ys diary
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12月30日

 「きのうさ はをみがくまえに あまいもののんじゃったから よなかしらないうちに かいちゃった… え〜ん…」と長いセンテンスをはんべそをかきながら口にした怜王が目を覚ました。時計を見ると、6時半を回ったところ。
 昨日は「あめがたべたい」「りんごじゅーす」「ぎゅうにゅうかるぴす」などとかなり甘いものを欲しがったので、甘いものをたくさん食べたりすると夜になって痒くなるよと僕が言ったのでかなりそれを気にして眠ったようだ。
 少し言い過ぎたかなと思いつつキッチンに行き朝食の支度を始めたのだが、起きたと思った怜王はすぐに起きて来ず布団のなかでうだうだして7時前に照れ笑いをしながらキッチンにやって来た。
 起きてしまうと半べそをかいていたことも忘れたように、牛乳カルピスを飲み「といれ…」と言いながら小走りにそして楽しそうにトイレに向かった。
 5歳になった怜王は、人生のキャリア以外はほとんど僕らと同じように見る。プレステでゲームをすれば明らかに僕より敏感な反応で上手だし、パソコンも文字こそまだ打ち込めないが、さくさくゲームをしたりブックマークで楽しそうにいろいろ見て回ったり面白い場合はブックマークしてみたり。
 言葉も語彙が多くなり、英語も日本語もいつ覚えたのだろうかと思うくらいいろいろ知っている。ただ多趣味で朝から晩までベーブレード(最近は「改造」と称して、パーツの入れ替えなども始めた…)、レゴ、積み木、テレビゲーム、パソコン、お絵描き、おしゃべり(基本的に起き抜けから眠るまで、途切れなくしゃべっている…)?カタログ(レゴやベイブレードなど)チェック、テレビ(リモコンを使って、テレビ番組を画面でチェックして見たり…)etc。
 今日は9時過ぎくらいからベーイブレードやプレステでクラッシュバンディックをいっしょにやったりし、午後にダイエーにお正月用の食材を購入(今年は気持ち的に余裕があるのか?、大好きな福岡の八女茶を購入!)しに行ったり(怜王はゲームセンターで少々ゲームを)し帰りのマンションエスカレーターの中でも怜王はご機嫌のまま3時半過ぎ帰宅。
 今日は比較的暖かいと思っていたが、午後になって日が落ちる頃になるとぐっと冷え込んで来た。穏やかな気温であるのは今日までで、明日から冷え込みが強くなると言う予報を裏付けるような寒さになりつつあった。
 明日は妻の両親が西宮から東京に来ていて、東京に出て来ている3人いる子ども(妻は長女で一番年下)の家族(総勢10名)とお台場の某レストランで会うことになっている。そんな訳で、年越し蕎麦は今日の夕飯頂いた。
 例年師走のこの時期になると、1年は早いなと思うのだが今年は例年以上にそう思える。そして怜王が5歳になりまだまだ手はかかるがこれまでの4年のことを思えば、睡眠時間(生まれてから4才になった頃まで深夜に目を覚ますことが多く、毎日の僕の睡眠時間は5時間弱であった…)も自分の時間(幼稚園バス乗り場に怜王を送るのが9時半頃で、迎えに行くのが2時半頃なので5時間くらいは自由に出来るようになった)もかなり普通に戻って来ている。
 元旦は初詣を近所の神社(予定)へ、2日は例年どうりC社Kさん宅へ行き3日は千葉の実家。そして4日が、2010年のスタート(僕個人の)となる。幸せなことに来年は6日からリングキューヴで(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/index.html)20日から春日井のBan Photo Galleryで(http://www.ban-std.com/)と、良い刺激となるであろう写真展が2本控えている(考えてみれば今年も、「コダックフォトスクール講師による写真展」と「DRUG展」の2本立てでスタートした)のは喜ばしいことである。
2009年12月30日(wed)  No.229

12月26日

 6時過ぎ妻の方に頭を僕の方に足を向けて寝ていた怜王が、僕の布団に潜り込んで来た。起きたのかと思ったがそのまま背中を向けて二度寝をし、7時過ぎに僕が起きたのを察知して怜王も目を覚ましたかと思うと「あしたは いちがつ?」と言うのでまだ12月だよと言うと「げっ…」とひとこと言って起きて来た。
 何が「げっ…」なのかは分からなかったが、顔を見ると妙に嬉しそうな感じ…。クリスマスが楽しかったので今度はお正月を楽しみにしているのだろう。
 今朝の怜王の朝食はご飯ではなくお豆入りのパンにカラメルクリーム、それとたこウインナと牛乳カルピスにした。パンを2/3ほど食べたところで「もうたべられない…」と言ったが、たこウインナ2本をちゃんと食べたのでよしとしよう。
 10時過ぎジャベルの年賀状を持って、部屋を出た。東横線で自由が丘乗り換えで旗の台、さらに池上線に乗り換え戸越銀座下車。師走の戸越銀座商店街は結構にぎわってて、そんな慌ただしい街を行き交う人たちを見ているのは楽しいものだ。
 中原街道沿いのジャベルまでは、徒歩7分ほど。2階事務所でTさんに刷り上がった年賀状を手渡し、来年の撮影のことなどを話し11時過ぎジャベルをあとにした。
 実質的に今日の納品で今年の仕事は最後で、昨日撮影した安達祐実さんの写真は来年納品なのでゆっくりやることに。
 ジャベルを出てすぐ妻に連絡を入れると、昨日から言っていたお正月の買い物を昼くらいにダイエーでしたいと言っていたのが「30分後にダイエーに向かいます」と言う返事が。ジャベルから行けばほぼ同じくらいの時間にダイエーにつく計算。
 都立大学について携帯にメールを入れてみると、すでにダイエーに来ていて7階のレストランでお昼を食べると言うので直行。レストランに入ると、入り口近くのテーブルに怜王がひとりで座っていた。
 僕と目が合うとヴョッとびっくりした顔をしたがすぐに「おとうさん ここすわってよ」と自分の隣の席を指さしたのでその席に座わって数秒後に妻がカウンターで注文したうどんをふたつもって来た。
 レストランとは言えたまごとジャガイモのアレルギーを持つ怜王にとって、大半の食べ物は控えさせないと行けないもばかり。かろうじてうどん類もしくは焼きそば(ラーメンはたまごがつなぎの麺が多く何故か焼きそばはたまごを使用していないものが多い)くらいしか注文出来ないので少々可愛そうだと思うが、妻が取り分けたうどんを美味しそうに食べていた。
 そして最後に妻の付き添いつきだがカウンターに行って130円を渡しつつ「かるぴすください」と恥ずかしげにではあったがひとりで注文をした。
 レストランと同じ階にゲームセンターやおもちゃ売り場があって、怜王は2回だけと言う約束でゲームを。僕はその間ゲームセンターとなりのヤマダデンキでインクジェットプリンターのインクを購入しに。そしてお餅やその他、諸々の買い物をし帰宅。
 帰宅後はクリスマスのプレゼントにしたベイブレードで、怜王とバトル大会。怜王は基本的にリブラを使用し、僕には左回転のLドラゴを勧める。リブラはボトム部分が高いうえに本体自体少々大きく、見るからに強そうな感じ。それに回転している時の色(薄緑色)がとても奇麗なのである。
2009年12月26日(sat)  No.228

12月25日

 昨夜は怜王が8時過ぎに眠ったので、枕元にクリスマスプレゼント(妹が送ってくれたDSソフト「ポケットモンスター・ソウルシルバー」とベイブレード)をそっとおいた。そして妻がめずらしく早く(10時半)に眠り部屋が静まり返ってしまうと、妙に落ち着かなくなり僕も11時過ぎに眠った。
 6時少し前、怜王が目を覚まし「きょう なんようび?」というので金曜日だと言うと、「げっ!」と言って目を丸くした。何がゲッなのか分からないが、何やら楽しそうにしている。そして周囲を見渡し「なにも かわってないよ…」と言う。
 よーく見てごらんいつもと違う何かがあるはずだよ、と言うと枕元に昨夜おいておいたサンタさんからのクリスマスプレゼントを見つけ「あっ! きのう いいこにしていなかったのに ぷれぜんともってきてくれた!」と言った。
 そしてプレゼント抱えるとキッチンへ行き、「わーすごーい りぶらとえるどらご(リブラとLドラゴ)だ! あっ けーすもある!!」「これはなんだ あっ ぽけもんの そうるしるばーだ!」などと目を輝かせてプレゼントを食い入るように見ていた。
 そしておもむろにベイスタジアムを持って来ると、「おとうさん べいばとる やろうよ!」と言うことで、朝からリブラとLドラゴでベイブレード・バトルは始まったのである。
 クリスマスの今日、信じられないほど暖かい陽気。ベランダ側の窓を開けてもまったく寒いと言う感じがなく、今年1年を凝縮したような感じがした。
 朝食後昨夜妻にイラストレーターで制作してもらったジャベルの年賀状を、インクジェットプリンターでプリントを始めた。エプソンンのフォトクイッカーで”四辺フチなし”プリントをするのだが、設定が悪かったのか一番下の住所の部分が1枚目は上手く出来るのだが2枚目から切れてしまうを数回繰り返し…難航する。
 11時過ぎキヤノンのKさんの奥さんから、来月2日の都合伺いの連絡が入った。年明け2日は毎年Cさん宅へ行くことになっていて、僕らも楽しみにしているのだ。1時半過ぎ月に一度のアレルギー検診のため、妻と怜王は青山の山王病院へ向かった。
 プリントは99枚までしか出来ないので、100枚目から仕切り直しでセッティングすることになる。がそのとき突然印刷を半分くらいでやめてしまったり発色がおかしくなって…ノズルチェック、ヘッドクリーニング、さらにアナログなことだがプリンターのカバーを開けてスポンジに付着したインクのクリーニングなどを行いどうにか軌道に乗せることが出来2時過ぎプリント完了。
 3時半、モノブロックストロボ・デジタル機材等を持って部屋を出る。今日はY出版今年最後の仕事で、サンミュージックにて女優の安達祐実さんのインタビュ−撮影がある。東横線で渋谷に行き銀座線そして丸ノ内線を乗り継いで四谷三丁目下車。サンミュージックまでは徒歩3分ほど。入り口でライターのYさんと待ち合わせ、サンミュージックへ。
 安達さんが衣装替えを行っている間会議室前でYさんとまっていると、小さな子の声が。安達さんはお子さん(3才の女の子)を連れて来ていたのである。インタビュー中はお子さんは外でスタッフと遊んでいたがインタビュー終了と同時に会議室に入って来て愛嬌をふりまいていた。
 そして機材の撤収をしていると、「あの…髪地毛ですか?」と安達さんから声をかけられた。不意なことではっとしたが気を取り直して「そうです」と答えると、「素敵ですね!とても奇麗!」と髪の白さを褒められちょっと照れてしまった…。
 会議室を出てエレベーターに乗り込もうとしていると、安達さんのお子さんが来て「ばいばい」手を振って見送ってくれた。怜王が3才の頃、大井町の某ビルのエレベーターホールで背伸びしてボタンを押している姿をなぜか思い出した。
 まっすぐ帰宅しようと思ったが妻と怜王が病院の帰りに東急百貨店のおもちゃ売り場で、ベイブレードのマシーン『ベイ太』で遊ぶと言っていたので東横線に乗り込んでからメールを送ると僕より10分ほど遅れて都立大学につくくらいの感じで渋谷をあとにしたというので、都立大学の東急ストア内で5時過ぎに合流し買い物をしていっしょに帰った。
 帰宅後安達さんの写真をMacに取り込み、フォルダに保存して夕飯を食べた。7時過ぎ春日井のBan Photo GalleryのTさんから携帯に連絡があり、来年1月20日から開催される『2009年展示写真家オリジナルプリント展』のDMを発送したとの知らせをもらう。来年はリングキューヴ(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/snaps.html)の写真展とBan Photo Gallery(http://www.ban-std.com/)の写真展と、さい先の良いスタートが切れそうだ。
2009年12月25日(fri)  No.227

12月20日

 5時過ぎ目を覚ますと、隣の布団で寝ていた怜王が僕の布団にすっぽりおさまっていた。昨夜は7時にお風呂に入り8時過ぎに暖かくして眠った怜王だが、早朝寒かったに違いない。僕自身怜王が入って来たことを知らずに爆睡していたわけで、今朝の寒さはかなりのモノ。
 寝返りを打ちたいと思ったが怜王が目を覚ますといけないので、ツタンカーメンのように上を向いたまま再び目を閉じた。
 7時近く何やら言葉を発しつつ怜王が大きな伸びをしたので顔を覗き込むと、何でにっと笑って「おとうさんと いっしょにねたかったんだ」と言った。いっしょに起きてキッチンに行き怜王に飲むヨーグルトを飲ませつつ、朝ご飯んを支度を始めた。
 7時半過ぎまでテレビで「バトルスピリッツ」などを見ていたが、「侍戦隊シンケンジャー」が始まると、「しんけんじゃー みたくない くらっしゅばんでぃく〜 の つづきやりたい…」と言うので、音を出さずにやるならいいよと言うとそっと寝室へ行きプレステ2でゲームを始めたのである。
 今年は梅雨から夏になったこともあやふやな感じのまま秋になり、暖かい秋だと思っていたが師走になってやはり寒い冬となって来た。
 仕事はと言えば24日に月刊カメラマン誌へ原稿を1本入稿するのと25日の午後撮影(Y出版社の仕事で、タレントの安達祐実のインタビュー撮影)が入っているが、すでに年末進行も納まっているので今年はクリスマスが仕事納めとなるだろう。
 今年は機材的に、変動?がある年であった。それは2004年から導入したオリンパスE-1に始まるデジタル一眼レフのメイン機材を、ニコンD90に切り替えたこと。それにシグマDP2そしてリコーのRICOH GR DIGITALIIがIIIに、さらにリコーGXR!
 デジタル一眼レフは基本的に依頼された仕事でしか使用せずコンパクトデジタルが日常のスナップ中心と言うことで僕のにとっても作品撮りはコンパクトデジタルカメラ中心。そして狭い画角はDP2とリコーCX2で行っていたが、来年からはGXRのユニット50mmと24-72mmも加わり機材的に充実して来ている。
 それに怜王が5歳になってあまり手がかからなくなり、来年こそは自分のための時間をたくさん作れると思う(本当にそう願っている!)ので作品撮りに専念する時間を積極的に作って行こと思っている。
 こうした気持ちが高まっているのを助長するのが来年1月6日から始まるリコーの『SNAPS』ーGRを愛する120名のアーティストによるスナップ写真展ー(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/index.html)と7日発売予定の『SNAPS II』。それに今年やったばかりのBan Photo Galleryで開催予定の「2009年展示写真家オリジナルプリント展」(http://www.ban-std.com/)である。 今日そのリコーから、写真展『SNAPS』のDMが送られて来た。先日リングキューブでMHさんとの話しの中ですでに知らされていたが、写真展参加予定であった藤原紀香さんはやはり不参加のようだ。
2009年12月20日(sun)  No.226

12月17日

 6時過ぎ起床。怜王は時折寝言を言っているものの爆睡中のようで、起きて来たのは7時を回っていた。怜王が起きてくる前にお弁当を作り、朝ご飯の支度をする。妻の体調がいまだ思わしくないので、今朝も怜王を幼稚園バス乗り場まで送りに行く。
 帰宅後メールのチェックをしたりしたあと、昨日入手したRICOH GXRに24-72mmを合体させ有楽町へ向かった。と言ってもスナップをすることがメインではなく、ビックカメラで怜王のクリスマスプレゼントのベイブレードを購入するためである。
 ベイブレードはかなりの人気のためあれが欲しいこれが欲しいと言っても店頭にないことが多く、ヤフーオークションで少し値がはっているが手に入れなくては…などと思って入るが、ともかくクリスマスも近いことで行ってみるしかないと思っての有楽町行きなのである。
 昨日リングキューブへ行く前にもビックカメラによっておもちゃ売り場のベイブレードをチェックしたのだが、ブースターは4種類くらいしかなくその中に怜王が欲しがっているモノはなかった。
 とりあえずランチャー(ブースターを回す道具)とカラビナグリップ(ブースターをキーホルダーのようにかけられ、ランチャーとも合体出来るアイテム)、それにベイブレードを収納するキャリングケースをプレゼントにしようと思いつつ売り場に行くと、何と昨日なかった怜王が欲しいと言っていたブースターが2個、その他にもかなりの量のブースターが入荷されているではないか!
 怜王が欲しいと言っているブースターは『リブラ』と『エルドラゴ』と言い、通常右回転で回るところ『エルドラゴ』左回転と特徴がある。もちろん左回転用のランチャーが必要だが、目の前にある商品はブースターとランチャーがセットになっている。
 『リブラ』と『エルドラゴ』それに右回転用のランチャーとカラビナグリップ、それにキャリングケースを購入。これでクリスマスプレゼントは完璧である。
 ビックカメラを出て有楽町界隈をスナップして歩く。GXRはとてもレスポンス良く反応し、フルプレススナップを駆使するとフィルムカメラのようにさくさく撮れる。それにグリップが大き目に出来ているので、ホールディングしやすく手に馴染む!1時間ほど街を歩き回り、スナップをした。
 帰宅後レンズユニットをGR RENS50mmf2.5に替え、 三つある『マイセッティング』に撮影意図に会わせた任意の撮影データを入力。
 2時15分過ぎ、幼稚園バス乗り場へ。2時29分、定時で幼稚園バスが到着。怜王を乗せて帰宅。幼稚園は今週土曜日の終業式で、冬休みに入る(そう思っていたが、夏休みが2日ずれてしまったようで実際は来週の月火とお弁当無しで行くらしい…)。と思うと今年一年、あまりに早く過ぎ去ったように感じた。
 3時過ぎ家族でダイエーへ。怜王はいつになく楽しそうで、ダイエーへ終始ご機嫌であった。
 7時少し前自由が丘に向かい、ロータリーのある改札口を出たところで月刊カメラマンのKさんと待ち合わせ駅側の某居酒屋へ。久々で楽しく歓談していているとあっという間に時間は経過し、東横線は終電を過ぎてしまった。
 Kさんはタクシー僕は徒歩でそれぞれ帰路についたのだが、久々に楽しい時間を過ごすことができ気分良く帰宅したのであった。
2009年12月17日(thu)  No.225

12月16日

 5時過ぎくらいだろうか、何やら夢を見ていた怜王少々ぐずり泣きをした。これで起きてしまうのだろうかと思いながらなだめていると、静かな寝息が聞こえて来た。
 寝てくれて良かったが今朝はあまりに寒く、布団をかぶってまるくなると信じられないくらいの睡魔に襲われ7時まで爆睡してしまった…。
 怜王が幼稚園バス乗り場へ行く時間は、9時28分(この時間にバスは到着する)まで。今から2時間半ある。とは言えご飯を炊いてお弁当を作ったりしていると、あっという間に時間は過ぎてしまう…。それに妻の体長が今ひとつなので、今朝も僕が(昨日の朝も送りに行った)バス停まで怜王を送ることになっている。
 3人で朝ご飯を食べ(何と怜王は、ご飯のお代わりをした!)、9時15分ぎりぎりまで怜王はプレステ2で『ラチェット&クランク』に夢中で後ろ髪引かれるように慌ただしく部屋をでたのである…。
 今日の怜王はご機嫌である。というのは水筒とお弁当箱が、新しくなった(ポケモンの絵が入っている)からである。バス乗り場に到着するとさかんに水筒を撫でたりしていたかと思えば、手袋を差し出し「おとうさん もってて」と言ってコップになる水筒の蓋を取りキャップを外して水を注いだが、飲む時に水筒を傾けてしまい1/3ほどこぼれてしまった…。
 それでも気にせずに水筒を撫でたりしてると、年少さんのFくんがやって来て「なにしてるの?」と言うと怜王はポケモン水筒をちらっとFくんに見せて誇らしげなのであった。
 バスは定時に到着をし、無事怜王を見送り帰宅。体長不良の妻がヒーターの前で膝を抱えていたので僕が外出する時に起こすから寝ていたと促すと妻は自分で布団を敷いて横になった。
 妻が眠ってから僕はメールをチェックしたりMacで調べものをしたあと12時過ぎ部屋を出て銀座に向かい、ビックカメラでSanDisk ExtremeSDHCカードを購入したあとリングキューブ(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/index.html)へ向かった。
 今日はリコーリングキューブで、機材の受け取りをする日。機材はGXR(http://www.ricoh.co.jp/dc/gxr/)。2時半くらいまで、リングキューブでMHさんとあれやこれや話し込む。
 3時過ぎ帰宅すると怜王は相変わらず『ラチェット&クランク』をやっていたが、ポースボタンを押して僕のところに来ると「ようちえんについて くらすにはいったら ぼくのあしあとがついちゃったんだよね」と言った。
 面白いなと思ったのは朝バス停でポケモンの水筒で飲もうとした時、ちょっとこぼれてしまってそれが膝辺りから怜王のクツの中に流れ込んでいたのを見ていたからだ。確かに水筒の水がこぼれた左足のクツの中には水が入ってしまって気持ち悪いだろうなと思ったが、入ってしまったものは仕方がなく一瞬嫌な顔をしたが替えのクツも当然ながら持っている訳もなく、書画ないけど頑張って行ってきなと言うしかなかったのである。
 なかったがそうしたことを必至に説明する怜王を見ていると、面白いな大きくなったなと思ったりするのであった。
 帰宅後はGXRのセッティングをし2本のレンズユニットをチェックしたが、どちらも素晴らしい感触で感激!特にGRの称号こそないが24-72mmは、コンパクトでとても使いやすいことを実感!もちろんGR LENS50mm F2.5はボケ味が美しくとてもしっかりした仕上がりのレンズで、早く晴天下で撮影してみたいと思うのであった。
2009年12月16日(wed)  No.224

12月14日

 最近朝までぐっすり眠るようになった怜王は早朝5時過ぎ、「あの かおがこわいんだよね」とまるで起きてるかのようにはっきりした口調で寝言を言った。
 あの顔とは何だろうと思いつつ怜王の顔を覗き込むと、怖いと言いながらもしあわせそうな寝顔。昨日プレステで夢中になってやっていた『ラチェット&クランク(http://www.jp.playstation.com/scej/title/ratchetf/)』の中のキャラクターの夢を見ているのだろう。
 一度目が覚めた僕は二度寝をすることが出来ず…、目を閉じたまましばらく布団にいたが6時過ぎに起床。怜王のお弁当を作り始めた。
 7時少し前、怜王が目を覚まし何やらしゃべりながらキッチンにきて、「らちぇっと あんど くらんくの ばいきんみたいなかおおした あくまんが こわいんだよ」と言った。ネットでキャラクターをチェックしてみると「アクマン」と言うキャラはいない…。聞き間違えているのではと思うが、このゲーム昨日10分ほどやらせてもらっただけなので聞き間違えと判断しては可愛そうだが…。
 今朝の怜王はカルピスウォーターとリンゴジュースを飲んだだけで、朝ご飯を食べようとせず『ラチェット&クランク』に夢中になっていた。そして幼稚園バスのバス停までは妻が体長不良のため9時15分過ぎ僕が怜王を連れて行った。帰宅後30冊近いDRUG17号をリュックに入れ、碑文谷のクロネコヤマトまでママチャリで行き配送完了。
 怜王を見送りに行きクロネコヤマトへ配送をするという朝から行動的?なスタートを切ったが、今日は今ひとつの天気で写真を撮りに出掛ける気はかなり削がれてしまった…。
 そう言えば今日はこの冬最初の忘年会(オリンパス)が夜あるのだと思ったら、数週間前「仕事抜きで飲みましょう!」と話しがあった月刊カメラマン編集部のKさんのことを思い出しメールを入れた。メールを入れて数分後携帯が鳴った。Kさんからで、今週後半自由が丘辺りでと言うこになった。
 2時半過ぎ、怜王が幼稚園から帰って来た。顔はにこにこで、まっすぐ寝室へ行き『ラチェット&クランク』の画面をチェック。ゲームがやりたくてしょうがないのだ。手を洗って牛乳カルピスを飲み干すと、幼稚園の服のままでお菓子も大好きなぺろぺろキャンディも口にせずゲームを始めたのである…。
5時少し前、DRUGをいっしょにやっているOさんから「Kさんが久々期来るからちょっと飲まない?」という電話が携帯に入った。Kさんとは緊縛師であり映像作家でもある友人(http://arisue-go.com/)。
 オリンパスの忘年会に行くつもりであったが小川町のオリンパスギャラリーということで僕のところからでは少々遠方で、それなら仲間といっしょに渋谷辺りでの飲む方が楽しいと判断しOさんの誘いに乗ることに。
 6時過ぎ、渋谷のオフィスSへ。Oさんは6時半くらいまで仕事で慌ただしくしていて、そうこうしているうちにKさんがやって来た。
 さっそく青山通りから少し入ったところにある「ほの字(http://r.gnavi.co.jp/g910404/)」へ。楽しい時間を過ごしたのであった。
2009年12月14日(mon)  No.223

12月12日

 6時過ぎ怜王が目を覚まし、布団をかぶったまま僕をちらっと見てにっと笑った。僕は指で人が歩くようなしぐさを怜王の顔の辺りを通過するようにやるとさらにもう一度にっと笑い、それが合図のようにいっしょに掛け布団をはねのけ起床した。
 昨夜怜王はほぼ定時(8時過ぎ)に眠ったので、睡眠時間は10時間(ちなみに僕は11時半過ぎに寝たので、6時間半)。眠ってから起床するまで1度も目を覚まさずにいるなど2才3さんの頃には考えられないことで、僕らも熟睡出来る(以前は2時間おきくらいに目を覚ましていたので…)ようになった。
 今日は幼稚園が休みなのでお弁当を作らなくて良いのでいつもより時間に余裕があり、メールチェックや昨日届いたDRUG17号(もう冬なのに、”秋号”というのが不本意ではあるが…)の表紙のスキャニング(この日記用に)などを行うことができた。
 昼前、3人で渋谷に向かった。目的は怜王を東急百貨店7階にある『ベイ太1号(http://www.geocities.jp/beyblade_beykids/c_met_beita.html)』があって、ブースターを持って行くと無料で対戦出来勝つとポイントがもらえるのである。
 混んでいるかとおもちゃ売り場に行くと、小さな子はたくさんいたがベイブレードをやっている子はひとりもいなかった。ということは怜王の独り占め!ということでひとりで軽快にやってはいたがどうも盛りあがりに欠けていた…。
 やはり並んでも、たくさんの友だちといっしょになってやりたいようだ。20分ほどともかく『ベイ太1号』を独り占めして東急百貨店のおもちゃ売り場をあとにしたのである。
 さて次の目的はユニクロ。これは妻が行きたいということで、パルコ向かいのユニクロへ。妻が買い物をしている間怜王は鏡に向かって百面相をと思いきや「むしばは ここだよね?」などと言いながら鏡と戦っていた…。
 とはいえ今日は冬とは思えないほど暖かく、ユニクロ店内も暖房利き過ぎでTシャツでちょうどいいくらいの室内温度になっていたので僕と怜王は外に出ていることに。
 外に出ると言うことは僕はスナップをし怜王はコンビニで買ってあげたカルピスウォーターを飲んだりして10分あとくらいに妻と合流してて次の目的のマクドナルドへ。
 これは怜王がソフトクリームを食べたがったからで、駅前のマクドナルドへ行き妻が注文をしようとすると「はっぴーせっと がいい…」とメニューを変更した…。
 怜王はあまりハンバーガーも食べないし、ポテトはジャガイモなので食べられない…。それでもハッピーセットと言うのはおもちゃが付いて来るからである。
 今は映画『アバター』のキャラがハッピーセットに(http://blog.foxjapan.com/movies/avatar/news/2009/11/post_5.php)なっていて、すでにふたつ怜王はゲットしているが今日怜王が欲しがったのは光りながら走る『Vジェットシャトル』なのであった。
 帰りは都立大学で降りずに、ひとつ前の学芸大学で下車。『book off』へ行きプレステ2用のゲームソフトを物色。もちろん怜王がやるゲームの話しだが、『チョロQ3』と『ラチェット&クランク』と言うソフトをゲットし帰宅。
 怜王に出来るゲームだったら良いがなどと思っていると速効でプレステ2にDVDを入れ、まずは『ラチェット&クランク』そして『チョロQ3』とゲームをやったあと「こっちはむずかしいけど おもしろい!」と『ラチェット&クランク』を高評価!
 こうなるとサルと化してしまった怜王は完璧にハマり、夕飯も食べたが完全に食べ終わる寸前に椅子から降りて『ラチェット&クランク(http://www.jp.playstation.com/scej/title/ratchetf/)』プレステの前に行くのであった…。
 5時半頃実家の父から珍しく電話が入ったのでどうしたのかと思ったら、「よーいち、新聞何取ってる?」と言うので「新聞は取っていないんだ」と言うと「うちは朝日新聞なんだけどね、夕刊によーいちの先生の記事が出ていたからもし見ていなかったらと思って電話したんだよ」であると言う。
 そう言って「森山さんの顔写真が出ていて、若い頃”ヨコスカ”を撮影したのが写真の出発だったようなことが書いてあるよ」と話してくれた。それにしても良く森山さんのことを覚えていて、新聞に出ていたからと言って電話をして来るということで、今年83才になった父は緑内障や前立腺肥大の手術はしたものの基本的に元気そのものなのである。
 父の話しを聞いたあと、電話をしてもらったのだからとひとまず一番近いコンビニへ行ってみると朝日の夕刊はなし。これじゃらちがあかないと都立大学駅前のコンビニへ行くが、朝日新聞の夕刊はなし…。
 夕刊はもしかしたらコンビニでは販売しないのかなと思いつつ帰宅し、父に電話を入れ今日の朝日新聞の夕刊を捨てずに取っておいてもらうよう連絡を入れると、嬉しそうに「そうかい それじゃ 正月来た時に渡すよ」と言ってくれた。
 そう言えば我家では大分前から『めだか』を飼っていて、現在赤めだかと黒めだかが夫々20匹ほどいて、黒めだかがたまごを産んで2週間ほど前に1匹生まれたがあとが続かず寒いからもう無理かなと思っていたら何気なくたまごを入れてある小さなコップをのぞくと何と6匹いっぺんに生まれていて驚く!
 体長は5ミリほどで色もまだ透明に近いので、じっと見なければただの水にしか見えないコップの中であったが元気に泳ぎ回っていたのである。僕が歓喜の声をあげていると妻と怜王が「見せてみせて!」とやって来て3人で小さなコップをのぞく。何だかとても幸せな気分になれたのであった。
2009年12月12日(sat)  No.222

12月10日

 怜王が目を覚まし、僕の顔をみるなり「もうおきたい…」と言った。時間を見ると6時半過ぎ。ちょうど良い時間なので、いっしょに起床した。
 キッチンに来て飲みたいものを聞こうとすると、「きょうは おもちゃかってもらえるひだよね」と言う。先日歯医者でちゃんと治療が出来なく「ちゃんと出来たらおもちゃを買ってあげる」と妻に言われていたが叶わず…べそをかいて帰って来たことを思い出した。
 今度はちゃんと先生の言うことを聞いて、治療の邪魔をしないようにすると言う約束をして今日幼稚園から帰って来たらその時に買ってもらえるはずだったおもちゃ(と言っても玩具菓子で、300円くらいのものなのだが…)を買ってもらえると妻と約束していたようだ。
 今月19日土曜日の始業式で、幼稚園が冬休みに入る。今日が10日なので、今週の土日をのぞくとあと6日で冬休みである。何が言いたいのかと言えば怜王といっしょにいるのは楽しいことなのだが朝から晩までいっしょであるとまったく自分のことが出来なくなってしまうので、この6日間でどれだけ自分のために時間を使うことが出来るのかをまじめに考えているのである。つまりどれだけ写真を撮りに、外に出ることが出来るのかということ。
 幸いに今日はDRUGに参加したいと言う人と青山で会うことになっているので、当然ながら渋谷や原宿辺りを撮り歩こうと考えている。また明日は今ひとつの天候であるようだが、それもまたよしとやはり撮影に出ることを考えるのである。
 9時15分過ぎ妻に連れられ、怜王が幼稚園バス乗り場へ出掛けた。そして10時半、ポケットにCX2を忍ばせ青山のスパイラルの1F『スパイラルカフェ』へ向かう。
 11時半前Mさんと合い、写真を見る。いろいろ話しをし12時半過ぎ次回DRUG18号へお誘いをすることを約束して、スパイラルを出て脇の路地から骨董通り周辺を徘徊し、スナップしつつ渋谷方向へ。
 1時半少し前帰宅したが、ほんの数秒遅れで怜王と妻が幼稚園から帰って来た。今日は幼稚園でクリスマスツリーをそれぞれ作ったものを持って帰る日で、バスには乗せられないほど大きいらしいので奮発?してタクシーで帰ってくるよう妻に言っておいたのだ。
 姿が見えないほど大きいツリーを抱えて、怜王と妻が帰って来た。さっそく記念撮影をと思うと何故か怜王はおもちゃの剣を持ち出し何やらポーズを…。クリスマスツリーとはあまり関係ないような感じだが、本人的にはクリスマスのポーズなのである。
2009年12月10日(thu)  No.221

12月8日

 4時過ぎ足音で味がさめると、怜王が布団に潜り込んだ瞬間であった。「くらいから こわい」と僕らが起きているときトイレに行くのを怖がったりするのだが、ほとんど真っ暗な中度入れに行って来た(ほんとは怖くないのか、それとも夢見がちに行くから怖くないのか良く分からない…)ようだ。
 そのあとしばらくしてドスンドスンとかかとで布団を蹴る音と同時に「うううう〜ん」と怜王が言ったのでどうしたのか聞いてみると、「あしが かゆい〜 うううう〜ん」と言うので僕の方に向いていた足(頭は妻の方に向いてると言う状態)のかかとや指をかいてあげると数秒で寝息が聞こえて来た。
 トイレに行って足がかゆくてドタバタした怜王は6時過ぎに僕が起きても目を覚まさず、6時半過ぎ妙に慌てたようなそぶりでキッチンにやって来て「くらっしゅばんでぃっく の きゃらくたーを ぱそこんでみたい…」といきなり言った。
 仕方がないのでiBook G4を開き、google.で「クラッシュバンディック キャラクター」と入力し検索しキャラの紹介ページ(http://crash531.hp.infoseek.co.jp/character.html)をモニターに出してあげた。
 7時過ぎ怜王のお弁当ができたので、そろそろ朝ご飯と怜王に食べたいものを聞いてみると、「たべない」と言うのでバナナならあるけどと言うと「じゃぁ ばななたべる」と言ったので少しだけむいて手渡すとひとくち食べたあと「もうたべられない…」と言った。
 その時はそれで今日は朝ご飯は食べないのだなと思って幼稚園に行かせる準備をしていると、8時半過ぎはっと思い出したいように、「あさごはんたべてない…」と言う…。それは「たべてない」んじゃなくて食べなかったんじゃないというと「ふりかけごはんたべる」と言うので不本意?ながら茶碗にご飯をもりアンパンマンのおかかふりかけを食べさせたのである。
 9時15分ぎりぎりまでプレステの「クラッシュバンディック レーシング」を仁王立ちでやってから、後ろ髪を引かれるようにドタバタ幼稚園へ向かった。
 先日ついに実行した都立大学駅を挟んだ駒沢線25号鉄塔から詩人・萩原朔太郎邸があったと言う下北沢の駒沢線61号鉄塔(代田2丁目)をRICOH GR DIGITALIIIを片手に歩きその時の感触が何とも良かったので、今日は都立大学駅を挟んだ反対側の24号鉄塔からどこにあるか分からない(洗足あたりと言われている)が1号鉄塔まで歩いてその周辺の街を撮影しようとRICOH GR DIGITALIIIとCX2を持って10時部屋を出た。
 まずは都立大学駅脇の駒沢線24号鉄塔前まで行き送電線の向かう方角を確認し、まずはRICOH GR DIGITALIIIとCX2で鉄塔をおさえ鉄塔に下を通り送電線の周辺を歩き始めた。
 都立大学駅前の中根から緑が丘と呑川緑道沿いを歩いて行くと住宅街の中植物が野方図に広がっている住宅を見つけた。空き家のようで外観は美しいが、かなり中は傷んでいる。が外の植物たちは建物を覆ってしまいそうな勢いで肥大しててらてら妖艶なオーラを発していた。
 東急大井町線と東急目黒線が交差する緑が丘駅を越え、大田区石川町に入ると、さらにオーラを発する巨大植物を発見…。駒沢線25号から61号を歩いた時も感じたのだが、鉄塔近くには植物が多く見受けられそれも大きな植物をたくさん見て来た。電波と植物の生長は、関係あるのかも知れない。
 さて駒沢線鉄塔は石川町に入ると東京工大を避けるように直角に左に折れ再び東京工大に沿うように直進し、さらにもう一度同じように左に折れて見に曲がって直進すると中原街道に出た。
 そして送電線沿いに歩くこと数分。眼下に東急池上線が走っていてその池上線にそって駒沢線5号鉄塔から左右に高圧線が別れてた。右と左どちらかが駒沢線だろうとまずは左方向へ歩き出すと最初の鉄塔は何と千鳥線であった…。
 これは間違えたと右方向の高圧線の方へ行くと、そちらも千鳥線…。駒沢線4号鉄塔から先の1号鉄塔はどこに行ってしまったのだろう?歩き進むとそこは東急池上線石川台駅が…。
 何処かのブログに駒沢線1号鉄塔は洗足辺りであろうと書かれていたのを思い出したが、もしかしたら5号鉄塔を軸に千鳥線に1号から4号は吸収されてしまったのかも知れないがそれ以上調べる気(鉄塔自体に興味があった訳ではなく、朔太郎が駒沢線61号鉄塔下に住んでいたので歩く切っ掛けとして今日も駒沢線鉄塔をさかのぼってみたのである)にはなれなかった。
 仕方がないので東雪谷の石川台駅周辺を歩き雪谷八幡神社(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/11_ota/11088.html)に立ち寄り、池上線に乗らず折り返し行きとは違う道を選びつつ歩いて都立大学まで戻った。10時に出て戻ったのが12時20分。とても気持ちよい散歩であった。
2009年12月08日(tue)  No.220

12月7日

 5時過ぎ「あんがい れおーね すごいだろ」と、はっきりした口調で怜王が寝言を言った。もう目が覚めたのかと一瞬焦ったが、寝言らしくないところが怜王らしく思わず苦笑いしてしまった。
 ちなみに「れおーね」とはベイブレードのアタック・タイプのブースター(昔で言うところのベーゴマ)『レオーネ』のことで、昨日銀座の博品館(http://www.hakuhinkan.co.jp/)で小学生以下のベイブレードの大会があって12時過ぎに到着したのだが受付(エントリー)が11時からで多数のため閉め切られていて参加出来なかったので、可愛そうだからと帰りに有楽町ビックカメラのおもちゃ売り場でブースターをひとつ買ってあげたのが『レオーネ』なのである。
 そんな怜王は6時半過ぎに目が覚めいっしょに起床すると、開口一番「きのう べいぶれーど かってもらえるとはおもわなかった れおーね すごくきにいったよ」と言った。言葉も言うこともだんだんしっかりして来て、怜王のそのひとことでなんだか幸せな気分になった。
 9時過ぎまでプレステで『クラッシュ・バンディック”レーシング”』をやっていた怜王は、妻に連れられて幼稚園バス乗り場へ元気よく出掛けた。
 そう言えば12月になったら(2年使用するという条件で、2年前妻と同機種機に変更をした)携帯電話の機種変更をしようと妻と話していて、天気もいいことで今日自由が丘のauショップへ行こうと言うことになった。
 妻が良いと言っているのはソニーのサイバーショット携帯で、僕は取り立ててこれがと言うのがなかったので同じ機種になどと考えていた。
 さてauショップに入ると、そのサイバーショット携帯の値段がかなり高い…。2年前に今使っている携帯がいくらだったか忘れていたが、この金額(\48000くらい…)はちょいとヤバイ気がした。
 と言うのはこの2年間でためたauポイントが2000点つまり金額で言うところの\20000くらいでいろいろ特典を差し引いても、二人いっぺんに機種変更をするとかなりの出費になるからである。
 結局妻だけ機種変更をし(二人いっぺんに機種変更すると、\40000近い出費になってしまうので…)再び2年間使用するプランでポイントを使用して、僕が持ち出した金額は\8000ほど。この1年で、携帯電話の値段が値上がりしたようだ…。
 1時過ぎauショップを出て妻とは別行動で、僕は持って来たRICOH GR DIGITALIIIで自由が丘の撮影、妻は2時半に都立大学の幼稚園バス乗り場で怜王を迎えに行くまで自由が丘で時間をつぶすことに。
 自由が丘は冬の斜光でコントラストの高い、ぱりっとした風景が広がっていた。駅周辺をランダムに歩きジグザグに路地を徘徊しつつ、2時過ぎには都立大学まで。
 2時半過ぎ妻といっしょに幼稚園から帰って来た怜王は、おやつを食べジュースを飲んでから歯医者に治療に妻と行った。怜王は口に綿でも何でも入れられるのが嫌らしく、先生の手を振り払ったりしてしまうようで思うように治療(歯の中心が少々くぼんでいてそこに虫歯の兆候があるため、少しだけ削りくぼんだ部分を少し埋めてコーティングを施している途中…)が進まない…。
 1ヶ月前治療出来ずに帰って来て今日は2度目。1時間後に帰って来ると、治療はともかく出来たもののやはり先生の手を振り払ったりしてかなり時間がかかったらしく、部屋を出る時に上手く出来たらダイエーで何かを買ってもらえることになっていたのが叶わなかったらしく半べそをかいて帰って来た…。
 そしておもちゃを勝ってもらえなかったことを僕に訴えたのだが、ひとまず「先生の手を払ったりして治療の邪魔をしない」という約束をしたことを確認させ、次回は少しだけ我慢して治療を受けると言う約束を再度させだっこして頭を撫でてあげた。
 そういえば昼帰宅して間もなくタムロン本社Uさんより、来年1月に予定されている撮影のスケジュール確認の電話が入った。
 来年は1月頭からリコーの『SNAPS II』写真集と写真展(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/snaps.html)、そして同1月には愛知県春日井市の『Ban Photo Gallery(http://www.ban-std.com/studio.php)』での2009年出展者による合同写真展とすでに2010年はスタートしているのである。
2009年12月07日(mon)  No.219

12月5日

 6時起床。怜王は珍しく爆睡していて、6時半過ぎに起きて来て「おとうさん はやいね…」と目をこすりながら言った。
 昨日あれだけ良い天気だったのに、今朝は曇天で今にも雨が降りそうである。天気予報も昼過ぎから雨が降る確率80%であると言うが、午後1時からサッカーの試合が荒川の河川敷で行われ女子チームの勝利チームの撮影がある。
 試合は京成電鉄の四ツ木駅から歩いてすぐの河川敷で、都立大学からはどちらかというと遠方なのでどうにか試合が終わるまで降らずにいて欲しいがどうだろう…。
 今朝の怜王はふりかけご飯を食べ、デザートを食べずに9時15分過ぎ妻に連れられ幼稚園バス乗り場へ。
 11時15分デジタル機材を持って、撮影に出掛ける。都立大学から東横線で中目黒乗り換えで東銀座。さらに都営浅草線に乗り換え、四つ木駅下車。車内で町田くんのフォトエッセイ『東京瓢然』を読み進める。面白い。
 改札口でオフィスSのNくんと待ち合わせ、雨が降りそうで時折陽の射す妙な空の下予想外に暖かい河川敷へ。
 1時から決勝戦があると聞いて20分前に到着したのだが、何故か試合をしている…。関係者に挨拶をして決勝戦は1時からですよねと聞いてみると、「今やってるのが決勝戦で今前半が終わったところです」と言う…。
 午後から雨が降るとの予報を受けて、どうやら30分早く試合いをスタートさせたようだ。ちなみにどちらのチームが勝っているのかを聞いてみると「1対1です」であると言う。よし!と気合いを入れ、後半20分集中して撮影を続けた。そして「葛飾」が勝利チームとなり別会場へ移動して表彰式があると言うので、歩いて10分ほどの場所へ。
 こちらの会場では3位決定戦?で、試合終了予定時間は2時20分。対岸には建設途中の『スカイツリー』が見えた(8月19日日本カメラの仕事で撮影して歩いた時のスカイツリーは今日半分くらいであったが、現在のスカイツリーは224メートル地点を建設中 http://www.tokyo-skytree.jp/ ということで、この高さでまだ全体(634m)の1/3とは…」。
 試合が終わる10分くらいからぽつりぽつりと雨が落ちて来て、表紙の撮影をする時には傘をささずに撮る限界ぎりぎりでどうにか撮影を終了。
 我慢して撮影していたがさすがに天候の悪化で暗くなりすぎていて、ISO1250まであげて表紙の撮影をした。D90は高感度でのノイズ低減効果が高いので、仕上がりを気にせずに撮影に集中出来るのが嬉しい。
 部屋を出たのが11時15分ということでお昼ご飯抜きで3時過ぎまで撮影をしていたので、以前入ったことのある四つ木駅近くの『玉子家(http://www.ntv.co.jp/burari/030315/info03.html)』にNくんと入り遅い昼食をとり4時過ぎ『玉子家』を出て四つ木駅に向かった。
 携帯用の折り畳み傘ではさしている意味がないくらい雨脚が強い中、5時過ぎ帰宅。雨に降られて夕空を見上げると、明日が昼くらいから晴天になるという予報はまず信じがたい。
 が今日の雨予報もそうだが、最近天気予報の的中率が高いので晴れるのだろう。このところ天候の変動が著しく予想もつかないとしてもだ…。
2009年12月05日(sat)  No.218

12月4日

 6時過ぎ怜王が目を覚まし、「もうおきたい!」と言いながら僕の布団に潜り込んで来た。1分ほどごろごろしたあと、怜王がすくっと身体を起こしたのでいっしょに起床。飲むヨーグルトを飲みiBook G4で怜王がゲームをしている間にお弁当を作り、その後で朝ご飯(納豆ご飯)を食べさせた。
 9時35分妻が怜王を幼稚園バス乗り場まで送って帰って来たあと、部屋の中の観葉植物たちを陽の当たるあたたかな部屋に移し、10時過ぎRICOH GR DIGITALIIIとサブにCX2をバッグに入れ経部屋を出た。ずっといつ行こうかと思案していた萩原朔太郎の住居があったという代田2丁目の「駒沢線61号鉄塔」のある場所へ。
 まず都立大学駅をまたぐように走っている送電線の柿の木坂の鉄塔に行き鉄塔の番号を確認(駒沢線25号鉄塔)してから、都立大学駅のホームを送電線の下辺りまで行き代田方向に向けシャッターを切った。
 本当は都立大学から代田2丁目に向かう方が良いのだが、ともかく「駒沢線61号鉄塔」まで行ってその場所に立ってみたいと言う気持ちが強かったので行きは電車で下北沢まで行くことにしたのである。
 都立大学から渋谷まで東横線で行き、井の頭線に乗り換え下北沢下車。南口から商店街を通りスナップをしながら代沢三叉路方向に歩き、美しい代田川緑道沿いに西方代田2丁目方向に歩いて行くこと数分鉄塔が小高い丘の住宅の間から見えた。
 階段を上り足早に歩いて行くと、「駒沢線61号鉄塔」は住宅の真ん中にそびえ立っていた。周囲は閑静な住宅が並ぶ落ち着いた場所で、鉄塔は何の違和感もなく風景にとけ込んでいるように見えた。
 鉄塔の写真はもちろん撮ったが鉄塔を背に、周囲の風景をたくさん撮った。しかし一番最初にシャッターを切った鉄塔下の住宅がもっとも印象深く、「ここに違いない!」という強い妄想に取り憑かれながら夢中でシャッターを切った。
 何度も「駒沢線61号鉄塔」を振り返りシャッターを切りつつ、一旦送電線からはなれ一度行ってみたかった代沢の森厳寺へ行き、再び送電線下まで歩き都立大学駅側柿の木坂の「駒沢線25号鉄塔」に向かいスナップしながら歩き始める。
 下北沢駅周辺は今だに良く行くのだが、小田急線の世田谷代田の南に広がる代田の町はあまり歩いたこともなかったのでとても新鮮に映った。
 代田2丁目から送電線の下を歩きつつ、三軒茶屋の世田谷線をさらに下馬、野沢、そして駒沢陸橋の交差点で環状七号線を越え柿の木坂。ここでふだん見慣れた風景が広がって来た。
 下北沢駅から都立大学駅までを直線で結ぶと、およそ5Kmと意外に近い。「駒沢線61号鉄塔」から「駒沢線25号鉄塔」の下は一直線ではないのでジグザグに歩いて来たので歩いた距離はおそらく6Kmほどであろう。天気が良く雲の美しい日で、今日決行出来て良かった。
 1時半帰宅。さっそく撮影した画像データをMacに移し、フォルダに保存。およそ2時間半の小旅行で撮影したのは、220カット。2時少し前妻が「中目黒で知り合いが写真展をやっているので見に行って、その帰りに怜王を幼稚園にお迎えに行って来る」と言って出掛けた。
 4時半、妻といっしょに怜王が帰って来た。顔を見ると半べそをかいていて、どうしたのかと思えば「ようちえんで いいことがなかった…」と言って泣き始めた。そんな調子なので妻が幼稚園にお迎えにいった時も迎えにくるのが「はやすぎる…」と悪態をついたり、バスが混んでいてすわれない状態だったようで「すわりたい…」と何度も言ったりしたものだから妻の逆鱗に触れ帰りに叱られたらしい。
 おいおい泣いてそのうち「おとうさん げーむどこまですすんだ?」と言うので今日はずっと外にいたからやってないというと、その瞬間矛先が僕に向けられ「げーむやっててほしかった…」とさらに大泣き…。
 仕方がないので後でやってあげるから泣くのやめてというと、「ありがとう…」と言って僕の膝でおいおいやるものだからズボンは涙だらけに…。やれやれ。
 さて明日は昼からARAの表紙撮影(荒川の河川敷で少女の)があるのだが、天気予報をみると曇りのち雨…。荒川の河川敷で少年サッカーチーム(今年は少女チームを撮る予定)の優勝チームを撮影するのだが、天気予報を見ると曇りのち雨。せめて試合が終わる3時くらいまでは、降らないで欲しいが…。
 8時半過ぎ怜王が眠ったので、妻が借りて来てくれた小山薫堂の短編小説『フィルム』を読み始める。小説は10編あったがひとまずタイトルにもなっている『フィルム』を読む。…面白い。こんな物語の展開もあるのだなと、心底思った。
 じんわり感動もありでひとつ前のトップの作品『アウトポスト・タヴァーン』も意表をつかれ面白く読んだ。その他の作品も興味深く読んだが、一番最後の『ラブ・イズ……』は良いと思った2作品とは少々違った意味で面白く読んだ。
 そしてあとがきのような最後のページに、何処かのレストランの誰もいないテーブルを撮った写真がありその横に「自分の作品を読み返してみて、ぼんやりと思いました。食卓は、思い出を記憶する”フィルム”に似ている、と。」
 これも僕が思いつかないとても面白いイメージで、なるほどそうかも知れないと納得したりしたのであった。
2009年12月04日(fri)  No.217

12月2日

 今朝は5時過ぎに一旦目が覚めこのまま起きてしまおうと布団から出てみたものの、あまりに冷え込んでいて青切る気力がめげ…再び潜り込んで6時くらいまでうとうとしていた。怜王が起きたらいっしょに起きようと顔を覗き込んで見ると、「まだ〜?」と言いながら目を開いた。
 起きているとは思わなかったが、外がまだ暗い感じでも6時を過ぎているのでもう朝だから起きると聞いてみると「うん」と言うのでいっしょに起床した。
 そして僕はお弁当を作り始め、怜王はヤクルトを飲んだ後iBook G4でゲームを。いつもと変わらない、朝なのである。
 9時15分過ぎ怜王を送り出し、10時GR DIGITALIIIを持ち銀座へ。和光の下あたりから地上に出て、スナップしながらキヤノンギャラリーへ行く。オープニングに招待されていたのに行くことが出来なかった、清水哲郎さん(http://rakuda.mda.jp/mongol/)の写真展「The Creation」の最終日なのである。
 会場に入ると受付に清水さんが、いつものようにニコニコしながら来場者と話しをしているところであった。挨拶絵をしてから、未開のモンゴルの写真を見る。
 人気のない、広大な風景に圧倒される。往復4周くらい作品を鑑賞し、清水さんと立ち話を少しだけしてキヤノンギャラリーを後にリコー「リングキューブ」へ向かった。リングキューブは今日から菅原一剛氏の写真展「dansa」”とてもとてもありがとう(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/dansa.html)”が開催されている。
 今日見た写真は海外での撮影であったが、最近海外で撮影した作品が多く見かける。アジアであったりヨーロッパであったりだが、日本の文化や歴史を意識した作品が見たいという気持ちが高まりつつある。
 銀座を1時間ほど徘徊し、スナップをして回る。数寄屋橋の宝くじ売り場に、長蛇の列。今日はぽかぽか陽気だが、師走なのである。
 2時半過ぎに怜王が帰宅。4時過ぎ妻に予約を入れてもらった萩原葉子のエッセイ、『父・萩原朔太郎』を取りに八雲図書館(目黒区立図書館)ヘ向かう。
 マンションを出ると目黒通り沿いの歩道は、近所にある女子中高生の下校時間で歩道一杯に大きな声を出してげらげら笑う女子学生軍団に遭遇…。僕はこの大声を張り上げたり歌ったりする女子中高生がとても嫌で、このまま普通に向かうと都立大学駅近くまで腹立たしいことこの上ないことになるので少しだけ逆方向に歩き柿の木坂陸橋の交差点へ。
 信号待ちをしていると都立大学方向に素晴らしい夕焼けに出会った。さっそくポケットに忍ばせたCX2を取り出し迷わずズーミングを最大(300mm)にして撮影。10.7倍高倍率ズームの威力は強力であった。
 4時過ぎに部屋を出た時はまだ明るかったが、図書館を出るとすっかり日が落ち宵闇が迫って来ていた。
 「夕焼けの翌日は晴れる」と言われているが、「赤黒い夕焼け」の場合「翌日は曇りや雨になる可能性が高い」のだと言う。帰宅後さっそく週間予報をネット検索してみると、「曇りのち雨」…。
 夜になって外を見ると、快晴で奇麗に月が輝いていた。これでも明日、「曇りのち雨」になるのだろうか…。
 このところ8時に眠る(幼稚園で8時には眠るようにと言われている)ことを意識し始めた怜王は今夜も8時を回った頃に布団に入り、誕生日に買ってあげたライトセーバーなどを布団に入れてもぞもぞしていたがじきに静かな寝息が聞こえて来た。
 それを待ったように図書館から借りて来た萩原葉子の『父・萩原朔太郎』をキッチンに持って来てページを開いた。朔太郎の日常はあまり知らず詩だけを読んで来た僕にとって、娘の葉子の見た父の姿はとても魅力的であった。
 読みはじめの数行で面白く思い、そのまま一気に読み10時50分くらいには読破してしまった。ここ10年、これほど早く本を読み切ったことはないというくらい集中して読んだ自分にびっくりしたくらいだ。町田くんの本を読み終えたら、もう一度朔太郎の詩をよう見直してみようと思う。
2009年12月02日(wed)  No.216

12月1日

 6時半過ぎ、怜王が目を覚まし「もうおきようよ」と言った。程よい時間である。いっしょに起床し、今朝はヤクルトを飲ませる。
 怜王がひとり遊びをしている間にお弁当を作り、「ふつうの おにぎりがたべたい(普通は塩と海苔のおにぎりのことで、もうひとつは焼きおにぎり)」と言うので少しだけ小降りのおにぎりを作って食べさせた。9時15分過ぎ、怜王は妻といっしょに元気よく幼稚園バスのバス停へ向かった。
 二人が出てからおもむろにリコーのHPを開く。今日はGR DIGITALIIIの初めてのファームウエアのアップがスタートする日で、お目当ては「撮影設定メニューの [ スナップ時フォーカス距離 ] の設定項目として、[ 1.5m ] が選択できるようになりました。」である。
 こうしてネットから新しい機能が使い出来ると言うのは本当に素晴らしいことで、GR DIGITALIIIが充実してゆくのを実感出来る。アップが終わりさっそくメニューから「スナップ時フォーカス距離」を開くと、今までなかった1.5mが追加されているのを確認した。
 10時前昨日で会社を辞めたYさんから、「今日からフリーになりました。曽根さんの後を追います。」と言う気合いの入ったメールが携帯に入った。素晴らしい!おめでとうYさん!
 そう言えば「駒沢線第61号鉄塔」への誘惑が、日に日につのっている。ことの発端は写真を始めた頃、その昔住居があったと言う下北沢の街へ千葉の幕張からはるばる日参するように写真を撮りに行っていたことをふと思い出したからだ。
 その頃の僕の年齢はと言えば22才前後で、詩と小説の同人雑誌「沈黙と饒舌」を友人たちと作り絵を描いていたIさんから写真を教わり見よう見まねで撮り始めていた。
 そして萩原朔太郎の短編小説『猫町』に当時どっぷり浸かっていいたことから、下北沢の町を朔太郎の幻影を追いかけるように徘徊し写真を撮り歩いていたのである。
 撮り歩いてはいたが、当時朔太郎住居があった場所を特定出来ないままひたすら路地を曲がり足の向くまま下北沢の駅を中心に歩いていた。
 そして等々力に住んでいた頃から気になる存在であった鉄塔が、ここ都立大学に住んで駅の真上を通っていて高架のホームから下北沢方向に鉄塔が連立している様を見るにつけ「どこまで続いているのだろう?」と思うようになった。
 そんなことを考えていたときたまたま「鉄塔」とMacに入力したことから、鉄塔に関する面白い記事の中に「東京荏原都市物語資料館(http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/50849770.html http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/26963693.html)」や「毎日送電線(http://d.hatena.ne.jp/sarumaruhideki/20051207)」などのホームページに朔太郎の名前を発見したのである。
 もう朔太郎の住居はすでになっているのだが、61号鉄塔は当時の形状を残しつつ今田健在と聞く。好んで鉄塔の下に住居を構えたという朔太郎が見ていた鉄塔を見てみたいと言うのが「駒沢線第61号鉄塔」への誘惑なのだが、すんなり出掛けられないでいる…。
 それならと萩原朔太郎の娘の萩原葉子の描いたエッセイ「父・萩原朔太郎」あるいは小説「蕁麻(いらくさ)の家」を読んでみようと、昼過ぎRICOH GR DIGITALIIIを首から下げて自由が丘の「Book 1st」へ。 
 だがしかしふたつの本はどこを探してもなく、何故か町田康の「東京飄然」が文庫本になっていたので購入し自由が丘を少しだけスナップしてから帰宅。そして手に入らないのならと、八雲図書館のネット検索で2冊の本を妻に検索してもらい予約してもらった。
 「アテネ・フランセ(http://www.athenee.jp/)」に通っていた頃、「日仏学院」で「父・朔太郎を語る」という講演会で萩原葉子の肉声を聞いたことがあるが、その頃どうしても萩原葉子の書いた本を読む気になれずにいたのでこの機会に目を通しておこうと思ったのである。ともかく年内に、「駒沢線第61号鉄塔」を目指す小撮影旅行を決行することにしよう!
 3時過ぎ妻と怜王が帰宅。今日はH幼稚園の同じバス停から乗る子たちが、碑文谷警察署へお餅つきをしてそのお持ちを届ける日。帰って来た怜王は楽しそうに、「おもちたべたい!」と言うのでさっそく焼いて食べさせ僕らも食べた。今年初めてのお餅、美味しい気がした。
 帰宅から2時間過ぎた5時頃、怜王が「のどがかわいた…」と言った。この2時間に牛乳カルピス、ヤクルト、飲むヨーグルトとすでに3種類の飲みモノを飲んでいるのでこれ以上飲ませる訳には行かないわけだが、どうしても飲みたいと言うので夜眠る時までのどが渇いたらお水かお茶を飲むと言うことを約束してくれた牛乳カルピスを飲んでも良いよ。というと「うん」と言うので飲ませることに。
 こうしたやり取りは妻的には「甘やかしている」と言うことになるのだが、約束の寝る時間は8時でそれまで我慢出来ればそれでも良いと思うのだが寝るまで本当にそうするのかどうか怜王の行動が気にかかるところ…。
 7時過ぎに妻といっしょにお風呂に入りあがって来た怜王は、「やっぱりのむものはだめ…」と小さな声で言った。5時から7時半まで約束をちゃんと守ってくれたので、「ホットミルクなら良いかな」と言うと嬉しそうにうなづいた。
 もちろん飲んだ後は歯を磨いてもらう訳だが、いつもは9時くらいまでだらだら起きていたのが今日は8時すこし前に布団に入ってくれた。そして「いっしょにねたいな…」というので寝ている横に座って、怜王が眠るまでここで見ていてあげるからねと言うと、「せなかかいてはだめだよね…」と言うので、もう5才だし背中かいては4才で終わりにしようねと答えた。
 怜王的には少々不満があるようにも思えたが、僕の説明をちゃんと聞いてくれ側で座ること数分。静かな寝息が聞こえて来たのである。
2009年12月01日(tue)  No.215

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