ys diary
<< 2010年11月 >>
sun mon tue wed thu fri sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

2010年11月29日(mon)
2010年11月27日(sat)
2010年11月23日(tue)
2010年11月21日(sun)
2010年11月19日(fri)
2010年11月16日(tue)
2010年11月12日(fri)
2010年11月10日(wed)
2010年11月08日(mon)
2010年11月06日(sat)


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
11月29日

 昨日は池袋の「古代オリエント博物館(http://www.sa.il24.net/~aom/)」で開催されている、「古代メキシコ・オルメカ文明展」を見に行った。これは以前「日本化学未来館」へ行った時に、「ぐるっとパス(http://www.museum.or.jp/grutto/)”2ヶ月以内有効で12月22日まで”」を購入してあるので、それを使用しての鑑賞である。
 「ぐるっとパス」は\2000で購入し、すでに「日本化学未来館\600」「夢の島熱帯植物館\250」「ブリジストン美術館\800」「東京都庭園美術館\200」そして「古代オリエント博物館\500」と行って、入場料の合計は\2350とすでに\2000を越えお得な状態。
 さてドラゴンクエストやファイナルファンタジーの影響で、怜王は”石版”に異常な興味をしめしていたので、実は特別展ではない古代オリエント博物館の常設展が見たかったのだが特別展開催時は常設展は見られないというので今回見に行ったのだが、比較的小振りな博物館であっという間に最後。
 石版らしきものを発見出来ないまま最後のブースにやって来てしまったが、その一番最後の展示が厚みが10センチ天地1メートルほどの石版が!来たかいがあったと思これが石版だよと怜王に言うと、何やらイメージが違っていたようできょとんと石版を見上げするっと出口へ…。
 帰りはサンシャインの中を通り何とひとつ\100と言う値段がついていたプレステソフトの「テイルズ オブ ディスティニー」と「マクロス」を購入。怜王はさかんに首から下げたLUMIXでシャッターを切っていて、撮る姿はまるで僕のミニチュア…。微妙に苦笑いをしてしまうのであった。
 外に出るとゲームセンターの前で巨大なリラックマがいて、怜王がどうしても写真を撮りたいと言うので近寄ると、妻に勧められリラックマと記念写真を撮った。
 さて27日に夕方からタカイシイギャラリーで開催している森山さんの写真展のレセプションへ行き、28日は池袋の古代オリエント博物館へと2日連続で帰宅が遅かったこともあり、6時半過ぎに僕は起床したが怜王は7時過ぎにもぞもぞ眠たい眼をこすりながらリラックマを抱いてキッチンへやって来た。
 そして「えー もう7じ…」と明らかに、僕より後に目を覚ましたことを悔いているふう…。それでも昨日買ってあげたプレステゲームの取り説を持って来ると、楽しそうに読み始めた。
 8時50分過ぎ、怜王は妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ。その間僕は洗濯機に洗濯モノを入れ、枕を干しMacに向った。そして妻が帰ってしばらく経ってから、シグマDPIxを首から下げ近隣スナップへ。
 帰宅後間もなく、DRUG20号が届いた。段ボールを開封すると眩しいほど美しい森山さんの表紙写真!そして裏表紙も。つまり横位置写真を表紙くるっと巻いたような装丁(写真の扱いはどんな風にしてもかまわないと、森山さんからまかされたので大胆にもこうしたデザイン処理をしたのである)にしたのである。
 さて明日30日に届くものだとばかり思っていたので、今日届いたことはとても嬉しいのである。と言うのは明日30日よりワークショップ曽根塾の塾生である古賀無太郎さんとタムロンの千代田路子さんが同じ会期で写真展をすることになっていて、おふたりとも今回20号に作品を寄稿しているので今日DRUGが届けられていれば明日の写真展に本が間に合うからだ。
 もちろんおふたりの作品のことに関して古賀さんは新宿ニコンサロン(http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2010/11_shinjyuku.htm#05)千代田さんは四谷トーテムポールギャラリー(http://tppg.jp/)でと掲載されてあるので、初日に本を会場に置けることは願ってもないことなのである。
 DRUGが届けられたと言うことは、配送の準備をしなくてはならないということ。まずはA5の茶封筒と幅広のテープなどを購入しに目黒駅前まで行き、帰宅後早速宛名書きはじめた。
 2時過ぎ、怜王が幼稚園から帰って来た。今日は幼稚園の同じクラスの男の子が通っているサッカーの練習の見学で林試の森公園へ行くと言うことで、30分ほどジュースを飲んだりおやつを食べたりして再び妻に連れられ怜王は出かけた。
 僕はと言えば宛名書きその他を引き続き行ない3時過ぎに近くのクロネコヤマトへ発送の手続きに行き、帰りは下目黒辺りを昨日同様シグマDP1xでスナップし4時半過ぎ帰宅。
 帰宅して間もなく写真家福永一興氏(http://ambition-photogallery.com/profile.php?id=46)から携帯に連絡が入り、しばし仕事の打ち合せを。
 そして5時過ぎ明日から写真展を開催する千代田さんから、「無事搬入しました」という連絡が。イメージどうり展示することが出来たようで、語気に達成感が感じられ良かったと思った。
2010年11月29日(mon)  No.411

11月27日

 昨日妻がフェッチ以外のソフトをMacにダウンロードしたとたん、ブラウザが文字化けして再起動したら全てのアプリケーションが壊れてしまい何も動かなくなってしまった…。妻は数件の仕事を数日中に仕上げなければならないところだったので、思いもよらないアクシデントとなってしまった…。
 フォトショップやドリームウエーバー、そしてフェッチなどはどうにか修復出来たのだがなぜかフラッシュだけが修復出来ず…妻のテンションは下がりとてもブルーな状態に…。
 この手の問題は僕にはどうにも解決出来ないことで、成りゆきを見ているうちに夜…。端で見ていてもどうしようもないくらい妻が追いつめられて困っているのが良く分かるくらい、現況が厳しい状態になって行った。
 そんなことはおかまいなしの怜王はと言えば、ゲームをやったり折り紙でイカヒコーキを作ろうとして上手く行かず僕に頼みに来たり…。
 9時を過ぎた頃(本当は8時くらいには寝なければ行けないのだが、明日幼稚園が休であることと妻のトラブルの問題があって怜王的にはいつもよりゆったり遊び続けていられた?!)、どうにも切羽詰まった妻を見るに見かねてドイツ人の友人でMacを使ってデザインをしているSWにメールを入れ、助け舟を。
 ひとまずSWにコンタクトをとったことを妻に伝えたがいつ彼から返信が来るかは分からないので、僕自身困りつつも…いつもと同じテンションでいる怜王をお風呂に入れる時間は大分過ぎてしまった。
 そろそろ怜王をお風呂に入れなければと思っていると、メールを送って30分も経たないうちに、奇跡としか思えないスピードでSWから助け舟が!いろいろアドバイスをもらい、妻が挑戦。10時50分無事解決。
 安堵感に包まれ1時過ぎに眠り夢うつつの中、6時半過ぎ怜王がリラックマを抱いて僕が寝ている部屋にやって来た。9時50分頃に眠った怜王の睡眠時間は、それでも8時間半ほどで子どもとしては少ない時間かも知れないが一般的には十分な睡眠である。
 僕はと言えば深夜1時過ぎに寝たので、睡眠時間は5時間半。5時間睡眠は僕としては普通で、熟睡も出来たので寝起きの気分は良かった。10分ほどうとうとしながら話しをし、7時少し前いっしょに起床。
 朝食後昨日アプリケーション壊れてしまい唯一入れ残したイラストレーターを、僕のMacからアーカイブを作りデータ便で妻に転送。無事ダウンロードを完了し、全てのアプリケーションの修復を終えた。
 夕方までMacに向いいろいろ作業をやり、5時過ぎ家族3人で森山さんの写真展のオープニングレセプションへ向う。
 目黒駅から目黒線に乗り麻布十番で大江戸線に乗り換(大江戸線に乗るまでの距離が長いし、かなり深いところまで降りて行くので少々息苦しいのが難…)え、清澄白河駅下車でタカイシイギャラリー(http://www.takaishiigallery.com/)へ。
 怜王が2・3才の頃はどこに連れて行っても何をするか分からないくらい行動がおっかなびっくりで写真展や絵画展などに連れて行くなどとても考えられなかったが、5才くらいから知り合いの写真展のパーティなどに連れて行きはじめたがけっこうちゃんとしていられるので今回は家族で行くことにしたのである。
 タカイシイギャラリーは倉庫を改造したギャラリースペースなので、エレベーターが業務用でとても大きい。それを見た怜王を「すごい!おおきいね おとうさん」と驚いていた。
 5階の会場に入ると、入り口近くに森山さんの姿が。まずは挨拶をしそして怜王を紹介すると前「こんにちは…」と怜王が言うと森山さんも「こんにちは!」と笑顔で返してくれたので怜王は照れ笑いをした。
 DRUG20号が30日くらいに届けられることなどを話し、写真を見て回る。展示作品は半切ほどのプリントで、黒枠がついたものとイーゼルできちんと渕をそろえたもの、それに微妙に諧調や色調が異なるプリントはとても興味深いものがあった。
 それに全て美しい仕上で、独特の粒子の荒れもブレボケもとても美しく感じた。特に”五所川原自動車教習所”のクルマを切り取った写真が良いなと思った。
 しばらく会場で写真を見ているとルーニー(http://www.roonee.com/)のオーナーの篠原さんがやって来たので立ち話を。
 「大きくなりましたね!」と篠原さんが言った。確か怜王が生まれたばかりの頃ルーニーで「曽根塾展」を開催した。怜王はまだ生後3ヶ月くらいで顔はパンパンで髪の毛はまだのびておらず僕がだっこしている状態を篠原さんは見ているので、それから6年経過しているということで「大きくなりましたね」というのは正直なところであろう。
 さらにしばらく会場にいると、篠山紀信がやって来た。さっと写真を見て森山さんと会話をしさっと立ち去った。
 篠山さんと森山さんのツーショットは、ワークショップ写真学校の時に一度遭遇している。写真学校の時というのは、ウイキペディアによると
「1974年4月 細江、荒木経惟、東松照明、深瀬昌久、横須賀功光とともに、それぞれが教室を持つ、寺子屋スタイルの「ワークショップ写真学校」を開講。
1975年 東京写真専門学校(現専門学校東京ビジュアルアーツ)の専任講師として、総合写真ゼミを担当。
1976年3月 ワークショップ写真学校解散。」
ということで最後に記した”ワークショップ写真学校解散”が僕が在籍した森山教室の3期で、写真学校が飯田橋から新宿三丁目のCAMPに教室を移した時に篠山さん人形師の四谷シモンといっしょに踊りながら(四谷シモンは物静かな感じであった)現れた時に見て以来。
 76年僕が参加したワークショップ写真学校森山大道教室が最後で解散ということは、もう34年も前(僕はまだ右も左も分からぬ、23の若造であった…)のことなのである。
 7時半過ぎたころから怜王がギャラリーの中の柱や壁に寄りかかったりと飽きて来てしまったので、ギャラリーを後に(階段で降りて僕が窓から写真を撮ると、怜王もすかさず同じ位置からLUMIXでパチり。ブレてはいるが、感じが出ている!)清澄庭園脇の歩道ながら清澄白河駅へ向う。
 怜王は歩きながら部屋を出る前に自作でホチキスで止めたノートブックを取り出すと、庭園回りのスケッチを描いたり、僕の真似をしてLUMIXでタクシー会社や人気のない道路などの写真を撮ったりして、普通に歩けば7分ほどに道のりを20分ほどかけて駅まで。
 8時半過ぎ帰宅(帰りは大江戸線に乗らず、半蔵門線に乗り大手町乗り換えで都営三田線で目黒までというルート)。
 出かけた時間が遅かったので、怜王を早く寝かせるのをやめ、10時前まで遊ばせてから歯を磨かせて絵本(今日読んだのは妻が小さい時に読んでいた絵本で<ムウくんの「どうして?」>という作品)を読んであげ寝かしつけた。
2010年11月27日(sat)  No.410

11月23日

 6時になっても6時半になっても怜王は爆睡状態で起きてこないので、しびれを切らし6時40分頃に起床した。雨がふっているようで静まり返った部屋には、雨音が聞こえていた。
 6時55分、寝室で妻に話しかける怜王の声が聞こえた…。数分後怜王がリラックマを抱いてキッチンにやって来て、「きょうぼく 7じくらいまで ねちゃったよ…」と言って微妙に不本意な顔をした。
 がいつものようにリンゴジュースを飲み終えると、ゲームをするのではなくA4のコピー用紙を持って来て色鉛筆で絵を描き始めた。絵は怜王の得意分野なのである!平和な休日のはじまりで、7時半過ぎ可燃ゴミを持ってマンション脇のゴミ置き場へ。
 外は霧雨で、こんな日に誰とも会わないだろうと思っていたら、ふたりの通行人とはす向かいの目黒区民センター入り口辺りでふたりの大学生くらいの男の子が立ち話をしていた…。
 そういえば昨夜何気なく「キッズギター」と入力してYou Tubeで検索(怜王が生後4ヶ月の頃にギターを弾く様子をYou Tubeに妻がアップ http://www.youtube.com/watch?v=8BsV3ukTgcU したことがあるのでときおりギターを弾く子どもたちみたりしている)したら、日本の小学生の男の子がロカビリーにハマって家族で演奏をしている動画(http://www.youtube.com/watch?v=wpgVkYfYkZ4)があってしばらくそれを見ていたが、モニターの下の方に「ロカビリー女子高生」というのがアップされているのが目にとまりしばし閲覧してみると、そこには書くぉ見せないように撮影したギターとウッドベースを演奏をする女子高生らしき姿が…。

http://www.youtube.com/watch?v=Weyt0FCgMDk
http://www.youtube.com/watch?v=kukTjsd5KSU
http://www.youtube.com/watch?v=eqzMVxxuVT4
http://www.youtube.com/watch?v=q255fhlTjNo 
http://www.youtube.com/watch?v=NgOhYKshiBE

 ギターとウッドベースを弾いているのが男ではなく女の子であること、いとも簡単そうに弾く余裕の指さばきにどっぷり見入ってしまった。本家本元ブライアン・セッツアー(http://www.youtube.com/watch?v=MPy2eTPUHAU)も驚くに違いない。久しぶりにギター演奏で驚かされた映像であった。
 夕飯を食べている時、「あしたのあさは やきおにぎりがいい」「おべんとうは みーとぼーる」と怜王は言ったが、ミートボールの買い置きが無かったので先日複数作って冷凍してあるハンバーグでも良いか聞くと「はんばーぐでもいい!」と言うのでハンバーグをおかずにすることに。
 怜王は翌日食べるものを、よく予告する。それは食べたいものを言うと言うより、食べたくないものをお弁当に入れて欲しくないからだ。子どものころは野菜は苦手で、甘いものを飲んだり食べたりするのが好きだ。
 大人が思うより栄養であるとかなんであるとかより、自分が美味しいと思う甘みのあるものへの嗜好が強い。僕が怜王くらいの頃は今のように何でもコンビニやスーパーで買えるような環境になく、おやつにきゅうりに塩をふったものやトマト、月に1回くらいの贅沢はようかんくらいでかなり質素だった。
 だいたい食べるものを買いに行くと言うより、朝は納豆や豆腐を売りに来る業者がいて、お昼頃にはロバのパンという本物のロバが蒸しパンが入ったショーケースを引いて来てメロンパンなどを売りに来たのでそれを買ってもらって食べた。
 僕らこどもはロバのパンが去った後、道路にしていった糞をかたづけそうじをすること。当時僕は埼玉の川口(十二月田(しわすだ)小学校近く)に住んでいて、家の前はクルマもほとんど通らない平和な鳩ヶ谷街道。
 9時過ぎ怜王を寝かしつけ、そのあと読みかけの文庫本を手にとり読み始めた。読み始めた本は実家に帰った時に弟からもらった、池波正太郎の随筆「江戸前食物誌」。
 11時くらいまでキッチンで読み、妻はといえばビーズでアクセサリーを作っていた。眠くはなかったがまだまだ読みたかったので寝室へ移動し、1時間ほど読み進め眠った。池波正太郎の書くものは庶民的な視点で描かれているので、これなら僕にも作れるかなと言った食べ物も多い。
 2/3ほど読み進めた時点で作ってみようと思ったのは、半分に切った茄子をごま油をぬって焼き辛子醤油で食べるというモノ。想像しただけでも香ばしく、酒の肴にはぴったりのように思えた。
2010年11月23日(tue)  No.409

11月21日

 5時45分過ぎ、怜王がリラックマを抱いて僕が寝ている部屋にやって来た。これは早いと思い、6時になるまで寝ていようと言うと微かに笑ってそのまま深い眠りに…。あまりに早く眠ったので僕の方が拍子抜けして眠れず、30分歩横になってからくらひとり起床した。
 怜王は7時過ぎに起きて来て、「あああ ここがいたい…」と右ひじあたりを指さした。眠っている時に右腕をしたにして身体の体重がかかりしびれてしまったようだ。しばらくしたら治るよと言ってなだめる。
 リンゴジュースを飲み終えると、ニンテンドーDSをキッチンに持って来て、ポケモン「ブラック」をやり始めた。DSのポケットモンスターの最新ソフト「ブラック」「ホワイト」と2本発売されていて、「ホワイト」は妻と西宮の実家に行った時におじいちゃんから誕生日プレゼントとして買ってもらい、「ブラック」は僕の妹からの誕生日プレゼントでもらった。
 僕らからは誕生日の日が金曜日で幼稚園があったので連れて行けなかったが、昨日浜松町にある「ポケモンセンター(http://www.pokemon.co.jp/gp/pokecen/tokyo/)」に連れて行き、誕生日の子たちにはポケモンセンターからプレゼント(http://www.pokemon.co.jp/gp/pokecen/birthday/#04)がもらえる。そのプレゼントといっしょに、「ブラック・ホワイト」の攻略本をプレゼントしたのである。
 たくさんプレゼントをもらいポケモンセンター内のモニターに誕生日祝いに名前が出てるのを見、「ポケモンバトリオ(http://battrio.com/index.shtml)」をやって十分楽しんで「ポケモンセンター」を出た。
 怜王の誕生日は11月19日だが、世の中はすでにクリスマスに向けてあちらこちらにデコレーションが。ポケモンセンターが入っているビルを振り返ると、映り込みの美しい被写体に出会えたのでさっそくCX3で撮影。
 この日大森に少々用事があったので浜松町から京浜東北線で大森駅まで行き、用事を済ませマクドナルドに入り(たまごっちの玩具がもらえるので…)軽く昼食をして帰宅。これで怜王の6才の誕生日祝いは、無事?終了。
 ようやく寒くなって来たとは言え今朝なども寒い寒いと言うほどでもなく、素足でいてもとりたてて寒さが気にならない。今年はいつ梅雨が始まって終わったのもわからないまま夏になったと思ったら信じられないくらいの猛暑で、いつまでも暑さが続いて9月になり10月になって気がついたら11月も半ば過ぎ…。
 今日はまる1日、部屋を出ずにいた。こんな日は珍しい。そんな日、加賀ハイテック(コダック)から封書が届いたので何んだろうと開封してみると、何と「コダックフォトサロン」が「スポットフォトサロン」に移転(来年4月から)し新しい経営方針でスポットが引き継ぐことになり「コダックギャラリー」と名称も変わると言う…。
 今年の9月より「コダックフォトスクール」からコダックとスポットが撤退し、名称が「銀座写真塾」と変わり運営が講師個人となったのと同様のケース…。
 つまりコダックはユーザーとの接点であるギャラリーとスクールを手放さざるを得なかったということで、何とも残念である。
 考えてみると高校生の頃考えていた芸術(文学・絵画・音楽)のもっとも理解しやすいと言うか伝わりやすいのが音楽で、次に見れば分かる絵画、そして読まなければ理解出来ない文学という受け手からの視点を発信するクリエーター側から考えてみると、全てが手作業(アナログ)であり写真もまたアナログであった。
 中でも歴史が浅く1世紀ほどの間に急激な変化のあった写真の銀塩からデジタルへの表現領域の移行は、あまりにも加速がつきすぎてすでに僕などはフィルムに戻れない状況にある。
 カメラが高価だった頃置け根持ちしかカメラを持てずに多くの写真家は裕福な出であるという時代が終わり、写真そのものを問う時代が1960年代後半から始まりデジタルが一般的になりはじめた2000年以降、シャッターを切れば奇麗に写せる時代に突入しいかにも安易に撮れそうな写真が実は誰でも写せるからこそ「写真とは何か?」が本当に問われる時代に入ったと思う。
 しかし高価で高性能な機材があれば誰でも写真は上手く撮れるという幻想(これは作例写真と作品ほとの開きがある)が表面的には感性を追い越しているように見えるが、その実決定的な事実は銀塩時代から変わらずにいるどんな機材を使用してもカラーでもモノクロでもフィルムでもデジタルでも機材は機材であり知識も知識で、もっとも重要なことは写真を撮ると言うことへの強い願望と意欲そして行動力ではないだろうか?
 たとえば僕自身の体験的な話しで言うなら、ある広告代理店の某人物から「ソネさん写真の撮り方教えて!今不景気だからカメラマンさんに頼めないときは、僕らで撮ることになって…」と言われた時、いくらデジタルの時代でフィルムの色温度や光源を気にせずに撮り、あとでフォトショップなどでレタッチ出来るとは言っても写真を撮ると言う行為に至る意識が違う人たちが撮影しても僕らの変わりには到底なれないと思ったからだ。
 もちろんその広告代理店の人には必要最小限の撮影テクニックを伝えたが、とんでもない時代、につまり本末転倒した時代になって来たなとその時思った。
 大袈裟な言い回しではなく「写真」イコール「コダック」と言う時代に写真をはじめた僕は、トライX+D76(現像液)と共に30年近く歩んで来た。そのトライXの生産ラインが後発のT-MAXと同じ生産ラインの工場に変わり、さらにトライXの現像時間その他が微妙に訂正されたあたりから銀塩への危惧を僕は持ち始めた。
 そしてコダックのモノクロ印画紙の製造が打ち切られてから、ここ数年でコダックモノクロ関連のシェアは急速にトーンダウンして行った。
 今日の加賀ハイテックからの封書の内容には、いろいろ考えさせられるものがあった…。
2010年11月21日(sun)  No.408

11月19日

 6時ちょうど怜王がリラックマを持って僕が寝ている部屋にやって来て、布団に潜り込んで来た。手足が少し冷たく、お腹くらいしか布団をかけずに寝ていたのだろう。生まれたばかりの時、いくら布団をかけてあげても蹴飛ばして、手足が冷たいまま平気な顔で眠っていたのを思い出した。
 10時半過ぎ、GRDIIIとCX3をを持って撮影に出る。山手通りを中目黒駅方面に歩き、目黒警察署前の横断歩道を渡り中目黒4丁目周辺を2時間ほど撮影して12時半帰宅。近隣での撮影ではあるがことのほか充実した2時間で、納得出来るカットを少なくとも5カットは撮影出来た。
 昨日は昼の1時間をかけて部屋に3ヶ所あるテレビアンテナ(東急ケーブルテレビ用)の工事を、東急イッツコムが行ないに来た。マンションオーナーの意向でインターネットを無料で使えるようにするのと電波障害等の改善と言うものだが、ネットはすでに繋げているのでそのあたりの意味もないし電波障害もこの部屋に入る前にオーナーがすでにケーブルを引いてくれているのでそれもこの工事には意味がない。
 しかしインターネット環境に無い人にとっては無料で回線が使えるのと、長く住んでいる人たちにとっては電波障害(マンション近くに清掃工場があり巨大な煙突があるため、この一帯にテレビの電波障害があるという)であるノイズのカットのメンテナンスは嬉しいこと。
 意味があっても無くてもマンション16世帯分の全ての部屋のテレビアンテナにイッツコムのモデム装着をオーナーが決めたので家はやらないと言うわけにはいかない。やらないあるいはやりたくないと言うのは、この部屋の中にあるテレビアンテナの回線は3ヶ所で、メインでテレビにつなげている場所はすぐに工事にかかれるが、他の場所は冷蔵庫を置いてしまっていたりタンスを置いてしまっていたりするのでそれを移動させるのがかなり面倒…。
 昨夜のうちに僕が寝ている部屋の可動式ラックを移動させスペースを作り、さて冷蔵庫はと言うと冷蔵庫は僕の背の高さ以上あり非常に重いので作業員が来てから手を借りて移動するしかなかったのでそのままにしておいた。
 結果的に作業員2名と僕の三人で20センチほど前に出し、作業終了ののち三人で元に戻した。そして何が変わったかと言うと、LANケーブル用のモデム(無料)が設置され、LEDがチカチカ点滅していること。
 すでに無線LAN環境なので、ひとまずの設置(8Mbpsと小容量のモデム)も我家にとってはほとんど意味のないこと…。
 そして今日はと言えば怜王の6才の誕生日ではあるが、ガス設備定期保安点検がある日で午後1時半から3時半の間と言うかなりアバウトな時間設定(もう少し点検の時間を絞って欲しいが…)で、午後の微妙な時間帯…。部屋の中でいつになるのか分からない時間を待つのは、少々辛いものが…。
 と思っていたが、予定の1時半より15分速い時間に検査員がやって来て、三ヶ所を5分ほどで手早く検査をやってくれた。昨日のケーブルの工事が1時間と長丁場だっただけに拍子抜けするくらいの速さで、ほっとした。
 1時半過ぎ、幼稚園の卒園アルバムの打ち合せから妻が帰って来た。2時少し前その妻が幼稚園バス乗り場へ怜王を向えに行き、2時10分過ぎ6歳になったばかりの怜王が意気揚々と帰って来た。
 早速誕生日プレゼント(DSのポケモン「ブラック」)を手渡し、おやつを食べさせてから3人で誕生日祝い(記念写真を撮るため?)のためのケーキや夕飯のおかず、手渡したプレゼントに必要なポケモンの攻略本などを購入しに出かけた。
 4時半帰宅、いろいろ準備をし5時「6」と言う数字の入ったカップに入ったプリン(怜王は生クリームが苦手なので、普通のケーキはNGなのである)やキャンドルをデコレーションし記念撮影(機材はGXR+GR50ミリマクロ)。そのご時間は早いが、夕飯を三人で食べた。
 7時までに妻と怜王あはお風呂に入った。いつもより早いがテレビで「ハリーポッター」をやると言うので三人で見るためである。この「ハリーポッター」あれだけレンタルビデオショップに行っているのだが一度も見たいと思わず、今日が初ハリーポッターなのである。
 …面白い。…CGも素晴らしい!と言うわけで11時まで3人食い入るように見て、11時過ぎに眠った。
2010年11月19日(fri)  No.407

11月16日

 昨日朝6時くらいに起きるまで、何度も見た夢を見た。それはいつもとまったく変わらない日常の中で、電車に乗ると見慣れた駅に着く。たとえば有楽町駅に行かなければ…と思うと自然に電車に乗っているのだが、それがどこから乗ってと言うところがいつも欠落していて、気がつくと有楽町に向っているはずの電車が周囲が山だらけの無人駅に着いたり、降りようと思うとおりるべき駅で電車が止まらず思いもよらない場所に連れて行かれるといった夢であ。
 この夢ずいぶん昔(20年くらい前…)から見ていて、同じくらいよく見る夢が友だち同士で旅行しているはず?なのだが気がつくと皆とはぐれていて、どんどん皆と遠ざかって行き自分がどこにいるのか分からなくなると言う夢…。シチュエーションは違うが何処かニュアンスに共通したものがあり、どうしてこういう夢を見るのだろうと乙も思う。
 子どもの頃は毎日のように三叉路にレンガ塀の正面に5才くらいの僕がいて、じっと三叉路を見ている風景を何年も何年(6年くらい)も毎日のように見続けた…。つまり小学生の6年間全ての日に見ていたような気がする。
 これって何なのだろうと思うが、三叉路の夢の記憶は「MAHIRU-白い影の記憶-」という作品としてキヤノンサロンで写真展をやり夢の中から吐き出した。それは三叉路と言う実態がはっきりしているから写真と言う形態で残すことが出来たが、今回ばかりは夢遊病者のような夢の世界でまったく取りつく島がない…。
 今朝の夢では前記したように有楽町駅に行くつもりが、おそらく信州の甲府駅とか軽井沢駅に酷似したと景色が脳裏に焼き付いていた…。夢なのでどそれほどシビアに考えなくても良いと思うが、なぜいつも目的地に行けないのか…そのあたりが嫌な感じなのである。
 しかしこういて言葉として書き出して行くと、何かの警告であるような期もするが何に対してのものか分からない。
 今朝もと言うより嫌な夢だなと思って目が覚めたのが、2時半過ぎ…。その夢は知り合いのOさんとドイツ人の友人のSから携帯に留守電が入っていたので再生すると、Oさんからは「どうしたんだよ…」Sからは「ソネサン コマルヨー、チャント キテクレナイト…」と言う…。
 折り返しMOさんにかけて見ると出ないので、Sにかけると「ソネサン ナンデキテクレナカッタノ…。コレジャイッショニ シゴトデキナイヨォ…」と言う…。
 仕事の依頼をOMさんからもSWからも受けた記憶がないので何とも返事のしようがなかったが、どうやら夢の中の僕は仕事をすっぽかしたようなのだ…。
 正直これまでそんなことはしたことはない(もちろん仕事に支障のないほどの遅刻は、30年間の中で数回あったと思うが…)わけだが、昨日見た夢と重ねあわせると「これからの行動(仕事)を慎重に」と受け取れる。
 実際今日まっさらな状態からスタートしそうな仕事の打ち合せが午後からあるが、それにしても2日連続でへヴィな夢を見たものだ…。
 5時50分頃、例によって怜王がリッラックマを抱いて僕が寝ている部屋に来て布団に潜り込んで来た。開口一番「ふぁいなるふぁんたじーの…」と、頭の中はファイナルファンタジー12のことばかりだが何だか毎日楽しそう。10分ほど布団の中で今日やるべきファイナルファンタジー12のこと?を話し、いっしょに起床した。
 昨夜から熱が出た妻が、今朝起きて来てとても調子が悪そうな様子…。朝お風呂に入った後も具合悪そうなので、幼稚園バス乗り場のお母さんに連絡をしてもらって今朝は僕が幼稚園に怜王を直接送って行くことに。
 バス停まで送るのであれば8時50分に出ることになるのだが、幼稚園に直接送って行くのであれば部屋を9時20分前後にでればよいので後者を選ぶ。9時15分怜王を連れて幼稚園へ。園内にはすでにたくさんの園児が遊んでいて、ホールでは同じクラスの数名の子たちが何やら慌ただしく動き回っていた。
 そこに担任のS先生がやって来て、「今日は本格的な版画をやるんですよ!」と言う。のぞいてみると版木の上に紙を乗せ、バレンで擦ったりしながら準備をしている子たちがすでに10名ほどいた。確かに本格的な版画制作で、幼稚園とは言っても侮れないなと思った。怜王を先生にお願いして幼稚園をあとにした。
 妻は怜王が出かける前から別室で仮眠をとっているので、たまった洗濯物を洗濯機に入れ2回洗濯をした。
 朝から横になっていた妻が1時35分頃起床。熱を計ると37.3度。着替えをし、1時50分幼稚園バスのバス停に怜王を向えに行き2時10分過ぎふたりが帰宅。怜王は手を洗いおやつを食べる前にファイナルファンタジー12をオンにし、テレビの前に座ってまずは画面を出しじっと眺めてからお菓子を食べ始めた。
 3時15分過ぎ、打ち合せのため六本木某デザイン事務所へ。1時間ほど打ち合せをし、事務所をでた。
 帰宅しポストを見ると、いくつかの郵便物の中に森山さんから写真展の案内(210mm×150mmとかなり大きいDMであった!)が届いていた。タイトルは、『TSUGARU』で、タカイシイギャラリー(http://www.takaishiigallery.com/)での開催のようだ。見に行こうと思う。
 6時過ぎDRUGのDTPをやってくれているNくんから、「明日の午前中最初のプルーフ(色校)がでるので、見ていただけますか?」と言う連絡が携帯に入った。20日前後に印刷完了で寄稿者に送りたいと思っていたので、もちろん時間を作って出向ききっちり校正するつもりだ。
2010年11月16日(tue)  No.406

11月12日

 昨日は妻の仕事が夕方からで帰宅が零時前後になるということで、夕飯を作りお風呂に入れ幼稚園から毎日借りて来る絵本を読んであげて怜王を寝かしつけたのが9時過ぎ。
 8時には寝よう(幼稚園からもそう言われている)ということにしているが、夜6時から8時の時間帯に怜王が見たいアニメ(ドラえもんやポケモンなどetc)がありそれを見て終わってからお風呂に入るのでどうしても8時半くらいになってしまう。
 かといって早めにお風呂に入れると湯冷めしてしまうので、結局寝るのは9時近くになることが多い。それでも6時くらいまで眠れば9時間睡眠。子どもは10時間以上眠らないといけないと言う話しもあるが、9時間前後寝ていれば十分だ。
 そんなわけでいつもは妻と怜王が同じ部屋で眠るのだが、昨夜は僕と怜王でいっしょの部屋で眠った。5時半過ぎ夢うつつな怜王が、悲しそうな顔をしてしくしくし始めた…。
 どうしたのかと思い声をかけたりしたが、どうやら悲しい夢でも見ているようで眼を閉じたまま何かを口にするが真っ当な言葉にならずに意味不明…。しばらく頭を撫でたり背中をさすったりしたが、そのまま静かな眠りについた。
 6時過ぎしっかり目を覚ました怜王は、何事もなかったようにリラックマを抱きキッチンへ。僕もいっしょに起きて、まずは怜王にリンゴジュースを飲ませたのである。
 怜王のお弁当を作り、タイミングを逸し…1週間分のゴミ(可燃ゴミ不燃ゴミ合わせて45ℓのゴミ袋3つ…+ワインなどビン)をマンション脇のゴミ置き場(ゴミの収集は分別で曜日が決まっているが、ゴミ置き場にはいつ出してもOKなのである)へ持って行く。
 今朝の怜王の朝ご飯は、朝食シリアル「ココくんのチョコワ」。朝食をいつもあまり食べたがらない怜王だが、シリアルは自分から食べたいと言う。8時50分ぎりぎりまで「ファイナルファンタジー12」や「チョコボの不思議なダンジョン」などをやっていた怜王は、慌ただしく妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向った。
 今週は仕事が入っていなく、いつになくゆっくりさせてもらっている。そんなわけで怜王が帰ってくるまで、ファイナルファンタジー12のレベルをあげること(けっしてボスを倒すことなく、淡々と着実に闘い経験値を増やす)に集中する。
 2時過ぎ怜王が妻といっしょに帰って来た。第一声「おとうさん いまれべるいくつ?」と言うので、自分で見てご覧というとスイッチオンでテレビの液晶を見て、「えっ すごーい! ゔぁんが れべる36!」と驚喜した。
 5時少し前月刊カメラマンの編集長を長く勤め夏に退職をした、日比野さんの「新しい門出を祝う会」に出席するため銀座へ向う。日比野さんとは月刊カメラマン創刊頃よりの知り合いですでに32年ほど付き合いが続いている。目黒駅まで家族で行き僕は山手線に、ふたりはマクドナルドへ。
 「新しい門出を祝う会」の受付は6時半なのでまだまだ時間はあったが、会場となる「銀座st5ガーデン」にほど近い「ブリジストン美術館」に寄ってから行くためである。
 山手線で東京駅まで行き、八重洲口から「ブリジストン美術館」へ。現在開催の特別展は『セーヌの流れに沿ってー印象派との日本人画家たちの旅(http://www.bridgestone-museum.gr.jp/)』で、見たい画家の作品は以前一度見に行った「ひろしま美術館」収蔵のシャガール「河のほとり」なのだが、挿絵などで有名な蕗谷虹児(ふきや こうじ)のパリを描いた作品が数点あるのを見て見ておきたくなり出かけたのだった。
 シャガールの「河のほとり」は本当に素晴らしく、絵の前に立つとほれぼれし時間を忘れてしまうくらい見入ってしまった。ふと気がつくとすでに6時過ぎ…。銀座の「st5ガーデン」まではあるいて15分ほど。
 ブリジストン美術館を出る前に、守衛さんに声をかけ、入り口にある「天使像」を撮影した。この天使像高校生の頃から好きで、これを見たいがために学校帰りにブリジストン美術館まで行った。
 ちなみにこの天使像ベルリンの「旧ナショナルギャラリーに同じ作品があると言う記事を検索で知り調べてみると、確かに同じ作品でとても奇麗な状態(http://www.abaxjp.com/rauch-begas/rauch-begas.html)なのに驚いた。
 以前は外に置かれていて入館しなくとも見ることが出来たが、今は美術館内の入り口に置かれていて、その前に守衛さんがいるので撮らせてもらえるかも知れないが入館しないと撮らせて欲しいと言いにくい場所にあるので、開催を見太その足で帰り際に守衛さんの承諾を得て撮影。
 「銀座st5ガーデン」へ。会場にはスーツをびしっと着込んだ日比野さん、それに奥さんと背の高いお嬢さん。お嬢さんははじめて会ったのだが、とても清楚な感じでの女性だった。
 7時から始まった会は9時過ぎまで行なわれ、そのあと並木くん(http://namiki.lightparty.jp/)、諏訪くん(http://www.lightparty.jp/)、それからアシスタントであった小柳くん(http://homepage3.nifty.com/airwolf/)3人と二次会へ行き零時過ぎ帰宅。
 そういえば長い間リニュアル状態であった諏訪くんが主宰する「写流(http://www.sharyu.jp/)」がオープンした。ここには僕もイタリアで撮影した作品を置いてあるので、興味のある方はぜひ!
2010年11月12日(fri)  No.405

11月10日

 6時ちょうど、怜王がリラックマを抱いて僕が寝ている部屋にやって来た。そして布団に乗るなり「あっ…」と言ってシーツの下に敷いたでこぼこしたシーツパッド(ブリジストン)を触り、「こんなのがよかったんだよね」と言うので怜王くんの布団のシーツのしたに敷いてあげようか?というと嬉しそうにしたので早速となりの部屋の怜王の敷き布団に敷いてあげた。
 怜王は朝からファイナルファンタジー12のことばかり口にし、「ばるふれあ とおなじくらい あーしゃも えっちぴーが1000いじょうじゃないと だめなんだよね?」であるとか…、僕は起きると怜王のお弁当を作ったりするので手が離せない状態だが怜王はそんなことはおかまいなしでたたみかけるように話しかけて来る…。
 それをどうにかさばきつつお弁当が完成すると、「おいもがたべたい…」と言うので作りおきの冷凍のスイートポテト(サツマイモをゆでミルクと砂糖でペースト状にしてお団子にした)を冷蔵庫から出し、レンジで解凍し温めて食べさせた。
 がピンポン球くらいの大きさのモノがひとつしか在庫がなかったので、お粥を作り昆布だしとカルシウムたっぷりの煮干しかたくちいわしを粉末状にしたものを混ぜで味出しをして食べさせると「ちょっとしおあじが…」と言うので塩をひとつまみふりかけてあげると「おいしい!おいしい!」と言って一気に平らげたのである。
 幼稚園に行くまでの1時間半ほど怜王はプレステにかじりつきでファイナルファンタジー12をやり、一度行ったことのある街に引き返し武器屋や魔法屋で何やら購入していた。そして「おとうさん りふれが のまほう どこにもないよ…」と言う。他の街にあるかも知れないから、いまクリアしないと進めないエルダードラゴンを倒さなきゃと言うとオズモーネ平原からギーザ草原抜けゴルモア大森林へ向ったところでタイムリミット。
 幼稚園バッグを持ったりし始めたところにヤマト運輸から荷物が届いた。怜王には言わなかったが、注文していたランドセルが届いたのである。8時50分妻に連れられ、元気よく幼稚園バス乗り場へ向った。
 ふたりが出た後梱包を開きランドセルを出してみると、とても丁寧な作りの美しいランドセルが入っていた。思わず数カット撮影した。
 午後から銀座写真塾2011年曽根陽一教室(スナップ)の第1期塾生募集(半年コース)の案内を送付するため切手を購入しに目黒通りのローソンへ行き、帰宅切手を封筒に後貼する。
 そうこうしているうちに、妻に連れられ怜王が帰宅。ランドセルを見た怜王は嬉し恥ずかしのご満悦で、ともかく1枚幼稚園の制服を着たまま記念写真を撮る。むむ、小学1年生らしいぞ!
 と怜王と妻はゆっくりしているわけにはいかず、どたばたしながらアレルギー検診のため大橋の東邦大学医療センター大橋病院・小児科のS先生のところへ。
 僕はと言えば銀座写真塾塾生募集の案内を入れた封書を権之助坂下目黒通り沿いのポストに投函に行き、妻が「今日レンタルビデオ半額の日みたいよ」と言うのでビデオショップに立ち寄りまずは妻ご所望の「アイアンマン2」を探すが全てレンタル済み…。
 それでは続けてみている「フリンジ」のシーズン2の「フリンジ2」をと見ると、何と「フリンジ3」以外全てレンタル済みでなし…。仕方なしに「フリンジ3」と新作から「プリンス・オブ・ペルシャ」「シャッター・アイランド」、それに怜王用に「ポケモン 決戦!ギンガ団!! シンオウ時空伝説 完結編 後編」を。
 さらにすでに何度も見ている作品ではあるが、多分妻が見ていないと思うのでアラン・ドロン作品の中でも好きな「太陽がいっぱい(「冒険者たち」も好みである!)」をレンタル。これで\835はお得である。
 帰宅後毎年年頭に撮影依頼が来る某社より、見積書をメール添付で送って欲しいとの連絡があったのでMacで見積書を作成し、一度プリントアウトし押捺をしたものをカラーでスキャニングしメール貼付で某社Uさん宛に送信。
 ふたりが帰って来てから、「プリンス・オブ・ペルシャ(http://www.youtube.com/watch?v=uCB2NHVqu3U)」を見る。面白い!今怜王とふたりでやっているファイナルファンタジー12のような世界で、三人で食い入るように見たのであった。
2010年11月10日(wed)  No.404

11月8日

 6時丁度、怜王がリラックマを抱いて僕を起こしに来た。10分ほど、布団の中で話しをして起床。キッチンへ行きリンゴジュースを飲ませ、幼稚園のお弁当を作り始めた。朝ご飯までの間、怜王は昨日買ってあげたファイナルファンタジー12の攻略本を穴のあくほど見ながら「すげー!」とか「あのぼす えあろをつかったほうが いいらしいよ!」などと夢中。
 怜王の要望で朝食からカレーを食べ特別にアイスキャンディをデザート替わりに食べさせると、「さて ふぁいなるふぁんたじー れべるでもあげてようかな…」といっておもむろにプレステのスイッチを入れやり始めた。
 今朝の怜王の食事は、カレー。昨晩もカレーで残りモノだが、美味しそうにぺろりと平らげた。8時50分元気良く怜王は、妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向った。
 妻帰宅後、ふたりで庭園美術館へ向う。先日怜王を連れて「日本化学館」へ行った時、「ぐるっとパス(\2000)」を購入して入館した。その後僕は「夢の島熱帯植物園」「東京都写真美術館」、そして今日妻と「庭園美術館」に行った合計入場料金は\1550。あとに箇所ほど行けば、元が取れることになり「ぐるっとパス」はかなりお得なのである。
 現在庭園美術館では『香水瓶の世界(http://www.teien-art-museum.ne.jp/index.html)』が開催されていて、妻が行きたいと言ったので今日行くことになったのだが僕個人としても甲水便などのガラス工芸品のデザインには興味があるのでしっかり見て来た。
 1時間ほどで見て回ったがどれも素晴らしい細工が施されてていて、良い展示を見たと思った。展示会場を後に庭園に出て30分ほど妻とスナップをして回り、目黒駅アトレ5階レストラン街のタイ料理『ティーヌーンダイニング(http://tinun.jp/)』昼食をとり帰宅した。
 今日は80カットほどの撮影カット数しか撮ることが出来なかったが、納得でセレクトしたのは6カット。早速『植物頌』のフォルダに、加工して保存(元データを残し、複製を加工)した。
 夕方になって妻は朝飲んだ風邪薬が残っているのかとても眠そうで、キッチンの椅子に座りながら眠ってしまった…。怜王はと言えば攻略本を買ってあげたにもかかわらず、さらにややっこしい感じで…攻略本を見ながら「わかりやすいように だんじょんのえをかいといたから これであの どらごんはたをせるよね!」と意気揚々として言った。
 しかしレベルが上がっても戦略を間違えると、なかなかボスキャラを倒すことは出来ない。幼稚園のお友だちのハーフのWくんは、お父さんとファイナルファンタジー12(このゲーム5歳児には難しい箇所がいくつもあり、かなりお父さんが手伝ってあげたことが想像される)をすでにクリアしていると怜王は言っていた。
 幼稚園のお友だちの中で自分ひとりしかファイナルファンタジ−12をやっていなと思っていた怜王にしてみれば、驚くべき事実…。明日は幼稚園へ怜王をお迎えに行く日。今日6カット『植物頌』の写真が撮れたので明日は撮影に出ることなく、ファイナルファンタジー12のレベルを少しあげといてあげようと思う。
 
2010年11月08日(mon)  No.403

11月6日

 6時20分過ぎ目が覚めた。いつになく良く寝たものだと思いながら、キッチンのテーブルに置きっぱなしのiBookを(といっても主電源を落とすことはあまりなく、使わないとスリープするのでretunキーを押して起こすのである)起動させ、メールのチェックその他あらゆる自分回りのことを認識するための時間を作る。
 と思いつつ6時40分、怜王が目を覚ましキッチンにやって来た。僕が先に起きていることが気に入らないのか、自分が寝すぎたことが面白くないのか、僕の顔を見るなり涙眼に…。こんなときどうしようといつも思うのだが、基本的に怜王の起き抜けは不機嫌であることが多く何を言っても馬耳東風な感じなので、ひとまずぎゅーっとしてあげたり頭を撫でてあげたり…。
 数分経過したのでリンゴジュース飲む?というと、頭を左右に振る。やはりこれ以上何が同したを言わずにいようと思った時さっとトイレに…。
 起き抜けはトイレに行きたいもので、僕は怜王が起きて来た時同様Macに向って着信メールに返信を書いたりしているとトイレから出て来て、さっきの怜王はどこに行ったと思うくらいいつもの怜王のなっていて何食わぬ顔でリンゴジュースを飲み干すと「おとうさん ふぁいなるふぁんたじーのらすとぼすって どんなだろう? ぞんびかな? でもいまやってるところ むずかしいからDSやろうかな…」と言って大阪のおじいちゃんに買ってもらったDSのポケモンソフト「ホワイト」をやり始めた。
 今日は幼稚園はあるが「子どもフェスティバル」と言うイベントがある日だが、お弁当はなく朝幼稚園まで送っていて11時半目安で園児たちといっしょに帰宅と言うスケジュール。
 今日の僕は2時に銀座スポットのセミナールームんで行なわれる「銀座写真塾」の今年最後の講義をする日だが、11時半に終わるなら余裕だと意気揚々としてH幼稚園に三人で向い9時少し前到着。
 9時過ぎから演目が始まると、いっしょに来たお父さんお母さんは一眼レフを持ち出しとるもの、ビデオで撮るものと園内はカメラマンだらけ…。
 妻は卒園アルバムの写真班なので、始まってすぐに真剣に撮影を始めた。僕はと言えばのほほんと怜王を見たりしていればよいわけだがさすがに心配で、サポート的に思い浮かぶケースを想定しCX3で記録を撮り始める。もちろんメインは怜王を撮ること!
 「子どもフェスティバル」とは何か?と思うのは、ほとんど運動会と変わらない進行だからである。違うのは最後の園児たちが作った腕時計や三つ編み、ヨーヨー・ブーメラン、などを「お店」を出して年長さんが販売で、年少さんと年中さんそれに僕らが買う人。紙で作った紙幣を手に買い物ごっこをする。
 子どもたちはこの「お店」が大好きなようで、11時半に終わるはずが12時半まで…。1時過ぎには銀座に向わなければならないので、マンション近くのコンビニでおにぎりやパンを購入後帰宅しドタバタしながら1時10分部屋を出た。
 目黒から山手線に乗り、有楽町駅下車。1時50分、スポットに到着。セミナールムヘ行きに持つを置いて、スポットフォトサロン内の受付で写真塾で使用したセミナールーム代を支払う。銀座写真塾は講師の個人運営なのでこうした経理関係も自分でやるのである。
 2時から4時半までの講義(講評会)であったが、20分押しの4時50分まで行ない最終講義終了。終了ののち塾生2名と打ち上げをし、10時少し前に解散。JR有楽町駅から妻にメールを入れると、「先に寝ています…」と言う返事が。昼に部屋を出るときも、「眠りたいくらい…」とだるそうにしていことを思い出した。
 「子どもフェスティバル」では見ることを楽しむと言うより、卒園アルバムの写真班の妻は記録撮影をすることやフェスティバルの手伝い、お母さんたちや先生等との会話とやることがいっぱいで気疲れをしたに違いない…。
 帰宅後はキッチンの電気を消し、自分の寝る部屋にMacを持ち込みこの日記を書いたりし12時過ぎ眠った。
2010年11月06日(sat)  No.402

11月4日

 昨夜妻も怜王も8時半過ぎに眠ってしまい、そのあと起きていたものの昨日の一件があることもあり大事をとって早いと思いつつも9時半に眠った(眠れてよかった)。が長時間寝ていられない性分なので、3時半に目が覚めてしまった。
 しかし時間も時間で起きるわけにもいかず、ひたすら目を閉じ横になっていたが我慢しきれず5時半起床した。
 怜王のお弁当を作りつつ、メールチェック。数件のメールに返信を書き送っていると、5時55分怜王が目を覚ましリラックマを抱いてキッチンにやって来て「もう6じ…」と言った。8時半に寝ているので、9時間半睡眠。凄い!
 朝食は、いつになく緊張して食べ始めた。昨日の朝もいつもと変わらない感じで食べ始めて、10分語くらいから胃が痛くなり20分後には食べたものをすべて吐き出してしまった…。今日波動だろうと思いながら食べたが、まったく昨日のような胃痛などの兆候もなく食べ終わっても何ともなかった。昨日は何だったのだろう?
 8時50分、妻といっしょに元気に幼稚園バス乗り場へ怜王は向った。9時半少し前、怜王を送ったあとバス停でお母さんたちと井戸端会議をした妻が帰って来た。そして慌ただしく、仕事に出かけた。
 僕はと言えば午後からはれると言うので、それまでにと洗濯をしベランダに干し終わったのが10時過ぎ。そして10時半GRDIIIを持ち、撮影も兼ねて恵比寿の東京都写真美術館(http://www.syabi.com/)へ向った。
 歩き慣れた自宅マンションのある目黒1丁目から住宅街を縫って三田を通り過ぎ、恵比寿ガーデンプレイスまではおよそ15分。ゆっくり歩いて撮影をしつつ、『二十世紀の肖像』ー全ての写真は、ポートレートである。ーを見る。
 展示作品174点でマン・レイ、中山岩太、ブラッサイ、セバスチャン・サルガド、ユージン・スミス、アウグスト・サンダー、奈良原一高、細江英公、アンドレ・ケルテス、ビル・ブラント、シンディ・シャーマンとあげて行けばきりがないが、出口に近い隅の方にひっそり展示されていたリー・フリードランダー(http://www.artphoto-site.com/story68.html)の作品を見ることが出来て良かったと思う。
 30分ほど写真展を見て、恵比寿周辺を撮影し12半過ぎ帰宅。明日は幼稚園の卒園アルバムの話し合いを子どもたちが幼稚園に行っている間うちでやることになったらしく、部屋を掃除しなければというので可燃ゴミ不燃ゴミなどをゴミ置き場に持って行ったり余分なものをしまったり。
 1時半過ぎ、妻が仕事から帰る。そして50分幼稚園バスのバス停まで怜王を迎えに行き、1時15分帰宅。妻は遅い昼食を取ったあと、昨日の僕のように「お腹がいたい…」と言いうつ伏せてしまった…。
 そんな折り先週土曜日から帰省していたDRUG創刊メンバーの横川さんが東京に戻ったので、以前から懸案であったDRUG20号の座談会(印刷のページのおりの問題で、カラーモノクロ共に4ページ空きが出てしまっていてこれ以上寄稿者を集めることが不可能なので8ページを座談会という形式で3人で歓談した様子を掲載)をすることになった。
 6時半に大嶋さんの会社、渋谷のオフィスS。妻の夕飯と怜王の夕飯を作ってまずは怜王の食べさせた。怜王が食べ終わりテレビを見始めた時に時計を見ると、5時50分。ここから歩く時間を考慮しても、オフィスSまでは30分かからない。
 それに6時半過ぎくらいが都合良いと大嶋さんが言っていたので、時間的には余裕である。6時過ぎ寝ている妻に遅くならずに帰ると言い残し、枕元にアクエリアスを入れた水筒を置き、怜王に「なるべく早く帰るから、お母さんをよろしくね」と言い残し自宅マンションを出た。
 6時半過ぎオフィスSで横川さん大嶋さんと会い、近くの居酒屋へ。と言っても昨日早朝に吐いているので…気分的には心配であったが、生ビールを飲んでもワインを飲んでもいつもと自分がまったく変わらないことを知りほっとする。
 7時くらいから話しを収録しつつ2時間ほど談話し、9時過ぎ居酒屋をあとに渋谷駅前で解散し帰路についた。
2010年11月04日(thu)  No.401

11月3日

 6時過ぎ起床。今日は妻と怜王が、西宮の実家から戻ってくる日。メールのやり取りで、怜王がおじいちゃんと遊んでもらったりDSのソフトを買ってもらったりで楽しく過ごしていたことは分かっている。
 今朝は寝起きですぐ、朝食を作って食べた。いつもは6時くらい怜王に起こされいっしょに起き、お弁当を作ったりで朝食を食べるのが7時から7時半くらいの間なのだがそんなことがあったからかも知れないが急な胃痛で七転八倒…。20分くらいもがいていると急に気持ち悪くなって…食べたものを全部吐き出してしまった…。
 こんなことははじめてで、吐いたあと30分もしないうちに胃痛が止まった。昨夜9時過ぎに、妙におなかが空いて茶碗に一杯納豆でご飯を食べてしまったのがいけなかった…。9時を過ぎてからしっかり食べると言うことは今までなかったが、昨夜はどうしたのだろう…。
 落ち着いてからネットで胃痛に着いて調べてみたら、「寝起きは胃が活動していないので少し時間を置いて食べると良い」と書かれていた…。つまりいつものように起きてから1時間ほして朝食をとるのは理にかなったことだったのだ。今日は胃を休めないと行けない。
 昨夜10時くらいに妻の携帯から「しながわまで 2じかんくらいだよ」という怜王の声。たしかに新大阪からは2時間少しだが、実家のある生瀬駅(宝塚駅のとなり駅)からは福知山線・高槻行きで新大阪までは45分。トータルで3時間はかかる。
 何時の新幹線に乗るのかなと思っていると、9時半頃「比較的空いてるようなので、1時発3時26分品川駅着で帰ろうと思います」と言うメールが妻から入った。
 ならば3時40分くらいに目黒駅まで向かえに行こうと思っていると、再度「新大阪発の方が確実に座れるので、1時47分発に乗ることにしました」と言うメールが妻から入った。となると品川着は4時16分。4時半くらいに向かえに行くことにした。
 妻と怜王が西宮の妻の実家に帰省している間(10月31日から11月2日)、天候に関係なく毎日撮影(日中シンクロの植物の写真『植物頌』)に出た。昨日撮影終了時点で完成作品が120カットほどそろった。目標にしているのは200カットだが、このペースだと年内に完目標達成出来そうだ。
 11時過ぎ、GRDIIIを持って撮影へ。目的地は下目黒の森試の森公園(http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access003.html)だが、あくまでも折り返し地点というか歩く方角の目安として選んだ。
 と言うのははその名の通り森をイメージして作られた公演で、季節的に花は咲いていないと思われるからだ。
 自宅マンションから目黒通りに出て目黒通り沿いに山手通りを渡り、大鳥神社を左手に見ながら寄生虫博物館(http://kiseichu.org/default.aspx)の前で左にはいる。そしてしばらく歩くと左手に広大な敷地の目黒不動(http://meguroku-net.com/meisyo/megurofudou/FudouTop.htm)を見つつ坂を下り、東門から森試の森公園(自宅マンションから普通に歩いて20分ほどの距離)へ。
 うっそうとした園内は、一瞬等々力不動尊を思わせる静寂感がある。が休日とあって子どもたちの歓喜の声や鳥たちのさえずりがこだまし静けさとはほど遠い…。
 一周したが花は1本も咲いていなかった。早々に森試の森を東門から出て、参道(商店街)を進み五百羅漢寺などを通過し山手通りへ。あとは目黒新橋へ向う脇道を歩きつつ撮影を。2時間ほどの撮影で、今日は信じられないことに16カットしか撮れなかった…。それでも帰宅後2カット納得のカットをセレクトし加工ののち『植物頌』加えた。
 1時を過ぎていたが、朝のことがあり食欲がわかず水分のみ補給。といってもコーヒーを飲むわけにも行かず、緑茶が飲みたくもあったがあいにくなかったので…ジャスミン茶入れ温度が下がってから飲んだり。
 ただ顔が微妙にほてっているように思い体温を計ってみると、37.8度…。平熱が36.5度なのでやはり熱がある。それに二の腕や背中の節々がはっているような、だるい感じ…。風邪かも知れない…。
 今日は怜王と妻が帰ってくる日なのでうしては行けないし…、ともかく予防策を練らねばならない。と言うわけでお昼を食べていないので風邪薬は飲むのを控え、おでこに怜王用に買ったひえぴた(子ども用…)を貼りブルゾンなどを着込んで温かくしジャスミン茶をすすった。
 そして2時過ぎまで仮眠をとりだるさが取れたように思ったが、体温を計るとなんと38.4度…。これはまずいとお粥でも作っておなかに入れてから解熱剤をとも思ったが、なぜか気分は悪くなく胃も痛まずにいるのでしばし身体を菌と戦わせることにし再びジャスミン茶を口にした。
 2時過ぎ「今京都を出ました。」と言うメールが妻から入った。予定どおり4時半に迎えに行く感じで良いだろう。とここでもういち度体温を計ってみると、37.9度と下がって来た。妻に返信メールを送る。
 ともあれ熱は多少あるが起きてこの日記が書けるくらいなのでこのままいようと思ったが、念のため温かくして横になる。3時過ぎまでうとうとしながら横になって、再度体温を計ってみると37.2度と下がって(と言っても平熱より1度高いので不完全だが…)いた。
 4時15分過ぎふたりを迎えに、JR目黒駅へ。この頃になると体調はかなり回復していて、朝のことが夢のような感じ。4時半過ぎ、改札口から僕を見つけた怜王が凄い形相で駆け寄って来た!権之助坂を下りながら妻に朝起きたこと高熱が出たことなどを話したが、それを言ってる本人が回復してしまっているのでリアリティがないようで「凄い回復力だね…」と言った。
 帰宅後怜王はすぐにファイナルファンタジー12をはじめた。やりたくてしようがなかったのだろう。僕はと言えばようやく空腹感が出て来たので、自分なりの栄養の取り方でお粥(ニンニクのスライスを煮込みやわらかくしたあと、ご飯を入れてやわらかくなるまで煮込みとき卵を落とし万能ネギを入れて塩のみで味付け)を作った。
 驚くことに胃は回復しているようで、お粥を食べ終わったあと妻がお土産で買って来た551HOURAIの「豚まん(http://www.551horai.co.jp/)」をもらって食べた。それでも胃は何ともなく、自分でも回復力の早さに驚愕した。6時半過ぎ、再度体温を計ってみる。36.5度と、嬉しいことに平熱に戻っていた!
 7時半過ぎ妻と怜王がお風呂に入っている間に、GXRのファームウエアアップ(11月1日公表3ユニット分)といっしょに数ヶ月前からファームウエアのアップが開始されていたがばたばたしていてまだアップが済んでいなかったGRDIIIとCX3も続けてアップした。
 お風呂から出て少し怜王は遊んでいたが、布団に入るとものの数秒で眠りに落ちた。そして妻も疲れているのか怜王が寝た8時半過ぎ、私も眠ると言って9時前には布団に。
 体調が早期回復した僕は日中高熱と戦って仮眠?をとったので眼が冴えていて眠ることが出来ず、しばらくキッチンのテーブル設置のMacに向ってこの日記を書いたりした、今朝からの大変だったことを思い出し今日のところはふたりにならって早めに眠る(早いけど9時半だ…)ことにした。
2010年11月03日(wed)  No.400

 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
++HOME++

[Admin] [TOP]
shiromuku(fs6)DIARY version 2.29