ys diary
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4月29日

 昨日『目黒区教育委員会事務局 学務課 学事係』から、「隣接学校希望入学精度のお知らせ」という封書が届いた。これは隣接小学校希望入学制度の概要が書かれていて「お住まいの住所地の指定校のほか、指定校に隣接している小学校への入学を希望できます」と言うもの。
 今住んでいる所在地の指定小学校は『大岡山小学校』で、指定校に隣接している小学校は『八雲小学校、碑文谷小学校、鷹番小学校、原町小学校、中根小学校」の5校。つまり『大岡山小学校』以外の小学校を希望する場合、5校の中から選び申請をしなければならないということらしい。
 さて昨日は独立した頃(30年以上前)からの知り合いのキヤノン川名さんの『ナカジメの会(定年退職祝い)』が銀座某所であり、会場を見渡すと大御所写真家から若手写真家など多数集まっていた。
 『ナカジメの会』とは、キヤノンは退社(41年間)するがキヤノンのEOS学園の講師の仕事が第二の人生となることからつけられたネーミング。お疲れさまでした。そしてこれからも頑張って下さい!
 6時に会場に入りし、8時半(会は9時までだが…)会場を出た。そして夜の銀座を30分ほどスナップしてから銀座線に乗り込んだのである。
 あけて29日。5時半過ぎ怜王が目を覚まし、「きのうはね おふとん じぶんでしいて 8じはんくらいに ねたんだよ」と言いながら僕の布団に潜り込んで来た。今日は天気は良さそうだが、強風が吹き荒れていた…。
 リンゴジュースを飲んだ怜王は、めずらしく「もんすたーずいんく もうこわくないんだよ」と突然口にした。ディズニーアニメの『モンスターズインク』は2年ほど前面白そうと言うことでDVDを購入したのだが、最初はイントロで出て来る『PIXER(http://www.pixar.com/)』のスタンドが怖いと言って、さらにモンスターズインクのロゴマークの『M』に描かれていた目が怖いと言ってからいくら怖くないよ面白いよといっても頑として見ることはなかった。
 が今朝は何を思ったか見ても良いようなことを言うのでそれじゃiBook G4で見ようかと言うと、「さいしょはじまるまで おとうさんもいっしょにみてほしい…」とやはり少々警戒しているようだったのでいっしょに見ることに。
 すると何のことはない、『PIXER』のスタンドも『M』のロゴマークも全然平気で、楽しそうに見始めたのである。
 強風はおまることなく昨年も行った(http://ys-ode.net/sfs6_diary/sfs6_diary.cgi?action=day&year=2009&month=05&day=03)恵比寿ガーデンプレイスのゴールデンウイークイベント(http://gardenplace.jp/index.html)に怜王を連れて行こうと妻が言っていたが、イベント会場はビルの谷間の広場なので強風は避けがたく別の日にしようかとも思ったが天気もいいことで昼過ぎともかく行ってみることに。
 東横線で代官山まで行き、スナップしながらJR恵比寿駅方向へ。アトレに行き動く歩道を使って恵比寿ガーデンプレイスまで。行ってみて意外に思ったのはセンター広場はあまり風がなく2階のビルに近い回廊が強風だったこと。
 さて今年のイベントは規模が小さく、来場者がとても少ないこと…。それでも工作のようなことをするブースがあり怜王も興味があるようなので、3時まで(間持ちしないので目の前のマックに入り僕らはコーヒーを、怜王はハッピーセット)待って(ここだけ混んでいた)参加の引換券を受け取り4時過ぎから30分ほど工作タイム。
 ここは妻に任せて、CX3でガーデンプレイス内をスナップ。程よい時間に戻ると、絵本作家『tuperatupera(http://www.tupera-tupera.com/)』さんの指導による手作りおもちゃ『ころころおばさんづくり』は完成寸前。
 完成まで数分と言う感じで傾斜させた板の上から『ころころおばさん』を怜王は転がそうとしたが、少々平らすぎて上手く転がらなかった。しかし『tupera tupera』さんの奥さんに、「可愛いく出来てるのにね!もう少し丸みをつけると良いかも…。 お家にかえってもう一度挑戦してね!」と言われ怜王はまんざらでもないようだった。時間を見ると、すでに4時半。帰りは恵比寿から日比谷線に乗り、中目黒経由で東横線で帰宅。
 帰宅し夕飯を食べる時間まで、怜王はテレビで『モンスターズインク』を再度見ていた。どこの子もそうなのかも知れないが、一度面白いと思うと何度も何度も繰り返し見る。『となりのトトロ』も、「ねこばすにのりたい」「ととろにあいたい」などと言いながら繰り返し見ていた。 そうこうしているうちに8時。そろそろお片づけをして歯を磨いて寝ないとねと言うと渋々片付けをはじめ、8時半過ぎに布団に入ったかと思うと数秒で寝息が聞こえて来た。ガーデンプレイスで走り回って、疲れたのだろう。
 さて明日明後日と幼稚園はあって、日曜日2日から我家は連休に入る。5日までの予定は、すべて怜王中心なのである。
2010年04月29日(thu)  No.314

4月27日

 怜王が目を覚まし「といれ…」と言って、小走りにトイレに行って帰って来た。時計を見ると5時…。起きるにはあまりにも早いので、もう少し寝ていようねと言うと、昨日から布団にいっしょに入れているクマのぬいぐるみと幼稚園でもらって来た犬のぬいぐるみ(なぜか自分のTシャツを着せている…)抱きかかえるとさっと布団をかぶり信じられないスピードで二度寝を始めた。
 良かったと思ったが今度は僕が眠れなくなり…、目を閉じたまま6時15分過ぎ怜王が目を覚ましたので、いっしょに起床した。いつもこれくらいの時間に、目を覚ましてくれるとありがたいのだが…。
 You Tubeで『てつわんあとむが みたい』と言うのでキッチンのテーブルに置いてあるiBook G4で1時間ほど見せてあげていたが、「げーむがしたい」と言うので音は小さくしてと言ってやらせてあげることにした。昨日買ってあげたプレステ2用の『鉄腕アトム』、なかなか面白いのである。
 9時少し前ジャベルのTさんから、「今から横浜税関大黒ふ頭へ行きます」と言う連絡をもらう。9時過ぎ機材を持って、京浜東北線石川町駅へ向かう。
 今日はドイツから新車のシトロエンC5エクスクルーシブが大黒ふ頭で通関ですぐに神戸港へ移す(また戻っては来るが…)ため、写真だけでも先に撮っておこうと言うことで撮影することになったのである。
 大黒ふ頭へTさんのC6で移動すると、凄まじい量のクルマが広大な敷地内に所狭しと置かれていた。本来なら岸壁に移動させて横浜港をバックにと思っていたのだが、どうあがいてもぎゅうぎゅうで前後に2メートルほどしか移動出来ない。
 ポルシェとミニに挟まれる恰好の黒のC5ディーゼル・エクスクルーシブを1メートルほど前に出してもらい、どうにか撮影を済ませた。
 帰りは高速で三ツ沢経由玉川インターチェンジで降りるころよりぱらぱらと雨が…。環八を尾山台方面に進み目黒通りに出ると、あっという間に都立大学に到着。午後から雨がと天気予報で言っていたが、今年はずいぶん予報の確度が上がったような…。
 12時半怜王を向かえに行った(午前中用事があって大森に行っていて、その帰りに向かえに行っている)妻から「雨がいっぱい降って来た…」と言うメールが入ったので、即傘を持って行くと返信して外に出た。
 確かに傘なしではびしょぬれになるほどの雨量で、早足でバス停まで行くと怜王は妻のパーカーに隠れるようにしてバス停から100メートルほど自宅よりの歩道橋の階段の下で雨宿りをしていた。僕の傘に怜王を入れ、手をつないで帰宅。
 帰るとまずお昼を。お昼は妻からメールがある直前作った、バターと砂糖を混ぜ合わせ食パンをフライパンで焼いたフレンチトースト。「おいしい おいしい」と言って食べてくれた。
 食後は『鉄腕アトム』ゲームに興じ僕らが傘を買いに行こう(買ってに選ぶと、これは嫌だと言うことがあるから…)と言っても「いきたくない…」というので、妻がひとりでかいに行きポケモンの絵が入った傘を買って来た。ひとまず気に入ってもらえたようだ。
 さて明日は完全に雨のようだ。怜王は新しい傘で、さぞかし楽しいことだろう。
2010年04月27日(tue)  No.313

4月26日

 昨日は一昨日病院へ連れて行った関係で、ベイ太2号でポイントバトルをやりに行けなかった怜王を連れ、自由が丘の『おもちゃのマミー』へ昼過ぎに行った。日曜日とあって小学生たちが多かったが地下のベイ太2号で買ったばかりのベイブレード『サーマルラチェルタ』で対戦したが、4勝3敗くらいの感じでポイントをたくさんゲット出来怜王はご機嫌であった。
 お店の外に設置してあるベイバトルのスタジアムには小学生(聞いたら10才と言うから3〜4年生)が10人くらいいて、その中に5才のちっこい怜王が割って入って(けっこう良い度胸をしている)勝ったり負けたりのバトルを楽しそうにしていた。
 妻はこのところずっと建築家MさんのHP制作にかかりっきり。最近手がかからなくなったとは言え公園や家の中ではないので怜王の側についていなければならず、天気が良くスナップを撮り歩きたい気はやまやまだがたい所だがそれは叶わぬこと。少々フラストレーションがたまってしまったので、夕方ひとりで買い物に行くと言って出て、都立大学駅周辺をスナップして回った。
 あけて今日、26日。学芸大学のクリニックでもらって来た薬が効いて来たのか、怜王は鼻水も咳も納まって来て夜から朝にかけて目を覚ますこともなくなった。
 5時過ぎ怜王が目を覚まし「もうおきたい」と言ったが、あまりに早いのであと30分くらい寝ていようよと返事をし微動だにせずに目を閉じていると数分後には二度寝を始めた。ラッキーと思い再び眠ろうとするが一度眼が覚めてしまうと寝付けない性分で…、5分ほど迷ったがそのまま起床した。
 そして起きる時に怜王を見ると、怜王が生まれた時に友人からもらった生まれたときと同じ体重のクマのぬいぐるみといっしょに眠っていて、あまりにも可愛いのでCX3を持ち出しISOを800に増感し2カットシャッターを切る。
 外はすでに明るいのだが寝室はカーテンも締めてあることで、ISO800で撮影をしてもF3.5(開放)でシャッタースピードは1/9秒と限りなく手ブレの限界に近いがどうにか止めることができた。
 キッチンで朝ご飯の仕度をしていると、6時少し前「おとうさん… あっいない!」と言う声が聞こえたので寝室をのぞくと、怜王がこちらを見て不思議そうな顔をしていた。そして少々もぞもぞしたあとキッチンにやって来たので即座にトレーナーを着せてから(まだまだ寒い)牛乳カルピスを作り飲ませた。
 9時15分過ぎ、妻に連れられ元気よく怜王は幼稚園バス乗り場へ向かった。妻が帰宅して間もなく1時間ほどしてから、久しぶりにふたりで自由が丘へ。それも徒歩で(それは写真を撮るためである)向かうことにした。
 何故いっしょに行くことになったのかと言えば、昨日ここ数ヶ月悪戦苦闘して来ていたプレステゲーム『ラチェット&クランク4』を無事クリアし「もう やるげーむがない…」と怜王が言っていたのを思いだし、まだやっていない『ラチェット&クランク3』があればそれを、なければ別のゲームを買ってあげようと思ったこと。
 そして妻が怜王の傘が壊れていて、「明日の夜あたりから雨が降りそうだから、怜王の傘を」と言うことで、いっしょに行くことになったのである。
 自由が丘までは、ゆっくり歩いて15分ほど。今日はとても暖かく清々しい天気で、Tシャツにパーカーで出かけたが、それでも歩いていると熱く感じるほどの陽気であった。
 さて目指した場所に『ラチェット&クランク3』はなく、仕方がないので面白そうに思えた『鉄腕アトム(http://sega.jp/ps2/astroboy/)』を購入。傘も良さげなものが見つからず買わずじまいで再び徒歩で都立大学に向かい、僕は怜王のお昼ご飯を作り直帰し、妻は怜王を向かえに幼稚園バスのバス停へ。
 15分の時間差で妻と怜王が帰ってくる前に、冷やしうどんを怜王のために作ることが出来た。今日は暑かったので冷たいうどんにしたのだが、妻が怜王を連れて帰ってくる時に何が食べたいか聞いた所「うどん」と言っていたと言うので冷やしうどんはかなりの確度で的を得ていたかも!
 『鉄腕アトム』は予想以上に良い感じで、怜王も楽しそうにゲームをしてた。数時間経った頃「おとうさん ○○してぃーにいく やりかたがわからない…」と言うのでゲームをやってみると、なかなか良く出来ていて(6年前の制作とは思えない感じ?)これはハマるなと思ったし僕自身も面白いと思った。
 我家の押し入れの奧の方には、プレステの大量のゲームソフトがが残骸のようにある。大半は僕の所有物なのだが、個人的に好きな映像が美しくフェイ・ウオンの歌が挿入歌である『ファイナル・ファンタジー8(http://www.youtube.com/watch?v=tM-C5hVRd7k)』をいつか怜王にも体験させたいと思いながらも、まだまだ難解なゲームであると判断しやらせてはいないのだが、最近の怜王を見ているとやれるのではないかと思うこともしばしば…。小学生になったら解禁してあげようかな…などと思いつつ…。
2010年04月26日(mon)  No.312

4月24日

 5時過ぎ寝言を言いながら、怜王が僕の布団に潜り込んできて大きな伸びをした。伸びをしたその右手が僕の頭にコツンと当たったが知らん顔で背中を向けていると、布団を引っ張ったり横を向いたり上を向いたりするのでおちおち寝ていられず…、5時半過ぎ根負けしていっしょに起床した。きわめて不本意な起床である…。が起きてしまえばやることはあり、ひとまず数件届いていたメールの返信を書き送信した。
 天気が良かったり悪かったり、夏日と真冬のような日が1日おきに繰り返されて体調は今ひとつ…。今日は天気は良さそうだが、とても寒い朝であった。
 元気に起きて来たかに見える怜王だが、一昨日あたりから鼻づまりと咳が出て来ていて土曜日だからといって出かけると言った状態ではないように思え、8時半過ぎ妻が学芸大学近くの行きつけのクリニックに予約を入れ診察をしてもらうことに。
 怜王的には今日は新しいベイブレード『サーマルラチェルタWA130OHF』の発売が今日で、自由が丘の玩具屋さんの『おもちゃのマミー』へ行ってラチェルタを買ってそれでベイ太2号とポイントバトルをしようと思っていただけに少々ブルーに…。
 8時半過ぎの予約ですでに30名の予約が入っていることを知った妻が言うのは、「1時間に15人ということは、れおの番は11時過ぎくらいかな…」と言っていたので、どこにも行けない怜王が可愛そうなのでさっと支度をして10時過ぎ渋谷の東急百貨店7階の玩具売り場へ向かった。
 東急百貨店の玩具売り場は混み合わないので、今日発売の『サーマルラチェルタWA130OHF』は売り切れずに並べられていた。即購入し妻の携帯にゲットしたことのメールを入れると、「余裕を見て、少し早いけど病院へ行く所です」と言う返信が届いた。
 帰宅し早速ラチェルタを組み立て、シールを貼って完成。なかなか美しいデザインの、ベイブレードである。
 12時半、妻と怜王が帰って来た。怜王はニコニコしながらキッチンまで来て、テーブルの上に置いてある『サーマルラチェルタWA130OHF』を見るなり「すごーい!」と言って手に取っていろんな確度から眺めていた。
 5時半過ぎ怜王が大好きな都立大学駅前の、『ポポラマーマ(http://www.popolamama.com/store/1201222848/1202808113/)』へ。怜王は定番のハーフサイズの「たらこスパゲッティ」とカルピス飲み放題。妻は「タリアテッレ」とハウスワインの白。僕は「レッドペペロンチーノ」とデキャンタで赤ワイン。楽しく食べて飲んで、帰りに東急ストアによったら「はぁー」っとガラスに息を吹きかけ絵を描いたり、そのあとガムテープなどを買うために100円ショップによったらサングラスをかけてみたりなどの怜王を撮影し6時半過ぎ帰宅。
 帰宅後は怜王といっしょにベイバトルをしたり、ピーターパンの塗り絵をしたりしたあと怜王は8時過ぎに病院でもらって来た薬をひととおり飲むと(3種類あったがすべて甘い味がついていて、怜王的には気分良かったのかすべて飲みほすと)あっさり眠った。
 帰宅後シトロエンのジャベルのTさんからのメールと、撮影日程についてのやり取りをする。ひとつは横浜税関に到着するシトロエンがそのまま神戸へ行くことになっていて、神戸へ行く前に撮影を横浜税関内で行うと言うもの。
 スケジュール調整をしつつ、もう一件撮影することになる車種のチェックなどをする。僕もフリーですべて自分でやらなければならないことが多いが、ジャベルもひとつの会社でシトロエンの中古車販売から新車・新古車の販売へ仕事の幅を広げて来ていて、新車販売がく循環し始めて来ているのである。
 9時過ぎ雨が降っている音がしたので、ベランダに干してあった洗濯物を取り入れた。そのあと妻がツイッターを見て、「渋谷でひょうが降っている!」とのつぶやきがあったと言った。寒いわけである。 
 ここ数日音的に昔から好きだったインドのシタール奏者のラヴィ・シャンカールの娘のアヌーシュカ・シャンカールと異母兄弟のノラ・ジョーンズが、どちらとも捨てがたいやんわりしたものがあって何度もYou Tubeで再生して見たりCDで聴いたり…。ふたりの作り出す音楽や音に、癒されるのはなぜだろう…。
2010年04月24日(sat)  No.311

4月22日

 昨日に引き続き怜王は5時半頃に目を覚まし、「もうもうきたい…」と言うので一旦起きて暖房を入れ上着を着せてからリンゴジュースをコップに入れてあげる。そして6時まで寝かせてくれると聞いて、僕は30分だが眠りをむさぼる。
 6時起床。怜王はキッチンのテーブルに置いた僕のiBookで、『ラチェット&クランク』のYou Tubeを見ていた。そして7時半過ぎいっしょに朝ご飯を食べたのだが、今朝の怜王はおなかが空いていたのかめずらしくご飯のお代わりをしていた。
 9時15分過ぎ、怜王は雨の中妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった。今日は昨日とは打って変わって、真冬のような寒さである。
 午前中妻は建築家MさんのHP制作に没頭し、僕は”fragment”をアップ(http://ysode.blogspot.com/)したり、昨日撮影したC4 picassoのカットをセレクトし加工をしたりでそれなりに慌ただしく過ごす。
 午後になって怜王が幼稚園から帰って来てしばらく経ってから、「森山先生から封書が来ていたけど、取ってこなかった…」と妻が言うので取りに行き開封すると、中に写真展『記録15号ーNew Yorkー』のDM(http://www.artdish.co.jp/)とそこにDRUG20号(特別号予定)に”参加”して頂けるとの嬉しい一文が! DRUG20号について今年の頭のリングキューブでの写真展(『SNAPS』)のパーティで、写真家の木村恵一先生から「20号僕も参加させてもらえないかな?」と言う話しをいただき、木村先生が参加していただけるのであれば師匠の森山さんにはぜひとも参加してもらえたらと思い数日前文書でお願いをしていたのである。
 DRUG創刊メンバーからも「森山さんに参加してもらえるよう頼んでみてよ」とか、「曽根さんが頼めば大丈夫だよ、やってもらえるよ」などと言われても…、最近一般財団法人『森山大道写真財団(http://www.moriyamadaido.com/)』とHPのタイトルが変わっていて個人レベルでの交渉では難しいのではと思っていたので内心ほっとした。
 DRUG20号は文章関係を省き、写真集のような体裁で仕上げようと考えている。森山さんが参加となればがんばりも利くし、多くの人に参加してもらえるように思えととても心強く感じた。
 夕方になって雨は朝より強い降りになり、寒さも増して来ていた。少々買い物があり東急ストアに行ってくると妻に言っていると、「ぼくもいっしょにゆく」と怜王が言い寄って来た…。
 買い物に行くことは行くがポケットにCX3を忍ばせ雨の中のスナップを往復で行おうと思っていたが、怜王がいっしょに行くとなると両手が塞がってしまうのでスナップは断念…。左手に傘右手で怜王と手をつなぎ、東急ストアへ向かった。
 東急に向かいつつ18号が春号で刊行済みで、次は19号で夏号になると言うことは遅くとも7月中には出さないといけないし、秋号となる20号は10月中に出すと言うことは9月中旬までには作品を集めておかなくてはならない。
 さて寝室に玩具を広げていた怜王を、どうにか誘導しお片づけをさせてから6時半過ぎに妻といっしょにお風呂に入らせ、見たいと言っていた「ポケモン」と「NARUTO疾風伝」をテレビで見せきっちり8時過ぎに布団に入って眠った怜王は、9時少し前に突然なきながら目を覚ました。
 落ち着かせるためにいっしょにトイレに行かせ、お水を少し飲ませて久々に背中をさすったり頭を撫でたりして数分後に寝かせる。
 妻は相変らず建築家MさんのHP制作で手一杯ではあるが、目を覚ました怜王を寝かしつけたあとコンビニに行くよと言うと「果物が入っているゼリーを買って来て欲しい」というので買って来てあげると、さくっと食べて再びMacに向かい作業をはじめた。
 妻は苦難にあっても教えを乞うのが苦手なタイプ(これは怜王に受け継がれているような気がする…)で、自分と格闘している姿を見るのは辛いものがあるのだが、そう言う僕も教えを請うのは苦手なので状況を見ながら適材適所にいろいろなことが納まるのを見守るだけなのであった。
 とはいえ徐々に制作は進んでいるようで、9時を過ぎると携帯のワンセグでドラマを見る余裕も。きっとどうにか出来る所まで、制作は進んでいるのだろう。この間数回怜王はうなされ、様子を見に寝室へ。
 今日はどういう状況であるのか怜王の話しでは分かりかねるが、いつも乗るバスに乗り遅れ別のバス経由でいつも乗っているバスに途中で乗り換え怜王は帰って来たらしい。らしいと言うのは、怜王の説明があまり要領を得ず憶測で僕らはいろんなことを推測している…。
2010年04月22日(thu)  No.310

4月21日

 5時半過ぎ、怜王が目を覚ましごろごろし始めた。もう少し寝ていたと思うが、転がる怜王の手や足が顔や背中に当たるので渋々起床。5時45分であった…。
 起きてしまうとやることはたくさんあって、まずは怜王に飲み物をあげてから昨夜溶いておいた釜をガステーブル(15分タイマーをセットしつつ)かけたり、これも昨日から戻しておいたきざみ昆布でみそ汁を作ったり…。
 そして数日前使い切ってしまったフレンチドレッシングを、レシピ(サラダ油大さじ4、酢大さじ2 塩小さじ1/2 胡麻がなかったので粗挽き胡椒を少々)をiBook G4で見ながら作ったり。
 怜王はベイブレードを一式キッチンの床に広げ、『ベイブレード爆転全書(http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784091064523)』を見ながらベイブレードの改造をしていた。
 7時少し前まで夢中でやっていたが突然寝室へ行き、プレステゲーム『ガンダム』をセットし遊び始めた。暗くなったら寝て明るくなったら起きるという、理にかなった寝起き?をしている怜王だが、夜はともかく早起きに付き合うのは少々辛い…。
 めじらしく怜王が「やきおのぎりがたべたい」と言うので、ウインナをタコとカニに細工して焼いたものを添えて食べさせた。
 1日の遊びを起きてからおよそ4時間あまりの間に、ひととおりやらないと気が済まない怜王にとっては4時間は遊び足りないくらい短い時間なのだろうが、僕らにしてみればとても長く感じる。
 9時15分過ぎ妻が怜王を連れて幼稚園バスのバス停へ行き帰って来た9時40分、入れ替わりで僕がバッグにD90+タムロン18-270mmVCそれにGXR+24-72mmVCを入れ、来月のトップページ用の撮影のためシトロエンのジャベル(http://www.javel.co.jp/)に向かう。
 外に出ると、Tシャツでいられるほど暑かった。ニュースでは明日は10度くらい気温が下がるという…。今年は、寒暖の差がほんとうに激しい。微妙に鼻が詰まりっぱなしで、鼻声である期間が長い春である。
 中原街道沿いのジャベルへ行き、事務所でTさんと少々雑談をしてから徒歩数分の車庫へ。来月5月のトップ写真は、メタリックな紫系色のC4 PICASSO。メタリックな紫系と言うとかなりえぐいイメージがしてしまうかも知れないが、少々ずんぐりしたC4PICASSOがとても精悍な感じに見えた。
 10時50分過ぎ28日に横浜の税関(通関したらC5はそのまま神戸へ向かうらしい)で新型ブラックのC5を撮影する話しをし、Tさんと別れ戸越銀座商店街をスナップしながら歩き池上線に乗る。旗の台駅で大井町線に乗り換え、さらに自由が丘で東横線に乗り換え都立大学下車。11時半前に帰宅し、速効でD90で撮影して来たデータをMacに移し、GXRで撮影したスナップもフォルダに保存した。
 12時35分、妻といっしょに怜王が幼稚園から帰って来た。毎日目一杯遊ぶことを心情?とする怜王は、幼稚園から帰ると「きょうは なんか いいことあるかな?」と言うのが口癖で、このところ行ってなかった『ポケモンバトリオ』をやらせてあげようと思い2時過ぎ碑文谷ダイエー7階の玩具売り場脇のゲームセンターへ。
 帰宅後どうしてもやって欲しいと怜王に言われ、プレステの『ラチェット&クランク』の難解な箇所をやってあげる。こうして毎日は、なんだかんだ言って怜王中心に動いているのであった。
 夕飯を食べ終わった頃、携帯に弟から電話が入った。両親からは何も連絡がなかったが、どうも叔父が亡くなったようだ…。叔父とは父のひとつ上兄(長男)で、先日怜王とふたりで実家に帰った時、「あにきが、もうご飯を食べられなくなって流動食で、寝たきり起きれないらしいんだ…」と父が寂しそうに言っていたのを思い出した。
 「おれのオヤジは50代で死んで、残されたおばあちゃんの死んだ年をおれが越えてよ…」と話し始めた父は「だれだっけ…一番下の弟のTが30才で死んで…、伊丹に行った弟が死んで、ふたつ下のIがこの前死んで…」と自分以外の亡くなった兄弟のことを思い出すように口にしていた。
 父は11人兄弟の二番目で、今日の叔父(87才)の訃報で亡くなった父の兄弟は7名…。弟は「なんか来るときが来たような感じでさ、兄貴この連休あたり実家に来てオヤジの話しを聞いてあげてくれないかな…」と言う。
 父親は昔から極度の心配性で…、コダックフォトスクールの撮影実習を業平橋で行った帰り受講生と懇親会をやっていて、妻には遅くなると言って出たので携帯をマナーモードにしておいたのだが、そんな日に限って間違い電話を僕が書けた電話と勘違いし「陽一じゃなかったのかな?何も言わずに切れたれたけど何かあったんじゃないか?」
 あるいは「Nちゃん(妻のこと)に電話したけど出ないし…やっぱり何かあったんじゃないかな?」と言って「何か知ってることはないか」と僕の妹の所に電話をしたものだから妹が「心配なのは心配性おじいちゃんだだけど、実家にお兄ちゃんから電話入れてあげてくれる」というメールを受け取りだんだん話しが大きくなって、妻にも同様のメールを妹が送っていたこともあり、妻は受講生の中でよく知っているSさんともしいっしょだったらこんなことになってると僕に知らせて欲しいと言う連絡を入れたりで酔いもさめるほど事件になってしまったことがあった。
 実際は妹の言う通り間違い電話で、実家に連絡を入れると母が「おじいちゃんに間違い電話で、陽一からじゃないよと何度も言ったんだけどね…。話しが大きくなっちゃってゴメンね…」と言うさらっとした返事が返って来た。
 僕の父は、今年の9月で83才を向かえる。前立腺肥大の手術や、緑内障の手術などを行ったことはあるがいわゆる大事に至るような状態ではなく、ご飯もしっかり食べ血色もよく極めて元気なのである。
 母は79才で歩く早さは今だに僕よりも早く…、何事もちゃきちゃきしていて性格的には江戸っ子(その実、東京都北区田端の生まれで、父は千葉県千葉市幕張町生まれ)。最近富みに父と母の関係が、逆転しているような気がしないでもない…。
 ちなみに僕の性格や顔立ちは母親から授かったものが多く、弟は父親に近い性格(今日弟もそう言っていた)で風貌はどちらかと言うと父親似?で、妹は性格的に母親似で明るく風貌は父と母の両方を受け継いでいるように見える。
 父はA型の寅年で、母はO型の巳年。僕はO型巳年で、弟は亥で妹は申年、ふたりともA型。ちなみにAB型(戌年)の妻とO型の僕の子はA型の申年。微妙に父親の心配性が、反映しているよにも思えることもままある…。
 ともあれ叔父が亡くなったことで、心配性の父のことは心配だが僕も東京でやらなければならないことは山ほどある。世の中的にゴールデンウイークがもう少しでやってくるので、その期間に家族で実家に行き何食わぬ顔で父の話しを聞いてあげようと思う。
2010年04月21日(wed)  No.309

4月18日

 昨日帰宅後1時半くらいまでやることがあって起きていたので、6時頃に怜王が起こしに来たのでひとまず飲み物を怜王に飲ませたあと、今日はもう少し寝ていてもいい?と怜王に言って二度寝をした。目が覚めるとすでに8時半。ずいぶん眠ったものである。
 僕が起きてから3人で朝食をとったのだが、野菜(特に緑色)をほとんど口にしない(ニンジンはなぜか好き?)怜王だが、小松菜と茸のみそ汁を美味しそうに食べていた。
 怜王はほうれん草が好きなので、小松菜をほうれん草と言って食べさせたのだが「ちょっとあじがちがう…けどおいしい」とかなり鋭い味覚であった。少し違うと言われては正直に言うしかなくほんとはね小松菜だよと言うときょとんとした顔をしながらも完食。
 今日は少々肌寒いが、すっきりした快晴。昨日ずっと怜王といっしょで仕事ができなかった妻のために怜王を連れて何処かに行こうと思っていると、妻が「今日は公園に行きたいよね」と言った。
 …仕事やらないのかな…と思ったが、夜型の妻と言うことで、天気が良いので昼過ぎから久々に駒沢公園(http://meguroku-net.com/meguro/park/komazawa.htm)へ行ってみることに。都立大学近くの呑川緑道を、深沢方面に歩くこと約20分。駒沢公園に到着。
 駒沢公園に隣接した所に深沢ハウスという大きな集合住宅があり、知人のSさん夫妻、そして幼稚園がいっしょで同じバス停から乗っていたHちゃん家族が住んでるなと思いつつ公園を一周し、ブランコや滑台がある遊び場で怜王が遊び始めた時、「怜王くんのパパ!」と言う声がしたので振り向くとHちゃんのお母さんであった。
 僕は外に出るとよく知り合いと会うのだが、たいがい先に発見され名前を呼ばれることが多い。髪が白いから目立つのかもしれない。お母さんの後ろを見るとHちゃんが控えめ笑顔でいてたのだが、背が高くなりずいぶんお姉さんになったなと思った。
 Hちゃんは今年幼稚園を卒園し小学生になって、バス停でお母さんとも会わなくなっていたので偶然和えて怜王も嬉しかったようだ。
 怜王は遊び足りなかったようだが、3時半過ぎに駒沢公園を出てコンビニに寄り怜王用におやつを買って緑道をゆっくり歩き帰宅。
 泥だらけになった怜王は妻のサポート付きではあるがひとりでお風呂にはいりシャワーを浴び、5時過ぎ少々早いがうどんが食べたいと言うのでさっと作って食べさせた。
 今日はGXRに50mmマクロを装着し怜王の写真をカラー(アスペクト比3:2)で、スナップや植物がらみの写真をモノトーン(アスペクト比1:1)で撮影。
 そう言えば昨日帰ると、掲載誌の「日本カメラ」が届いていた。5月号ではライカX1のインプレッション(インプレッションとは言え、写真はシビアである)を5ページでやっているのだが、興味をそそられたのは森山さんがデジタルモノクロでの撮りおろし作品「tokyo-築地」と「デジタルモノクロ大革命!」での森山さんへのインタビューであった。
 インタビューの冒頭で、「これからはデジタルで行く」と森山さんが宣言していることに目が止まった。というのは「トライXがある限りフィルムで撮る」と、昨年まで公言していたと思ったからだ。
 日本カメラに限らず、EP1で新橋を撮りおろしたり、リングキューブでの写真展”各界著名人の作品による写真展『SNAPS』”に出品していた車窓からのカラースナップなど、ここ1年ずいぶんデジタルで撮影をしているなと思っていたので驚くことはなかったが、トライXはまだ製造されているので正直意外な感じがしたというのが本音。
 がそれはいつかそうなるであろうと思っていたことで驚いたと言う感じではなかったが、それ以上に日本カメラ5月号で驚いたのは、「OKINAWA」と言うタイトルのモノクロ作品で森山さん?と思ったらラッセル・スコット・ビーグラーという若い写真家だったことかも…。
2010年04月18日(sun)  No.308

4月17日

 6時過ぎ、怜王が僕の布団に潜り込んで来て「あるせうすのぱっく もうひとつないんだよ」と言った。「アルセウスのパック」とはゲームセンターにある『ポケモンバトリオ』というゲームで使う、ポケモンが描かれているコインのような円形のアイテム(http://battrio.com/pack/pack.shtml)。
 これは100円を入れると1枚出て来るのだが、何が出て来るか分からない。そのうえパックの種類は370ほどあり…、欲しいパックが出て切る確率は皆無に近い。いくら欲しいと言われても、どうすることも出来ないのである。
 ひとつだけヤフオクのオークションでゲットするという手があるのだが、何とパックの価格は10倍20倍とかなりの高値…。昨日も碑文谷ダイエーの玩具売り場脇のゲームセンターで『ポケモンバトリオ』をやらせてあげたのだが、すでに持っているのがひとつと今ひとつのパックが出て少々不満げだった。
 今日僕は午後からコダックフォトスクールの講義に行くため、妻が怜王を何処かに連れて行くことになるだろうが、オモチャ屋さん関係は行かない方がと思うが…。
 7時過ぎ怜王が目を覚ました。今日は土曜日だが、幼稚園はある日。9時15分過ぎ寒いのでタイツやウールのベストを着せ、スパイダーマンの長靴を履いた怜王は元気に妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった。
 そういえば昨日バンドのことで調べたいことがあってアンディ・サマーズ(元ポリスのギタリスト)をネット検索して彼のHP(http://www.andysummers.com/)を開いて驚いた。現在ミュージシャンとしてだけではなく、写真家としてたくさんの写真展を開催していることをHPを見て知った。凄く嬉しい気分になれた。
 それはアンディ・サマーズは『ポリス』に在籍した時より、ソロになってから『Charming Snakes(http://www.andysummers.com/solo-charmingsnakes.php)』というアルバムを聴きとても繊細で詩的な才覚のあるミュージシャンであることを知り飽きることなく何度も聴いていたからだ。アンディ・サマーズが写真をやっていると言うだけで、そのことが自分のことのように嬉しく思えたのである。
 12時半過ぎ怜王が幼稚園から帰宅。ほぼ入れ替わるように、僕はコダックフォトスクールの講義のため出かけた。
 今日は3月開講の最終講義の日で、次回は6月開講。コダックフォトスクールの講師を事務局のKさんから勧められどうにか数年やって来れたが、まだまだ自分自身が写真を見て欲しいと思うのでなかなか講師業も板につきかねる。
 それでも数年に渡りやらせて頂き、毎回参加してもらえる受講生も定着し良い感じで3月開講の教室を終了。と言っても本来なら4時半に終わらなければならない講義は、講評が押してしまい終わってみれば5時過ぎ…。
 10名の受講生に挨拶をし、最後まで残った先日スパイラルで作品を見たM原さんそしてもうひとかたM井さんの三人で会場をでて、歩いて数分の『BLD GALLERY(http://bld-gallery.jp/)』へ行き森山さんの写真展『NAGISA』を見に行く。
 昭和を感じさせる渚さんの顔を見て視聴覚が感覚が一気に30年ほど戻ったような気がしたが、この女(ひと)は森山さんじゃないと持ち味を引き出せなかったろうなと思った。たくさん写真があったが、僕は髪が風で流れ渚さんの顔が見えない写真がとても色っぽく思え見に来て良かったと思った。
 ほどなく『BLD GALLERY』を出て、近くの居酒屋へ。まだ5時半くらいで店内は数名しかいなく、これはラッキーと思ったのもつかの間。ふたつある座敷スペースにぞろぞろ学生がやって来て、一気に満員状態に…。
 しかしはいって来た学生はどこから見ても悪ガキっぽい感じではなく、座敷ではない場所ではない僕らの横に10人くらいあぶれた学生がいて店員が「すいません、うるさくなるとは思いますが別室もありますがそちらに移りますか?」と僕らに言って来たのだが、僕らはもう座ってしまったし、ここで良いですよと言って10名くらいの学生を受け入れた。
 怒濤のようにやって来て、かなりお行儀よく、1時間くらい盛り上がり「カラオケに行こう」などと言いながら帰った。その帰る直前にトイレに行ったら、隣に学生のひとりがいたので君たちはどこの学生と聞くと「K応大学です」と言うので学部はと言ったら「理工学部」と言う返事が来た。
 彼らが来た時に僕はK応の学生であることは見抜けなかったが、文学部とか社会学部などではなく”理工系”じゃないかなとM井さんM原さんに直感で言ったのだがまさに的中。彼は最後に「うるさくてすいませんでした」と言うので全然平気だったよと言った後、君は何年生と聞いてみると「3年です」と答えた。
 顔を見ると僕には怜王と変わらない、子どもの顔に見えたのでなんだか不思議な気になった。僕が彼らと同じ年齢の頃は、アテネフランセ(http://www.athenee.jp/)を中退し、バイトをしながら自分が一体何をしたら良いのか考えあぐねていた。
 写真やろうと思うのは数年後(22才の終わり頃)の話しで、20歳くらいの頃は詩人になろうなどと思っていたわけで、トイレで言葉を交わした学生君が急に眩しく思えて来た。
 11時半過ぎ帰宅すると、妻は眠そうな顔でまだパソコンに向かっていた。建築家のMさんのHPは進んだかと聞いたが、案の定怜王がいるとまったく出来なかったようで「全然…」と言う返事…。明日は僕が怜王を連れ出し、妻に仕事をする時間を作ってあなければ。
2010年04月17日(sat)  No.307

4月14日

 今朝はここ数年で、一番不本意な目覚めとなった…。それは5時半くらいから始まったのだが、怜王が例によって上に上に寝返りを打つたびに移動し僕の枕を越えて畳に頭が落ち、さらに寝返りを無理矢理しようと僕の方に身体が向いたと思ったら手ではなく怜王の左ひざが僕の頭にヒット…。
 さほど強くなかったから大丈夫であったが、顔面であったら鼻血が出ていたに違いない。怜王はぼやけて座り込み、身体を起こしている僕をちらっと見ると僕の枕に頭をのせ、僕の掛け布団をかけて大の字で眠り始めた…。
 時間を見ると5時45分…。せめてあと30分は寝ていたと思ったが眠る場所がなくなってしまい、仕方なしに起床。二度寝をはじめた怜王は7時過ぎまで爆睡し、起きて来たかと思うと何やらぐずぐずして不機嫌…。
 そして久々に「かゆい…」と言うので背中をさすったり保湿剤などをぬってあげたりしてると、「といれ」と言って小走りにトイレに行き戻って来るといつもの怜王になっていて、「ぎゅうにゅうかるぴす のみたい」と言うので作ってあげる。
 ゆっくり飲み干したあとコップをテーブルにのせると、iBook G4を指さし「ばくがん がみたい…」と言うので検索しブックマーク(http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/bakugan/)してあげると、しばらく見ていたが、次ぐから次ぎへとブックマークしてあるサイトに飛び、最後はガンダムゲームにハマっていた…。
 9時15分過ぎ妻といっしょに、元気よく幼稚園バス乗り場へ向かった。ドアを閉めすでにウォーミングアップしておいたプリンターに月光グリーンラベルの六つ切り印画紙を入れ、Photoshopからプリント設定を行い出力を開始した。
 目標の10枚を、出力し終わったのは10時半。11時過ぎくらいから妻に”fragment”用の新しいblogを探してもらい、今までより組織の大きい(閉鎖は移転をされると面倒くさいので)Googleのサービスから”Blogger”を選んで”fragment”を再開した。
 がどうやってもこれまでにアップしたblogを移すことが出来ず…、過去に書いた記事の掲載をあきらめ新作(http://ysode.blogspot.com/)からスタートすることにした。
 そうこうしているうちに12時半過ぎとなり、怜王が幼稚園から帰って来た。スニーカーを脱ぎつつ「きょう えふくんのおうちに あそびにゆくことになった!」嬉しそうに言った。Fくんとは同じバス停から幼稚園バスに乗る年中さんの男の子。
 2時頃自分が好きなベイブレード一式をリュックに入れ、少々興奮気味に妻といっしょに出かけたのであった。
 ふたりが出掛けたあとしばらくMacに張り付き調べごとをしてから、GXRに50mmマクロユニットを装着し近隣散歩。最近はもっぱら、アスペクト比1:1&モノトーンでの撮影である。
 ふたりは5時過ぎに帰って来た。怜王は、楽しかったようである。6時過ぎに夕飯を食べ、そのあと怜王はテレビを見たり妻とお風呂に入ったりし8時過ぎに布団に入るとものの数秒で眠りについた。さて明日の朝は、何時に目を覚ますだろうか?
2010年04月14日(wed)  No.306

4月13日

 昨夜8時半頃に順調に眠った怜王であったが、9時半にうなされるように目を覚まし、10時過ぎに目を覚まし、11時過ぎにうなされ…と、まるで2才3才の頃のように寝起きを繰り返した。
 僕自身怜王が確実に眠っていると判断し少し早いが10時半過ぎに布団に入ったが、11時過ぎに怜王が目を覚ましてからと言うもの、妻がビーズアクセサリー作りを深夜(1時くらい)までやっていて、寝室の電気を落とす時も眠れずに目をつぶって横になっていた。
 怜王は僕らと同じサイズの敷き布団に寝ていながら、いつも僕の布団か妻の布団に限りなく接近し、寝返りを打つたびにずんずん枕の方角に移動し、頭罠にかにぶつかると左右どちらかに方向を変える。つまり今日は、僕の方に移動して来ていたというわけだ。
 寝相の悪い怜王は、基本的に右回りで円を描くように移動することが多い。つまり怜王から見て右回りと言うことは、僕の側に多く頭が向かって来るということ。そして僕の枕に頭が当たると少し上に移動するため、頭が畳に落ちてしまう。
 落ちてしまってもそのまま静かに寝てくれていれば放っておくのだが、仰向けであると右手を伸ばした時僕の顔に手の甲が当たり…、右に横向きになろうと回転すると今度は左手が僕の顔に当たる…。どちらにしろぐっすり眠ることなど、不可能な状況なのである。
 そんなわけで10時半に布団に入ったものの、細切れな睡眠のまま6時過ぎに起床した。怜王を見ると相変らず僕の枕に頭を当てて、爆睡していた。
 怜王が起きて来たのは、7時過ぎ。牛乳カルピスを飲んだあと、幼稚園に行くまで朝ご飯を食べることを拒否。かといって機嫌が悪いわけではなく、行くギリギリまでプレステで遊び元気よく妻と玄関を出て行ったのである。
 寒い昨日とは打って変わり、今日は快晴で20度を越える暖かさ。10時半、コダックフォトスクール、曽根塾両方に参加しているMさんが撮りためた作品を40点に絞り込んだというので、その写真を見に青山スパイラルカフェ(http://www.spiral.co.jp/)へ向かう。
 渋谷から青山通り沿いに歩き、スナップをしつつ11時少し前にスパイラル前へ。入り口を見ると「OPEN 11:00」とある…。てっきり10時オープンだと思っていたが、と思っている所にMさんが。
 Mさんは僕より早くこの辺りに到着していて、すでに原宿辺りを撮影して来たと言う。すばらしい行動力である。2分ほど待ち、オープンと同時にスパイラルカフェへ。
 Mさんがセレクトした40カットのカラープリントを見て、4点ほど時点にしたカットと差し替えた。迷わず某ギャラリーの審査へというアドバイスをしてスパイラルを出て渋谷駅までいっしょに行き、ビックカメラで月光のグリーラベル(8×10)を購入すると言うとお供しますと言うことで4階に行って購入。ビックカメラ前で、Mさんと別れ帰宅した。
 帰ってすぐにインクジェットプリンターで出力をしようと思っていたが、ゲームをやっていた怜王が突然「ふすまこうえんに いきたい(http://202.250.75.185/shisetsu/shisetsu/koen/fusuma/index.html)」と言いだした。
 衾公園には小学生以下限定で自転車の貸し出しをしてくれ、信号や横断歩道などの設備のある児童交通公園なのである。
 だがしかし衾公園は歩いて行くには少々遠く、自転車ではふたりしか行けずそれに坂道がきつい…。そんな時「バドミントンやろうか?」と妻が言うと「うん!」と言った。そして「どこでやる?」と妻が言うと「碑文谷公園(http://202.250.75.185/shisetsu/shisetsu/koen/himonya/index.html)」と言うので出力は後でやることにして3人で行くことにした。
 帰宅し夕飯となりあっという間に8時になって、プリンタの出力どころではなく怜王を久々にお風呂に入れ寝かしつけたりしているうちに9時半を回ってしまった。ここまでくれば今日やると言う意欲もなくなり、ともかく明日怜王が幼稚園に行っている間にプリンターと格闘しようと思う…。
 怜王が眠って1時間ほどした9時半過ぎより、昨夜の寝不足で少々眠かったが昼間妻がレンタルして来たDVDから、新作の『サンシャイン・クリーニング(http://www.sunshine-cleaning.jp/index.html)』を見る。
 部屋のクリーニングを職業にした姉妹家族とその友人たちとのあれこれを描いた作品だが、クリーニングと言っても自殺者や殺人事件等で酷い状態になっている部屋のクリーニング専門という意表をついたもの。
 日本映画でも葬儀や人の死を暑かった映画はかなりあるが、殺人現場で到底普通のクリーニング業者がやらない現場をクリーニングすると言いう、確かにそうした職業がないとその家や部屋は廃屋になるだけなのでなくてはならない職業だがそれにしても良く思いついたものだ。
 さて映画はと言うと、重々しいシーンもあるが基本的ににはタイトルそのもので爽やかな感じ。眠かったが最後まで一気に見ることが出来たと言うことは、面白かったのだろう…。見終わったあとは、ほとんど倒れるように眠ったのである。


”fragment”についてのお知らせ!

4月から”fragment”で使用していた『justblog』が『six apart(Typepad)』に移行し、登録の書き換えを行わないとを開くことが出来ない状態になってます。現在開けない状態なのは登録テストをした折り新会社の画面から受ける印象が今ひとつに思え、今現在新しい会社を探していて”fragment”は閉じたままの状態となります。再開のときは、こちらでお知らせいたします。。
2010年04月13日(tue)  No.305

4月12日

 6時過ぎ、怜王の右手が顔にぶつかって目が覚めた。怜王は身体半分僕の布団に入っていて、例によって枕に頭をくっつけるようにして眠っていた。今朝はもう起きても良いと思ったが、怜王が目を覚まさないのを良いことに僕も再び目を閉じた。
 6時半起床。怜王はまだまだ夢の中で、7時過ぎに起きて来た。昨夜8時過ぎに眠ったので、睡眠時間は11時間。2才3才のころは眠っても2時間おきくらいに目を覚まして、僕らは睡眠不足で生活のリズムが荒れていたが本当に楽になった。
 さて今日は、幼稚園の始業式。9時15分過ぎに妻といっしょに部屋を出るまで、怜王はiBook G4でガンダムゲームをやったり、ディズニー映画の『チップとデール』など見たあと、ベイブレードで遊ぶなど1日分の遊びをギリギリまでやり、出かける前に1枚怜王のポートレートを撮る。表情が大人っぽい感じに。元気よく幼稚園バス乗り場に、向かった。
 ここ2日とは打って変わった今日は、雨が降り肌寒い。始業式の今日はお迎えなので、怜王をバス停まで送った妻は東急バスに乗り、目黒あたりで時間をつぶし怜王を幼稚園に向かえに行くののそのまま帰らず。
 妻には申し訳ないが、僕はHさんから借りているジャームッシュ(http://www.jimjarmusch.com/)のDVDの中から、『ゴースト・ドッグ(http://www.bowjapan.com/ghostdog/intro.htm)』を見る。
 1985年頃僕は『MAHIRUー白い影の記憶ー』と言う三叉路をテーマにした写真制作をはじめていた。しかしイメージは固まっていたが、プリントの手法についてひとつの壁にぶち当たっていた。そんな折りたまたま行った通り有楽町で『ストレンジャー・ザン・パラダイス』という映画の看板を見た時、これだと思い即館内に入り立て続けに2回映画を見た。素晴らしい映画であった。映画のイメージを焼き付けるため、パンフレットを購入しジャームッシュの略歴を見て驚いた。
 ジャームッシュは『1953年1月22日』生まれで、僕は『1953年1月10日』生まれ。ほぼ同じ頃に生まれていることに驚き、すでに映画監督として名を馳せていることにも息をのんだ。つまり僕は同年のジャームッシュ作品に影響を受け、これまで写真をやって来たのである。
 そんなわけで大半の作品は見ていたのだが、『ゴースト・ドッグ』と『コーヒー&シガレット』は見るチャンスを逸していた…。昨年久々に見たジョニー・デップ主演の『デッドマン』も良かったが、『ゴースト・ドッグ』も期待を裏切らないジャームッシュらしい映画であった。
 12時半過ぎ、怜王と妻が帰って来た。そして帰って来た妻の第一声は、「お弁当6日からだって…」。つまり5月6日までは土曜日のスケジュールと同じで、9時半にバスに乗り、12時半には帰って来ると言うこと。昨年も一昨年もそうだったと思うのだが、すっかり忘れていた。3時間では、何もすることは出来ない…。
 帰って来た怜王は慌ただしくお昼を食べると、朝出るまで同様、テレビを見たりベイブレードをやったりパソコンでYou Tubeでアニメを見たりと大忙しである。
 5時過ぎ夕飯に冷凍のマグロの中落ち解凍して”マグロの中落ち丼”をと思ったら、海苔の買い置きがなくなっていたので都立大学駅前の東急ストアに買い出しに。外に出ると冬に戻ったような寒さと雨で、傘をもつ手が痛い…。それにしても今年の春は、どうしてこんなに気温差があるのだろう…。
 さて7時からはじまる『たまごっち』が見たいと言うので、6時半にお風呂に入れるようコントロールし妻に協力してもらった。すべて予定どおりで6時50分にお風呂を出た怜王は『たまごっち』を見て『フェアリーテール』を見たあと自ら布団に入った。
 これですぐに寝てくれると思ったが、布団をばさばさしながら掛け布団の中でねる方向を変えつつ、なにしろ慌ただしく動き回る…。動いていると眠れるはずもないのだが、鼻水をずるずるさせ始めたのでこれは長引くかもと思っていると、「はなかむ…」と言って起きて来てティッシュで鼻をかみ再び布団に潜り込んだ。
 時計を見ると8時25分。まあまあだなと思いつつ、動きの止まった怜王の布団を見ながら思うのであった。
2010年04月12日(mon)  No.304

4月10日

 6時過ぎ横を見ると怜王が自分の枕を僕の枕の横に置き、仰向けで眠っていた。まだ目を覚まさないだろうと思って目を閉じようとすると「まだおきないの…」と言いながら目を開いた。今朝はもうしばらく寝ていたいと思って、あと30分寝ていようというと「いまじゃないと…」と言う。
 いつもならここでいっしょに起きる所だが身体が妙に重く先に置きていていいよと言うと、「だってのむものがないから…」と言うので仕方なくリンゴジュースをコップに入れるために起き、iBook G4を立ち上げ遊んでいてい良いよと言い残し二度寝を。
 眠りに落ちるまで聞こえて来たのはiBook G4にポケモンのDVDを入れ、再生している音。何でも出来るのである。
 目が覚めると、7時過ぎ。怜王はひとりでも楽しくしていたようで、すでにポケモンは見終えらしくiBook G4からはなれてベイブレードで遊び始めていた。
 今日はご近所さん3家族で、ランチの約束をしている。メンバーは月刊カメラマン編集長Sさん夫婦、後輩カメラマンGくん夫婦。ランチをする場所は深沢の『深沢1136(http://www.fukasawa1136.jp/index.html)』というレストラン。
 11時半過ぎ都立大学駅近くでバスに乗り、二子玉方面へ3っ先の産能大前バス停下車で徒歩7分ほどのところに『深沢1136』はあった。
 僕らが一番乗りで、次にGくん夫妻、そしてSさん夫妻。Gくんは数ヶ月間に会っているが奥さんのI子ちゃんとは、怜王が生まれた2日後に産院にふたりで来てくれた時以来なので5年半ぶり。そのI子ちゃんの出産予定日は5月9日と、あと一月。2年後くらいには、怜王とも遊べるかもしれない。
 2時間ほどの家族ランチであったが、怜王は飽きた様子も見せず楽しそうにしていた。以前は席を立ったり「もうかえりたい」などと言ってなかなかレストランには行くことが出来なかったが、ずいぶん成長したものである。
 余談だがこのレストランのトイレ、まるでガウディのような感じで、壁や天井など金色のメタリックなタイルが貼られていた…。レストランの雰囲気からすると少々派手な気がしないではないが、ポケットに入れておいたCX3で手洗い回りを記録用に撮影。
 Gくん夫婦と『深沢1136』前で別れ、Sさん夫婦と目黒通りまで。目黒通りに出た所で、二人と別れ、僕らは自由が丘へ向かった。昨日は怜王と『おもちゃのマミー』でベイ太2号をやりに来たので、2日連続の自由が丘。数年前まではどうも馴染めなかった自由が丘だったが、最近ではそうした思いがなくなり気楽に歩けるようになった。
 幼稚園の始業式が12日と迫って来たので、ABCマートで怜王のスニーカー(”DASH”は幼稚園で”瞬速”同様人気のあるスニーカーブランドらしい…)を購入し帰宅。帰って来ると今度は「おとうさん べいばとるやろう」となり、少々付き合う…。
 明日は、幼稚園の春休み最後の日。朝は7時から子ども向けのアニメなどがが9時まであるのでどうにか間が持てるが、それ以降「きょう どこいく?」と怜王が聞いてくることは必須。天気は今ひとつのようだが、さてどうしようか?
2010年04月10日(sat)  No.303

4月9日

 昨日はの紀里谷和明監督のデビュー作、『CASSHERN』を見る。『GOEMON』同様、CGを駆使した素晴らしい映像でやはり良かった。そして両作中に共通する人間の生と死や愛と憎しみと、キリスト教的中世ヨーロッパを思わせる映像が絡み合い見るものにイマジネーション投げかけるような強さと魅力があった。
 映画を見終えた後はDRUG創刊メンバーであるOさんYさんと渋谷で会い、次号(19号)そして20号(特別号にする予定)ヘ向けての打ち合せを渋谷(待ち合わせは渋谷のOさんの会社だったが、タクシーで代々木八幡へ移動し某そば屋で)で。今回はかなり密度の高い話し合いで、『DRUG』の展開をかなりアクティブに拡大する壮大な計画(かなり現実的な所まで話しは及んだ)も!
 明けて9日。怜王が大きな声で「おとうさんの どらごんが ○×△□…」と、大きな声で寝言を言ったと思ったらすくっと起き上がり、僕の布団に潜り込みながら「きのうは がすとみたいなところで ちーずがのった ごはんをたべたけど ぜんぶたべられなかった…」と言った。
 怜王はたくさんのことを一気に言うことが多く、前後関係が見えていない僕としては解読?するのに時間がかかることが多いが、「お父さんのドラゴンが…」は聞き取れない意味不明な部分はともかく理解出来ないこともないが、「がすと(ガスト)みたいな…」の方は「みたいな」と「ちーずがのったごはん」と言うの部分が起き抜けの脳には難解に聞こえた。
 後になって妻に聞いてみると、行ったのは「がすとみたいな」『サイゼリア』で、注文したのが『ラザニア』。そしてその『ラザニア』をあまり食べることが出来なかったのだと言う。時計を見ると6時過ぎ…。もう少し眠っていたいと思ったが、怜王といっしょに起床した。
 今朝の怜王はめずらしく、納豆ご飯を完食した。食べるときと食べないときの落差が激しい怜王なので、こうしてしっかり食べてくれると1日楽しく過ごせそうな気がする。数枚GXR+50mmユニットで、シャッターを切る。いつもの怜王とは違った雰囲気の、ちょっと大人びた表情の怜王を撮る。
 妻は建築家のMさんのHP制作でMacに張り付いているので、お昼過ぎ怜王が「べいた いきたい(ベイ太2号)」と言うのでベイブレード対戦が出来るマシーンが設置されている自由が丘の『玩具のマミー』へ怜王をいっしょに向かった。
 土日はたくさんの子どもたちでにぎわう『マミー』の地下は、がらんとして誰もいなかった。その上『ベイ太2号』はコンセントが入っていなく、使用出来ない状態…。とすぐに店員がやって来て、「やりますか?」と言うのでお願いしますと言うと即コンセントを入れて『ベイ太2号』を起動させてくれた。
 そこから20回ほど対戦し3回勝ってポイントをゲットしていたが、3回しか勝てなかったことに少なからず落胆した怜王は「もうやめる」と言った。
 外に出ると「おしっこ…」と言うので、近くの東急ストア2階に駆け込む。ほどなく自由が丘を後にして都立大学駅に到着。怜王のキャンディなどを買おうと再び東急ストアに入るとすぐ、「うんち…」と言った…。2階に上がり客の間をすり抜け怜王をトイレに入れ、入り口で待つこと5分。怜王が神妙な顔をしてトイレから出て来ると「おなかがいたかったのは おならだった…」。怜王の言葉と表情に可笑しさがこみ上げ、思わず笑ってしまった。
 帰宅後も怜王は「おとうさん べいばとる やろうよ」と、今日はかなりベイブレードに集中している…。しなければならないこともあるのだが、執拗な怜王のバトルの誘いを断りきれず10回戦だよと言いつつも、20回30回と終わりなきバトルは続いたのであった…。
2010年04月09日(fri)  No.302

4月7日

 昨日は午前中から午後までゆっくり(妻が怜王を連れてでかけたので…)させてもらい、夜の6時から仕事で四谷三丁目の太田プロで松村邦洋(http://www.ohtapro.co.jp/ohta_pro/profile/ma_ku/)さんのインタビュー撮影。
 8時に帰宅。怜王は帰るなり「なんで こんなじかんになるの… はちじだよ 」と言った。5時少し前に出て、四谷三丁目の太田プロで1時間撮影し8時帰宅なので3時間しか出ていないのに、何でこんな時間と言われても困ってしまう…。
 しかし僕が帰って来ると「おとうさん べいばとる やろう!」と言いよって来た。たった3時間ではあるが、20キロ近い機材を担いで四谷三丁目まで往復しているのでさすがに疲労があり少し休ませてと怜王に言ってみたが、「だって べいばとるやりたいんだよね…」などと言い張りまったく僕の言うことを聞いてくれない…。
 しかたがないので10回戦ほどベイバトルをやった所で、お風呂。気がつけばすでに9時少し前。12日が始業式で幼稚園が始まる日も迫っていることで、あまり遅い時間まで起きていられてもと思うが、明日千葉の実家に家族で行かなくてはならないので今晩は少し遅くなっても気分良く平和に眠って欲しいのであまり時間のことを言うのはやめにした。
 明けて4月7日。6時半過ぎ怜王が目を覚ましたので、いっしょに起床。怜王がさっそく「ゆーちゅーぶで べいぶれーどみたい」と言うで、ブックマークしていあるベイブレード(http://www.youtube.com/watch?v=A3vw49ftymU)を見せることに。このベイブレードは今のベイブレードではなく、10年ほど前の初代ベイブレード画像なのである。
 怜王がiBook G4の前にいる間、昨日撮影した松村邦洋さんの画像のセレクトと加工を行い、データ便でY出版社Kさんに送信。怜王に作業をする時間を作ってもらえたような、そんな気がした。
 9時半過ぎ、怜王を連れて部屋を出る。妻も一緒に行くはずだったが、建築家MさんのHP制作をしたいと言うので僕と怜王のふたりでの千葉行きとなった。
 今日は弟から「こんなルートも」と言う、武蔵小杉で横須賀線に乗り換えてと言うコースを選んでみた。都立大学から東横線にに乗り、隣駅の自由が丘で快速か特急に乗り換えるコースを思い描いたが、来た電車が菊名行きで次の電車が武蔵小杉止まりという表示を見たので、ともかくそのまま乗り換えることなく武蔵小杉まで。
 構内の横須賀線乗り換えの表示を見ようとするが、単純にJR乗り換え(今までの南武線乗り場方向の指示しか目に入らなかった…)しかわからず、数回駅員に横須賀線の乗り場は何処かを聞くがはっきり分かった最後の駅員の言い方が「こちらをまっすぐ進んで頂き、10分ほど見ていただけますか…」…。
 10分と言う言葉の響きに、自由が丘乗り換えで大井町線、さらに品川に出て横須賀線で津田沼、そして総武線乗り換えで幕張と乗り換えは多いがこちらの方が良かったかなと少々後悔を…。それでも実家には11時半過ぎに到着し、3時過ぎまで絵怜王はおばあちゃんと楽しく遊んでいた。
 帰りはまったく考えを変えて、幕張駅まで行きタクシーに乗り海浜幕張駅へ。そして京葉線の特急に乗り、新木場駅経由で、りんかい線で大井町駅まで。ここまで来ると怜王もよく知っている場所。大井町線で自由が丘乗り換えで、都立大学まで。
 都立大学駅改札前で、妻と待ち合わせ駅前のレンタルビデオショップで『CASSHERN(http://www.shochiku-home-enta.com/shop/item_detail?category_id=30738&item_id=151883)』と、怜王用にポケモンの映画をレンタルして帰宅。雨降りではあったが怜王との小旅行?、楽しい1日であった。
2010年04月07日(wed)  No.301

4月5日

 6時半過ぎ目が覚めると、怜王が僕の枕の端に頭をくっつけるようにして寝ていた。土日の外出で疲れているのだろう、少し口を開けてまったく起きる気配もなく完全なる爆睡状態。そっと布団から出てiBook G4を立ち上げ、昨日の日記を書きアップする。
 7時半を回った頃、怜王がのびをしている声が寝室から聞こえた。そしてちょっと眩しそうな目をしながら、「おたんじょうびはね えるどらごの でじたるらんちゃーにする」と言った。
 怜王の誕生日は11月19日。大分先のことで、毎日誕生日に欲しいと言うものが違うので…本当に欲しいと思うものを誕生日の前まで教えてねと言ってその場を納めた。
 晴天で絶好の花見日和だった土曜日から、一転して寒さが戻った曇天の日曜日。そして今日月曜日は、雨降り。そろそろ安定した天候になって欲しいが…。
 今日妻は建築家Mさんの事務所でHPの打ちあわせがあり、1時半過ぎでかけた。こんな日くらい怜王と外で遊びたいと思うが寒い上に雨が降っているので出るに出られず、怜王とベイブレードバトルをやったり、怜王がテレビを見ている間に昨夜見た『GOEMON』をもう一度じっくり見たり(林海象監督の『 ZIPANG』がよぎる)しているうちに4時近くになった。
 雨はようやく上がったので、怜王を連れてダイエーへ。直行で7階に行き『ポケモンバトリオ』を1回(2回やっても良いよと言ったのだが、2連勝したのことが嬉しかったのか「いっかいで いい」)やって、自由が丘でのベイバトル大会で同時開催していた『ハイパーヨーヨー大会』ではじめて怜王が目にしたヨーヨーを購入。
 ヨーヨーは練習しなければなかなか出来ないが、怜王がやってみたいの言うのでともかくやらせてみようと思ったのである。
 帰宅するとポストに、森山さんから写真展&写真集『NAGISA』のDMと、期せずしてワークショップ写真学校森山大道教室3期でいっしょだった松江のNくんから便りが届いていた。森山さんからの便りにはいつもひと言添えられていて、読むたびに頭が下がりそして心強く感じるのである。
 6時半過ぎ、妻が帰宅。いっしょに夕飯を食べて、妻が怜王をお風呂に入れると、すでに9時。8時には寝ようねといっても、なかなか8時に怜王を寝かせることが出来ないのが残念なこと。
 明日は仕事だが撮影時間は夜の6時くらいからなので、『仕事』がある日と言う実感がない。
まあそれはそれとして、怜王が眠った9時過ぎから、まだ見ていなかった『ベティの小さな秘密(http://www.youtube.com/watch?v=hLClnPvWA_s)』を妻と見る。
 こちらはある種フランス映画独特の感じがあって、後半になればなるほどゴダール的なニュアンスが色濃くでて来た。
 大人たちのフランス語のしゃべりがせっかちな感じがある中、ベティ役のアルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ(http://www.f-actress.com/a/AlbaGaiaKraghedeBellugi.htm http://www.cinema-factory.net/contents/474_elizabeth/interview.html)のしゃべり方にはゆったりした奇麗な響きを感じた。
 この映画を妻は、「前から見てみたかった」と言っていた。映画のセレクトはどうしても見たいと思った映画以外は、妻のセレクトに任せている。『GOEMON』は僕が稀に?見たいと思った映画で、『ベティの小さな秘密』は妻のセレクト。基本的に妻に映画のセレクトをしてもらうと言うパターンは、僕自身に意外性をもたらす結果になるのでこれからも続けよう。
2010年04月05日(mon)  No.300

4月4日

 昨日は快晴の中、コダックフォトスクールの撮影実習を東武伊勢崎線業平橋駅集合で、スカイツリー周辺から浅草というコースを撮り歩いた。スカイツリー(http://www.tokyo-skytree.jp/)は先日東京タワーの高さを超えたと言うこともあり、信じられないほどの人ごみ…。さらに浅草周辺も花見客で、人・人・人…。
 4月3日に撮影実習をスカイツリー周辺で行うことは2月くらいに決めていて、その時点でスカイツリーはさほど騒がれていなかったと思うが、東京タワーを越えたというニュースを聞いた人たちがこれほ集まるとは想像もしなかった…。
 さて明けて4日の今朝は6時過ぎに怜王が昨日のこと(妻と新宿にベイブレイド大会に出場して1回勝ったこと、ベーイブレードの本を買ってもらったこと、大会参加賞をもらったこと、お昼にパスタを食べたこと、夜はマクドナルドに入れずに仕方なしに「はなまさで(怜王の勘違いで、妻の聞いたら大戸屋で)うどんたべすぎた…」などを、凄まじい勢いでしゃべり続けた…)をしゃべりながら僕の布団に潜り込んで来て、なるほど…などと生返事をしているうちに二度寝を…。そんなわけで一度目が覚めてしまうと眠れない僕は、6時半に起床したのである。
 今日はゆっくりしようと思っていると、7時半過ぎに起きて来た怜王が「きょうも べいばとるいくんだ」と言った。妻に聞いてみると自由が丘であると言う。11時少し前3人で自由が丘、「おもちゃのマミー(http://www.jiyugaoka.com/S43703.html)」へ。参加券を受け取ると番号は67番で定員72名…。危ない所であった。
 でお店でベイバトル大会やるのかと思ったら、「今日は熊野神社でやりますので」と言う。12時半までに行ってエントリーをし、1時から大会開始。11時半には熊野神社に着いて、そこから延々1時間半待つことに。
 最初は10名ほどの子どもたちがシーソーなどで遊んでいたが、12時を回った頃より続々と集まり、あっと言う間にたくさんの子たちで会場が埋まった。そして大会がはじめるまでの間2台のベイスタジアムでそれぞれ練習をする。
 どこから見ても怜王は最年少で背も一番小さく、お兄ちゃんたちを遠目に見てやりたそうにしているので、スタジアムがあいたらさっと行ってベイを回してごらん。と言うと面白いことにすーっと子どもたちが1台のスタジアムから去った。
 その瞬間怜王はさっと行って、ベイのスターターを思いっきり引いた。数秒後何人かの子どもたちが集まって来て、そこまでくると引っ込み思案の怜王でも場所からはなれず何度もお兄ちゃんたちとベイバトルに興じていた。
 怜王の番を待つこと1時間。さて結果はと言うと、1回戦敗退…。自分の番が来るまでに、テンションが下がってしまった怜王は少々不本意な表情…。それでも気を取り直して再び「おもちゃのマミー」へ行き、ベイ太2号(http://beyblade.takaratomy.co.jp/beyta02/index.html)でポイントゲットをする怜王なのであった。
 帰宅後食前より、数日前にレンンタルしてある『GOEMON(http://wwws.warnerbros.co.jp/goemon/)』を見る。恐るべし、紀里谷和明監督(自身も明智光秀役で出ている! http://www.kiriya.com/)。デフォルメされた人物表現と感動と美しい映像、それにだれもが想像する日本を中世ヨーロッパ的な視覚映像で構築し、衣装デザイ、CG技術など想像を絶する壮大で勇壮な映画であった。
 こうなると『GOEMON』以前、宇多田ヒカルと結婚していた時に製作した映画1作目の『CASSHERN』も見たくなった(とは言っても宇多田ヒカルを筆頭に、ビデオクリップはけっこう目にしている)。
2010年04月04日(sun)  No.299

4月2日

 二子玉の『ピアレッテ(http://www.pierette.jp/)』、あるいは『世田谷公園(http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00004239.html)』。さもなければ『新江ノ島水族館(http://www.enosui.com/)』か『サンシャイン国際水族館(http://www.sunshinecity.co.jp/sunshine/aquarium/index.html)』と怜王を連れて行く場所を考えていたが、結局どこにも行かず仕舞い…。
 怜王といっしょにゲームをやったり、タムロンの原稿を書き上げ納品したり(怜王と遊んでいて、5日締め切りの原稿を書くチャンスが訪れ、ちゃんと書くことが出来、さらに入稿まで出来たことは奇跡!)で日が暮れた。
 夜になってライターのYさんから、仕事依頼のメールが届く。日程は1週間後の6日ということで、5日であったら良い返事は出来なかった(午後から妻が、建築家のMさんと打ち合せが入っていたので…)と胸を撫で下ろす…。
 そして3週間ほど前に入稿した月刊カメラマン誌の『カメラマンweb』に、リコーGXRのインプレッションがアップされた(http://www.digi-came.com/jp/modules/articles/article.php?id=341)。
 それにしても暖かい暖かいと言われていた昨日、確かに暖かかったが風があまりに強く、まだちゃんと見ていない桜が散ってしまうのではとはらはらの1日でもあった。
 明けて今日4月2日、夜の間静かだった風が、朝になって昨日同様強くなって来た。一月前くらいも暴風雨となって夜眠れないくらいであったが、今年は妙に強い風が吹くような…。
 午後になって、月刊カメラマン編集部Kさんより電話が入る。打ち合せをし、確認のメールをもらうことにして電話を切る。
 そうこうしているうちに、日本カメラ編集部のSさんより、プロフィール用の顔写真「最近撮影したものはないですか?」という連絡が。あまり顔写真を撮っていないので、どこに自分の顔が写っている写真があるのかも分からないので、あたりをつけて探してみると2ヶ月くらい前に妻に撮影してもらった顔写真がみつかったので即送信。
 部屋で遊ぶことにあきた3時半頃、怜王が「ぽけもんばとりお やりにいきたい…」と言い始めた。「ポケモンバトリオ」はこの辺りではダイエーにしかない。このところ天気が悪く、外に出るチャンスがなかったのでしかたないだろう。
 部屋に散乱した玩具類を片付けたら、連れて行ってあげると説明しお片づけをやらせた。このお片づけ出して遊ぶのへいつも軽快にやっているのだが、片付ける段になるとおっくうになるようで何度言ってもやらずにねる時間がやって来てしまう。
 何かで遊んでいて次に別の玩具で遊ぶ時、先に遊んでいた玩具を片付けてから遊べば、常に数が少ないままでお片づけも簡単だと説明をしてもなかなかやろうとしない。
 しかしダイエーの玩具売り場で「ポケモンバトリオ」をやりたがっている怜王は少々違っていて、最初は「かえってきたら おかたづけする」と言っていたが「やっぱり いまやろうか」と言って片付けをはじめた。
 3時過ぎ、怜王といっしょにダイエー碑文谷店へ。7階に直行し、「ポケモンバトリオ」を。結果は4戦3勝で、怜王はご機嫌であった。
 帰宅して夕飯を食べた後、明日のベイバトルのためのチェックを妻と怜王ではじめた。明日は新宿のビックカメラでの(都内何ヶ所もやっている場所があるが、新宿のヨドバシカメラは妻が言うには穴場であるそうな…)、ベイブレードバトル大会に参戦のようだ。
 「のようだ」というのは、僕は明日コダックフォトスクールの撮影実習が浅草方面であって、怜王の勇士?が見ることが出来ないのが残念なところ…。だがしかし本当に強いベイブレイドをセレクトするため、実際にバトルをやってみて強いベイブレードをひとつに絞り込む。
 残ったのは怜王が改造したロックレオーネのウイールとサジタリオをのトラックを合体させ、アタック型のボトム装着でフェイスは赤のメタルと言う仕様(http://beyblade.takaratomy.co.jp/beyblade/index.html)。さて、どうなるだろうか?
2010年04月02日(fri)  No.298

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