ys diary
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2月28日

 朝まだき…、怜王がもぞもぞ動き始めた。そして「おきたい… れごで あそびたい…」と言う…。枕元に置いておいた携帯で時間を見ると、5時15分。こんな時間から起こされては叶わないと思ったが、起きたいと言うのでひとまず起きることに。
 そして昨夜熱があった怜王の体温を測ると、36度7分。念のため自分の体温を計ってみると、36度1分。下がっているの見てほっとしたが、僕の方がいつになく眠気が去らずどうしようもない…。
 仕方がないので怜王を説得して見たが、「おきてる」と言って利かない…。それじゃということで「お父さんはしばらく布団に入るけど、どうする?」というと「いいよ」と言うので布団に入り怜王の様子をそれとなく観察していると、数分後僕に布団にもぞもぞ潜り込んできてしばらく手足を動かしたりしていたが案外あっけなく眠った。
 …気がつくと、7時50分を回っていた。ずいぶん深い眠りであった。そのまま起床。日記をアップしたりしていると怜王が起きて来た。顔を見るとほっぺたが赤い…。触ってみると熱く、これはと思って体温計で熱を計ると何と39度6分…。
 どんな感じか聞いてみると、「ちょっと あたまがいたい…」と言うものの妙にけろっとしてレゴで遊ぶ気満々…。高熱が出るとどうなるかなど怜王には分かるはずもないが、ともかく布団に入って暖かくして横になっているのが今現在の最良の治療方法と説得するがなかなか言うことを聞いてくれない…。
 起きて来てから30分意地を張ってキッチンにいた怜王であったが、さすがに僕が真剣に「布団に入っていた方が良いよ」と言っていることの意味を察知したのか寝室に行くと妻の布団に潜り込みあっと言う間に眠った。
 8時過ぎまで爆睡し元気に目を覚ました怜王はさぞかし熱が下がっているだろうと思いきや、熱を計ると40度…。これはただの風邪ではないかも知れないと、にわかに我が家はお慌ただしくなった。
 と言っても今日は、お散歩写真の日。それにいつもはお遊びのお散歩写真であるが、今日は3人で歩くお散歩写真で1冊本をと言う話しをお散歩仲間のOさんが某出版社に掛け合っていて、その見本となる写真を撮る(日程的に月刊カメラマンから依頼された仕事も掛け持ち)という大事な日。
 とはいえ怜王の体調の方がそのことより重要なことは分かっているが、ともかく10時半過ぎ妻が怜王を連れて学芸大学にあるクリニックへ。そして11時過ぎデジタル機材を2台プ+RICOH GR DIGITALIIを持ち待ち合わせ場所である浅草寺雷門前に向かった。
 東横線で渋谷に出て、銀座線に乗り換え浅草に向かっている途中妻からメールが。どうだったろうかと開いてみると、「インフルエンザのストロングB型かな?…」「月曜日まで外に出さないでくれって…」。
 浅草でOさんYさんと合流しお散歩写真をしつつも携帯メールで妻と連絡を取り今の怜王の体調を聞いていると、熱は一度下がってほっとすると次のメールで上がって…。しかし怜王自体は元気そのもので、布団に入りながら「マダガスカル」を見たりしているという。
 浅草から鴬谷、そして上野まで歩いたところで5時を回っていた。池之端まで行き「シンスケ(http://gourmet.livedoor.com/restaurant/11838/)」に入り6時過ぎまでお酒を飲みながら打ち合わせ。その間「怜王がラーメンを食べた言って…」「熱も下がって来ていて、さっき怜王は寝ました!」と妻からメールが入りほっとする。
 千代田線に3人で乗り込み、日比谷で僕だけ日比谷線に乗り換え一路自由が丘の”無印良品”へ。なぜ都立大学ではないのかと言うと、インスタントラーメン関係で麺に卵を使用していないのは無印の「ミニラーメン(http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4945247249118)」だけだからだ。
 7時半過ぎ怜王を起こさないようそっと帰宅すると、僕がキッチンまで来る前に怜王が目を覚まし起きて来た。顔を見ると朝赤かったほっぺたは普通に戻っていておでこに手を当ててみたが熱も下がって来ているようだった。
 夜のご飯を食べずに寝たと言うので早速妻が「ミニラーメン」を作ると最初だけ麺を食べていたが、結局大半を残しスープのみを全部飲んだ。まだ、固形物がのどを通らないのであろう。1時間ほど怜王は起きて楽しそうにしていたが、さすがにインフルエンザなので暖かくして寝かさないと行けない。
 ひとまず熱を計ってみると、38度。こどもとしては少しだけ熱があるという数値であろう。「いっしょに ねむる」と怜王が言ったので妻も今日は疲れたと言って怜王は妻の添い寝で9時過ぎに眠った。明日の朝、熱が下がってくれていると良いのだが…。
2009年02月28日(sat)  No.46

2月27日

 昨日は月刊カメラマンから撮影機材が到着したので、午後から取扱説明書をみながら特徴を調べ使い勝手が良くなるよう徹底的に作動チェックを行ったたりしているうちにあっという間に一日が過ぎた。
 そんな日怜王は幼稚園から帰って来て少し眠そうな顔をしていたが、それでも買い物にいっしょに行くと言うので連れて行くと帰りは疲れた疲れたを連発…。帰宅後キッチンの有価で寝そうになったので同化したのか聞いてみると「あたまがいたい…」という返事が返って来た。
 熱を計ってみると37度8分。子どもとしてはさほどの熱ではないが、それでも頭が痛いと言う状況は良くない…。明日は幼稚園で”劇子ども遊び”と言うのがあって年少の怜王のクラスは「こぶたとおおかみ」と言う劇と「くびふりにんぎょう」という歌を歌うことになっている。
 6時過ぎ夕飯を食べさせてから速効で布団を敷き、頭に”ひえビタ”を貼り寝かしつけた。熱が下がるかどうか、朝元気に起きてくるかどうか心配であった。
 さてそんな怜王は深夜零時、2時半、4時とちょっとだけ目を覚ましてすぐ眠り、5時45分「もう おきたい…」と言って目を覚ました。外はまだ暗いが、怜王的にはこの時点でおよそ12時間寝ていることになるのでもう寝ていられないという感じなのだろう。
 おでこに手を当ててみたが、熱はないようだ。いっしょに起床しりんごジュースが飲みたいのと言うので飲ませると、寝室からレゴ(今日は”F-1フェラーリチーム”を持って来た)の入った箱を持って来て作り始めた。体調が悪化せず、頭痛も治まったようで良かった。
 今朝も朝ご飯は食べず牛乳とヨーグルトを食べただけであったが、部屋を出る直前「しろい おにぎり がたべたい…」と言ったが作る時間も食べる時間もなく妻から飴をもらって慌ただしく出発。
 妻は送ったその足で東急バスで目黒に向かい銀行などに寄って、目黒駅バス停までで10時待ち合わせをしてから幼稚園へいっしょにと思っていたが、目黒通りが渋滞のためお互い最大早く行ける時間に幼稚園へ直行することにした。
 僕は都立大学駅まで行きpasmomのチャージを行ってから、都立大学駅北口のバス停から幼稚園のある権之助坂のバス停まで。妻が言うようにかなり込んでいて、通常15分で行くところを30分かかってしまった…。
 幼稚園のホールに行くと、劇が始まる5分前の、10時15分。10分遅れて来た妻が着いた頃からトップもM組の劇「ももたろう」が始まった。
 そして10時45分から怜王のクラスのS組の「こぶたとおおかみ」が始まった。怜王はホールに入ってくるなりきょろきょろ僕らを探していたので、立ち上がって手を振ってあげると怜王も小さく手を振ってニコニコ笑っていた。
 S組の「こぶたとおおかみ」が終わって怜王たちはS組のクラスでお弁当を食べると言うので妻とクラスの前に行くと、今朝「なっとうの おにぎり がいい」と言うので納豆を入れておにぎりに軽く塩をふり海苔を巻いたおにぎりを今日は持たせたのだがちゃんと食べただろうか?
 と言うのは怜王たちがお弁当を食べる頃に僕は午後からの撮影に行くため、先に帰宅しなければならなかったからである。11時10分過ぎH幼稚園を出て目黒通りから東急バスに乗って帰宅。
 軽い昼食をとってからモノブロックストロボ2灯デジタルカメラ2台など持ち、今日の仕事先である品川のホテルパシフィック東京3F ビジネスセンター(デジタルオアシス ビジネスセンター)ミーティングルーへ。今日のインタビュー撮影は、漫画家でタレントでもある山咲トオル(http://www.toguro.com/home.html)さんである。
 1時15分過ぎにミーティングルームに入り、ライティングを入念に行う。今日はメインはアンブレラバウンスで斜め右から1灯と、影になる反対側の天井に向けたバウンスを1灯。このライティングはどちらか1灯でも顔で露出を取れば撮れるライティングで、今日の場合天井バウンスは背景の明るさのコントロールしているのである。
 撮影は2時くらいからを予定していたが、山崎さんと太田プロのマネージャーのさんは15分ほど早く到着し早速撮影を始めた。テレビに出ている時の雰囲気とは少々違うこの感じは何だろうと思いながら撮影を進めたのだが、それは物静かで思慮深い立ち振るいとインタビュアーの質問を聞く目のに僕は山咲さんの本質のようなものが見えたように思った。それは山咲さんが自分の進むべき道を、かなりの確度で直感していると言うこと。
 およそ1時間ほどのインタビュー撮影を終了し挨拶をすると、「これ皆さんでどうぞ、美味しいわよ!」と千疋屋の総本店の「ロールケーキ」を僕らに…。通常であれば取材を申し込んだ側から気持ちとして手渡さなければならないものを…と思ったが、山咲さん的にはごく普通のことであるような感じで僕らに手渡し帰って行った。こんなこと、なかなか出来ることではない。それが証拠に、取材を申し込んだタレントや俳優スポーツ選手などからこうしたプレゼントをもらったことは一度もないからである。
 行きは渋谷経由で山手線で品川に来たのだがどうも遠回りな気がして、帰りは京浜東北線で隣駅の大井町に出て大井町線で自由が丘さらに東横線で隣駅の都立大学というルートで帰宅。いつも使っているからかも知れないが、こちらの方が早いか遅いかはともかくしっくり来るように思った。
 夜になって「あたまが すこしいたい…」、と言うので熱を計ると38度。こどもの体温としてはさほど高くないかも知れないが、ひとまず自分の体温を計ってみると36度4分。僕の身体は平熱なので、体温計の示した数値は確かである。
 怜王は「あたまが すこしいたい…」と言っているわりには「おでかけする」などと言ってはいるが、「昼間も寒かったけど今はもっと寒いから、昨日みたいに”ひえピタ”貼って寝ようよ。きっと明日になったら治ってるから」と言いくるめ?6時半過ぎには布団に誘導し、妻の添い寝であっという間に眠りについた。
2009年02月27日(fri)  No.45

2月25日

 5時半過ぎ、怜王がもぞもぞしはじめ「かゆい せなかかいて…」と言いながら腕あたりをかきはじめた。「せなかかいて」と言いうのは、確かにかゆいのだろうが寝起きの儀式のような感じなのかも知れないと最近思うようになった。
 しかし「かゆい」という感じは身体の中からじんわり出て来て、かゆい本人にしか分からないものがあることは僕自身小学生のころジンマシンで悩まされたので良く理解出来る。父も母も僕がジンマシンでかゆがったりしていたとき、今の僕と同じ気持ちでいたのだろうなと怜王を見ながら思うのであった。 
 …もう少し寝ていたいと思ったが怜王が僕の布団に入って来て、手や足やお腹をかくので布団の中に冷たい空気が入って来て眠れる状態ではなくなったので起床。怜王もいっしょに起きたのだが、起きてしまうとさほどかゆがることもなくりんごジュースを飲みあそび始めた。
 朝ご飯を食べる少し前から、「れご もうつくれるよ」と何度も繰り返し言い始めた。レゴは欲しいと言うのでいろいろ買ってあげたり妹の子どもが使っていたモノをもらったりしていたが、まだまだ年齢が追いつかず自分で作れないので「小学生になるまでしまっておこうね」と言い気かせ怜王も「うん」と言ったのでしまった。
 しかし幼稚園で「○○くんが れご やってるって」と言うのでどんな怜王をやっているのか聞いてみると「さんたさんの れご」と言う。それだけだとどんな規模のものか分からないが、数の少ないものに違いない。
 どうしようか迷ったがひとつ条件を出して、怜王が良いと言ったらレゴを復活させてあげると言うと「いいよ」と言った。それはどんな条件なのかと言うと玩具の種類が多すぎてそれを毎日全部出して出しっ放しで片付けるのが大変になっていたので、「レゴで遊べるように出してあげてもいいけど、ここにある玩具を全部しまってもいいかな?」と言うとあっさり承諾したのである。
 そうなると僕も妻も、せっせと寝室に広がっている玩具類をあつめて仕舞う準備を始めた。怜王も何か吹っ切れたような感じ(意地っ張りなので、虚勢を張っている可能性は高いが…)で、とても協力的で手伝ってくれたり…。
 そして本などを残してすべての玩具を寝室から移動しレゴのインディージョーンズをひとまず出してあげると、夢中で遊び始めた。そしてレゴ遊び見れんたらたらで、9時10分過ぎ妻に連れられて怜王が幼稚園バス乗り場へ向かった。
 9時半過ぎ妻が帰宅し10時少し前、ジャベルへシトロエンCツアラー(http://www.javel.co.jp/c5new.html)のインパネ類(追加撮影である)の撮影へ。妻は一緒に出て友達の家に出産祝いを持って行くはずであったが、少し用事があるとかで僕が先に出たのである。
 東横線で自由が丘まで行き、大井町線で旗の台乗り換えで池上線戸越銀座下車。雨の戸越銀座商店街を向け中原街道沿いのジャベルに到着。
 Tさんといっしょにシトロエン・エグザンティアで近くの車庫に行き、シトロエンCツアラーの車内を撮影。そして帰りは、Tさんにクルマで自宅まで送っていただいた。
 帰宅後写真をセレクト。そして昼食をとった後、怜王の玩具を押し入れなどに仕舞い込む。仕舞うと言ってもいつ怜王が仕舞った玩具で遊びたいと言うか分からないので、出しやすい場所に何をどこに入れたか分かるようにして仕舞ったのである。
 2時半過ぎ、友達のところに行っていた妻が、怜王を連れて帰って来た。怜王はかなり気分が良いらしく、おやつや飲み物もさほど欲しがることもなく出しておいたレゴで遊び始めたがその集中力たるもの凄まじいものがあり、正座して夢中で遊ぶ姿は職人のよう!?で何やら近寄りがたいものが…。
 そんな怜王は夕飯(なぜか納豆ご飯を食べると言った)もしっかり食べ、寝室に広げたレゴもすんなりお片づけをして9時少し前に眠った。眠る直前ちょっとふざけたような感じで、「せなか かゆくなって きちゃった…」と言うのでさすってあげると目をつぶって入るが凄く嬉しそうに笑みを浮かべ数秒で眠りに落ちたのである。
2009年02月25日(wed)  No.44

2月23日

 昨夜9時半過ぎに眠った怜王は、本当にめずらしく朝までかゆがって目を覚ますことなく眠った。そして6時過ぎ目を覚まして起きたのだが、寝起きは相変わらず悪くかゆいかゆいと言いながらぐずっていた。
 10分ほど経ってりんごジュースを飲み干すと別人のように活発になり、きっちり朝ご飯を食べたあと夢中でお絵描き帳に絵を描き始めた。今日は片ページではなく、見開きの超大作「マダガスカル(ttp://www.madagascarinternational.com/intl/jp/)」であった。
 向かって右からカバのグロリアとライオンのマーティン、シマウマのマーティとキリンのメルマ。グロリアとマーティンは擬人化されているが、マーティとメルマは動物のまま。このメンバーを幼稚園のお友達に置き換えると、マーティンは自分で女の子のグロリアはTちゃんキリンのメルマはAくんシマウマのマーティはWくんであるというが確かにイメージが似ていて可笑しい。
 9時10分過ぎ、長靴を履き傘を持って妻に連れられ怜王が元気に幼稚園バス乗り場へ向かった。
 DRUG写真展が終わった先週とても慌ただしかったが、今週はぽっかり27日まで仕事が入っていない(といっても月刊カメラマンからの仕事が機材がそろい次第取りかからなければならないのでぽっかり開いている訳ではない…)。良いような悪いような感じだが、天気が悪いのでいまひとつ撮影に出る気になれない。
 そう思いながらキッチンのテーブルの上に置いたLUMIX DMC FX30を手にアスペクト比を16:9設定で液晶モニターを見ていると、キッチンの窓においてあるメダカの水槽が目に留まった。
 たまたま置いた陶器の魚を、一尾のメダカがじっと見ていたのでマクロモードでシャッターを切ってみた。この1年RICOH GR DIGITALIIばかり使用して来て、LUMIX DMC-FX30やキヤノンのPower Shot G9など使用頻度が低かったのでちょっと新鮮な感じも…。
 そして特にLUMIX DMC-FX30のアスペクト比のひとつ16:9は、映画のスクリーンのようでなかなか味わいのあるフォーマットであるように思えた。それにモノトーンでの撮影も悪くないと思いつつ、”fragment”にメダカの写真をアップ(http://ys-ode.net/board/tboard008.cgi?)。
 その16:9写真に付けたコメントに書いたジープのミニカーも、16:9+モノトーンで撮影してみるとチープさがなくなり立派に見えるから不思議だ。
 2時半過ぎ、元気よく怜王が帰って来た。おやつを食べ大好きな牛乳カルピスを飲みしばらくあそんでいると思いきや、「のむよーぐると が のみたい」と言う。冷蔵庫を開けると何と飲むヨーグルトがない…。
 「なくなっちゃたから牛乳にしよう」と言ってみたが「ぎゅうにゅう のまない」。これはまずいことになったと思っていると、「おでかけで だいえーで かえばいいのに…」と言う。仕方がないので怜王といっしょに東急ストアへ(なぜダイエーに行かないのかというと、ダイエーには玩具を売っているフロアがあり必ず欲しいものを見つけだだをこねるからである)、飲むヨーグルトを買いに行くことに…。
 雨が降ってるから歩きでゆくよと怜王に言ったものの雨は上がりかけていて、傘もさしてもささなくても良いくらいであった。怜王はどうしているのかと言えば、水たまりを見つけては長靴でバシャバシャやっておおはしゃぎ…。どんな時でも、楽しいことを見つけるのがうまいのである。
 5時半過ぎ一度見た「ロボッツ」を又見ると言うので、キッチンのテーブルにiBook G4を乗せDVDを再生。「マダガスカル」は本当に何度も見て楽しそうだが、「ロボッツ」も怜王的には楽しい映画であるようだ。
 7時前全編見終わりこんどはキッチンのテーブルにキーボードを持って来てしばらく好き勝手に音を出したかと思うと、「もういちど みる」と言って「ロボッツ」を今度は寝室のテレビで見始めた。と思いきやキャプチャーで見たいシーンだけを器用に選んでみていたが、良くそんなことが出来るものだ。
 8時過ぎ怜王が布団に入る頃、Nカメラから「3月号が送り返されてきましたが、住所変更されましたか?」という電話が入った。3月号はちゃんと届いているのでその旨伝えが、どうして1冊戻されてしまったのか(というのは毎月1冊送ってもらえているからである)僕にわからなかった。
 「機嫌良く布団に入った時に限って、背中をかかされるんだよね」といみじくも妻が言ったように、怜王は「なんか せなかかゆくなってきた… せなかかいて」と布団に入ってすぐに言い始めた。
 妻の予言が的中したことがとても面白く、保湿剤を持って怜王のところに行きかゆいところを聞いて保湿剤をぬりつつかゆいところをさすってあげた。数分何やら楽しそうに笑ったりしていたが、うつぶせにさせて背中をさすってあげていると絵に描いたように睡魔がやって来て怜王は眠りに落ちて行ったのである。
2009年02月23日(mon)  No.43

2月22日

 今朝はかなり冷え込んでいるようで、目が覚めても布団から出る気になれなかった。布団の中でひたすら目を閉じていると、怜王が目を覚ましたようで寝返りをうったりしながら、僕の布団の方に接近して来た。
 怜王の方を振り返り見ると、掛け布団から目だけが見えた…。その目は微妙に笑っていて、何やら楽しそう。今日は日曜日で、「炎神戦隊ゴーオンジャー」にかわって始まったt「侍戦隊シンケンジャー(http://www.tv-asahi.co.jp/shinken/)」が放映されるからである。
 6時半いっしょに起きてまずは朝ご飯を食べさせつつ、一昼夜水に浸しておいた自家製味噌作りのための大豆を大きなパスタ鍋に移し、新しい水に入れ替え煮込む行程に進んだ。あくを取りながら水を足し3時間〜5時間ほど煮込むので少々長丁場。
 さて7時半から「侍戦隊シンケンジャー」は始まったが、見ていたのは最初だけ…。どうやら「炎神戦隊ゴーオンジャー」の方が好きなようでテレビを見ずお絵描き帳に絵を描き始めた。何を描いているのか聞いてみると「げげげのきたろう」であるそうな…。
 だがしかし戦いのシーンになると眼の色が変わり、アクションポーズ。しかしゴーオンジャーの時ほどの感じではないが、引き続き始まった「仮面ライダーディケイド(http://www.tv-asahi.co.jp/decade/)」では再びエキサイト。怜王的に、かっこよさのツボが違うようである。
 10時半まであくを取り水を加えながら大豆を煮込み、300CCの煮汁を器に入れ塩35gを加えて溶解しその煮汁を加えつつフープロセッサで大豆を粗めのペースト状にし別の器に移してポテトマッシャーでさらにつぶして行く。
 この場合完全にペースト状にせず、大豆の粒を微妙に残すようにする。これは完成した時に、大豆の食感をし少し残しておきたいからである。さらにこうじ800gにぬるま湯を200ccをまんべんなく混ぜ合わせ30分おいた後で塩500gほどを両手ですくうように混ぜ合わせておく。
 大豆を大きめの鍋に移しこうじと種味噌と、塩を和えたものを両手で力を入れながら混ぜ合わせてゆく。このときつぶれていない大豆の粒を指でつぶしつつ、念入りにこねて行くのである。ひととおりこね大豆の粒が見当たらなくなったら出来上がり。
 味噌用に購入してあるかめの底に種味噌を敷き詰め、味噌玉を団子に握りかめにつめ押して平らにしながら空気を抜きすべて移し終えたら表面にラップをし重石(ビニール詰めた塩+均等になるよう重めのお皿を乗せている)。
 最後にふたをしてから仕込んだ日と検査をする3ヶ月目、そして試食予定の6ヶ月目(8月22日)を記入して陽の当たらない玄関に置いて終了。朝6時半から煮込みはじめてから、およそ5時間半。恒例の(昨年から…)自家製味噌作りは、家族総出(怜王もプロセッサーのスイッチを入れたり切ったり邪魔したり…で参加!?)で無事終了したのであった。
 4時過ぎ天気が悪いので今日ぐらいは部屋に居ようと思ったが、「おでかけしたい」と怜王が言うのと妻も怜王も牛乳は常時飲むのでないと困るので部屋に広がったおもちゃを片付けさせてからトーマスの自転車で外に出た。
 自転車で外に出た時、まずエレベーターで1階まで降りる間に「道路があったらブレーキをかけて止まること」「前を見て急に右や左に移動しないこと」を毎回言っている。それはマンションが交通量の多い目黒通りに面していて、歩道も目黒通りから住宅街に入ってくるクルマも多いからである。
 歩道を歩き始めると当然だが小さくても自転車の方が早く僕も心配で早足になるのだが、目黒通りから住宅街に入る道が東急ストア方向に進む間に2ヶ所。どちらも1メートルくらい前でブレーキをかけ、見てるのか見てないのか凄いスピードで左右を数回見て後ろを振り返って「にっ!」と笑う。
 目黒通りは交通量も多く、ダイエー方向に向かうとまず柿の木坂陸橋前で左折専用の信号のない道がありそして信号のある横断歩道。さらに信号のない一通が3ヶ所。危険がいっぱいなのである。
2009年02月22日(sun)  No.42

2月21日

 昨夜9時半ころ自分の布団で眠った怜王は時間の経過とともに僕の布団に接近してきて、早朝4時には僕の枕に頭をくっつけつつ身体もじりじり接近…。そして寝返りをうつたびに足や手が僕の脇腹や顔にぶつかり、うかうか寝てられない状況に…。
 寝ていられないが目を覚まして「かゆいかゆい」と言われるよりはましなので、だまって眼を閉じ横になっていることに。
 6時過ぎ怜王ににじり寄られ例によってツタンカーメン状態になった僕は寝苦しく少しだけ身体を動かすと、起きて欲しかったとばかりニッと笑って「おはよう!」と言った。いっしょに起床。今日はかゆがらないし、妙に機嫌が良いのは何よりである!
 9時10分過ぎ、妻に連れられ元気に怜王が幼稚園バスのバス停へ向かった。そう言えば先日写真展に来ていただけたひとたちにお礼状をタムロンのCさんがお送りしたところ、写真家の木村恵一先生(http://k2-labo.com/root/kimura_keiichi)から『大変、面白く興味深く拝見した。芸術とのはざまで自由奔放に撮影している。皆カラーが違っても底のところでつながっているようだ。ちょっと妖気があったりしてそれも面白い。今後も期待している。同人誌を見たい。買いますよ』と嬉しいコメントを頂けたとのメールが届いた。
 そんなわけで木村先生宅へリニュアル創刊号(6号)から最新の14号までの9冊をセットにし、10時過ぎ都立大学駅近くのセブンイレブンへ行きクロネコ便で送る手配をした。
 12時半過ぎ、土曜日なので少々早めの時間に怜王は妻に連れられ帰って来た。今日は帰ってくるなり「○○せんせいが 3じに おうちにくる」と言った…。○○先生は担任ではないのだが怜王のお気に入りの先生で、○○先生が本当にお家に来るって行ったの?と聞くと「なにもいってなかった…」と言う。
 幼稚園で怜王としては○○先生に「おうちにあそびにきて」と誘ってみたものの、○○先生は、あたりまえだが真っ当に受け取らずニコニコしていたいに違いない。が怜王は来ると信じているようで、夕方トーマスの自転車でお散歩にいっしょに行き帰って来る途中「○○せんせいおうちわかったかな? もうきてるかな?」などと言いつつ玄関のドアを開けた。
 怜王はまずクツをみて「ない…」と言って部屋に上がり、「○○せんせい きてない」と言った。かなり重症である…。
 帰宅後昨年春に行った、自家製味噌作りの準備を始めた。数週間前から大豆1kg、こうじ800g、塩そしてアルコール度数35%以上の焼酎などを用意していて、取りかかる日を今朝今日と決めた(大げさに聞こえるかも知れないが、味噌作りは意外に大変なのである)。
 大豆を流水で水洗いをしいったん水をきって大きめのポリバケツに入れておき、夜6時大豆の3倍の水を加た。これで12時間後の明日朝6時までしっかり12時間大豆を水浸しておく、これが大事な下準備。
 明日作ると言うことはひとまず8月には食べられる状態になるのだが、さらに熟成させるには3ヶ月以上おくこと。つまり今年の暮れくらいには、美味しい自家製味噌が食べられると言う訳だ。ちなみに1kgの大豆で出来る味噌は、4kgほどである。
2009年02月21日(sat)  No.41

2月20日

 早朝4時突然怜王が目を覚まし布団の上に座り込んで、「かゆい かゆい…」と言いながら両足首をかいていた…。この時間はかなり冷え込んでいるので、布団をかけてあげると今度は「せなかかいて…」という。
 「せなかかいて…」は、まだ眠いと言うこと。寝ている間に布団の中に熱がこもり身体が熱きなってかゆくなるのだと思うが、身体が熱くならないようにコントロールするすべを知らないので目を覚ましてしまうのだ。毎度ながら、厳しい時間帯である。怜王が眠ったのを確認し、4時半過ぎ僕も目を閉じ眠りについた。
 6時過ぎ目が覚めてしまったので、そのまま起床。幼稚園のお弁当作りを始めた。今日はハンバーグ弁当。タマネギにんじんを炒めさらに水を少量加え煮込んで水分を揮発させ、ひき肉に和えながら塩少々入れ練り込む。
 フライパンで焼こうと思っていると、怜王が眩しそうな顔をして起きて来た。りんごジュースが飲みたい、と言うの飲ませた。深夜から降り始めた雨は、朝になってもやむことはなかった。
 そういえば18日は朝から尼崎へ撮影に行き、帰宅したのが夜の10時過ぎ。昨日は怜王を幼稚園に送り出した後、17日に撮影した中村優一くんの画像(およそ150カット)の加工と18日に撮影した写真の画像(およそ260カット)の加工を行ったりでまる2日慌ただしく過ごした。
 そして26日締め切りで進行していた月刊カメラマンの撮影+原稿だが、さらに2本依頼が追加となったことで、昨夜怜王が眠ってから急ピッチで26日締め切りの原稿とキャプションを仕上げた。
 フリーで仕事を始めて、30年あまり。仕事が閑散とする時と集中する時が常に交差する状況は、変わっていない。とは言っても追加で来た撮影+原稿の仕事で使用する機材は26日前後に送られてくることになっているので、明日から1週間はその撮影は出来ない…。
 カメラのインプレッションや原稿を主に書いている写真ライター試写をせずとも原稿を先行して書けるようだがようだが、僕の場合使用機材で撮った写真が手元にないと文章を書く気になれない性分なのでのでこの1週間は自分のために時間を使うことにしようと思うが、そんな初日が雨とは…。
 怜王を妻が幼稚園バスのバス停まで送りに行ってから、原稿の推敲を数回行い画像データといっしょにモーターマガジン社IさんのDTPフォルダに送信。その後撮影に使用した機材をクロネコヤマト碑文谷店へ持ち込み発送完了。そして帰り道PnasonicのLUMIX”DMC-FX30”のアスペクト比16:9で、30カットほど撮影をして帰宅。
 ようやく雨が上がって明るくなって来た2時半過ぎ、妻に連れられ怜王が幼稚園から帰って来た。玄関に入るなり「だっこ…」と妻に言って、叱られ半べそをかいていた…。どうしたのか聞いてみると「○○ちゃんとけんかした… ○○ちゃんにいじめられた…」と言う。
 ○○ちゃんとは、同じクラスの女の子。押されたりしたくらいのことだろうが、怜王的にはされっぱなしで帰って来たようで悔しかったのかも知れない。僕が小学生低学年の頃、同じクラスの身体の大きなある女子に、廊下ですれ違いざまによく腕をつかまれ壁に投げ飛ばされたことがあるが、いくら投げ飛ばえされても相手が女子なので反撃出来なかった記憶があるので怜王も同じ感じなのであろう。
 ひとしきりぐずっていたがおやつを食べたりしているうちに忘れたようで、昨日レンタルビデオショップで借りて来た「ロボッツ(http://movies.foxjapan.com/robots/)」を見始めた。
 4時半外に出たがっている怜王をトーマスの自転車に乗せ、近隣散歩と東急ストアで小小異食材を購入し帰宅。怜王に「自転車に乗るのが楽しいのか、外に出るのが楽しいのか?」と聞いてみると、「そとにでるのがたのしい!」らしい。
 夜になって、Y出版社から撮影依頼のメールが入った。タレントの、山咲トオルさん(http://www.toguro.com/home.html)の撮影であるらしい。今月はタレント関係の撮影が、なぜか多い月である。
2009年02月20日(fri)  No.40

2月17日

 5時半過ぎ、「もうねむれない…」と言いながら、怜王が目を覚ました。怜王は昨日3時半から7時まで眠り起きてからゼリーやヨーグルトを食べ9時半に妻といっしょに眠ったので、トータル10時間以上の睡眠を取っているので「もうねむれない…」というのは正しい表現である。
 しかし9時半に寝てから5時半までの間四五回目を覚まし「かゆい せなかかいて…」を繰り返したので、僕らとしては睡眠が細切れで寝た気がしない…。窓越しに外を見るとまだまだ朝まだきで暗い…が、「もうねむれない…」と言うのでは仕方がない。しぶしぶ起床…。
 昨日山王病院でS先生に処方してもらったキプレス細流4mgやメプチンドライシロップ0.0005%などが効いているようで、多少鼻水は出たりしているが咳はほとんどしていない。本人も調子良さそうにしているので幼稚園に行かせても大丈夫のように思えるが、念のためもう一日休ませることにした。
 昼過ぎまで怜王を見ていたが相も変わらず「マダガスカル」を全編見て「おどるの すきすき おどるの すきすき みんなも すき !」などと歌いつつ、おにぎりを食べたりパンを食べたりと食欲もだいぶ戻って来ていた!
 昨日幼稚園に行く予定でお弁当に焼きおにぎりを作って入れておいたのだが、山王病院に行くことになって診察が終わった後薬待ちの時間にプレイルームでお弁当をと妻が持って行ったが咳が出ていて固形物がのどを通らなかったらしくほとんど食べてこなかった。
 そのこと気にしていたのか「あしたおべんとう やきおにぎりがいい」と言っていたが、明日の今日も休ませることにしたのでお昼にあげじゃこを和えた焼きおにぎりを作ってあげた。少し大きめに作ったのだが、半分くらい食べて「もうたべられない…」と言った。
 量が多かったのでそれでも良いよと言ってデザートにヨーグルトを食べさせると、今度は「これたべてもいい?」とパンを指差した。焼きおにぎりは、飽きただけのようだ…。
 2時過ぎモノブロックストロボなどを持ち、仕事に出掛ける。東横線で渋谷まで行き、銀座線に乗り換えとなり液の表参道下車。A2出口から地上に出てすぐのマクドナルドの前で待ち合わせと出口で見渡すと数ヶ月前まであったマクドナルドがなくなっていた…。
 マクドナルドとディズニーランドの業績は昨年良かったと待ち合わせをしていたY出版社Kさんが言っていたが、表参道店は今ひとつだったのだろうか?
 ほどなくKさんFPのOさんがやって来たので、徒歩10秒?ほどのワタナベエンターテイメントに行き中村優一くんのインタビュー撮影を開始した。中村くんはD-BOYSのメンバーであり(http://www.d-boys.com/index.php)、映画「シャカリキ(http://shakariki-movie.com/)」にも出演し人気を集めている若手俳優である。
 1時間半ほどのインタビューと、最後にポートレート撮影をして取材終了。現在21歳の中村くんは、とてもクレバーな好青年であった!
 5時半過ぎ帰宅。撮影して来たばかりのデータをMacに移し、フォルダに保存。数カット仕上がりの確認をして、明日のロケの準備を始めた。明日は今日と同じスタッフで、大阪の尼崎へ行くことになっているからである。
 夕飯を食べたあと、明日の待ち合わせ時間などについてネットで時間を計算していると「新幹線の指定券があるなら、東京駅からじゃなくて新横浜から乗った方が楽なんじゃない?」との妻の一言。
 確かにそうなのだ。しかし今まで事前に指定券を手渡されたことがなく、基本的に東京駅の銀の鈴あたりで待ち合わせをしてから新幹線に乗り込んでいたので新横浜から乗るなどと言うことは考えもしなかった。
 それではと時間を計算すると、東京駅の銀の鈴で待ち合わせの時間に30分遅く出ても新横浜であれば同じのぞみ019号に乗れる!近いにこしたことはない。さっそくFPのOさんに連絡を取り、明日新横浜から乗ることを告げたのである。
2009年02月17日(tue)  No.39

2月16日

 零時50分、「かゆい かゆい…」を連呼しながら怜王が目を覚ましお腹の辺りを盛んにかき始めた…。昨日は友人ふた家族+子どもがふたり、我が家の3人を加えると9名が六畳強の部屋に集まり夕方まで楽しく過ごしたのだが、その時誕生日が近いふたりに怜王も食べられるとアイスクリームケーキを購入したのだがその中にもしかしたらアレルゲンである「卵」がはっていたのかも知れないと調べてみると、購入した「スペース トリップ☆‘スヌーピー’の宇宙旅行(ホワイト)」には入っていなかった。
 6時過ぎに起きるまで、ゆがって目を覚ますこと5回…。かゆがる当人は可愛そうだが、僕らは怜王以上に起きている時間が長いので体調的に厳しいものが…。それに起きるころから盛んに咳を怜王がしていて、風邪をひいてしまったかもと心配になった。
 そんなわけで先週の土曜日に行く予定だった山王病院(アレルギー外来、小児科内科)へ、今日幼稚園を休ませて行かせることにした。
 9時半妻と怜王が山王病院へ出掛け、計算はすでに済んでいたがまだ書き上げていなかったが確定申告の用紙を広げ数字を書き込む作業を進め。11時過ぎ確定申告書を持って、祐天寺にある目黒税務署へ。
 祐天寺商店街を抜け駒沢通りに出ると、目黒税務署は目と鼻の先。中に入ると10名ほどの人が提出順を待っていた。これくらいの人数だと待ち時間は5分ほど。確定申告の初日の午前中は人数が少ないので、毎年このころに提出をしに行くようにしている。
 11時半過ぎ確定申告書を提出し、都立大学に戻った。そして用事があって目黒区西部地区住区サービス事業所に立ち寄り、12時前帰宅。昼食をとったあと、ここ数日撮った写真を整理したり。
 1時過ぎ、怜王と妻が帰って来た。アレルギーの検診の方はけっこうかいたりしていたのであまり成果は出せなかったが、咳の方は「アレルギー性の病気を起こす物質の働きを抑制し気管支喘息を治療する薬」の”キプレス細流4mg”、「気管支の緊張やケイレンを抑え、気管支内部を広げて咳や苦しい呼吸を和らげる」”メプチンドライシロップ0.0005%”と中耳に貯まった浸出液を排泄しやすくし中耳炎を治療、鼻の粘膜を修復し正常化、慢性副鼻腔炎の膿みを排出しやすくして痰を排出する」ムコダインDS 33.3%が混合された飲み薬をもらって来た。
 帰宅後まるで風邪などひいていないかのように絵を描いたりご飯を食べたり、はたまたミッキーのコスプレをしてきゃーきゃー言っていた怜王が、「おでかけしたい…」と言いつつぐずりはじめた…。外はだんだん寒くなって来たしなるべくなら外出はさせたくないと思っていろいろ説明をしていると「ねむりたくなった…」と言うので布団を敷いてあげた。
 するとおもむろにミッキーのぬいぐるみをおもちゃ箱から出して来ていっしょに布団に入ったかと思うと、モノの数秒で寝息が聞こえて来た。昨夜から今朝にかけて何度となく目を覚ましていたので、怜王も睡眠が足りないのである。
 時間を見ると、3時半過ぎ。眠る前にホットミルクを飲ませたら牛乳がなくなってしまったので、今朝食べ終わってしまったヨーグルトなどを購入しに東急ストアへ。外はかなり冷え込んで来ていた。
 帰ってからモノブロックストロボの発光テストや、カメラのバッテリーの充電等明日の仕事の準備をする。この発光テストをする時、必ず思い出す撮影がある。それは今まで唯一機材の不具合で冷や汗をかいたことがあって、それ以来機材はすべて2セット用意し撮影前の発光テストなどは執拗に行うようになった。
 それはどんな冷や汗ものかと言うと、20年ほど前映画監督の大林宣彦氏を自宅で撮影する仕事があって、大林邸でインタビューを先行してもらって機材をセットし始めたところ前日も使用したモノブロックストロボが発光不能になったことがあった。
 その時どこが悪かったのか分からないまま(自宅に戻りチェックして行くと、何と5メートルのシンクロコードが接触不良を起こしていた…)、天気が良かったので「外で撮影させたもらえませんか?」と監督に直談判しストロボでの撮影から屋外で撮影に転じた。その時編集者にも大林監督にも、ストロボが発光しないことは伏せ「天気が良いので外で」と臨機応変な状況判断をしたかのように経ち振る舞ったのだが、気づかれはしなかったものの何年経っても忘れられない僕にとって汚点的であり教訓的事件なのであった。
 辺りが暗くなった5時半過ぎ、怜王が目を覚ました。寝起きにジュースでもと思い「何か飲むかい?」と聞くとちょっと間をおいて「はぁい…」と答えたので起きてくるのかと思えば、布団に仰向けで横になりそのまま二度寝を…。
 7時少し前、怜王が爽やかに起きて来た。3時間半たっぷり眠って調子は良さそうで、咳もしていない!凄い回復力である。しかし食欲(固形物を口にしたくないのが気にかかるが…)はあるようでゼリーやヨーグルトをご飯のように食べ、明日幼稚園に行きたいと言いながら9時半過ぎに妻と寝室へ。
 僕は今週中に仕上げなければならない、月刊カメラマン誌Iさんから依頼された原稿(写真はすでに撮影済み)を書く準備をすすめた。そして書きたいこと、書かなくてはならないことの核が見えて来たところで身体中にだるさが出て来たので眠ることにした。
 時間を見ると10時半。普通に思えばかなり早い時間だが、昨日寝た時から今朝にかけての怜王の起きたり寝たりの繰り返しが今頃になって睡魔となって僕の身体にまとわりついて来たようだ。そろそろ眠ることにしよう。
2009年02月16日(mon)  No.38

2月13日

 6時過ぎ目を覚ました怜王が周囲を見渡して、「なんでこっちにねてるの?」と笑いながら言った。それは昨夜9時過ぎに眠った怜王は、11時を過ぎた頃突然立ち上がったかと思うと掛け布団を持った反対向きに眠ってそのままの状態でほとんど寝返りもうたずに爆睡していたからである。
 もう起きても良い時間だが、「もう少し寝ていて良いよ」と背中をさすったりしてあげると静数秒で寝息が聞こえて来た。
 僕はそのまま起床し、怜王のお弁当を作り始めた。6時半を過ぎた頃、トイレに行って帰ってくるとキッチンに怜王が起きて来ていて僕の顔を見ると、「おはよう!」と言った。その大人びたもの言いに、少々動揺しつつ…。
 9時10分過ぎ、妻に連れられ幼稚園バスの停留所に元気よく出掛けて行った。ドアが閉まった瞬間より襖貼りの準備にとりかかった。怜王お送りに行った妻が帰宅後、手伝ってもらいつつどうにか11時半過ぎ襖の張り替えを終了。 
 2時過ぎ、コダックフォトサロン「DRUG写真展」最終日の在廊と搬出に出掛けた。この時間は同人誌の名前を「DRUG」にしようと思った切っ掛けを作ってくれた三枝さん(http://www.asahi-net.or.jp/%7Ehd9f-segs/norm-top-page.htm)と仲間のカメラマンの菊地さんが来場すると言うので前提で、少々はやめに会場入りしたのだが、入り口から中を見ると大嶋さんの奥さんの豊田さん(http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/408.html)の姿が眼に留まった。
 2度も見に来てもらえたのだと一歩会場に入ると、大嶋さんのお母さんとDRUGの出版元のオフィスSのスタッフが4名も見に来てもらえてびっくり!
 さらにSさんとKさんが来てもらえたと同時に、ワークショップ写真学校森山大道教室の1期生瀧澤修さんが「今日は居ると思ってた!」と言いながら会場に!久しぶりに会えて嬉しく思った。
 4時を過ぎた頃よりDRUG写真展にも参加してもらえているワークショップ曽根塾の古賀無太郎さんにしつじさん(http://nishitsujinao.com/)をはじめ塾生の尾花さん小島ささん、DRUG創刊メンバーの大嶋さんなどが集まった。
 さらに5時過ぎにDRUG写真展を最初に「やりましょうよ!」と言ってくれたフォトグラファーの桶田くん(http://ameblo.jp/otphoto/)そして大嶋さん(http://packer.justblog.jp/blog/)6時過ぎに、千代田さん(http://d.hatena.ne.jp/Delvaux/)等が集まり搬出を開始し7時前に無事搬出完了!
 最後までのこって手伝ってくれた7名プラス、お散歩写真の仲間でもあるライさんを加え8名でお茶の水イタリアン「ナポリの下町食堂(http://www.giraud.co.jp/napori/index.html)」で打ち上げをし「DRUG写真展」を無事終了したのであった。
2009年02月13日(fri)  No.37

2月12日

 昨夜寝る前にきちんとおもちゃを片付けられた怜王だが、僕の布団を敷く襖側におもちゃを入れてある箱を一列に並べてしまったので敷き布団の1/5ほどがめくれ上がるようになって寝るスペースが少なくなってしまった。
 それでも部屋の諸事情?により敷き布団を移動させることが不可能だったのでそのまま眠ったのだが、真ん中の布団に寝ている怜王がじりじり寝ている間に僕の方に移動して来ていて気がつくと身体半分僕の布団に入っていた。
 時間を見ると5時50分でもう起きても良い時間だが、それにしても怜王の布団は大人のサイズ。その布団がカラで僕の布団にそれもおもちゃが並んでるので狭まっていて怜王が入ってさらに寝るスペースが減った状態はまるでツタンカーメンのよう…。仕方なく「起きようか?」と言うと、無言で布団から出てきっちんへ。一日の始まりである。
 ご飯を少し残した怜王は朝から快調にお絵描き帳に絵を描き8時過ぎにお風呂に入りとここまでいつもと変わらない時間経過であったが、妻がお風呂からなかなか出てこない…。お風呂の中からジャバジャバとお湯を流しているような音が聞こえていた。
 時間を見るとすでに9時…。いつもなら出掛ける支度をする時間で何かあったのだと思っていると、「お湯が流れない…なんで…」と言ってお風呂から出て来た。バスルームをのぞくと洗い場の排水溝周辺にお湯が流れずにあふれかけていた…。
 1昨年もこんなことがあって業者を呼んで過配水管を清掃してもらったのだがマンション自体古く、僕らの前に入っていた人がサーフィンをやっていたらしくボードをバスルームで洗ったりして砂を流し詰まったことがあったとマンションオーナーから聞いたことがあった。配水管も業者の清掃器具では届かない場所に、つまりが出て切ることも考えられる。
 そんなことがあって妻が怜王をバス停まで送るには支度の時間がなさ過ぎで…、急遽僕が怜王をバス停まで送ることに。
 9時10分過ぎ、怜王を連れて幼稚園バスのバス停へ向かう。いつもより少し早い時間に出たのだが、これはバス停に2番で到着するため。快調に歩きバス停まで到着。一瞬一番の理科と思って喜んだが、少し離れた場所ですでに△△ちゃんがお父さんに連れられて来ていた…。
 しかし離れた場所にいたのでひとまずバス停に近いところに着いた怜王が一番と言う感じで、ひとまず怜王は嬉しそうに走り回っていた。9時28分幼稚園バスが到着し怜王見送り帰宅。真っ先にバスルームに行くと、お湯はすべて流れていた。
 今日はともかく張り替えをしようと思っていた襖紙と配水管の洗浄液を購入し、早急に襖とバスルームを補修しなければと思った。
 10時過ぎ妻といっしょにダイエーへ、襖紙とパイプ洗浄液を見に行った。パイプ洗浄剤はすぐに決まったが襖紙の品数が少なく、なかなか決まらずそのまま帰宅…。しかし明日はコダックフォトさんへ3時半までに行くことになっていて、6時から搬出を手伝うことに。
 さらに明日は怜王を山王病院まで連れて行く(これを妻に変わってもらっても良いのだが)ことになっているので、遅くとも明日の午前中までに(日曜日に友人家族が二組遊びにくるので、出来ればそれまでに仕上げたい…)やりたいと思っているからである。
 昼食後妻が最初に言っていた「セイユー」へ行ってみることに。と言ってもセイユーはそれほど近くない。がバスで行くほど遠くないという記憶があったので、ひとまず目黒通り沿いを中根方面に向かってスナップしながら歩き始めた。今日はいつもの状態に戻って、RICOH GR DIGITALIIを首から下げて出たのである。
 さて歩いてみるとセイユーはことのほか遠く…、20分以上かかってしまった。だがしかし欲しかったモノが見つかり、それもダイエーより400円以上安かったのには驚いた。歩いたかいがあったと言うものだ。とはいえ帰りもそれだけの道筋を歩く気になれず、バスに乗った。停留所は3っつで料金210円。
 帰宅後しばらくして、怜王が妻に連れられ幼稚園から帰って来た。怜王が帰ってくると襖紙の張り替えをすることは不可能なので、ひとまず明日幼稚園に行ってからすぐに取りかかれるよう下準備をする。
 そして唯一足りなくなりそうな両面テープを購入しに出掛けたのだが、「きょうは おでかけしない」とシンクパッドに向かい何やら作業中?の怜王。
 帰りにレンタルビデオショップで、いつも見たそうにタイトルを口にしていた「AI」をレンタルして帰宅。早速見始めるが、人間そっくりのロボットの顔が上下に開くシーンを見て固まり…「こわい もうみない…」と言ってみるのをほぼ始まったばかりで拒否…。
 確かに怖いシーンだが、見ないと言うほど怖がるとは思わなかった。まだまだ早いのだろう。今だに「モンスターズインク」の「目玉のM」の”ロゴ”を怖がっているのだから…。
2009年02月12日(thu)  No.36

2月10日

 「こわいゆめ みちゃった…」と言いながら、怜王が目を覚ました。時間を見ると5時45分。いっしょに起きていろいろ聞き出してみると見た夢のことは口にしなかったが、幼稚園で同じクラスの男の子に「いじめられた…」と言うのである。
 4歳とはいえ気の合う合わないはあって、その子は入園当時から苦手な感じ。怜王はあまり詳しく幼稚園であったことなどを言わないのだが、それでも今日は誰々と遊んだと言うことは口にする。そのときその子の名前はほとんど口にせず、例えば風邪で休む児童が多いので「今日誰かお休みしていた?」と聞いたりしたときだけその子が休んでいれば名前を言うくらい。
 「いじめられた」と言っても担任の先生に聞くと、けっこう怜王もやり返したりしていると聞いているので話し半分というところだろう。ただ寝起きでそのことを思い出して、腹を立てているのである。
 ひとまず飲みたいものを聞くと「ぎゅうにゅう…」と言うので(本当は牛乳にカルピスを入れたのを飲みたいのだが、甘すぎるし1日に何もに飲みたいと言うので1日に1回幼稚園から帰って来た時に飲ませることにしたのである)コップに注ぎ飲ませると、気が落ち着いてきたようで、いつものようにお絵描き帳にを持ち出してバットマンやらスパイダーマンの絵を描き始めた。
 そして遊びがミニカーに移り寝室にトミカの道路を作ったりしていたのでさっきの絵はどこかと探してみると、お絵描き帳の上に一枚の絵が…。ウルトラマンか!?と思って聞いてみると、「ごーおんじゃー れっど」であるそうな…。
 9時10分過ぎ(いつもより5分ほど早い。これはいつも一番に到着している○○ちゃんより早くバス停に着くためなのである)元気く出掛けて行った。
 10時半過ぎ、月刊カメラマン編集部Iさんより依頼された仕事の撮影に出る。この仕事横位置写真1点縦位置写真1点と数量とタテヨコが決まっているので被写体をイメージしやすいので、撮影場所は歩きなれた神宮前5丁目周辺に決めまずは東横線で渋谷に出たのである。
 渋谷駅から明治通りに出て原宿交差点方面へ向かう途中、かなり魅惑的な被写体と遭遇。歩き始めて5分も経たないうちに、まずは1カット気に入った写真を撮ることが出来気分は爽快。そのまま神宮前5丁目界隈を歩き、原宿の交差点から竹下通りを抜けてJR原宿駅竹下口へ。
 そして山手線に乗り代々木で総武線に乗り換え、お茶の水駅下車。2週間開催しているDRUG写真展の折り返しまで来たので、ひとまず会場へ行き展示の状態入場者の様子などをうかがいにコダックフォトサロンへ。
 会場には中年の男女がいて、サロン中央のテーブルに置いてあるDRUGのページをさかんに見入っていた。あらためて全作品をじっくり見て回り、コダックフォトサロンをあとに水道橋方向へ歩き始めた。
 水道橋駅から神保町方向へ歩き、同じ日に写真展が始まった「リコーGR/GXシリーズを使うフォトジャーナリズム関係者の写真展」を見にギャラリー「メスタージャ(http://www.gallerymestalla.co.jp/)」へ。
 「メスタージャ」は小さなギャラリーであったが、なかなか展示作品が見やすく落ち着いた雰囲気が良い。1点ずつじっくり見て回っていると1点インパクトの強い作品が眼に留まった。モノトーン作品で、タイトルは「わたしのロダン」。作者名を見ると、細江英公氏であった。
 スナップをしつつ東京メトロ半蔵門線の神保町駅から乗り込み、撮影をスタートした渋谷まで。駅前のビックカメラで、iBook G4用にコードの短いカードリーダー(http://www2.elecom.co.jp/data-media/memory-rw/mr-c13/)を購入し帰宅。
 今日は妻と怜王は幼稚園の同じバス停から乗る人たちだけで○○ちゃんの家でお茶会?をするようで、バス停から直行で○○ちゃん宅へ向かうと言うことで妻とはタッチの差で入れ違いになった。
 帰宅後撮影して来たデータをMacに移し、フォルダに保存。そして目星をつけていた4点ほどのカットをセレクトし、画像コントロールをして保存。今回の仕事は締め切りに追われることなく、仕上げられそうだ。
 5時半過ぎ、怜王と妻が帰って来た。帰って来てすぐ夕飯を食べると思ってハンバーグを作っておいたのだが、怜王は「かれーがたべたい」と言った…。カレーは3日前に多めに作って食べさせ残った分を冷蔵庫に入れておいたのでレンジで温めて食べさせたが、栄養のバランスと種類の違うものを食べて欲しかったのでハンバーグを作ってみたのだが…思いどおりには行かないものである…。
 8時半過ぎ、DRUG創刊メンバーのOさんから「T書籍の話し、春には出版したいのでプロフィールとお散歩写真の時に撮った写真いくつか送ってくれないか」という電話が入った。先日「T書籍からお散歩写真の本を出す話しを進めている」と言われたのだが、実際半信半疑であたがそれが現実のこととして今現在進行しているのだと言う。どうも今年は今まで動かなかったことが、いっきに回転する年なのかも知れない…。
 9時少し前寝室に広げたおもちゃのお片づけをしていた怜王が、いつもよりすんなり出来て妻といっしょに寝たいなどと言ってふたりが布団に入った。幼稚園の話しが中心でなになにちゃんが可愛いとか今日も誰それとけんかしたとか話しているうちに、すーっと眠りに落ちて行った。
 やれやれと思っていると、眠る直前まで「おだいば」がどうのこうのと言っていた。明日は休日。お台場に行きたいのだろか?しかし行くと何か買わされるような気もするし…、どうしたものか…。
 そんなことを妻に言ってみると、「下北に行きたいなぁ…」と言う返事が。下北沢には「プレイモービル」のショップなどもありお台場同様何かを買わされる危険?があるが、僕自身下北は好きなので行っても良いかなと思ったり。天気はどうだろうか?
2009年02月10日(tue)  No.35

2月9日

 相変わらず早朝4時くらいから、数回「かゆい せなかかいて…」と言って目を覚ます怜王…。しかしかゆいかゆいと言って盛んにかいているのだが、身体に湿疹など見られず肌の状態は良好。身体の中からかゆみが出てしまうのだろう、昨日食べさせたもの飲ませたものを思い浮かべたり…。
 今朝はかなりの冷え込みで、いつもTシャツで寝ている僕として布団から出るのが少々辛く思えた。それでも怜王は5時50分過ぎに目を覚まし、「もうおきる」と言うのでしぶしぶ起床…。
 牛乳を飲ませ食前のアレルギーの薬インタールを飲ませ、しばらくおいて食べたいものを聞かずに海苔のおにぎりを食べさせた。何が食べたいのか聞いても、「たべない」と言われてしまう事が多いので、たまにはさっと食べられるおにぎりも良いので花と思ったのである。
 予想どおりおにぎりを完食し、ゼリーをデザートに食べると1月の新年会でKくんからもらったラリーカーのラジコンで遊び始めた。
 そして8時少し前、妻とお風呂に入って9時15分少し前、幼稚園バス停留所へ妻に連れられ元気よく出掛けて行った。
 怜王と妻が出掛けてから一昨日撮影をした競泳の種田恵さんと陸上の塚原直貴さんの写真をセレクトし加工を始め、10時半過ぎファイル転送サービスの「おくりん坊」にてFPのOさん宛に送信し無事納品完了。
 11時半過ぎ昨夜遅くDRUG8号12号の注文入っていて、今朝注文主からの振込を確認したので柿の木坂陸橋近くのセブンイレブンへメール便を出しに行く。そして昼食をとったあと、昨日ハンズで購入して来た木材をふすまのかけている部分と照らし合わせ組んで行く作業を続ける。
 もちろん木材の噛み合わせなど手の込んだ事はせず、やわらかい金属と両面テープ、それに妻に手伝ってもらっててぐすで組み上げた。そしてまずは裏から両面テープとノリを使用しどうにか紙を張り合わせる事が出来たのが2時過ぎ。妻は慌ただしく、怜王を幼稚園バス停留所まで迎えに行った。
 帰宅した怜王はおやつを食べたりジュースを飲んだりしたあと、「おでかけする」と言った。どこに行きたいのか聞いてみると「だいえーに きっくぼーどでいく」と言う。しかし1週間前に借りた映画のDVDの返却にダイエーとは正反対の都立大学近くのビデオショップに返しに行かなくてはならずどうしたものかと思っていると「おとうさんがでぃーぶいでぃーをかえしにいって れおくんとおかあさんがだいえーにいけばいいんじゃない」と言う。まさにその通りで、別行動にすることにした。今日の怜王は、なかなか切れが良い。
 6時少し前、NカメラのSさんより、先に送った原稿そのまま進めてもらえる旨メールが届いた。そして最後に「写真展も見に行きます!」と書かれてあった。嬉しいことである。
 7時少し前FPのOさんよりすでに放映は終わっているが人気のあった「仮面ライダー電王(http://www.tv-asahi.co.jp/den-o/)」で桜井侑斗/仮面ライダーゼロノス役だったの中村優一(http://blog.watanabepro.co.jp/nakamurayuichi/index.html)くんの撮影が17日予定で入った。
 FPと言えばすでに18日に兵庫県の尼崎ロケが決まっているので、先日の塚原さん種田さんの対談撮影から日は離れているが2月中の3連ちゃんとなった。機関誌と特別号が同じ月に集中したためこういうスケジュールになった訳だが、連日撮影でも数日おきの撮影でも月に一度の撮影でも仕事の流れと言う意味ではあまり変わりがないのがフリーのスタンス。
 だがしかし月刊カメラマンIさんからの仕事が、これらの仕事の日程に微妙にかぶっているのが気にかかるところ…。とはいえ締め切りまで2週間以上ある(機材の返却が24日までなので撮影は20日までを目安にしなければならないが、これほど長い撮影期間である仕事は最近稀である)ので、うまくコントロール出来るであろう。
 さて毎日怜王が寝る前の儀式としてあるのは、寝室に出し放題のおもちゃのお片づけ。8時半までにお片づけをしてねと言うと、「ゆうびんはいたつの しかくいかばん つくって」と言うので何をするのか分からなかったがひとまずお絵描き帳のページを2枚使ってPostmanのバッグを作成。中には「れおくんへ」と書いて「おかたづけよくできました おかあさんから きしりとーる もらってね!」と書いた手紙をポストマンのバッグに入れて手渡すと、手紙を出してひとも文字ずつ読んで書いてあることを知り嬉しそうに妻のところに行きキシリトールをもらっていた。
 お片づけが出来たことも、僕が作った「ゆうびんはいたつの しかくいかばん」も、その中にか書かれてあった手紙も読むことが出来とても達成感のあるような顔をしていたのが印象的であった。
 そして眠る時に枕元に僕が作った「ゆうびんはいたつの しかくいかばん」を置くと、9時少し前布団に入ったので背中を保湿剤をぬりながらさすってあげていると「もうかゆくない!」ときっぱりした口調で言い切り数秒後に眠りについた。…やるものである。
2009年02月09日(mon)  No.34

2月8日

 昨夜は9時ころに怜王が寝り10時半ころに妻が、そして僕が寝たのは12時過ぎ。最近良く眠ってくれる怜王だが、僕が眠った時間に関係なく怜王は起きるので、今朝ももう少し寝ていたいと思う5時半過ぎにかゆがって目を覚まし(いや、目を覚ましたからかゆいのかも…)僕の布団に潜り込んで腕やお腹をかき始めた…。
 そして6時前には「もうねない おきようよ…」と横になっている僕のお腹や腰あたりに自分の脚を乗せたりして起こそうとするのと、掛け布団をばさばさするので身体が寒くて寝てられないので渋々起床。5時間は眠ったので体調的には悪くはないが、不本意な目覚めでいまひとつ気分が低迷状態ののまま…キッチンへ移動。
 昨日どうよう朝ご飯を完食。そして「炎神戦隊ゴーオンジャー」の最終回を見、見終えた直後「おとうさん ごーおんじゃの おめん つくって」妻のベルトを腰に締め、そのベルトにラジコンのリモコンをさし「えんしんせんたい ごーおんじゃ! ぶらっく!!などと言いながら、なり切りポーズをとっていた。
 そしてひとしきりゴーオンジャーで遊んだあと、このところコツコツ日課のようにやっている絵を描き始めた。今日はどんなモノを題材にするのかなと思っていると、植物の絵を描き土も花の色も分かるように良い色つかいで描いていた。
 大分前からいつかやらなければと思っていた、ふすまの骨の修復を数日中にやろうと今朝決めた。と言うのは押し入れの襖(ふすま)のした30センチくらいまで、怜王がモノをぶつけたり脚で蹴ったりして骨が折れてしまい、襖紙もぼろぼろになっているのが見るに耐えない状態になっているからだ。
 このマンション築年数が結構経っていて、襖は一度も新しいものに変える事なく補修して使って来た様子が襖紙が破れたことで明らかに…。つまり古い木材である事とそれを補修してきたことで、強度が弱くなって来ているのでちょっとぶつかっただけでも折れてしまうのである。そんなわけで先日月刊カメラマン編集部から撮影用に届いた、コンパクトデジタルカメラを首から下げ、家族で渋谷の東急ハンズへ。
 東急ハンズに入り階段で木材売り場へ行こうとすると2階へ上がる階段の下で木材で工作する子ども向けの教室のようなものが開かれていてちょっとのぞいてみると、まさにふすまの骨組みと同じサイズの1メートルほどの木材を発見。2本ほど購入。
 ハンズの帰りに無印により生活雑貨を買い、渋谷駅へ向かった。
 来てしばらくおかしやジュースを飲む事に集中していた怜王は、突然お絵描き帳を出して来て何やら真剣に描いてた。そして描き終えると、「じどうしゃ れーすなんだよ このひとがはたをふるんだよ!」と言って一枚の絵を僕の前に。そこにはちゃんとセンターラインも描かれていて、”素晴らしい絵”だなぁと思うのであった。
2009年02月08日(sun)  No.33

2月7日

 昨夜7時眠った怜王は、予想以上に良く眠った。と言っても早朝4時に一度目を覚まし、「かゆい せなかかいて…」と言って僕の布団に潜り込んで来て10分ほどぐずったりした。それでも9時間眠っているので、怜王的には睡眠十分。
 僕はと言えば零時前には眠ったが、4時間で起こされてしまうとさすがに目が痛い…。それでも怜王を寝かしつけ次に怜王が目を覚ます5時40分過ぎまで眠れたので、まあまあというところか…。
 6時「もうおきたい…」と言う怜王の言葉でふたりで起きてキッチンへ。僕は不完全睡眠でもう少し眠っていたいが、11時間も眠った怜王は起きたくもなるだろう。
 起きて様子を見ていると、今朝はあまりかゆがっていない。そして「ふりかけで ごはんたべる」と食欲もあって、調子が良いようだ。こうして毎日のようにかゆがっている怜王の事を書いたりする訳だが、アレルギーは怜王の場合顔に出る事は稀でかかなければ腕も足も凄いスピードでつるつるになる。
 以前からふりかけを食べさせないようにしていたのは、どんな種類のふりかけにも胡麻が入っていたからだ。しかし食べさせてみても、胡麻が原因でかゆがっていることは考えにくい。
 それに今まで完全除去してきたお菓子などに少量入っているでん粉も、明らかにポテトチップスなどジャガイモで作られているものではない限り食べさせたりしてみたがそれも大丈夫そう!これで食べられるものが、大分広がるだろう。
 いつもより5分早い9時10分過ぎ、妻に連れられ幼稚園バス停留所へ元気に怜王は向かった。今日は土曜なので、お弁当なしで戻ってくるのは12時30分すぎ。それまで午後からの撮影の準備や、月刊カメラマンIさんより依頼された撮影の、構想練ったりした。
 12時40分、妻といっしょに怜王が帰って来た。まずは食前のアレルギーの薬、インタールを飲ませてからお昼ご飯を食べさせた。
 1時半モノブロックストロボ2灯ストロボの脚2本、それにデジタル機材を持ち仕事に出掛けた。東横線でとなりの自由が丘、さらに急行に乗り換え横浜駅下。都立大学からおよそ20分と、横浜は案外近いのである。
 東口改札から出てヨコハマプラザホテルのロビーへ入ろうとした瞬間、FPのOさんから携帯にメールが。何か変更でもあるのかなと思いつつメールを開くと、「6階の柏の間に行ってます」と言う。柏の間は今日の対談の撮影場所なのである。
 柏の間へ行くとOさんがテーブルの事を、ホテルの従業員にまるテーブルに換えてもらえるよう指示していた。そしてテーブルを運んで来て、位置を決めライティングをしてふたりを待った。
 最初に現れたのは種田恵さん。すらっと背が高く、控えめな感じ。そして次に塚原直貴さんがやって来たが、ウルフルズのトータスのような感じ(見方を変えれば、マツヤマケンイチのような雰囲気も)で、陸上をやっているアスリートとは思えない雰囲気があり面白いなと思った。
 3時スタートで対談形式で話しを進めてもらい撮影もそのペースで進めていたが、1時間と言う取材時間を倍以上経過した5時過ぎに対談は終了した。ふたりの話している事を聞きつつの撮影で最後にひとりずつポートレートを撮影したが、大風呂敷を広げず控えめではあったが4年後のオリンピックにかなり意欲(自身がありそうな感じ!)を見せていた種田さんの笑顔が印象的(ロンドンでメダルを狙ってくるのは必至!)であった。5時半過ぎ、横浜から東横線で都立大学へ向かった。
 帰宅後撮影したデータをひとまずMacに移し、フォルダに保存。撮影したカメラのコンパクトフラッシュのデータを消去せずにおいた。明日は日曜日でOさんの事務所もお休みなので、セレクトと画像調整は明日以降に行う事にして今日はゆっくりしようと思った。
 僕が仕事に行っている間怜王と妻は、祐天寺の児童園に行っていたと言う。いつもは渋谷の児童園に行くのだが、目新しいところを妻がネット検索で調べて場所を知って出掛けたのであろう。
 9時少し前「かゆい… せなかかいて…」というので、保湿剤を身体にぬって歯磨きをさせパジャマに着替えさせて布団に。そのまま寝てくれるだろうと思ったら、「かゆい… おとうさんせなかかいて…」というので、ともかく背中をさすってあげると数秒で眠ってしまった。
 「かゆい」とか「せなかかいて」とか連日耳にしている言葉でも、言われてみるとかけるところなら自分でかいたら…とも言いたくなり今日も「かゆいとか、背中かいてって言わないって言わなかったかな?」とひとこと怜王に言いはしたが、背中を数秒さすっただけで眠りに落ちるほど眠かったのかと怜王の気持ちがわからなかった自分に落胆…。
 考えてみれば僕がかえって来てから「眠いって言って、怒っていた」と児童園から帰って来た怜王が眠い事をアピールしていた事をあとで聞き、きっと本当に眠かったのだろうなと思った。そしてここ数日の怜王の言動行動を見て来て、寝る前に「かゆい せなかかいて」問いったらそれは「すこしだけ さすってくれたら ぼくはねむれるんだ」と怜王が言っているのだと思った。 10時半、珍しく「先に寝ますよ…」と言って妻が眠った。僕は日記も含めて今日中にしておかなければならないことがいくつかあったので、キッチンでiBook G4をずっと向かい合っていた。
 iBook G4に向かっている間凄まじスピードで時間が経過し、数分かと思ったらすでに11時半を回っていた…。明日は日曜日。今日撮影した写真のセレクトと画像調整もしなければならないし、カメラマン編集部Iさんからの仕事も進めなければならないのでそうそうゆったりしてもいられない。
 そう思っているとNカメラのSさんから、Nカメラ4月号の特集ページの全体像がpdfで送られて来た。校正も兼ねたpdfを何度も読み、他の人の原稿と写真にも目を通し「GOサイン(僕のページに関してだが)」を出した返信を送信。これでNカメラは無事終了ということで、月刊カメラマンIさんからの仕事に明日から取りかかることにしよう…。
2009年02月07日(sat)  No.32

2月6日

 昨日はDRUG写真展の搬入の1月30日から2日初日(13日6時まで開催してます)、そしてオープニングパーティーに二次会。さらに3日4日とNカメラの原稿書きと、連日気を張っていたので休息日に。
 そんな日の朝「ごーおんじゃ ぶらっく」を描いたと言うのでお絵描き帳をみると、超然と腕を広げる人物(眼がウルトラマンっぽい…)がいて指がちゃんと5本ある左手と右手には何やら妙な物体が…。何か聞いてみると「けいたい! これで たたかうんだ!」と言った…。
 さらにクジラのようなクルマ?の絵があって、それは「ごーおんじゃ ぶらっく かー」であるそうな…。そんなクルマあったかなぁと思ったが、ちゃんと黒い色をぬって眼のようなフロントガラスも描き込んでいるのでネット検索してみるとゴーオンジャー・ブラックを相棒とするパトカー型の炎神「炎神ガンバード(http://www.toei.co.jp/tv/goonger/infomation/index.html)」というのがあった…。
 携帯電話で戦うというのは面白い発想だな!と思ったが、もしかしたらこれも本当にあるのかと調べてみると「ゴーオンジャーの3人が使用する変身アイテム」が携帯のような形をしているらしい…。
 以前は顔と身体がいっしょになった絵であったが、最近はちゃんと身体も描くようになり明らかに上達しているのが見てとれる。それにしても、よく見ているものである。
 
 5時50分ころ、怜王が目を覚ましたのかもぞもぞ動き始めた。もぞもぞ動いていると言うのはどこかをかいている音なのだが、布団をすっぽりかぶっていたのでどこをかいているのか分からない。
 この時間に起きるのは少々辛いので、かゆみがおさまるのではと思いつつしばらく様子を見ていたが治まることなく僕の布団に潜り込んで来た…。そして「おとうさん ここかいて…」と脇の下あたりに僕の手を誘導…。仕方がないので、10分くらいさすってあげかゆみが治まったのか怜王はすっと布団から出た。そして「なにかのみたい」と言った。6時10分過ぎ起床。
 しっかり納豆ご飯を完食したあと、せっせとお絵描き帳に絵を描き始めた。スパイダーマンらしき絵を描いたあと、目を見張るような色使いの素晴らしい絵!それは「おやま と たいよう」であった。
 9時10分過ぎ、怜王は妻に連れられ元気に幼稚園バス停留所に向かった。9時半妻が帰ってしばらく僕はMacに向かい、10時少し前RICOH GR DIGITALIIを持ち久々にスナップに出た。
 六本木界隈から、青山を通り渋谷へ。このコース二週間くらい前にも歩いたのだが、どうも自然に六本木に足が向いてしまう…。風は冷たいが歩いていると身体が温まり、いくらでも歩けそうな感じ。結局スナップをしつつ、3時間ほど歩いて渋谷まで。
 2時過ぎに都立大学に戻り、銀行に寄って帰ろうと横断歩道で信号待ちをしていると後ろから妻が!セブンイレブンへ、メール便を出しに行ってたのだと言う。妻は買い物をしてから、怜王を幼稚園バス停留所でお迎えをしてから帰るというので僕は一足先に帰宅。
 2時半過ぎ、妻に連れられ怜王が幼稚園から帰って来た。そして目の前に来るやいなや、「じてんしゃで おでかけしたい」と言った。さすがに3時間歩いて帰って来たばかりなので少々休憩したいのだが、怜王にそう言われると弱く…仕方がない…。少しだけまっててくれたら出掛けられると言うと、朝同様お絵描き帳に絵を描き始めた。ものすごいスピードで描いた絵は「みっきー と みにーちゃん」である。ミッキーとミニーの絵を見たあと、でトーマスの自転車に乗させて近隣散歩に出た。
 帰宅後の怜王は4時半くらいに「なにかたべたい おなかすいた…」と言うので、ご飯を食べさせた。今日は「おなかがいたかったから おべんとうたべられなかった…」と言って焼きおにぎりをまるまる残して来た。食べていたのはゼリーとサツマイモをふかし砂糖をまぶしたデザートのみ。
 そんな調子で変な時間に夕飯を食べたので睡魔も早めにやって来て、7時には眠りについた。早く眠ると深夜変な時間に目を覚ましたりするのでせめて8時半くらいに寝て欲しいと思うのだが、眠いと言うのでは仕方がない。
 さて明日は土曜日だが、午後から横浜の「ヨコハマプラザホテル」で対談の撮影が入っている。対談をするのは陸上の塚原直貴選手(http://www.tbs.co.jp/olympic/athlete/japan_man_tsukahara/index.html)と競泳の種田恵選手(http://idolsukiotoko02.blog27.fc2.com/blog-entry-699.html)。どんな話しになるのか、楽しみである。
2009年02月06日(fri)  No.31

2月4日

 6時過ぎ怜王が目を覚まして、「なにかたべたい…」と言いながらキッチンへ…。怜王の「なにか」は、僕らに自分の好きなものを当てさせようとしている節もあるくらい微妙な物言いで、「たべたい」は「のみたい」に途中から変わることもあるので要注意!もう少し寝ていたいと思いつつも、いっしょにキッチンへ行きカルピスを飲ませた。
 昨日夕方くらいから妻が体調不良を訴えはじめ、夜6時を回った頃「インフルエンザだったらどうしよう…」と言いながら布団に入った。一昨日の疲れ(写真展のオープニングパーティーと二次会)も出ているようで、速効睡眠であった…。
 そんな妻は8時半ころ大量に汗をかいたようで起きて着替えをし、再び布団に入った。汗をかき始めるというのは治癒に向かっていると言うこと。そのまま寝かせておくことに。
 9時15分、怜王を連れて目黒通りぞいの幼稚園バスの停留所まで。怜王はいつも一番に尽きたいと言っていて少々足早に向かったのだが、お母さんと自転車でやって来たHちゃんが数秒先に到着…。
 怜王は「○○ちゃんのほうが はやかった…」と言うと、「ごめんねれおくん。自転車できたから、少し早くついちゃったね」とHちゃんのお母さん。ぼくも「ほとんど同時だから、○○ちゃんといっしょの1番だよ」の一言で納得したようで、笑顔が戻り元気に幼稚園バスに乗り込んで行った。怜王を送ったあと銀行と郵便局へ行き用事を済ませてから帰宅。
 キッチンで洗い物をしたりといった雑用を終わらせ、NカメラのSさんから依頼されている原稿の続きを書き始め11時半過ぎ脱稿。数回推敲をしたのち、1時過ぎに送信。
 1時半少し前、妻が目を覚ました。朝一度起きて来たものの、昨夜6時過ぎに眠ったので、睡眠時間は19時間半。熱を計らせると37度とほぼ平熱に戻っていた。
 2時15分幼稚園から帰ってくる怜王を迎えに、幼稚園バスの停留所へ。今日のお迎えは僕と○○ちゃん△△ちゃん□□ちゃんの4組だったが、□□ちゃんのお母さんが来ていなかった。園バスから降りて来た□□ちゃんは涙を流していていた…。
 どうしたのかなと思い○○ちゃんのお母さんに聞いてみると、「今日は家で預かりなの」だという。
 やはりお母さんに迎えに来て欲しかったのだろう、いつも明るく元気な□□ちゃんなだけに可愛そうな気がした…(あとで怜王にどうして□□ちゃんが泣いていたのか聞いてみると「すなばでころんで めにすながはいった」のだと言う。少々想像力を高め過ぎたようだ…)。
 3時過ぎ先日レンタルビデオ店で借りた「トムとジェリー」のDVDの返却を兼ねて、「おでかけ」をしたいと言う怜王を連れて散歩に出た。もちろんトーマスの自転車に、怜王は乗って行くのである。
 クルマや人通りの少ない住宅街の道を選んで都立大学駅まで大回りで行き、レンタルビデオ店でDVDを返却。そして東急ストアで、夕飯の買い物をして帰宅した。
 帰宅後7泊でレンタルしていた「ライラの冒険 黄金の羅針盤(http://lyra.gyao.jp/)」を怜王が早く見たいと言うので、キッチンの妻のMacのモニターで見ることに。だがしかし怜王的には今ひとつ面白くないようで、あっちに行ったりこっちに来たり…。子どもが主役とはいえ、大人が見て楽しめる映画。怜王には、少々難しかったかな…。
 そんな怜王は夕飯のあとなぜかせっせと押し入れから3人分の布団を出し、ひとりで敷き布団を敷き掛け布団を出して寝る準備を始めた。こんなに小さくても、何でも出来るのだなと感心した。
 そして自分から率先して「おくすりのむ」と言うので”アレジオン(http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se44/se4490014.html)”と”アイピーディー・ドライシロップ(http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=9460)”を飲ませた。
 薬を飲み終えると「はを みがく」と今日はかなり良い子(少し前に悪さをして少々叱られているので、精一杯良い子を演じているような…)な感じで、7時過ぎ今何時なのか執拗に僕に聞き時間を言うと「みんな もうねむった?」と幼稚園のともだちのことを気にしつつ数分後珍しくひとりで眠りについたのである。
2009年02月04日(wed)  No.30

2月2日

 昨日怜王はどんなものを口にしただろうか…と思うほど、8時過ぎに眠ったあと零時過ぎ、1時過ぎ、2時、2時半過ぎ、さらに3時半…そして4時過ぎに僕の布団に潜り込んで来て「かゆい…」を連呼した。
 その都度保湿剤をぬってあげたりさすってあげたりで、いつも以上に寝起きの回数が多く熟睡出来ないまま6時になり布団に入っていられ起床した…。怜王もかゆがりながら起きて来た。2月2日「DRUG写真展(http://wwwjp.kodak.com/JP/ja/professional/photoSalon/2009/p20090202.shtml)」初日は、睡眠不足で始まった。
 6時過ぎにいっしょに起床した怜王は、しばらく「かゆいかゆい…」と首筋あたりを盛んにかいていた。「かいちゃダメ」と言えば言うほどかいてしまうのであまり言わないようにしたいのだが、額や耳の裏と言った顔の部分をかき始めるとついつい「かかないで!」と言ってしまう。
 まあ言ってしまってもひとしきりかかないと気持ち的におさまらないと言うこともあって、かいたりかかなかったりしつつどうにか7時を回った頃いろんなことを話し始めた。7時半、朝ご飯もヨーグルトもしっかり完食。怜王は寝不足ではないようだ…。9時15分妻に連れられ、元気よく幼稚園バス乗り場へ向かった。
 さて今日は「DRUG写真展」初日で1日在廊予定であったが、荒川下流工事事務所の雑誌ARAの表紙撮影が12時から入っているためフォトサロンには3時過ぎころにならないと行けないのが残念なところ。
 それでもオープニングパーティに遠方からやってくる同人の中のMさんが、オープンから1日詰めてくれると言う連絡をもらっているので気分的には楽である。遅くなる旨コダックフォトサロンのYさんには伝えてあるが、DRUG全冊の届けが予定よりずれて今日のひる頃になることをメールで知らせ10時20分過ぎデジタル機材を持ってJR川口駅改札に向かった。
 11時半川口駅改札口前で、ARA編集部のOさんと合流しタクシーで川口市立原町小学校へ。H校長先生に挨拶をし荒川の土手で、73名の1年生を撮影。怜王もあと2年で、こんなに大きくなるのだなと思いつつ…。
 川口駅前でOさんと昼食をとり、3時帰宅。妻と怜王といっしょにコダックフォトサロンへ向かう。
 東横線で中目黒。日比谷線に乗り換え霞ヶ関下車で、さらに丸ノ内線に乗り換えお茶の水へ。コダックフォトサロンへ行くと数名の到着していた。怜王はと言えばワークショップ曽根塾を仕切ってもらえていてDRUG写真展にも参加しているKさんにだっこしてもらったり、お世話になっているコダックのKさんYさんにプレゼントを渡したりと楽しそうにしていた。
 まずはチーズ料理のケータリングをお願いしていた0さんと打ち合わせをし、写真展参加者から会費を徴収したのちオープニングパーティーで挨拶をするまでが「DRUG写真展」を仕掛けた僕の仕事。
 オープニングパーティーには遠方より写真展参加者に来てもらえ、招待をした人たちも予想外に多く来てもらえ和やかな雰囲気のまま無事終了。そして神保町の「メスタージャ(http://blog.livedoor.jp/scanners_photo/archives/51476316.html)」 で今日から写真展「リコーGR/GXシリーズを使うフォトジャーナリズム関係者の写真展」を開催しているIさんたちの二次会と合流(途中スパイダーマンの等身大の人形がある場所に怜王を連れて行き、記念写真を撮った。怜王は大喜びであった)。
 メスタージャの二次会には予想を超えた人たちが集まっていて、僕らの方のメンバーが全員は入れずKさんの配慮で別々に二次会を行うことになってしまったことが唯一心残りとなった…。
2009年02月02日(mon)  No.29

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