ys diary
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6月28日

 この1週間まったく時間に余裕がなく、ドタバタした毎日を送っていた。というのは今現在住んでいる部屋の更新が1ヶ月とと迫り、3今月30日までに更新するか退居するかをマンション館理解者へ連絡を入れなくてはならなかったからだ。
 もちろん迷っていたわけではなく来年から小学校へ上がる怜王の学校の場所などを考え、目黒通り山手通りが交差する大鳥神社(http://www.ootorijinja.or.jp/)を中心に半径1キロほどのエリアの物件を集中的に内見していたのである。
 そして昨日これ以上ないと思われる、好条件の物件に巡り会う。部屋の広さも家賃もほとんど今と変わらず、幼稚園も小学校も徒歩5分以内とすべてに都合の良い部屋である。
 それに今までずっとなぜか大きな道路に面した所(今は目黒通り沿いで、その前は環状8号線沿い…)に住んでいたのだが、今回の物件は大通りではなく目黒川に近い静かな裏通りということで環境の良さ(妻は”理想に限りなく近い物件”と言う表現をした)は際立って良いのである。
 「入居可能だと思います」という不動産屋のFさんから連絡をもらえたことで、ようやく落ち着けたと言うわけだ。が気持ち的に落ち着けはしたが、退居まで2週間ないという状況はこれからの2週間あまりが地獄となることは明白…。
 今日の(信じられないほど蒸し暑い…)怜王は5時半過ぎに目を覚まし、相変らず凄い勢いで絵を描いたりしたあと朝ご飯を食べ、ひとりでシャワーを浴びて9時15分過ぎ妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった。
 引っ越しをすることが決まり、俄然妻は精力的に動き始めた。もちろん僕もここ1週間どこから出てくるのかと思うほどの不必要なもの(購入当時は必要だったと思うが…)を、ゴミ袋にいれ1階の駐車場脇のゴミ置き場へ何度となく往復。
 2時半過ぎ、妻に連れられ怜王が帰って来た。蒸し暑さはそのままで外は雲が広がり、今にも雨が降ってきそうな感じに…。
 5時半過ぎ、キヤノンギャラリー銀座(http://cweb.canon.jp/gallery/ginza/index.html)に後輩カメラマンGOTO AKI(http://akifoto-inc.com/)の写真展『ランドスケープ』を見に行く。
 そしてミノルタ時代にお世話になりオリンパスへ会社が変わったのちも、E-1E-500などオリンパス製品でお世話になった堀田さん(僕と同じ年)の中締の会が行われる銀座ライオンへ。
 ミノルタ時代はと言ってもCLEが発売された頃(1981年2月)と言うこということは、30年近く前からおつきあいのあるかたなのである。
 この会場は4月にキヤノンの川名さんの中締めの会をした場所で、その時もそうであったが写真家の木村恵一先生と話し、DRUG20号(特別号)のデータの受け取りように携帯での連絡をとということで携帯番号をゲット。そしてDRUG20号に、写真家のKAさんとTFくんの2名を介入!
 たくさんの方と話しをしたがやはり密度が濃かった?のはローッコールのT姉さんと、日本カメラ博物館のMさんとの会話。そしてMさんとは、個別に少々密談をした。
 会が終わりオリンパスのHOさん女流写真家のITさん、後輩カメラマンのTNくんと2次会へ。楽しく話しをし、帰宅したのであった。
 とここまで書いたが明日から仕事と引っ越しともろもろが凝縮された1週間となりそうなので、又しばらくは日記の更新が出来ないかも…。
2010年06月28日(mon)  No.343

6月22日

 昨夜寝る前に幼稚園から借りて来た絵本の読み聞かせを怜王にやっていると、突然「あしたのおべんとうのおかずは なにかな?」と言うので何が良いのか聞いてみると「きょうのおほしさまのニンジンと、もうひとつダイコンがいいな」と言う。
 ニンジンやダイコンなどは煮込んであげるといやがらずに食べるのだが、基本的に緑色をした野菜類が苦手なようで、それでも大半の子はニンジンが嫌いだったりもするのでお弁当の時間に怜王がニンジンを食べているのを見たお友達が「すごいな」などと言ったのかも知れない。
 ともかくニンジンやダイコンをおかずに入れて欲しいと言うのは嬉しい話しなので、怜王が眠りについた9時くらいからご所望の具材を昆布だしでしばし煮込こむ(エキスとしてシイタケも入れた!)。
 これは朝やっても良いのだが、けっこう時間がかかるのと両方とも煮込んでも膨張しないので煮込んだままの状態でスープを少しかけた状態でラップをして冷蔵庫にいれ一晩おいて再度温め星形にカットしてお弁当に入れた。
 そんな今朝の怜王の起床の1回目?は5時半頃で、寝ている妻にぶつかったりしたような感じ(痛い!という妻の声が聞こえた…)で起きたと思ったら二度寝を。
 僕はそのまま起床し…、怜王が起きてくる前にやっておくことがあったのでしばらくそのことに没頭。
 6時過ぎ怜王が目を覚ましてキッチンへ。妻はなかなか時間が取れずにいたジャベルの仕事を、集中的に昨日午前中から制作をはじめ、夜になって再び制作開始でMacに張りついていて深夜3時に目が覚めて起きると新ページのC5X7セダンとC6naviのページへ2カット写真を追加制作が完了し<http://www.javel.co.jp/c5sedan.html >アップロードするところであった。
 9時15分過ぎ、ジャベルに行く時間に間に合いそうなので今朝は僕が怜王を幼稚園バス乗り場まで送ることに。マンションを出て目黒通り沿いの歩道を歩き始めると、上り斜線にガナッシュのシトロエンC6の姿が!運転席を見るとあとで会うことになるジャベルのTさんが出社途上であった。
 園バス乗り場へ行くと、見送りのお父さんは僕を含めて4人。Kちゃんのお父さんと立ち話をし怜王がバスに乗るのを確かめて見送り都立大学駅に向かった。
 東横線で自由が丘に出て、大井町線で旗の台乗り換えて池上線に乗り戸越銀座下車。中原街道沿いのジャベルまで、およそ5分。店が開いたばかりの戸越銀座商店街を眺めながら到着。今回は代官山で撮影をすることにし早速被写体となる左ハンドル仕様のC5X7 sedanブラックに乗り込んだ。
 代官山は渋谷寄りに高級住宅街が集中していて、歩くと(代官山駅から)遠いがクルマなら数分であちらこちらの僕等が見つけた撮影スポットに移動できるのである11時過ぎまで撮影をし、撮影をしたC5X7で都立大学の自宅まで送ってもらう。11時半過ぎ帰宅。
 2時半過ぎ、怜王が妻に連れられ幼稚園から帰って来た。今日は帰ったらすぐに着替えをして、ダイエーのゲームセンターで『ドラゴンクエスト モンスターバトルロード』をすることになっていたので、おやつを食べたあと3時過ぎ3人でダイエー7階玩具売り場へ。
 1回戦は2連勝でレベルが上がり(カード形の冒険の書でセーブできるのである)、気を良くした怜王は2回戦に挑戦したがあえなく大敗。それでもゲームのシステムを理解して来た怜王は、楽しんで遊ぶことが出来たようで大満足なのであった。ゲームをしたあと妻の友だちのSちゃんと合流。しばし歓談し夕飯の買い物をして帰宅。
 夕飯を食べた7時半過ぎ妻が怜王をお風呂にいれている頃より、今年の1月10日の自分の誕生日に自腹で買ったプレゼント『NIRVANA LIVE AT READING』のDVDを赤ワインを飲みながら見る。
 何度見たことかというくらい見ているのだが、見るたびに引き込まれカート・コバーンの特異で心地よいコード進行に酔いしれてしまう。好きなバンドは必ずと言っていいほど来日すると見に行っていたのだが、ニルヴァーナだけは残念ながら見逃した…。
 今まで見たバンドの中で記憶に残っているのは、初来日の時新宿厚生年金ホールで見た、スパーダース・フロム・ザ・マースを引きつれやって来たデヴィッド・ボウイ。渋谷公会堂(CCレモンホール)ジョン・ライドン率いるPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)。NHKホールで見たライ・クーダ&デヴィッド・リンドレイ。川崎クラブチッタで見たラモーンズ。恵比寿ガーデンホールで見た、日本人バンドネオン奏者COBAが参加した初来日のビヨーク。
 その他ヴァンヘーレン、チャーリー・セクストン、プロデジー、ヘルメット、ベンホールズ、ソニックユースとあげ始めればきりがない。一番最後に見たライブは2年ほど前初来日したアヌーシュカ・シャンカール(ラヴィ・シャンカールのお嬢さん)。今度見に行けるのはいつになるだろう?怜王が中学生くらいになってからかな…。
2010年06月22日(tue)  No.342

6月19日

 5時半、またしても5時半に怜王が目を覚まし「もうおきたい」と言う…。早朝暴風雨のような雨と風(今年は雨が降ると突風のような風吹くことが多い…)で、ベランダの観葉植物などが気になって少々寝不足気味で、せめて6時くらいまでは怜王にも寝ていて欲しいと思ったが起きたいと言うのでは仕方がない…。
 起きる前に腹筋(足あげ10秒×5回をもう1ヶ月も続けていて、ここ数日は眠る前にも3回ほどやっている)を行い身体を起こすと、その間に怜王は二度寝をはじめていた…。起こされて眠られてしまって、基本的に目が覚めてしまうと二度寝が出来ないタイプなので不本意ながらそのまま起床した…。
 土曜は1週おきに登園することになっていて、今日は幼稚園への登園日だがお弁当はないのであまり慌ただしい朝ではない。メールのチェックをし返信を書いたりしていると、6時過ぎ怜王が目を覚まし起きて来た。
 リンゴジュースを飲みしばらくキッチンのテーブルに置きっぱなしのiBook G4でゲームなどをやっていたが突然「ごはんたべる」と言うので何が食べたいかを聞いてみると「たまには なっとうごはんかな」「ようちえんのせんせいも ”なっとうはえいようがある”っていってたし」などと言って納豆ご飯をご所望。
 小ぶりの茶碗にできたてのご飯を盛りつけ、納豆をかけて海苔をハサミできざみぱらっとふりかけ食べさせた。「おいしい おいしい」と言いながらいつになくハイスピードで平らげた。なかなか気持ち良い食べっぷりである。
 あれほど凄まじかった雨と風も7時過ぎにはおさまり、雨は上がった。コダックフォトスクールの撮影実習を午後2時から代官山で行うので、どうにかこのまま持って欲しいと思った。
 9時15分過ぎ妻といっしょに、怜王は幼稚園バス乗り場へ向かった。ふたりが出たあと、昨日書き上げた原稿の推敲をする。
 12時半過ぎ、怜王が帰って来た。お昼用に作っておいたおにぎりとチキンナゲットを食べ、カルピスを飲んだ。1時半過ぎ3人で部屋を出て東横線に乗り、妻と怜王はプレステソフトを購入しに中目黒下車、僕はとなり駅の代官山下車でコダックフォトスクールの撮影実習へ。
 2時集合であったが、Sさんひとり見えなかったのでひとまず10分待って見切りで猿楽町方向へ受講生たちといっしょに移動した。そして頃合いを見てケイジェイイメージングにSさんと合流できなかったことを知らせた。
 30分ほど受講生たちと行動してから、Sさんとあったら連絡をと通知し4時半まで自由行動ということでそれぞれ撮影に。
 30分ほど経過した所でHSさんそれにYMさんから、Sさんと会いましたと言う連絡をもらいほっとした。Sさんは僕の父と同じ年齢で、今回の撮影地である代官山が起伏の多い場所のうえ今日はかなり気温が上がっていたのでとても心配であった。
 4時半少し前代官山駅に集合。次回講評会のことなどを話し撮影実習終了。受講生のYMさんSMさんと中目黒まで歩き、目黒川沿いの居酒屋へ。これからの教室のこと(次回から「コダックフォトスクール」ではなく「銀座写真塾」と名称が変わり、コダックのサポートがなくなり講師独自の写真教室になることでいろんなことが変わるので)や写真展をしかけようとしているYMさんの近況や、SMさんが通い詰めて撮影をしている札幌のことなどを話し合いつつ内容は次第にディープな方向へ向かったのであった。
2010年06月19日(sat)  No.341

6月18日

 5時半怜王が目を覚ました。昨夜は幼稚園から借りて来た、『だいすき おふろ』と言う絵本を読んであげて眠ったのが8時半過ぎ。9時間眠れば十分でメモさめると思うが、僕等にとっては少々早い…。だがし「なにかのみたい…」というのでいっしょに起床した。
 近頃日記のアップがなかなか出来ないでいるが、僕等の慌ただしさとは別に怜王はここ数日早朝お絵描きに目覚め毎朝大量の絵を描き続けていて今朝も夢中で描いていたが、相変らず絵を描くスピードは速く4枚ほどを10分くらいで描き上げるのであった!
 怜王のお弁当を作り朝ご飯(何と昨晩食べたカレーを、今朝も食べたいと言うので食べさせた…)を食べさせ、ようやく自分の時間が出来たのは7時半頃。メールをチェックすると昨夜に数件が届いていたので、それぞれ返信を書き送信した。
 怜王は『マダガスカル』のDVDを見たりプレステゲーム『ラチェット&クランク4』を見たりして9時過ぎまで過ごし、9時15分過ぎ妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった。
 ふたりを見送ると月刊カメラマン編集部で審査をした、ジャンル別フォトコン「スナップ部門」の選評と総評をプリント作品を見ながら書きはじめた。
 午前中で入賞者の選評を書き終えることが出来たが、総評を描き上げるタイミングを逸しついには怜王が幼稚園から帰って来てしまった…。
 今のマンションには自分の部屋と言う物がないので、どこにいてもゲームの音はするし怜王は何が飲みたい何が食べたい今日どこ行くなどひっきりなしにしゃべり始める。これはまずいことになった。
 と言うのは明日は(天気が気になる所だが…)コダックフォトスクールの撮影実習があり、明後日はDRUG創刊メンバーとの「お散歩写真」あらため「ぶらカメ隊(DRUG19号に掲載予定)」をする予定になっているので土日に書くことは不可能。
 原稿の締め切りは来週22日火曜日なのでまだまだ時間はあるが、時間に追われて書くのは嫌だし…。そんなわけでどうしても今日中に書き上げておかなくてはならない。
 案の定怜王は帰宅後お菓子やジュースを飲んだあと、「きょうどこいく?」と言う。聞けばダイエーでドラゴンクエストのゲームをやりたいのだそうだが、雨は降っているし気分的にも外に出る気になれなかったので何か怜王の気を別の方へ向ける手だてはないかと思っていると、妻が「明日連れて行ってあげるから今日はやめよう」と言ってくれた。
 そう言う妻も実は建築家MさんのHPの仕事を進めなければならないと言うことで、今日は外に出たくないのである。だがしかし怜王はしばらくぐずり「でも どらくえが…」と言っていたが、思いついてアイス食べても良いから今日はやめようよと言うと、あっさり「それでいいよ!」と言ってニコニコしながら自ら冷蔵庫を開けてアイスクリームを取り出し食べ始めた。
 アイスを食べる怜王を見ながら何気に書いている原稿の前後の文を入れ替えて見ると、あることを書きたくてそれが文章としてずっと成立しなかったのが、何かが降りて来たようにさらさらと書き進めることが出来3時過ぎには脱稿!
 今日は外に出たくないと思っていたが、銀行に行かなくてはならなくなりぬれても良いようにビーサン短パンで銀行へ。雨はかなり激しい降りになっていた…。
 帰宅すると怜王が「かみきったほうが いいんじゃない?」と言って前髪を触った。そして「めにはいっちゃうから きったほうがいいんじゃない?」と言うので食後、お風呂に入る前に散髪道具を出してキッチンで怜王をパンツ一丁にしてカット開始。
 散髪のやり方は良く分からないが、自分のイメージとしては切ったのかどうか分からないようにさりげなく仕上げること。いつも行っている散髪屋のオヤジさんの切り方を思い出しつつどうにかカット。
 カットし終わると、「どうもありがとう!」とバカ丁寧な言葉を残してお風呂に直行。ざっとシャワーを浴び、一度出て来てトイレに走って行って帰って来るとそのまま妻とお風呂に入った。どうやら怜王は、切った髪型を気に入ってくれたようだ。
 お風呂からでて来た怜王に服を着せざっと櫛を入れて写真を撮ろうとしたが、どうも照れ隠しなのか普通にしておらず口を尖らせたり唇に力を亥入れたりして小さいときのように真っ当に撮らせてもらえない…。
 この段階でやはりもう幼児ではなく、確実に少年に向かいつつあるのだなと思った。それもそうでこの11月で6才になり、来年は小学生なのだから。
 そんな怜王は8時過ぎ幼稚園から借りて来た『きつねと つきみそう』と言う絵本を読んであげると、8時20分には気持ち良さそうな寝息をたてて眠った。
 『きつねと つきみそう』はストーリーより絵が可愛らしく、初恋物語的な内容で怜王も目を輝かせて絵を見て僕が読んでも自分で文章を追っていた。このところみるみる手足がのび、身長も1ヶ月に1センチほどのスピードで成長しているのである。
2010年06月18日(fri)  No.340

6月15日

 6時過ぎ怜王が目を覚ました。昨夜は8時半過ぎに怜王が眠り、妻も体調不良(風邪?)のため10時半過ぎに眠った。僕はと言えば携帯ワンセグで、『日本対カメルーン』を観戦。本田のシュートで初戦を勝ち抜いたのを見届け1時過ぎに眠った。
 そんなわけで僕の睡眠時間は5時間ほどだが、怜王はしっかり10時間睡眠でこころなし気分良く起きたようである。
 僕等が起きてから30分後、妻が起きて来た。起きてはきたが体調の悪さは昨日以上のようで「のどがいた…」と言って朝食もほんの少ししか口にしなかった。怜王を幼稚園バス乗り場へ送った帰りに病院へ行くことを勧めたが、8時少し前とても辛そうにしているので用地案バス乗り場には僕が怜王を連れて行くからと言い布団を敷いてあげる。
 すると近くに来た怜王のおでこを触って「わたしより 熱があるみたい…」と言うので体温計で計ってみると「36度2分」とほぼ平熱。
 しかし妻が動けないと言うことは朝バス停まで僕が怜王を送って行ったとしても、今日僕は2時から仕事が入っているので変わりにバス停まで行ってあげることが出来ない…。それならと怜王を休ませることにした。
 妻はそのまま眠り、取り立ててどこも悪くない怜王は時間を持て余して所在なげ…。しかし数分後には、プレステゲーム『ドラゴンクエストIX』を音を最小にしてはじめたのである。
 自由な時間が出来たのでネットでニュースなどを見ていると『W杯 日本人カメラマンが襲われ撮影機材など強奪される(http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100615/scr1006150748036-n1.htm)』と言う記事が目に止まった。
 関連記事で『サッカーW杯は大丈夫?南アで性犯罪10%増、殺人は1日50件』であるとか『南ア男性の4人に1人がレイプ経験者!?研究機関調査』という記事も…。
 機材を強奪されたと言うことはその日撮影した写真がすべてなくなったと言うことで気の毒なことだが、命を奪われなかったことは幸いなこと。しかしワールドカップは始まったばかり。これ以上に恐ろしいことが、起こらなければ良いが…。
 12時少し前、RICOH GR DIGITALIIIを携帯し部屋を出る。月刊カメラマン誌のジャンル別フォトコンテストの審査は午後2時からではあるが、その前に銀座のケイジェイイメージングへ。
 コダックフォトスクールが6月開講で解散し、コダックのサポートなしの『銀座写真塾』となり個人の写真塾の形態で継続することになり次回のスケジュール(9月中旬スタート)を届けに行くのである。
 つまり今まではコダックのスケジュールにそって行っていた教室を、講義をスポットフォトサロンのあるケイジェイイメージングのセミナールームで行う関係で、セミナールームをおさえるためにスケジュールを申請しなければならないからである。
 東横線で中目黒乗り換えで日比谷線に乗り、日比谷駅下車。ケイッジェイイメージングに行きスケジュール表を手渡し、そして2週間前に発注していた8mmカセットテープからDVDへのダビングの仕上がりを受け取る。
 この8mmは妻と結婚する10年前に、友人の結婚式に出るためヴェネチアとフィレンツェを旅した時に妻が撮影したものだが、ビデオカメラがレンタルであったことと8mmカセットと言うことで再生できずに10年放置されてたもの。
 映像か写っているかどうかどれくらいの時間撮影をしたのかは分からないが、ともかくダビングしてもらって見ようと思ったのである。
 ケイジェイイメージングを出ておもむろにRICOH GR DIGITALIIIを手にし、およそ1時間銀座を歩き回り2時少し前に新橋にあるモーターマガジン社月刊カメラマン編集部へ(http://www.digi-came.com/jp/)。
 今回のジャンル別フォトコンテストの審査は、自然写真の丸林正則さん(http://hanamaru.lightparty.jp/)と人物写真の村尾昌美さん(http://www.masamimurao.com/profile/index.html)と同時に行った。
 3時半モーターマガジン社を出て、スナップしながら新橋駅へ。銀座線に乗る前に妻にメールを入れると、風邪薬が効いて来たのか体調は回復に向かっていると言う。スポーツドリンクを買って来て欲しいと言うので、都立大学駅前の東急ストアに寄り帰宅。
 帰宅後、ダビングしたDVDを妻と見る。10年前の僕等を見て怜王は大喜びであったが「ぼくはいないの?」「あかちゃんだったの?」と自分が写っていないことを不思議がっていた。
2010年06月15日(tue)  No.339

6月13日

 5時過ぎ怜王が目を覚まし「もうおきたい」と言うので、起きることに…。なぜ起きなければならないのかと言えば、怜王の言う「もうおきたい」は起きたらすぐにジュースを飲みたいと言うことで、まだまだ自分で冷蔵庫からジュースの入ったペットボトルなどを自由に飲んでいいようにさせていないので起きなければならないのである。
 りんごジュースをコップに入れてあげ今日も早起きになってしまったな…などと思っていると、飲み終えた怜王は2度寝を始めた…。最近このパターンが多い気がするが、一度起きてしまった僕はどうにも2度寝が出来ずに朝食の支度をしたりメールのチェックなどをする。
 6時半過ぎ怜王が目を覚まし、キッチンへやって来た。昨日は画用紙に大量の絵を描いていたのだが、描きすぎて画用紙がなくなってしまったので今朝はベイブレードの改造を。そして飽きると、キッチンの上に置いてあるiBook G4でガンダムゲームを始めた。
 午前中は穏やかに過ぎ午後になって銀行へ帰って来て間もなく、かなり大きな地震が…。ネット検索してみると『12時33分 震源地 福島県沖 位置 緯度 北緯37.4度 経度 東経141.8度 震源 マグニチュード M6.2』で震源地の福島県は震度5弱で東京は震度2。もっとあるように感じたが…。
 1時を回った頃より空に雲が広がり、急速に天候が悪くなって来た。朝から早ければ夕方から雨という予報が出ていたが、その夕方から撮影があるので当たって欲しくないと思いつつ。
 4時15分モノブロックストロボ2セット・ストロボの脚2本デジタル機材などを持ち、柿の木坂陸橋近くの碑文谷警察署バス停まで。Y出版社の仕事で、終点の目黒駅まで東急バスで行き徒歩3分ほどのホリプロ(http://www.horipro.co.jp/)へ。今日はタレントの桃瀬美咲さん(http://ameblo.jp/misaki-momose/ http://twitter.com/misacky0306)のインタビュー撮影なのである。
 と目黒駅まで行くつもりでいたのだが、バス停についてすぐに来たバスが東京駅行き…。東京駅行きは目黒行きと止まる場所が違っているので、ホリプリに近い権野助坂下のバス停で降りることに。
 時間を見ると4時19分に碑文谷警察を出たバスは、何と11分という超高速で権野助坂下のバス停に到着(4時32分)。ゆっくり歩いてホリプロへ。ホリプロビルの前でY出版社編集のNYさんとライターのMYさんと合流しホリプロの受付へ行こうとしていると担当マネージャがやって来てインタビュールームへ。中に入ると桃瀬美咲さんが、緊張気味に僕らを向かえてくれた。
 桃瀬さんは現役女子高生。そして岡山から上京し、ただ今ホリプロの寮生活をしながら某芸能コースのある高校に通っているらしい。
 そんな話しから家族の話しそしてひとり暮らしと芸能生活のことを語る桃瀬さんはほんのりした感じではあるがとてもクレバーで、自分の置かれている状態をとても冷静に把握していて、お金を使いすぎないように親に心配をかけないようになど、古典的とも思えるくらい日本の女性の良い部分を兼ね備えているように思えた。そして数年したら桃瀬さんが尊敬していると言う優香(http://pc.yuka-club.jp/)を越えるくらい(優香もホリプロ所属である)の、素晴らしい女優に生長しているような気がした。
 取材は順調に進んで1時間ほどで終了し、ホリプロをあとに。編集のNYさんとライターのMYさんは目黒駅方向に、僕は来たときといっしょの権野助坂下のバス停に向かったのである。
 帰りのバスはさすがに時間的に混んでいて座ることは出来なかったが、電車で移動するよりはるかに歩く時間も短く、重い機材を担いでいる時間も少なくて快適に帰宅した。
 帰宅すると寝室で掃除機をかける音がしていたのでこんな時間にと思ってみて見ると、どうやら怜王がお片づけをした仕上として掃除機をかけていたらしい。
 そして妻と買い物に行って僕のための赤ワインを買って来てくれ、それをいかにも自分が買って来たかのように「おとうさん これおいしいよ!」などと泣かせることを言いつつ、掃除機を放り出してプレステでゲームをやり始めた。
 6時半過ぎ3人で夕飯を食べ、7時半過ぎに妻とお風呂に入った怜王は気分良く出て来た。身体を拭いてあげ、カサカサしている所に保湿剤をぬり牛乳カルピスにアレルギーの薬である小児用製剤『アレジオン ドライシロップ』を溶かし飲ませた。
 8時半過ぎ「ひとりでねむれるよ」などと言いながら布団入った怜王であったが、寝室をのぞくと両手を前に突き出してハグのポーズ。仕方がないので頭を抱えてぎゅーっとしてあげた、首筋や指先がカサカサしたままであったので保湿剤を持って来てぬりつつ、「むかしむかしあるところに おじさんとおばあさんはいませんでした」と笑わせようと言ってもたのだが、その時すでに怜王は爆睡状態に入っていて僕のギャグは虚しく闇夜に消えて行ったのであった…。
2010年06月13日(sun)  No.338

6月12日

 早朝4時過ぎ怜王が寝返りをうつ体勢を変え、頭は自分の枕のまま身体を回転させつま先を僕の枕にの方前突き出し危うく顔面を蹴られる所であったが起きていたのでどうにか回避。まるで映画『ピンクパンサー』のクルーゾー警部と助手のケイトー不意打ちバトルがのような状況が、毎朝我家では繰り広げられているのである…。
 怜王はそのまま足先を僕の枕の端に乗せたまま寝入ったので、僕は頭を少しだけずらし怜王の背を向けて眠ることに。
 5時半過ぎ早くも怜王が目を覚ましごろごろか印しながら僕の方に接近して来たので、怜王の動きを見るために仰向けになって怜王の方を見ようとしたとき転がって来た怜王のひざが僕の脇腹にヒット…。きつい一発で、第2バトルは敗北であった…。
 そして「もうおきたい…」と言うので先に起きても良いよと言いほっと気を抜いた瞬間、立ち上がり品に大きなクマのぬいぐるみを抱えていた怜王がバランスを崩しよろけて僕の左手に倒れて来た…。これもかなりのダメージで…、今朝の不意打ちバトルは怜王の2勝1分けで終わったのである。
 怜王が起きてしまったのでし方がないので僕も起き、リンゴジュースをコップに入れてあげた。ジュースを飲んだ怜王は昨日妻が購入して来た、画用紙を持ち出すと絵を量産し始めた。
 怜王画伯?が絵を描くスピードは異様に早く、あっという間に画用紙一杯に描き切る。描こうとするモノのイメージがちゃんとしているからだろうが、それにしても迷いなくさらさら描けるものである。
 ひとしきり絵を描いて満足したのか今度は寝室のプレステでゲームがしたいと言うので、昨晩遅くまで仕事をしていた妻がまだ寝ている(まだ6時半である…)ことで音を出さずにやるならやって良しということで怜王はゲームを始めた。
 その間を利用して昨日撮影したシトロエンC6NAVIの写真をセレクトし、画像の加工を行った。そして妻にデータをデータ便んで送信してからキッチンへ。すでに時間は7時半になっていた。
 キッチンのテーブルに置きっぱなしのiBook G4を開き、昨日届いてた何件かのメールの返信を書き送信。朝やるべきことは、これでひとまず終了。
 この土日本来ならDRUG創刊メンバーの大嶋さん横川さんと、DRUG19号用『ぶらカメ隊』ページのために歩くはずであったが、横川さんが春日井市の『Ban Photo Gallery(現在DRUGの寄稿者でもあるプロダクトデザイナー奥伸之さんが個展開催中 http://www.ban-std.com/)』へ土日で行くと言うので『お散歩写真』あらため?『ぶらカメ隊』は来週末に延期となった。
 延期と言っても19号の原稿締め切りは今月20日で、『ぶらカメ隊』の予定日は19日が僕がダメ(コダックフォトスクールがある…)なので20日。撮り終えた後が、かなりタイト(原稿と写真の編集は大嶋さんが担当)な感じ…。
 さて今日も午前中からいるものといらないもの、必要だと思ってずっととっておいたあらゆるものに目を通し今現在の僕としていらないと判断したものをどんどんゴミ袋に入れて行った。
 今住んでいるマンションには寝室とパソコンを置いてある部屋に1間ほどのベーシックな押し入れがあり、寝室にはさらに半間ほどの押し入れとその上に三つ天井までの収納があり、ほとんど荷物で埋まっている。
 先日は押し入れの中の雑誌や本その他諸々を処分したのだが、さすがに詩集は破棄することが出来ず再度段ボールに入れ直した。しかし書籍はまだまだたくさんあり、さらに吟味して処分するかどうかを決めて行かなくてはならない。
 2時50分過ぎ、妻が昨日に引き続き仕事の打ち合せをしにママチャリで碑文谷にあるデザイン事務所へ向かった。
 妻が出かけたあと、怜王が突然おもちゃ箱をひっくり返して何かを探し始めた。どうやら仮面ライダーダブル『ルナトリガー』の弾のようで、10分くらい悪戦苦闘をしてひとつ見つけ出した。そこまでは良い(見つかったこと)のだが、見つけ出すためにひっくり返した段ボールや箱そして玩具の類が寝室いっぱいに散乱し凄まじい状態となったのである…。
 そんなドサクサに怜王にいるものといらないものを分けてみようようと言うと、「うん」と言うのでプラスチック製の玩具とカードなど紙の類を分けてゴミ袋に仕分けして廃棄するよう促す。すると20分くらいで小さめの段ボールいっぱいに玩具が山積みされた。
 良く見ていると『ポケモン』関連は捨てる方に入れず、その他『NATURO』『ゴーオンジャー』『ケロロ軍曹』などはあっけなく捨てる方へ。 
 などとやっているうちに5時を過ぎた(妻の打ち合せが1時間ほどと聞いていたが、2時間を回った)ので、怜王を連れてダイエーへ買い物へ。とは言ってもまずは怜王はダイエ−7階の玩具売り場脇のゲームセンターで「ドラゴンクエスト」をやりたいと言うのでひとまず7階に直行。
 ドラゴンクエストのマシンは2台あって、1台は小学生5年生くらいの子がやっていてがもうひとつはあいていたので早速挑戦。怜王はやったことがあると言っていたがどうも手順が悪く困ってるようだったので、近くにいる小学生の男の子を捕まえ「やり方おしえて!」と僕が言ってやり方を伝授してもらいゲームスタート。
 初戦は勝利2戦目は負けと言うことで、1勝1敗だが怜王は妙に嬉しそうであったが「えれめんとのやりかたが わからなかった…」とひと言。アーケードゲームのドラクエはいわゆるテレビゲームとはやり方が違うので僕には良く分からなかったが、ともかくカードの使い方や戦い方は把握したので次からはもう初心者じゃなので怜王も(もちろん僕も!)頑張れる気がした。
 今日の夕飯何にしようかと怜王に聞くと「うどん」と言ったあとに「かれーとか しちゅーがいいかな」と言うので今夜はシチューにしようと言うことで具材を調達に1階へ。怜王に聞くと「ぶろっこりー たべれるよ」と言うのでブロッコリーを購入しダイエーを出た。
 出て間もなく、「今打ち合わせ終わった…」という妻からの連絡が入った。妻の帰宅と僕らの帰宅はほぼ同時のような感じで、怜王はお片づけをしつつ7時過ぎくらいに夕飯を三人で食べた。
 そして8時過ぎ寝る前の読み聞かせである絵本だが、今日は妻が図書館から借りて来た僕も怜王も大好きな絵本作家「いわむらかずお」作の『カルちゃん エルちゃん あつい あつい(http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=2989)』を読んであげる。
 だがしかし今日の怜王はいつもと違って、身体がなまっているのか面白がってるのかぼくがしゃがむとげらげら笑いながら背中に乗って来る。そして何度も何度も同じことを何度も繰り返す。それが面白いならと僕も怜王を飛行機のように抱えてくるくる回転したりしながら遊んであげると倒れるように怜王は眠った。
 いつもは僕の方が先に眠り妻は1時前後まで仕事をしたりビーズアクセサリーを作ったりしているのだが、この日めずらしく「もうねよう…」と言って怜王より先に眠った。僕はと言えば携帯ワンセグでサッカーワールドカップ『韓国×ギリシャ』を見て11時過ぎに眠った。
2010年06月12日(sat)  No.337

6月10日

 5時半過ぎ、「そんなにいっぱいだと はいらないよ…」と大きな声で寝言を怜王が言った。怜王は目を覚ます直前寝言を言うことが多いのだが、今朝はそのまま静かに眠り続20分後に何事もなかったように身体を起こし横になってる僕の顔を見て”にっ”と笑った。
 いっしょに起床しミックス野菜ジュースを飲み干すと、昨日紙に描いて切り抜いて作っていたファンキーな色合いのカメラ(レンジファインダーのようだが、後ろには液晶モニターのようなものがありどうやらデジタルのようだ)をキッチンのテーブルに置いて「かめらやさんです かってくれませんか」と言って楽しそうにしている。
 どうやって買うのかなと思っていると「そこに おかねがあります」とテーブルをの上を指さすのでその先を見ると、「10000」と書かれた紙片が。お金を渡して、色鮮やかな新型デジタルカメラを僕は購入したのである。
 怜王には2才頃昔のコンパクトカメラ『コニカC35』を玩具として遊ばせていたのと、僕がふだんGRDなどを使っているのを見ているのでその形を総合すると一眼レフではなくカメラのイメージはレンジファインダーっぽい感じになるのだろう。
 面白いのはちゃんとファインダーがついていることで、これはコニカC35などフィルムカメラの形状に目が慣れているからだと思うが面白いものである。
 怜王が幼稚園に行く少し前「今日午前中家にいたりしますか?」と言う連絡が、JAVELのTさんから入った。C6に大きなモニターのナビを取り付けたらしくその写真を撮って欲しいと言うもの。
 C6なNAVIのページはすでに撮影をしアップしてあるのだが、このナビ(http://javel.co.jp/navi.html)より大きなサイズのモニターということで11時過ぎにマンションしたまで来てもらい撮影をすることに。9時15分過ぎ妻に連れられ、怜王は幼稚園バス乗り場へ向かった。
 11時過ぎティさんから到着の連絡が入ったのでマンションしたに降り、撮影を始めたが写したいギアボックス近くの液晶と窓に近いダッシュボードに埋め込まれた液晶に極端なコントラストの差があったので、C6をマンションの駐車場に入れてどうにかバランスを取り終了。この間15分ほど。来週ブラックのC6の新しいページ撮影をする約束をし、別れたのである。
 僕が部屋に戻るのと入れ違いのように、妻が「2時半に怜王をバス停に向かえに行くので」と言ってビーズを仕入れに出かけた。
 12時までMacを前に作業をし、GXR+GR50mmMACROを持ち自宅から徒歩で自由が丘までスナップに出かける。撮影は、アスペクト比1:1のモノトーン。2時間ほど撮影をし、帰りも徒歩で帰宅すると2時10分ほどになっていた。
 帰りしなバッテリー残量が1/3くらい減っていたので、替えのバッテリーと交換し充電を開始してから撮影して来た画像データをMacに移し外付けハードディスクの任意のホルダに保存した。
 2時40分過ぎ、妻に連れられ怜王が帰って来た。お弁当も全部食べて来たからかも知れないがとても楽しそうで、毎日借りてくる絵本は『うみやまがっせん』と言うサルが主役のものであった。
 夕飯は怜王が妻に「しゃけのおすしがたべたい」と言ったことで、夕方に僕がダイエーに行きわさび抜きのサーモンのにぎりを2巻買いに行く。お寿司が食べたいなどはじめて言ったことで、食べる前の30分前にしっかり食前のアレルギーの薬”インタール”を飲ませたのである。
 さて「しゃけのおすし」は、というよりお寿司と言うものを怜王は一度も食べたことがない。つまり生の魚を食べさせたことがないので、十分警戒しつつインタールを飲ませておいたわけだ。
 怜王はまずおすしを手にとり醤油を少しだけつけておそるおそる端あたりを噛んでみたが、その瞬間「たべれない…」と言うのでそう言わずもう一度醤油をつけて思いっきりがぶりとやってごらんと言うと意を決したよ言うにがぶりと行くと「おいしい!」と言ってあっと言うまに2巻平らげたのである。
 こうしてだんだん食物アレルギーであっても、食べられるものが増え嬉しそうに食べている姿を見るのは嬉しいものである。
 8時過ぎ、寝る前野孝霊の儀式となった絵本の読み聞かせ。『うみやまがっせん』を読んであげた。短いストーリーであったが怜王はゲラゲラ笑って楽しそうにしながら気がつくと静かな寝息が聞こえて来た。
2010年06月10日(thu)  No.336

6月8日

 たまには時間を追って書くことをやめ、印象に残ったことだけを書いて見ようと思う。幼稚園からいつものように帰って来た怜王は、絵本ではなく短い物語が9編入った『おばけのはなし1(あかね書房)』と言う本を借りて来た。8時くらいまでテレビを見ていて歯を磨き、8時10分ようやく布団に入ったのでその本を読んであげることに。
 第一話は『のっぺらぼう』第二話は『ひとつ目こぞう』と続き、第6話の『糸ぐるまの女』と言う狐が糸を紡ぐ美しい女に化けた話しを読んでいる頃から怜王に睡魔が襲って来て、第7話の『こめくわぬよめさん』と言うヘビの化身の旅の女と結婚したケチな男の話しが終わろうとする頃には大の字で口を開けて眠ってしまった。
 ゆっくり読み聞かせをしていたが第7話を怜王が眠っているのでひとまず全部読み終えると(僕が物語に入り込んでしまっていた…)、すでに8時35分を回っていた。つまり25分も読み聞かせをしていたわけだが、このところ本を読むことも少なくなって来たのでどうも僕自身が物語に飢えていたようで…妙にわくわくしながら読んでいたのである。
 怜王に夏がけのタオルケットをかけてキッチンに戻り、僕が次にはじめたことは読み聞かせられなかった『ばけねこおどり』と『目なしゆうれい』を読むこと。
 最後の2編はかなり残虐なものだった。童話や昔話は教訓であったり警告であったりするモノが多い。子ども向けと言うにはとてもじゃないが恐すぎる話しや、信じがたいほど残酷な話しが多い。
 僕は怜王くらいの年の頃父からいろんな物語を話してもらったが、僕が持っても恐怖を感じたの『七つの子』や『かなりや』『赤い靴』そして『しかられて』といった童謡を良く歌ってくれたのだが、『かなりや』と『しかられて』は怖いのにじっと聞いていたという記憶がある。
 今でも父の少ししゃがれた声と歌い方を思い出すこともあるが自分の体験と怜王を重ねあわせると、絵本も良いが少し長めの物語を読み聞かせた方がイマジネーションが広がるのではと昨夜の怜王を見ていた思った。
 それは5歳になりあと5ヶ月経過すると6歳という、重要な時期に怜王が突入していると言うこと。それは怜王の最近の動向を見ていると、さかんに自分が描いた絵に言葉を書いたり、足し算を自発的にやり始め「おとうさん たちたすにはじゅうだようね(8+2=10だよね)」などと言ってくるようになったからだ。
 幼稚園では文字も算数も教えていない(月に1回英会話は外人の先生がやって来て教えてもらっているらしい)のに、「偉いな」どと思ったりするのである。
 そんな怜王は9時半過ぎに突然立ち上がり、めそめそしながらぐずりはじめた。顔見ると困ったような感じ…。妻が「怖い夢みたの?」と怜王に聞くと言葉はなかったがうなづいた。やはり眠る前に読んだ話しの何かが記憶に残り夢を見たのであろう。
 それでも怖い夢を見たことを僕らに伝えることが出来ほっとしたのか、次の瞬間うつ伏せるように布団に横になるとそのまま眠りに落ちたのであった。
 さて明日は、半年ぶりでアレルギー外来で妻が怜王を幼稚園にお迎えに行き、その足でバスに乗って山王病院で長くお世話になったS先生(昨年12月埼玉県某所に自分の病院を開業し、さすがにそこまで通院できないので様子を見ていたのである)が定期的に往診している大橋病院へ行くことになっている。
 この半年間病院に行かずとも大丈夫な感じもあるのだが、保湿剤も一番重要だと思われるアレルギーを軽減する食前の飲み薬『インタール』が底をついて来たのでやはりS先生に見てもらい薬を処方してもらおうと言うわけだ。
 小学校に上がるまで、あと9ヶ月。小学校は給食なので、僕らに怜王が食べるものを管理することはできない。突然体質が変わって、アレルギー体質が治ったりしないものかと思うのであった。
2010年06月08日(tue)  No.335

6月6日

 今日はゆっくり目の、7時起床(怜王は6時過ぎに起きてしまったので、リンゴジュースを飲ませiBook G4で遊ばせておき僕は二度寝をする)。7時半過ぎ3人で朝食を食べ、10時半過ぎ3人で部屋を出た。好天の日曜と言うことで、怜王を由比ケ浜(鎌倉)へ連れて行くことにした。
 東横線に乗り、自由が丘で特急に乗り換え横浜まで。そしてJR横須賀線に乗り、鎌倉駅下。都立大学駅から横浜までは21分ほど、横浜から鎌倉は34分ということで待ち時間をのぞいた実質的に電車に乗っている時間は1時間弱。幕張の実家に帰るよりはるかに近い。
 いつもならJR鎌倉駅から江ノ島電鉄に乗って由比ケ浜駅もしくは極楽寺駅で下車し海まで歩くのだが、今日は鎌倉駅から徒歩で由比ケ浜へ向かった。お昼前だったので途中セブンイレブンでおにぎりやサンドイッチを購入し、由比ケ浜へ到着。
 今日は快晴で気持ち良いが意外に風が冷たく、涼しいと言った感じ。浜へ行っておともかく腹ごしらえをと言うことでお昼を食べることに。
 だがしかし上を見ると鳶(トンビ)が20羽ほどいて僕らが座った真後ろの人が手にしていたおにぎりを、後ろからゲットし上昇。鳶は東京にいるとどんな鳥なのか分からないのだが、「あのとり わし?」と怜王が言ったように、鷲のような風貌でとても大きな鳥…。
 そんな感じで常に鳶が気になって空ばかり見ていたら、真上にある太陽の下に虹が見えるではないか!それも虹と言うイメージの逆さの形なのである。20カットほど撮影する。
 さて怜王はことの外海が気に入ったようで、サンダルと短パンで遊んでいたものの短パンの下の方が水浸しになってしまったのでパンツ1枚となり、さらにパンツがびしょびしょになり着ているシャツもほとんどずぶ濡れ…。2時間ほど穴掘ったりひざくらいまで海に入ったりで、楽しそうに遊んでいた。
 2時半過ぎ来るときは徒歩であったが、帰りは二駅しかないが江の電に乗ろうと砂浜を由比ケ浜駅方向に移動しているとばったり友人と遭遇。会ったのはSさんの奥さんとお嬢さん。お嬢さんのHちゃんは怜王と同じ年で、1才から2才の頃よく遊んだ友だちである。
 しばらく立ち話をしていたのだが、怜王は5才とは言えさすがにパンツ1枚であることが恥ずかしいのか照れ隠しでなかなかHちゃんの近くには来ず、なぜか離れた所で走っていた…。
 Sさんが「由比ケ浜駅までいっしょに行きませんか、私たちは藤沢方面なので反対ですけど」と言うのでいっしょに由比ケ浜駅まで。もちろんびしょびしょのパンツは脱がせノーパンで短パンをはかせるしかなくひとまず外見は普通に!
 Hちゃんと怜王はだんだん近くなって、怜王がサンダルを蹴るように脱いだりして面白がっているのをHちゃんも真似ねて楽しそう。楽しい1日であった。
2010年06月06日(sun)  No.334

6月5日

 6時過ぎ怜王が少々ぐずりながら…目を覚まし、しばらく布団の中で何かと格闘している?かのようにごろごろしているので先に起きてキッチンへ。怜王は自分の布団から僕の布団に潜り込むと、布団の中で一回転しキッチンの方角に頭を向けたと思うと、ちらっと目だけを出してこちらを見た。
 ぐずりはじめて5分くらい経過したので、バツが悪くなって布団から出て来れないようだ。怜王に近づいて鼻をつまんでから、リンゴジュース飲めばと謂うともぞもぞ布団から来てキッチンへ。リンゴジュースを飲むと、何時もの怜王になってキッチンの上のiBook G4で自分で探して懐かしい『パックマン』のゲームなどをやっていた。
 7時過ぎ3人そろって朝食を食べ終えると、怜王は寝室へ行きテレビのスイッチとプレステのスイッチを入れ数日前から怜王の年齢では難しいと思われた『ファイナルファンタジーX』の続きをやり始めた。
 今日は土曜日だが、H幼稚園は登園日。9時15分過ぎに妻といっしょに園バス乗り場へ怜王は向かった。
 12時半過ぎ妻に連れられ、怜王が帰って来た。1時半コダックフォトスクール6月開講、『曽根教室』初回講義のため銀座へ向かう。
 いつものように東横線に乗り、中目黒で日比谷線に乗り換えた。そして恵比寿、広尾と進み六本木に到着した時コダックのKさんから携帯に「いまどこのいらっしゃいますか?」「?」と思った瞬間、フォツスクールの始まり時間を間違えたことに気がついた…。
 フォトスクールが2時から始まるところを、今日は朝からなぜか2時半までに行かなければ…と思っていて、それでも早めにいつもつくように出ていたので六本木からだと15分ほどで着ける。連絡を受けた時間は1時50分…。
 5分遅れで日比谷駅に着き、早足でフォトスクール会場まで5分。10分遅れで6月開講コダックフォトスクール曽根教室初回講義がスタートした。
 今日は先日コダックのM所長とKさんとの打ち合せで知らされた『6月開講を持ってコダックフォトスクールを解散し、コダックの介入なしに講師自身が運営する写真教室に切り替える』との話しが、コダックけーさんより受講生に説明が。
 つまり10月開講(実質的には9月中旬)から、自主運営でコダックフォトスクールの受講生たちを引き継ぎ教室を続けると言うこと。講義会場はスポットフォトサロン(ケイジェイイメージング)の好意で今までどうりの場所を使用(レンタル)できることになったのである。
 フォトスクールはコダックが離れたことで名称が『銀座写真塾』となり、それぞれ講師の名称が教室名となる。つまり『銀座写真塾 曽根教室』である。
 初回講義は4時半終了の所を、4時45分までと僕が遅れた分を偶然カバ−する時間に終了。受講生のNMさんYMさんと10月開講の教室の打ち合せを兼ねて某所で懇親会を。二人からいろいろなアイディアを聞いていたところ、前方からふたりの女性が笑顔でまっすぐ僕の座っている方にやって来た。
 僕との距離が2メートルくらいになっていつもお世話になっているクライアントの、Y出版社編集の方々であった。少々立ち話をしたあと、ふたりは帰って行った。
 11時過ぎ帰宅。日中妻はビーズ購入怜王はベイブレードの『ベイ太2号』をやりに、横浜ヨドバシカメラへ言って来たらしい。キッチンのテーブルの上にシルバーのペアリングが置かれていた。何年か前何かの箱に入れておいてそのまま忘れてしまったのを、怜王が何かの拍子に見つけたのだと言う。
 10年前に購入した指輪である。ここ数年指輪をしていなかったが、気分転換にしてみようと思った。寝室をのぞくと、怜王は枕の方に足を向けてぐっすり眠っていた。さて明日は日曜日。怜王を、どこへ連れて行こうか…。
2010年06月05日(sat)  No.333

6月3日

 1980年頃千葉の実家をあとに原宿の神宮前6丁目のアパートでフリーランスのカメラマンとしてひとり暮らしをはじめてから、今現在住んでいる都立大学のマンションまでのおよそ30年間に都合7回の引っ越しをした。
 その間モノが増え続け、まずは4度目の引っ越しをした時(渋谷区初台→目黒区駒場)に初台の6畳の部屋に山積みになるほどの大量の家電やら椅子やらタンスやらを粗大ゴミとして捨てた。
 だがしかし駒場にいた時に妻と出会い結婚をし世田谷の豪徳寺に新居を構えたときは身軽な状態で動くことが出来たが、1年2年と時が経つに連れ膨大な量のモノが押し入れ一杯になり、これはまずいと特に量がかさんでいた書籍類の中の雑誌を掲載記事のみを切り抜き処分した。
 そして豪徳寺から同区の等々力へ引っ越しさらに今の都立大学に引っ越す時荷物を運びに来た業者が、「5人家族くらいの量ですね…」と少々嫌みっぽく吐き捨てたのを僕は良く覚えている。そのひと言は都立大学のマンションに荷物を全部入れ終えた時た、平米の数値的に10m2ほど狭かった(ちなみに等々力のマンションは58m2であった)都立大学の部屋ということで「どこで寝ようか…」と頭を悩ますくらいの段ボールが所狭しと山積みになっていて、妻と(まだ怜王が生まれていず、妻は妊娠5ヶ月くらいの身重の身体)ため息をつきながら寝場所を確保しどうにか眠ったという記憶が甦った。
 それでも小説や詩集や写真集、それに特集が組まれた雑誌など、あれだけ雑誌を処分して来たにもかかわらず今現在も大量にあることが気になってしょうがなかった…。
 頭の中では段ボールに入ったままで引っ越しをするたび新居に移動し、ひたすら”段ボールに入ったモノ”と言う感じで存在し続けることにずっと疑問を抱いていた。しかし大切なもののように見えて10年以上も見返すことのない本や衣類は、現在の僕には必要がないのではないかという思いがもたげて来た。
 まず文庫などもう読まないと思うものを選ぶと150冊ほどを3つに小分けして梱包し、即1階のゴミ置き場へ持って行った。捨ててしまうとなぜ今までなぜ後生大事に、引っ越しをするたびに場所移動をさせていたのだろうと思った。
 とは言っても7月の部屋の更新を辞めて、引っ越しをすると決定したわけではない。したわけではないが、そうなった時にあれこれ悩まないようなるべく荷物の整理がしやすいように、必要のないモノを削ぎ落としておきたと思ったからである。
 さて今朝は6時少し前に怜王が目を覚まし、意味不明な言葉を発して身体を起こした。そして僕が先にキッチンへ行くと、しばらく布団の上で転がったりのびをしたりしてから今朝はなぜかピンクパンサーの人形を手にやって来た。
 コップにリンゴジュースを入れてあげると半分ほど飲んでからトイレに行き、戻って来ると「ぱそこんやりたい」と言うのでiBook G4を開いてあげる。するとブックマークから『サルゲッチュ』のアニメを選んで見始めた。
 さてお弁当だが白いご飯のお弁当が飽きているように思えたので、怜王に聞いてからチャーハンを作ってあげる。そしておかずに「ふんわり豆腐のつくね」デザートにオレンジのひと口ゼリーを入れてあげた。お弁当と水筒、それに毎日借りてくる絵本を絵本入れのカバンに入れてあげ準備完了。9時15分過ぎ、妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ。
 ふたりを送り出したあとは昨日同様、押し入れに眠る段ボールをひとつだしふたつだしでここ10年ほどまったく見ることもなく使用することもなかったモノをチェックし次々にゴミ袋へ入れて行った。
 そんな中に友人カメラマンの結婚披露パーティーに出席したときの僕が映っているスナップ写真が出て来て、何とそれはシルバ−のGR1を首から下げている写真であった。デートを見ると97.6.1…、と言うことは13年前でまだ渋谷区初台に住んでいた頃だ。
 誰か撮影してくれたのか知らないが自分が何時も撮る側にいるので、自分自身が写っている写真はほとんどないのでこの写真は貴重である!?
 昼過ぎ妻といっしょに碑文谷ダイエーへ買い物に行き、2時40分怜王が帰って来た。帰って来るなり「おべんとう ぜんぶ たべれなかった…」とブルーな感じ…。どうやら帰って来る途中で妻にお弁当を全部ためなかったことで叱られたようだ。
 泣きべそをかき始めたので食べなかったことを叱ってもしょうがないと思い、今朝「おかゆ もういっこ(怜王は今だにもう一杯を「もういっこ」と言うのである…) たべたい」と言ったけどお昼はお腹いっぱいだったのかな?と聞くと「うん」と言う。
 朝二杯目のお粥はお弁当が食べられなくなるからと食べさせずにいたが、もともと食が細くご飯を食べることより遊ぶことが大好きな怜王なのでいくら言っても今の怜王には馬耳東風に近いものがある由比王泣きがした。
 夕飯は僕らが『山芋のぶっかけそば』と言うことで、怜王は似たような感じ『豚肉とニンジンのそうめん』を作り食べさせた。やはりお昼を完全に食べ切っていなかったのでそうめんはさすがに沢山食べ、少し残したのだがデザートのプリンを食べたあと数回に渡ってそうめんを食べつつ完食!
 食べたあとはお風呂に入って、テレビで『ポケモン』を見てお片づけ終えるとすでに8時15分。仕上は幼稚園から借りて来た絵本の読み聞かせで、今日は『すいかのたね』と言う”ばばばあちゃん”とネコやイヌたちとのやり取りの絵本であった。
 ゆっくり読み終えると「もういっこ(もうひとつ、ないしもう一冊と言って欲しいなと思いつつも)」というので、妻が先日図書館で借りて来た『ムスティ ームスティのママは びょうきー』を読んであげた(口の描き方がほとんどミッフィ…)。
 怜王はどちらも楽しそうに聞いてくれたが、僕にはどちらも絵本と言うか童話の繰り返し手法を使っただけでいまひとつ『14ひきの』シリーズ(http://www.doshinsha.co.jp/longsaler/14hiki/14main.html)のような清々しさや絵の美しさ内容の面白さを感じることはなかった…。
2010年06月03日(thu)  No.332

6月1日

 早いもので、今日から6月。とは言え肌寒い日が続いていて、感覚的には4月くらい…。今朝5時50分に目を覚ました怜王であったが、早くは深夜2時過ぎくらいよりごろごろしながら僕の布団に接近し…布団の境あたりでずんずん枕を越えて頭が玩具に当たり停止。
 当然ながら頭は布団から落ちているわけで、それが気になるのか両手を大の字に広げたりするものだから僕の顔に手の甲が2度ほどヒット…。これは叶わない…と枕を50センチほど下げて眠る体勢をとったが足を伸ばすと敷き布団から出て畳に…。どうにも寝苦しいと思いつつもいつしか眠った。
 だがしかし今度は妻が目を覚ましベランダの窓をあけようとしているので、「来てる?」と聞くと「いるみたい…」と言う。窓を開け妻が「しっ!」とやるとばさばさとハトが飛び立つ音が…。このところ毎日のようにハトがベランダにやって来て、観葉植物の辺りで「うう うう」と煩い…。
 時間を見ると5時。怜王は2時の頃の状態から、やや僕の方に接近して来ているものの爆睡中。僕もさすがにまだ起きたくない(というより眠りが細切れでどうも寝た気がしない…)ので横になり、目を閉じた。
 目黒通りもそろそろクルマ通過が頻繁になり、新聞配達のカブの音が住宅街を走り抜け、スズメの鳴く声が聞こえる中深い眠りに落ちて行った。
 5時50分にいっしょに起床した怜王は、ミックスジュースを飲みトイレに行くと「さむいさむい…」などと言いながら僕の布団に潜り込んで行った。そして2度ほどキッチンにやって来たが、再び「さむいさむい…」と言って今度は妻の布団に潜り込み眠った。
 たいがいこの時間は僕だけが起きていることが多く、まずは怜王のお弁当を作り水筒を用意した。そしてメールのチェックをし、出来る限り返信を書き送りこの日記の冒頭部分を書き一気のここまで書く。時計を見ると7時ちょうど。キッチンの窓からの間接的な陽射しを見ると、今日は快晴であるようだ。
 念のためネット検索で天気予報と最高気温を見ると、今日までが22度前後で明日から24度25度と気温は上昇するようだ。5月のゴールデンウイークの頃に沖縄が梅雨入りしたという記憶があるが、関東地方の梅雨入りがいつなのか気になる。
 早速気象庁の梅雨をネット検索(http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html)してみると、関東甲信越地方の例年の昨年の梅雨入りは平年は6月8日ころで昨年は6月3日であると言う。と言うことは明日からの1週間を過ぎると、梅雨がやって来るということのようだ…。
 9時15分過ぎ妻が怜王を園バスのバス停まで送りに行き、そのあと僕はシャワーを浴び調べごとをしばし行う。
 2時40分過ぎ、妻といっしょに怜王が帰った。今日幼稚園から借りて来たは絵本、「子だぬきと子ねこ」。どんな物語だろうか。3時過ぎCX3を持ち、近隣スナップへ。とは言っても狙いがあるので、お散歩とは言いがたい。
 ダイヤルをMY2(露出補正ストロボ光量などをかなり緻密にセッティングした状態で、マイセッティングというモード)にし、住宅街のひだまりの裏道を縫うように歩き狙いを付けてシャッターを切る。そして帰りに飲料水やワインなどを購入し帰宅した。
 帰って来ると怜王はプレステゲーム『サルゲッチュ2』を、妻は代々木公園で捕って来たオタマジャクシ(まだまだ体調は1センチにも満たないが今は尾も取れたカエルそのもの)の飼育(ベランダの観葉植物などに着いた小さな虫を食べさせているのだが、”食べる瞬間”をどうも見たいらしいのだ)に夢中であった。早速撮影して来た60カットほどのデータをMacに移し、フォルダに保存。
 4時半過ぎより怜王とベイブレードバトルを行うが、やりたいと言った怜王の方が先に飽きてしまい10分ほどで終了。そして次の怜王の遊びは、画用紙に時計を描き文字盤に数字を書き入れること。最近は描いた絵に、文字や数字を書き入れることがマイブームであるらしい。
 夕飯を食べお風呂に入った怜王は、テレビで『爆丸』などを見てから、8時過ぎに今日借りて来た「子だぬきと子ねこ」それに妻が図書館で借りて来た「ぶりとぐらのなつやすみ」を読んであげる。
 両方ともけっこう文章が多く、途中怜王が水を飲みたいやら何やら落ち着かず、読み終えると8時半を回っていた。それでも満足したのか、怜王は静かな寝息を立てて眠った。
 怜王が眠ったあと9時過ぎから妻がレンタルして来た、ミラ・ジョボヴィッチ主演の映画『THE 4TH KIND(http://www.youtube.com/watch?v=mTOyUIOfHXs)」を見る。
 サイボーグ的妖艶さとシャープな身のこなし(極めて個人的印象だが)というミラジョヴォヴィッチのイメージからかけ離れた地味な心理学者役ではあるが、NASAや国家絡みの未確認飛行物体や宇宙人などに関連して不慮の死を遂げ、あるいは常識を超えた体験をしたにもかかわらず誰にも信じてもらえないと言う苦悶の日々をシリアスに引き出す公演であると思った。
 しかしミラ・ジョヴォヴィッチでなくても良かったのでは?、という印象も(実写映像のカウンセラーの女性の、病的な雰囲気とかけ離れているように思えたから…)心の片隅に残った。
2010年06月01日(tue)  No.331

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