かったが、小学校は私服で最近新しい服を買ってあげていなかったので通学用にひとまずそろえたのである。
 それはそうとツイッターもやらなかった自分ではあったが、Facebookはツイッターとは違う面白さがあるように思えていろいろやり始めた。
 イタリアにいる最年少?の友達のSくんが面白い画像を使ったソフトで作ったお嬢さんの画像をアップしていたので、僕はあえて自分の顔で試し妻は自分の顔はアップしなかったが怜王の顔でアップ。
 そのソフトとは「セレブレティ・コラージュ(http://www.myheritage.jp/)」と言って、顔の情報を送ると世界中のセレブから誰かに似ていると言う診断をしてそれを見せてくれるのだ。
 Sくんのお嬢さんがが浜崎あゆみ似であったり、それにつられまず妻が怜王の画像でやって見ると大半女性であったが…唯一日本人がいてそれが「山下智久」。
 僕も妻も面白がって自分の顔写真をアップしてみたら、僕は一番似ているのが若い頃のアル・パチーノ次に(パーセンテージでの表記…)若い頃のダスティン・ホフマンなどと言う名前もあったが、唯一日本人で似ているのというのが教授(坂本龍一)。妻は怜王に写真を撮ってもらってやってみたら、何と松嶋菜々子似!さらにたくさん角度を変えて撮影しても常に似ている人として出てくるのが、チャン・ツイ。
 怜王は誰かに似ていることが何で面白いのか分からない感じではあったが、山下(智久)くんの画像をMacで見せると「イケメンのひとににていて うれしい」と言った。
 Facebookの誕生秘話は映画(ソーシャル・ネットワーク http://b.hatena.ne.jp/articles/201101/2230)にもなっていて、2010年10月に「東京国際映画祭」オープニングで上映されたが、アメリカでは評価が高かったが日本ではあまり理解されなかったようだ。
 アカデミー賞がもうじきあるが、「ソーシャル・ネットワーク」は有望であると言うがどうだろうか?
2011年02月23日(wed)  No.452

2月21日

 7時15分過ぎ、怜王がいつものようにリラックマを抱いて僕が寝ている部屋にやって来た。今朝はずいぶん良く眠ってしまい、慌てて起床し怜王のお弁当を作り始めた。
 今朝は怜王を送り出す前に、重要な仕事があった。それは今年の頭に撮影し終わっているはずの撮影を1カット再撮して今日中に編集部に画像を送信しなければならなかった。
 というのは編集部も僕もすでにこの仕事は終了したものと思ってたが、スポンサーである某省が1カットこれは使わないで欲しいと言うカットが出て来てしまったからだ。
 編集部から差し替えて欲しい部分のページが送られて来たのだが、何でこの写真にチェックが入り再撮(その写真は僕が撮影したものではない)をしなければならないのか皆目検討がつかない。
 だがしかし起きた時に思い出して撮るつもりでいたものの、怜王を送り出した後に撮らなければならなかったことを思い出した…。ひとまず月曜日中(21日)にというリクエストだったので、怜王が帰宅してから撮って5時くらいまでに送信するしかなくなったのでその旨クライアントのT出版Kさんにメールを入れた。
 それはそうと全く面識のない方が制作している「短説と小説 西向の山(http://homepage3.nifty.com/masayoko/index.htm)」というホームページのトップページの「他家への門」、つまりリンクの「旅・写真・美術・趣味」を開くと僕のHPが貼られている。
 アプローチは僕がその昔同人雑誌で詩を書いてた経緯がヒットしたのだろうが、写真家と言う提示ではなく70年代に詩を書いていたことを認知してもらえてリンクをしてもらえていると思うのだがそのページを見るにつけざわざわした感覚が脳裏をよぎり、小説を書いていた芦原修二氏に詩を見せに行ったり詩人の桜心太郎氏から詩と詩論の同人誌「Focus(フォーカス)」に「岩礁(Poetryの「初期詩編」 http://ys-ode.net/poetry/index.html )」という詩を掲載したりしたことを懐かしく思い出す。
 1973年と言えば38年前…であり、僕はといえば二十歳の若造である。もちろん詩人になることを夢見て詩を毎日量産していた頃で、数年後に写真を始めることになるとは思ってもいなかった。
 Facebookを初めて2日が経過したが、いつもは使っていない脳に刺激があるようで過去の記憶が面白いように蘇って来る。
 思えばDRUGは1号から5号までは、小説と詩の文学同人誌として発行して来た。なぜ最初から写真同人誌ではなかったのかと言うと、20歳前後に書きなぐった詩をある程度まとまったページ数で活字として残しておきたいという思いがあったからだ。
 そう言うと4号まで小説と詩の文芸同人誌(1号2号で昔の詩を活字にし、3号4号で書き下ろしの長編詩に挑戦)であったのに、5号で不参加をし6号からリニュアルして写真同人誌として再スタートしたことを考えるとかなり僕の我が儘を通した感がある…。
 もちろんDRUGはひとりでやって来た訳ではなく現在も一緒にやっている大嶋さんや横川さんがいなければ現在はない訳だが、写真同人誌としてリニュアルした経緯を思い起こすと、いろいろなことが思い出されるのであった。
 今日妻は卒園アルバムの打ち合わせで、怜王を幼稚園バス乗り場に送って帰って来て10時少し前に出かけ、僕はずっと待っていた1社送られて来ていなかった確定申告に必要な支払調書加え計算をした確定申告書を目黒税務署へ提出に10時過ぎに出かけた。
 目黒税務署の最寄り駅は、東横線の祐天寺。目黒区平町に住んでいたときは都立大学から乗ってふた駅目が祐天寺で住んでいた6年は東横線で行っていたのだが、目黒区目黒からだと権之助坂から祐天寺方向へ向かうバスに乗るか、中目黒までバスで行き東横線に乗るか、JR目黒駅まで行き渋谷に出て東横線になど近いわりに少々面倒な感じ…。
 そこで馬喰坂(ばくろうさか)という蛇行したきつい坂道を上らなければならないが、電車やバスを乗り継いで行くのもなんなので、歩いて行くことにした。
 自宅から目黒川を渡り山手通りに出て、田道(でんどう)交差点から馬喰坂を越え歩くこと17分。目黒税務署(祐天寺駅までは多分25分ほどであろう)は意外に近い。署内はとても空いていて、数分で提出完了。帰りはゆっくり中目黒5丁目界隈を散歩し、スナップをしつつ帰宅。
 3時少し前、妻が帰宅。持って行ったiBookなどをしまったりした後、休む間もなく怜王を幼稚園にお迎えに。今日の妻は、大忙しなのである。
 帰宅後怜王のご機嫌を取りつつ、キッチンのテーブルで妻が読み聞かせをしているシーンを撮影。即効セレクトし、4時45分宅ふぁいる便でクライアントのT出版編集部のKさんに送信。どうにか間に合った。
 5時過ぎDRUGにも作品を発表しているルイスのプロデユースによる、「Paula Herrera Exhibition」のレセプションに向かう。彼女も昨年DRUGに作品を発表していて、直接会ったことはなかったのでどんな方なのか興味津々で会場に向かった。
 日本橋川沿いにある古いビルの3階に森岡書店(http://www.moriokashoten.com/)はある。会場に行くとルイス(ルイス・テンプラードはDRUG21号にも参加予定)をはじめDRUG創刊メンバーの3人全員がそろい、さらに名古屋の春日井市でギャラリーをやっているツジさん(http://www.ban-std.com/)そして写真家の原芳市さん(http://www.3rddg.com/exhibition/2009.9.12/hara_yoshiichi.html)森岡書店オーナー森岡督行さん、そしてPaula さんの母国の大使館(http://www.embargentina.or.jp/index-jp.html)の人たちも見えていて、レセプション会場は日本とは思えないような空間であった。
 Paulaさんにポートレートを撮らせてもらい少し話し込んだが、レセプション中盤でPaulaさんが、即興で歌を唄った(GRDIIIで動画を撮影した!)のだがそれがとても素晴らしかった。
2011年02月21日(mon)  No.451

2月17日

 昨日は銀座リングキューブでミニ写真展「走った!撮った!東京マラソン2010」を開催している辰巳(http://marathoncameraman.blog12.fc2.com/)さんと会場で会った。
 その折同じ時間帯にお見えになった辰巳さんの古くからのお知り合いの、A新聞諏訪支局長Y夫妻をご紹介頂く。Yさんの奥さんは昨年11月に日本橋にギャラリー遊を開設したと言うことで、近いうちにお邪魔してみようと思う。
 雨音が聞こえ雨が降っているな…と思っていると、怜王が僕が寝ている部屋にリラックマを抱いてやって来た。枕元に置いた携帯を見ると、6時40分。起きるにはちょうど良い時間だったので、そのまま起床。
 怜王のお弁当(今日は生姜焼き)を作りつつ、着信メールに眼を通し返事を書いて送信したあとFacebookを開きチェック。
 8時50分妻が怜王を幼稚園バス乗り場まで送り帰って来て間もなく、メインで使用している起動中のMacのモニターがグレーのまま動かなくなった…。何をどうしても動かないので強制停止をしPラムクリア(http://support.apple.com/kb/HT1379?viewlocale=ja_JP&locale=ja_JP)を試みるが?マークとMacのマークが交互に点滅するだけでまったく元に戻らない…。
 困ったことは困ったのだが、先月末に長く使用して来たiBookG4の調子がいまひとつ(バッテリーが寿命で、コンセントをつないだまま使わないと凄まじいスピードでバッテリー残量が減るように…)になってしまったので思い切ってMacBook Proを購入し、メインで使用してたMacのデータをすべてMacBook Proに移植しておいたので気持ちのダメージはなかった。
 それに画像データは半年前からMac本体に保存せずに外付けハードディスクに保存をするようにしていたので、MacBook Proに接続するだけで使用出来るということもあってダメージはなかった。
 こんな日がいつか来るのではと思いつつ、カメラもそうだがパソコンも最低2台使用(作動の鈍くなったiBookは現在怜王が使用している)でバックアップをとっておくのだが、このまま動かないとなると先々困ることになる…。
 動かなくなってしまったMacはいつ購入したのだろうかと考えると、まだ怜王が生まれて間もない頃だったように思うので6年ほど前か…。
 それにしてもMacBook Proを絶妙のタイミングで購入しておいて良かったし、名のMacのすべてを移植しておいて良かった。
 ちなみに現在怜王に使わせているiBookはOSX10.3.9、今日動かなくなったMacはOSX10.4.3。OSX10代であってもブラウザで対応出来ないものYoutubeも見ることは出来るものの作動がなめらかではなかったり、バージョンアップ出来ないソフトやその他多くのことで時代遅れとなってしまっていた。
 MacBook ProはOSX10.6.6で、すべてにおいてストレスなく快適な作動をしてくれる。だがしかしモニターの大きいデスクトップのMacは必要不可欠…。夕方もう一度Pラムクリアを実行し、それでもらちがあかなければOSを入れ直すことをしてみる必要がある。がそれに使うOSXのCDがない…。引越の時にどこかにしまったのかだが、どこにあるのか情けないが分からない…。
 さて今月末が締め切りのDRUG21号だが、先日くらいから画像データがCD-Rや宅ふぁいる便などで届き始めた。例によって僕は締め切りぎりぎりまで撮ることをせず、ひたすら来たるべき撮影日(今月に入ってから撮影したカットも含めて、26日27日28日のいずれかで撮影をする予定)に向けてイメージトレーニングをする。
 そういえば僕のメインのMacは今日は復活しないままで…何ともブルーな感じだが、さらに追い討ちをかけるようにキッチンの照明の30形と40形の両方がお亡くなりになってしまった…。
 そんな訳で今夜のキッチンはロウソクの灯りのみで、何だか不思議な感じ…。だがこんな日もたまには良いかなと思える感じがあって、今日はいろいろ壊れてしまうものばかりだったが…そう言う日(あらゆることを受け入れる日)だったのかなと冷静に思い直すのであった。
2011年02月17日(thu)  No.449

2月16日

 6時半過ぎ怜王が僕が寝ている部屋にやって来たのだが、いつものように布団にもぐり込もうとした瞬間足を思いっきり踏まれて一気に目が覚めた…。そんなわけで眼が覚めてしまったので布団の中で話し込むことなく、そのまま起床した。
 今朝はあまり寒いと言う感じはなく、スリッパを履かずに床を裸足で歩いても冷たいとも思わなかった。
 まずは怜王のお弁当(今日はミートボールにした)を作り、水筒に水を入れ借りて来た絵本を絵本バッグ入れに入れ幼稚園の青いショルダーバッグを一ヶ所にまとめた。
 昨日の怜王の夕飯は餃子を食べさせたのだがこうしてちゃんとしたものを食べることは稀…、たいがい「おにぎり」とか「おちゃづけ」などとあっさりしすぎたものを食べると言う。
 特に朝は「おちゃづけ」ということが多く、もっと栄養のあるモノを食べて欲しいので昨夜久しぶりに明日の朝納豆ご飯でも食べてみる?と言うと「たべるよ!」とあっさり言ったので今朝は納豆ご飯を作って食べさせた。
 いつもは食べている最中テーブルの上にある小物を指で触ったり「てれび」と言って携帯のワンセグで子ども番組を見たがるのだが、今朝は黙々と箸をうごかし集中して食べていた。
 久々と言うこともあったのだろうが美味しそうに平らげると、「ぜんぶたべたよ!」と言って茶碗を持って見せてくれる。凄いね!と返事をしヨーグルトをデザートに食べさせた。
 そう言えば昨日、Facebook(http://www.facebook.com)に登録をした。ツイッターには個人的に興味を持てなかったのだが、妻がFacebookに登録をしたところ知り合いがたくさんいると言うので覗いてみると、ドイツ人の友だちSWやイタリアに転勤した友だちTS(転勤した後連絡が取れなかった)くんや、ネパールに行った時に知り合った少年LV(今では会社社長である!)アートディレクターのKYさんなどあっと言う間にFacebook的」友達」になった。
 今日は妻が仕事で帰宅が夕方になると言うことで、僕が幼稚園に怜王をお迎えに行くことになった。それはそれで良いのだが、実は困ったことがある。それは確定申告に必要な支払調書が、1社からまだ届いていないこと。
 確定申告は今日16日から1ヶ月間の間に行なわなければならない訳で…、毎年で来うる限り初日に届け出に行っていただけに意気消沈し、昨日メールで支払調書のことを担当者に送った。
 「経理に確認をとってみますので今しばらくお待ちを」と言う返事がすぐに返って来たが、確定申告が始まってしまっているのでいましばらくと言われても何とも困ってしまうのである。
 ともかくいつ送られて来ても良いように、書類の中で収入に関係のないヶ所はすでにすべて書き終えた。今週中には届けて欲しいが…。
 11時過ぎインクジェットプリンターのブラックインクがなくなってしまったので、渋谷のビックカメラまで買いに行き帰りに少々スナップをし12時半過ぎ帰宅。
 1時半過ぎに怜王をH幼稚園まで迎えに行く前にプリントを終わらせようと思ったが、3枚目まで終わったところで1時半になってしまったので、1枚プリント実行を押したまま迎えに行く。
 怜王を迎えに行き帰りに事務所へより「卒業記念品代」と言う卒園にあたり年少年中さんへのプレゼント代金を入金し、さらに怜王といっしょに壁に貼り出されている800枚ほどのサービス判のスナップ(お餅つき)を見ながら怜王が写っているカットを5枚ほどチェック。代金を払い帰宅した。
 手を洗わせ着替えをさせてから、おやつとジュースを出してあげる。怜王が食べている間プリントの続きを始め、3時過ぎ10カットのプリントの出力を終了。
 夕方になってFacebookをはじめてからすでにメールを数回繰り返している、転勤でイタリアにいるTSくんからメールが。
 そして昨日支払調書の件でメールをした某社担当Yさんから直接携帯にメールが入り諸事情を聞き、明日くらいに支払調書を送ってもらえることになったので来週頭には提出出来そうだ。
 夜になって後輩カメラマン、魚住(http://www.zoomic.jp/)くんから携帯に連絡が。しばし話し込んだ。
2011年02月16日(wed)  No.448

2月14日

 昨日は友人家族を呼んでの、家族パーティーを行なった。子どもは怜王と同じ年のSさんの長女子Hちゃんと長男のT(3歳)くんで、何故か怜王は弟のTくんとベイブレードをやったり、刀を持って走り回ったりして、Hちゃんとは照れくさいのかあまり遊ばなかったが、後で撮影したカットを見てみるとちゃんと楽しそうなツーショットが!
 パーティがお開きになり片付けをして夕飯の時間になったが、昼から飲んだり食べたりしていたので夕飯を食べると言う感じではないまま時間が経過した。
 8時を過ぎたころより、身体の節々が痛く感じだるくなりはじめた…。今朝は寝起きから微妙に歯が痛く(正確には歯茎…)、しばらく我慢していたが妻のバッファリンを服用し痛みを抑えつつの1日で、その疲れがピークに達した夜8時過ぎくらいから予想もしないだるさとなって現れたのかもしれない。
 怜王もまだテレビを見ている時間ではあったが、8時半過ぎふたりより先に眠った。3時間後、目が覚めた。起きて見るとだるさも歯の痛みも治まっていた。が念のため再び眠ることに。
 2時半過ぎいつもの睡眠時間くらいで目が覚めたが、当然ながら皆寝ていて再び眠りについた。6時半過ぎ怜王がおこしにきたが、そのときはすでに体調が戻っていてしばらく布団の中で話をした後ふたりで起床した。
 いつものように怜王に飲み物をコップに入れて上げ怜王のお弁当を作りをしていると妻が起きて来て、「頭が痛い…」と体調の不具合を訴えた。怜王にはフランスパンと練乳とりんごジュースで朝ご飯を食べさせていたが、妻は固形物が通らないと言う…。
 そこで昨日妻が鶏ガラスープを皆に出していて、少ししか残っていなかったが鶏ガラスープをベースに、水と顆粒の鶏ガラスープのもとを使って、セロリのスライスと舞茸などを入れてさっぱりしたスープを作ってそれを朝食にした。もちろん僕はスープだけでは身体が持たないので、怜王どうようフランスパンも食べた。
 食後も妻の体調は思わしくなく、スープを飲んだあと眠ると言うので怜王を休ませることにした。
 というのは今日は知り合いの写真展の最終日で…、妻と見に行く予定であったが妻が寝込んで写真展に行けずバス停に送って行くのもお迎えに行くことも出来ないというのではいろいろ不都合が出て来てしまうので、写真展は僕だけで行くことにし怜王を休ませ妻といっしょにいさせることにしたのである。
 10時過ぎ妻は眠っていたが、怜王に早めに帰って来るからお母さんを頼むねと言って部屋を出た。どんよりした空で、部屋の中が暖かかったせいかとても寒く感じた。
 山の手線で御徒町下車。松坂屋本店と松坂屋南館の間を抜け、黒門小学校を越えてすぐ左に曲がると「ギャラリーUC(http://www.universal-color.co.jp/gallery.html)」というか「ユニバーサルカラー」はある。
 写真展を開催しているのはもとキャノンでカメラマンとして独立した、川名廣義さんの『冬景(http://capacamera.net/exhibition/pickup/110105_kawana.html)』である。
 目黒から御徒町までは意外に近く(23分ほど)、スナップしながらギャラリーに向かったが到着したのは10時40分過ぎ。誰もいないギャラリーに入り写真を見始めると、ユニバーサルカラー代表取締役の永田さんがやって来たのでしばし歓談し11時過ぎにギャラリーを出た。
 まだまだ動いていない静かな御徒町の飲食店街をスナップして回り、12時過ぎに山手線に乗った。目黒で降り怜王が欲しいと言っていた、ひも(荷物の梱包などに使うクリアヒモ)などを購入し帰宅。
 帰宅すると少し前に妻が復活し、怜王は僕が作ったお弁当を食べ妻も昨日僕が買って来たフランスパンを食べたようなのほっとした。やはり食欲がなくなっている状態を見るのは辛いものがあり、帰っても寝込んでいたらどうしようかと思っていたのでともかく良かったと思った。
 2時過ぎより銀座写真塾の代々木八幡での撮影実習で撮影したデータをセレクトし、月光グリーラベルにプリントをするがプリンターを起動させると黒のインクがない…。先日濃度のある「植物頌」を60枚ほど出力したあとで、インクの消耗を頭にいれていなかった…。また後日(と言っても18日までにやらなければ間に合わない…)やることにしよう。
 コダックフォトスクールの講師になったころはコダックフォトサロンがまだ銀座にあり、その後お茶の水の加賀ハイテック内に移動になったころからスポットフォトサロンを運営しているスポット商会(コダック直系のプロ現像所)のセミナールーミになった。
 そして昨年夏過ぎよりコダックフォトスクールから銀座写真塾と名称を変え、運営を講師自身で行なう形態となった。コダックがフォトスクールから撤退をした訳だが、それから半年後コダックフォトサロンも今年の4月よりスポットフォトサロンの場所で名称をコダックギャラリーと名称が変わって再スタートする。
 何げなくいろいろなことが変貌を遂げている訳だが、その最大の要因は銀塩が衰退しデジタルが台頭したことによるやむを得ない移行である。
 今日行ったギャラリーUCもコダック直系のプロ現像所であったが、現像の有無にかかわらず朝からよるまでフル現像関連のシステムを稼働させていると電気代はつきに100万を越えるのだという。
 さすがに銀塩の処理に要する費用は半端ではなく、ユニバーサルカラーも銀塩から撤退しデジタルに変えた(カメラマンが完全にデジタルになってしまったからだという)らしい。
 そんな中昨年初頭よりまだコダックであったフォトスクールにおいても銀塩からデジタルへの移行がやって来ていて、僕自身は2004年からデジタルに移行していたので銀塩とデジタルの共存をしていた。
 それが月を追うごとにデジタルへの移行が激しくなり、今現在の塾生の80%がデジタルで撮影をするようになっている。
 とまあそれそうと夜になって天候は大幅に崩れ、怜王を寝かし付けた9時過ぎくらいから雪が大量に降って来た。朝にかけて気温は下がるのでこのまま降り続けると、明日はダイヤは乱れるし交通事情はかなり混乱すると思う。
 そんな中微妙に嬉しそうにしているのが妻で、ちゃんと防寒対策をしてベランダに出て写真を撮ったりしていた。何やら含みがありそうな…。
2011年02月14日(mon)  No.447

2月12日

 昨日は予報どうりに雪が降り寒い1日となったが、お年玉とおおこずかいでベイブレードを買いたい怜王にせがまれ大井町のYMAMADAまでふたりで行く。怜王は傘から顔を出し、大きな口を開けて「たべるとおいしい!」などと言いながら大はしゃぎ。
 3時過ぎに目黒に戻り、目黒線に乗り換えてふた駅先の武蔵小山へ。改札口前で妻と合流し、13日に予定している友人ふた家族6名+我が家の3名の総勢9名でパーティをすることになってて、その食材を武蔵小山のカルディで買い出しをした。 
 4時過ぎに帰宅すると、怜王はベイブレードを組み立てかなりご満悦。正月やクリスマスあるいは誕生日でもないのに、「究極改造セット グラビティペルセウスVER」とかなり豪勢なセットなので興奮するわけだ。
 それにしても爆丸などはすぐに飽きてしまったが、ベイブレードは怜王的に玩具としてかなり息の長いモノとなっている。
 そんな怜王が今朝僕が寝ている部屋にやって来たのは、6時半過ぎ。例によってリラックマ同伴である。10分ほど布団の中で「たかっておおきいよね つめもすごいよね」などと何故か鷹の話しをした。
 6時40分過ぎ起床。怜王はさっそく昨日買ったベイブレードをキッチンに持って来て、改造したりスタジアムでバトルさせたり。
 さて今日は銀座写真塾の撮影実習を代々木八幡周辺(渋谷区富ヶ谷)で行なうことになっているが、昨夜からの雪もひとまず終息?し傘をささなくとも撮影が出来そうでほっとした。
 だがしかし11時を過ぎた頃より、微かに霧雨が…。塾生からも「今日はやるんですか?」という電話が…。もちろんやりますよと言って見たものの、窓を開けて外を見るとどんよりした空からはらりはらりと…。
 1時20分過ぎ、GXR+50mmマクロとGRDIIIそれに予備のバッテリーを複数携帯し部屋を出た。微妙な霧雨が、嫌な感じ…。
 目黒から原宿まで山の手線で行き、千代田線に乗りかえ代々木公園駅下車。待ち合わせ場所の小田急線・代々木八幡駅までは徒歩1分ほど。2時少し前に到着するとすでに数名の塾生が。
 前回講義の時に渡した地図を見ながら、撮影ルートの確認と撮影終了後の待ち合わせ場所などの確認をしさっそく富ヶ谷の街へ。
 富ヶ谷は独立して二度目に引越した場所で、富ヶ谷2丁目に2年そして同じ山手通りを少し新宿寄りの初台坂下のマンションに10年と、小田急線の代々木八幡駅千代田線の代々木公園ともに12年に渡り使って来た。
 久々に来た富ヶ谷は代々木八幡駅周辺はそれほど変わったと言う感じはしなかったが、山手通りに出るとその風景はまったく違っていた。まず道路の幅が僕が住んでいたころ寄り2倍以上に広がり、僕が住んでいた富ヶ谷2丁目にあったマンションはかろうじてまだあったがマンション前のガソリンスタンドは大きなマンションとなり、その前の山手通りには高速道路の料金所が出来ていて風景はまったく違っていた。
 最初の1時間半ほどは塾生と同じルートで歩きどこのどんなものがあるのかを指示しながら行い、塾生に今回撮って欲しいと思っていたエリアを説明で来た時点で僕は自分の郷愁ではないが住んでいたマンション周辺を歩き回り撮影をした。
 今回の撮影実習で、自分が撮影した写真の中で(写真の出来はともかく)もっとも自分的に風景を見て絶句したのは、山手通りと井の頭通りが交差する富ヶ谷の交差点の歩道橋から新宿方面を見た景観に圧倒された。
 寒い中の雨降りでの2時間半の撮影実習はかなり厳しいものがあったと思うが、参加した塾生たちは寒さと雨との戦いもあっただろうが皆楽しそうに撮影を楽しんでいるように思えた。
 4時半、代々木八幡駅前で次回(諸事情によりプリント提出10点と言うにはあまりに過酷なスケージュールとなってしまった)の講義のことを話し解散。駅前の七幅と言うよく行った焼鳥屋に行こうと思ったがまだ開いていなかったので、「うなぎ」などと書かれていた居酒屋に数名で入り8時過ぎまで歓談し9時少し前に帰宅。
 ひとまず今日撮影して来たデータをMacに取り込み、ちょうどお風呂から出て来た怜王を寝かし付けた。
 さて明日は友人家族を招待しての、家族パーティ。今日の帰りにも妻に言われてパプリカとセロリなどを購入して帰ったが、まだまだ用意しなければならない食材があるようだ。
 12時に目黒駅改札口までS参加族とKくん家族を迎えに行くことになる訳だが、それまでに購入しておかなくてはならないものどれだけあるのか…。明日は朝から忙しくなるだろう。
2011年02月12日(sat)  No.446

2月10日

 オートロックが付いたマンション脇のゴミ置き場に数日前に置いた粗大ゴミを、8時までに出してマンション入口近くに置かなければならないという頭があるせいか今朝は6時少し前に勢い余って起床。怜王もほぼ同じくらいの時間に、キッチンへやって来た。
 怜王にりんごジュースを飲ませ、朝ご飯を炊き終え6時半過ぎゴミ置き場へ。8時までに移動させれば良いのになぜ早々と動いたかと言えば、粗大ゴミの量が多い(スクエアのキッチンテーブルと椅子2脚、背に柔らかい椅子1脚、ボックス型のスリッパ入れ、箪笥に入れるプラスチックの衣装ケース、それと幅の狭いテーブル)からである。
 キチンテーブルはまだ独身の時に購入した二人用で、怜王が大きくなって来て少々テーブルのサイズが狭くなって来たのですでに買い替えてある。今度のテーブルは横に長い4脚の椅子付きでなかなか使い心地が良い。
 9時20分幼稚園バス乗り場まで怜王を送って行った妻が帰って来たので粗大ゴミが片付けられているかどうか聞くと、「Hくんのお母さんがマンションの前を通る時じっと見ていてばつが悪かった…」と言った。つまりまだ回収車が来ていないということ…。
 長年使用したモノであり、テーブルや椅子には怜王が貼った仮面ライダーやディズニーのシールが貼ってあったりで、通行人に見られると家の中を覗かれているような気がして速く回収してくれないかなとヤキモキした。
 10時過ぎ会社のSさんのクルマでマンション前からピックアップしてもらい仕事に出かけた後、しばらくMacに向かい作業をしGRDIIIを持って渋谷へ。しかしここ数年感じているのだが、その昔あれほど羨望した渋谷に僕個人の興味がなくなり始めているのだ。
 その渋谷と隣接している神宮前5丁目6丁目(僕が初めて住んだ東京の街)はいまだに僕に刺激をくれるし、歩いていてとても楽しい場所。渋谷はどうしたのだろう?
 もちろん新宿もまったく昔と変わらず、カメラを持って歩けばピリピリするしいまだに歌舞伎町辺は軽く流して撮れない緊張感と怖さがある。それなのに、なぜ渋谷にそれが感じられないのだろう?
 もちろん僕自身の渋谷に対する思い入れやテンションが以前のものとは違っているからそう思えるのかもしれないが、それにしても良くない。結局2時間ほど宇田川町辺を歩き回ったが、今日僕が渋谷で撮影したカットは5カットであった…。
 預かり(預かり保育を4時までやった)だった怜王と妻が帰宅したのは、4時過ぎ。妻は少々お疲れ気味で、怜王も口数は少ない。ちなみに、怜王の言葉関係は、ほとんど妻の生き写しである。
 夕方マラソンカメラマンのITさんから、メールを頂く。RICOHリングキューブの9階でミニ写真展を開催しますと言うもの。折しも東京マラソンが真近となり、マラソンカメラ真としてのITさんの写真展が規模は小さいもののリングキューブで再度開催(http://marathoncameraman.web.fc2.com/index.html)されると言うのは素晴らしいことだ。
 明日は金硫黄日だが、「建国記念日」なのでお休み。そんなアバウトな感じからだろうか怜王もあまりね硫黄とはせず、ゆっくり目の妻といっしょにお風呂に入り絵本の読み聞かせ(墓地論僕が読むのだが…)をした後、怜王はもう我慢出来ないと言った風情で数秒で眠りについたのである。
2011年02月10日(thu)  No.445

2月9日

 5時半過ぎ、かすかに聞こえる雨音で目が覚めた。仰向けのまま目を開くと、窓越しに入ってくる光はほとんどなく、外はまだ夜であるかのように真っ暗であった。いつものように怜王がやって来るかもしれないと6時まで布団の中にいたが、部屋中しーんと静まり返っていて気配もないのでそのまま起床。
 昨夜「きょうは おとうさんとおふろにはいる」と怜王は言ったが、昨日の朝シャワーを浴びていたので明日の朝いっしょに入ろうと言うことにしたので、さっそくお風呂の全自動のスイッチを入れその間にお米を研いでMacを開きメールチェックをし数件の着信メールに返信を書き送信。
 しばらくして浴槽にお湯がたまった完了音が鳴ったので時間を見ると、すでに6時半。いつもなら起きて来ているはずの怜王は、まだまだ爆睡中であった。
 その怜王は昨日の朝、右目に目やにが出て「めがあかない…」と言ったので顔を洗わせて目やにをとり幼稚園へ行かせたのだが、10時過ぎ妻の携帯に幼稚園の担任のS先生から「結膜炎のようなので眼科に連れて行ってください」との連絡が入り妻はついたばかりの仕事場からとんぼ返りでもどり目黒駅のアトレ内の眼科(評判が良いらしい)へ連れて行った。
 結果アレルギー性結膜炎で他の人に感染することのない結膜炎であることが分かり、目薬をもらって帰りにMacでお昼を食べて帰って来たらしい。
 らしいというのは実家にいる弟が部屋の整理をしていて、押し入れから僕の荷物(大半は本である)が沢山出て来てどうにか処分をして欲しいと言われたので整理に出かけていて、妻からメールをもらったのが総武線で実家に向かっている途中でメールのタイトルが「幼稚園から電話が…」とあって一瞬大けがをしたのかと動揺した…。
 その後も随時妻から連絡が入り「アレルギー性結膜炎で人にはうつらない」と聞いてほっとした。そんな怜王は7時少し前、眠そうな顔をして起きて来た。
 雨は8時を回ってもまだ降り続いていて、J-WAVEからナビゲーターの小林まどかが「雪が舞って来ました」と言ったのでキッチンの窓を開けて外を見たが降っていなかった。
 8時50分過ぎ、妻に連れられ黄色いながぐつをはいた怜王が幼稚園バス乗り場へ向かった。妻が2時から建築家のMさんの事務所(駒込)で打ち合わせが入っているので、月曜に引き続き僕が幼稚園へお迎えに行くことになっている。
 H幼稚園の卒園式は3月18日で、すでに1ヶ月半を切った。お弁当作りもお迎えも、頑張ってやらなければと気を引き締める。
 思えば2004年11月19日に怜王が生まれてから今まで体験したことのない育児が始まり、寝不足(睡眠時間は4時間前後だったとい思う…)の毎日が3歳くらいまで続いた。
 そして幼稚園に入園(まだおむつが取れていなかった…)すると寝不足は終息して行ったが、毎朝のお弁当作りと見送りとお迎えを妻と僕のお互いの仕事のバランスで交互にやったりしつつ。
 いまやある程度の文字の読み書きも出来、テレビゲームも大人と同じくらい快適にやり、さらにMacも仮名表をつかって文字入力をして知りたいことを検索したり、You Tubeなどで動画閲覧したりと6歳児としてはかなり高度なことまでやれるようになっている。
 4月から小学生になるわけだが、幼稚園とは違う新しい世界に一歩踏み入れる怜王の1年1年の成長が楽しみなのである。
 1時過ぎ、妻が打ち合わせに出かけた。外は雨も上がり、空も明るくなって来ていた。このまま晴れると言うが、どうも今週末は雪が降るという予報が出ている…。12日は銀座写真塾の、2回目の撮影実習が予定されている。荒れた天候にならなければ良いが…。
 2時少し前、怜王お迎えのためH幼稚園へ。怜王は元気良くサッカーを友だちとしていたが、僕の姿を見つけると遠くから走って来て「ころんだんだよ」と言って左ひざを指さした。ちょっと擦りむいている程度。毎日どこかを擦りむいて帰ってくるのである。
 帰宅後手を洗わせてひざをふいて傷口にオロナインをぬりバンドエイドを貼り、おやつをお皿に乗せてからりんごジュースを飲ませた。
 そして帰りの道で「かえったら べいばとるやろうよ」と怜王が言っていたので、しばらくベイブレードバトルで遊ぶ。もし怜王が女の子だったら、プリキュアごっこやろうなどと言われたら困ってしまうので…、男の子の遊びをやれるのは幸せ(やろうと言われると面倒な気もするのだが、やり始めると回転が弱いとか少しアタックが弱いなどと思い改造などをしてしまう)なことだ。
 5時過ぎ妻が帰宅。打ち合わせのことを口にしなかったので、上手く言ったのだろう。夕飯を食べた後、レンタルビデオショップで借りて来た「ベストキッド(http://bd-dvd.sonypictures.jp/bestkid/site/#)」を見る。
 あのウイルス・ミス(http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typs/id67240/)の息子の、ジェィディン・スミスが主役でジャッキー・チェンが師匠というカンフーアクションだ。
 怜王に見せようとして借りて来たのだが、怜王は子ども番組をの方が興味があるようで前半まったく見ようとしなかった。しかし後半になりカンフーの大会が近くなるにつけ見る頻度が多くなり、最後はかぶり付きで興奮気味に鑑賞!
 お父さんも素晴らしい俳優だが、息子はお父さんを上回るくらい素晴らしい存在感を感じさせてくれた。
 9時過ぎ怜王が眠ってから、もう1作渡辺謙が出ている「インセプション(http://wwws.warnerbros.co.jp/inception/dvd/)」を見る。
 こちらもなかなか面白い作品であったが、監督が描きたい世界がとても分かりにくい展開で解読不能な部分が沢山ある映画であった。しかし渡辺謙がちょい役ではなく、しっかりした役回りというか中心的な部分にいて、ディカプリオと並んでもまったく見劣りせずどうどうとした演技でとても良かった。
2011年02月09日(wed)  No.444

2月6日

 6時過ぎ怜王が僕が寝ている部屋にやって来て布団にもぐり込みながら、「どらえもんのてれび みたいからけいたいみせて」と言った。
 外はまだまだ暗く部屋もまだ寒いので、もう少し外が明るくなったらいっしょに起きようねと言いきかせ6時半過ぎに起床した。
 怜王はキッチンの床でヒーターにあたりながらしばらくベイブレードの本を読んでいたが、突然「こーんふれーく たべる!」と言った。怜王はあまり食べ物にこだわらないタイプで、コーンフレークやお茶漬けといった簡単極まりないものですませようとする傾向がある。
 怜王が食べたいと言うものは固形物と言うより、水分を含んだ流動食のようなモノばかり。別のもの作っても食べてくれないので、お茶漬けに豚肉の生姜焼きなどおかずとしてつけたりしてどうにか栄養のあるものを食べさせるようにしてる。
 僕も小さい頃はあまり食べるものにこだわらなかった方で、好き嫌いもけっこうあった。怜王は緑色の野菜を拒否するが、僕は小さい頃ニンジンを食べることが出来なかった。
 いまでも自ら好んで食べようとすることはないが、料理に入っていればふつうに食べてるので怜王もそうなると思う。
 しかし先日妻が小学校の説明会でもらって来た資料には、給食について「好き嫌いがないように」と書かれていて、今現在の怜王は極度に好き嫌いがあるので少しでも好きになってもらえるような調理味付け等を工夫しなければならない。
 こうして毎日自分の息子のことで1日が終わってしまうくらいなのだが、今日もまたベイブレードで欲しいモノがあって、お正月のお年玉で買える金額なので家族で大井町のYAMADAへ行くがいくら探しても怜王が欲しいと言う商品がない。
 ベイを扱っている大井町駅前のイトーヨーカドーへ行くが、そこにも置かれていない…。不思議がって妻が怜王が見ていた、ベイブレードの本の広告ページを見ると発売は2月27日…。
 あまりに怜王がしつこく言うので、てっきり売っているものと思って行っただけに拍子抜け…。それは怜王も同様でいつもならぐずったりする所だがしばらく必至に探していたが本当にまだ発売されていないと言うことを知ると、案外あっさりした感じでぐずることもせずに僕らの後をついて来た。
 こんなところをみてもずいぶん成長したなと思うのだが、そういうところと自分の気持ちのギャップにはまだまだ落差があるようで、夜になってお風呂から出て8時にはねようねと言うその時間に「8じからぼくがすきなばんぐみ あるんだよね」と来た。これには困った…。
 建前と本音と言う部分ではなく、僕個人としてそして親としてこうして欲しいと言ったことをスルーされた気がしたのである。これからこうしたことが増えて行くような気がして、かなり淋しい気持ちになった。
 気持ちを抑えて9時までテレビを見せて、怜王がそのまま寝ようとしたので歯をみがかせた。怜王はそのまま眠ったが、やはり何となく後味が悪い…。
 大人になった僕たちは、子もを授かることで独身の時にはない修行が始まると言うような言い方をあちらこちらで見て来た。つまり親としていっぱしになれるかどうかの修行が待ち受けていると言うのである。
 そんなことを知ったのは怜王が生まれてからいろんな情報をネットで調べてそう言うことがそのうち起こるのだと思っていたが、実際小学校を目前にする6歳児にとって自分の言動や行動はおそらく僕ら大人といっしょであると思っているはず。
 幼稚園が親がと言うより、自分がやりたいしたいと言うことを実行したいという欲がでてきてもさもありなんなのである。
 嫌な感じではあるが、今日のところは怜王の方がクールに立ち振る舞い、親である僕が微妙に逼塞してもがいてしまうと言う逆転した状態である。
 明日は妻が卒園アルバムの印刷所(浅草であるらしい…)に行くことになっていて、帰りの時間が読めないので僕が1時半に幼稚園へ怜王のお迎えに行くことになった…。
 僕も妻も怜王も三人ともやらなくてはならないことがある訳だが、僕は今日6日の段階で自由に時間は選択出来るが、始まるとかなり1回1回がハードになりそうな仕事(3年ほど続くと聞いている)がスタートしそうでその時間調整に追われている。
 明日の自分のことを少しだけ考えると、怜王を送り出す8時50分からお迎えに行く1時半までが自分の時間で、ひとまず一番に処理しておかなくてはならない「植物頌」の多めに出力したプリントを絞ることを優先し、もし早い時間に仕上がったら撮影に出たいと考えているが実現出来るかどうか…。
 ともかく自分が出来ることはすべてやってしまわなければ、と思う今日この頃なのである。
2011年02月06日(sun)  No.443

2月4日

 6時半過ぎ、怜王とほぼ同時に目が覚めた。昨夜は一昨日早朝4時まで作業をしていた妻が、さすがに眠いと9時過ぎにいつも僕が寝ている部屋で眠った関係で昨夜は怜王といっしょに眠った。
 その昨日は作品を絞り込んだ「植物頌」をプリントアウトするためインクとペーパーを購入しに渋谷へ行き、購入後センター街を抜けハンズを中心に宇田川町辺をGRDIIIでスナップ。
 一昨日妻は早朝4時まで作業をしていたと言うことで、いつも僕が寝ている部屋で早め(9時過ぎ)に眠った。そんなことから怜王に絵本を読んで寝かしつけた後、3時半過ぎよりプリント開始し(いつも怜王と妻が眠る部屋にプリンターがある)およそ60枚(予備用に10枚追加)のプリントを終了したのは10時半過ぎ…。けっこう時間がかかるものだ。
 今朝は怜王を妻が幼稚園バス乗り場に送って行ってから、引越して来たときから粗大ゴミに出そうと思っていたテーブルや椅子など5点ほどに粗大ごみ回収シールを貼りひとまとめにしてマンション脇のゴミ置き場へ移動させた。
 粗大ゴミの収集日は10日なのだが、ゴミ置き場はクルマが2台くらい入れるほど広いので一時的に置かせてもらうことにしたのである。大半の粗大ゴミはベランダに置いていたので、かなりすっきりした。
 昨日インクジェットプリンターで出力したプリントを見ると、Macのモニターで見ている感じとは印象が異なる写真が数点あった。もちろんその写真は外す予定だが、デジタルでもプリントで見るということは大事なことだと思った。
 これはパソコンで書いた文章を何度も推敲しこれで大丈夫と思っても、印字して見ると何故か時誤字脱字変換などを発見することが多い。
 実際パソコンで文章を書いて印字することはほとんどないのだが、仕事で色校をと出版社から送られて来たpdfを出力して見るとミスを発見するのだ。やはり手に取って見る紙媒体は、あらゆるジャンルで最低限必要なことなのだと思った。
 今日は怜王が行くことになるD小学校の学校説明会がある日で、時間も長いと言うことで僕が怜王を家で見ている間に妻がU学校へ行き説明を聞いていて来ると言うことにした。
 妻が幼稚園へお迎えに行って帰って来たのが1時半で、1時50分にはD小学校へ向かった。僕と怜王はなんだかんだ話しをしたりしていたが、どうも同じクラスの仲の良いKくんの話しになると今ひとつテンションが上がらない。
 確か今月1日に幼稚園にお迎えに行った時、帰りしなKくんが駆け寄って来たのでばいばいをしにきたのかと思ったら怜王を蹴飛ばしたり叩いたりした…。一瞬どうしたのかと思いKくんに声をかけてみたが険しい表情…。
 言葉の端々に「やくそくしたのに やくそくしたのに」と言う言葉が聞こえたが、そのことを怜王に言うと「けーくんと なにもやくそくしてない 」と言う…。
 そして今日妻が怜王を幼稚園にお迎えに行ったら、やはりKくんがやって来て怜王を攻撃するのではなく妻を叩いたりけったりしたらしい。妻曰く「子どもでも思い切りけったり叩かれると、ほんとうに痛い…」と言った。
 Kくんと怜王は住んでいる学区の関係で別の小学校に行くので、もしこのまま仲悪いまま卒園しても取り立てて何と言うこともない訳だが後味が悪いことも確かだ。
 計らずしも昨日ベネッセから送られて来たDVDのとっびだす!3DDVD<「かっこいい1年生」ゆきのぼうけん」>の中でも友情とかちゃんと気持ちを伝えないと行けないと言ったニュアンスのテーマでストーリーが展開されたいた。
 大人の世界でもひとこと足りなかったりちょっと言い過ぎたりして、友好的な関係にひびが入ることがあるが、幼稚園生(6歳)くらいになると、大人と同じような人間関係が日常的に横行し一喜一憂するようになってきたのだな、もう子どもじゃないんだなと思った。
 夕方からレンタルしていたリュック・ベッソン監督作品、「アーサーとマルタザールの逆襲(http://www.arthur-movie.jp/top.html)」を家族で見る。第1作目の「アーサーとミニモイの不思議な国」のと気より時間が経過しているだけに、主役のフレディ・ハイモアくんも背が高くなり顔つきも凛々しい少年に(前作から今回作品まで3年)なっていた。
 面白く見ていたが最後のシーンに結末があっさりしていて変だなと思ったが、「アーサー」が三部作で「アーサーとマルタザールの逆襲」が中間の作品であることを知った。ともあれ、もう1作見ることが出来ると言うのは嬉しいことだ。
2011年02月04日(fri)  No.442

2月2日

 6時半に起床したが怜王は今朝も爆睡中で、置きて来たのは7時過ぎ。昨日同様30分ズレがあると、幼稚園に持って行かせるお弁当を作る時間に当てられるのでちょうど良いのだ。
 起きて来た怜王はめずらしく言葉少なで…、昨日妻と言った図書館から借りて来たドラゴンクエスト「4コママンガ劇場」と「絵で分かる宇宙大地図」の「宇宙大地図」のほうを手に取り熟読し始めた。
 しばらく経って「ぼく うちゅうにいきたいな」「だってちきゅうがこわれるのを たすけなきゃいけないから」と言った。
 それは先日妻から「何とか言う星が太陽に当たり太陽が割れてふたつになるらしいよ。それが来年らしいって。もしそんな中の大きな破片が地球にぶつかったら、地球は滅亡するかもね」という言葉をかなり真面目に受け止めていて、地球を救うためには「ぼくがうちゅうにろけっとでいって わるいやつらをやっつける」のだそうだ。
 ああやってこうやってと言いながら、キッチンとリビングを走って行ったり来たりしているので何をしているのか聞いて見ると「うちゅうでもかけっここがはやくできたら わるいやつらを おいつめられるから」と言う。
 宇宙は無重力で空気がないから宇宙服を着ることになるので、走ると言う感じではなくてゆっくり飛び跳ねる感じだと思うよ。それに無重力だといろんなものが宇宙船の中でもふわふわ浮いちゃうらしいよ」と言うと、「くうきないの…」「やっぱりいくのやめた…」とあっさり宇宙へ行く事をあきらめた。
 その言葉をきっかけにこんどはドラゴンクエスト「4コママンガ劇場」を手にして、読み始めた。朝から怜王は大変なのである。
 8時50分過ぎ、今日も時間ギリギリまで遊びに夢中で慌てて着替えをしてどうにか部屋を出た。
 妻が戻って間もなくずっと億劫がって腰が重くなっていた(それはS警察署で前回免許の更新をしたのだが、受付にいた視力検査の担当がとても横柄で嫌と言うほど視力検査の時に眼鏡をかけなきゃだめじゃやないか、今回はギリギリだが次ぎは眼鏡だぞ」などとふた回りほど年下だと思うのだがとても感じ悪かった…)運転免許の更新をするため、大田区のD警察署に隣接した免許更新事務所へ向かう。
 目黒から山の手線でとなり駅の五反田に行き、東急池上線で雪谷大塚下車。前回免許更新は平成18年で、世田谷区等々力から目黒区平町に引越した歳の暮れ。つまり怜王が生まれて1ヶ月後にた免許の更新をしに行った。
 前回平町(都立大学)からでもD警察署に行けたが、駒場や豪徳寺などに住んでいるときは当たり前のように免許の更新はS警察署新へ行っていたので平町にいたときはその延長線上にあったのだと思う。
 D警察署に隣接する運転免許更新事務所はどうだったかと言えば、雰囲気がS警察署とはまったく違い、アタリが柔らかく気分を害すること無く新免許証を受け取った。
 時間を見ると11時時半を回った所で、雪谷大塚まで戻り池上線・山の手線で目黒駅まで。東急ストアで怜王の明日のお弁当のおかずなどを購入して帰宅といつものように書きたい所だが、何と今日に限って部屋のカギを持たずに出てしまった。
 妻は卒園アルバムの打ち合わせで、怜王を2時にバス停まで迎えに行く予定があるので遅くとも1時半には戻るだろうがそれまでどうしようと思ったが、マンションから数分で目黒区民センターがあり図書館もあるのでひとまず妻にいつ頃も戻るかと言うメールを携帯に入れた。
 時間を見ると12時半。妻からはまったく返信が来ず…、1時を回った頃「今から恵比寿を出ます」と言うメールが入った。そんな訳で1時間ほど図書館で雑誌などを読んで時間をつぶした。けっきょく1時半に妻が戻り、どうにか部屋に…。
 1時50分過ぎ妻が怜王を迎えに行き、2時15分ころふたりが帰って来た。怜王はいつもより微妙にご機嫌あったが、幼稚園自体はインフルエンザの子が出ていて休んでいる子も多いようだ。
 8時半過ぎ読み聞かせで幼稚園から借りて来た「あめふり」という絵本を読んであげ無事寝かしつけ、僕も妻も用よ空く自分の時間が出来た。
 僕は昨日の延長で「植物頌」をさらに数カット外したりしたが、妻は幼稚園の卒園アルバムの制作担当になっているため印刷所やレイアウトなどかなりHとりでかぶっているようで気の毒である。
 時折声をかけてあげるが、実際制作するのは妻(パソコンが使えて、デザインが出来て、アルバムにするまでのノウハウを知っているのが妻ひとりなので大変さは他の他のお母さんたちには分からないと思う…)なのでかけたひと言がどれだけのものかは分からないだろう。
 怜王を9時少し前に絵本の読み聞かせをして寝かしつけ、僕も12時頃には眠った。だがしかし妻は明日も卒園アルバムの打ち合わせがあると言う事で、Mac相手に画像をセレクトしたり加工したりをしていた。
 早朝4時キッチンが明るいのに気づき起きてみると、妻はMacの前でようやく作業を終えようとしていた。お疲れさまである。
2011年02月02日(wed)  No.441

2月1日

 今朝はゆっくり目の、6時半起床。昨夜同じ部屋で怜王と寝たのだが、「おとうさんとねたい」と言って眠ったのが9時過ぎ。怜王が起きて来たのは7時。10時間睡眠と、十分過ぎるくらい睡眠時間だ。
 怜王が30分の僕より長く寝ていてくれたおかげ?で、ゆったりお弁当を作ることが出来た。
 起きて来た怜王にりんごジュースを飲ませると、おもむろにベイブレードの本を見て「おとうさんは どんな”べい”がいい?」「あたっくがた? でふぇんすがた?」と言う。怜王がベイブレードを始めた頃、個人的に気に入っていたのが「ストームペガシス(http://beyblade.takaratomy.co.jp/information/index.html)」だったのでアタックが良いなと答えると、なぜか「ストームペガシス」ではなく「ポイズンサーペント」の改造モデルを作って来た…。何で?
 8時50分ぎりぎりまでテレビの子ども番組を見ていた怜王は、妻に連れられ元気良く幼稚園バス乗り場へ向かった。
 妻帰宅後9時20分過ぎ、NikonD90を持ち荏原のシトロエン専門店「javel」へ向かう。
 東急目黒線で武蔵小山に出て、アーケードが長く続く武蔵港アマ商店街を抜け中原街道沿いの「javel」に10時到着。Tさんと相談をし、お台場の某所へC6 3.0 HDIに乗り移動。車庫から中原街道に出て、Tさんが軽くアクセルに足を乗せると、新しいC6は飛行機のように背中にGが…。恐ろしいくらいの加速である!
 車中で怜王と同じ歳の女の子さんががいるTさんが、「撮影日和と娘に言うと”さつえいびおれ”って言うんですよ」と言った。怜王も一発に発を「いっぱつ にぱつ」と数年前まで言っていたことを思いだした。
 そういえば一昨日粉雪が一瞬舞ったので、ふたりで雪の写真を撮りに外に出た。出てすぐ信じられないくらい行くがたくさん舞って来て「こなゆき きれいだね おとうさん!」と言った。
 そして昨日幼稚園にお迎えに行ったら、怜王と同じクラスの男の子がふたりよって来て、「きのう ゆきふったよね」とか「ゆきぼくもみたけど きのう じてんしゃにのれるようになった!」と脈絡のない話しを僕にして来た。
 怜王も会話に加わり「こなゆきだよね ぼくしゃしんとった」と言った。その「こなゆき」と言うのは僕が言った言葉で、レミオロメン好きな怜王的には「こなゆき」と言う言い回すが気に入ったようでさかんに口にするのであった。
 お台場某公園へ行くと、いつもいるクルマ雑誌の撮影はまだ行われていなかった。しかしゲートが開いていたのでひとまず中に入り、撮影開始。いつもは撮影隊が数社いて、僕らは端の樹木の近くで撮ることになるのだが、今日は広いスペースを独り占めと言う訳で、C6を公園のど真中に置いて思う存分撮影することが出来た。
 11時少し前撮影終了。目黒の権野助坂近くまでTさんに送ってもらう。時間が早いので妻を読んで外食をし、夕飯の買い物をして帰宅。
 帰宅後撮影して来たデータをMacに移し、フォルダに保存してから1点セレクトし妻に転送。さっそく今月のjavelの今月のトップ写真としてC6 3.0 HDIをアップ((http://www.javel.co.jp/))してもらった。
 1時50分過ぎ、妻が怜王をバス停まで迎えい行った。いつもなら2時10分頃には戻ってくるのだが、今日は2時半になっても時になっても戻らず少々心配になった…。
 ふたりは3時少し前に帰って来た。聞けば幼稚園の同じバスに乗る友だちのお母さんがぎっくり腰になってしまい、通っている子を皆で送って行ったらその家で少々お遊びタイムが生じて遅くなったのだと言う。
 ぎっくり腰は信じられないほどの激痛が走るので、しばらくは安静にしていなければならない。僕は仕事で尾道に行った帰り、新幹線に乗り椅子の背を倒さず疲労のため爆睡してしまい身体が斜めの傾いたまま東京駅に到着。慌てて立ち上がろうとしたらそこで激痛が…。
 駅のホームは高架なのでひとまずエスカレーターで腰をかばいつつ思い機材を背負い、どうにか改札を出てなだれ込むようにタクシーに乗り込んだ。当時初台と言う所に住んでいたと記憶するが、翌日は寝ている状態から彼仇を起こすことが出来ず、トイレに行こうとしても身体が思うようにならず10分くらいかかったと思う。
 独身の頃の話しで、実家を出てひとりで写真の仕事をしていたので病院に行くにも一苦労…。初台坂下の交差点から腰をかばいつつ、山手通りを代々木八幡方向にゆっくり歩き(歩くと言うより、”歩行している”と言ったニュアンスか…)井上病院と言う救急病院にたどり着き治療をしてもらったなと20年以上も前の事が鮮明に蘇った。
 結婚をして怜王が生まれるまで腰痛関係はなりりを潜めていたが、怜王をだっこし始め年に数回整形外科へ通い治療をしなければならないくらいの腰痛を経験した。怜王が2歳から3歳くらいのときの話しだ。
 夕方から夜にかけて、「フォトコンライフ(3月10日発売の45号「モノクロ対談」 http://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/listview/51300.html に掲載予定)」誌編集のNさんとメールのやり取りをする。昨日送ってもらった写真家・福永一興氏との「モノクロ対談(過去から現在までのエポック的な写真が掲載される予定)」のpdfの確認と校了など諸々の確認。
 9時少し前怜王を寝かし付けた後、「植物頌」と名付けた日中シンクロで撮影をした植物の写真の2回目のセレクト(絞り込み)をする。120カットあまりを半分にし、さらに今日10カット削除。イメージを固めた。
2011年02月01日(tue)  No.440

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