ys diary
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1月31日

 早くも1月最後の日。6時半過ぎくらいから怜王が僕の布団に潜り込んで来て、「もうおきたい いつおきるの?」とせかされつつ7時少し前いっしょに起床し怜王に牛乳カルピスを飲ませた。
 そして相変わらず朝ご飯を食べたり食べなかったりの怜王のために、おにぎりを作る。その怜王はテレビで「メタルファイト・ベイブレード」を見たあと、プレステで「ラチェット&クランク」の続きをやり始めた。
 昼前「ラチェット&クランク」のバタリアンという星での飛行船とのバトルが出来ないと怜王が言う(妻も挑戦したが…)ので、替わりにやってあげる。飛行船を撃ち落とすのだがミサイルが不定期に飛んでくるのでダメージを、飛行船を狙いつつミサイルも撃ち落とさなければならない。苦戦5回ほどでどうにか攻略し、元ゲーマー!?の対面を保つ。
 午後になってから、家族で銀座へ。今日はリコー・リングキューブで開催の「RICOH RING CUBE「各界著名人約120名の作品による写真展 SNAPS」が最終日となるので、妻と怜王にも見てもらうために出掛けることにしたのである。
 それに銀座に行けば怜王も楽しい、「ベイ太1号(http://beyblade.takaratomy.co.jp/beyta01/index.html)」が有楽町のビックカメラに設置してあるので3人とも楽しめる1日になりそうだ。
 東横線に乗り、中目黒乗り換えの日比谷線で銀座まで。まっすぐリングキューブへ。会場には10名ほど見ている人がいて、怜王は僕の写真の前に行き「あっ おばあちゃんと おじいちゃんだ!」と言って嬉しそうに見ていたので写真の前でこちらを向くように言うと微妙に緊張したこわばった笑いの怜王がいて可笑しくなってしまった。
 初日のオープニングパーティーの前と後に写真展は見ていたが、芳名帳がなかったのでサインを入れなかったことを思い出し最終日にきっちり名前を記しリングキューブを後にしギンザ松屋へ。
 松屋8階の催事場で明日まで開催している「GINZAおいしい1週間(http://www.matsuya.com/ginza/topics/100201e_oishii/index.html)」に、後輩カメラマンのSの友だちのO君が出展していてSも手伝っているというので会いに行く。
 会場に入ってまもなく「曽根さん!」というSの声。ブース内でライトグリーンのシャツに黒いエプロンをしたSがいた。そして横を見ると20年ぶりくらいになるだろうかO君がにこにこして向かえてくれた。O君は佐賀で有田焼の販売をしていたが15年くらい前から有田焼を使ってカレーの駅弁を作りそれが当たってお店まで作ったという。
 そのお店の名前は「創ギャラリー・おおた(http://shop.sagafan.com/oota/)」で、有田焼きの器が美しい「プレミアム有田焼カレー」を購入。そして催事場を1周しもう一品「三宮一貫桜
http://www.ikkanrou.co.jp/)」の豚まんを、妻のリクエスト(妻は兵庫県出身なのである)で購入。そしてもう一度O君の会社のブースによって、挨拶をし銀座松屋を後に有楽町駅前のビックカメラの玩具売り場へ。
 日曜日だと言うのにさほどベイ太の回りには子どもたちはさほど居ず(5人くらい)、数分待ちで何度か怜王も挑戦。程よいところで切り上げたので、新しいベイブレードのブースター「ストームカプリコーネ(このブースター、飛び跳ねるのだと言う!)」を買ってあげた。
 ビックカメラを出た後は、妻が見たいと言っていた、ソニービル8階で開催している「3D ハイビジョンシアター(http://www.sonybuilding.jp/event/opus/index.html)」へ。沖縄美ら海水族館や旭山動物園・海洋博公園などの立体映像を3D眼鏡をかけて観る。
 映像は素晴らしく本当に目の前に魚が泳いでいるように見え、怜王は興奮して手を伸ばしてその立体映像の魚を触ろうと必至な表情が何とも可愛らしかった(写真を撮りたかったが場内撮影禁止…)。
 日比谷駅から日比谷線に乗り、中目黒駅下車。東横線の先頭車両(都立大学の降り口が、前方にしかないので)に乗り込む。ふと怜王を見ると、電車を運転している運転手をじっと見ていた。3才くらいのときはまったく窓の外を見ることが出来ず、よく抱き上げて外の風景や運転席を見せたことを思い出した。大きくなったものである。
2010年01月31日(sun)  No.247

1月30日

 6時過ぎ枕元に置かれた犬のぬいぐるみを抱えた怜王が僕の布団に入って来て、「このわんわんかわいい…」と言って二度寝を始めた。
 犬のぬいぐるみは30センチくらいのサイズだが僕と怜王の間に置かれるといわゆる「川の字」状態になり、怜王に掛け布団がちゃんとかかっているかどうか確かめ横になると僕の側の掛け布団がぎりぎりになってすーすー寒い…。
 ツタンカーメンのように仰向けで直立不動の姿勢で目を閉じるが、微妙な寒さは僕に二度寝をさせることなく6時半過ぎやむなく起きることに…。
 僕が布団からそっと出ると素早くそれを察知した怜王が、「もうおきたい…」というのでいっしょに布団を出てキッチンへ行き暖房をしつつ怜王に牛乳カルピスを飲ませた。
 怜王はいつものようにキッチンのテーブルに置きっぱなしのiBook G4を見たいと言うので僕の椅子に座らせると、器用にブックマークから「ニコニコ動画」をセレクトし「ラチェット&クランク」の攻略シーンを見始めた。
 こうしている間はとりたてて心配することも起こらないのでひとまずシャワーを浴び、出てから朝食の支度をする。
 8時半「かみ 2まい ほしいんだけど…」と言うので、A4の多目的用紙を2枚手渡すと何やら怜王が履くは真剣に描きはじめた。覗き込むと「だめ」と言いながら隠すのでしばらく様子を見ていると、「これが いぬきんし!で こっちが きょうりゅうきんし!」と言って描いた絵の上に禁止マーク(丸に斜め線)が!「犬禁止!」は分かるが、「恐竜禁止!」には驚かされた。 朝から曇天であったが、8時半を過ぎた頃より陽が射し始めた。今日はけっこう急に決まった久々のお散歩写真(最近ではDRUGにその様子を乗せるようになり、別名「ぶらカメ隊」と言うこともある!?)で、雑司ヶ谷集合で歩くことになっている。
 出掛けるまであと1時間という時怜王が「おとうさんといっしょに れごで あそびたい」と言い始めたので15分ほどいっしょにレゴで遊び、何気にiBook G4で思い浮かんだ人名「詩人ランボオ」を検索してみると「仏詩人ランボー16歳の散文詩が見つかる(http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2395092/2960729)」何気に30分と言う時という記事を発見した!
 記事が発見されたのは2008年5月24日であると言うがまったく知らなかったニュースで驚いたが、さらに驚いたのはセピア色の若い頃のランボオの写真が貼付(複製)されていたことである。
 ランボオの写真は今まで2枚見た(1枚はよく見かける1991年3月21日撮影の青年アルチュールランボオ、そしてもう一枚は貿易を始めた晩年のひげをたくわえた写真写真)ことがあるが、この写真は少年アルチュール・ランボオをより美化したような美しい表情(時に目が美しい)。
 11時過ぎGXR、GRDIIIを持って雑司ヶ谷へ向かう。東横線で渋谷に出て、副都心線で6駅目が雑司ヶ谷。12時過ぎにYさんOさんと合流し、まずは鬼子母神へ。
 そして腹ごしらえをして雑司ヶ谷方面へと言う話しになり、路上でそば屋(いつも僕らはそば屋に入るのである)を探したがまったく見当たらず地図などを見てあれこれ話していると「なにかお探しですか?」と声をかけて来たおばさんが。
 そこでこの辺りにそば屋はないかを聞いてみたが、池袋方面に行かないとないと言う…。お礼を言うとさっと向かいの寿司屋に入って行った。
 僕らは少しだけ周囲を散策したがおばさんの言うようにそば屋は皆無。それならとおばさんが入った寿司屋に入ると、なんとおばさんは寿司屋の女将さんであった!そんなわけで時間も時間で客は僕ら3人だけということで、女将さんそして大将と楽しい雑談を交えた昼食となった。
 1時間ほど寿司屋にいて、お散歩開始。都電荒川線を越え雑司ヶ谷の町をはじめて散策したが、信じられないほど下町の匂いの残る場所で路地を曲がるたびにめまいがするほどであった。それは萩原朔太郎の短編小説『猫町』さながらの小旅行的空間が広がり、鬼子母神周辺で見かけなかった猫も信じられないほど沢山見かけた。
 歩いているうち護国寺に到着。少しだけ中に入り、さらに水道橋まで歩いて行くうちに5時を回っていた。そしてさらに神保町まで足を伸ばしOさんが入ったことのあるという某居酒屋へ。8時過ぎまでDRUG20号へ向けての編集会議?をしたりで、楽しい打ち上げとなった。
 9時過ぎ帰宅。怜王はまだ起きていて、妙に楽しそうに(蒲田の方に行ってゲームをしたり玩具を買ってもらったりで楽しかったようだ)していた。
2010年01月30日(sat)  No.246

1月27日

 「さめとかはさぁ にんげんたべても おいしくないんだよ」と言いながら、6時半過ぎ怜王が目を覚ました。凄い第一声だが、毎度のことで常に意外性のある言葉を口に出来るとに感心する。
 そして朝ご飯は昨日に引き続きちゃんと食べ、豆腐のみそ汁も完食。仕上にヨーグルトをほおばり、「おなかぱんぱん」とシャツからおなかを出してパチパチたたいていた。
 8時半くらいまでパソコンで遊んだりプレステをやったりしていたが、「べいぶれいどばとる おとうさんとやりたい」と言い始めたので幼稚園の服をちゃんと来ていつでも出られるようにしたらやっても良いよと言うとそそくさと支度を始め、8時45分くらいから20分ほどベイブレードで遊んだ。
 9時15分過ぎ、怜王は妻といっしょに幼稚園バス乗り場へ向かった。二人が出てすぐにシャワーを浴びさっと着替え、GRDIIIとGXR+GR50mmMACROを装着。10時過ぎ、今年初めて、自分のための撮影に出掛けた。
 都立大学から渋谷に出て、半蔵門線に乗り換え水天宮下車。地上に出て箱崎インターチェンジの下を隅田川方向に向かって歩きまずは10数年前モノクロ6×6で撮り続けた『日本橋川(未完成…)』を再度撮影するために豊海橋(とよみばし)へ。
 『日本橋川』は千代田区三崎町で 『神田川』から分流し、中央区日本橋箱崎町で『隅田川』に合流するおよそ 4kmの小さな河川。モノクロでの撮影も何三崎町から箱崎まで日本橋川を往復した替わらないほど撮影はしたが、10カットほどしか気に入るプリントが出来なかったため、完成をみないまま撮る続けることを断念…。
 何故10年を経てなお日本橋川に固執するのかと言うと、『日本橋川』の大半の空間は首都高速都心環状線と首都高速6号向島線が川の上にありその三十構造とも言える時空の厚み目の前にするとふつふつと琴線に触れるエネルギー(現在過去未来の力か?)があるように思えるからだ。
 『豊海橋』をスタートし河を軸にジグザグに撮影しながら1時間半ほどかけて歩き、『日本橋』まで。6×6で撮影していた手応えをGXRとGRDIIIに託しつつ、日本橋から半蔵門線に乗り神保町駅下車で神田小川町交差点方向にスナップしながら歩きオリンパスギャラリー柳瀬元樹さん(http://www.genkiyanase.com/home.html)の写真展『La Familia Del Sol』を見に行く。
 柳瀬さんからはオープニングパーティのお誘いを頂いていたがその日の夜都合が付かずに今日になってしまったが、会場には柳瀬さんも見えていて話しも出来た。そして写真家の清水哲郎さん(http://rakuda.mda.jp/mongol/)も同じ時間帯に見えていて雑談を。
 柳瀬さんの展示写真のプリントのペーパーが絶妙な輝きを放っていてどんな紙を使っているのだろうと聞いてみると「局紙(きょくし)」と言う和紙ベースのインクジェット用紙『ピクトラン』であると言う。
 この『PICTRAN』、販売はヨドバシカメラと目黒のコスモス・インターナショナル(http://www.cosmosint.co.jp/php/papers/pictran.php)のみで、コスモ・インターナショナルが販売元であると言う。柳瀬さんから見本ペーパーを頂いて、オリンパス・ギャラリーをあとにした。
 千代田線に乗り、表参道下車。ヒステリックグラマー『のラットホールギャラリー(http://www.ratholegallery.com/)』に寄ってから渋谷まで歩きながら帰ろうと思ったがラットホールギャラリーは閉館していていたのでそのまま青山周辺を撮影しながら渋谷まで歩き、2時時半過ぎ帰宅。
 妻と怜王は先週行かなかった碑文谷公園内にある体育館での『インドア・テニス・スクール』へ出掛けていて、3時半過ぎに帰って来た。妙に楽しそうであった!
 夕飯寸前までプレステの「ラチェット&クランク」を妻と怜王は交互にやっていて、難関が現れるとパソコンで劫略映像をチェックしどうにか目的にところまで言ったような感じ。
 僕もゲームは好きなのでやってやりたいのは山々だが、やり始めるとタイプ的に寝ずにやる方なのでうっかりハマってしまうと写真を撮ることも出来なくなってしまうとも限らないのでなるべくしないようにしている。しないようにすると、そのお鉢は妻に回ってしまい…悪いと思いながらもじっと我慢なのであった。
 夜になってテレビで見たいアニメもあったようだが、どうもプレステの方に今日ものピークが来ているようで結局7時半までゲームをして妻といっしょにお風呂に入り、なんだかんだで眠りについたのは8時半を回っていた。
 怜王が眠るか眠らないかの頃からたまには使わないとと思い、仕事の都合で購入したWindowsでギャオを開いたら懐かしい日本の映画が沢山あって歌は知っていたが一度も見たことがなかった石原裕次郎の『銀座の恋の物語(1962年制作)』を見る。
 最初は冷やかしのつもりであったがストーリーが展開して行くうちにすっかりハマり…、9時半くらいまでフルに見てしまった…。この映画何処か洋画デボラ・カー主演の『めぐり逢い(1957年作)』とストーリー的に微妙にかぶるところがあり、より興味を持ちそしてとても面白く見た。
 日本映画は喜劇の『社長』シリーズとか『クレイジーキャッツ』関連はよく見たりしていたが、石原祐次郎の出ている映画はほとんど(数作は記憶にあるが…)見ていない。見ていないと言うより、意識して見たことは一度もなかった。パソコンの画面は小さいが、妻が仕事用に購入した小さなダイナブックをこれからも活用し多くの未知の映画をチェックして行こうと思う。
2010年01月27日(wed)  No.245

1月26日

 6時45分過ぎ怜王が目を覚ましめずらしく第一声を発することなく、ニコニコしながら僕の布団に潜り込んで来た。5分くらい話しをするでもなくいっしょに横になって、おもむろにどちらからともなく起床しキッチンへ。
 今朝はブドウジュースを小さめのコーヒーカップに注いで出すと、「これなに?」と言いうのでブドウジュースだよというと何やら安心したように口にすると「おいしい!」と言いながら一気に飲み干した。
 そして相も変わらず「おとうさんのぱそこんで げーむしたくなっちゃった…」と言うのでキッチンのテーブルに置いてあるiBook G4をかしてあげると夢中でガンダムゲームを始めた。もちろんやるからには、モニターまで腕を伸ばした距離を保つことと僕はひとこと言わざるを得ないのである。8時過ぎ3人で朝ご飯を食べ、9時15分妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった。
 昨日「平成21年度所得税の確定申告書用紙」が、東京国税局から送られて来た。確定申告は2月中旬(今年は16日)から1ヶ月間提出日がある訳だが、個人的ポリシー?で初日に提出を。
 数日前から平成21年度分の領収書をすでに計算し終わっていて、クライアントからの支払調書がそろうのを待ち確定申告書に記入するのみとなっている。
 思い起こせば昨年も初日にきっちり提出しに行ったのだが、あろうことに痛恨の記入漏れ(振込銀行の口座番号を記入し忘れた…)をしてしまったので今年は自分だけではなく妻にもチェックしてもらおうと思っている。
 さてそんなことより朗報は腰痛が温熱シート(まったくシップなどのような薬は配合されていない)が思ったより効いたようで、治癒するまでに半月はかかると思われたが今朝の時点で痛みを感じないところまで回復していた。18日15kgほどの機材が帰り道腰にづしづしきて痛みがピークに達してしまったので、今月いっぱい写真を撮り歩くのを控えようと思っていたが明日あたりから動き回れそうだ。
 1時半過ぎ今日はレンタルが安い日と言うことで、怜王をバス停に向かえに行く前に駅前のレンタルショップにDVDを妻といっしょに見に行く。
 怜王といっしょに見ることが出来るファンタジー「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ(http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5418)」を僕がセレクトし、あとは妻のセレクトでやはり怜王といっしょに見ることが出来る「オープニング・シーズン2」を。そして「バビロンA・D」「あなたになら言える秘密のこと」さらに新作の「ノウ イング(http://www.eigafan.com/dvd/dvd.php?id_dvd=84)」などをレンタルし、妻はバス停に怜王を向かえに僕はそのまま帰宅し怜王のおやつや飲み物を用意した。
 2時半過ぎ、怜王が妻といっしょに帰って来た。午前中怜王がどうしてもクリア出来なかったプレステのゲーム「ラチェット&クランク」のある場所を妻がクリアしていたので、それを帰りがけに聞いて来た怜王は大喜びでいつもなら牛乳カルピスを飲んだりおやつのお菓子を食べたりするのにまっすぐプレステのある寝室へ行き画面をチェック!そのまま5時を過ぎるくらいまで夢中で、ゲームの続きをやっていた…。
 それでもゲームなので「壁」が現れ、一時停止。3人で夕飯を食べ(怜王だけカレーライス)8時半過ぎに怜王を寝かしつけたあと新作の「ノウ イング」を見る。凄い脚本である。もちろんニコラス・ケイジは良い演技で素晴らしいのだが、これほど脚本の良さを感じた(スケールが大きい!)と思った映画もめずらしい。それにしても素晴らしい映画であった。
2010年01月26日(tue)  No.244

1月23日

 6時半過ぎ、「らちぇっとあんどくらんくの”ふーちゃ”やりたい…」と言いながら怜王が目を覚ました。怜王が言った言葉を普通に記すなら「ラチェット&クランクの、”フューチャー”やりたい」となる訳だが、起き抜けの第一声としてはなかなか厳しい言葉であった。
 というのは「ラチェット&クランク」の「フューチャー」は持っていないゲームソフト(http://www.jp.playstation.com/scej/title/ratchetf/)で、「かってほしい」と怜王は言っているからである。
 適当にあしらいつつ起床し食の細い怜王においなりさんをふたつ作ってあげたが、結局「とっておいて…」「いまたべられない…」であった。仕方がないので飲むヨーグルトを飲ませることに…。
 起きてみると、腰回りが昨日よりかなり軽い感じ。腰の痛みが急激に回復しているように感じたが、油断は大敵。何度も腰痛になっているので分かるのだが、一旦痛みが走ると3週間くらいは様子を見ないともっと辛いことになることを知っているからである。
 9時過ぎ写真集「GR SNAPS」を1冊リュックに入れ、部屋を出た。この時間に出ても歩く時間も含めると千葉の実家に着くのは11時くらいになるので、けっして早くはないのである。
 ヤフーの「transit(路線)」で都立大学から実家のある幕張までのルートを検索してみると、半蔵門線で九段下乗り換えの東西線が意外にも早く安いことが分かった。
 今まで運賃と言うよりコースだけ(怜王が飽きないようになるべく変化に富んだコースをチョイスしていた…)気にしていたが、怜王も5歳になり飽きると言うことはあまりなくなったので試しに半蔵門線・東西線・総武線のコースで実家に向かった。
 東西線に乗るコースは日比谷線の茅場町と銀座線の日本橋乗り換えはしたことがあったが、半蔵門線で九段下乗り換えは始めて。路線が違うと、微妙に新鮮な気になるものである。時間が早かったので10時半過ぎにはJR幕張駅に到着。
 昼頃に行くと両親に言ってあり少々早くつきすぎてしまったので、久しぶりに幕張の街をスナップして歩くことにした。
 1時間ほどその昔馴染みのあった街を徘徊し、GXR+50mm MACRO+モノトーン+アスペクト比1:1で入念にシャッターを切り11時少し前実家へ。いつものように呼び鈴を押すと、笑顔で母が出迎えてくれた。父は緑内障を煩ってから視界が悪くなってしまい、俊敏に歩くことが怖くなってしまったようで出迎えはもっぱら元気な母なのである。
 家に入って父に挨拶をし写真集「GR SNAPS」を手渡すと、「すごいね、立派な本だ!」と言って写真集を手に取り表紙と裏表紙を見回し「陽一の名前はどこにあるんだ?」と言うので教え写真集を開いてここだよと二人の写真がある場所を教えるとじっと見入って「へへっ、ちゃんと印刷されてるね」などと言って笑った。
 母も少し遅れて(家事をしていた)やって来て老眼鏡をかけると、「ほんにと凄いね、パジャマ姿で化粧もしていないのによく撮れてる!」とやはり嬉しそう。送るのではなく直接手渡し、二人の表情が見れたことに満足。
 そうこうしているうちに弟がやって来て、弟が偶然韓国のテレビ番組で発見した無名の韓国のスリーピースバンド「ART OF PARTIES」のミニCD(神戸の方の韓国関連の通販で弟が発見したレアなCD)と高校生の頃に友人にレコードを売ってしまいその後音源がないまま気になっていた、ジミーヘンドリクスエクスペリエンスの「エレクトリックレディランド」のコピーもいっしょに。さらにこれはサプライズで驚いたが、幻のバンド「フー・マンチュー」の音源には驚喜した。
 2時半過ぎまで実家で過ごし、総武線に乗り西船橋で東西線に乗り換え帰りは茅場町で日比谷線・中目黒から東横線というルートで都立大学へ。
 東急ストア内で渋谷の東急百貨店のおもちゃ売り場に設置してある「ベイ太」で遊んで来ていた怜王と妻と合流し買い物をして帰宅。怜王の手にはベイブレードの新しいブースター「ロックエスコルピオ」が…。
2010年01月23日(sat)  No.243

1月22日

 最近富みに眠りが深くなった怜王は、今朝も7過ぎまでぐっすり眠った。昨夜寝たのが9時少し前ということで、きっちり10時間十分な眠りである。
 僕はと言えば18日仕事から帰って来る時にピークに達した腰痛をここ数日悪化させないため安静(買い物や散歩はする)にしていて、いつになく穏やかな日々を送った。そして怜王つられて?か眠りもいつになく深く今朝目が覚めたのは6時半過ぎであった。
 毎日のことで朝怜王に何を食べさせようかと思案をするのだが、今朝は昨日作っておいたスイートポテトを朝食替わりにとレンジで少し温めてから出してみると「おいしい!」と言いながら食べ始めたが、完食にはいたらず。食べないときもあるのでよしとしなければならないだろうが、相変わらず食が細いのである…。
 食後今日は「ぱそこんで げーむしたい」とは言わずに昨日買ってあげたベイブレード「サジタリオン」に関連して、一昨日ヤフオクで落札したベイブレード「ポイズンサーペント」が「はやくこないかな ようちえん はやくおわりたいな…」と期待大。
 それでも荷物(大阪から郵便で届く予定)が届くのは早くても10時過ぎで、幼稚園バスに乗ってH幼稚園に向かっている最中。ということで、2時半に帰ってくるまでは絶対に見れない訳で気ばかり焦っているそんな感じ。それでも9時15分過ぎ、元気よく妻に連れられ幼稚園バスのバス停へ向かった。
 二人が出てすぐにシャワーを浴び、9時45分機材を持ってジャベルのトップ写真の撮影に出る。今日は撮影だけではなくジャベルTさんのパソコンのブログに画像をアップ出来るように、アドバイスをしに行くという重要な案件がある。
 東横線で自由が丘乗り換えで大井町線。さらに旗の台で池上線に乗り、戸越銀座下車。戸越銀座商店街を中原街道に向かって歩く。
 ジャベルの到着しまずはTさんが使っているノートパソコン(Windows)でいつも日記をアップするときの画面を出してもらい、画像データをアップする手順をデモンストレーションし無事アップロードに成功。
 デジカメで撮影するのではなく、携帯デジカメで撮影しその画像データをパソコンに転送しデスクトップに画像を映してそこから取り込むことをTさんに勧めた。それは仕事で地方に言った時デジカメは持って行かなくても携帯は常に持っているだろうし、デジカメで撮影をしてもブログ用に画像のサイズを小さくしたりする手間が省けるからである。
 Tさんは来月のトップ用のシトロエンC5ツアラー(非常にめずらしいというか、はじめてみるストームグレーという色にびっくり!)を僕が撮影しているシーンを携帯で撮影し、さっそくブログにアップ(http://javel.co.jp/diarypro/index.cgi?)されていた。上手く出来たようでほっとした。
 12時半過ぎ、妻と友だちのSちゃんが荷物を持って帰って来た。来月15日に長く住んだ学芸大学から千葉の実家に帰ることになったスタイリストのCちゃんの置き土産(家具や小物など)を持って帰って来たのである。
 帰って来た怜王はキッチンのテーブルの上に置いておいた「ポイズンサーペント(パッケージをあけシール貼ったりで20分くらいは悪戦苦闘した個体である)」を見て、「すごーい! さいきょうだ!」とまだ対戦もしていないうちからべた褒め大喜びなのであった。
 4時15分過ぎ以前アシスタントを1年半ほどやってくれたO君がDRUGの最新号を欲しがっていたので、駅前のセブンイレブンからメール便で発送しに出掛ける。今日は1月とは思えないほど暖かい日。
 GXRに50mmMACROを装着して首から下げてでたので、およそ30分ほどの外出でもスナップを決行。大分GXRの操作感にも馴染みが出て来たように思う。
 帰宅するとSちゃんと怜王はベイブレードに夢中になっていたが、怜王は自分のベイブレードが負けそうになると途中でやめたりたりとそろそろやることに秋て来たようでSちゃんが「替わって!」と言うので怜王とベイブレードを始めた。
 もちろん届いたばかりの「ポイズンサーペント」を怜王が回し、僕はその他およそ10個のベイブレードをとっかえひっかえで対戦。「ポイズンサーペント」は無敵ではないがなかなかしぶとい個性を持っているようだ。
 5時半過ぎSちゃんが帰り6時過ぎ夕飯を食べ、8時過ぎ怜王は妻とお風呂に入り9時少し前にひとりで眠った。明日渋谷の東急百貨店のおもちゃ売り場の「ベイ太」でポイントをアップさせるのだと楽しそうに言いながら眠った。
 その明日僕は写真集「GR SNAPS」を千葉の両親のところに届けに行くことになっていて、妻と怜王とは別行動。さて「ベイ太」に「ポイズンサーペント」は勝てるだろうか?
2010年01月22日(fri)  No.242

1月20日

 早朝4時5時くらいに一旦目を覚まし(半分寝ている…)起きたいようなことを口にした後二度寝をすると言うパターンは健在で、今朝も5時半過ぎに一度声を発して眠り6時を回った頃に「おきたい…」と言ったあと再び深い眠りに怜王は落ちた。
 怜王がぐっすり寝ているとこちらも眠りが深くなり、このところ起床は6時半から7時の間くらいで今朝は6時45分に起床。怜王は僕から遅れること20分あとの、7時5分過ぎに起きて来た。そそして僕がおはようございますと言うと、小さな声で「おはようございます」と復誦した。
 さて昨日ピークに達した?腰痛だが…、怜王が生まれてだっこをしたりして年に数回整形外科に治療で通っていた経験があるのでどんなことをしても基本的に2週間から3週間ほどしなければ治らないことを知っている。
 出来る限り安静にし、腰に負担をかけるような姿勢をとらずにいることでしか治らない。温熱シート(高熱なので肌に直接ではなく、シャツの上から貼る)と、患部直ぬりの消炎固形軟膏(スチックゼノールA)の効果で昨日より気持ち痛みが緩和されているような気がする。
 怜王はと言えば僕のiBook G4で「ガンダムファイター」をやり、僕は怜王のお弁当作りを始めた。今日はサツマイモを茹でて皮をむき砂糖を加え、すりこぎ棒でペースト状にねったスイートポテトをデザート用にまず作り、ご飯はふりかけ(今日はトーマスの「まぐろ」味)が良いと言うのでひとまずマグロのふりかけとごウインナーを輪切りにして焦げ目を少しつくまで焼きご飯の上に円を描くように並べ、スイートポテトとひとくちサイズのゼリーを加えて出来上がり。
 朝ご飯を食べたあと昨夜ヤフオクで落札した発売前のベイブレード『ポイズンサーペント』(これは僕がデザインやネーミングに感動して落札したのだ)が明日くらいに届くことを怜王に話すと、「すごーい」と言ってパソコンのヤフオクの落札ページの写真を持て目を輝かせ気分良く幼稚園バス乗り場へ9時15分過ぎに向かったのであった。
 お昼になろうと言う頃、開催中のー各界著名人約120名の作品による写真展『SNAPS(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/snaps.html)』と同時発売された写真集『GR SNAPSII』が届けられた。
 写真展開催は6日で、写真集は7日。6日のオープニングパーティの時にはすでに刷り上がっていて会場に置かれていたので目を通してはいたが、きちんとすべてを見た訳ではないので手にしてちゃんと見ることが出来るのは嬉しいものである。僕が出品した作品は両親の写真で、数日中に千葉の実家に届けに行こうと思う。
 12時半過ぎ、妻は怜王のインドアテニスがある日なので目黒の幼稚園までお迎えに。そして僕は写真集に掲載した写真を撮ったとき兄弟全員(僕と妹と弟の3人)がそろっていたので、まずは梱包をし妹のところに送るため碑文谷郵便局へ。
 1時半過ぎ怜王が妻といっしょに帰って来た。そして第一声「きょう てにす いきたくない…」と言った。怜王がテニスだから妻がお向かえに行った訳で、少々拍子抜けをしたが絶対行かなくてはならないと言う強制的なものではないので休ませることに…。
 楽観して休ませたが最初はひとりで遊んでいたが「おとうさんと べいぶれーどばとるやりたい」と言うので、腰が痛いのでキッチンの椅子に座ったままの姿勢でいっしょにベイブレードをするはめに…。
 それでも隙間をぬって今年初の『fragment』に画像をアップしたり、妻に手伝ってもらいHPのプロフィールの写真集『GR SNAPSII』をアップロードしてもらったりしているうちにあっという間に夜がやって来た。
 夕飯を食べたあと怜王は遊び放題の寝室のお片づけを嫌々ながらはじめ、どうにか形になったところで妻とお風呂に入り8時半過ぎ眠る状態に。だがしかし寝る直前に「おとうさんのふとんでねる…」と言って僕の枕と自分の枕を置き換え、僕の布団に潜り込むと数秒で眠りに落ちた。
 我家の寝室の川の字は、怜王が真ん中で僕が怜王の右妻が怜王の左というのがベーシック。枕を移動させているときの怜王の顔はとても楽しそう(何か新しいことをやっていると言った感じ!)で、僕としても止める気はさらさらなかった。
 それを見ていてやはり怜王が生まれてから、自分の居場所と言うかスタンスがはっきりして来たように思う。それは、常に自分自身が主役ではないというスタンス。つまり怜王が常にどんなことがあっても主役で、衣食住すべてが怜王中心に動いていると言うこと。
 僕は父親に小さい頃から、「総領の甚六」と言う言葉で言われて来たように思う。「総領の甚六」とは何か?意味的には<長男・長女は大事に育てられるので、弟妹に比べておっとりしていたり、世間知らずであったりす>ということだが単純に言えば「長男または長女」という意。
 とはいえ怜王には妹や弟はいないが、長男であることは事実。一挙手一投足を見ながら育ててくれたであろうことを思うと、父と母が僕を育ててくれたことと同じことを今怜王を通して僕らがしている(同じ状況にある)のだと言う実感を強く感じたのであった。
2010年01月20日(wed)  No.241

1月18日 

 今朝いつもより少し早く起きなければならなかったのと、ここ数日新年会等で帰宅が遅く十分な睡眠が取れていなかったので昨夜は9時過ぎに眠った。怜王は僕が寝る1時間前にいっしょにお風呂に入って、出て身体を暖かくしたまま眠った。
 9時過ぎに眠るなど考えられないと思う向きもあるだろうが、これにはもうひとつ思惑があって早めに眠ったのだ。思惑とは僕が朝早い仕事の時にかぎって、信じられないことだが怜王がいつもと違った時間に目を覚ましたりするからである。
 案の定今朝も早朝3時過ぎに僕の布団に潜り込んで来て頭をかいたり腕をかいたりして掛け布団をばさばさ…。首筋辺りに冷気が来たりするのは眠っている時に意外に答えるもので、すぐに目が覚めてしまう…。
 どうにか寝かしつけようとするが、いくら5才の身体の小さい子どもとはいえひとり用の掛け布団で動かれてしまうと微妙に隙間が出て薄ら寒く落ち着かない。これはまずいと思っているとすくっと起き上がって犬のぬいぐるみをだっこしたので、速効布団をかぶせて背中をさすりどうにか眠らせることに。
 幼稚園でももいらってきた犬のぬいぐるみをだっこするのは、朝起きるときの儀式…。どうにか切り抜けてふと目を覚ますと、5時15分。携帯のタイマーを5時半にセットしていたので、そっと音がならないように解除し起床した。
 6時半過寝室から怜王の声が聞こえて来たので起きて来ると思いきやどうやら寝言だったようで…、その後しーんと静まり返ったまま。軽く朝食をとると仕事に出るまであと1時間と言う時間になっていた。
 7時ようやく怜王が目を覚ましキッチンにやって来て、「もうすこしで てーぶるまなーだね」と言った。僕が幼稚園のテーブルマナー?と聞くと、「ふらんすりょうりなんだよ」と言った。いつも唐突な、寝起きの第一声なのである…。
 7時40分機材(モノブロックストロボ2灯、ストロボの脚2脚、デジタル一眼レフ2台レンズ高倍率ズーム1本広角系ズーム1本etc)を持って部屋を出た。今日はタムロンが毎年発行している『CSR報告書』の写真撮影の日なのである。
 東横線で渋谷に出て、湘南新宿ラインに乗り換え大宮下車。タクシーに乗り込んでおよそ20分でタムロン大宮本社に到着。受付でタムロンのUさんを呼んで頂き撮影現場である会議室へ。機材をおろしライティングを始めた。
 10時タムロンの代表取締役社長O氏がお見えになったので挨拶(昨年行ったDRUG写真展にも来場いただけたのでしっかりお礼を!)をしてから撮影開始。インタビューカットとポートレートを撮り11時終了。
 帰りはインタビュアーの税理士Kさんとタクシーに同乗し大宮駅まで。Kさんは仕事上記録写真それもアップの写真を撮ることが多い?らしく、クローズアップ用にリコー「CX1」室内や建物などの撮影用に「GRDIII」を使っているという。凄い!
 Kさんは上野に出ると言って宇都宮線へ、僕は渋谷まで行くためりんかい線に乗った。車内から妻にメールを入れると吉祥寺にビーズ購入のため向かっていて、怜王は帰りバス停でピックアップするという。
 12時半過ぎ、帰宅。というとシャキッと帰宅したように聞こえるが、実は今年に入ってから微妙に腰が痛くてその痛みが今日ピークに達してしまったのだ…。この腰痛は怜王が生まれてから3才くらいまでだっこすることが多くて年に数回持病のように腰痛を発症し治療に通っていた。
 怜王はすでにだっこしなくても良い年齢に達して来ているが今日のように1.5kgほどの撮影機材はさすがに重く、弱っている腰にぐさぐさダメージをもたらす…。そんなわけで痛い腰をだましだまし歩き、傍目にはどこも悪くないような顔をして帰宅したのである。
 帰宅後取る物も取り敢えず撮影して来た200カットほどの画像データをMacに移し、フォルダに保存。遅いお昼を食べて終わった2時半過ぎ、妻が怜王を連れて帰って来た。
 本来なら即画像をチェックして、速効でCDRに焼いてタムロンUさん宛にメール便で発送と行きたいところだったがやはり腰が痛むのでひとまずポストにお投函しなければならない封書もあったこともあり腰をかばいつつ外に出て、郵便を投函したあとダイエーのドラッグストアで腰痛用の温熱シートを購入…。
 さて帰ろうとしていると携帯が鳴ったので出てみると、「あのね ぎゅうにゅうかってきて…」という怜王の声が。去年くらいまでは電話でしゃべると何を言ってるのか分からない感じであったが、5歳になった怜王の声はしっかり言いたいことを伝えていた。
 夜になってダスティン・ホフマン主演の「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋(http://woman.excite.co.jp/cinema/magorium/)」を家族で見る。文句なしに楽しい映画で、ナタリー・ポートマンはショートヘアでとても優しい雰囲気を醸し出していた。「レオン」でデビューした頃の顔をダブらせつつ、楽しく3人で見た。
 怜王は予定どうり?8時過ぎに眠り、僕も腰痛のこともあり温熱シートを妻に貼ってもらい9時半過ぎには布団に入った。腰痛が長引かないよう、休養する日にしなけらば…。
2010年01月18日(mon)  No.240

1月16日

 昨日はT出版のKさんBさんそしてライターのOさんとKさんが通っているジム(沼田ジム http://www42.tok2.com/home/precision/)の選手が出ると言うので後楽園ホールでボクシングの試合を見、水道橋の居酒屋で新年会をやりって1時少し前に帰宅(東横線は終電であった)すると二人とも眠っていた。
 ボクシングが始まる5時45分まで神保町界隈を2時間ほどスナップしたりしていたので、僕自身も少々疲れていたのでそのまま倒れるように眠った。
 早朝5時過ぎ自分の布団で眠っていた怜王が目を覚まし、僕の布団に潜り込んで来て「きのううね ようちえんで ころんじゃったんだよ…」と言った。まだ4時間しか眠っていないのでこんな時間に起こられては困ると…ん、背中をさすったりししてあげどうにか起きることなく眠らせることに成功。そして二度寝の眠りは深く…目が覚めたのは7時過ぎ。怜王といっしょに起床した。
 今日は土曜日だが、怜王は幼稚園がある日。がお弁当は持って行かなくてよいので、起きた時間は遅いがゆったりした朝であった。朝ご飯は久しぶりに焼きおにぎりを作ってみると、怜王はぺろりと平らげた。
 9時15分過ぎ、妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった。昨日CX2で撮影した画像データをMacに移し、メールチェックをしたりして昼過ぎまでゆったり過ごす。12時半過ぎ、怜王が幼稚園から帰って来た。土曜の幼稚園は、怜王も僕らも慌ただしいのである。
 コダックフォトスクールの生徒さんたちとの新年会のため、銀座へ向かう。銀座某所の集合時間より30分ほど早めの2時半に日比谷線の日比谷駅を下車し、有楽町駅前のビックカメラへ。
 怜王が欲しがっているベイブレードの新製品(http://beyblade.takaratomy.co.jp/)であるロックスコルピオやダークキャンサー・アースアクイラのどれかがあれば買ってあげようと思って行ったのだが選ぶどころかひとつも置かれていなかった…。
 仕方がないのでおもちゃ屋が入っている松屋や三越などデパートへ行ってみるが、どこにも置かれていいない…。ベイブレードは入荷するとすぐに売れてしまい、次回いつ入荷するのか分からないと言うくらいの人気商品。1月の新製品はもうはけてしまったのであろう…。
 3時過ぎ中古カメラ店SHIMIZU近くの某所でコダックフォトスクールの生徒6名と合流し雑談をしつつ彼らの作品を見たりし、5時半過ぎ3名は帰ったが残った3名と某居酒屋で新年会。10時頃まで楽しく歓談し解散。
 日比谷線に乗り込んでから妻にメールを入れると、炭酸系の飲み物を買って欲しいと言うので都立大学で下車した後東急ストアによってから帰宅した。
 妻はMacに向かっていて怜王が何時に寝たかを聞いてみると「帰ったのが遅かったから…」と言う。
 遅かったと言うのは3時くらいから新宿へ行き僕同様ヨドバシカメラや高島屋などでベイブレードがないか探していて(高島屋には少しだけあったらしい…が探している個体はなかったどいう…)、帰宅は9時を過ぎたと言うので眠ったのは9時半くらいに眠ったのだろう。そして「明日の朝ベイブレードがなかったことをきっと話すと思う」と妻は言った。そんな話しをしていたら、昨日同様1時を回ってしまった…。
2010年01月16日(sat)  No.239

1月14日

 5時半少し前、「うう〜ん おしっこ…」と言うはっきりした物言いの怜王の声が聞こえた。目を覚ましたのかと思ったがそのまま静かな寝息が聞こえて来たので寝言だったようだが、夢でトイレに行きたいと思っていて現実と夢が錯綜してしまったら…と思ったが5歳になった怜王はどうやら上手く切り抜けた?ようだ。
 6時半過ぎ怜王が妻の布団に潜り込み膝をかいたり腕をかいたりしているようで、「ふとんをばさばさすると寒い…」と言う妻の声が聞こえた。僕の布団に潜り込んで来たときももう起きたいと言う場合、布団をめくったりして起こそうとする。
 気の毒なことに今朝は、妻が怜王の起きろ攻撃の餌食にされているのだ。僕はしめしめと知らんぷりしていると、怜王が何やらぶつぶつ言いながら移動して来た。そしてしめしめと思ったのもつかの間、6時半過ぎ怜王といっしょに起床することに…。
 部屋の暖房をしつつ怜王に牛乳カルピスを飲ませると、「おとうさんのぱそこんで べいぶれーどばとるがしたい」と言うのでキッチンのテーブルにおいてあるiBook G4を怜王に使わせることに。怜王はすでに自分のパソコンのようにMacを駆使し、ブックマークしてあるベイブレードバトル(http://beyblade.takaratomy.co.jp/game/game.html)を開き朝も早いので音は控え見にして始めた。
 9時15分過ぎ怜王が妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ向かった後、昨日撮影した800カットあまりの写真のチェックを始める。
 怜王をバス停まで送った妻が帰宅してしばらく経った10時半ころ、妻の友だちのSちゃんから連絡が入りCちゃんのマンションへ行くことになったと言う。Cちゃんはスタイリストの仕事をして来たのだが、千葉に住んでいる両親が高齢となったため学芸大学のマンションから実家に引っ越しすることにしたのだと言う。
 引っ越しする鉈入らないものを皆にもらって欲しいと言うことで、Cちゃんのマンションに近い妻とSちゃんに声がかかったようである。11時15分過ぎ妻が出掛けた。僕は引き続き、画像処理を続け、12時過ぎすべての写真のチェックと画像処理を終える。
 久しぶりに部屋で、ひとりの穏やかな?時間。大音量で音楽が聞きたいと設置し直したミニコンポで、メシアンの『Hymne au Saint-Sacrement(聖体秘蹟への賛歌)』や『Poemes pour Mi(ミのための詩)』を比較的音量を上げて聴く。素晴らしい!
 メシアンやシェーベルクは、ひとりのときでなくては聴けない音楽。穏やかでありながらビリッとした精神の高揚を感じられるので、ひとりになると好んで聴く作曲家なのである。 
 最近クラッシックを以前にも増して聴きたくなっていて、メシアンでまだ聴いていないオルガン曲『Meditations sur le Mystere de la Sainte Trinie(聖三位一体の神秘についての瞑想)』は特に聴いてみたいと思っている。
 メシアンを聴き終えたらなぜかケイト・ブッシュの声が聴きたくなり、CDラックからデビューアルバム『天使と小悪魔(The Kick Inside)』を引っ張り出し『Moving(http://www.youtube.com/watch?v=udLOPLhUiJo&feature=related)』から全曲通して聴いた。
 1時半過ぎ、妻が帰って来た。いろいろなモノ(ツボやらクツやらお皿…エレクターはキープしたらしい)をゲットして来て、ご機嫌であった。
 2時半過ぎ、怜王が帰って来た。3時過ぎ、今日は早めに夕飯のおかずなどを購入しにダイエーへ。このところ怜王が欲しいとかあれやこれや行っていたものを微妙に引き延ばし(毎日いくら100円200円ほどのおもちゃ菓子を買ってられないので…)ていたので、今日はダイエーのゲームセンターでマリオカードでもやらせようと出掛けたのである。
 7階に到着し妻と怜王はゲームセンターへ、僕はヤマダデンキへ行きDVDとインクジェット紙を購入し2階と1階で食材を購入し帰宅。
 帰宅後は難しくてなかなか進まないプレステのゲーム『ラチェット&クランク』を、妻が怜王に変わって挑戦し微妙に先に進めていた。
 夕飯後ゲームをしたりして遊んでいた怜王も、8時半過ぎに眠った。そしてレンタルしていていまだ見ていない、ジョディ・フォスター主演の『THE BRAVE ONE(http://wwws.warnerbros.co.jp/thebraveone/)』を見る。いつもは妻のセレクトでレンタルをすることが多いのだが、これは僕のセレクト。
 ジョディ・フォスターは言わずと知れた女優だが、刑事役テレンス・ハワード(http://hw-p.com/male/t/te/thoward/)は初めて見る俳優でどこかシドニー・ポアチエ(http://www.fmstar.com/movie/s/s0024.html)を連想させる風貌でなかなか好演であった。
2010年01月14日(thu)  No.238

1月13日

 5時過ぎガチャンと言う音で目を覚ますと、怜王の手が枕元のおもちゃ箱にぶつかっていた。そっと腕を布団に戻してあげ、再び眠りについた。
 6時を回った頃、「もうおきたい…」と言う怜王の声で目が覚めた。6時はすでに朝ではあるが、夜明け前なのでまだまだ外は暗い。もう少し布団に入っていた方が良いよと言ってみたものの、今日のお弁当はパスタを持って行くと言うのでいつもより時間がかかりそうなのでいっしょに起床。
 まずは牛乳カルピスを飲ませ、見たいと言うラチェット&クランクのYou Tubeをブックマークから開きキッチンのテーブルで怜王に見せる。
 パスタは、いわゆるトマトケチャップ味のナポリタン。タマネギとにんじんのスライスとウインナを細かく切って炒めトマトケチャップで和えて出来上がり。パスタを茹でる時塩だけではなく、コンソメを少々加えこくを出すように作った。
 怜王の朝ご飯は何にしようかと考えたが、「ふりかけごはんだったら たべる」と言うので野菜ふりかけを食べさせた。9時15分妻に連れられ、真新しいウールのコートを着て幼稚園バス乗り場へ向かった。
 11時過ぎデジタル機材を持ち、撮影に出る。東横線で渋谷に行き、半蔵門線に乗り換え九段下。さらに都営新宿線に乗り曙橋下車で徒歩5分ほどの場所にある、『スタジオ B1』へ向かった。天候は回復したが、凄まじく強い風が吹き荒れる日であった。
 『スタジオ B1』のBstに入ると、すでにY出版社編集部のKさんそれにモデルが到着していた。スタジオ使用は1時から6時までと言うことで、1時間ほど早く待ち合わせをしたのには理由が。それはスタジオを使用する前にオープンで数カット撮影して欲しいと言われていたからである。
 12時20分スタジオさん(スタジオマン)にライティングの指示をしてから、モデルとKさんといっしょにスタジオを出て曙橋駅近くの陸橋で撮影をする。風はおさまり、天候は嬉しいことに快晴。素晴らしい条件下で指示された撮影を順当にこなしスタジオに戻る。
 指示通りの基本ライティング(まずカサトレ”アンブレラにトレーシングペーパーをかぶせ、アンブレラバウンスよりさらに光をやわらかくする方法”を、ブームを出して2台が出来ていればほぼ完成)を、ちゃんとやっていてくれたことに胸を撫で下ろす。
 スタッフとお茶とサンドイッチで軽く腹ごしらえをしつつ、スタジオさんに細かな指示(アンブレラの角度やレフ板の立て方や位置そして光の回り方と露出etc…)を出す。最後にモデルに所定の位置に立ってもらい、カメラ位置を確認したりし1時10分過ぎ撮影スタート。
 撮影カットは、およそ80カット。モデルの女の子の動き(僕らが要求していることを素早く認知し実行出来る才能がある!)がとても良く、そのうえシーンごとに着替えをするのだがそのスピードも半端ではなく素晴らしい流れで撮影は進行して行き信じられないことに4時にはすべての撮影を終了したのである。
 撮影後スタジオの使用料金などをスタッフが支払っている間に、撮影カットのチェック(撮影チュも行ったが…)をした。フィルムでは考えられないことだがすぐに撮影カットを確認出来ることが出来ることでロスのない撮影進行が可能になるのである。
 撮影カットはおよそ800カット。もしフィルムで撮影していれば36枚撮りを20本使用し、おそらく10枚入りのポラは最低でも3箱は使用していたであろう。
 それにカット数が多かったのであのシーンでこのカットちゃんと撮影しただろうかというスタッフからの言葉にも、即座にモニターで撮影済みカットの再生が行えるデジタルならではの進行なので不安も残らず確実に仕事をこなすことが出来たのである。
 5時半過ぎ帰宅。怜王は今日お迎えで、碑文谷公園の体育館でインドアテニスの講習に行っていたがすでに帰宅していて相も変わらず「ラチェット&クランク」をプレステでやっていた。がやっていたのは妻で、怜王が難して出来ないと言う箇所を代行しているのだ。がもともと僕も妻もゲーマーなので、妻の顔を見ると楽しそうなのだ何よりなのであった。
 さっそく撮影して来た画像データをMacに取り込み、フォルダに保存。写真の納品は急ぎではないので、明日怜王が幼稚園へ行った後にでも画像処理を行うことにしよう。
 夜になって昨日駅前のレンタルショップで借りて来た、怜王仕様の映画たまごっち『うちゅーいちハッピーな物語!?(http://tamaeiga.com/)』をいっしょに見る。…悪くない…面白いかも…。そんな訳で一喜一憂?しつつ、楽しく最後まで見て怜王は妻といっしょにお風呂にはいり8時半過ぎ気持ち良さそうに眠った。
2010年01月13日(wed)  No.237

1月11日

 7時少し前「いまなんじ?」と、口癖のように時間を聞いて来た。短い針がさしてる数字が「時」で長い針がさしている位置が「分」だよその都度教えるのだが、どうも針の読み方の感じがつかめないようで毎回聞いて来る。
 最近朝ご飯を食べたり食べなかったりなので、あらかじめおにぎりを作っておく。相も変わらず僕のiBook G4を奪い取り…「がんだむげーむ やりたい」と言いつつ8時前まで…。
 ゲームに飽きた頃すいかさずおにぎりを手渡すと、そのまま一気に食べ終えた。おにぎりを電子レンジで、程々に温めておいたのが良かったのかも。
 今日は予想外の曇天で、8時を過ぎても夕方のようなフラットな感じで、すっきりしない。予報を見ると最高気温は8度で、今日明日が曇りで明日は雨が降ると言う…。昨年末から好天で新年を迎えたのも例年にないこと。しかし成人式の日が良い天気ならないと言うジンクス?は、今年も健在のようだ。がそれにしても、今日はかなり冷え込んでいる…。
 9時少し前妻とお風呂にいっしょに入りでて来て怜王は、「らちぇっと&くらんくのげーむ おかあさんにやってほしい…」と言い始めた。それを受けて「今日お出掛けしないで良いんだったら、ゲーム手伝ってあげても良いよ」と妻に言われ怜王は「うん」と言った。
 つまり今日銀座博品館であるベイブレード大会(小学生以下)に参加するつもりを却下し、自宅のプレステで妻に難しい箇所を手伝ってもらって(妻もまたゲーマーなのである!?)進めたいと言うのである。
 妻が言うにはベイブレードだ大会は今日を逃しても横浜でまだあるらしく、怜王もどうも今日は気が乗らないようで大会に行かずに自宅でゲームをすることになった。
 妻は洗濯をしたりと家事をやり、9時半怜王が「できない わからない」と言うラチェット&クランクのゲームをやり始めると正座をして食い入るように見ていた。
 僕は3月開講のコダックフォトスクール(http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/professional/kpc/seminar/seminar.shtml)のスケジュールを検討し、所定の用紙に記入する作業を進めた。
 11時半過ぎどこにも行かないというのも可哀想なのでお昼を外で食べることにし、それを怜王に言うと都立大学駅前の「ぽぽらまーまで たらこすぱげってぃがたべた〜い」『ポポラマーマ(http://www.popolamama.com/)』と言う。良く店名を覚えているものだと感心するが、僕は行ったことがないが妻といっしょに怜王は入ったことがあるとのこと。さっそくお昼ご飯をたべに『ポポラマーマ』へ向かった。
 都立大学駅の脇の道沿いにあるビルの2階にある『ポポラマーマ』の中に入ると、曇天ながら店内からの視界はとても軽やかで感じ良い。妻と怜王はたらこスパゲティを分ける形で一皿、僕はペペロンチーノを注文。
 適度に早くパスタは出て来たが少々僕には量が少なく…、ピッツァ・モッツァレラのマルゲリータをさらに注文。家族で食べる外食ランチは、なかなか良いものである。
 さて帰宅後怜王が越えられなかったゲームのあるシーンを妻がクリアしたことで、怜王的には先に進むことが出来ゆったりした時間が流れ始めた。僕はといえばストラップの留め金が少し緩んでしまったので手製のかわすトラップのビスをニッパでカットしたままにしていたドルーク(写真同人誌「DRUG」の、ネーミングの元になった友人という意味のロシアカメラ)に、再びストラップを取り付ける作業をした。
 さて明日12日は、待ちに待った(怜王もそうだろうが、僕らは怜王以上にこの日が来るのを首を長くして待っていた)幼稚園が始まる日。明日は仕事はないが13日は僕の仕事始めで、半日曙橋の『スタジオB1(http://www.studiob-1.com/main.html)』でモデル撮影。
 つまり明日は撮影の準備をすることになる訳だが、幼稚園が始まると9時半から2時半までの5時間自分の時間が作れるということ。気分的に13日の仕事に向けて機材の準備も含めて気持ち的にも仕事始めに集中出来ると言うもの。
 仕事のときは撮ることは出来ないが、昨年末から今年はスナップをたくさん撮ると心に決めたので14日からがプライベートな意味での僕のスナップ初めとなる。
 夜になってから、DRUG18号へのお誘いメールを書いて送信する。順当に印刷されて行けば年内に同人誌としては記念すべき20号に到達する年でもある。20号ではいろいろな企画も考えているので、この日記を見ている方の中で参加してみたいと思われた方はぜひ連絡をいただきたいと思う。
 8時過ぎ、今夜は僕が怜王をお風呂に入れた。8時には寝かせることが出来なかったが、問題は怜王が気分良く眠ってくれて明日気持ちよく幼稚園へ行ってくれること。寝る直前に「おとうさんといっしょにねたい」と言うので、枕元に座り髪を撫でて眠るまでここにいるからねと言うとものの数秒で眠りについたのである。
2010年01月11日(mon)  No.236

1月10日

 6時半過ぎ、怜王が布団の中でもぞもぞし始めた。基本的に6時半は、怜王の腹時計で起床時間のようだ。眼と目が合うと「おとうさん いまなんじ?」と言うのでもうじき7時だよと言うと、すくっと身体を起こし立ち上がったのでいっしょに起床した。 
 りんごジュースを飲むと「おとうさんのぱそこんで げーむがしたい」と言うのでキッチンのテーブルに置いてあるiBook G4を渡すと、ブックマークのからラチェット&クランクのYou Tubeを開き今やってるゲームがアップされている所をチェックしていた。経験こそ大人とは違うが、ほとんど僕らと同じように何でも出来る姿を見るのは驚異的でもある。
 そんな怜王は昨日からプレステの『ラチェット&クランク』を先に進めたいようで、朝ご飯もそこそこにプレステでゲームを始めた…。
 昨日どこにも行かなかったので今日は(明日は行くところが決まっている)何処かに怜王を連れ出そうとどこに行きたいか聞いてみると、「べいた やりにいきたい」と言った。「べいた」つまりベイブレード対戦が出来る「ベイ太1号」のこと。それならと渋谷の東急百貨店の7階おもちゃ売り場へ、1時過ぎ向かった。
 と言ってもまっすぐベイブレードをやりに行くとバトルが終了すると怜王はすぐに帰りたがるので、昨日はじめた仮面ライダーのスタンプラリーを最初にすることにした。
 スタンプラリーはセブンイレブンでやるので事前に渋谷駅近くのセブンイレブンの店舗を調べるとほぼ一直線上徒歩10分県内に3店舗あることが分かったので、ともかく一番近い東急ブラザ脇の246号線沿いにセブンイレブンへ。
 そして道玄坂の交差点にあるセブンイレブンでスタンプを押したあと、東急百貨店本店近くのセブンイレブンで最後のスタンプ(4っ目)を押してから東急ハンズへ向かった。
 ハンズでは6階まであがりワンフロアずつ下がりながら大きな眼鏡で遊んだりしつつ各フロアを見てハンズをあとに怜王が待ちに待ったベイブレードバトルをすべく渋谷駅近くの東急百貨店7階へ向かったが、途中で「なんか欲しいものないの?」と妻が僕に言う(ひとまず今日僕は誕生日なので)ので欲しいのはニルヴァーナのライブアルバムということでHMVへ。
 欲しいものはと言われても自腹であることは変えられないので、3種類あるアルバムを選ぶのはかなり微妙。と言うのはCDが1500円DVDが2500円国内版でボーナストラックの入った2枚組アルバムが4200円。悩んだ末音だけでは寂しいと言う結論から、2500円の輸入DVDを購入(1年ぶり(昨年購入したのは忘れもしない、シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカールの新譜)くらいでDVDを購入出来たのでいくら誕生日プレゼントを自腹で購入とはいえ嬉しい!)。
 さて東急でのベイブレードバトルは僕の作戦ミスで、5回対戦してすべて「ユー・ルーズ」。つまり負け…。ベイ太1号はどうやらアタックタイプのベイブレード(今日僕が選んだのは持久力のあるデフェンスタイプで、いろいろネットで調べたら攻撃をするアタックタイプでないと勝てないらしいて…)でなければ勝てないようだ。
 そんな訳で帰宅後はそれをふまえ?、怜王が持っているベイブレードのかなで一番強いのはどれかを検証すべくバトル大会を始めた。と言っても攻撃と持久力を共に兼ね備えているベイブレード(バランス)は数個、それに攻撃タイプも数個。
 30分ほどバトルをして出た結果は、ベイブレードの大会で使用すると有利と思えるのがアタックタイプの「Lドラゴ」が1番で、次も攻撃を備えたバランス型。明日銀座博品館でベイブレードの大会がありそれに参加予定のある怜王の参謀本部としては、作戦に余念がないのである。
2010年01月10日(sun)  No.235

1月9日

 昨晩8時過ぎ(幼稚園では8時に寝ましょうと言うことになっている)にどうにか布団に入った怜王は、最初のうち落ち着かないようで僕らの方をちらちら見ていたがそれでもキックボードで遊んだりしたので数分で静かな吐息が聞こえて来た。
 眠る時に「あした 7じにおきる」と言って眠った怜王であったが6時半頃より目を覚まし、僕の布団に潜り込んで来て「あついなぁ」とか「いまなんじ」などと言って結局7時前あまりにたくさん言葉を発し眠っていられる状態になくなったのでいっしょに起床…。
 朝ご飯を食べて終わる頃、「べいたに いきたい…」と言った。『ベイ太』とはベイブレードをやるマシーンのことで東急百貨店やビックカメラなど都内にもいくつか設置しているところがある。
 相手はマシーンだがベイポインターと言うアイテムを使うと勝者につくポイントを得ることが出来、ポイントがたまるとプレゼントがもらえるのである。
 昨夜妻と「明日は怜王を連れて何処かに出掛けよう」と話していて、何処かは用賀の東京農業大学(いろんな楽しい施設がある)方面にと思っていたのだが、怜王の今最大の意味はベイブレードにあるので修正しなければならないか…。
 などと考えていると、「らちぇっと&くらんくのね ○×△□がわからない おかあさんやってみて」と言う。妻が「どこにも行かないんだったらやってあげても良いよ」と言うと「うん!」というので今日は自宅でゲームをすることに。意外な展開である…。
 怜王と妻がゲームに興じている間、僕はずっと使用していなかったCDのミニコンポを引っ張り出しクリーニグして使えるように寝室のローキャビネットの上に乗せた。このコンポなぜ使わなくなったのかと言えば、CDを乗せるトレイのふたが自動で開かなく(閉めるときは自動で作動するのだが…)なってしまったからだ。 
 しかし先日HMVでニルヴァーナの新譜ライヴ音源を聴いてから音楽を大音量で聴いてみたくなり、iPodでも自分の1月10日の誕生日祝いに買おうかなとも思ったが、昨日外付けハードディスクを買ってしまったのでいくら誕生日とは言えこれ以上の出費は厳しい…。そんなこともあってミニコンポを引っ張り出す気になったというわけだ。
 クリーニングを終えローキャビネットの上に設置したあと、まず始めにかけたアルバムはplodigyの『THE FAT OF THE LAND 』の1曲目『SMACK MY BITCH UP(http://www.youtube.com/watch?v=Nih72UdCiCQ&feature=related)』。
 ミニコンポとは言えスピーカーがしっかりしているので、重低音がへヴィーで気持ち良い。こうなるとやはりニルヴァーナ(http://www.youtube.com/watch?v=0TZ_5CRLmTI)のライヴ音源は入手せざるをえない。
 3時過ぎ仮面ライダーのスタンプラリー(http://www.sej.co.jp/cmp/krider_rally.html)があると言うので、都立大学駅前のセブンイレブンへ。そしてレンタルショップにより、『Gガンダム3』と『G・Iジョー』を借りて帰宅。
 怜王はあまり見ないのに、ガンダムのDVDを借りたがる。今回も5つ物語があるのに2つまで見て、プレステでゲームを始めてしまった。ガンダムと言う形状には興味を持っているようだがストーリー自体には興味はないようだ…。
 さて怜王が8時半頃に寝てから、新作の『G・Iジョー』を見る。ストーリーと言うか脚本が個人的には今ひとつであったが、CGが素晴らしく最後まで一気に見入ってしまった。
2010年01月09日(sat)  No.234

1月8日

 今朝もゆっくり目の6時50分起床で、怜王は同じ時間に一度布団に座って寝言をひと言ふた言行ったと思ったらそのまま二度寝をし7時過ぎ妙に慌てた感じで目を覚ましキッチンにやって来た。 僕は朝ご飯の支度をしつつキッチンのテーブルに置いたiBook G4でメールチェックをしたりしていたが、「ぱそこんの ゆーちゅーぶで べいぶれーどみたい」と言うのでやむなく怜王にiBook G4を使わせることに…。 
 今日から幼稚園が始まることは怜王も承知なのだが、どうも冬休みの延長で実感がないようで部屋を出る9時15分ぎりぎりまでプレステで『ラチェット&クランク』のゲームに興じ慌てて歯を磨いてトイレに行き妻に連れられバス停へ向かった。
 妻は怜王を送ったあと図書館に行って、その足で幼稚園にお迎えにと慌ただしい。僕は二人が出たあとやっとiBook G4に向かい、昨日の日記をアップしたり何件か届いていたメールの返信を書いたりしたあとGXRを持ち9時半過ぎ今年初スナップをするため渋谷に向かった。
 都立大学から渋谷までは、各駅停車でおよそ9分。9時45分には渋谷ハチ公口到着し、スナップしながらスクランブル交差点をセンター街方向に歩き始めていた。
 1時間半時間ほど渋谷の街を歩き回り、久々にHMVにより新譜をチェック(ニルヴァーナの2枚組ライブアルバムがあって、ヘッドホンで試聴したがとてつもなく素晴らしい音源であった!http://www.hmv.co.jp/search/artist/000000000005843/)したあとビックカメラへ。前から欲しかった1TBの外付けハードディスクを購入し、東横線に乗り込んだ。
 東横線が走り出してから携帯を見ると妻からメールが入っていた。幼稚園にお迎えに行き、すでに帰りのバスに乗り込みそのまま都立大学駅前のマクドナルドに行きお昼を食べてから(これは怜王がハッピーセット(nalds.co.jp/happyset/index.html)についているおもちゃの「NARUT0」が欲しいからである)帰ると言う。
 直帰し外付けハードディスクをセッティングし、デスクトップにおいてある”35GB”ほどの画像データを外付けハードディスクに移す作業に取りかかった。12時半少し前妻と怜王が帰って来た。
 2時少し前突然「きっくぼーどが やりたい」と、怜王が言い始めた。キックボードをやりに何処かに行ったのはいつだろうと思うくらい久々の発言で少々困惑したが、家の中でゲームばかりやっているのもなんだと思い目黒パーシモンホールあたり(小さいが公園もある)へ連れて行くことにした。
 最近では、怜王のスナップはリコーCX2がメイン。というかもしかしたら、GRDIIIやGXRよりシャッターのレスポンスが良いような気がするが気のせいだろうか…。
 キックボードをやったり公園の石の上を飛び跳ねたり、帰り際遊歩道でキックボードをしているところを撮影。怜王は動き回っているので寒くないのだろうが、僕は写真を撮っているだけなのですっかり冷え込んでしまった。帰りに東急ストアに寄って、怜王にお菓子を買ってあげ帰宅すると4時を回っていた。
 さて1TBの外付けハードディスクの威力は凄まじいものがあり、自分のMacがこれほど俊敏に反応していることがウソのようだ。たった”35GB”ほどの画像データではあるが、その重さが僕のMacを一杯一杯にしていたということがよく理解出来た。
 最初に購入したオリンパスE-1が今思えばかなかなり低い500万画素で次に購入したE-500が800万画素。しかしGRデジタル(1000万画素)を使い始めデジタル一眼レフのメインがオリンパスからニコンに代わり、1200万画素が普通になってしまった今パソコンも容量的に同時移行しなければついて行けないことは分かっていたが諸事情があり即新しく出来なかった…。
 が外付けハードディスクを導入しただけでこれほど動きが俊敏になるのならもっと速くやれば良かったと思うが、ともあれ今日を境に僕のデジタル環境は飛躍的に快適になったのだからひとまず今日のところはよしとしなければならないだろう。
2010年01月08日(fri)  No.233

1月7日

 めずらしく全員爆睡状態で、起床したのは7時半過ぎ…。6日は『各界著名人の作品による写真展 SNAPS(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/snaps.html)』のオープニングパーティに出席し、後輩カメラマンのEYくんと有楽町の居酒屋で飲み帰宅したのは10時過ぎ。
 1時半から始まったオープニングパーティは4時過ぎまで続き、さらにリングキューヴに移動し7時近くまでたくさんの人たちと歓談したあとで飲みに行ったので久々に二日酔い気味…。もっと寝ていたかったが、怜王が目を覚ましたのでともかく起床。
 しかしどうにも身体が重く、昨日はどこにも出掛けずに部屋で怜王とゲームをしたりベイブレードバトルをしたりと完全休養の1日となった。
 パーティでは写真展に参加している人たちを含め初対面の方といろいろな人たちと話しをしたが、写真家木村恵一氏とは密談?を長々とした。
 さて明日8日は怜王が通う幼稚園の、始業式がある日。つまり今日から怜王をバス停まで送り迎えするいつもの生活のスタートである。とはいえ土日と休みで月曜日は成人の日で休日と今日行くと、どうやら普通の毎日は12日からと言うことになる。
 なぜ怜王が幼稚園へ行く日を心待ちにしているのかと言うと、冬休みや夏休みそして休日はどうしても怜王中心に生活が回るので写真を撮りに行くと言うことが出来なくなる。つまり僕らが自由に出来る時間は、怜王が幼稚園に行っている間しかないのである。
 昼間僕と怜王はプレステで遊んだりベイブレードでバトルをしながら遊び妻はビーズアクセサリー作りをし、夜キッチンにおいてある妻のMac(ギャオ http://gyao.yahoo.co.jp/)で『モーターサイクルダイアリー』を見る。
 この映画はゲバラが23才の頃バイクで友人と南米へ旅をした記録から出来ていて、いわゆる革命家として世の人たちがイメージするチェゲバラの面影はない。面影はないが患者たちからの人望やある施設をあとにするときの挨拶の言葉に、南米をひとつの大きな国家として民族は統一しともに結束して行かなければならないのようなことを言うシーンがありぞくっとした。
 いっしょに旅をした友人アルベルトと空港で別れるシーンが最後なのだが、そのアルベルト本人がテロップが出る頃に出演していてリアリティを感じた。それにアルベルトよりゲバラの方が若かったので、死亡していなかったらまだまだ元気で生きていたのだなと思うと歴史的な人遠い存在に思えたゲバラもかなり身近な存在として感じられた。
 実写のアルベルトを見すでに亡くなっているゲバラのことを考えていたら、6日に後輩カメラマンのKくんから「前野やすしさん(http://www.maeno-yasushi.com/)が死去した」ことを知らされたことを思い出した…。
 前野さんは月刊カメラマンのフォトコンテストの審査員として数年いっしょに審査をしたことがあった。昨年末は月刊カメラマン編集部に在籍し仕事もいっしょにしていたOさんが亡くなり、年明け間もない4日月刊ARAなどでいっしょに仕事をして来た知り合いのKくんのお父さんが不慮の事故で、2日おいて前野さんが病気で亡くなり…とよりどころのない複雑な想いが…。ご冥福をお祈りする。
2010年01月07日(thu)  No.232

1月5日

 2日に毎年恒例の新年会をキヤノンKさん宅へ家族で出掛け、3日にはこれも恒例の千葉の実家に新年の挨拶に、そして4日は自由が丘の熊野神社へ初詣(元旦に前を通ったときは長蛇の列であったが、4日ともなるとまばらで並ばずとも参拝することが出来た)と1日1日はゆったりしたペースではあるがそれなりに慌ただしい日が続いた。
 それは年末から微妙にめんめんと繋がっている儀式的様相もあり、完全に日常生活に戻るのは7日を過ぎないと(幼稚園が始まるのが8日だからである)無理である。
 ともあれそんな今日は昨夜から雨が降り出した雨のせいか室内の気温が非常に低く(昨日より10度も低いらしい…)、昨年からの疲れがピークに達し9時半過ぎには寝てしまった(妻は深夜まで起きていて、ビーズアクセサリーなどを製作していた…)が、6時を過ぎても寒くて起きることが出来ず日の出の6時51分少し前に少々気合いを入れ起床した。
 7時10分を回った頃怜王が目を覚ましキッチンにやって来て、「きょう なんようび?」と聞いた。火曜日だよというと「か だから かようびなんだよね」と言った!?
 今朝はすぐにプレステ2で遊んだり僕のiBook G4でゲームをしたりではなく、昨日熊野神社(http://www.kumano-jinja.or.jp/)に行った帰りに「ヴィレッヂヴァンガード(http://www.village-v.co.jp/)」で購入したNERFというピストル型のダーツ(http://www.takaratomy.co.jp/products/nerf/products/nitefinder.html)で朝ご飯も食べずに遊んでいた。
 10時過ぎ昨日知人のYKくん(大分県日田市)のお父さんが死去した(3日深夜)との訃報を受け、1日おいて葬儀の日程を今朝メールで知らせてもらえたので郵便局へ弔電を出しに行く。
 YKくんのお父さんはまだ60半ばだと思うが、仕事で日田に行った時実家に泊めてもらい家族といっしょにお酒(焼酎)を飲んだりした。
 その時YKくんのお父さんは僕の肩をたたいて「曽根さん、石屋にならないか?」と何度か言われた(体つきが良い?と言うことのようだった…)ことがあった。YKくんのお父さんは、石切職人なのであった。ご冥福をお祈りします。
 10時半過ぎY出版社Kさんより、今月15日予定であったスタジオ撮影が13日に変更(モデルの都合)になったとの知らせを受ける。15日は夕方から少々予定が入っていたので、うまくスケジュール調整が出来ほっとした。
 午後2時を回った頃、今日はどこにも行くと言わないと思っていたら「ひもんやこうえんに いきたい…」と愚図り始めた。今から行くと2時間は滑り台や砂場で遊ぶことになるので、夕方寒くなってくるしどうしようと思ったが執拗に食い下がるので降参して怜王をママチャリに乗せ碑文谷公園へ向かった。 
 3時半過ぎまで遊び「おとうさん といれ」と言っ戻って来たのでトイレまでいっしょに行きママチャリに乗せて帰ろうとすると、「こうえん いっしゅうする!」と言いながら軽快に早足でスキップするように歩き始めた(今日は年下の子ばかりで誰ともいっしょに遊べず寂しそうな感じ…)。
 何で一周するのか良く分からないが、ともかくいっしょに歩きスナップをしつつママチャリを置いた碑文谷公園入り口まで行き帰宅。
 帰宅後は遠方で葬儀に出席出来ないので、香典を入れる現金書留を郵便局まで購入しに行く用事があったので家族3人で都立大学駅方向へ。僕は郵便局に行き、妻と怜王はビデオショップへ。
 現金書留の封筒を購入するのは初めてのことだったが、1通20円が安いのか高いのか微妙であある。購入後コンビニへ行き香典袋を購入しレンタルビデオショップへ行き妻と怜王に合流、怜王セレクトで『ボルト』を妻のセレクトで『アマルフィ 女神の報酬』の2本をレンタルし帰宅した。
 夕飯を食べたあと怜王はしばらくプレステで『クラッシュバンディックー レーシング』で遊んでいたが、突然『ボルト』が見たいと言い出した。寝る時間が少し遅くなるが、3人でいっしょに見ることに。
 面白い。それに凄い!子ども向けの映画だとばかり思っていたが、素晴らしい技術とストーリーで3人とも一喜一憂食い入るように見てあっという間にエンディング。怜王は楽しかったのと8時に寝なければ行けなかったのが9時半近くなって、眠さの限界が来ていたようで歯を磨いて布団に潜り込むとものの数秒で眠りに落ちて行った。
 さてそのあと続けて『アマルフィ 女神の報酬』を見るが、こちらも日本映画と言うことキャスト的に今ひとつ興味対象外?であったが見始めると引き込まれるような感じで見入ってしまった。
 美しいイタリアの街で撮影されたこの映画も、なかなかストーリーがしっかりしていて面白く見ることが出来た。
2010年01月05日(tue)  No.231

1月1日

 31日は妻のファミリー(4家族10名)と、西宮から出て来ている妻の両親が宿泊しているお台場のホテルトラスティベイサイド(http://www.trusty.jp/tokyobayside/)でディナーをいっしょに頂いた。
 このホテル半端ではなくゴージャス(妻の兄のHが会員になっている…)で、両親が宿泊している22階のの部屋からはお台場周辺が一望出来る素晴らしい眺望!
 折しも急激な寒さで窓は曇ってしまって絶景は見ることが出来なかったが怜王が指で描いた可愛らしい絵をメインに撮影し、その怜王が面白がって社長のデスク?のような場所に喜んで座っていたので記念写真を撮ったりで楽しい会食をした。
 帰宅すると11時半。怜王もこんなに遅くまで起きていたことがないので、12時少し前に凄まじいスピードで眠った。僕らもホテルで飲んだイタリア最上級ワイン(スプマンテ カルペネ・マルヴォルティ プロセッコ・ディ・コネリアーノ?)でほろ酔い気分だったので、2009年から2010年切り替わってすぐに眠った。
 2010年元旦、7時過ぎに起床。怜王は少し遅れて起きて来て「おとうさん きのはたのしかった また おだいばにいきたい」と言った。
 朝はきっちり鰹節でだしをとった雑煮(母が作るいわゆる醤油味の関東風)を作り、7時半過ぎ3人そろって楽しく食べた。平和な1年のスタートである。それに怜王が「でぃーえすは しょうがくせいになってから やる」と突然言い出したので妹からのプレゼントの『ポケモン ソウルシルバー』は1年大切に保存しておくことにした。
 そうなるとお正月に何も買ってあげられないのが可愛そうに思い、プレステの「こわれている こんとろーらー」を買ってあげようと思った。
 元旦は近隣の神社(この辺りだと八雲の夏祭りなどでよく行っている、氷川神社が一番近い)に初詣にと思っていたのでそれを妻に行こうと言うと、「ねむい…」という…。怜王はプレステのゲームでそれどころではないようなので、昼を過ぎた頃妻が書いた年賀状を投函するという目的をひとつ持ち、今日空いているお店を調べると自由が丘のブックオフがあいているようなので首からRICOH GR DIGITALIIIをぶら下げまずは都立大学駅前のポストに年賀状を投函。
 そして東横線沿いの道をママチャリで疾走しシャッターを切りつつ、自由が丘へ。ブックオフ近くの熊野神社(http://www.kumano-jinja.or.jp/)の前を通り過ぎたが、入り口の鳥居のところまで並んでいる人たちがいて、初詣は元旦ではなくても良いと思った。
 自由が丘近くのブックオフへ行くとレッドメタルの奇麗なコントローラーがあったのでまずそれをゲットし、さらに怜王が好きな『クラッシュバンディック〜』の初期のバージョン『クラッシュバンディック〜 カーニバル』の新品同様があったのでそれもゲットしブックオフをあとにした。
 再びママチャリに乗り比較的空いている自由が丘の街を走りつつ静止せずにシャッターを切り、都立大学駅を経由し帰宅。怜王は相変わらず『クラッシュバンディック〜 レーシング』をやっていたがここ数ヶ月何度も繰り返しやっていたのでいまひとつ覇気がない感じであったが、買って来たコントローラーを見せると「すごーい!」と言う第一声でさらにソフトを渡すと「あっ くらっしゅばんでぃっく〜 かーにばるだ!」と歓喜の声!さっそく新しいコントローラーで、怜王は楽しそうにゲームに興じるのであった。
 僕は怜王がケームに興じるのを、悪いことだとは思っていない。もし悪いことがあるとすればテレビモニターにかぶりついてやることだろうが、怜王は1.5メートルほど離れてやっているので目が悪くなると言う問題はない。
 悪いことより自分の頭で考えてやり一生懸命画面に出る言葉を読みどうしたらゲームが出来るのかを自分自身でやって行こうと必至(どうしても理解出来ないことや読めない漢字などはちゃんと聞いてくるので、ぼくとしてもきちんと読んでどうやったら出来るのかを説明してあげる)になっているので、どちらかと言うと脳にとっては刺激になって良いのではと思っている。
 4時過ぎ、遅いおやつを怜王がねだりに来た。そして食べ終わると「かんじの れんしゅうしたい」と言うので、見本としてひらがなとカタカナそして漢字で「そねれいおう」「ソネレイオウ」「曽根怜王」。
 それにとクラス名と幼稚園名を平仮名で書いた紙を手渡す。僕の手助けなしに、文字を書くことに没頭したり絵を描いたりしているのを見ているのは嬉しいものである。
2010年01月01日(fri)  No.230

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