ys diary
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1月28日

 5時半起床。怜王のお弁当を作っていると、その怜王が当たり前のように置きてキッチンへやって来た。僕は少々寝不足(昨日寝たのが1時頃なので…)なのだが、怜王は8時半にはねていたのですいみんじかんは9時間で十分な睡眠。さっそく「なんか のみたい」ということで、今朝はグレープジュースをコップに入れてあげた。
 今朝は寝起きに素足でフローリングの床を歩いても、さほど寒い感じがしなかった。怜王のお弁当を作り、水筒を用意した所でシャワーを浴びた。
 8時過ぎ、モノブロックストロボ等の機材とデジタル一眼レフを持ち、撮影に出た。目黒駅から東京へ行き銀の鈴でT出版のKさんそしてライターのOさんと合流し山陽新幹線改札口へ行くと、行きの影響で名古屋新大阪間に遅れが出ていて、東京発はひとまず定時に出るようだが全体的に運行に乱れがあると言う…。
 名古屋グランパスエイトのクラブハウスまでは、新幹線で名古屋まで行きさらに地下鉄と名鉄豊田線を乗り継ぎ三好ヶ丘駅までおよそ1時間。歩いて15分と言う、強行軍…。
 ともあれ行きは状況が読めないのでタクシーでクラブハウスまで行った。そして1時過ぎ、花井聖選手のインタビュー撮影は始まった。
 ファインダー越しに見る花井選手はプロのサッカー選手と言うよりジャニーズ系のイケメンで、撮影をしながらキムタクや中村優一くん(仮面ライダー電王)にビジュアル的に通じるものを感じた。そして花田選手の言動を撮影しながら観察すると、とてもクレバーで自分の行くべき道を21歳のこの時点ではっきり見定めているように思えた。
 話しの中に小さい頃喘息で両親がフローリングの部屋に引越したとか、お母さんから3才ころにサッカーをやったらどうかと勧められ始めたら小学校でハマって、中学生でプロになりたいと思うまでになったと言う。
 怜王は喘息ではないがアレルギーを持っていて、今まで住んでいた所がキッチンのみフローリングで、他の二部屋が畳だったことで、玩具をたたみにこすったりしてかなりハウスダストがある中で5年間住んでしまった事を思い出した。
 もちろん今現在は小学校の事やらいろいろを考えた末に引越をした訳だが、決定打は全室フローリングであると言う事!結果はどうだったかと言うと、数ヶ月後かゆみがなくなり身体を必要以上にかかなくなり、塗り薬も飲み薬ものまずともまったくアレルギー反応が出なくなった。
 お母さんに勧められて始めたサッカーがおそらく喘息を収束し体力がつき、さらに自分からサッカーをもっとやりたいと思ったときからすでに喘息が遠のいて行ったというのだ。
 思えば2年前エスパルスの岡崎選手を撮影したときも今現在喘息もちで、今回ハットトリックを決めたあの輝かしい試合のときも実際は喘息を発症していて大変だったと良いうが、それを我慢し克服して結果を出して行く岡崎選手の気迫には頭が下がる。
 2時過ぎ撮影を無事終了し、帰りは駅まで歩く。全行程下り坂と言うこともあって、10分ほどで到着。順調に切符を購入しホームに行くと、1分もかからないうちに電車が到着したので乗車。
 名古屋駅に到着するとやはり新幹線は行きの影響でダイヤが乱れていたが、15::40発ののぞみに乗車。静岡辺で美しい富士山と出会ったが、座っている席が進行方向右側のB(三人がけの真中…)だったので今ひとつであったがともかく見たときの印象を切り取る。そしてT出版のKさんは新横浜下車、ライターのOさんは東京まで、僕は品川下車でそれぞれ帰路についた。
 新幹線の中で妻と連絡をとると、5時半くらいに怜王とマクドナルドで夕飯を食べる約束をしたと言う。3時40分(雪の影響で5分遅れ)発ののぞみに乗ったので、ほぼ同じような時間に目黒まで行けるがマクドナルドで夕飯は勘弁して欲しいし機材が肩にどっと重量(およそ20キロ)をかけているので合流を避け直帰するると妻に伝えた。
 6時半帰宅。取る物も取り敢えず撮影して来たデータをMacに移し、フォルダに保存。軽い夕飯をとりひと息入れていると、妻と怜王が帰って来た。
 怜王の手にはマクドナルドの、今回のハッピーセットの玩具「スポンジボブ」が…。ハッピーセットもので大事にしているものはほとんどなく、イメージ的にこの「スポンジボブ」の玩具も正直短命に思えた…。
 7時頃だろうか、弟から携帯に連絡がありいろいろな話しをする。気がつくと1時間もしゃべっていた…。
2011年01月28日(fri)  No.439

1月27日

 ”公私共に”ではなく、”私事”で慌ただしい日々が数日続いた。といっても悪い事が続いたのではないが、日記を書く時間が取れずにいたが今日からまた書けそうだ。
 そんな27日の朝、いつも僕が寝ている部屋まで起こしに黒怜王が6時を過ぎても6時半を過ぎても置きてこないので、6時半過ぎ起床。怜王のお弁当を作っていると、7時を回った頃妙ににやついて怜王がキッチンにやって来た。
 いつものようにりんごジュースを飲むと、「あのさぁ くえすとくりあした?」と言いながらおもむろにDSを立ち上げ、さらに「れべる あげた?」とたたみかけてきた。クエストはやってないけどレベルを2上げたというと「えっ2もあげたの すごい!」と言って笑った。
 僕は基本的にレベル上げラーで、先にゲームを進めたい怜王のサポートなので寝る前などにひたすらレベルを上げる作業をするのである。昨夜も零時過ぎから30分ほど、眠気と戦いつつレベルを上げておいたのである。
 8時50分妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ怜王が向かった後Macとプリンターを立ち上げ、すでにセレクト加工済みのデータからまずは1枚テストプリントをする。Photoshopのプレビューで写真の位置位や濃淡の違いをチェックし、ゲッコー”グリーンラベル8×10ペーパーをプリンターにかけた。
 十分に確認をした後、1枚1枚ミスがないよう設定をして10枚のプリントをゆっくり時間をかけて10時半くらいまでに仕上げる。
 出力されたプリントはバライタ紙などのようにしばらくプリント面を上にしておいておき、昼過ぎに集めて厚紙にサンドイッチして空き箱に入れプリント終了。
 しばらくメールのチェックをしたりし、デジタル一眼機材のバッテリーの充電と撮影の準備を行なう。明日は名古屋へ行き、Jリーグ名古屋グランパスの花井聖選手(http://nagoya-grampus.jp/clubteam/players/sho_hanai.html)の撮影があるのである。
 機材をチェックしていていつも持ち歩いている5mの延長コードを、先日購入したプレーステーション3に接続するために使っている事に気がついた。リビングのテレビ台の下からコンセントまでは1mくらいだが、怜王のおもちゃが散乱していて…コンセントの一を確認するのが面倒だったので暫定的に僕の仕事用の延長コードを使ったのである。
 明日は朝8時過ぎに出て、帰宅は夜10時くらいを予定しているので面倒なコンセント探しを始めた。そして意外に近い所にある事が分かったが、プレステ3のメインスイッチがコンセントに入れるだけで通電している事を示す赤いランプが点灯するのが気になったので、コンセントをつなぎっぱなしにしていもオンオフの切り替えが出来るように短めの延長コードに切り替えスイッチのついている省エネの延長コードを購入しに駅前の100円ショップへ。
 100円ショップとはいえこれだけしっかりしているものだと、値段は500円…。少々納得いかないが、目黒駅周辺にこうした小物を売っているのは100円ショッ「プキャンドゥ」くらいしかないのでそのまま購入し帰宅。
 さっそく設置して、5mの延長コードをストロボの脚やアンブレラを収納しているジッツオの大型三脚バッグに入れて準備完了。
 とここまで書いたところで、怜王が妻といっしょに預かり保育を終え帰って来た。時間を見ると、5時過ぎ。日記を書くのは、おしまいにしておこう。
2011年01月27日(thu)  No.438

1月24日

 6時過ぎ、「おとうさん もう6じすぎてるよ…」と言いながら怜王が僕が寝ている部屋やって来た。一昨日はは寝る前に7時まで起こしにこないでねと言ってみたら、本当に7時に起こしに来て「1じかんも 2じかんもまえからおきてて 7じになるのまってたんだ…」と言ったので、待たせるのも可愛そうだし昨晩は何も言わずに寝かしつけた。
 ともあれ6時過ぎであれば良い時間(怜王のお弁当を作るには、これくらいの時間に起きないと間に合わないのである)ということで5分くらいいっしょに布団の中にいてから起床した。
 キッチンへ行きいつものようにリンゴジュースをコップに入れてやり、お弁当のおかずは内外以下を聞いてみると「ぎょにくそうせーじ!」と言うので魚肉ソーセージと豚肉を炒め(醤油味)を作り弁当箱に入れた。
 このところの怜王は相変らず軽快に絵を描いているが、ここ数日本の梱包などに使用するひもをはさみで切り空き箱などに楊枝を射してからげたり、時にはたすきのように自分の身体に巻き付け刀などを背負うようにしばったりして遊んでいる。いろんなことを思いついて、やるものである。
 怜王を幼稚園バスのバス停まで送った妻が帰宅し、9時半仕事場へ向った。妻が出てすぐに目黒川沿いのクロネコヤマトへ荷物の配送へ。帰宅後昼過ぎまでMac前に諸々作業をする。1時半H幼稚園まで、怜王を向えに行く。
 幼稚園に入ると、幼稚園バス(小型バス)はバスは2台とも出発していた。そして園庭には折りかえし戻ってくるバスを待つ子たち、今日の怜王のようにお迎えを待つ子たちが楽しそうに走り回ったりしていた。
 怜王が一番奧の砂場あたりから、凄いスピードで走ってやって来た。担任のS先生に挨拶をして園庭を出ようとすると、1台バスがやって来た。本来なら怜王が乗るバスである。つまり同じバス停から乗る子たちが1列に並んでやって来て、怜王を見つけると数人男の子たちが「おそね ばいばい!」と言った。
 怜王はみんなの方を振り向いて、「おそねって いうなっー!」と言いながら手を振って楽しそう。帰宅後、着替えをさせてからおやつを食べさせた。
 3時過ぎ怜王といっしょに銀行に行き、帰り目黒駅のアトレ内の書店でコロコロコミック別冊「メタルファイト・ベイブレード -世界征服BOOK-」と言う雑誌を買ってあげ、東急ストアで買い物をして帰宅。
 ベイブレードはベーゴマが進化したものだが、いつもベーゴマのベーって何だろうと思っていた。そんなこと調べたこともなかったがネット検索したら「ベーゴマの起源は平安時代の京都の周辺で「バイ貝」という貝ガラに「砂」や「ねんど」をつめて、それを子供がヒモで廻したのが始まり」という説があるらしい。
 そのことを妻に言うと、「ビー玉のビーはBで、B級と言う意味らしいよ」と言った。それは製造現場で言うところの規格外で不良品のB級の玉を「B玉」と呼ぶと言うことらしいが、調べてみるとどうやらビー玉はポルトガル語のガラス玉つまりビードロが語源であるらしい。
 今日の怜王は買い物にも付き合ってくれお片付けもちゃんとやって、なかなか聞き分けが良かった。
 お風呂から出て何を言うかと思ったら「きょうは おとうさんとねる!」というので、8時販推絵本の読み聞かせをして怜王を寝かしつけた。そして12時過ぎ妻と交代し、怜王の隣で眠った。
2011年01月24日(mon)  No.437

1月20日

 昨夜「きょうは おとうさんとねる」と怜王が言うので、妻と入れ替えで怜王といっしょに眠った。といっても怜王が眠るのは8時半ころで僕が眠るのは12時くらいなので、寝ることに関して言えばいつもとかわらないはずなのだが、怜王が言う「おとうさんと」というのは、同じ部屋で寝ることなのである。
 しかし眠るときはリラックマを枕元に置いて自分の掛け布団をかけていたが、朝気がつくとちゃっかり僕の布団にもぐり込んでいた…。
 同じ布団で眠っても良いのだが、問題は寝相が悪いので掛け布団を自分の方に寝返りを打ったときに巻き込んだり、僕の方に寝返りを打つ時ひざが僕の脇腹や腰辺りにヒットしたりとおちおち寝てられない…。
 今朝はそれでも6時くらいまで爆睡してくれてたので、あと30分くらいは布団の中で身体を休めていようと思っていた矢先に寝返りを打ちはじめ、案の定2発脇腹にひざ蹴りが入り…寝ていられずに起床。怜王はそのまま7時過ぎまで、僕の布団のど真ん中で眠っていた…。
 怜王が寝ている間にお弁当(今日はミートボール)を作り、朝食の支度をしつつMacを立ち上げメールのチェックなどを行なった。
 8時50分いつものようにぎりぎりまで着替えをしない怜王は、慌ただしく妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向った。
 帰宅後妻は、幼稚園の卒園アルバムの打ち合せで外出。僕は日本カメラから依頼された作品に付ける150字ほどのキャプションを書きはじめた。
 作品はすでに撮影済みなので依頼項目について書けば良いのだが、決まった文字数それも文字数が少ないのでまとめるのはなかなか難しく昼を過ぎても書き上げることが出来なかった…。
 気がつくと1時を回っていて、怜王が帰ってくるまであと1時間…。いったん書くのをやめメールをチェックしたり、この日記を少し書いたりしてから再び原稿を書き始めると、先ほど書いたモノとはまったく違う書き出しであっさり脱稿!
 そうこうしているうちに、たくさんスーパーで買い物をして妻が帰宅。打ち合せの場所が目黒線の不動前近くで、駅前には「オオゼキ」という大きなスーパーがあり今日は特売日だったらしい。野菜やキノコ、鶏肉や豚肉など大量の買い込んできた。それを見て夕飯は鍋だなと僕が言うと、「わかった!」と妻が言った。
 2時過ぎ妻に連れられ、怜王が帰って来た。毎日幼稚園から借りて来る絵本は今日はと言うシビル・ウエッタシンハ(スリランカの絵本作家らしい)と言う人の描いた、「かさどろぼう(http://kotori-bunko.net/top/omise/season/review/new07/kasadorobou.html)」でちらっとみるととても面白そうな絵本であった。
 夕方CX3を持って散歩も兼ねて、権之助坂あたりをスナップして歩く。目黒川を渡るとこの辺りで一番の高層マンションアトリアタワーの最上階でロープを下ろす人影。そしてしばらくするとそこから窓ふきが始まった。
 僕は高いところが嫌いなのでビルの窓ふきなど絶対出来ないが、このおじさんはスパイダーマンののようにするするロープを下ろし軽快に作業をしていた。しばし様子を見て、数枚シャッターを切った。
 帰宅すると弟Mから、デビッド・ボウイの奥さんアンジー(アンジェラ)との息子(当時はゾウイと呼ばれていた)が、映画監督としてデビューし「日本でも公開されていたの知ってる?」というメールが入った。
 彼の名前はダンカン・ジョーンズ(デビッドボウイの本名はデビッド・ロバート・ジョーンズ)で、調べてみたらデビッドボウイとアンジーはゾウイが9才の頃に離婚し、親権をデビッドボウイが受け継ぎ、子育てをしながら活動をしていたと言う。まったく知らなかった事実である。
 ダンカン・ジョーンズが監督をした作品は「月に囚われた男 Moon」で、まるでお父さんが作曲した名曲「スペース・オディティ(http://www.youtube.com/watch?v=uhSYbRiYwTY)」のようなイメージ。
 夕飯を食べたあとデビッド・ボウイのことを考えていたら、なぜかインドネシア出身でフランスで活躍している”アングン”と言うボーカリストを思いだした。10年くらい前に彼女がボウイの「Life On Mars?」のカバーをしていることを知り、CDを購入しずいぶん聴き込んだことを思い出した。
 アングンの歌う「Life On Mars?(http://www.youtube.com/watch?v=jASepgSUKYo)」は、僕の中でかなりフェバリット度の高い楽曲なのである。 
 8時半過ぎ怜王が借りて来た絵本「かさどろぼう」を、寝る前に怜王に読み聞かせしてあげる。普通の絵本であれば誰かが悪者だったりいけないことをしたりというかんじで物語が進行するのだが、「かさどろぼう」はまったくそうしたニュアンスはなくひたすら優しく平和にストーリーが展開して行く。
 読み終えたあと僕はめずらしく、この絵本を書いた人の別の絵本があったら借りて来てねと怜王に言った。怜王は9時少し前に、たくさんのことを言いながらも深い眠りについたのであった。
2011年01月20日(thu)  No.436

1月18日

 ここ数日日記を書くタイミングを逸していたが、どうにか今日あたりから軌道修正できそうだ。そんな今朝、怜王は相も変わらず6時半過ぎに僕が寝ている部屋にやって来てドラクエIXの進行状況について耳元で話し始めた。ゆっくり聞いてあげたいのはやまやまだが、耳元でしゃべる怜王の声が大きいので…鼓膜がズキズキしてしまい”これは叶わない”とそのまま起床した…。
 起きてからリンゴジュースを飲み終えた怜王はひとしきりDSでドラクエIXをやり、しばらくしてからA4のコピー用紙を何枚も持ち出しリラックマを描いた絵にうす緑の折り紙を矢印のように張り付け、その矢印にはアリのような足が6本…。そして三角の得体の知れない物体!それを見せに来たかと思うと、次は建物の骨組みのようなモノを楊枝を使ってセロテープで止めて作っていた。
 そうこうしているうちに時間ギリギリになり(1時間くらい前から着替えてから遊びなさいと言っているのだが、まったく言うことを聞いてくれない…)、けっきょく着替えるのが精いっぱいで歯も磨かずボサボサの髪のまま帽子をかぶって妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向った…。
 今日は妻は仕事の日。いつものようにMacminiをバッグに入れ9。時半少し前碑文谷サレジオ教会近くの事務所へ。
 僕は昼まで写真を整理をし、簡単な昼食を撮ったあとCX3を持って近隣スナップへ。目黒1丁目上大崎辺りを徘徊し、2時半帰宅。ポストに日本カメラ2月号や各種郵便物が届いていたが、クライアントである1社から確定申告用の平成22年分支払調書が送られて来た。
 大量の領収書を整理しなければならないわけだが、これが終わらないと年度がかわった気がしないと思うフリーは、僕だけではないだろう。
 そう言えば昨夜レンタルビデオショップで借りて来たファンタジー映画、「ザ・シーカー 光の六つのしるし(http://movies.foxjapan.com/hikari6/)」を見た。
 夜6時過ぎくらいに見たのだが、怜王は興味を示さないような感じでテレビで「ポケモン」などを見ていたが、途中妻のMacのモニターを何度も見に来て「ぼくも えいがにでたい」と言った。
 そしてたたみかけるように「あした でたいな」と言う。それは不可能な話しだが、見る人ではなく映画の中で演じることをする人になりたいという言葉はなかなか面白い。
 ちなみに幼稚園の卒園アルバム作りで、”大人になったら、何になりたいか?”という質問を皆に投げかけていて、さまざまな職業を園児たちは言っているのだが、怜王はと言えば「えいがかんとく か かめらまん」なのだと言う。カメラマンが最初ではないのが何とも言いがたいモノがあるが?、どちらにしても映像関係。”蛙の子は蛙”か?
 今日の怜王は預かり(延長保育)で、5時に妻がお迎えに行くことになっている。僕は帰ってくる頃にあわせ夕飯の下準備する。
 5時過ぎに二人が帰って来て、いきなり怜王は「はやく かれーがたべたい」と言う…。早くと言ってもまだ作り始めたばかりで、具材を煮込まなければならないので困った…。そして5分おきくらいに、「あとどれくらいで できる?」を連発…。
 どうにか5時半過ぎに、怜王のカレーが完成。いつも食べている量と同じくらいのご飯で食べさせたのだが、「もういっぱい おなじでたべる」と言うので望みどうりの量のカレーを食べさせた。
 昨日持って来た幼稚園の手帖(出席やお休み、身長や体重を毎月記録したもの)を見ると、昨年引越して7月末日から6ヶ月間の身長はのびたりのびなかったりではあったが結局5センチ近く伸びていた。
 ジャンプしても届かなかったオートロック解除キーを、背伸びをするだけで指先が届くようになったのもうなづける。ちなみに怜王は幼稚園でも小さい方だが、120センチを超えたのである!
 などと思いにふけっていると、妻が10時少し前に早々と寝てしまった…。怜王は8時半過ぎに寝ているので、妻が怜王と同じ部屋で眠った頃よりふだん気にならない音(時を刻む時計の音や、微かではあるが近隣を通過するクルマやバイクの音が聞こえて来た)が耳に留まり、みょうに幻想的な感じ。
 と思いきや、突然怜王が起きてキッチンにやって来てぼんやり周囲を見渡しトイレに入った。トイレから出てくると、やはり一瞬周囲を見渡し元の布団がある方へ行き眠りについたのである…。時計を見ると10時10分。
 僕はこの日記をMacで打ち込みつつ、考えて見れば8時過ぎに強烈な睡魔のに襲われたがどうにか回避。けだるい感じが今日はあるような気がする。
 そう言えば今日の黄昏時、キッチンで僕が座っている場所の後ろの窓から妖しげな月が見えた。今月は20日が満月ということで完全な円形ではないが、「月に雁」という安藤広重的?なその情景に、思うところあり。
2011年01月18日(tue)  No.435

1月18日

 ここ数日日記を書くタイミングを逸していたが、どうにか今日あたりから軌道修正できそうだ。そんな今朝、怜王は相も変わらず6時半過ぎに僕が寝ている部屋にやって来てドラクエIXの進行状況について耳元で話し始めた。ゆっくり聞いてあげたいのはやまやまだが、耳元でしゃべる怜王の声が大きいので…鼓膜がズキズキしてしまい”これは叶わない”とそのまま起床した…。
 起きてからリンゴジュースを飲み終えた怜王はひとしきりDSでドラクエIXをやり、しばらくしてからA4のコピー用紙を何枚も持ち出しリラックマを描いた絵にうす緑の折り紙を矢印のように張り付け、その矢印にはアリのような足が6本…。そして三角の得体の知れない物体!それを見せに来たかと思うと、次は建物の骨組みのようなモノを楊枝を使ってセロテープで止めて作っていた。
 そうこうしているうちに時間ギリギリになり(1時間くらい前から着替えてから遊びなさいと言っているのだが、まったく言うことを聞いてくれない…)、けっきょく着替えるのが精いっぱいで歯も磨かずボサボサの髪のまま帽子をかぶって妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向った…。
 今日は妻は仕事の日。いつものようにMacminiをバッグに入れ9。時半少し前碑文谷サレジオ教会近くの事務所へ。
 僕は昼まで写真を整理をし、簡単な昼食を撮ったあとCX3を持って近隣スナップへ。目黒1丁目上大崎辺りを徘徊し、2時半帰宅。ポストに日本カメラ2月号や各種郵便物が届いていたが、クライアントである1社から確定申告用の平成22年分支払調書が送られて来た。
 大量の領収書を整理しなければならないわけだが、これが終わらないと年度がかわった気がしないと思うフリーは、僕だけではないだろう。
 そう言えば昨夜レンタルビデオショップで借りて来たファンタジー映画、「ザ・シーカー 光の六つのしるし(http://movies.foxjapan.com/hikari6/)」を見た。
 夜6時過ぎくらいに見たのだが、怜王は興味を示さないような感じでテレビで「ポケモン」などを見ていたが、途中妻のMacのモニターを何度も見に来て「ぼくも えいがにでたい」と言った。
 そしてたたみかけるように「あした でたいな」と言う。それは不可能な話しだが、見る人ではなく映画の中で演じることをする人になりたいという言葉はなかなか面白い。
 ちなみに幼稚園の卒園アルバム作りで、”大人になったら、何になりたいか?”という質問を皆に投げかけていて、さまざまな職業を園児たちは言っているのだが、怜王はと言えば「えいがかんとく か かめらまん」なのだと言う。カメラマンが最初ではないのが何とも言いがたいモノがあるが?、どちらにしても映像関係。”蛙の子は蛙”か?
 今日の怜王は預かり(延長保育)で、5時に妻がお迎えに行くことになっている。僕は帰ってくる頃にあわせ夕飯の下準備する。
 5時過ぎに二人が帰って来て、いきなり怜王は「はやく かれーがたべたい」と言う…。早くと言ってもまだ作り始めたばかりで、具材を煮込まなければならないので困った…。そして5分おきくらいに、「あとどれくらいで できる?」を連発…。
 どうにか5時半過ぎに、怜王のカレーが完成。いつも食べている量と同じくらいのご飯で食べさせたのだが、「もういっぱい おなじでたべる」と言うので望みどうりの量のカレーを食べさせた。
 昨日持って来た幼稚園の手帖(出席やお休み、身長や体重を毎月記録したもの)を見ると、昨年引越して7月末日から6ヶ月間の身長はのびたりのびなかったりではあったが結局5センチ近く伸びていた。
 ジャンプしても届かなかったオートロック解除キーを、背伸びをするだけで指先が届くようになったのもうなづける。ちなみに怜王は幼稚園でも小さい方だが、120センチを超えたのである!
 などと思いにふけっていると、妻が10時少し前に早々と寝てしまった…。怜王は8時半過ぎに寝ているので、妻が怜王と同じ部屋で眠った頃よりふだん気にならない音(時を刻む時計の音や、微かではあるが近隣を通過するクルマやバイクの音が聞こえて来た)が耳に留まり、みょうに幻想的な感じ。
 と思いきや、突然怜王が起きてキッチンにやって来てぼんやり周囲を見渡しトイレに入った。トイレから出てくると、やはり一瞬周囲を見渡し元の布団がある方へ行き眠りについたのである…。時計を見ると10時10分。
 僕はこの日記をMacで打ち込みつつ、考えて見れば8時過ぎに強烈な睡魔のに襲われたがどうにか回避。けだるい感じが今日はあるような気がする。
 そう言えば今日は満月ではないが、キッチンの僕が座っている場所の後ろの窓から妖しげな月が見えた。今月は20日が満月ということで完全な円形ではないが、「月に雁」的な情景に思うところもあり、そのことを二人が寝たあと思い出しいろいろ思いを巡らすのであった。
2011年01月18日(tue)  No.434

1月14日

 4時過ぎに目が覚めたが、そのまま動かずにいて5時半過ぎ起床した。布団に入っていても、張りつめた寒さが感じられる朝であった。身支度をしてキッチンへ行き、コップ半分ほどの水を飲む。
 朝早い時間からの仕事の場合、部屋を出る2時間前に起床して食事を済ませておくと言うのが昔からの僕のやり方。それに前日までに撮影機材の点検その他を終わらせておくというのも、長い間崩さない習慣である。
 6時過ぎひとり朝食をとり、キッチンテーブルに置いてあるiBook G4でメールのチェックをし数件返信を書いて送信した。
 それにしてもいつも6時前後にリラックマを持って、寝ている僕の部屋にやって来る怜王は深い眠りについてて起きてこない。面白いモノである。
 以前は朝早い仕事に時は輪をかけて早く起きて来たり、寝たり起きたりを深夜から朝にかけて良くしていた怜王。当然ながら僕は睡眠不足となり、ふらふらな状態で仕事に出たりしていたので今日は何事もなく僕のペースで起床することが出来ラッキーである。
 ラッキーではあるが昨夜テレビの占い(何故か怜王は占い好き)を見ていた怜王が「やぎざ あしたわるいらしいよ」「ぼくの さそりざは1いで おとうさんのやぎざは12い」と、運勢的には良くない日らしい…。そんな怜王は眠そうに目をこすりながら、6時40分頃起きてキッチンにやって来た。
 7時50分過ぎデジタル機材、モノブロックストロボ、ストロボの脚、アンブレラ等を持ち部屋を出る。今日は毎年この時期に撮影しているT社の仕事で、T社社長CSR報告書のインタビュー撮影(ポートレートもあり)で大宮本社へ向った。
 昨日同様だが目黒駅からであると大宮までは、隣駅の恵比寿乗り換えでそこからは1本で大宮まで行ける。以前住んでいた目黒区平町であると都立大学から渋谷まで行って山手線で恵比寿、あるいは中目黒で日比谷線に乗り換えて恵比寿というルートで乗り換えがとても面倒なのである。
 9時大宮到着。タクシーでおよそ20分で、T本社へ。担当のUさんを受付で呼んでもらおうと思ったら税理士でインタビュアーのKさんが一歩早く到着していたので、ふたりでしばらく立ち話をしているうちにUさんがやって来た。
 まだまだ挨拶は「今年も宜しくお願いします」と言う感じで、撮影場所の会議室へ。早速ライティングを始め、早く組めたので5分早い9時55分よりO社長に来て頂きインタビュー撮影開始。およそ30分のインタビュー撮影とポートレート撮影。
 そして本社玄関前の階段の前でCSRに関わる社員の方々の撮影をし11時終了。過ぎ撮影終了。税理士のKさんとタクシー同行し大宮駅まで行き、Kさんはこれから春日部方面でもう1本仕事があると言うので改札を入ったところで別れ11時33発のたりんかい線に乗り込んだ。
 恵比寿乗り換えで目黒に到着すると、時間は12時20分。いつもならこれくらいの時間から仕事は多いのだが、朝早い仕事をすると1日をとても有効に使っている感じがして気分が良い。12時半過ぎに帰宅し、ともあれ撮影して来たデータをMacに移しフォルダに保存した。
 そしてお昼を食べた後、怜王が帰ってくる2時過ぎまでにと撮影して来た写真のセレクトと加工をする。どうにか帰ってくる前に終了。
 今日の夕飯はなぜか全員おなかが空いていて、5時半に食べた。怜王はコーンスープと大きめのシュウマイ2個、そしてご飯を少々。僕と妻はおでんを食べたのだが、ご飯は食べずにおでんのみ。夕飯を食べ終わると、怜王は「きょうは だれとおふろにはいろうかな おとうさんかな!」と言うのでいっしょに入った。
 そして8時半過ぎ眠る前に絵本の読み期かせで、「ゆらゆらばしのうえで」と言うさぎときつねの話し。結局は追いつ追われつのすえ、追っていたきつねが獲物のはずだったうさぎと仲良くなる話しで絵もなかなか斬新で、僕自身が面白がって読み怜王は眠った。
 怜王が眠った後キッチンのテーブルに置いた僕iBook G4でレンタルしているセカンド・シーズンの「フリンジ9」を見る。面白すぎてあっと言う間に収録されている2本を見てしまう。セカンド・シーズンは、10、11のあと2本で合計4作品。永遠に続いて欲しい、と思うほど面白いのである。
 明日は「コダックフォトスクール」あらため「銀座写真塾」、2011年度の初日である。今期は思うところあって6ヶ月のコースで、修了時点で教室の修了展をする予定でいる。
 ただ初日を明日に控え、ひとつだけ終わらせていないことがあるが完了出来るかどうか明日の僕自身のやる気だけにその完了はかかっている…。
 天気予報を見ると、あろうことか…明日は曇天であるらしい…。それでなくとも陽が短い冬で、斜光と陰影が強調されないとなるとなかなか辛い講義&撮影実習(初回に限りイレギュラーで、講義1時間その後撮影実習と言うスケジュール)になるかも知れないが曇天ならそれなりに光が回って晴天下では見えないものも見えるかも知れない。
 どうにかそのあたりを、塾生に感じてもらえたらと思いつつ、11時半過ぎ自分の部屋へ行く。と言ってもすぐに眠るわけではなく、怜王といっしょにやっている(あくまでも僕はサポートだが…)ドラクエIXのレベル上げを少ししてから…。
2011年01月14日(fri)  No.433

1月12日

 5時半過ぎ図書館で借りて来たDS用ゲーム「ドラクエIX」の攻略本を持って、僕が寝ている部屋に怜王がやって来た。まだ外は暗く怜王にあと30分くらいじっと寝てようと言うと、「ぼくだってねむいんだよ」と言った。
 そして気がつくと耳元に顔があって、荒い寝息で眠り始めた。これがけっこう煩く(僕の耳と怜王の顔までの距離はおよそ5センチ…)、ツタンカーメンのようにまっすぐに寝ていてつま先が僕のヒザの少し下辺りでで接触しているため僕も同様まっすぐに寝るしかなくなっていた。
 窮屈だなと少しだけのびをしたところ、右ふくらはぎにこむら返り発症…。飛び起きてマッサージをして痛みを和らげた。僕がそんなことになっているとは知らない怜王は、微動だにせず眠っていた。こむら返りをおさめ再び布団にもぐり込み、30分ほど眠って6時半過ぎ起床した。
 昨日から幼稚園が始まり、今日からお弁当も始まる。お弁当作りも、あと2ヶ月。頑張って作ろうと、第1日目は、ハンバーグ弁当を作ってあげた。8時50分ギリギリまで遊んでいたのでかなり慌ただしく、歯もみがかず時間切れで妻と幼稚園バス乗り場へ向った…。
 昼まで原稿書きをしてから、モノクロプリントを7点ほど持って写真家福永一興さんとの対談をするため四谷三丁目の「フォトコンライフ」編集部へ向う。
 四谷三丁目辺りは馴染みのある場所で、ブツ撮りの写真家二人について勉強をしたスタジオがあった場所。それに写真ギャラリーのルーニーやプレイスM、シリウスなども至近距離。
 対談は極めてさりげなく?福永さんのトークからスタートし、編集のRNさんとライターのKTさんを交え始まり4時半くらいまで行なった。僕と福永さんは話すだけなので大変ではないが、ライターのKTと編集者のRNさんは話したことをまとめると言う作業があるので長時間の対談はなかなかきつかったのではないかと思ったり…。
 長時間で思い出したが、以前「団塊パンチ」の対談撮影で夜7時くらいから深夜1時くらいまでという過酷な撮影であったが、その時の編集の赤田さんは楽しそうにずっと対談の流れに集中していた。
 対談のナビゲーターは六本木のイタリアンレストラン「キャンティ(http://www.chianti-1960.com/index.php)」オーナーで音楽プロデューサー(YMOの仕掛人であり女優風吹ジュンの元夫でもある川添象郎氏)で、対談する相手(僕が撮影した人を列挙するなら)はミッキー・カーチス、加賀まり子、田辺昭知、かまやつひろし、ユーミン、堺正章と川添さんの知り合い(最近ではソルジャ<http://ameblo.jp/soulja-blog/entry-10598594468.html>という若いボーカリストもプロデュースしているので敏腕?)関係が多かった。
 もちろんそんな時間まで仕事をしていたら電車はなくなってしまうのでタクシーで帰ることになるわけだが、それでも赤田さん(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%94%B0%E7%A5%90%E4%B8%80)は楽しそうに不平不満も言わずに楽しそうにやっていたのを思い出した。それにしても赤田さんとはポップティーン(飛鳥新社)のころから、クイックジャパン(飛鳥新社→太田出版)、団塊パンチ(飛鳥新社)、各種単行本とよくいっしょに仕事をした。
 「フォトコンライフ」編集部を後に、福永さんといっしょに行き新宿御苑前で別れ僕はその足で「アイディムフォトギャラリー シリウス(http://www.photo-sirius.net/)」で開催中の、清水哲朗さんの写真展「イネーフ〜Mongolian Smile〜」を見に行く。
 キャラリーには清水さんがいて写真を見た後少々立ち話をして新宿御苑前から丸ノ内線に乗り、四谷で目黒線に乗り換え目黒へ。四谷三丁目〜目黒も南北線と目黒線を使えば、乗り換え1回でリーズナブルな運賃で早く行ける。目黒(駅)がどこに行くにも便利な場所であることを、再度実感!
 夜8時少し前幼稚園から借りて来た絵本の読み聞かせをし寝かしつけようとしたが、布団から出たり入ったりトイレに行ったりと落ち着かず、結局怜王が眠ったのは8時40分頃になっていた。
 怜王が眠った後レンタルビデをショップから妻が借りて来ていたアンジョリーナ・ジョリー主演の「SALT(http://bd-dvd.sonypictures.jp/salt/)」を妻といっしょにキッチンのテーブルに置いてあるiBookのモニターで見る。
 ミラ・ジョヴォヴィッチもそうだが、アンジョリーナ・ジョリーも”冷酷な強い女”がエスカレートするタイプ?で見ていて怖いくらいだ。アイアンマン2で少しだけアクションシーンを見せていた、スカーレット・ヨハンソン(http://www.youtube.com/watch?v=ckN4g1OZzE4)あたりが可愛らしい部分を残した映像か!?
2011年01月12日(wed)  No.432

1月11日

 怜王がリラックマのぬいぐるみを持って僕が寝ている部屋にやって来たので、6時くらいなのかなと思い枕元に置いた携帯を見ると何と4時…。今日から幼稚園ということで数日前から妙にテンションが高く当日になって最高潮に達しているのだろう。穏やかになだめつつ6時過ぎまでいっしょに眠った。
 起きてもテンションが高い怜王は大きな声で話しをし部屋を走り回ったり飛び跳ねたりで、朝とは思えない喧騒の中1日がスタートした…。
 昨日は怜王の幼稚園最後の冬休み最後の日であり僕の58才の誕生日で、僕が履き古したスニーカーをいつまでも履いているのを哀れに思ったのか…、「誕生日のお祝いに靴買ってあげる」と妻が言ってくれたので武蔵小山のABCマートへ家族で行った。
 気に入ったVANS(個人的にメーカーで言うと、VANSとReebokのデザインが好み)のスニーカーは何とサイズが27くらいからしかなく…、普通で26サイズの僕としては今の若いヤツのサイズは普通に27くらいあるのか!と驚いた。それでもadidasで、ギリギリ許せるデザインのスニーカーがあって26のサイズもあったのでそれに決めた。
 が、ABCマートを出る時僕からしてみると”死角”になっていた柱脇に、デザインの美しいReebokのスニーカーが…。替えてもらおうと思ったが、誕生日プレゼントなのと会計も済ませたことでケチを付けたくなかったのでそのままABCマートを後にした。
 ともあれ僕は何足もスニーカーをそろえて日々履き替えると言うことが出来ず、気に入ったスニーカーを壊れるまで履いてしまう。考えてみたら今日まで好きで履いていたVANSのスニーカーは、3年前打ち合せで新横浜のリコーに行った帰りに購入したことを思い出した…。
 さて幼稚園へ行くまでの怜王はといえば、昨夜「あしたのあさ おとうさんとおろにはいる!」と言って寝たので7時過ぎにいっしょにお風呂に入り、朝ご飯を食べ8時半ころより幼稚園の制服を着込んでいたが飛び跳ねたり走り回ったりは継続中で…、テレビを見たりゲームをやったりと慌ただしく過ごし8時50分過ぎ妻といっしょに元気よく幼稚園バス乗り場へ向った。
 怜王を送って来た妻は9時50分、卒園アルバムの打ち合せで出かけた。僕はと言えば明日の対談の仕事の下準備で、モノクロプリントをセレクトしたりデータをチェックし出力したりして午前中を過ごす。 
 そう言えば昨年妻のお兄Hさんから頼まれ、妻と怜王がiPodのアプリ用の動画を撮ってもらった。その本番バージョンがyou tubeにアップ(http://www.youtube.com/watch?v=RShzGPCJJeg&feature=related)されていたのを妻が見つけた。撮影には立ちあっているので(30分くらい回していた)撮影の様子は見ていたが、どんな風に仕上がるのか楽しみにしていた。シンプルで良いと思う。
 今日は始業式なので、卒園アルバムの打ち合せ終了後妻がお迎えに行くことに。昼過ぎ書籍などを入れる透明な整理パックを購入しに、目黒駅前の100円ショップへ。途中打ち合せをしていたお母さんたちとお迎えに行き、ミスタードーナッツで皆とお昼を食べてから帰る」と言うメールが妻から入った。
 それを聞いて僕は肩から下げていたGXR(+50mmマクロ)の電源をオンにし、目黒界隈のスナップを1時間ほどして帰宅。間もなく妻も怜王も帰って来た。
 夕方になって、明日の対談の仕事のナビゲーターの写真家の福永さんから連絡が。そしてすぐにフォトコンライフ誌編集の、Nさんからも連絡が入った。福永さんとは面識があるが、Nさんとは電話でしかやりとりをしたことがないがこまめに電話を頂けるのは嬉しいことだ。
 Nさんからの電話を切って間もなく、再び携帯に着信が。以前T出版編集にいて長い間いっしょに仕事をして来て今現在フリーの編集者としてやっている、Oさんからだった。月末に名古屋ロケがあるとのことで、スケジュール調整のため事前に僕の予定を聞いて来たのである。
 こうして明日から2011年の仕事が循環するわけだが、今年は出だしが今ひとつ遅いなと思っても次第にスケジュールは埋まって行くのであった。
 5時過ぎからお片づけをしてと怜王に言い続けて来たがまったく聴く耳を持たず…、ようやくはいじめたのが7時半過ぎ。15分ほどで片付けが終わり始業式ではあったが絵本を幼稚園から借りて来たので読み聞かせをする。
 今日借りて来たのは、「おばけとなきむし」と言う絵本で、怜王も少し虫歯になりかけているのでリアルタイムな絵本である。いつもなら読み終えると満足してすぐに眠るのだが、朝からテンションンが上がっていた怜王は寝る時間になってもまだまだテンションが下がらないようでなかなか眠ってくれない…。
 8時半を回った頃「おしっこ…」と言って慌ててトイレに駆け込んだ怜王であったが、まだ眠るような気配になく掛け布団をバサバサやったり寝返りを頻繁に繰り返していたが、さすがに9時近くになってその動きは停まり静かな寝息が聞こえて来た。お疲れさまである。
2011年01月11日(tue)  No.431

1月8日

 6時半過ぎ、めずらしくリラックマを持たずに怜王がやって来た。しばらく布団の中で話し、7時過ぎいっしょに起床。
 10時少し前、怜王と妻が幼稚園の卒園アルバムの集まりに出かけた。二人が出かけてすぐ、僕もGXR+50mmマクロを持ち外に出た。朝起きたときとても寒く感じたが、今日は風もなく穏やかな陽気で日だまりはぽかぽかしてとても暖かい。
 目黒1丁目から三田へ抜けるいくつかある急な坂(http://meguroku-net.com/meguro/timei-saka/saka-o.htm)の中の茶屋坂を抜けてスナップをしながら恵比寿へ。東京都写真美術館の図書室へ行き、『ハリー・K・シゲタその人生と写真展(上田市立博物館発行)』写真展の図録を見せてもらう。
 A4サイズで5ミリほどの薄い図録で、表紙はモノクロの女性のヌードで裏表紙はその写真の反転したネガをデザインしたもの。早速本文を読み始めたが、宮武東洋がハリーKシゲタの写真教室に通っていたことくらいしか他の日本人写真家のことは記されていず、期待していた写真の仲間と写っている集合写真等は皆無であった。すこしでも前田寅次の情報が欲しいと思いあしを運んだが、無駄足に終わった…。
 帰りは直接自宅方向へ坂を下らず三田の住区センター前の道を目黒駅方向に(今日も空気が澄んでいるのか、ホテルプリンセスガーデン脇の坂から富士山が見えた)歩き、駅前の交差点を曲がり権之助坂方向に坂を下りつつスナップしつつ帰宅。12時半を回っていたが、妻と怜王は帰宅していなかった。
 1時ふたりが帰って来た。帰宅後すぐに「怜王は何であんなに大きな声で話なさなきゃいけないんだろう…。恥ずかしい…」と妻が言った。二三才の頃無口だった怜王だが、今では朝起きてすぐから寝る直前まで何ごとかをずっとしゃべっている…。つまり幼稚園の春夏冬休みや土日祭日は、朝から静寂は存在しないのである…。
 そんな怜王は帰って来てから『マダガスカル』を繰り返し見て大笑いをしていたが、調子に乗りすぎて木製の丸椅子の上にのってゆらゆら「おどるのすきすき おどるのすきすき みんなも すき!(http://www.youtube.com/watch?v=pmz5mrTSFO8)」というフレーズを繰り返しているうちに丸椅子から落下しお尻を強打し半べそをかいていた…。
 平和なまま1日が過ぎ、8時過ぎに怜王はあっさり眠った。怜王が眠ると急な静寂が訪れ、iBook でyou tubeをと思ったが静寂がはばかれるのでヘッドホンを装着しまずはキャプテンビーフハート(http://www.youtube.com/watch?v=4pDbEQG77yU)、スパークス(http://www.youtube.com/watch?v=pX-N0N6z9kc)、ジェスロタル(http://www.youtube.com/watch?v=rSgfHjLmmj8と聴き込む。どのバンドも10代から夢中で聴いていたバンドである。
 こうしていろいろ試聴してもなぜかビートルズやストーンズなどを見たいと思わないのはなぜだろうか?
 そしてある時期夢中で聴いていたYMO(特にギターの渡辺香津美がサポートしていた頃のYMOが好きなのである。 http://www.youtube.com/watch?v=vEZ3VxGWwjM)を聴きつつ次に何を見ようかとチェックしていると坂本龍一のお嬢さんの坂本美雨にたどり着く。はじめて彼女の歌を聴いたのだが、声がとても美しいことに感動(http://www.youtube.com/watch?v=npJ5mamoHhE)!J-WAVEで話す声は聞いたことがあったが、これほど声質が良いとは思わなかった。
 そして坂本美雨をもっと見ようとチェックしていると、「砂の果実」のタイトルで中谷美紀with坂本龍一の映像が!中谷美紀はもちろん知っていたが、歌を歌っていることは知らなかった…。こちらも良い楽曲に恵まれ、個性的な声質と歌い方で良いと思った(http://www.youtube.com/watch?v=bSFhtKQzoSM)!そうこうしているうちに、二三時間はあっという間に過ぎてしまうのであった…。
2011年01月08日(sat)  No.430

1月7日

 6時半過ぎ、となりの部屋の戸の開く音が聞こえた。そして僕が寝ている部屋のドアを開け、リラックマを抱いた怜王がやって来た。昨日からニンテンドーDSでやっている「ドラゴンクエスト 星空の守り人」の「ガナン帝国領」と言うステージの3人入りボスキャラが倒せないで悶々としていたので、昨夜寝る前に少しだけレベル上げをし#「惰天使エルギオス」と「邪竜バルボロス」を倒してから眠ったので少々寝不足…。
 DSを渡しボズを二人倒しておいたことを伝えると、「えぇーっ!」と驚きながら画面を見はじめた。エアコンのスイッチを入れしばらく布団の中でゲームの進行について話しをしつつ、7時過ぎに起床した。今朝はとても寒い。キッチンへ行き、朝食の支度をはじめた。
 そういえば昨日は予定どおり?、怜王を連れ「ベイ太2号(http://beyblade.takaratomy.co.jp/beyta02/index.html)」でのベイバトルをやりに出かけた。行ったのは有楽町ビックカメラのおもちゃ売り場。
 なぜ有楽町ビックカメラなのかと言うとプリンターのインクとペーパーを購入したかったからで、近さから言えば大井町のイトーヨーカドーもしくは新宿ヨドバシカメラでも良かったのである。
 久々のベイ太2号はと言うとポイントカードに入れ方やシュートの仕方がしばらくやっていなかったのであやふやになっていて、それを真に受けて最初からいっぱいいっぱいのスタート…。6戦ほどやったのだが、シュートする前にベイをスタジアムに落としてしまったり、シュートが弱く時間切れで負けたりでいまひとつの立ち上がり…。
 結局8回ほどの挑戦で、買ったのは1回…。怜王の顔を見るとかなり動揺していて、上手く出来ないことに憤りを感じているような険しい表情をしていた。9回目こそと思う気はなかったようで、「もういいか…」と言ってベイを仕舞った。
 このまま出るのも可愛そうな気がしたのでガチャガチャでもと思いやってみるかどうか言うと、「やる」と言うのでエスカレーター脇のガチャガチャコーナーへ。何をやるのかと思っていると、1回200円の鉱石コレクション。2回やって、「蛍石」と「立体黄鉄鉱」をゲット。怜王は、なぜか石などの光り物が好きなのである。
 今日は正月2日におじゃましたYKさんがこの5日より上野の「フォトギャラリーUC(http://www.universal-color.co.jp/)」で『冬景』と言う写真展をやっているので家族で行こうと思っていたが、妻も僕も「今日じゃなくても良いんじゃない」と意見が一致(家族で行くとどうしても怜王も楽しくないといけないし、となると遊べるところや何かを買ってあげなければならない状況になるので、幼稚園が始まってから妻と行くことに。というのは写真展の会期が2月14日までと長丁場だからである)。
 そんなわけで今日は午後に三人で買い物に出た以外、一日部屋で過ごした。怜王もそろそろ冬休みに飽きて来たようで、ゲームもベイブレードも絵を描くことも散漫になって来ているように思える。
 ともあれ11日の始業式までは、怜王中心で日々の優先順位が決まって行く。僕自身が勤め人ではなく仕事始めはきわめてゆるやかに始まってはいるが、本格的には来週12日に予定されている『フォトコンライフ(http://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/listview/51300.html)』誌の福永一興氏とのモノクロ対談が初仕事となるので流れとしてはちょうど良い。
 そんな今日は7時くらいにお片付けを怜王ははじめ、妻とお風呂にはいり8時過ぎには自分の意志で布団に入りそのまま眠った。昼間僕らにそろそろ幼稚園が始まるから、8時くらいに眠れるようにお片付けした方が良いよと言う言葉をちゃんと聞いて実行しているのだ。
 毎日見ているのでどれほど怜王がお兄ちゃんになっているのか分からないが、背も高くなり言葉使いも大人びて来ているので内面的な部分も成長して来ているのだろう。
 さて明日は午前中幼稚園の卒園アルバムの集まりがあるようで、妻と怜王は目黒区民センターの児童館へ行くようだ。久々に20名ほどのクラスのお友達と会う怜王。きっと楽しいに違いない。
2011年01月07日(fri)  No.429

1月5日

 6時半過ぎ、怜王がリラックマを抱きながら寝ている僕の部屋にやって来た。そして部屋が冷え込んでいるので、慌ただしく布団にもぐり込むと身体を丸めてリラックマをだっこして僕の顔を見てにっと笑った。7時少し前まで会話をし、いっしょに起床した。
 昨年暮れより始まったある仕事がまだ撮り切れていないので昨日撮影を決行しようと思ったら、撮影したい場所が何と昨日4日まで休みと言うことが分かり仕事始めは今日になった。
 と言ってもこの仕事は文部科学省(http://www.mext.go.jp/)から発行予定の「絵本の読み聞かせ」の冊子の撮影で、昨年末水戸の図書館や保育センターで撮影した仕事の延長にある。
 撮影する被写体は僕の妻と怜王が図書館で絵本を探しているシーン、読み聞かせをしているシーン、家でテレビをいっしょに見ているシーン、それに母親が書店で絵本を選んでいるシーンという4カットを撮影すると言うもの。
 10時半過ぎ目黒区民センター内の図書館へいっしょに行き、撮影開始。細かい指示を出すと妻も怜王も緊張してしまうので、絵本をいっしょに選ぶこと、椅子に座っていっしょに絵本を見ることと言うことだけを伝え後は好きなようにやってもらい僕はそれを撮ることに専念。20分ほど撮影をし良い感じで撮れていることを確認し、目黒駅のアトレの書店へ向った。
 アトレでは妻が読み聞かせに良い絵本を探しているシーンを撮るのだが、怜王は「えらんだえほん かうの?」などと言いつつ、自分は自分で面白そうな絵本(動物がうんちをする立体絵本)を見つけけっこうハマって「うんち うんち」と周囲に聞こえるくらいの大きな声で言ってはしゃいでいた。
 ここも怜王が自分なりに絵本を見ていてくれたので、それなりに妻が絵本を探しているカットも順調に撮影することが出来た。
 撮影後は「おりがみがほしい…」と言う怜王の言葉を受けて、東急ストアの2階の100円ショップで折り紙を購入し帰宅。
 今日はここからがハード?で、まずは妻がやっている卒園アルバムの園児が描いた自分の顔と名前を書いたモノを複写(撮影は僕が…)し、それが終わった後ライティングをストロボに替えシビアな複写撮影を妻と始めた。シビアな複写とは妻の母親の親戚筋にあたる前田寅次という写真家の、現在手元にある50点あまりのオリジナルプリントと資料の複写である。
 前田寅次は日本ではまったく無名な写真家(ロサンゼルスなどの博物館などでは写真が収蔵されていたりしているのだが日本まったく知られていないので、妻といっしょになって僕自身前田寅次の遠い親戚にあたりどうにか彼が残した痕跡をたどり写真の歴史に前田寅次の名前を残そうと妻共々思ってのこと)だが、宮武東洋(http://www.cinematoday.jp/movie/T0007263)、ハリー・K・シゲタ(http://museum.umic.jp/jinbutu/data/025.html)など海外で活躍した日本人写真家のひとりで彼らと同じ時代を生きた写真家。その前田寅次の写真が今現在我家にあり、妻といっしょに彼の痕跡をネットを駆使して調べているのである。
 昨年末家族で会った写真企画事務所R社長のT女史から、「オリジナルプリントをデータ化した方が良い」と言う話しを受け手元にある前田寅次のプリントの複写をしたというわけだ。
 そして今朝DRUG21号の寄稿募集を40名近くの今までの寄稿者に送り、DRUG創刊メンバーの大嶋さん横川さんにも21号の締め切り等の知らせをメールで送信した。その中で大嶋さんから以前から知り合いだった写真評論家の飯沢耕太郎氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E6%B2%A2%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E)にDRUGのバックナンバーを送ったら「ジョイントをしたい」との連絡が入ったとの知らせをもらった。面白くなって来た。
 ちなみに日本の写真の始まりという意味で歴史の古い順に写真家の名前を挙げると、上野彦馬(1838-1904)田本研造(1832-1907)前田寅次(1875-1935)福原信三(1883-1948)
SHIGETA.H.K(1887−1963)高山正隆(1895-1981)。いかに前田寅次が、早くから海外に出た写真家であることが分かるだろう。
 妻の母の弟にあたるM写真館館主から送られて来た前田寅次の写真をまず見て、正直僕は驚いた。それは前田寅次が当時日本でもロサンゼルスでも流行っていた「ピクトリアリズム」ではない写真を撮っていると言うこと。それも植物がらみの素晴らしいプリントが残されていて、これらの作品がまったく世に出ていないことに驚き憤りを感じたくらいだ。
 それを見たときから、僕と妻は親戚のおじさんにあたる前田寅次の仕事をこの世に残さなければならないと思いこつこつ調べているのである。
 現在もっとも当時のことに詳しく20年前日本のJICC出版から『日本人写真家たちの航跡』という本(宮武東洋、ハリー・K・シゲタ、前田寅次などの写真と当時の様子を記した文を書いている)を出したデニス・リード氏に妻がアプローチをし、メールでいろいろ情報交換をしている。
 日本人写真家たちのことは1931年発行の『THE PICTORIALIST(LOS ANGELES MUSEUM OF SCIENCE AND ART)』を海外のサイトでネット購入していて、写真家を見ると何とエドワード・ウエストンの「ピーマン」の写真などといっしょに前田寅次の作品が掲載されている。
 さて今日仕事始めでお正月気分は一掃されたわけだが、幼稚園の冬休みが10日まであるのでそれまではどうにも落ち着かない。それに明日は妻の仕事始めで、怜王とふたりきり…。その怜王は「べいたに いきたい」と言っている…。
 「ベイ太」が設置されているゲームセンターや玩具屋で近いところは自由が丘、大井町、有楽町、新宿etc…。明日はそのうちの何処かに、連れて行かなくてはならないだろう。
2011年01月05日(wed)  No.428

1月3日

 昨日は毎年恒例の、HKさん(元C社現在C社EOS学園講師)宅での新年会へ家族で行った。Kさん宅は京浜急行の糀屋にあって、世田谷区等々力、目黒区平町に住んでいた頃より行っているのだがどちらも京急に乗るためにはけっこうな距離があって大変だった。
 ちなみに等々力のときは尾山台から大井町線に乗り大井町。さらに京浜東北線で品川、京急で糀屋。平町のときは都立大学から東横線で自由が丘乗り換えで大井町線で大井町。そして品川に出て京急で糀屋と言う感じ。
 目黒駅からは品川で京急で乗車時間は25分で、尾山台からは52分都立大学からは51分と目黒駅からの方はかなりの短縮なのである。
 が…距離的時間的運賃的にはベストなのだが、京急は特急・急行・普通の振り分けが圧倒的に特急・急行が多く糀谷駅に停まってくれる車両が少ない…。現に昨日も品川で改札を入って運行ボードを見ると4本も糀谷に停まらない車両ばかり…。どうにか糀谷にも停まる車両が来るのが何と12分もあと…。
 ホームで12分も待っていたくないとすぐに来た特急羽田空港行きに乗り、ノンストップで国際線ターミナル国内線ターミナルと行き折り返し急行(蒲田まで各停)に乗り換え羽田に近い糀谷駅到着。
 生まれたときからずっと元旦2日におじゃましているので怜王は我家のように普通に楽しくいられるし、Kさんのお嬢さんのYちゃんとお友達の女の子が怜王と遊んでくれる(後輩カメラマンNくんも家族で来たので、3才になるSくんと並んでプレステでゲームをしたりしていた)ので僕らは集まった皆とゆっくり話したり出来るのである。10時半くらいまでおじゃまし、Kさん宅をあとにした。
 明けて3日、6時過ぎに怜王が起こしに来た。今朝はなぜか手ぶらで、そのまま布団に潜り込むと2度寝をはじめた。それを良いことに、7時過ぎまで眠り、爆睡している怜王を起こさないように起床。
 10時半過ぎ、家族で千葉の実家(幕張)へ。こちらもKさん宅同様今までより圧倒的に移動が楽になり、以前住んでいた都立大学からだといくつかのルートはあるがともに電車に乗っている乗車時間は1時間20分前後で、目黒からだと1時間前後でおよそ20分ほど短縮された計算になる。
 今まで箱の長い乗車時間に怜王が耐えられず、「あとなんこえきはあるの…」と電車が停車するたびに「もうおりたい…」と言われて何処かに出かけると言うことがなかなか出来なかった。だが最近では本を読むことや今日などのようにDSをやるので何事もなく目的地に到着出来るのである。
 実家に着くと、まだ妹の家族はやって来ていなかった。妹たちが来るまでのあいだ弟が僕が暗室に使用していた2階の押し入れからだした段ボール3箱ほどに匹敵するモノクロネガやプリント、そして当時(22才前後なので35年も前のモノばかり…)購入した写真集や雑誌など大量に玄関に山積みされていたのでそれの整理(と言ってもネガやプリントは当然のことながら処分できず、外の物置に保管してもらうことになった)をする。1時過ぎに妹と子3人がやって来て、実家にいる弟とあわせ全員集合でにぎやかとなった。
 大まかに整理をした中で、いくつか持ち帰ってモノがある。それはよく「そんな写真展あったかな?」「覚えてないな?」と言われてしまうカメラ毎日の”アルバム77(プロアマ問わず写真が良ければページを割いてくれると言うカメラ毎日らしいページのタイトルが『アルバム』)”で、まずはニコンサロンで開催されたアルバム77展のDM、そして森山さんたちがやっていたCAMPで77よりさらに選抜された7名による”アルバム7人展(僕は「パンチングボール」と言う作品を発表し、CAMPでの7人展オープニングパーティででカメラ毎日編集長だった山岸さんがやって来たのが印象に残っている)”のDM。
 それに写真の専門学校「東京ビジュアルアーツ」がまだ「東京写真専門学校」と言う名称であった頃取材を受けた学校新聞(発行は1983年4月30日で3号と記されていた)である。そこには「深瀬昌久・森山大道氏に聞く」と言うページもありなかなかしっかりした構成である。
 8時過ぎ妹家族と一緒に実家を出て、JR幕張駅へ。妹たちは稲毛なのでホームは反対側。怜王は千葉行きの電車が来てドアが閉まっても、まだ手を振っていた。
 9時過ぎ目黒到着。帰りにコンビニに寄るとめざとくリラックマを見つけ、「おとしだまでこれかう」と言うので1000円のリラックマのぬいぐるみを購入し帰宅したのである。
2011年01月03日(mon)  No.427

1月1日

 6時過ぎ起床。怜王はまだ夢の中らしく、妻といっしょに寝ている部屋は静寂していた。元旦とは言え、いつもとかわらない朝。メールのチェックをし、昨日仕込んでおいたお雑煮を温め新年最初の朝食の支度をはじめる。
 6時半過ぎ、「おそくなっちゃった…」と言いながら怜王が起きて来た。6時半と言えば十分早い時間で元旦くらいゆっくり寝ていたいと思うところだが、僕自身寝起きは毎日同じにしていたいと思うタイプなので怜王が言う「おそくなっちゃった…」は良く理解出来る言葉。
 7時過ぎ三人でお雑煮を食べ、9時過ぎ初詣に出かけた。まず最初は妻のリクエストで目黒不動尊(http://park6.wakwak.com/~megurofudou/)へ。目黒不動尊までは、徒歩20分ほど。お参りをし、本殿の裏の大日如来像があるのだがとても立派な像で、「かっこいいねこのひと」と大日如来に釘付けになり夢中で写真を撮っていた。
 怜王は2004年11月19日生まれ申年と言うことで、守護神は「大日如来」である。かく言う僕は1953年1月10日生まれの巳年で「普賢菩薩 」。真言宗密教的には、怜王の守護神の大日如来の方が遥かに上の方。と言うより、頂点なのである。
 お参りをし三人でおみくじをひき目黒不動尊を後に、裏道を通り山手通り沿いに歩き大鳥神社へ。ここでもお参りをし、帰宅。と言っても僕と怜王的には外に出ると言うことは、写真を撮ると言うこと。ふたりで、似たようは被写体にカメラを向けつつ…。
 帰宅すると年賀状が届いていたので、出した人やださなかった人からの年賀状を分け、年賀状書きに没頭。この間妻に、HPのトップ写真の差し替えをやってくれた。この写真はDRUG20号に「植物頌」のタイトルで掲載した日中シンクロの植物の写真。
 昨年1年はモノトーンのスクエアサイズの写真で通したので、通常ライカサイズのカラーであるとずいぶんイメージが変わる。
 3時半、年賀状を出しに行く。初詣の時同様GXRに50mmマクロ+PLフィルター装着で、スナップしながらポストのある権之助坂近くまで。帰りもスナップしつつ、遠回りで帰宅した。
 帰宅後怜王はプレステゲームやDSでゲームをしたりしていたが突然「おとうさん ”べいばとる”やろうよ!」と言うので、ベーブレードバトルをしばらくいっしょにやった。
 夜になり夕飯の後僕らにそろそろお片付けしないとねと言われる前に、玩具などのお片づけをやっていた。そして「おとうさんと おふろにはいる」と怜王が言うので、久しぶりにいっしょにお風呂に入った。
 お風呂から出た怜王はひとりでドライヤーで髪をかわかし、言われないまま布団に入った。そして二言三言何かを言っていたが気がつくと静かな寝息を立てて眠っていた。穏やかな元旦であった。
2011年01月01日(sat)  No.426

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