ys diary
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2010年02月27日(sat)
2010年02月26日(fri)
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2月27日

 怜王が目を覚まし横になっている僕の背中を足で押したり、手で肩や頭を押したりし始めた。目を開くと外からの光はまだまだ暗くもしかしたらまだ5時くらいではと思いつつ壁の時計を見ると、何と7時少し前…。
 いくら幼稚園が休みであっても、7時は寝過ぎ(怜王は夜8時過ぎに寝ているので睡眠時間はおよそ11時間で、僕は1時くらいに寝たので睡眠時間は6時間)。すぐに起きてキッチンへ行き、怜王に牛乳カルピスを飲ませた。
 今朝の怜王はすぐYou Tubeやニコニコ動画で「ラチェット&クランク2」の攻略動画を見たがったので、キッチンのテーブルに置いたiBook G4を開き椅子に座らせた。
 しかしずっと使用して来たブラウザのFirefoxでYou Tubeを開こうとすると、「ご使用のブラウザのYou Tubeでのサポートは間もなく終了します。最新のブラウザのいずれかにアップグレードして下さい。」という表示が出て来てしまいYou Tubeを見ることが出来なくなってしまった…。
 僕のiBook G4が古いからなのだがそれでは「Firefox」を最新バージョンにと思っても、Msc OSX を10.3.9以上にあげられないので 別のブラウザを探さなければならなくなった。そこでいろいろ試してみたら「Opera 10(http://jp.opera.com/)」であればMsc OSX 10.3.9でもYou Tubeをサポートしているようなのでさっそくダウンロード。
 使ってみるとFirefoxになかった面白い機能がたくさんあり。それがなかなか使いやすく作動も快適である。IE(はじめて使用したブラウザで、すでに10年も前のことである)からSafariそしてFirefoxに切り替えた時は使い勝手が違いすぎてなかなか慣れなかったが、Operaはそう言った感じがない。変更して正解であった。
 午後になってゲームに熱中している怜王から「おとうさん ここやって…」とある箇所を見るようテレビの前に呼ばれた。怜王はシューティングやアクションは僕らより遥かに俊敏に反応し上手いのだが、迷路的なトラップは苦手なのである。
 さてどうかと言うと、1回目は失敗したが2回目でクリア。「おとうさん すごいね!」と怜王。元ゲーマー面目躍如となったわけだが、このトラップ1回だけだと思ったら1時間くらいの間に3回ほどでて来てその都度僕がサポートをすることに…。
 そして今度はフォバーバイクのレースのシーンで、怜王は「なんかいやっても いちばんになれない…」とまた泣きが入った。それならと数回挑戦したがこれがなかなか難しい…。何が難しいかと言うと、いかに速く”ノー・ミス”で走らなければ1番になれないのである。
 集中して5回ほどやった所で、コントローラーのR1ボタンをある条件下で押すとターボがかかることを発見!、これが分かれば何と言うことはない、6回目で1着ゴール!これには「すごぉーい! おとうさん すごぉーい!」と目を丸くして驚いていた。今だゲーマーの血は、健在のようだ…。
 5時過ぎ、銀行とコンビニへ行く。雨が降っていて、少々寒い感じ。天気予報では明日昼過ぎから晴れるらしいが、明日の朝早い時間に上がらないと東京マラソンが危ぶまれる。
 と言っても僕が走る訳ではいので心配無用ではあるが、リコーのリングキューブでの写真展で知り合った辰巳さん(http://marathoncameraman.blog12.fc2.com/)とメールのやり取りをしている中で「…基本的に僕は晴れ男なので当日の好天をお祈りしておきますね。」と言った手前雨が降っては困るのである。
 さて明日辰巳さんはカメラを持って東京マラソン、僕の方は天王洲スタジオ(http://www.tv-tokyo.co.jp/studio/t_studio.html)で雛形あきこさんのインタビュー撮影。東京マラソンは9時10分スタートで午後4時くらいまでコース規制があるらしい。
 都庁をスタートし、フィニッシュは東京ビッグサイトとフィニッシュ地点が天王洲と微妙に近い。僕が天王洲スタジオに到着する午後2時半過ぎには、辰巳さんは完走していると思うが僕としても移動時の雨は勘弁して欲しいので自分のためにも好天を祈るつもりである。
2010年02月27日(sat)  No.262

2月26日

 6時過ぎ大きくのびをしながら、「まだおきないの…」と怜王が言った。そしてそののびをした手が僕の額に当たって…、2度当たりたくないのでともかく身体を起こし、何で手を額にぶつけたのかを聞きいて見るときょとんとした顔をして「…」であった。
 キッチンへ行き牛乳カルピスを飲ませ、怜王のお弁当を作り始めた。ふと気がつくと、寒くない。数日前まで起き抜け素足で歩き回ると感じた冷たさがなく、怜王にもトレーナーなどを着させる(元々怜王は僕らより寒さに強い)のだが起きたままの姿でも寒くない。もう春なのである。
 
 朝食の後メールチェックをすると、昨日の夜8時過ぎに「急な話しで、28日日曜日に撮影を頼みたいのですが…」と言うメールがY出版社のNYさんの会社のパソコンからではなく個人の携帯から送られて来ていた。
 昨夜は6時過ぎくらいからメールのチェックをしていなかったためチェックすることが出来なかったわけだが、28日と言えば妻が友だちのHちゃんと合う約束をしていたのでひとまず妻に事情を話して日曜日ではない日に会うことは出来ないかを聞くしかない…。
 怜王を送り出す前に妻に聞いてみると、「明日がダメなら、来週にしても良いけど…」と言う返事。何だか可愛そうな感じ…。しかしYさんに返事を早くしなければならないので、申し訳ないが「日曜日大丈夫です」という返信をYさんへ送った。
 数分後に「ライターのMYさんから連絡が行くと思います」と言うメールをもらい、日曜日の撮影が決定した。インタビュー撮影の被写体は、雛形あきこさん(http://ameblo.jp/hinagata-akiko/)である。
 フリーの立場と言うのは、微妙である。世の中が連休であろうが休日であろうが、依頼されたらそれが仕事。定期の仕事でも日時は常に不安定で、事前に約束を入れていた場合は絶対優先が約束である訳だがそれを今回は実践出来なかった…。
 このことを思うと昨年新型インフルエンザが幼稚園が蔓延し、秋の幼稚園の運動会が2度延期になり3度目の時にたまたま依頼仕事と重なってしまったが年に一度の運動会を欠席する訳にも行かず後輩カメラマンに代役を頼み仕事を休んだ。
 と翌日幼稚園から、新型インフルエンザで休んでいる園児が7名ほどいるので秋の運動会を春に延期させて頂きますという知らせ…。それはないだろう…、と思ったがこれも仕方のないこと。だがしかし、今回に限って言えば妻には悪いことをしてしまった…。近いうちに埋め合わせをしなければ…。
 今日幼稚園では「お別れ子ども会」と言う、卒園する年長さんを送る会で劇をすることになっている。クラスごとに演目が違っていて、怜王のクラスは「ちびくろサンボ(http://www.tanken.com/tibikuro.html)」で役は「虎」であるらしい。
 そんな訳で親が観劇に行くので園児は「お迎え」となり、9時15分過ぎいつものように妻は幼稚園バス乗り場に怜王を送った後東急バスに乗って目黒まで行きH幼稚園へ向かった。
 僕はと言えば日本カメラの原稿の推敲を行った後自由が丘に行き、すでにやり終えたプレステ2の「ラチェット&クランク」の2である「ラチェット&クランク『ガガガ! 銀河のコマンドーっす(http://www.jp.playstation.com/scej/title/ratchet2/)』」が置いてあるかどうか、book offへ。
 東横線で、ひと駅の自由が丘へ。ロータリーの脇の道を進みまっすぐbook offへ。プレステ2ののアクションゲームコーナーで探索。「ラチェット&クランク『ガガガ! 銀河のコマンドーっす』」はすぐに見つかった。即購入しbook offを出ておもむろにRICOH GR DIGITALIIIを取り出し白黒アスペクト比1:1設定にしてあるMY2(マイセッティング)にダイヤルを設定し撮影開始。
 駅を降りた時から微妙な雨を感じていたので天候を見ながら(妻には折り畳み傘を持って行くよう言ったのに、自分は出るとき傘を持ってくるのを忘れた…)のと言うことになるので歩く方向はじょじょに都立大学駅方向にすることにした。
 まずは自由が丘の街の中心をランダムに歩き、路地を入りつつ進む。1時間ほど歩いた所で、風も強くなって来た。東横線のジグザグに横切りつつ、都立大学駅までやってきた。時間を見ると11時半。空がずいぶん暗くなって来ていた。
 12時過ぎ、「今怜王のクラス(劇)終わりました」と言うメールが妻から入った。劇が終わると終わったクラスからお昼ご飯を食べ、そして親と一緒に帰ると言うことになるわけだ。
 そんな怜王と妻は2時少し前に帰宅して、キッチンのテーブルに置いておいた「ラチェット&クランク2」を見て怜王は大喜び。手を洗いいつもなら速効で飲む牛乳カルピスには手もつけず、
「ラチェット&クランク2」をやり始めた。
 そして「あっ! ここしってる」などと言いながら、凄まじいペースでスイスイ進めていた。知っていると言うのは毎日パソコンで見ているYou Tubeやニコニコ動画の攻略映像のことでそれを覚えていてはじめてやるとは思えないような進め方をしているのであった。恐るべし。
 4時過ぎゲームをやっていた怜王が、「きょうのよるは かれーがたべたい」と急に言った。買い物はすでに済ませてあったが、カレーの買い置きがない…。外は雨が降って来ていてどうしようと思ったが、カレーのルウだけなら近くのコンビニにも売っているので買いに行くことに。
 帰宅後彼を作っていると、何を思ったか幼稚園に持って行っているスパイダーマンのお弁当入れを頭にかぶっておどけたり真面目な顔をしたりしていた。お弁当入れを頭にかぶるなど想像もしなかったことで、これは久々に笑わせてもらった。
 夕飯になり怜王にいつもより多めのご飯でカレーライスを出すと、もりもり食べ始め完食!カレーはそのままの状態で作るのではなく、仕上に牛乳(辛さをおさえるため)を入れた後にコーンスターチを加えでとろみをつけているのである。
 それでもふだん野菜を食べたがらない怜王が、カレーに人参とタマネギがたっぷり(アレルゲンであるジャガイモを入れられないのは残念な所…)入っていること知ったらビックリするに違いない。
 しかしここ数ヶ月、と言うより昨年末で数年通っていた山王病院のアレルギー外来が担当医の独立のためなくなって、それいらいアレルギーの治療に行っていないのだが怜王は予想に反してかゆがったりしなくなり今日お風呂から出た時に身体を見るとひざあたりにかいたあとが少し残っている程度でほとんどアレルギーらしいものは見当たらなかった。
 アレルギー対する抵抗力がついて来たのかも知れないが、このままこのつるつるの肌の状態が続いて欲しいと願うばかりである。
 そんな怜王は8時くらいまでiBook G4で今日買って来てあげた「ラチェット&クランク2」の攻略映像をニコニコ動画で見た後、明日は休みだからお風呂は明日でも良いよと言う僕の言葉却下し、「おふろにはいりたい…」と言うのでお風呂に入れ(妻が)8時半頃に眠ったのである。
2010年02月26日(fri)  No.261

2月24日

 昨日は予定通り午前中にDRUG18号のデータ(10名分)をオフィスSのDTPのNくんに送信し、22日に撮影した石田ミホコさんの画像データも納品。午後になって日本カメラSさんから依頼された原稿を書こうとしていると怜王が幼稚園から帰って来て、それどころでなくなりあえなく中止。
 撮影と納品は順調に進んだが、原稿書きは不発に終わった。締め切りは28日前後と言うことなのでまだ余裕はあるが、撮影もあることで今日明日あたりである程度書き進めておかなくてはならない。
 そんな訳でいつものように怜王を幼稚園に送り出してから、ざっと部屋を掃除してiBook G4に向かった。今日は窓をあけていても寒さを感じないほどの好天で、清々しい。
 気分が良いから原稿も快調に書き進められるかと言えばそでもなく…、お昼になった時点で4行(180文字くらい…)ほど…。本文の規定文字数は1000字なので、1/5も書けていない…。そのうえ全体が見えて来ていないので、文というより箇条書きのような感じ…。虚しいことに原稿が書けなくてもお腹は空くもので、ひとまずお昼を。
 今日は(毎週水曜日)2時半から碑文谷公園の体育館でインドア・テニスの練習(全10回)に怜王が行く日なので、12時半過ぎ妻がH幼稚園まで怜王を向かえに行った。
 J-WAVEはつけっぱなしで静寂とは言いがたい感じだが、ひとりになったことでアドレナリンが始動しはじめ1時半に怜王を連れて妻が帰って来た時にはほぼ書きあげることが出来ていた。午前中3時間もかかって180字ほどしか書けなかった(結局最初に書いた文字は削除…)のに、1時間で書き終えられるとは驚きである。
 締め切り日(28日前後)まで推敲は何度か行い手直しも出て来るだろうが、ともかく本文を書き上げることが出来ほっと胸を撫で下ろしたのであった。
 3時半過ぎインドアテニスの練習から帰って来た怜王は、手を洗うとおもむろにプレステのゲーム「ラチェット&クランク」をはじめた。が、しばらくすると「ねぇ おとうさん べいばとるしよう?」と、ベイブレードをいっしょにやろうと言って来る。
 朝も5回戦ほどバトルをし、インドア・テニスから帰ってから5回ほど、そして夕飯を食べる寸前にも5回戦ベイバトルに付き合うことに…。
 そう言えば一昨日、「れおくん はし つかえないの?」と幼稚園で言われて来たらしい。そう言ったのはハーフのWくんで、怜王的には家では箸で朝ご飯も夕ご飯も食べていて使えるのに…と思ったようだ。
 いつも食べやすいようにとおにぎりやおいなりさんをお弁当の主食にしていたのだが、ハーフの男の子に箸が使えないのかと言われてい怜王も心外であろうと普通にご飯を入れて軽くごま塩をふっておかずを添え「箸」を昨日持たせて幼稚園へ行かせた。
 Wくんなんて言ってたと聞くと「おやすみだった…」という。僕らとしても少々拍子抜けであったが、 怜王は取り立てて残念がっていなかった。そんなものなのだろう。
 そんな怜王は8時過ぎに妻とお風呂に入り、歯を磨いて布団に直行するとものの数秒で眠りについたのである…。
2010年02月24日(wed)  No.260

2月22日

 5時半過ぎくらいから新調の敷き布団に寝ている怜王が、足をドタバタしながらもう起きようとアピールしている…。さすがにこの時間に起きたくはないので素知らぬ振りをしていると、諦めたのか二度寝をはじめた。
 そして6時半突然僕の布団に例によって僕の位置のあたりをつけるように軽く蹴りながら、身体を寄せて来た。入って来てしまうと掛け布団をちゃんとかけてあげたりするのでとてもじゃないが寝ていられなくなる。
 6時40分怜王といっしょに起きてキッチンへ行き、牛乳カルピスを飲ませつつ怜王のお弁当を作り始めた。今日は朝から晴れだと思っていたが、どうやら曇りのようだ。
 朝ご飯を食べたあと怜王は相変わらずプレステソフト「ラチェット&クランク」をやり始めた。と言っても驚くことに「ラチェット&クランク」を昨日終え、同じソフトだが別バージョンがあってそれをやり始めていた。
 5歳になったばかりでもちろん妻や僕も手伝ったにしろ、単なるシューティングでもアクションでもない謎解きもありあらゆる要素が合体したゲームである「ラチェット&クランク」の最後の敵「ビッグバッドボス」を倒しゲームを終了させるなどただ者ではない!
 さてDRUG18号の締め切りは20日であったが、送信トラブルで1名今日の夜受け取ることになりDTPのNくんには明日の午前中に全員の作品をデータ便で送ることになった。元々締め切りを20日に設定したのは土曜日ということで、土日に整理して22日月曜日に送るつもりだったのでほぼ予定どおりの進行状況である。
 昼過ぎデジタル一眼レフやモノブロックストロボなどのチェックをを、1時少し前撮影に出る。今日はプロサッカー選手でありアーティストでもある石田ミホコさん(http://ishida-09.com/)のインタビュー撮影。
 東横線で中目黒乗り換えで日比谷線に乗り、六本木下車。地下通路を歩き8番出口から地上に上がると、そこは東京ミッドタウン(http://www.tokyo-midtown.com/jp/)。「フジフィル・ムスクエア(http://fujifilmsquare.jp/)」を左手に見ながら、スターバックス前へ。編集のKさん、ライターのOさん等と待ち合わせ、ミッドタウンタワー36階の「Us music(http://www.usmusic.co.jp/)」へ。
 マネージャーのHさんと名刺交換をした特、何気に目にした「Us music」という事務所名に見覚えがあるような気が…。がその時は何も思い出せなかったが、撮影が終わり事務所をあとにしようとして振り返った時に「usen」の文字が目に入って来て納得。
 「Us music」の「Us」は10年前くらいまでミュージシャンの撮影依頼が多くあった「usen(http://www.usen.com/)」グループの事務所なのであった。そしてその時担当だったTさん(10年前音楽雑誌担当からインターネット関連事業担当に移動になり、移動部署で写真撮影がないためそのまま「usen」とは疎遠になってしまった…)のことが思い出された。
 3時半過ぎ帰宅。撮影して来たデータをMacに移し、フォルダに保存してざっとチェック。さて怜王はと言うと、幼稚園の制服のジャケットを脱いだだけの状態でゲームに興じていた。
 夕飯の後妻とお風呂に入った怜王は、少し遅い9時頃に眠った。キッチンでDRUG関連の原稿のチェックをしていると、10時半過Yさんからの「宅ふぁいる便」でDRUG18号の作品が届いた。これで僕が声をかけている9名全員の作品がそろった。明日DTPのNくんに、全データを送ることにしよう。
2010年02月22日(mon)  No.259

2月20日

 6時半少し前怜王が目を覚ましさかんに自分が目を覚ましたことをアピールするように激しくい寝返りを打ち、そのうち「といれ…」と言ってひとりでトイレに行った。そして寒かったのか戻って来るとすぐに布団に潜り込んだと思ったら、予想外に二度寝をはじめた…。
 ラッキー!と思いつつ僕も二度寝をしてしまうと、次に目が覚めたのは7時過ぎ…。今日は土曜日で、お弁当こそ持って行かなくて良いが幼稚園がある日。そんなわけで慌てて朝ご飯の支度(迂闊にも昨晩、ご飯をといてすぐ炊けるようセットしておかなかったので焦った…)をはじめた。
 今朝の怜王はめずらしくiBook G4で「げーむがしたい」とは言わず、寝室からダイヤブロックの大きいサイズのモノをキッチンに持って来て何やら建物を作っていた。平和な光景である。
 そして朝食をとりそろそろ支度をしなければと言う8時半頃、「びっくりばこ つくって…」と怜王が妻に言いよった。妻はシャワーを浴びた直後でこれから支度をしなければならないと言うこともあって「今は用意しなければならないの出来ないよ、幼稚園休むなら作ってやっても良いけど…」と怜王に言うと「やすむ」と怜王。びっくり箱を妻が作ることで、怜王は幼稚園を休むことになったのである…。
 さてその「びっくり箱」はどんなふうなものかと言うと妻が折り紙でバネの部分を作り怜王が飛び出したときの顔(かなり単純…)を作り、僕が飲んだ葛根湯の小箱に折り紙で外装を貼り付け合体させたもの。なかなかの出来である。
 そんななか毎日朝起きると流しっぱなしにしているJ-WAVEにCHEMISTRY(http://www.chemistryclub.net/pc/top.jsp)のふたりが出ていて「むしゃぶるい」を購入したと言うようなことを言っていた。
 妙な名前「むしゃぶるい」とは何かと検索してみると、それは「武者震」で最強のゲームディスクであるらしい。どれどれと出て来た画像(<gaming desk> http://www.m-s-y.com/index2.html)を見て驚いた…。
 さてDRUG18号の原稿締め切りは、今日20日である。昨日までで全体の1/5くらい集まっているのだが、自分の原稿も含めてあと3名の原稿がまだそろっていない。その中Yさんから夕方メール添付で原稿が送られて来たが、2通送られて来た中の1通(画像のみ)しか受信出来ていない…。
 そのむね書き添えて送信し、返事を待つことに。そして連絡はもらっていたので安心してたIさんから、「すいません遅くなりましが今日(20日)速達で送りました…」というメールをもらう。
 ひとまずいろいろあっても20日を過ぎたらダメと言うことではないので、20日を目安に作品を送ってもらえればいくらでもこちらで十分調整出来る。
 もともと締め切りギリギリになってから撮影した写真を載せたいと言うい思い(限りなくリアルタイムに近い記憶を紙面に反映したいという思いで、これは既存の月刊誌などでは不可能なこと)は今でも変わらないので、それに則して1ヶ月前後のタイムラグで撮影した写真をセレクトすることにしよう。
2010年02月20日(sat)  No.258

2月18日

 6時過ぎ怜王が目を覚まし、「さんだぁくろう が○×△□…」などと言いながら僕の布団に潜り込んで来た。「さんだぁくろう」とはプレステのゲーム「ラチェット&クランク」ラチェットが使える武器「サンダークロウ」のこと…。
 怜王によって布団に入る時に膝で僕の背中を蹴り(”わざと”ではないと言うが…)…、掛け布団をぱたぱたやって寒いことおびただしい…。
 もう少し静かにして寝てようと言ってもまったく聞く耳を持たず「ねぇ まだおきないの…」としつこく迫り、根負けして6時半少し前起床。キッチンへ行きまずは暖房をし怜王に上着を着せてからリンゴジュースを飲ませた。
 怜王がキッチンのテーブルに置いた僕のiBook G4でYou Tubeやニコニコ動画で「ラチェット&クランク」の攻略映像をチェックしている間に、幼稚園へ持って行くお弁当を作る。今日は焼きおにぎりメインで、ひとくちサイズのチーズとぶどうゼリーそれに小さなウインナ2本である。
 7時過ぎ外を見ると、何と雪景(11時過ぎ外を見ると、いつもの風景になっていた…)であった。このところ毎日雪マークが予報で出ていたが、ようやく降った(当たった?)と言った感じである。
 それにしても昨年からずっと温暖化で冬とは思えない過ごしやすい気温であったが、やはりさすがに2月今日の冷え込みも半端ではなかった。
 そんな寒さとは縁遠い怜王はいつものようにゲームをやり、朝食は少しだけふりかけご飯を食べ元気よく幼稚園へ行った。
 怜王をバス停まで送った妻が帰って来てから、すでに送られて来ているふたりのDRUG18号掲載用作品をスキャニング(現在デジタルデータでの入稿が大半だが、数名プリント入稿の寄稿者がいる)し、オリジナルプリントと比べつつ画像を可能な限りオリジナルに近づける作業を続けた。
 そうこうしているうちに、怜王が帰って来た。1日はあっという間である。飲み物とおやつ(今日は妻手作りのアヅキ入り と )食べつつ、さっそくプレステの「ラチェット&クランク」を始めた。
 5時前Nカメラ編集部Sさんより仕事依頼のメールが入り、5時半過ぎ月刊カメラマンKさんよいメールが。SさんKさんに返信メールを送信の後、妻が「今日は鍋」と言うので鍋にかかせない白菜などの買い出しに出た。
 夜は極めて普通に怜王は8時前妻とお風呂に入り、少し遅い9時少し前に眠った。その後1時間半ほど日記を書いたりしたが、急に写真家・稲越功一さん(http://koichi-inakoshi.com/)が書いた「私の東京物語」や渡辺勉氏の「写真とは何か」などに目を通したくなり要所要所ピックアップしながら再読。
 いつ目を通しても渡辺勉氏が引用する本のしめくくりの中平卓馬「みずからが生きるという至上の行為の中で、他のだれでもないみずからにとっての火急なる現実を直視してゆくこと。ぼくのドキュメンタリーはここから始まる。いやぼくに限らずぼくの尊敬する幾人かの写真家たちは、すでにこの方向に向かって仕事を続けている」は、この現代カメラ新書を読んだ頃を鮮明に呼び起こしてくれる名文であり、これを引用した渡辺勉もまた先駆者なのである。
 また稲越さんの写真と文章は、「写真とはなにか」をじんわり突きつけられる日本刀のような鋭さと優しさにあふれていて大好きな本。あらゆる記憶が錯綜しはじめた10時半過ぎ、少々早いが布団に入ったのである。
2010年02月18日(thu)  No.257

2月17日

 5時過ぎふと目を覚ますと、怜王は妻の布団で寝ていた。怜王が入って来ると身動きができなくなるので、妻も熟睡出来ないでいるだろう。日によってどちらの布団に潜って来るかは分からないので、今朝はゆっくり寝かせてもらおうと思いつつ目を閉じた。
 6時過ぎ怜王が妻の布団から移動して、自分の布団に潜り込んで来た。そして「おきたい…」と言う…。まだ6時だからあと30分寝ていようと言うと何やらぶつぶつ言っていた。それを聞い低立間がすっと起きてエアコンのスイッチを入れ再び布団に潜り込んだ。
 これをやっても一度「おきたい」と言った怜王は二度寝をすることなく、10分後再び布団に座ったのでいっしょに起きてまずは上着を着せてからキッチンのヒーターのスイッチを入れた。
 今朝の怜王の朝ご飯は、最近お茶漬けを食べるようになったので、かつおだしと醤油少々で味付けをしきざみ海苔と天かすをのせたお茶漬けとたこウインナを作って食べさせた。朝はこれくらいさらっとした感じの方が、食べられるようだ。
 9時15分過ぎ妻が怜王を幼稚園バス乗り場へ送りに行った後、さっと着替えて出掛ける支度をした。妻が帰宅の後残念ながら初日には諸事情があって行けなかった確定申告の提出をしに目黒税務署まで。
 東横線でふた駅先の、祐天寺下車。東口の商店街を駒沢通り方向へ5分ほど歩き、駒沢通りを渡ったすぐのところに目黒税務署はある。
 それなりのひと通りであるが、何と受け付けに提出者が誰もいない…。いつもなら早くても5分くらいは待って提出するのだが、誰もいないと係りの人たちの目が僕だけに集中しているようで妙な緊張が…。
 受付には3名の係りの人がこちらを見ていたが、あえて怖そうな顔?をした中年の人の所に持って行く。別になんて言うことはないのだ…。険しい表情のまま書類を数回チェックしパンパンパンと3枚の書類にスタンプを押し、「ご苦労様です」と優しい声で言った。
 この確定申告書の提出はただ提出するだけなので何と言うことはないのだが、ここまで来るのが(領収書の計算や書類の書き込みを含め、ともかく面倒…)妙に億劫でのびのびになってしまうので気持ちだけは初日に終わらしてしまいたいといつも思っているのである。ともあれ終えてほっとした。
 帰りはCX2片手に、裏道を通りスナップしながら歩き駅まで。いつも高架の祐天寺駅を発車してすぐ窓下に見える「ヒ○○カメラ」の看板が気になっていたのでその前まで行ってみたが、フィルムカメラが3台ほどかなりよれよれな状態でくすんだショーウインドウに置かれてはいるがガラス越しに見えるヒ○○カメラ内は、書類?や本が乱雑に山盛りになっていて足の踏み場もない…。しばらく状況を観察し、戸を開けることなく立ち去ったのである。
 それにしてもこのところ天気が悪い上に、とても寒い。体調が今ひとつだったせいもありまったく撮影に出ない日が続いているが、DRUG18号の原稿締め切りも迫って来ている(20日必着)ことでそろそろまとめないと…。
2010年02月17日(wed)  No.256

2月15日

 6時半怜王が目を覚まし「もうおきたい…」と言ったので、それじゃ起きようかと布団から出ると寒さが肌にしみ込むように忍び寄って来た…。
 暖房をし怜王にトレーナーを着せてホット牛乳カルピスを作って飲ませたが、怜王は飲み終わってはじめて寒い差に気づいたように「さむい さむい…」と言いながら再び布団に潜り込み「あったか〜」と言った。 
 キッチンのテーブルに置いたiBook G4を開きメールのチェックをした後怜王のお弁当作りを始めていると、怜王がやって来て「ぱそこんで ゆーちゅーぶ みていい?」と言うので使わせることに。
 咳もおさまり胃のむかつきもなくなり体調が戻って来てふと思い出したことは、今年の出だしが体調不良であったこと…。
 それは1月初旬は体調的不安はなかったのだが仕事始めとなった半日スタジオ缶詰で撮影があった13日を過ぎた頃より微妙にのどがイガイガし始め、途中15日に後楽園ホールでボクシングを見たあたりから風邪をひいてるかも…と思いはじめた。
 しかしのどのイガイガは急に悪化することなく出たり出なかったりだったのでそのうち風邪をひいていると言う自覚もなくなった18日、仕事で15kgほどの機材を担いで帰る途中の歩道で腰に痛みを感じその後1週間ほどで信じられないことに痛みがおさまった。
 そうこうしているうちに2月になり、1月に風邪かと思ったのどのイガイガが再びやって来て微妙に咳が出始めた…。そして10日夜熱が出てしまってその日を境に数日寝込んだりと、1月2月は身体の不調との闘いとなった。
 今年は新年からと撮影に没頭をと思っていたことが、ことごとく体調不良でもみ消されてしまったのは残念なことだ。が体調が悪いということは僕への”警告”であるわけで、それが2010年の頭に発せられたことを僕自身とてもシビアに受け取ることができたので、体調が回復した今日は仕切り直しで僕としては今日が2010年のスタート(かない自己中心的だが…)であると思うことにしてしまおう。
 9時15分過ぎ怜王を妻が幼稚園バス乗り場まで連れて行くのを確認した後、おもむろに確定申告書に記入を始めた。
 本来なら今日提出しに行きたい所だが、今日は妻が友だちのスタイリストCちゃんの引っ越しを手伝いに行きそのCちゃんのところからワゴンやラックなどをもらって来る(知り合いのクルマ「」でマンションまで持って来てもらうとか)というので、お昼頃部屋にいる必要があり確定申告は明日に引き延ばすことに。
 11時過ぎ、妻が引っ越しの手伝いに行った。僕は相変わらず確定申告書とにらめっこで、ああだこうだ計算しつつ12時過ぎどうにか書き上げる。そしてそろそろ荷物を持って知り合いのクルマで妻が帰って来るころだろうと思ていると、クルマが来るのが1時頃になったのでまた連絡すると言うメールが妻から届く。
 1時20分今目黒通りに出たので、という電話が妻から入る。目黒通りに出たと言うのは学芸大学から出たと言うことで、場所はダイエーともう少し目黒よりのピーシーデポあたり。すぐに下の駐車場に降りて妻を待ち、到着と同時に荷物を下ろし運んでもらった「蒟蒻屋庄兵衛(http://www.konnyaku.shobey.com/)」販売業のGさんに挨拶をし妻がお礼に”こんにゃく”を購入。
 2時半過ぎ、怜王が幼稚園から帰って来た。いつになく機嫌が良い。おやつを食べたりジュースを飲んだりしつつも、かなりエンディングに近くなって来ているプレステのゲーム「ラチェット&クランク」を妻が進めてくれると言う発言を聞いて大喜び。
 おやつをキッチンのテーブルに残したままプレステのある寝室へ行き、妻操作のゲームにエキサイト!そして着実に進め地図を開いてどこまで攻略で来たかを怜王はちゃんとチェックしつつ嬉しそうにしていた。
 さて夕飯は久しぶりの魚関連で味付けさわら焼きであったが、もちろんのことこんにゃくを使った料理も。少々甘い気もしたが僕も妻も美味しく食べた。が、怜王は「おいしくないかも…」とこんにゃくを嫌いな訳でもないのにかなり警戒してひと口も食べなかった…。
 だが「味付けさわら焼き(味噌味)」は、出しただけきっちり食べた。肉より魚の方が食べるよと日頃より妻が言っていたが、確かに残さず完食!やるものである。
 7時半過ぎに妻といっしょにお風呂に入った怜王は、お風呂に入る前「おかたづけしないと…」などと言いながらせっせと玩具を片付けていた。いつもは僕らに言われて嫌々やる訳だが、どうしたか風の吹き回しであろうか?
 そんな怜王は少し遅くなったが9時少し前に歯を磨き、速効で布団に潜り込んで行った。そして「えー…、ひとり…」などと言ったもののそのまま爆睡。幼稚園では年長さんの卒園に向けてお芝居の練習がきつくなってりらしいので、怜王も疲れているのであろう。
 そのお芝居の稽古で、韓国籍のKIちゃんが「せんせいにしかられて ないてた…」と怜王が言った。怜王はあまり幼稚園のことは話さないのだが、KIちゃんや仲良しの子たちのお友達が何らかの形で話しに出てくることが多く、中でもKIちゃんは怜王が年少さんの頃から名前を口にする比較的頻度の高い女子のひとりなのである。
2010年02月15日(mon)  No.255

2月12日

 昨夜は怜王より早い7時半に眠り、朝までに汗をかいて3回ほど着替えのために起きたりして起きたのが6時半過ぎ。と言っても相変わらず”6時半に起きる男”怜王に起こされたのだが…。
 布団から出て体調をチェックすると、胃は微妙にムカムカしているものの熱は下がり咳もそこそこ納まって来ていた。ひとまず今日実家に行き父親がやらねばならない『市民税県民税の申告書』見に行くことは出来そうだ。
 怜王のお弁当を作り3人で朝ご飯を食べた後、8時半過ぎデイパックに折り畳み傘とCX2、それに胃薬とのど飴を入れて出掛ける。
 東横線で中目黒まで行き、日比谷線に乗りさらに茅場町で東西線に乗り西船橋。そして総武線に乗り換えJR幕張駅下車で実家に到着したのは10時半で、なんだかんだで2時間ちかくかかるのである。
 実家に入ると父が老眼鏡をかけ、さかんに医療費を仕分けしつつどこでいくらかかったかと領収書を並べて計算していた。話しをする前に念のため、咳が出るかも知れないのでマスクをかける。
 そして見たことがない、『市民税・区民税申告書』を手に取る。確定申告と比べるとたった1枚の書類に書き込むだけ(写しもない…)という、シンプルなもの。ただ僕は年金をもらったことがないので、その処置の仕方を説明書を見ながらチェック。
 理解出来た所で父が計算していた医療費の額が算出されたので、弟がすでに3枚のコピーとっておいてくれたので1枚借りて「医療費」「公的年金」「介護保険料」「地震保険」等の書類を見て、書くべき欄に記入して行く。
 さらに「配偶者控除」「扶養家族」等も記入した。毎年そうらしいのだが、大まかに記して提出する前に係りの人に見てもらうというのでひとまずこれで終了。はじめての『市民税・区民税申告書』で完璧にはかけなかったが、いつもよりたくさん記入出来たと父親は喜んだ。
 今年の申告が終わったら係りの人が記入した完璧な書類を見せてもらうことにして、母が作ったお昼を食べ1時半過ぎ千葉の実家を後にした。
 といつもと違うのはこれからで、弟がクルマで京葉線・海浜幕張駅(この場所昔は海で干拓をして作った人工の街。高校生の頃実家から30分くらいかけてこの辺りまで何もない風景を見に言っていた)まで送ってくれるというので喜んで乗車。
 京葉線の海浜幕張は幕張メッセに行くには良いのだが、実家に近いJR幕張駅まではタクシーかバスで10分ほどかかるのでなかなかルートで行くことがない。と言うのはこのルート都立大学駅から海浜幕張まで1時間7分と言う早さで移動出来るからだ。
 ちなみに行きのルート(これもかなり早い方なのだが…)で行くと、乗り換えなどを含めると1時間半近くかかる。遥かに京葉線の方が移動時間は早い訳だが、交通費(バスもタクシーも電車賃以外の出費になる…)もかかることでなかなかふん切りがつかない…。
 帰宅すると怜王は幼稚園から帰ったばかりで、何やら大はしゃぎ。どうしたのか聞いてみると今現在怜王的に「こわい…」ヶ所であるらしいプレステのゲーム「ラチェット&クランク」を、妻が少しだけ進めてくれるのだと言う。
 怜王はゲームに行き詰まると、必ず僕らに「やってほしい…」と言って来る。ゲームは自分でやるから面白いんだからと言ってもきかない。しかし僕らがやり始めると、ああだこうだうるさく指示するのでどうもすっきりしないのだ。
 今日は少しだけ言っていたが、どうにか妻の逆鱗に触れない程度で済んで「また明日ね」の妻のひと言に怜王もにんまり。
 そんな怜王は7時を回ってからベーブイレードバトルをやりたがり始めたので、少しだけ遊ぶことにした。今夜は体調不良を感じ始めてから一番回復の兆しを身を以て感じられたので少しだけが30分ほどにも及んでしまった…。
 そして妻といっしょにお風呂に入り牛乳カルピスを飲んで歯を磨いた怜王は、気分よく自ら布団に潜り込むとものの数秒で眠りについた。最近ではめずらしい、神業スリープなのであった。
 10日の夜から急激に悪化した痰を絡んだ咳から熱を出し胃がムカムカして急遽安静状態に入った訳だが、この2日大半の時間を治癒のために睡眠時間にあて夜も7時半とか8時に寝ていたが、今夜は咳も急速におさまり胃のむかつきは多少あるがピークは過ぎたようで鈍痛から軽い違和感程度になり数日ぶりで何事もなく起きていられることに喜びを感じた。
 とはいえ眠い訳ではなかったが過信は禁物ということで、10時半過ぎ布団に潜り込んだのである。
2010年02月12日(fri)  No.254

2月11日

 2週間ほど前から咳が出ていて咽も痛いので、ドラッグストアで「のどの痛み、さむけ、鼻水」に効用があると書かれた「エスタックイブ」錠剤を購入し昨日から服用しはめたのだが、治るどころか胃がむかむかして来てしまった…。
 この症状1週間前の妻の状態と同じ感じだったので、以前同様のことで医者に行った時に処方してもらったと言う「ムコスタ錠100」と言う薬を昨夜服用した。そして熱を計ってみると、平熱が36.4〜6分ほどなのだが37.8分も…。
 生姜をすりおろした生姜湯(蜂蜜などを入れるようだが、甘いのが苦手なので顆粒のカツオだしを少々)を飲み、怜王と同じ8時に布団に入った。明後日は父の確定申告を見に幕張の実家に行くことになっているので、ここでおちおち風邪を悪化させる訳にないかない。
 そんな訳で朝からずっと寝て、沢山汗をかき夕方までに熱を36.7分まで下げることに成功。まだ咳も出るし痰も絡んでいるが、胃にむかつきは大分解消されて来た。
 今日はこれで夕飯を食べたらまた早めに布団に入り、明日まで安静にしていようと思う。今までの習性?でどうにか自力で早期治癒をする傾向があるり、そのパターンは今でも同じである。 とは言っても明日以降(実家へ行って帰って来てからと言うことになるが…)まだ胃がむかむかして痰が絡んだ咳が出るようであれば、都立大学駅近くのH病院へ行くことにしよう。
 1日寝ていると熟睡していないときはいろいろなことが脳裏を巡るもので、なぜか僕の守護神(「巳年のようちゃんの守護神は、普賢菩薩だよ」と真言宗を信仰していた亡くなった祖母から言われたことがあった)である普賢菩薩のことをたくさん考えた。
 そして妻と怜王の真言的守護神はと調べてみたら、妻は「阿弥陀如来」怜王は何と「大日如来」!
 普賢菩薩とは「十三仏の四七日導師。三十日秘仏の十四日仏。文殊菩薩と同様、お釈迦様とで釈迦三尊を組みます。冠に五仏が付いているのが特徴です。また白象に乗っているのも特徴のひとつですが、この仏様にはかなりのバリエーションがあります。胸の前で合掌しているタイプもあります。智慧の文殊に対し慈悲の普賢といわれます。遍吉菩薩と訳される場合もあります。」
 阿弥陀如来とは「十三仏の三回忌導師。三十日秘仏の十五日仏。三尊形式のときは観音様と勢至菩薩を従えます。密教系では左右が逆となります。阿弥陀様は手の形(印相)にいろいろなバリエーションがあります。図は上品上生印じょうぼんじょうしょういんです。阿弥陀のサンスクリット語の原名には無量寿=無限の寿命をもつ。無量光=無限の光明をもつ。の二つがあります。
これから無量寿如来、不可思議光如来、尽十方無碍光仏じんじっぽうむげこうぶつとも呼びます。」
 大日如来とは「十三仏の13回忌導師。三十日秘仏の二十八日仏。如来ですが、例外的に装飾品をたくさん付けています。大日如来は金剛界と胎蔵界の二種類があります。図は金剛界の大日如来です。胎蔵界の大日如来は手の位置と形(印相)が違います。金剛界は智拳印、胎蔵界は法界定印です。大日如来の名は意味を訳した名前で、音写は摩訶毘廬遮那如来まかびるしゃなにょらいです。毘廬遮那は光り輝く太陽を意味しますので、遍照如来と訳す場合もあります。初期の仏教では、転輪聖王てんりんじょうおうや阿修羅あしゅら族の王とのしてお経の中に登場します。」(http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/butuzo/13butu/index.html 参照)
 つまり十三仏では大日如来が頂点であり、曼荼羅図も大日如来が中心に描かれる。つまり我家の中心は稼ぎ頭の僕ではなく、我が子怜王なのである。
 祖母には真言宗という信じていた世界があったが、両親も僕も真言宗だけではなく無宗教である。無宗教ではあるが祖母が口を開けば言っていた「大師参り(祖母は「でーしめーり」と言っていた」)」つまり、弘法大師をお参りするために高野山へ年に1回行っていた祖母が信仰して弘法大師には少なからず興味を持っている。
 そんなわけで今後はさらに怜王を守り立てて行こうなどと、治癒途中で神妙になっている僕はそう思ったりするのであった。
2010年02月11日(thu)  No.253

2月8日

 昨日は7時半過ぎに家を出て荒川下流工事事務所(http://www.ara.go.jp/arage/about/enkaku.html)の広報誌「ARA」の表紙撮影で、都市農業公園(http://www.kankyo-kan.or.jp/park/park.htm)で撮影をして2時過ぎに帰宅。
 1時間ほど休憩した後怜王と妻を連れDRUGをいっしょに作っている代々木の大嶋さん宅へ行き、シカ肉を食べる会?に出席。出席と言っても大嶋さんご夫婦とOさんのお母さん(北海道にひとりで住んでいるが、寒い冬の時期の数ヶ月東京にいるふたりの子ども<長男がOさんで次男は僕と同じ年のひとで青山に住んでいる>)と猫のニトロちゃん、それに僕ら3人という小編成?の会。
 9時過ぎまで美味しいワインとシカ肉のステーキなどを食べ、皆で楽しく過ごした。そんな訳でで帰宅して、怜王が布団に入ったのは10時を回っていた。僕らも11時過ぎには眠った。
 午前中の撮影は好天であったが強風の上かなりの寒気で、土手上がるまでもなくかなりはっきりと富士山も見えるくらいの状況(タムロン18-270mmVC、270mm<35換算419mm>で撮影)。そんな河川敷に2時間ほどいたたので、仕事をする以上に寒さとの闘いとなり以外に体力を消耗していて布団に入ったら怜王どうようあっという間に眠ってしまった。
 8日になって外がまだ暗いから5時くらいだろうか…と思った時怜王が目を覚まし、「もうおきたい…」と言う。時間を見ると6時少し前。これなら起きても良いかなと思ったが身体が言うことを利かず…もう少し寝てようよと何度か言っているうちに怜王は二度寝を始めた。ラッキーである。
 怜王が30分ほど眠って目を覚ましたので、いっしょに起床し牛乳カルピスを飲ませていつものようにiBook G4をかしてあげている間にお弁当を作り7時過ぎに朝ご飯を食べさせた。
 9時15分いつものように妻といっしょに幼稚園バス乗り場へ行ったが、「うんちしたいって言うから、戻って来た…」と10分後に帰宅した妻が言った。
 怜王が乗っている幼稚園バス乗り場から園バスは5分ほど別ルートで園児を乗せてから、目黒通りの目黒方面行きのルートに戻ってくるので、碑文谷警察署前(なぜかこちらの園バス停留所の方が自宅マンションから近い…)の園バス乗り場から乗せることになった。
 10時過ぎから昨日撮影したARAの表紙写真その他のセレクトを始め、11時完了。画像をコントロールし11時半オフィスSのDTPのNさんにデータ便で送信し納品完了。
 2時半過ぎ妻に連れられ、幼稚園バス乗り場から怜王が帰って来た。そして3時過ぎ、モノブロックストロボなど撮影機材を持って渋谷へ。今日はNHKの楽屋でタレントの金子貴俊さん(http://ameblo.jp/kaneko-takatoshi/ http://kanekotakatoshi.com/)のインタビュー撮影である。
 都立大学から東横線に乗り、渋谷下車でNHK西口玄関から受付に。Y出版社編集部のKさんとライターのYさんと合流し、楽屋へ。たの楽屋にはサエキけんぞう(http://www.saekingdom.com/)や所ジョージ(http://www.tokoro.co.jp/)中川翔子(http://ameblo.jp/nakagawa-shoko/)と言った名前が。
 インタビュー撮影時間は1時間。順調にインタビュー撮影を続け、最後にポートレート撮って金子さんの楽屋を出た。
 NHKを出ると、まだ外は明るく少々意外な感じが…。数週間前までは5時と言えばかなり暗かったような気がしていたからだ。今日は小春日和とまではいかないが、2月初旬にしては暖かい。極めてさりげなく、春がやって来ているのであろう。
 帰宅すると、怜王は夕飯を食べていた。キッチンにいるふたりの所に行く前に、撮影して来たばかりの画像データをフォルダに入れ外付けハードディスク保存。
 6時半少し前、弟から電話が入った。どうやら確定申告のことで、父親がずっとやって来たのだどうも何やら”めんどくさい”などと言っていると言って母と口論を今日していたのだと言う…。 毎年やっていて問題なく処理出来ているのだから今年も大丈夫なはずだが、父の言う「めんどくさい」は年齢から来るものだろうし、それを見かねた弟が毎年確定申告をしている僕に父親がいつも書いている確定申告の書類をチェックしに来て欲しいと言うのもうなづける(弟はサラリーマンだったので、確定申告は未知の領域…)。今週の後半にでも時間を作って、幕張の両親の所に行くとするか。
 7時過ぎライターのKOさんから連絡があり、女子サッカー選手でもありミュージシャンでもある石田ミホコさんのインタビュー撮影の仕事を依頼された。僕はスポーツ関連の情報に最近疎いので…彼女の活躍はほとんど知らなかったが、ネットで検索すると本当のサッカーとミュージシャンの二足のわらじを上手くコントロールして来たようだ。
 だがしかし僕はほとんどテレビを見ないので、「ポシュレデパート深夜店」という日本テレビのドラマのエンディングテーマ「サヨナラ」を歌っているということも、サッカー選手であり最近現役を引退という告知(http://ishida-09.com/index.php?p=custom&id=3206885)をしたこともまったく知らなかった…。
 そんな彼女のことを知るためにネット検索でいろいろチェックしてみると、表情や雰囲気はどことなくhitomiや内田有紀的なニュアンスも感じられた。実際どんな感じのひとなのか、撮影日(22日予定)が楽しみである。
2010年02月08日(mon)  No.252

2月5日

 体調が戻ったと思われた妻が昨日朝から腹痛を訴えはじめたので9時15分過ぎ怜王を幼稚園バスのバス停まで連れて行きその足でシトロエンのジャベル(http://www.javel.co.jp/)に3月のトップ写真の撮影に行って帰えると、妻は体調悪そう…。
 2時が近くなった頃まだ動けないでいるのでバス停へ向かえに行き、怜王が帰って来たら元気になって動き回るかと思ったがかえって身体が辛そうで4時過ぎ2時間くらい眠っていいかと言うので布団を敷いて寝かせた。
 熱も下がってこれで大丈夫だと思ったが、胃がむかむかして気持ち悪いのだと言う。どちらかと言うと、妻は新陳代謝が良い方ではなくあまり汗もかかない。もっと水分をとった方が良いのにと思ってそのことを妻に言うと、「水はあまり飲めない…気持ち悪くなるし…」と言いながらもコップ一杯の水を飲み7時過ぎ布団に入った。 
 僕はと言えば相変わらず痰まじりの咳が時折出ているが、一昨日よりさらに昨日より状態が軽減して来ているのが分かるのでこのまま気をはって無理をしなければ治るような気がする。
 そして8時に眠れる訳もないので、妻の仕事用のWindowsでメグ・ライアンの「ブルーフ・オブ・ライフ(http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id162844/)」をひとりで見た。可愛いけど三枚目のメグ・ライアンのイメージがない。役柄とは言え、シリアスなメグ・ライアンはとても素敵であった。時計を見ると11時。僕も眠ることにした。
 さて5日朝の怜王は気がつくと僕の布団に潜り込んでいて、寝返りをするたびにかかとや膝が僕の脇腹や背中にヒット…。おちおち寝てられないまま、1時間くらい経過した6時半に怜王が目を覚ましいっしょに起床…。
 妻を見ると、咳もせず静かに眠っている。そして7時半過ぎに起きて来たのだが、かなり顔色が良い。何かを食べないと行けないと怜王のお弁当といっしょの「おいなりさん」をひとつ小皿に乗せてラップしておいたのを指さしこれなら食べられる?と聞くと即うなづいた。
 「おいなりさん」ひとつにみそ汁と質素な朝食ではあるが、昨日までの感じとは違うさらっと食べていたので「気持ち悪い…むかむかする…」と言う症状は去ったようだ。
 いつものように9時15分過ぎ、妻が怜王を幼稚園バスのバス停まで送りに行った。”いつものこと”が、これほど穏やかで安堵感があるように感じられたのははじめてかも知れない。
 そんな今日は夕方から銀座へ。街をスナップして歩き、5時半過ぎ辰巳郁雄さんの写真展「走った!撮った!世界のマラソン(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/index.html)」を見に行く。
 120点あまりの写真が円形の壁面に展示されていて、とても壮観な感じ!それにすべての写真から爽やかな笑顔があふれていて、とても幸せな気分にさせられた。
 会場の見て回っていると、待ち合わせをしていた湯沢英治くんがやって来た。いっしょに見ていると背の高いマラソンマンが、「こんにちは」と話しかけて来た!DMの写真のセレクトのことや撮影状況などを伺い、会場で3人で記念写真(記念写真は辰巳さんの5日のblogに→ http://marathoncameraman.web.fc2.com/ 」)を撮ってもらい会場をに9階(写真展会場は8階)へ。
 6時過ぎリコーMHさんと3人で、銀座松屋裏手の某居酒屋へ。11時過ぎまで歓談。帰宅後名刺交換をした辰巳さんのHPを見ると、何と辰巳さんは俳優の辰琢郎さんの弟さん!20年ほど前、お兄さんを四谷で撮影した時のことなどを思い出した。
2010年02月05日(fri)  No.251

2月3日

 6時半過ぎ、「もうおきたい…」と怜王が言うので起床。妻は昨日まる1日眠っていて、お昼も夜もまったく食事をとらずポカリスエットだけを飲んで眠り続けた。
 7時過ぎ妻が起きて来た。即熱があるかどうか計ってもらうと36度6分と急激に下がっていて、顔色も立ち振る舞いもふつうの状態に戻っていた。これでひと安心。あとは自分の体調だけだが、まだ咽がむずむずしていて今しばらく様子をみなければならないようだ…。
 一昨日の夜思い出したように怜王が小さい頃の動画を再生し、こんなに小さかったんだ紺なこと言ったりしたりしてたんだと懐かしく見ていた、その中でも生後4ヶ月の頃手袋(かゆがってつめを立てて頭や顔をかくのを防ぐためであった…)こそしているが怜王用にと生まれる前から購入しておいた小ぶりのギターを弾く(http://ys-ode.net/diary/ 2005年3月6日の日記にアップした)怜王の映像がやはり一番。
 これは当時リコーから『photo style』の撮影(http://www.ricoh.co.jp/dc/photostyle/appreciation/photographers/)でcaplioR2を借りていて、はじめて動画で撮影したもの。
 何気に弾いているふうで僕はひたすら怜王がギターの弦を弾く感じと手の動きに感心しながら褒めているのだが、最後に怜王が「かぁい〜」と言った瞬間可笑しくなって思わずカメラをめちゃくちゃにパーン(流して?)してしまった…。
 「かぁい〜」とは怜王語で「ミルク」のこと(たぶん「おっぱい」の「ぱい」が「かい」と聞こえていたと推察している)で、僕は一生懸命撮影をしていたのだが、怜王としてはちょうど妻が作っているミルクが早く飲みたくてしょうがなかったのである。まだ4年ほどしか経過していないが、すでに懐かしい映像となっている。
 この映像はその後他の映像といっしょに、You Tubeに妻がアップしている。こちらの方は手袋はせずに、ちゃんと指で(http://www.youtube.com/watch?v=8BsV3ukTgcU)!
 9時15分過ぎ、元気になった妻が怜王をバス停まで送りに行った。僕は妻がやりかけた洗濯物をベランダに干す。明日ジャベルの3月用のトップ写真の撮影があるので、妻が回復したと言うことで今度は自分の体調を戻すために今日1日身体を休めることにした。
 昼過ぎくらいからかなり体調が良くなったのか、妻は怜王がなかなか進めないでるプレステのゲーム「ラチェット&クランク」に挑戦を始め難関?を越えたようだ。
 そんな訳でMacに向かう穏やかな日和の今日Hは、あっという間に怜王の帰宅で半分が過ぎた。今日は節分と言うことで、幼稚園で作った鬼(タコにも見えるが…)のお面を持って元気よく帰って来た。
 2時過ぎリコーから新製品「RICOH CX3(http://www.ricoh.co.jp/dc/cx/cx3/)」のプレスリリースがメールで届けられた。CX2発売が2009年9月なので半年も経たないうちにCX3と、信じられないほどのスピード。
 と驚いていたら今度はオリンパスから、新製品「OLYMPUS PEN Lite E-PL1(http://olympus-imaging.jp/product/dslr/epl1/)」発表のリリースがメールで送られて来た…。
 こちらはE-P1/2の姉妹機のようだが、ターゲットはどの世代なのだろう?イメージ・キャラクターは引き続き”宮崎あおい”なので、若い女性がターゲットなのだろうか?それにすでにE-P1とE-P2と購入した人は、さらに E-PL1の購入を考えるだろうか?
 フィルムカメラの頃はお気に入りのカメラをじっくり使い込むと言うニュアンスがあったので、これほど新製品競争の様相は呈していなかったと思うがそれにしてもデジタルカメラの商品開発のスピードはことのほか速すぎるような…。
2010年02月03日(wed)  No.250

2月2日

 6時半過ぎ、怜王が目を覚ました。今朝はめずらしく奇をてらった第一声らしきものを発しなかったので雪つもってるよと言うと、「えっ!」と言ってベランダの窓をあけ「ほんとだ すご〜い!」と言った。しばらく布団の中で話しをして、起床した。今朝はかなり冷え込んでいた。
 怜王に牛乳カルピスを作ってあげたあと、お弁当(海苔のおにぎりとタコとカニのウインナ、それにひと口ゼリー)を作る。怜王は僕のiBook G4でゲームをしていた。
 今朝の怜王はご飯を食べない替わりに、豆腐(冷や奴)を少々口にしただけ。食べないよりましだが、相変わらず食が細い…。
 数日前から咳き込んだりしていた僕は熱は出ないが相変わらず咽がイガイガしているので、葛根湯を食間に服用した。
 妻はといえば僕の風邪がうつった?ようで、顔色が良くない…。いつものように怜王を幼稚園バスのバス停まで送る気でいるようだったがヒーターの前で座り込んだりしていたので、9時15分過ぎ僕が替わりにバス停まで怜王を送ることにした。
 外はすでに雪が溶けて来ていて、歩道はびしょびしょ…。怜王は雨も好きだが雪は久しぶりに見るのでかなりはしゃいでバス停に到着。ぞくぞく同じバス停から乗る友だちがやって来たが、皆雪を手に取ったり投げたりして楽しそうであった。
 無事怜王を園バスに乗せ帰宅すると、妻は床に座って椅子の上に乗せたクッションを顔にあてていたので眠るように言って布団を敷いてあげると妻はそのまま倒れるように布団に入り眠りにおちた…。
 昼過ぎ妻が咳き込んだのんで念のため熱を計ってもらうと、38度6分…。我家のデジタル体温計はなぜか5分ほど高く表示されるが、それでも38度は高熱。病院に行ったようが良いがどうも身体が重いようなので、速効でコンビニに行き水分補給用にポカリスエットそれに栄養剤のユンケルを購入し飲ませる。
 怜王は風邪っぽいところはないがふたりが寝込んでしまうようなことになってはいけないので、僕としては精いっぱい気をはり少々着込んで身体を暖かくし、昼食時にニンニクを食べたりお茶(八女茶)をたくさん飲んだり、「だいこんしょうがのど飴」と言う飴をなめたりしてこれ以上悪化するのを防ぐことに集中。
 2時過ぎ部屋を出て1週間前にレンタルをしたDVD4枚、駅前のレンタルビデオショップに返却をしてから目黒通り沿いの園バスの停留所へ。今日はふたり休みでHちゃんが預かりなので降りて来たのは怜王を含めて4人で、怜王が一番先にジャップして元気よく降りて来た。
 そして歩道脇に残っている雪を見て、「ゆきだるま つくりたい」と言うのでコンビニのビニール袋に雪を入れて帰宅。割り箸を黒くぬって眉毛と口を作り目は豆まきようの豆を黒くぬってはめ込んだ。怜王は妻の携帯カメラで、僕が作った雪だるまを撮って嬉しそうであった。
 さて妻の熱は相変わらず38度ほどあり、妻はユンケルとポカリスエットを口にしたまま眠り続けている。そして時折起きたりはしたが、食欲はないようで朝ご飯を食べた切りのまま夜になった…。
 7時半過ぎ僕ものどが痛くて体調は悪いのだが、怜王をお風呂に入れて8時過ぎどうにか寝かしつけるところまでこぎ着けた。
 そのまま静かに眠ると思ったが妻と話している声が泣き声に変わって行ったので何事かと思って行ってみると、昼間作った「ゆきだるまが とけてなくなるのはいだ…」と言っている。何とも切ない言葉で胸が詰まったが、雪は暖かくなると解けてしまうし作った雪だるまをずっとそのままとっておくことは出来ないこと。
 そして怜王が妻の携帯で写真を撮ったことを引き合いに出して、”写真を撮っておけばいつでも雪だるまを見ることが出来るし、思い出せばいつでも雪だるまに会えるよ”と教えた。分かったどうか聞いてみるとしっかりうなづいていたが、目には涙が…。
 ひとまず明日の朝まで雪だるまが溶けずに残っていてくれることを願うだけだが、怜王が優しい気持ちをもった子に育っているように思え”切なくもあり嬉しくもあり”であった。
2010年02月02日(tue)  No.249

2月1日

 6時半少し前、怜王が大きくのびをして目を覚ました。毎日腹時計でよく同じ時間に起きるものだと感心するが、外はまだ暗いのでいろんな話しをしながら(何故か今朝の怜王はひそひそ話であった…)15分ほど起きる時間をずらした。
 6時45分過ぎ怜王といっしょに起床し、キッチンへ。いつものように牛乳カルピスを飲んだ怜王はしばらく幼稚園の同じクラスのKHくんとYKくんが今日幼稚園に来るかどうかをとても気にしていた。
 二人ともしばらく休んだりしているようで、新型インフルエンザにかかったのかなとも思うが状況は定かではない。が怜王としてはどうして二人が幼稚園に来ないのか、心配なのである。
 今朝の怜王は朝ご飯を食べることもなく、起き抜けに飲んだ牛乳カルピスとヤクルトのみ…。少しでも良いから食べて欲しいが、食べたくないと言うのでは仕方がない。明日の朝はちゃんと食べて欲しいと思いつつ、9時5分過ぎ妻といっしょに幼稚園のバス停へ向かう怜王を玄関で見送った。 
 見送る少し前までは良い天気で渋谷に撮影に出ようと思っていたが、にわかに上空かき曇り寒さが増して来たので外出を控えることにした。と言うのは数日前から少々咳が出て風邪気味だからである。
 天気予報では午前中晴れで、午後から曇りの後雨で夜遅い時間に雪になると言う。9時過ぎにすでに今にも雪が降りそうな寒さに変わって来たと言うことは天候悪化が早めで、怜王が帰って来る2時半過ぎには雪か…。
 その2時半がやって来て怜王が帰って来たが、雪ではなく冷たい雨がじとじと降り始めていた。明日も天気は悪いというので、朝起きると”外はまっ白”と言う感じなのかも。
 帰宅した怜王は手を洗うとおやつも食べずに、妻が昼頃に進めていた「ラチェット&クランク」」をさっそく始めた。妻もハマっているのでいっしょに座って二人でテレビ画面を見ている。時々妻がネットで難しい箇所をチェックし攻略して行くのだが、怜王もいっしょにMacのモニターを見て漢字まじりの文を読んだりしている。凄い!
 8時を過ぎ怜王もお風呂に入りもう寝ると言う頃、ベランダから外を見た妻が「あっ、怜王くん雪降ってる!」と言う歓喜の声が。怜王も僕も慌てて外を見に行くと今年初の雪が舞っていた。僕は慌ててCX2を取りに行き、ISO100のままスローシンクロモードで数枚シャッターを切る。その中に、舞い降りる雪のふたつが♡マークに撮れていた!そんな初雪を見た怜王は満足したのか、妻の添い寝も合ってモノの数秒で眠りに落ちた。
 それを確認した僕はそのままCX2を持って外に出て、シャッターを切り続けた。ここ数年東京に雪が降るなどなかったので、少々エキサイトしてしまった。明日の朝どれほどつもっているか見物である。
2010年02月01日(mon)  No.248

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