ys diary
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2009年01月31日(sat)
2009年01月30日(fri)
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1月31日

 6時50分ころ、「もうあさ?」と、いつの間にか僕の布団に潜り込んでいた怜王が言った。そして「ごーおんじゃ はじまる?」と言うのでゴーオンジャ日曜日だから明日だよと伝えると、「じゃなにがはじまるの?」と言う声を聞いた妻が「ミッキーだよ」と言ってテレビのスイッチを入れた。
 7時半まできっちりテレビでディズニーのミッキーを見て終わると、「なっとうごはんが たべたい」と言う。いっしょに起きてからお米をといで15分ほど浸してから釜で炊き始めたのでまだご飯が出来ていない…。
 そういえば「よせ豆腐」があったなと、怜王が大好きな豆腐を冷蔵庫から出そうとした時に冷凍だが「焼きおにぎり」があること思い出しレンジで温めて出してみると、美味しそうに一気に平らげふたつの器を見せて「ほら!」と全部食べたことを誇らしげにアピールした。
 食後1時間ほどして再びキッチンにやって来て、「ふりかけで ごはんたべたい」と言った。小さな焼きおにぎりだったのでおなかが空いたのだろう、ゴーオンジャの「サケ」ふりかけを食べさせた。
 1月の最後の日の今朝は、”春一番?”と思ったほど凄まじい風が吹いていた。窓ガラスが揺れるほどの強風が吹き荒れていた。春一番がこれほど早く吹くとは考えられないがもしかしたらと思いネット検索してみると、春一番が例年吹く時期は「立春の2月4日あたりからから春分の日の3月20日」の間に吹くとのデータが。
 立春には4日ほどある訳だが今年の冬は例年より暖かい気がするし、地球温暖化であることを考えれば春一番が例年より数日早くても不思議はない。が天気予報で話題になっていないので、単なる強よい風だったようだ…。
 さて「DRUG写真展」の搬入も終了たことで、本腰を入れてNカメラの原稿を書こうと思うのだがその都度「おとうさん」と声をかけてきてあれが出来ないこれがどうの」とつっかかって(妻曰く、「甘えてる」)来て気持ちを集中させることが出来ない。
 昼過ぎしかたがないので山王病院に行くまで今日返却予定の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を再度見るが、ピアノのルーベン・ゴンザレスがソシアルクラブで弾くシーン(バレーや体操をやる子どもたちの映像が重なり、さらにはルーベンのピアノに素直に反応する子どもたちの素直さとリズム感が眩しい!)は本当に美しくヴェンダーズもこのシーンはカメラをまわしながら感動したに違いないなどと勝手に想像したり。
 2時過ぎ、怜王を連れ3人で青山の山王病院へ。予約は3時半で今日は珍しく早めに家を出て、2時過ぎには到着。20分以上早くついてしまったなと思っていると、「そねさーん それれいおうさーん」と看護士から名前を呼ばれた。どうやらふたりくらいキャンセルがあったようだ。すぐにS先生の診察を受ける。
 3時12分に診察終了。あとは詳報してもらった薬を待つばかりとなった。とても順調に来ていてこれは早ければ4時前には山王病院を出られると思っていると、薬剤師から「プロペトが欠品してまして、ご自宅にまだあるでしょうか?」と聞かれた。プロペトは塗り薬なのだがまだあったと思うのでなくても良い旨伝えると「申し訳ありません。本来ならS先生が処方したすべてのお薬をお渡ししたいのですが、今回はそうさせていただきます」と言って調剤室に戻って行った。
 それから15分ほど経過した時、薬を運ぶ業者がやって来て、お茶缶ほどのビンを薬の受け渡し受付に届けに来て、「プロペトです」とひとビンだけ置いて帰って行った。プロペト届いたのだと思いつつ待つこと30分、「そねれいおうさん、大変お待たせしました。すべてそろいましたので」と薬剤師から薬を受け取る。
 都立大学駅前のレンタルビデオ店により3日前に借りたDVDを返却し、怜王が見たいと言う「ライアンを探せ!(http://wdshe.jp/disney/special/ryan/index.jsp)」をレンタル。そして東急ストアで夕飯の買い物をして帰宅すると、すでに5時半を回っていた。病院へ行くと、半日つぶれてしまうのである。
 帰宅後キッチンのテーブルにiBook G4を置き、「ライアンを探せ」を怜王といっしょに見る。「マダガスカル」と同系列にあるような感じだが、キャラクターの描き方はこちらの方がリアル。怜王がいると、目先が(自分から見ようとしない世界?)が広がるようで楽しいのである。
2009年01月31日(sat)  No.28

1月30日

 あと1時間寝てくれたらと思う5時過ぎ、怜王がかゆがって目を覚ましぐずり始めた…。毎日朝はこんな状態になるのだが、「かゆい… かゆい… せなかかいて… あたまかいて…」と言われては放っておく訳にも行かず背中をさすってあげたり保湿剤をぬってあげたり。
 生協で取り寄せたヘルシースナック「Caカルシウムせん」というおせんべいの成分の中の、「貝カルシウム」が少々気にかかるが…。10分くらいで眠りについてくれた。がいつもそうなのだが、この時間に目を覚まされると、二度寝が出来なくなってしまい僕はしばらく布団の中で目をつぶり時間が経過するのを待った。…6時になったのは憶えていたが、目を覚ますと6時40分を回っていた。少しは眠れたようだ。
 起床して、まずは怜王のお弁当を作りはじめた。すると7時を過ぎた頃、怜王が目を覚ましキッチンにやって来た。今日の寝起きはかなり良いようで、起きてしばらくすると「なっとうごはん たべる」と珍しく食欲があることをアピール!早速納豆ご飯を作り、食べさせた。
 朝食後の怜王は寝室にトミカの道路を敷き詰めダイヤブロックで街のようなものを作って合体させ、左下に宇宙船のような飛行物体と上の方にスパイダーマン。怜王曰く、「まだがすかる の まち(多分ニューヨークのつもり?)」なのだと言う。
 毎朝こんな感じで幼稚園から帰って来て遊んでいるような勢いなのだが、そろそろバス停へと言うころ「とい だよ」と言ってお絵描き帳をを持って来た。確かに黄色い文字で「トイ(イが傾いているのが可愛い)」と書いてある。
 「トイ?って、おもちゃって言う意味だよ」というと「おもちゃ… これ といすとーりー なんだよ」と言った。そしてお絵描き帳にさらに左側に赤と緑の「らいとせーばー」を描き右の方に「トイストーリー」の「ト」の字をタテに2回練習(傾かずに書こうと言う意欲がある!)しているかと思えば、その下に「口」を書いたのでなんだろうと思って聞いてみると「トトロ」であると言う。
 さらにそのトトロの側に鉛筆で何か書かれていたのでこれは何かと聞くと「STAR WARS 」と書いたと言う。このところ文字を書く意欲が高まって来ているようだ。むむ、なかなかやるものだ!9時15分、長靴を履き傘を持って妻と怜王が幼稚園のバス停に向かった。
 日中Nカメラの原稿を書き進めようと思ったが、昨日見ている途中で怜王に中断されてしまったヴィム・ヴェンダーズの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(http://www.pbs.org/buenavista/musicians/bios.html)」が気になって仕方がなく書くのをやめてiBook G4で昨日止めたところから再生することに。
 音楽も映像もキューバの街も出てくる人々もすべて素晴らしく、胸が締め付けられるような懐かしい友人にあったような何ともいえない感情が心を揺さぶる。この映画の発端ともなったライ・クーダも、空気のように「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーととけ込み素晴らしい。 
 そして映画の途中くらいまで名前が分からずにいた若い白人のミュージシャンが、何とライクーダの息子のヨアキム・クーダー Joachim Cooder であることが分かりさらにヒートアップ。一気に最後まで見る。
 2時半過ぎ、怜王が妻に連れられ幼稚園から帰って来た。いつものようにお菓子を食べ牛乳カルピスを飲み、そして朝と同じように何やら絵を描き始めた。そしてハサミを持ち出し描いた絵を切っているのでどうして切っているのかそっとのぞいてみると、何とハサミで足が動かせるように切っていた。そしてその絵は、「ばっとまん」なのだという。また新しい遊びを見つけたようだ!
 4時過ぎ妻がキッチンに設置したMacG4で、キルスティン・ダンストの「マリー・アントワネット」を見始めた。怜王は妻の膝の上にちゃっかり乗って、いっしょに見ていた。 5時搬入のため自主制作したネームプレートと挨拶文を持ち、コダックフォトサロンへ向かう。東横線で中目黒まで行き、日比谷線丸ノ内線を乗り継ぎお茶の水へ。フォトサロンまではおよそ徒歩7分。
 6時少し前に到着すると、すでにIさんCさんSさんが到着していた。さらにO君Nさんとそろい、6時半過ぎより搬入と展示作業にフレームマンのスタッフと開始。作品の傾向とサイズ、それにカラー作品かモノクロ作品かを念頭に入れ、大筋で展示順をイメージしていたので順番はスムーズに進んだが、作品のサイズも展示方法も様々な18名ということでフィニッシュまで2時間半を費やした。
 すべてが終わり皆とそれぞれ作品を見て回ったが、バラバラに見えた18名の作品がうまく構成出来たのだろうとてもまとまりのあるものに見えて来た。これで僕がやるべきことのすべてが終了した、そう思ったのである。
 昨年4月の作品の審査から、およそ10ヶ月。無事ここまでたどり着け、正直ほっとした。コダックフォトサロンを出て、水道橋駅方面から帰る人お茶の水方面から帰る人に別れそれ帰路についた。
 帰りの電車の中でどっと来るだろうと思っていたら、昼間見た「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のミュージシャンや街の風景がなぜか脳裏を駆け巡っていた。ヴェンダーズの映像と音が、脳裏に焼き付いてしまったようだ。明日返却する前に、もう一度見ようそう思った。
2009年01月30日(fri)  No.27

1月29日

 昨夜6時過ぎに眠り8時頃に一度目を覚ましてかゆがった怜王は、朝7時過ぎに起きてくるまでに数えられないくらい目を覚ましてかゆがった…。昨日幼稚園の友達の家に呼ばれ、女の子4人対男の子ひとりがどうやら怜王的にはきつかったようだ。
 怜王がきつい(思いどおりにならなかったり、自分をおさえたりした時に夜泣きをすることが多い…)と、いっしょに寝ている僕らも細切れ睡眠できついのである…。
 起きて来た怜王は、「きょう ようちえん おやすみする…」とぽつり…。そうとう昨日のことを気にしているなと思ったが、これ以上気持ちを煽らないよう「休んでも良いけど、休むとS組のお友だちと遊べないよ」と言うとそれ以上「おやすみする…」とは言わなかった。
 朝はパンとヨーグルトを食べ、8時過ぎに妻といっしょにお風呂に入った。しかし長湯の怜王はなかなか上がろうとせず、妻に叱られ半べそを書いて8時半ころお風呂から出て来た。さっと保湿剤(まだ濡れているくらいの時にぬるのが良いらしい)をぬり服を着せた。
 そして「きょう ようちえん おやすみする…」はどこへやら、元気いっぱいで幼稚園バスのバス停へ妻といっしょに向かった。
 さて今日はシトロエンのジャベルへ行き来月のジャベルHPトップ写真用にSM(http://www.javel.co.jp/sm.html)を撮影することになっているのだが、天候が思わしくないので当初予定していたお台場の某公園での撮影は微妙になって来た。
 もし雨が降り始めたら確実にダメになるので、それなら最初からカットを決め込んでジャベルの車庫前の建物の壁を背景に撮ることに決めた。
 東横線で隣駅の自由が丘乗り換えで大井町線に乗り旗の台で池上線に乗り換え戸越銀座下車。案の定雨がぱらついて来た。これ以上降らないことを祈りつつ、戸越銀座商店街を中原街道方向に7分ほ歩き中原街道を渡りジャベルへ。2階の事務所へ行きTさんに撮影場所の変更を伝え、車庫へ向かった。
 そして決めていた壁越しにSMを移動させてもらい、真横からのカットを10分ほどで撮影完了。事務所に戻り、コーヒーを飲みつつしばし雑談してからジャベルをあとに。
 2時22分ころ都立大学の東急ストアを抜けたあたりで、怜王が乗って帰ってくる幼稚園バスを発見。帰ってくる時間がちょうど怜王が帰ってくる頃だと思って、僕が迎えに行くと言わなくて良かったと思った。それはバスは見かけたがその場所からバス停までどう見ても2分くらいはかかる場所。走ってバス停まで行っても間に合うかどうか微妙な時間(どんな事情があれ親がバス停に迎えに来れなかった場合、園児はおろされずそのまま幼稚園に戻されてしまうのである)だったからである。
 怜王と妻より5分ほど先に家につき、怜王のおやつや飲み物を用意して迎えた。帰って来た怜王は「あっ、おとうさんいた!」と嬉しそうであった。
 おやつやジュース類を飲むと、「おでかけしたい…」とぐずり始めた。どこんも家出もそうなのだろうなと思いつつ、「だいえー」と怜王が言ったのでそう毎日ダイエーに行きたくもないのでレンタルビデオショップへ行くのはどうかというと怜王も妻も「行く」と言うことで、怜王は自転車ではなく本人の自己申告でキックボードで3人でレンタルビデオショップへ。
 出る前から怜王は「これがみたい」とディズニーの「ブラザー・ベア(http://wdshe.jp/disney/special/brotherbear2/)」」を指定してたのでそれを借り、妻はキルスティン・ダンストの「マリー・アントワネット(http://www.ma-movie.jp/)」、僕はヴィム・ヴェンダーズの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(http://www.vap.co.jp/buena/)」を選びビデオショップ店を出た。
 帰宅後早速怜王は「ブラザー・ベア」を見始めたが、どうも想像していたのとは違っていたようで途中から見ることをやめひとり遊びを始めた…。しかし僕と妻にはとても面白く、最後のシーンで感動のあまり涙が出そうになったり(僕だけ)も…。
 夕飯は怜王が「ぱすたがたべたい」と言うので、牛乳に昆布だしと塩を入れうす上げのみじん切りを煮込みスープパスタにして食べさせた。少々多めに作って出したのだが、あとふた口で完食というところで「もうたべられないて…」ということで夕飯終了。よく食べたと思う。
 僕らも夕飯を食べ、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をiBook G4で見ようと思っていると、幼稚園にいつも持って行っている水筒が怜王のてから滑り落ち僕の素足の右中指に落下…。信じられないよ言うな痛みが走り数分悶絶…。
 右薬指はみるみる熱を持ち、心臓の鼓動のようにズキンズキンと痛み出した…。もしかしたら台に関節あたりにひびが入ったかも知れない、そんな痛みであった。
 怜王からしてみると水筒があたったくらいで「どうしてそんなにおとうさんは、苦しそうにしているのだろう」そんなくらいにしか思えないようであっけらかんとしてる。しかし痛いものは痛いので苦虫をつぶしたような顔をしていると、怜王はいつもなら片付けないおもちゃ類を珍しく自発的に片づけし始めた。
 そしてすべて片付け終わると誇らしそうに「ほらみて!」と寝室を僕に見せに来たが、僕の右足薬指の痛みは沈静化しないまま怜王はこれまた自発的に歯を磨きとっとと布団に潜り込み8時半前には眠ってしまった。
 現在右て親指の付け根あたりにひびが入っているような痛み(これはある日不用意にカメラバッグを持とうとして親指だけで持ってしまった時からの痛み…)が昨年末からずっと続いてて、何だか骨粗鬆症かも…と少々意気消沈。
 あばら骨もそうだが指も治療のしようがないので、出来る限り動かさないようにして自然治癒を待つのみ。明日は「DRUG写真展」の搬入日。右足薬指はクツを履いているので問題ないが、右手親指は微妙にダメージを受けることになるかも…。気をつけなければ…。
2009年01月29日(thu)  No.26

1月28日

 昨夜いつものように6時くらいからお片づけをして欲しいなと僕らに言われて、どうにか8時過ぎに無事自力で、それもとても奇麗にきっちり片付け歯を磨いて凄いスピードで布団に潜り込んだ。
 そしてすぐ眠るのかと思ったら習慣なのだろう、「かゆい せなかかゆい…」と言って僕に背中をかいて欲しそうにしていたので「いままでかゆくなかったんだから、目をつぶってみたら眠れると思うよ」と言ってるうちに眠りに落ちていった…。その時間5秒ほど…。怜王はまだまだ、神の領域にいるようである。
 そんな昨夜零時直前、突然目を覚ましかゆがってぐずり始めた。10分くらいぐずぐず言った後「といれ…」と言うのでトイレまでいっしょに行き出てくるのを待って、いっしょに寝室に戻った。
 しばらく寝付けないようで背中をさすってあげたりすると、小さな声で「○○○ちゃん…」と幼稚園の同じクラスの女の子の名前を口にしそのまま静かな眠りに落ちて行った…。
 さて今日の怜王はどうも眠りが浅いようで、2時くらいにかゆがって目を覚ました。目を覚ましたと言うのは正確な表現ではないかもしれないが、ともかく「かゆい」と言うのでせなかに保湿剤をぬってあげつつさすったりしているうちに眠りについた。
 2度目を覚まされてしまうと僕の方が眠れなくなって、怜王と妻の寝息を延々と聞きながらいろんなことが脳裏をかすめて行った…。そしてまだ眠れないでいる…そう思っているうちに眠てしまったようだが5時過ぎくらいに、「○○くんあずかりなんだよ…」とまるで起きている時のようにはっきりした口調で寝言を言った。
 「あずかり」と言うのは「預かり」のこと。いわゆる延長保育のことで、皆が帰ったあとも園庭などで遊びながら迎えに来てもらうのを待つこと。最初のうちは預かりは嫌なことで「れおくんは あずかりしない」と言っていた、長い時間遊べる楽しいことであると最近思って来たようである。寝言を言ったあと少しだけ寝返りをうったが、目を覚ますことなく眠りについた。
 6時半過ぎ起床。昨夜から仕込んでおいたハンバーグをフライパンで焼いていると、怜王が目を覚ましてキッチンへやって来た。そして第一声、「あずかりしたい…」と言った。
 しかしそう簡単に預かりをしてもらえる訳ではなく、1時間300円のチケットを預ける以前に購入しておかなくてはならないので今日の今日と言うのは不可能。それにしても、毎日いろんなことがあるものである…。
 例によって朝ご飯は「たべない…」と言うので牛乳やりんごジュースでひとまずやり過ごしていたが、妻とお風呂に入る8時過ぎ「おなかすいた… なにかたべたい…」と言うのでのり巻きを作って食べさせた。
 9時15分元気に幼稚園バス乗り場へ。妻はそのあしで、原宿で行われるコムサのバーゲンに行くと言って出掛けて行った。朝起きてから怜王を幼稚園に行かせるまでのおよそ2時間半あまりは、毎日戦争のような慌ただしさなのである。
 ようやくおだやかな時間がやって来たが、洗濯をしつつシャワーを浴び生協が届けて来た食材類を玄関前から部屋の中に入れ冷蔵庫に移したり洗濯物を干したりしているうちにあっという間に11時。
 昨日から撮影(日本カメラ用に)に出ようと思っていたが、朝快晴であった空に雲が広がりたいようが遮られて来ていた…。原稿はもちろん書き下ろしをするわけだが、写真も出来る限り撮りおろそうと思っていたがかなり微妙な気配…。
 ネットで週間天気予報を見ると今日明日がかろうじて「晴れのち曇り」で、明後日から数日雨の予報が…。それを見て計らずしも一瞬にして写欲を逸してしまったので…、ともかく今日は写真を撮ることではなく原稿を書くことに集中しようと予定を急遽変更。
 キッチンのテーブルにiBook G4を乗せ、ジャベルのTさんに来月のHPトップ写真の撮影を明日の午後1時過ぎから行いたい旨メールを入れてから原稿書き始めた。
 12時半ベランダに光が射し込んで来たので、カメラを持って散歩がてら自宅周辺をスナップしに。が外に出て5分も経たないうちに陽が陰ってしまったので都立大学駅前で引き返し、以前から気にかかっていた携帯電話の充電器(USB接続)を購入しに100円ショプへ。帰宅後早速iBook G4のUSBに接続し充電を始めるが、場所をとらずになかなか良い感じ。これで100円はお買い得である。
 2時半過ぎ、バーゲン帰りの妻に連れられて怜王が幼稚園から帰って来た。怜王はお弁当箱開いて中を見せた。するとハンバーグは奇麗に食べていたがご飯が半分くらい残されていて、あれ…と思っていると、「あんかけがご飯に染みていて、そこが美味しくなかったみたい」と妻が言った。
 「あんかけ」というのは醤油ベースに酢と砂糖で甘辛くしコーンスターチでとろみをつけたのだが、確かにあんかけがご飯に染みていたかも知れない…。さて明日は何を作ってあげようか…。
 そうこうしているうちに、「Kちゃんのお母さんから、遊びにこないって言われたので!」と言って出掛けて行った。怜王もKちゃんのうちに行くのが嬉しくてしょうがないようでかなり興奮していてテンションが上がり過ぎて少々怖い感じ…。Kちゃんとは同じバス停から幼稚園に通っている女の子で、我が家から最も近いところ(大人の足で3分くらい)に住んでいる怜王のおともだちなのである。
 妻と怜王がいない間原稿を書き進めていたが、「起承転結」の「承」に入ったところで言い回しがどうもしっくりせずにパズルのように言葉を置き換え思案しているうちにまったく先に進まなくなってしまった…。
 こんな時は書き出しである「起」の部分の、完成度が今ひとつである可能性が高い…。だがしかしそれを制御する意欲が今日の自分にはなく、Macに向かいつつ気がつくともう部屋は暗く5時半を回っていた。
 6時少し前、妻と怜王が帰って来た。子どもたちは子どもたち、お母さんたちはお母さんたち(5家族)でかなり親睦を深めて来た?ようだ。
 帰って来てからの怜王は作っておいたカレーを完食し6時過ぎには「ねむい…」と言って眠ったが、8時過ぎに目を覚ましひとしきりぐずって再び眠った。この時間から朝までアバウトに時間を割り出しても10時間。どう考えても、3回くらいは目を覚ます計算である…。どうなることやら。
2009年01月28日(wed)  No.25

1月26日

 6時過ぎ「せなかかゆい… せなかかいて…」と言う、怜王の声で目が覚めた。背中をさすってあげつつ、そろそろ起きてお弁当を作らなければと思っているとそのまま怜王は二度寝を…。
 起こさないようそっと布団を出てキッチンに行き、「やきおにぎり!」と昨日お弁当の中身を怜王が指定していたので注文どうり焼きおにぎり(いつもより柔らかくにぎり、醤油に少々昆布だしを加えぬって焼いた)を作る。
 焼きおにぎりを冷ますために小皿に移していると、怜王が「えんまだいおうと めだまのえむが ゆめにでてきた…」と半べそをかきながら起きて来た。
 最近片付けるのが面倒になるくらい玩具を部屋いっぱいに広げることが多くなり、寝る前など「そろそろお片づけしないと…」と怜王に言っても「うん」と言いながら30分経っても1時間経っても2時間経過しても一向に片付けないことがあるときなど「閻魔大王が来るよ!」と僕らが言っているからである。それに「目玉のM」は「モンスターズインク」のロゴマークで、相変わらず怖いようだ。
 朝食はご飯ものを欲しがらず、シリアル…。デザートにヨーグルトで食べ終わると元気にひとり遊びを始め、8時過ぎ妻とお風呂に入り9時15分幼稚園バス乗り場へ向かった。
 ふたりが出掛けてからキッチンのiBook G4を前に、昨日原稿依頼のあったNカメラの特集の構想を練り始めた。締め切りは1週間+2日の2月4日で少々時間はあるが、DRUG写真展が2日からありさらに2日は午前中から午後にかけてARAの表紙撮影が入っているので締め切り日まで何かと慌ただしくなることは必至。早めに、めどをつけておかなくてはならないだろう。
 2時半過ぎ、元気よく怜王が幼稚園から帰って来た。そして着替えもしないまま慌ただしくリラックマのお弁当箱を開け、「ほーら!」と完食したことをアピール。柔らかくにぎった焼きおにぎりは、美味しかったようだ。
 牛乳カルピスを飲みおやつのお菓子を食べ終えた3時過ぎ、妻といっしょに学芸大学の知り合いのパン屋さん「M-SIZE」へトーマスの自転車で(片道15分ほどとはいえ、自転車のあとを歩いて行くのはなかなか辛い…)出掛けていった。
 5時半頃ふたりが帰って来た。怜王は小さめのコンビニの袋を僕に差し出し、「りんごじゅーす かってきました!」とちょっと大人ぶった口調で嬉しそうに言った。
 怜王は外でいろいろ食べて来たようで、夕飯はあまり食べなかった。そして例によって寝室いっぱいにおもちゃを広げ、眠る直前まで遊び続け最後は自分で片付けられないまま「ねむい…」のひとことで僕らが片付けをすることに…。
 幼稚園でめいっぱい動いて来て、帰って来てから自転車でパン屋さん公園と走り回り帰って来ているので体力消耗していることは間違いない。しかし疲れたと感じるより遊びたい気持ちが終戦していて、ピークまで遊んで突然疲れ(眠気)がやってくると言うパターン。
 今日のところは疲れて眠くて当たり前ということで、妻の作戦(早い時間に寝かせること)成功といったところであろう。8時半過ぎ、怜王はしあわせそうな顔をして眠った。
 
2009年01月26日(mon)  No.24

1月25日

 6時50分起床。朝食の準備をしながらメールチェックをしていると、怜王が目を覚ましてキッチンへやって来た。今日は日曜日。「炎神戦隊ゴーオンジャ」が始まる10分前に起きてくるなど、なかなか鋭い。怜王の朝食は「こーんふれーく」で、小皿にシリアルを入れ牛乳をたっぷり入れてあげた。
 怜王がテレビを見終わってから、いつもは見ない(というよりほとんど見ないのだが…)テレビのワイドショーを見た。それはオバマ大統領の就任映像を、ほとんど見ていなかったからである。どんなことを就任演説で語ったのか、就任演説の時観衆がどんな反応と表情をしていたか見ておこうと思ったからである。
 そう言えば昨日何度作ってあげてもバラバラにしてしまっているレゴを、作れる年齢になるまでしない約束を怜王をとしてしまった。怜王が欲しいと言って買ってあげたり妹の子Yちゃんからもらったレゴも、どれも6才から8才くらいから作れるとされるものばかり。
 怜王にはどう見ても2年以上早いものだったのである。もちろん設計図を見て平面的なものはどうにかそれらしく作れても立体になると急に壁が出来て手が止まって、そのうち作れないことにいらいらし始め怒ったりしはじめるのを見ていてやっと年齢に合わない難しすぎるものを与えてしまっていたことに気がついたのである。
 この話しを持ち出したとき怜王はいやがると思ったが、案外納得したようで「しょうがくせいになったら つくれるんだよね」「それまで しまっておくんだよね」と言っていた。
 こうしてそのとき納得したように見えても本当はそれが”自分にとって嫌だったり””我慢している”ことだったりすると夜泣きをするのだが、昨夜はまったくそうした様子はなかったのでしまうことを本当に納得して承諾してくれたのだと嬉しく思った。
 そんな怜王がミッキーの耳を付けて「おとうさん」と言って来たかと思うと、クリスマスの時に活躍したいわゆるくつしたをなぜか必至にはこうとしていて、何ともその姿がけなげで可笑しくそーっと一枚シャッターを切る。
 そして久々にプラレールで遊び始めたのを切っ掛けに、数日前からあげようと用意していた写真にコメントを付け”fragment”にアップ(http://ys-ode.net/board/tboard008.cgi?)する。
 そしてコダックフォトサロンで開催する「DRUG写真展」の作品の前に掲げる「挨拶文」を、A3サイズでプリンター出力をした。Macのモニターで何度か推敲を重ねていたが、一枚出力しレイアウトの微調整をと思って分を見ると数カ所訂正しなければならない箇所が…。やはり文字は紙に印字してみないと、仕上がりが見えてこないようだ。
 普通紙で試し出力をして確度を高めたあと、買い物がてら家族でダイエーに行き7階LABI(旧ヤマダ電機)でA3のインクジェットプリンター用・光沢紙を購入。帰宅後出力をし、無事挨拶文「DRUG写真展に寄せて」出力完了。これで写真展に関して、僕がやるべきことはこれですべて終えたことになる!
 夕飯を食べたあと、NカメラSさんより仕事依頼のメールが。締め切りがかなり接近して履いたが、企画内容が面白そうだったので引き受けることに。
 さて明日から、DRUG写真展まで1週間となった。僕個人としては10年前に個展をした切り自分自身のために写真展を仕掛けていないが、今回のグループ展はある意味僕に取って重要なターニングポイントとなるような気がしている。
 それは詩を書きたいと思いはじめたことと写真を撮りたいと思う気持ちが、自分の気持ちの中で良いバランスで共存しているように思えるからだ。怜王が生まれてから4年。妻とほぼ同じくらいに子育てに参加して来て、良いことも悪いこともいろいろ見て来ているがマイナスにつながることが子育てにおいてまったくないことに僕のこの4年間があるように、僕に取って大事な時間が目の前まで来ているように思えた。
2009年01月25日(sun)  No.23

1月23日

 6時20分に目が覚めた。ここ数日の疲れがたまった昨夜、怜王を9時過ぎに寝かしつけたと1時間ほどiBook G4に向かってメールの返信などを書いていたのだが睡魔に教われ10時半に眠った。途中時間は分からない(多分零時ころ…)が怜王が布団から出て座り込んで腕をかいていたので背中をさすったりしてあげると、まるで眠っていたかのように数秒で眠りについた。
 それからずっと眠ってくれ、僕が起きてから20分ほどして起きて来た。これくらい寝てくれると、ほんとに助かるし怜王自身も調子が良いように思えた。
 が微妙に咳をして起きて来て、「ここがいたい…」とのどを指差していた。幼稚園の同じクラスの子たは、昨日現在怜王によると7名ほど風邪で休んでいるようだ。ということは怜王もうつっていて、風邪のひきはじめかも知れない。今日は金曜日なので幼稚園から帰ったあと咳をしたりだるそうにしていたら、かかりつけのS内科へ連れて行かなくてはならないだろう。
 朝ご飯も喉が痛いせいか最初は「たべない…」と言っていたが、食パンに練乳をぬって食べたらとすすめると「うん」と言うので小皿に食パンを1/2に切りさらに3等分して食べやすいようにしてから練乳をぬってあげると美味しそうにぺろりと平らげた。
 9時15分妻が怜王を連れて幼稚園バス乗り場へ向かったあと、僕はおもむろにMacの前に座り昨日撮影した「はるな愛(http://www.avexnet.or.jp/haruna-ai/index.html)」さんの写真の加工を始めた。
 昨日撮影の150カットから35カットに昨夜あら絞りをしていて、今朝になって15カットまで絞り込み画像コントロールをし10時過ぎ画像調整完了。15カットの画像データを入れたフォルダのアーカイブを作成し、「おくりん坊」でY出版社NYさんに送信。納品完了。昨日からずっと降っていた雨も、10時を過ぎた頃より回復に向かいつつあるようで太陽が見え隠れして来た。
 昼を過ぎてから朝幼稚園に行く直前まで作っていた、レゴの続き(まだまだひとり)を作ってあげようとしばらく集中しオリジナルの要塞?のようなものをどうにか怜王が帰ってくるまでに作りあげた。
 2時半過ぎ、怜王は妻に連れられご機嫌な状態で帰って来た。そしてキッチンのテーブルに載せておいた要塞を見て「うぉー すごーい!」と言ったので「お父さんのオリジナルだよ」と言うと「えー?」というので「特別なやつだよ」と言うと嬉しそうな顔をして「お・り・じ・な・る」と復誦し大喜びであった。
 夕方3人でダイエーへ。帰宅後しばらくしてから、ARA編集部OさんよりARAの表紙撮影の日程が知らされた。…よりに寄ってその日でなくても…と言った感じであったが引き受けることに。それはDRUG写真展初日11時半JR川口駅待ち合わせで、12時頃撮影というスケジュールだったからである。
 まさか2日に撮影が入るとは思ってもいなかったので、高をくくっていた自分も悪い。しかし写真展初日はオープンから在廊と思っていただけに、残念である。
 さて朝咳き込んでいた怜王の状態が気にかかっていたが、幼稚園から帰って来てから様子を見ていたのだがとりたてて咳をすることも喉が痛いとも言わなかったのでインフルエンザではないと思う。
 幼稚園ではたくさん風邪をひいてお休みをしている子どもたちがたくさんいる訳だが、今日1月23日で怜王は生まれてから4年と2ヶ月を経過していて、これまでにちょっと熱が出たくらいのことで数回休日診療所などに言ったことはあるが心配するような病気もせず、怜王はアレルギーこそは持っているものの内蔵も強いし体力的な抵抗力もかなりあるのではと思う。
 怜王が夕飯(納豆チャーハンを作ってみた)を食べたあと、なにげに「You Tube」で奥田民生が再結成したユニコーンの「WAO(http://jp.youtube.com/watch?v=fHcPX6SKGO0)」を見ていると(さびよりもイントロが凄く良く、音が聞こえてくると踊りたくなるくらい気持ちのよい音なのである!)、怜王が急にやって来て音に会わせて踊り始めた。音的にもすぐにコピー出来そうだったギターを持って来て弾き始めると、怜王は自分のキーボード(玩具だけど音は正確)を持って来て僕がひいている横で演奏(適当だリズム感があるので、それなりに良い感じ?)を始めた。
 嬉しい感覚!これはレゴをいっしょに作ると言った感じではなく、いっしょに音を出している。つまり”バンド感覚だな”と感じて3回「WAO」のPVを再生し、僕もコード進行を把握出来たので映像無しでもしばらく怜王とセッションをした。
 怜王が音が好きなのは生後4ヶ月くらいから感じていたが、今日の一件はことのほか嬉しい出来事であった。
2009年01月23日(fri)  No.22

1月21日

 2時半に目を覚まし背中をさすったりしながら3時頃自分の布団で寝庭た怜王が、突然イノシシのようの頭から僕の布団に突入して来て横を向いてパタリと眠った。起きていたの寝ていたのか分からない神懸かり的な行動…。
 そのことがあって完全に目が覚めてしまった僕は怜王がしっかり寝ているのを確かめ6時半起床し、まずは怜王のお弁当作りを始め前日からといて置いたお米が入っている釜に火をつけタイマーを15分に設定した。
 そういえば3時頃から少し寝付けずにそのうち深い眠りに落ちたと思ったら、カメラが盗難に合う夢を立て続けに数回見た…。嫌な夢であった…。
 ご飯が炊きあがった頃怜王が目を覚まし、極めて機嫌良く起きてキッチンにやって来た。夜中ぐずったりした時は必ずと言っていいほど目覚めが良いのはなぜだろうか…。
 今朝の怜王は何が食べたいかという質問に「やきおにぎり」とはっきり答え、数日続いた朝ご飯「たべない」病?はひとまず今日で一時停止。お風呂もちゃんと入り、9時15分妻に連れられ元気に幼稚園バス乗り場に向かった。
 妻は怜王を送ったあと目黒キャンパス内の図書館へ寄ってくると言うので、その間を利用し昨日撮影しセレクトをした写真の加工を行った。結果2カット削除しさらに凝縮したセレクトとし、CD-Rに焼いてメール便で送る準備を済ませた。
 妻が帰って来て折り返しのように11時過ぎ、柿の木坂陸橋近くのセブンイレブンへ行きメール便速達でタムロン大宮本社Uさん宛に送付手続き完了。
 2時半過ぎ、妻に連れられ怜王が元気に帰って来た。しばらく怜王と幼稚園で何があったなどを聞いたりし、「写真展の準備でOさんとYさんと会うから、お父さんはお出掛けするよ」と怜王に説明をすると「おしごと かめらもってゆくの?」と言う。「そうだよ」と返事をして何事もなく(昨日大泣きされたので…)出掛けることができた。
 4時スポットフォトサロンへOさんYさんと行き、プリントを受け取ったあと有楽町駅へ行き料両国へ向かった。
 フレームマンはキヤノンサロンで開催した写真展「breath」の時に額装でお世話になっていはいたが、会社に行くのは始めて。道行く人に「吉良邸跡はどこですか?」と聞きつつ到着。フレームマン(http://www.frameman.co.jp)は、旧 本所松坂町 吉良邸敷地内に建てられているのである。
 Nさんに額装の指示をそれぞれ出し、無事発注完了!これで30日の搬入日を待つのみとなった。フレームマンをあとに両国駅側の居酒屋に入り、プチ打ち上げをして帰宅。怜王は気持ち良さそうに眠っていた。
 寝る前にメールをチェックすると、写真展のタイトルの変更したい旨のメールが一通。まだひとりタイトルが決まっていない人がいるので、ネームプレートはそろってから制作することにして眠ることに。
2009年01月21日(wed)  No.21

1月20日

 5時29分、携帯のアラームが鳴る1分前に目が覚めた。怜王も妻もぐっすり寝ているので起こさないようそっと布団を出て、さっと朝ご飯を食べてと思っていると怜王が目を覚ましてキッチンにやって来た。
 「明日は朝早くから仕事に行くからね」と僕が言っていたことちゃんと聞いていたのであろう、何やらいつもと違う目覚めで顔がすでに半べそをかいていた…。もうこのまま起きてしまうのかも知れないと思ったが「まだ朝早いからもう少し寝ていて良いんだよ」と言うが頑として言うことを聞かないので牛乳カルピスを飲ませ朝ご飯を食べることより怜王のお弁当を作ることにした。
 お弁当を作っている間も微妙にそわそわしていて、「あたまが かゆい」「せなかが かゆい」「おとうさん かいて…」と言う。時間は刻々と経ち、6時半を過ぎた頃ようやく布団に入らせ背中をさすって寝かしつけた。これでそっと出て行けると思ったら数分後「かゆい かゆい おとうさん あたまかいて…」とぐずり始めた…。
 そしてあと5分で部屋を出なければと言う時間になると、布団から出て来て地団駄を踏んで僕を行かせまいと大泣きを…。仕事に出掛ける前に大泣きをされたのは2才くらいまでで、このところずっと玄関まで来て「ばいばい」などと言って見送ってくれていたので正直真剣に僕を引き止める怜王の態度に驚いた。
 それでも時間はやって来て「おとうさんが いい」「だっこ…」「わーっ…」と言うので飴をひとつなめさせ、玄関で機材を持つ前に少しだけだっこしてあげ外に出た。外に出ても怜王の泣き声が聞こえていて、久々”うしろ髪を引かれつつ”の出発となった…。
 東横線で中目黒まで行き、日比谷線に乗り換えとなり駅の恵比寿下車。JR埼京線通勤快速川越行きに乗り大宮へ。東口からタクシーに乗り、タムロン本社に到着。予定より15分ほど早くつくことが出来た。
 受付でCSRのUさんを呼んでもらい、会議室へ。タムロンの代表取締役社長のインタビューカットと、ポートレートの撮影をするようになって今年で4年目。タムロン側のスタッフもほとんど変わりなく、撮影も順調過ぎるくらい順調に進められ予定の1時間を遥かに短縮し35分でアップ。さらに本社前で、CSR推進室のスタッフを撮影して終了。
 時間を見ると、9時50分。10時過ぎにタムロン本社からタクシーに乗って、JR大宮駅到着。埼京線に乗り都立大学に到着したのが11時過ぎ。1日を有効に使えたような気がして、気分が良い。
 帰宅後撮影して来たデータをMacに移し、フォルダに保存。さらにキッチンのiBook G4にも同様に移し、フォルダに保存。こうして2台のMacに分けて保存しておけば、安心(安全策でもある)なのである。
 怜王が帰って来るまでの間に、iBook G4で写真をセレクト。さらに少しでも気になる部分があるカットを捨て密度を高めセレクト完了。明日は午後からスポットに行き、その足でOさんYさんの3人で両国のフレームマンに額装に行く予定なので、午前中画像の加工をし、CD-Rに焼いてタムロンのUさん宛に発送するだけとなった。
 2時半過ぎ妻に連れられ怜王が帰って来た。朝の大泣きはどこへやら。上機嫌でぴょんぴょんはねながら上がって来て、ジャケットを脱ぎ手を洗うと幼稚園の制服の短パンとブラウス(その上にセーターのベストも着たまま…)を脱がずに牛乳カルピスを飲みお菓子を頬張っていた。
 怜王がラジコンのフェラーリに夢中になっている間、DRUG写真展参加者へ作品のタイトルを付けてもらいたい旨伝えたメールの返信その他(ネームプレート作成など…)に追われる。
 3時半過ぎ、怜王が「おでかけしたい」というので、インクジェットプリンターのインクが一色(ライトマゼンタ…)なくなってしまったのでそれを購入がてらトーマスの自転車に怜王を乗せダイエーへ。
 帰宅後に妻に聞けば、怜王は僕が仕事に出掛けたあと8時半まで寝ていたらしい…。つまり睡眠時間たっぷりで、元気そのものなのである。僕はと言えば昨夜1時半くらいに怜王が目を覚ましたり、5時半に起きる少し前に目を覚ましたりして細切れな睡眠で微妙に疲れが取れずに今ひとつな体調…。
 夕飯を食べ引き続き快調に遊びつつけた怜王は、9時半過ぎ「ねる…」と言ったので布団を敷いた。そして「ひとりで眠れる?」と聞くと首を振って、「ひとりじゃやくて おとうさんといっしょにねる」「ひとりじゃせかなかけない…」と言うので朝も早かったことで横になり背中をさすりつついっしょに眠ったのである。
 だがしかし2時半頃「かゆいかゆい…」と言いながら目を覚ました。いくら早く寝ても、この時間に目を覚まされると辛い…。20分ほどで寝てくれたが、妻と怜王の寝息を聞いていると何だか眠れなくなり、ひたすら目を閉じたまま覚醒しながら横になっていたのである…。
2009年01月20日(tue)  No.20

1月19日

 深夜2時半過ぎ「かゆい…」と言いながら、怜王が目を覚ました。昨日Kくん宅で新年会をやりそのときチョコレートや新潟名物の「へぎそば」、さらにお稲荷さん(胡麻が入っていたらしい…)などを食べていたのでその中の何かがアレルゲン反応を起こしたのかも知れない。
 お稲荷さんに胡麻が入っていたのは不覚ながら食べていても分からなかった…が、そばのつなぎが「へぎそば」の場合海藻と聞いているので大丈夫だと思うが…。
 そばアレルギーの人たちも世の中にはたくさんいるが、幸せなことに怜王にとってそば自体はアレルゲンではない。が純粋にそば粉と水で作られていて、つなぎにでん粉や卵白などが使われていなければの話し…。
 30分ほどかゆがっていたがどうにかおさまり、3時頃静かな寝息が聞こえて来た。僕も猫のようにまるまって、眠った。
 …まだくらいが何時だろうか…、怜王が再びかゆがって目を覚まし枕元に座り込んでいた。布団に寝かせ掛け布団をかけて背中をさすってあげるがいっこうにかゆみがおさまらないようなので、キッチンへ行き牛乳を飲ませどうにか説得し再び布団に寝かしつける。時計をみると5時半過ぎ…。あまりに微妙な時間帯でそのまま起きてしまおうかと思ったが、深夜に一度怜王が起きたことで、からだがまだまだ睡眠を欲しがっていて僕も横になり眠りについた。
 6時半過ぎ、怜王が僕の側で寝ていたので起こさないようそっと布団を出た。そしてお弁当(ハンバーグがいいと言うので、昨日からタマネギ、にんじんなど炒め豚ミンチに入れハンバーグの形にふたつ作っておいたものを焼いた)を作り始め、しばらくすると怜王も起きて来た。
 今朝の怜王は練乳をぬった食パンと飲むヨーグルトで朝食を無事?すませ、そそくさとフェラーリのラジコンで遊び始めた。
 そしていつもなら8時過ぎにお風呂に入るのだが、「いまつくっているところだから…」と積み木を指差しいっこうに入ろうとしない…。困ったが幼稚園に行く前に無理強いしても気分が悪くなるだろうから、ひとまず自分から入ると言わないなら今朝のお風呂はやめにしても良いと思った。
 けっきょく9時になるまで延々積み木に夢中になっていたのでお風呂はやめにして幼稚園の制服を着せ、9時15分過ぎ妻に幼稚園バス乗り場まで連れて行ってもらった。一度朝のお風呂をやめにし夜に切り替えたことがあったが、もう一度夜入れるようにしてみようと思った。
 11時妻が用事があって銀座に行き、ついでに松屋で開催されている「くまのがっこう絵本原画展(http://www.matsuya.com/ginza/topics/090119e_kuma/index.html)」を見に行くと言って出掛けた。チケットを見ると今日までの開催で、滑込みセーフである(帰って来た妻に聞いたところ、諸事情があり見ることが出来なかったとか…)。
 僕はといえば明日午前の早い時間から大宮本社で撮影が決まっている、株式会社タムロンの代表取締役のポートレート撮影の準備と機材のチェックをした。
 2時半過ぎ、妻に連れられ怜王が帰って来た。帰ってくるなり、「おじゃまします」とおどけた。どこかで聞いたギャグのような気がしないでもないが、笑わせてもらった!
 手を洗い着替えも中途半端なまま…、牛乳カルピスを飲みお菓子を頬張ると昨日Kくんにもらったラジコンのフェラーリで遊び始めた。それもタイヤを外しホイールだけにして、畳の上をドリフトさせているではないか!素晴らしいドライビング・テクニック(滑っているだけで、本当にカウンターを当ててドリフトしている訳ではない)である。
 帰って来てから凄い勢いで遊び続けた怜王は4時半頃より「ねる…」と言うので妻が布団を敷いて寝かせようとしたが怜王は何だか楽しそうにげらげら笑ってなかなか寝ようとしなかったが、4時45分フェラーリとリモコンを枕元に置くと仰向けて眠りについた。だがしかしあまりに早すぎる睡眠で、このあと何時に目を覚ますのか気にかかる…。そんなことを考えていたら、1時間半後の6時過ぎに起きて来た。
 夕飯を食べ普通に遊んで9時過ぎに眠ったが、明日朝が早い僕も眠ることに。だがしかし早い時間に一度寝た怜王は、深夜1時過ぎに目を覚まししばらくかゆがっていた。夕方同じ種類のお菓子をたくさん食べたからかも…。
 ようやく1時半過ぎ眠ってくれたが、朝起きる時間は5時半で、7時前には仕事に出なければならない。このあと起きなければ良いが…。
2009年01月19日(mon)  No.19

1月18日

 6時50分目が覚めた。深夜雨が降っているような気配を感じたが、目黒通りを走るクルマの音に雨は感じられなかった。
 7時過ぎ、怜王が目を覚まして起きていた。「かゆいかゆい」と言ったりしているものの気分は良いようで、朝ご飯のパンも普通に食べていた。7時半毎週日曜日楽しみに見ている、「炎神戦隊ゴーオンジャ」をで見せる。
 見終わった怜王は何を思ったか、プラレールが入った大きな袋を寝室まで持って来てレールをつなぎあわせ始めた。本来なら平面を走るように出来ているプラレールを、積み木などを使って立体につなげたり。なかなか賢い作業である。
 朝食後、妻はまめ料理?をこつこつ作り始めた。今日は多摩川近くに住むKくん宅で新年会があり、3家族が手料理を持って集まることになっているからだ。この新年会怜王も楽しみにしている。それはSさんの長女Hちゃんが同じ歳で、何度もいっしょに遊んだことがあるからである。
 KくんとSさんはKという玩具メーカーに勤めていて、Kくんは営業Sくんはデザイナーである。Kくんとの付き合いは僕が25才くらいの頃からで、すでに30年ほど。年齢も違う訳だが接点は音で、ライブにも良くいっしょに行ったし飲み友達でもある。10時少し前、怜王を家族で出掛けることに。
 東横線で渋谷に出て、井の頭線に乗り明大前乗り換え京王線で調布。途中来るはずであったHちゃんが熱を出してしまい残念ながらSさんとHちゃんが来れないとの知らせ…。それを怜王に言うと、ちょっと寂しそうな顔をしてしばらく不機嫌な顔をしていた…。「Hちゃん病気だからしょうがないね。でも弟のTくんがお母さんと一緒に来るから男同士遊べばいいじゃない」と言うと返事はしなかったが、機嫌はまあまあな状態に。
 さらに橋本行きに乗り換え、となり駅の京王多摩川駅下車。降りてからKくん携帯に連絡を入れようと試みるが、電話口に出るのは不機嫌そうなおばさんの声…。Kくんが3年前新潟に転勤して昨年戻ってくるまで携帯のメールだけで連絡をしあっていて、直接電話をかけたことがなかった。あとでKくんに聞いてみたら、「それ古い番号だよ…」とさらっと流されてしまた…。
 ともかくKくん宅に行くと、すでにSさんの奥さんのMとTくんが来ていた。Tくんは1年前まだ生後5ヶ月くらいでどこから見ても”赤ちゃん”だったが、1才4ヶ月になって歩くことも自分で食べることも出来るようになっていて驚いた。
 Tくんは怜王が持って来たバットモービルをずいぶん気に入ってようで、ずっと手にして遊んでいた。怜王はと言えばKくんからのプレゼントのリモコンで動くフェラーリに夢中になって相当嬉しそうであった!
 それに今日熱を出してくることが出来なかったHちゃんにはコスプレのドレス2着(シンデレラなど)をプレゼントを用意するなど、まだ子どものいないKくんはさながらサンタクロースのよう。怜王もちょっとだけお兄さんぶりを発揮して、Tくんといっしょに遊んだり。
 Hちゃんは来れなかったがそのことで弟のTくん的には自分に皆の注目が集まり気分良く、怜王もと年下の男の子ということでお兄ちゃんぶりを発揮?していっしょに遊んであげたり。4時過ぎにSさんの奥さんのMとTくんが帰り、5時半過ぎ僕らもKくん宅をあとに帰路についのである。
2009年01月18日(sun)  No.18

1月17日

 6時20分過ぎ「ぼくねー こーらすきなんだよ」と突飛なことを言いながら、怜王が大きな伸びをしてから僕の布団に潜り込んで来た。「コーラ好きなの?飲んだことあったけ?」と聞くと「○×△□…」と自分が口にした言葉を憶えていない様子…。
 コーラに限らず炭酸が入っている飲み物は怜王的には「いたくてからい」ようで、以前一度炭酸水を口にして眼が飛び出るほどびっくりしてさかんに「いたい からい…」と言っていて、コーラ味の飴は口に出来てもコーラ自体飲むことはまだ無理なのである。夢の中でコーラが飲めて、美味しかったのであろう。
 今日は土曜日だが、幼稚園はある日。お弁当こそ作らないが、制服を着させて9時15分に送り出すことに変わりはない。そんな今日突然「ようちえん いかない…」と言うので妻はお風呂に入るのをやめたので、行くと言ったら僕が連れて行こうといつでも出られるように着替えをした。
 今日の怜王は機嫌良く起きたものの「あかちゃんのときにあそんでいた ぷられーるじゃないきかんしゃ どこにある…」と言ってぐずったり(木製の積み木のような機関車で、もう遊ばないと思ったので押し入れの奧にしまったのでおいそれと出せない…)、昨日の夜キッチンの床にセロテープで止めたりしていたティッシュケースを「どこにある? かたづけちゃだめだよ まだあそぶんだよ…」と言い張る…。
 ティッシュのケースはすでにゴミ箱にあり、どうすることも出来ない。怜王はよく過去のことを思い起こし「なになにがしたかった…」とか「いまじゃなくて さっきたべたかった…」と言ったような口調で言い僕らを困らせることがある。
 9時過ぎまで制服に着替えずぐずているので、「今日は幼稚園お休みする?」と言うと「ようちえんいく…」と言う…。あと10分で部屋を出なければ、幼稚園バスのバス停まで行くのに間に合わない…。
 素早く服を脱がせシャツを着せブラウスを着せてズボンをはかせ、靴下を自分ではなせつつ妻がジャケットとマフラーを持って来たのでそれを着せた。最後に寒いのでハーフコートを手早く着させて、幼稚園バッグとお茶が入った水筒をたすきがけにさせスニーカーを履かせて部屋を出た。
 携帯で時間を見ると、9時16分。ゆっくり歩いて目黒通り沿いのバス停まで行くと、Hiちゃんとお母さんが来ていてひなたぼっこをしていた。怜王が来てからすぐHaちゃんとお母さん、さらにSちゃんとお母さんがやって来た。
 幼稚園バスが来る前の数分お母さんたちと話しをしながらいたが、今日はKちゃんはお休みのようでバス停にやってこなかった。怜王をバスに乗せ見送って帰宅。
 帰宅後昨日DRUG写真展の個々のタイトルを送って欲しいとメールを出したところ、半数の9名ほどがメールでタイトルを送って来たので早速名前とタイトルをiBook G4で打ち込みインクジェットプリンターで印字して、のりピタボードに貼る作業を進め人数分完成。ネームプレート作りが、上達したような…。
 2時半過ぎ、怜王が妻といっしょに帰って来た。妻がポストの郵便物を僕の前に置いたので眼を通すと、DRUG写真展と開催日が同じで二次会を「合同でやりませんか?」と誘われているIさんから「リコーGRシリーズを使うフォトジャーナリストに関係する人たちの写真展」のDMが届けられていた。こちらの写真展のメンバーには、写真家細江英公(http://www.eikoh-hosoe.jp/)氏の名前も!
2009年01月17日(sat)  No.17

1月16日

 6時過ぎ怜王がもぞもぞ僕の布団に入って来て、「せなかかゆい…」というのでしばらく背中をさすってあげた。さすっているうちに再び睡魔がやって来たのか、怜王は二度寝を始めた。起こさないようにそっと布団を出て、怜王のお弁当を作り始めた。
 7時半、深い眠りから覚めた怜王が起きて来た。今朝も朝ご飯は食べずに、牛乳カルピスとりんごジュースを飲んだだけ。それに毎朝入っているお風呂も入らず、9時15分妻に連れられ元気に幼稚園バス乗り場へ向かった。
 10時半過ぎDRUG写真展の予告用プリントを持って、コダックフォトサロンへ。渋谷から山手線で代々木乗り換えで総武線と言うコースも考えたが、銀座線に乗り表参道乗り換えで千代田線に乗って新御茶ノ水へ行くことに。
 聖橋方面の出口から地上に出て、JRお茶の水駅脇の道を歩き神田川を渡り順天堂大学を右に見ながら水道橋方向に徒歩7分ほどで加賀ハイテック(http://www.kagaht.co.jp/)本社ビル(コダックフォトサロンは1階ロビーにある)へ。Kさんにプリントを手渡し、Yさんと最後の打ち合わせをしコダックフォトサロンをあとにした。
 水道橋方向に歩き写真展初日の二次会会場の場所確認をしつつ、神保町界隈をスナップ。そして裏道を歩き小川町の交差点から千代田線新御茶ノ水駅へ。今日のスナップはあまり快調に撮れたとは言いがたいが、毎日歩き回って撮影している感じを今日も継続出来たことに感謝!
 さて帰宅後Cさんからメールが届いてて内容をざっと見ると、完璧に進行して来てもう落ち度はないと思われたDRUG写真展に関してひとつ重要な事柄がすっかり抜け落ちていることを間接的に知らされた…。それは参加者個々の、作品の「タイトル」である。
 DRUG写真展をと思った時にたくさんのことが脳裏を駆け巡ったが、その時は「合同展なのだから、名前が分かれば良いのではないか」という気持ちが僕の中にあった。だがしかし、発表する作品に名前がないと言うのも寂しい話しで、Cさんの指摘が発端となり今日参加者全員にタイトルを送って欲しい旨メールをした。
 するとあっという間に5名、タイトルをメール添付で送って来た。すぐに送ってこられたと言うことは、タイトルを最初からつけていたということであろう。もちろんそのことを考えたとき、すでにイメージしていたことががあったのでそれをタイトルにすることに。
 さて今日はどこにも行こうと言わないと思っていたが、4時を過ぎた頃「おでかけしたい…」と怜王が言い始めた。妻が100円ショップで必要なものがあると言うので、怜王はひとまずトーマスの自転車ということで3人で買い物に出た。
 今週頭明日から幼稚園だからと思い怜王の言うようにトーマスの自転車で近隣散歩に付き合ったりしたが、結局幼稚園に行き始めても帰ってくれば「おでかけ…」ということで毎日出掛けることになるのである。
2009年01月16日(fri)  No.16

1月15日

 昨夜零時過ぎに目を覚ましぐずったあげく僕の布団に潜り込んで眠った怜王の寝相が悪く、朝方左腕あたりが寒々として目が覚めると布団を大半持って行かれていた…。時計を見ると5時45分。もう少し寝たいところだが、起床することに。
 5時45分と言うと、まだまだ真っ暗である。キッチン流しの上の小さな蛍光灯をつけ、iBook G4を起動ささせメールのチェックをしていると怜王が目を覚まし起きて来た。6時過ぎであった…。
 まずは、怜王のお弁当を作ることに。昨夜「やきおにぎり と ふりかけのおにぎり」と言う注文があったのでそのように小さなおにぎりをふたつ握りひとつは焼いて醤油味にもうひとつは鮭のふりかけをまぶした。
 そしてリラックマのお弁当箱の耳の部分にゼリーを入れ、焼きおにぎりと鮭おにぎりをラップでくるんで出来上がり。さて今朝の怜王は朝ご飯を拒否し、牛乳カルピスとりんごジュースを飲んだだけ。何でおなかが空かないのか(そのうち食べるかも知れないと思い、普通に海苔のおにぎりを作ってあげたのだが…)、不思議だ…。
 9時15分、怜王が妻といっしょに幼稚園バス乗り場に向かった。今日神保町の方で用事があると言っていた妻は、怜王をバス停まで送り帰らずにそのまま行くようだ。
 僕はと言えば数日前早々と某社より確定申告に使用する2008年度支払調書が届いていたので、領収書などの整理を午前中進めた。
 確定申告は何が面倒かと言えば、領収書の整理に尽きる。その面倒なことを避けて通る訳に行かないので、その反動で僕は集中して早めに処理し、毎年確定申告が始まるその日の午前中に書類を目黒税務署まで持って行くことにしている。ちなみに今年の確定申告初日は2月16日と、1ヶ月後に迫っているのである。
 キッチンのテーブルに電卓を置き、気を集中してキーを打ち続けること1時間半。水道光熱費、通信費、接待交際費、交通費、荷造運賃、消耗品費、雑費等々個別に計算終了!まだ1社しか支払調書は届いていないので、全体の計算と記入は無理だがこれで支払調書が届くのを待つのみとなった。
 Oさんとの0待ち合わせは4時くらいなのだが、何はともあれ12時半過ぎRICOH GR DIGITALIIを持って部屋を出た。まずは渋谷に出て道玄坂周辺をスナップして歩いたが道頓堀劇場の一角がかなり変わっていて、その昔よく飲みに行ったバーがなくなっていたのはショックだった…。
 円山町辺りからスナップして歩いていると、かなり冷え込んでしまったので宇田川町に戻りHMVへ。身体を温めつつ、新譜を片っ端から試聴。UKメインのHMVであったがなぜか僕の耳に止まったのはUSAのインディーズ「Moonbeams(http://www.jetsetrecords.net/jp/product/213003175502)」!微妙な不協和音と音のズレが気持ちいいバンドで、一曲目を聴いた直後このバンドの資質を直感的に理解した。
 HMVをあとに、宮益坂から青山へ。骨董通りに入り青山通りの一本裏道から、ラットホールへ。開催中の「森山大道写真展/HOKKAIDO(http://www.ratholegallery.com/)」を見る。そして銀座線に乗り、新橋下車。
 銀座を1時間半ほどスナップし、4時過ぎOさんと会いスポットフォトサロンへ。写真展用のプリントのチェックをし、明日納品の期限が来ている写真展の看板用のプリントだけを受け取る。Oさんはかなり手の込んだコラージュ仕上げ?にするようで、11点ほどサイズの違うプリントを発注をしていた。
 さて明日はDRUG写真展会場に設置する看板用のプリントを、コダックフォトサロンYさんに届けることになっている。これで自分のプリントをフレームマンに持ち込む以外のすべてのことが完了する。もう少しである。
2009年01月15日(thu)  No.15

1月14日

 6時半起床。昨日同様今朝も朝まで(といっても、零時過ぎに一度目を覚ましたのだが…)かゆがって目を覚ますことなく、僕が起きてから20分ほど後に起きて来た。そして朝ご飯も完食し、ゼリーなどを美味しそうに食べていたので体調気分ともに良いようだった。
 そう言えばこのところ「マダガスカル」を、怜王は毎日のように見ている。そして言い回しや歌そして踊りなど、さかんにまねをして面白がっている。DVDは英語と日本語吹き替えの両方があるのだが、最初は日本語吹き替えで何度も見ていて最近英語バージョンでも見たりして、ダンスのシーンで「踊るの好き好き、踊るの好き好き〜♪」という所を「アイライク ムービンムービン アイライク ムービンムービン〜♪」などと英語で歌ったりも。
 今朝も朝ご飯を食べたあと「マダガスカル」を見始め、ゲラゲラ笑っていた。そして見ながらレゴでいろんな乗り物にまったく違うキャラをを乗せて面白がったりと、日々想像しているのであった。そんな怜王は9時15分、元気いっぱいで妻に連れられ幼稚園バスのバス停に向かった。
 10時半昨日同様、RICOH GR DIGITALIIを持ち撮影に出た。東横線で渋谷に出て、副都心線で新宿三丁目下車。いつもと違う場所へと、真っ先に花園神社へ行く。神社自体より工事中の青いビニールシートとそこに映った樹木の影画映り込んだ光景を見つけ力を入れて撮影をしたところまでは良かったのだが、どうも今日の体調が新宿と合わない?ようで30分ほど歌舞伎町界隈をスナップするにとどまりJR新宿駅へ。山手線に乗り、原宿駅下車。
 昨日気力があれば六本木から青山を抜けて原宿へ行くつもりだったが、…最初から新宿に行かず青山・原宿あたりを撮影していれば良かったと少々悔いたが花園神社で気に入ったカットが1カット撮れたのでよしとするか。
 竹下口から出て竹下通りを突っ切り明治通りを軸に裏道を歩きつ渋谷方向へ移動しつつスナップを続け、12時半過ぎ渋谷駅から東横線に乗り込み帰路つく。
 帰宅後撮影して来たデータをMacに移動しファイルに保存したが、11月中旬より撮り始めたRICOH GR DIGITALIIのアスペクト比1:1(スクエア)の撮影カット数が、今日の撮影分を含め750カットを超えた。
 2時半過ぎ妻に連れられ、上機嫌で怜王が幼稚園から帰って来た。3時半過ぎまで部屋で遊び4時が近くなった頃「おでかけしたい こうえんにいきたい」と言うので、最近行っていなかった中根公園(http://meguroku-net.com/meguro/park/nakane.htm)に行くことに。と言っても取り立てて近い訳でもなく、ただ毎日同じ公園だと飽きるのではないかと思って選んだのである。
 さて中根公園は平坦な地形ではなく、小高い山のようなところに作られていてアスレチックのような設備もあってかなりアクティブな公園。そんな訳で幼稚園くらいの子より小学生から中学生くらいの年齢の子たちが多く集まる公園。
 広場では中学生たちがサッカーに興じ、ブランコや滑り台砂場あたりでは小学生たちがわーわー言いながら走り回っていた。それを見ていた怜王は小さな家のあたりに陣取り何かを押してみたり、中に入ってみたりしているうちに比較的遊んでいる子が少ないアスレチックに挑戦(ややへっぴり腰…)!
 怜王の歳ではまだまだ難しい部分があって全部クリアは出来ないものの、一度一番上まで行ったら達成感があったのか何度も何度も昇ったり降りたりを繰り返していた。以前ならいつ転ぶか分からないくらい危なっかしかったのが、今では放っておいてもまったく危なげなく何でもこなせるようになっていて大きくなったなぁと思うのであった。
 夕方陽も落ちてすっかり寒くなった公園だが、ここで怜王は時間を忘れて1時間半ほど遊び続けたので僕の身体は心から冷えてガチガチに…。5時過ぎ公園をあとに、東急ストアへ行き少々買い物をし帰宅。部屋に入ると、すでに外は夕闇…。
 明日はDRUG写真展用にプリントに出した、写真を銀座のスポットまで受け取りに行く日。必然的に明日の街歩きは銀座界隈と言うことになる訳だが、プリントの受け取りの時Oさんがプリント出しをするのでどこかで待ち合わせをしなければならない。さて何時にどこにしようか…。
2009年01月14日(wed)  No.14

1月13日

 昨夜から今朝にかけて怜王はかゆがって目を覚ますことなく、ぐっすり眠っていた。僕が起床したのが6時半、怜王が起きて来たのが7時過ぎ。9時過ぎに怜王は寝たので、10時間睡眠。昨年末まで連続してた、細切れ睡眠から開放されほっとしている。
 それにしても、今朝は寒かった。朝食をとりながらJ-WAVEを聞いていると、「この冬一番の寒さ」であったと言う。9時15分ぎりぎりまでレゴで遊んでいた怜王が、妻といっしょに幼稚園バス乗り場へ向かった。
 怜王が幼稚園に行ってから部屋の掃除をし、寒いがいったん窓を全開にし洗い終わった洗濯モノを干したりして部屋の中のことが一段落し10時過ぎRICOH GR DIGITALIIを持って撮影に出た。今日は快晴で風もなく、とても気持ち良い。東横線で中目黒まで行き、日比谷線に乗り六本木駅下車。
 六本木の交差点に出て、まずは陽の当たる方(東京ミッドタウン方向)に向かって歩き始める。冬の斜光が美しい表通りから、さらに陽の当たる場所を求めてジグザグに路地裏を歩く。今日はずいぶん歩行感覚が軽やかで、六本木の交差点を中心に四方かなり広範囲に歩き回る。
 歩き始めて1時間半。乃木坂から青山通り方向まで歩き風景が一変したところで、急速に写欲が低下して来たので青山一丁目駅から銀座線に乗り帰路についた。
 帰宅すると、フレームマンNさんからメールが入っていた。僕らの都合で21日指定で作品を直接持ち込む旨Nさんの都合を聞いていていたのだが、OKということでDRUG創刊メンバー3人そろって行くことになった。
 今日は午後から天候が崩れるかも知れないと思っていたが、何のことはない冬空とは思えないほど素晴らしい青空快晴で、我が家のベランダからの眺望としては絶景であった。
 2時半過ぎ、妻に連れられて怜王が幼稚園から帰って来た。部屋に入るなり開口一番「Kちゃんと、ばすのるまえにあそべた!」と嬉しそうに言った。Kちゃんとはすらっと背の高いモデルのようなママの子で、彼女もまた細身の美少女なのである。
 怜王は幼稚園のことをあまり話さないのだが、時々口にしたと思うとすべて女の子のことばかり。名前の出る頻度の高いのはTちゃんNちゃん、そして今日口にしたKちゃん。だがしかし最近になって、転園生のKちゃんという女の子の名前も口にするようになった。幼稚園は楽しいのである。
 3時を過ぎた頃、買い物がてら妻が怜王と出掛けて行った。僕はワーグナーのことで調べたいことがあったのでYou Tubeでチェックしていると「Otto Klemperer: Prelude to Richard Wagner's Lohengrin(http://jp.youtube.com/watch?v=7prUFflX0_E&feature=related)」に行き着いた。
 美しい音楽に、美しい絵。おだやかで優しい表情の絵を描いたひとは誰なのだろうと思っていると、エンディングに「William Bouguereau」の名前が。高校生の頃マックスフィールド・パリッシュ(http://www.maxfieldparrishonline.com/)にハマったことがあったが、その時のことを思い出させるような美しい絵(http://www.illusionsgallery.com/Bouguereau.html)ばかりであった。
2009年01月13日(tue)  No.13

1月12日

 6時半起床。今朝もかなり冷え込んでいて、なかなか布団から出られないがひとまず背中が痛くて寝ていられない(世の中には何時間でも寝ていられる人がいるが、僕は睡眠が6時間を超えると寝ていられなくなるのである…)ので起きるのである。
 僕が起きて間もなく、怜王も目を覚ました。このところ眠りが深く、変な時間にかゆがって目を覚まさなくなったのが嬉しいところ。起きる直前「おなか ぱんぱん!」と、意表をつく言葉を口に…。
 今朝も何気なく朝ご飯とお味噌汁を出したのだが、ひとくち口にしただけでそれ以上食べることはなかった…。
 怜王にとって怖い存在は「モンスターインク」のロゴの「M(http://qlupinp.hp.infoseek.co.jp/inku2.jpg)」や目玉の「ワゾウスキー」だったり、「バットマン」に出てくる「ジョーカー」だったりするが、もっとも怖がっているのが何を隠そう「閻魔大王」なのである。
 それは「おかたづけするから きゃらめるこーんたべていい?」と言ったりしたとき、キャラメルコーン食べたらお片付けするんだね。もしお片づけ出来なかったりしなかったりして嘘をついたら、閻魔大王が来て舌を抜かれちゃうからね!などと言ったりしているからである。
 ネットで閻魔大王の一番怖そうな画像を見せたりしているのでよりリアリティがあるようで、閻魔大王というとびくっとしたりする。が初めて閻魔大王の名前を僕らが口にした3才の頃は、「えんまだいおう」と言えずに「えんまだいぞう」と言ったりして僕らの笑いを引き出したり…。
 10時半過ぎDRUG創刊メンバーのOさんから、写真展のプリント・額装などについての確認の電話が携帯に入る。現在あらゆることを客観的に見てスケジュールを進行させていて、仕上がりプリントの受け取りが15日フレームマン(http://www.frameman.co.jp/)への額装処理に出す日が21日コダックフォトサロンでの作品の搬入が30日のような段取り。
 Oさんはプリントが少々遅れているが、それでも15日プリントを受け取りに行く時にOさんがプリント出しをしても21日フレームマンに発注に行く時間までには十分間に合う。21日はDRUG創刊メンバー3人そろって額装・ゲーターボード処理にフレームマンに行くことになった。
 あとは最後の最後で、展示作品の前に掲げる挨拶文を、A4からA3にコピーするだけ。ようやくここまで来た、そんな感慨を感じさせる電話であった。
 さて今日も朝からおもちゃを寝室いっぱいに広げ、まったく片付ける様子もないまま「なにかたべたい… きゃらめるこーん たべたい…」と言うので「あげてもいいけど、たべて終わったらお片付けするんだぞ」と言うと「うん」と言った。そのときも「約束だからね。もしやらなかったら嘘をついたと思われて閻魔大王が怜王くんにの舌を抜きにくるかも知れないよ!」と言うと、「かたづける…」と言ったので食べさせることに。
 だがしかしお菓子を食べて終わってもいっこうにおもちゃを片付ける様子がないので、「嘘をついたらどうなるんだっけ?閻魔大王が来るんじゃなかったかな?」と何度か言っているうちに片付け始めた。
 午後になって、天候は快晴から曇天へ。1時を前にしたころ「おでかけしたい…」と怜王がだだをこねはじめた…。毎日毎日トーマスの自転車で近隣散歩は疲れる(子ども用の補助輪付き自転車とはいえ、大人が歩くスピードより遥かに速いので…)が、自転車に乗り公園に行ったりするのが楽しみなのだから仕方がない。明日から幼稚園が始まるので、今日までは怜王に付き合うしかないのである。1時半トーマスの自転車に怜王を乗せ、近隣散歩へ。
 外に出てからどこに行くか考えようと思っていると、「としょかんのほうの すべりだいがあるこうえんがいい」と言う。該当するのは2ヶ所でどっちの方か聞いてみると、どうやら数日前小学生くらいの女の子が4人で遊んでいたお寺近くの児童公園のようなのでそちらに直行。
 今日は天気も悪しかなり冷え込んでいたので、公園には人影なし…。怜王はその様子を見て「あっ、だれもいないね…」とちょっと寂しそう…。それでも砂場で遊んだりして楽しそうであったが、ぽつりぽつりと雨が落ちて来ると「かえろうか…」と自ら帰ることを示唆。
 水飲み場で手を洗わせてトーマスの自転車の乗ったが、手を洗ったことで寒さが助長され「てがいたい… てがいたい…」と言うので東急ストアにより、買い物をしがてら手をつないで温めてあげた。
 実質的に、お正月気分は今日まで。明日からDRUG写真展が始まる2月2日まで、一気になだれ込むことになるだろう。
2009年01月12日(mon)  No.12

1月11日

 昨夜は妻と怜王が9時半過ぎに眠り、僕はしばらくiBook G4に向かって11時過ぎに眠った。そして珍しいことに怜王は朝7時に僕が起きる時まで、かゆがって目を覚ますことなく眠っていた。幸せなことである。
 「ゴーオンジャ」が始まる7時半少し前に怜王は目を覚まし、妻にテレビをつけてもらって機嫌良く見入っていた。「ゴーオンジャ」が終わり「プリキュア」を途中まで見たところで何を食べたいか聞かずに納豆ご飯とみそ汁作って出してみると、完食はしなかったもののそこそこ食べてくれた。
 いままで食べたいものを聞いてから何を食べさせるか考えていたが、これからはひとまず僕らと同じもの(もちろん卵は食べさせられないが…)を出すことにしよう。
 お風呂から出た怜王はスターウォーズ「ジェタイの復讐」を見ながら、レゴで宇宙船らしきものを作ったりして遊んでた。
 昼過ぎ、三人で渋谷へ。本当は渋谷の「東京都児童会館(http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/jidou/)」へ行こうと思っていたのだが、何度も怜王を連れて行っている妻によると「長いよ、1日でも居ようとするよ」と言うので「東急ハンズ」へ行くことに。怜王にとっては児童館でも東急ハンズでも、早い話しが「おでかけ」であればどこでも楽しいのである。
 東急ハンズに到着すると、「じどうしゃとか でんしゃがおいてあるところにゆく」と言う。東急ハンズには2.3才の頃何度か行っていて、その時に見たり買ったりしてもらったフロアのことを思い出したのだ。
 とはいえ東急ハンズに来た最大の理由は、写真展のネームプレート制作(ネームプレートを業者に発注すると信じられないような金額(1枚700円と言われていて、18名参加しているので12600円也…)であることが分かったので紙を貼れるパネルを購入し自主制作することにしたのである。
 自宅ですでにインクジェットプリンターで名前は出力しカットしてあり、縦横の長さも把握しているのでそれに合うサイズのパネルはA4。探してみるとBELLE EPO「のりピタ nori-pita 出力紙/合成紙/写真に最適」というのを見つけ購入。値段は1枚262円で、念のため2枚、さらに大きめのカッターを購入。
 カッターを購入するとき怜王がやって来て「これがほしい」と言うので見てみると、1センチ角くらいのアイスクリームに似せた消しゴム3点セット。ひとまず買って、怜王が言っていたおもちゃがあるフロアへ。
 すると怜王は真っ先にトミカのミッキーの絵の描いてあるスクーターを手にし、「これ これがいい」と言う。普通のトミカは400円くらいだと思うが、このディズニーバージョンのトミカは800円も。一日児童館に缶詰になることを思えば、800円は安いものである。ひとまず購入し、ロフト地下の無印良品へ行き、家庭用品やお菓子類を購入し渋谷駅東横線乗り場に向かった。
 3時半帰宅。早速パネルに油性ペンで切り出しようの線を引き、購入したばかりの大きめのカッターを使い金属性のルーラー(定規)でしっかり固定し慎重にカットして行く。そしてプリンターで出力してあった名前を印字した用紙を貼付け20分ほどで18名分のネームプレートが完成。我ながら、美しい仕上がりで大満足!
 夕飯を食べたあと、怜王は寝室でひとりで何やら遊んでいた。そして「かんせいです!」と言うのでのぞきに行くと、寝室いっぱいにレゴやおもちゃが散乱した中仰向けになって何やらポーズをとっているのでパチりと一枚。今日はお片づけが大変だ…。
 8時を過ぎたくらいから、お片づけをせずに怜王画伯となりお絵描きボードに張り付いて絵を描き始めた。聞けば「きかんしゃ」であるらしい…。
 僕らが「手伝おうか?」と言うと「ひとりでできる」と言うのでまったく手が出せない(以前手伝おうとしたら激怒して、大泣きを始めてにおえない状態になったことがある…)訳だが、8時40分を過ぎた頃からコツコツ片付け始めた。
 片付けながらたくさん…そして何度も何度も寄り道をして…、9時を過ぎてしまった。妻は見たいと言っていた映画「X-MENファイナルディシジョン」をキッチンで携帯ワンセグ見始める。怜王はゆっくりだがひとりでお片づけを…。
 だがしかしだらだらやるものだから時間はあっという間に経ち、片付け始めてから1時間が経過…。あと20分で怜王が怖がっている、モンスターの時間(我が家で決めている、寝なければいけないリミットの意)。それでも怜王はお片づけをしながら、出したおもちゃのひとつひとつを手に取ってじっと見入ったりしつつ片付け終わったのは10時を2分ほど過ぎた頃…。
 歯を磨いてミッキーのぬいぐるみを抱き速効で布団に入ってこちらを見てにこっととしたのでそのまま眠るかと思ったが、「みっきーはにんぎょうだから せなかかけないんだよ…」と一言…。つまり僕に背中をかいて欲しいと言っているのである。
 背中をさすりつつ、保湿剤をぬり肌を乾燥させないようにしながら数分。眠さの限界まで来ていたようで、あっさり眠りに落ちたのである。
 怜王が眠ったあと、今日の日記を書きアップ。10時半過ぎ妻はキッチンで引き続き携帯ワンセグで映画を見ながら、ビーズアクセサリーの本を見たりしていたが僕は眠ることに。朝になるまで怜王がぐっすり眠ってくれることを祈りつつ。
2009年01月11日(sun)  No.11

1月10日

 隣の布団に寝ている怜王がぽりぽりかいている音が聞こえてきて目が覚め怜王の方を見ると、すっぽり掛け布団をかぶっていていてどこにいるのか分からないので少しだけめくってみると何と足を僕の方に向けて横向きになりながら背中をかいていた…。
 僕が起きたのを知ると「かゆい…せなかかいて…」と言うので背中をさすってあげたりするが今日はなかなか寝付いてくれない。時計を見ると、3時45分…。かゆいところは背中からお腹、さらに頭や腕と移動しなんだかんだで1時間ほど経過したころで寝息が聞こえ始めた。
 昨日何を食べさせたかな?と考えると、かゆくなりそうなものは「トマトケチャップ」か「パイナップル味のアイスキャンディ」のどちらか…。パイナップル(怜王にとってアレルゲンである)味のアイスキャンディは食べさせたくなかったのだが、デザートのヨーグルトがなくなってしまったので仕方なく食べさせたのだった…。
 7時少し前寝室から”バサッ”という怜王が寝返りを打ったような音が聞こえたのでのぞいてみると、布団をすっぽりかぶり手だけを外に出し多状態で寝ていた。可愛らしい手だったので、そっと一枚。
 相変わらず朝ご飯を食べたがらず、ご飯らしきものは冷や奴とゼリー。それに朝起きた時に飲ませた、牛乳カルピス。やれやれ…。
 いつも朝は妻が怜王をお風呂に入れるのだが、今日は幼稚園も休みで僕が入れることに。妻が入れる時はお風呂だが僕が入る時はシャワーなので、週に1回くらいは湯船につかりたいのである。
 今日はDRUG写真展の最後の伝達事項(額装の期限と作品送付搬入日時の確認など)を、参加者全員にメール送った。これで写真展開催当日に向けて、僕がやることのすべてが終了(自分の作品はまだだが…)した。
 「マダガスカル」をテレビで流しっぱなしにしながらやけに怜王が静かにしているなと思ってのぞいてみると、ミニカーを並べていて「おみせつくってるんだよ!」と言った。そしてお店が完成すると、おもちゃ替わりに与えているデジカメを持ち出し撮影を始めた。自分を見ているようで、妙な感じであった…。
 3時三人で、ダイエー近くの田向公園に向かった。今日は風もあって陽が陰ると痛いほどの寒さ…。そんな寒さなので公園にはほとんど人はいず、僕らが言ってしばらくしてから野球のボールを持った男の子がひとりやって来てひとりで遊んでいるくらい閑散としていた。
 怜王はトーマスの自転車で人がいないのをいいことに凄いスピードで走り回っていたが、妻は寒そうにしていたので先にダイエーに行っていて良いよと伝え僕と怜王はしばらく公園で遊ぶことに。
 するとボール遊びをしていた男の子が僕に近づいて来て、怜王を見ながら「いっしょに遊んでもらえませんか…」と言って来た。名前を聞くときちんと「○○○ サクヤ」と名乗り、年を聞くと7才であると言う。
 7才と言えば、小学1年生。怜王より3っつ年上かと思っていると「この子の名前は?」と聞いて来たので」「怜王だよ」と言うと「えっ、ウルトラマンレオのレオ?」と眼を丸くして聞き返して来た。
 しばらく野球(僕がピッチャーで彼はバッター、怜王がなぜかランナーという設定であった)で3人で遊び、時間が来たのでそろそろ帰ると言うと寂しそうな顔をして「今度いつ来るの?」「何曜日?」と盛んに聞いてくるのでサクヤくんはいつ来ているのか聞くと学校に行っていない時はいつも遊びに来ていると言う。つまり土日祭日は、必ず田向公園に遊びに来ていると言うこと。
 それじゃ土曜か日曜日の午後に来て見ようかなと言うと、納得したようなしないような顔をして寂しそうに帰って行った。怜王はすべてにおいてお兄ちゃんであるサクヤくんとなかなか言葉を交わすことは出来ないようだったが、顔を見ると眼がキラキラして楽しそうであった。ダイエーで妻と合流し、夕飯の買い物をして帰宅。
 さていつものように過ぎ去った今日は、僕の56回目の誕生日。何事もなく、平和な1日であった。1月10日という日は昔から僕にとって元旦や仕事始めの日和重要で、常に何かの切っ掛けや想いを託す日。つまり今日が終わるまでが僕にとっての2008年の余韻で、明日11日からが2009年の新しい風に向かうのだと気を引き締める切っ掛けをスタートさせる日なのである。そんな訳で日記も明日まで持ち越さず、早い時間にアップしようと思う。
2009年01月10日(sat)  No.10

1月9日

 6時過ぎ目黒通りを走り抜けるクルマの音に、雨が降っているのを感じつつ起床。今朝の空気は、いつも以上に冷たく感じた。
 昨夜アップ出来なかった日記を、キッチンのテーブルで書いてアップ。そうこうしているうちに7時を回り、「また もんすたぁのゆめ みた」「めだまの えむが でてきた…」と言って泣きながら怜王が起きて来た。
 「えむ」とは「モンスターズインク」のマークの「M」で、「めだま」というのはそこに出てくるひとつ目の「マイク・ワゾウスキ(http://www.pixar.com/jp/feature/inc/char_pop2.html)」のことで、2才くらいの時に見た時は怖がらなかったのに、3才を過ぎた頃からなぜか怖がるようになって「モンスターズインク」をまったく見なくなった…。
 怜王は今朝も海苔を巻いたおにぎりを少しだけかじる程度で固形物を口にせず、ヨーグルトと牛乳で朝食を済ませた。そして精力的にやることと言えば、レゴで町を作ったり木製の積み木で町を作ること。
 物心ついた頃からシンデレラ城に代表されるような、高層ビルのような感じの建物が好きなようで良く作っていた。そして「れおくんのおうち まんしょんだよね!」と自分がマンションに住んでいることに満足げであった。
 9時15分妻が怜王を送りに出てから、ジャベルのHPにアップしなければならないニューC5のカットを10点セレクト。現在C5はディーゼルの検定に出されているので戻って来てから、追加で2カット撮影(室内カット)しトータル12カットで妻に制作してもらうことにした。
 10時半過ぎDRUG写真に展示する写真のプリント出しをするため、銀座スポットフォトサロンへ向う。早朝都心部でも雪がちらついたと言うだけあって、今日はかなり冷え込んでいた。
 東横線で中目黒まで行き、日比谷線に乗り換えて日比谷下車。JR有楽町駅のガード下をくぐり、銀座インズ隣へ。プリントを発注し、サロンで開催されている「コダックフォトスクール講師陣による写真展」を見て、スポットフォトサロンをあとにリコー「リングキューブ」へ森山さんの写真展を見に行った。
 会場に入り、一見してデジタルではないモノクロ写真が目に飛び込んで来た…。それは女性が自分の指で目を見開いている顔のアップ写真(縁なし四つ切り?)で、壁紙のように何枚も連なっていてアンディー・ウオーホールを連想させるような展示…。
 「銀座/DIGITAL」と銘打った写真展でなぜ使用することになったのだろう…そう思いながら見ているうちに、そのざわざわした感じが「バイバイ・ポラロイド」を見た時と同様の感覚であることに気づいた…。複雑な思いで「リングキューブ」あとに、雨の銀座界隈をRICOH GR DIGITALII片手に30分ほど歩ぶらつき帰路についた。
 2時半過ぎ、妻に連れられ怜王が幼稚園から帰って来たが、なぜか大泣きをしていた。そして「だっこする…」と泣きじゃくる…。どうしたのか長靴を脱がせ着替えをさせつつ聞いてみると、「○×くんが…○×んが…ぼくのこと”ばかちん”
っていって こうやった…」とたたくまねをしながらしゃくり上げながら訴える。
 Kくんは同じクラスの男の子で、怜王より身体は大きい。何があったのかどうしてそうなったのか原因を怜王は言おうとしないが、何を言われてもやられても”やり返すことが嫌”なようで泣きじゃくるその姿は”悔しさの固まり”となっていたのである。
 ひとしきり泣いたあとはけろっとして、牛乳カルピスを飲みお菓子を頬張って遊び始めた。僕は「言われたら言い返せ、叩かれたら叩き返せ」とついつい言ってしまうのだが、諍いを煽るようなことは言わず帰って来た時の怜王が言うように「だっこ」してあげる方が良いかも知れないそう思う(我が子に子育てを教えられているのだと思う…)のであった。
 夕方5時前「ぱすたがたべたい」と言うので、少々早いがパスタを作ってあげることに。パスタは何味が良いかと聞いたところ「ふつうの…」と言うのでタマネギと舞茸それに、豚のミンチを炒めてケチャップに牛乳少々だしを加えて和えたものを作って食べさせた。
 7時過ぎT社のHP用に昨年末写真とコラムを頼まれていたのが正式にアップされたとの知らせをJCのIさんからメールで知らされた。T社とはタムロンで、写真とコラムはフォトサイト「ワンクリックコラム(http://www.tamron.co.jp/oneclick/27.html)」なのであった。
 さてこのところ眠る時間が早くなっていて、今夜も怜王が9時半頃眠ると言うので今日は僕がいっしょに(妻はキッチンで読書をしていた…)眠ることに。さて朝まで目を覚まさずに寝てくれるかな?
2009年01月09日(fri)  No.9

1月8日

 まだくらい時間帯(多分5時頃…)、怜王がかゆがって目を覚ました。背中をさすってあげると、数分で寝息が聞こえて来た。最近早朝目を覚ますことが多くなったが眠りにつくのも早く、僕もつられて二度寝をするようになった。今朝もまた不意相眠りにつき、目が覚めたのは7時…。
 朝ご飯の支度を初めて間もなく、怜王が目を覚ましキッチンへやって来た。食前のアレルギーの薬インタールを飲ませる。
 今日は幼稚園の始業式(防災訓練もあるらしい…)ということで久々に慌ただしい朝となり、あっという間に9時を回った。出がけぎりぎりまで唯一作れなかったレゴのインディージョーンズ(10年のレゴなのでパッケージにもインディジョーンズとは書いていないが、どこから見てもインディである)を前にコツコツブロックを重ねていた怜王も、あっさりあきらめ制服を着てベレー帽をかぶり妻といっしょに幼稚園バスのバス停へ向かった。
 妻はお迎えの日でもあるので戻らず、怜王をバスに乗せてから幼稚園に近いJR目黒駅のアトレあたりで時間をつぶしてから迎えに行く(9時半の幼稚園バスに乗せて、お迎えは11時と2時間半と短いのである)らしい。ということは怜王たちが帰ってくるまでにレゴを完成させておかないといけないかも。ということで早々に作ることに。
 一度作ったことのあるレゴであることと、箱は4つあるがパーツがすべてきっちり箱に収まっているのではなく微妙にあちらこちらに散っているので作ることよりパーツ探しが大変なのである。
 10時くらいから洗濯物を全自動洗濯機に放り込んでスイッチを入れ、パーツを探しつつ作り始める。30分経ち1時間経ち、さらに30分。完成真近というところで、妻と怜王が帰って来た。ツタンカーメンのよう、お面をかぶった人形を神殿中央の柱につけて完成!だがしかしキッチンのテーブルで同じ姿勢で夢中で作っていたので、情けないことに腰にダメージが…。腰痛のリハビリに行っていた時にもらって来たエラダーム軟膏(経皮複合消炎剤)
 お昼を食べた怜王はしばらくレゴで遊んでいたが、妹から送られたスターウォーズ「ジェダイの復讐」のビデオを見始めた。が見ていたのは最初だけで、映画を見ると言うより音声をBGMにして自分で好きなようにレゴで町を作ったり…。
 僕はと言えば来月2日と迫ったDRUG写真展に関することを、創刊メンバーのOさんYさん等と確認と打ち合わせを行ったりした。
 4時少し前、怜王が急に「おでかけしたい… こうえんにいきたい…」と言ってぐずりはじめた。そろそろ暗くなる時間帯に入ったので出掛けるのを渋ったが、怜王はどうしても行きたいと言うので仕方なくトーマスの自転車に乗せて近隣散歩へ…。
 柿の木坂陸橋の交差点を柿の木坂方向に渡り、住宅街をジグザグ進み左に曲がって右に曲がって」と曲がる方向を教えつつ進み目黒区民ホール近くの児童公園へ行ってみた。
 公園には小学校低学年くらいの女の子が4人、かくれんぼをして元気に走り回っていた。怜王は女の子たちが走り回り大声で話したり笑ったりするのに少々気後れ気味であったが、砂場に陣取り山を作る広いあつめて来たドングリや枯れ葉でデコレーションしたり夢中で遊び始めた。
 そして仕上げ?に滑り台を数回滑りブランコに乗ったりしているうちに4時半を過ぎ。女の子たちが帰って行くのを見て「れおくんも かえる」と言うので手を洗わせてから児童公園をあとにし少々遠回りをして帰宅。部屋に入ると同時に、急速に黄昏時へ移行して行った。
 さて明日はスポットフォトサロンに行き、コダックフォトスクール「講師陣による写真展」を見に行き、DRUG写真展用の僕と妻の分のプリントを発注予定である。そして銀座と言うことで、リングキューブで7日から開催されている森山さんの写真展(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/daido_vol2.html)に行くつもりでいる。
 9時少し前怜王としてはかなり賢くきっちり遊んだおもちゃを片付け、歯を磨いて妻といっしょに布団に入った。こんな時間に妻が寝るのは珍しいこと。怜王を寝かしつけたら日記でも書こうと思っていると、「かゆい… せなかかいて…」と言うので背中をさすったりしてあげているうちに僕自身も眠くなり希有なことに全員9時台に眠りについたのである。
2009年01月08日(thu)  No.8

1月7日

 6時そろそろ起きようかと思っていると、「かゆい…わきがかゆい…」と言いながら怜王がぐずり始めた…。脇をさすったり背中をさすったりしているうちに、怜王は二度寝を。それを見ていたら起きる気分が失せ、僕にも睡魔が襲って来た…。
 気がつくと6時半。右を下にして横向きで眠っているその視線から怜王を見ると、まったく同じ寝姿で掛け布団から右手だけ出しているところも同じ!”相似形だ”と苦笑いをしつつ、しばし見入って起床。
 7時過ぎに起きて来た怜王はめずらしく食欲旺盛で、久々の納豆ご飯をぺろりとたいらげた。そしてヨーグルトを食後に食べ、「やまとさん もうくるかな?」と言った。「やまとさん」とはクロネコヤマトのことで、昨日今日の午前中必着でレゴのブロックとスターウォーズのビデオ3本を入れて送ったと妹からのメールがあったことを昨夜伝えていたので気をもんでいるのである。
 10時過ぎドアチャイムが鳴ったのでクロネコだと思ってドアを開けると、「お正月からすいません、○×△というサークルのお誘いです…」と無表情で口早にしゃべるおばさんが立っていた。新興宗教の介入である。丁寧に断りドアを閉めたが、年に数回うっかりドアを開けるとこうした介入の人がやってくる。
 怜王は待ちきれずに到着したらすぐに遊ぼうとおもちゃを出さずにいた寝室に、おままごとセットと積み木を広げなにやら作り始めた。
 11時過ぎ再びドアチャイムが鳴った。今度は待ちに待ったクロネコヤマトで、怜王は大喜び!さっそく開封して遊び始めたが、4種類のレゴブロックが入っていて、どれから遊んでいいのか嬉しい悲鳴で右往左往…。
 嬉しいのだがまだまだ作ることが出来ないので、「おとうさん すたーうぉーず くつって(作って)」と言うことで「NABOO FGHITER」を作ることに。レゴは作り方を描いたパンフレットがついているので難しい訳ではないのだが、小さなパーツを探すことが難しく1時間ほどかけてどうにか完成…。
 さらに海賊ものの超大作も作って欲しいと言うので、妻と二人掛かりでどうにか作り上げた。怜王は今日までがお正月休みで、明日から幼稚園に行く。これがお休み最後のご奉仕?のようなものである。
 時間を見ると4時半…。元アシスタントのO君たちに誘われている新年会に出るため、新宿に向かった。東横線で渋谷に出てJRに乗らず副都心線で新宿三丁目まで行き、焼くその時間より1時間早く出たのでゆっくりスナップしながら東口から西口方面へ。
 JR新宿駅西口改札前で元アシスタントのO君の友達のIくん、そして月刊カメラマンで新人持ち込みと言う企画に参加していたときに作品を持ち込んで来ていたKくんと合流し某居酒屋へ。
 この居酒屋、レタスと豚肉のしゃぶしゃぶが売りと言うことでO君が予約ていたメニューが出されて来たのだが、レタスと豚肉なかなか相性が良く美味しく頂く。1時間ほど経過したところで、紅一点のYちゃんが仕事帰りにやって来た。今日の新年会は全員カメラマンなのである。
 8時半で一回飲み放題が終了。そして追加であと1時間飲み放題をつけてもらって楽しく飲んでいたところ、突然アイスクリームやケーキなどを乗せたプレートが…。そのプレートにチョコで描かれていたのは僕の名前…。
 皆から誕生日おめでとうございますという声を聞いたとき、涙が出そうになった。アシスタントをしてくれたO君が仕掛けた、サプライズであった…。このサプライズを受けたとき、50才の誕生日を妻がたくさんの友人たちを僕に内緒で呼んで、誕生日祝いをしてくれた時のことを思い出させてくれるくらい嬉しい出来事であった。
 みんな気がつけば30代のカメラマンで、O君は数年前に結婚、IくんとYちゃんは独身で、Kくんは今年の夏に結婚が決まっていると言う。みんな僕より20以上年下の子たちだが、こうして新年会に誘ってくれ誕生日まで(僕の誕生日は1月10日である!)憶えてくれたいたことに感謝なのであった…。
 11時帰宅。怜王は9時過ぎに寝たと言うので寝顔を見ようと寝室をのぞくと、自分の布団ではなく妻の布団で気持ち良さそうな顔をして眠っていた。
 さて明日からが、僕らの今年のスタート。4月で怜王は幼稚園の年中さん。僕も昨年一年で幼稚園のシステムも分かってきたし、時間の割り振りをして撮影に没頭出来る時間も増やせそう。すべては、明日からである。
2009年01月07日(wed)  No.6

1月6日

 昨夜は怜王が深夜もしくは早朝に目を覚ますことを意識して、9時半過ぎには僕も眠った。そんな日に限って深夜かゆがって目を覚まさないなと時々目が覚めて怜王を見て思ったりしていたが、3時半を回った頃かゆがって目を覚まししばらく背中をさすってあげた。
 15分ほどさすってあげていると「おみずがのみたい…」と言うのでキッチンで飲ませると、ひと口飲んで速効で布団に潜り込み案外あっさり眠ってくれた。布団から出て、冷えきった室内の空気にふれて寒かったに違いない。
 今までのイメージであると目を覚ますと1時間くらいぐずってか「ゆいかゆい…」と言っていたが、今日のようにかゆがってもすぐ眠れるようになったのはお兄ちゃんになってきたということ。4時過ぎ僕も目をつぶって寝ようとしたが、僕自身すでに6時間も寝ているのでなかなかなかなか眠れず…。
 …気がつくと6時半を回っていた。妻も怜王も爆睡中だったのでそっと布団を出ようとすると、怜王が目を覚ましたのでいっしょに起床。が昨日に続き夢にモンスターが出て来たようでひとしきりぐずっていたが、突然「わにさん こーんなにおおきいんだよ!」と両手を広げておどけた。複雑な思考回路である…。
 そんな怜王のために昨夜妹Mから「Yが使っていたレゴを箱ごと送るね」というメールと、3日に行った時に妹の子が撮影してくれたスパイダーマンをプレゼントされて喜ぶ怜王の写真も送ってもらえた。
 Yとは妹の一番下の次女Yちゃんのことで、女の子なのになぜかレゴが好きでスターウォーズなどを買って遊んでいたのだという。大事に取っておいたものだと思うが、嬉しいことである。
 11時過ぎ用事もあって、中野へ向かう。用事を早々に終わらせてから、しばらく中野ブロードウエー(http://www.nbw.jp/)周辺をRICOH GR DIGITALIIのアスペクト比1:1でスナップして歩いた。今年初の街歩きである。
 1時半過ぎ、帰宅。遅いお昼を食べたあと、怜王をトーマスの自転車に乗せ散歩に出た。怜王は出掛ける前小さなショルダーバッグにミニカーを3台入れ「こうえんであそぶ」と言っていたので、今まで数回しか行ったことのない(歩き始めた頃に数回行ったことがあるが、この公園4.5才から小学校低学年くらいの子がその頃多く遊んでいてなかなか公園の雰囲気に馴染めなかったのであまり行かなくなった…)ダイエー碑文谷店の先の「田向公園(http://www.city.meguro.tokyo.jp/shisetsu/shisetsu/koen/tamukai/index.html)」に行ってみることに。
 今日は良い天気で暖かかったが、公園に着いた3時頃には低い位置に雲が現れ太陽が隠れた。日陰となってかなり冷え込んでいたが、それでも5組ほどの親子がいて公園はにぎやかだった。
 公園についてすぐ月刊カメラマンが創刊した頃良く編集部で会う機会の多かった写真家・宝田久人から携帯に電話が…。近況や月刊カメラマン初代編集長と会いに行かないかと言った話しを、怜王を見ながら10分ほど話し電話を切った。
 怜王はまず滑り台で遊び、犬のバスや小さな遊具で遊び、さらにブランコに乗ったあとで「じどうしゃで あそぶ」と言って地面にミニカーを走らせしばらく楽しそうに遊んでいた。
 4時半過ぎ公園をあとに、妻から頼まれた牛乳や卵やらを買いにダイエーにより帰宅。時計を見ると、5時になろうとしているところであった…。
 帰宅してまもなくT社の原稿と写真を受け取ったJCのIさんから、写真もエッセイも気に入ったとのメールをもらう。
 さらにもう一件DRUG写真展の看板のプリントと搬入時間、それに写真展終了の後の作品の返却等のアドバイスなどが書かれたメールがコダックのYさんから届いた。写真展まで、すでに1ヶ月を切っているのだ。
 さて夕飯を食べた怜王は、何気なくキッチンの床に横になるとそのまま眠ってしまった…。公園に行ってかなり動き回っていたので、遊び疲れが出たのかも知れない。明日は午前中指定で、妹から怜王にレゴの詰め合わせとスターウォーズのビデオが3本届くことになっている。かなり到着を楽しみにしているので、レゴの夢でも見ているに違いない。
2009年01月06日(tue)  No.5

1月5日

 昨年10月くらいから初めて昨年末まで集中的に撮って終えようと思っていたRICOH GR DIGITALII+アスペクト比1:1は、どうやら撮影しているうちにツボにはまってしまったようで今しばらく継続することに。
 そんな訳で2009年のHPトップ写真は、銀座のリコー・リングキューブ(http://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/index.html)8階の窓ガラス窓越しから撮影したお気に入りのスクエア写真を使うことにした。
 昨日はT社のHPのために書いたエッセイの推敲に時間を費やし、さらに2月2日からコダックフォトサロンで開催するDRUG写真展のDMの発送と年賀状の返信に追われた。
 そんな昨夜おもちゃを出しすぎて片付けられないでいた怜王に、そろそろお片づけをしないとと言うとめちゃくちゃな言葉をパズルをしながら(完成させてから片付けるのだと言う…)つなげた妙な歌を歌い始めた。
 それを聞いていたら、高校の時の友達のKのことを思い出した。彼は演劇的素養があって高校を卒業して間もなくいっしょにアテネフランセでフランス語を習っていたのだが、途中退学をし書店勤めをしながら夜は新宿の飲み屋でギターも弾けないのにギターを持って「ボブ・ディランは開放弦で歌っていた。拙者も武士!」などと適当な語りをつけて客を笑わしていた。それはすべて即興で、何度見ても面白く大笑いさせてもらった。
 彼のアパートは当時富ヶ谷(千代田線代々木公園近く)にあって、僕はそのころ毎日のように入り浸っていた。それは彼部屋の鍵をかけずにいたことで彼がいてもいなくても勝手に部屋に入って飲んだり食べたり眠ったりをしていて、四畳半の狭い部屋に5人くらい集ってるところに彼が帰って来て部屋の中を見るなり「なんだよー…」と言って笑いながらどこんかに行ってしまうと言ったことは日常茶飯事。
 Kがアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスなどを読んでいたかどうかは知らないが、別役実やベケットなど現代物はかなり読みあさっていて役者か劇作家になると思っていたのだが二十歳を過ぎたくらいから気がつくと音信不通…。
 どうしてるかな?といつも思っているのだが、相変わらず所在がつかめないまま30年が経過してしまった…。毎日楽しく経っているのではないかと想像するが、消息を知る手だてがないのである…。
 さて昨日の怜王は9時半過ぎまでおもちゃ類の片付けが出来ず、「10時になるよ、モンスターがくるよ」などと僕らに言われつつ少し手伝ってあげると俄然頑張ってきれいに片付け、布団を敷いてあげるとちゃんと歯を磨いてひとりで布団に潜り込んであっという間に眠った。
 そして早朝6時過ぎまで爆睡しいつものようにかゆがって目を覚ましかけたが、「ひとりでねむれたね」と言い「かゆい…せなかかいて…」と言うので、すこしだけ背中をさすってあげるとあっさり二度寝を始めた。
 8時過ぎ「わぁー…」と言う声とともに、大泣きしながら怜王が目を覚ました。どうしたのかと聞いてみると「もんすたーが きた…」と言った。昨夜眠る前に僕らが言ったことが気になっていて、それが夢に出て来たのであろう。
 30秒ほどで我に返ると、きょとんとした顔をして「ぎゅうにゅうかるぴす」と言ったので、牛乳にカルピスを少し入れて飲ませた。
 昼過ぎ先日スタジオで撮影した画像データを焼いたROMを送ったY出版社のKさんから、「ブツ撮りしたペットボトルが1本見当たらないのですが、確認お願いします…」というメールが入った。ペットボトルの銘柄を知らされても撮影した記憶がなく、データを確認してみてもやはり撮った形跡はない。
 Kさんのメールにも「用意し忘れたかもしれません…」と書いてあったが、撮影したペットボトルや缶コーヒーなどの本数は5本ほどで順番に手渡されて撮影をして行ったので撮り忘れはありえない。その旨Kさんにメールをしたがコンビになどで手に入るものなので、買いに行って撮影してデータを送ることにした。
 今日は僕も妻もそれぞれ微妙に忙しくしていて、怜王は暇を持て余し僕らにまとわりついてくるので僕からも妻からも叱られやや意気消沈…。2時頃僕の方の忙しさが一段落したので、クロネコヤマトから荷物の発送もしなければならないこともあり、怜王を機関車トーマスの自転車に乗せ碑文谷方面に散歩に出た。
 クロネコヤマトで荷物を発送し、ダイエーに寄って写真がないという商品を2種類購入し帰宅。速効でブツ撮りのセットをしライティングをして撮影。写真は切り抜きで使用するので背景を気にしたシビアなライティングをしなくて良い(といってもトレーシングペーパーとケント紙を駆使し、光をディフューズするのはシビアなことではあるが…)分楽に撮影は進み画像コントロールののち”宅ふぁいる便”でデータを送信した。
 さて今日も5時くらいから、寝室いっぱいに広げたおもちゃ類のお片づけがなかなか出来ないでいる怜王…。夕飯を食べ6時になり7時になってもビデオを見たりしてなかなか片付けようとしなかったが、「7時を過ぎたぞ!」と言う僕の言葉に微妙に反応してくれたようでまずはレゴのブロックから片付け始めた。
 途中「しまじろうとみみりん」の電話で、妄想的に幼稚園のと女の子の友だちのTちゃんと疑似会話をしたりというイベント?も入れつつ8時前どうにか完了!歯を磨かせると、8時10分過ぎ布団に自ら潜り込んだ。
 これで静かに朝まで眠ってくれるかと思いきや、「ちーず たべる」と言うので歯を磨いたからもうダメだよというと「だって ちーずたべたい…」とぐずり始めた…。しかたなしにチーズは無いよと言うと、「だって かったもん…」と言う。妻に聞けば昨日買ったとのこと。
 本当は食べさせたくなかったが仕方なくチーズを食べさせ再び歯を磨かせると、嬉しそうに布団に潜りこみ掛け布団をすっぽりかぶると微動だにせずそのまま眠りについたのである…。
2009年01月05日(mon)  No.4

1月3日

 昨日はC社Kさん宅の新年会に昼過ぎに出掛け、帰りは京急にのる気力を失い(駅まで行ったのだが、ちょうど品川方面行きが行ったところだったので…)糀谷駅(こうじや)前から環七に出てタクシーで帰宅。
 昼過ぎからお酒を飲んで延々同じ場所にいて、妻も気持ち悪い(飲んではいけない”スピリタス”を飲んだらしい…)というので即タクシーに乗ったのである。タクシーの運転手もおしゃべりがほどほどで気分よく乗ってこられたが、話しが自分の娘が5人いてと言うので何だか華やかな感じなのだろうなと思って歳を聞いたら双子もいて50才くらい…。妻と眼を合わせて笑っているうちに自宅マンション近くの柿の木坂陸橋に到着。部屋に入るなり全員倒れるように眠りについたのであった。
 今朝は昨日のお酒が残っていて、目が覚めたのは8時を過ぎ…。もっと眠れるような感じであったが、今日は千葉の実家に行く日なので慌ただしく支度をし10時半過ぎに部屋を出た。
 東横線で隣駅の自由が丘まで行き、大井町線に乗り終点大井町。京浜東北線に乗り換え品川まで行き、横須賀線に乗り津田沼まで。さらに総武線に乗り換え幕張駅下車。都立大学駅からは結構実家は遠く、3才くらいの時まで怜王はその乗っている時間に飽きてしまいぐずることも多かったが4才になってほとんどぐずることもなくなくなった。成長したものである。
 怜王はおじいちゃんとおばあちゃんに会えるのを楽しみにしているが、年に一度妹の家族(29になる長女を筆頭に、25の長男、19の次女)とも会えるので僕自身も楽しみなのである。
 12時半過ぎ到着。少し遅くなったと思ったが、妹たちはまだ来ていなかった。怜王は真っ先に自分のショルダーバッグに入れて来たバットモービルをおじいちゃんとおばあちゃんに見せ「ばっとまん しってる?」などと言っていた。
 1時間ほど経過したころ、妹と次女のYちゃんがやって来た。高校を卒業をしてたあと表参道にある専門学校(スタイリストやデザイナーの養成所)に通い始めていて、1年前とは化粧の感じも違いとても可愛らしく大人っぽくなっていた。
 妹たちが来てから30分後、長女のSがやって来た。Sはギャルっぽい?ファッションで、相変わらずすらっとして可愛らしい。さらに30分くらい経ったころ、長男のTがやって来た。Tは阿部寛っぽい感じでかなり背が高く、とてもひょうきん。
 そのTからHMV限定のスパイダーマンの人形をプレゼントされ、怜王は大喜び!TはHMVに勤めているのである。
 5時半を回った頃、お父さんのTくんが仕事帰りにやって来た。これで全員集合(残念ながらいっしょに酒でも飲もうと思っていた弟は出掛けていて、会えずじまいであった…)。6時半過ぎ、妹の家族よりさきに実家をあとに帰路についた。
 今日一日かゆそうにせず過ごしていた怜王であったが、夕飯を食べたあとにわかにかゆがり始め…「ひとりでねむれる」と言って布団に入ったまで良かったが、かゆくて眠れず…しばらくさすったり保湿剤をぬったりしてあげた。
 ここ2日3日お正月だからと、とふだん食べないものを食べさせてしたので当然(もちろん意識的に卵とジャガイモは除去し食べさせはした)なのだが…。通園が始まる8日までに、いつもどうりの食生活パターンに軌道修正しなければ。
2009年01月03日(sat)  No.3

1月1日

 昨日はたくさんの参拝客で賑わう、目黒不動尊で除夜の鐘を聞いた。怜王は夜店で買ってあげたたい焼きを美味しそうに食べて満足気だったが、それにしても例年になく暖かい大晦日だった。
 開けて2012年、6時半に目が覚めた。昨日同様寒むくない。過ごしやすいが年明けだが、元旦らしくない気がして少々物足りない…。
 7時半、怜王が起きてきた。新年の挨拶をしたあと、リラックマの絵が描かれたお年玉袋(僕と妻からということで、2000円!)を怜王に!嬉しそうに自分の財布に入れながら、「ねんにいちどだから はやくつかわないと!」と訳のわからないことを言うので言うので元旦はお店開いてないよと言うと、がっくり肩を落としていた。
 日曜日でも元旦なのでテレビの子ども番組は教育テレビしかやっていなく少々つまらなそうだったが、8時半を過ぎてプレステ3ゲーム「白騎士物語」をすごすごとやり始めた。
 今年の正月、今までと違うことはFacebookの存在の大きさだ。大晦日あたりからたくさんのコメントが入ってくる。年賀状でも新年の挨拶はしているが、Facebookはリアルタイムでダイレクトなので送ってもらえた人たちの今現在の様子が知れてとても面白い。そんなわけでiPodにメッセージの通知を知らせる音が頻繁に鳴り、Mac Book Proは元旦からフル稼働!
 朝起きてからまずは菊水の辛口をちびちびやって、昼くらいから赤ワインをちびちびやりながらまったりと午後を過ごす。そしてお年玉をどうにか使おうとする玲央は、ビーダマンを買いに行きたいと執拗に言うので開いてる店を探すと近場ではダイエー。ということで…、碑文谷ダイエーのおもちゃ売り場に東急バスで向かう。
 到着後直行で7階のおもちゃ売り場ヘ行、お目当ての「超改造セット パワー&連射」をゲットののち2階で飲み物などを購入し帰宅。
 さて明日は毎年元旦2日に元C社のKさん宅での新年会、3日は千葉の実家へと二日連続で出かけることになっている。今現在休んでいる早朝ランニングは2つのイベントが終わった翌日の4日より再開予定。
 夜になり怜王がが眠った9時半位から、GyaO!で見れる最新映画「インベージョン(http://wwws.warnerbros.co.jp/theinvasion/site.htm)」を見る。ニコール・キッドマンの息子役の子が、怜王と同じくらいの男の子で少々思い込みも多く入りつつ見るがとても面白かった。
 カテゴリーが SFスリラーとあったがぜんぜんそんな感じではなく、母と息子が信じあって難関を乗り越えると言いような映画。配信は元旦からなので、チャンスがあったら怜王にも見せたいなと思った。
2009年01月01日(thu)  No.566

1月1日

 昨夜テレビでK-1グランプリ(バダ・ハリがKOされたのには驚いた!)を見ているうちに怜王が眠そうにし始めたので、寝かしつけようと9時過ぎから背中をさすってあげているうちに自分も寝むくなってしまい10時前に眠った。
 妻は8時くらいからキッチンで読書をしていて、11時半を回った頃怜王がかゆがって目を覚ましたので背中をさすって寝かしつけた時キッチンをのぞくと寝る支度をしているところであった。朝までぐっすり怜王には寝て欲しいと思いながら眠ったが、1時半過ぎ、再びかゆがって目を覚ました…。
 昨日何かアレルゲンであるものを食べさせたかな?と思い出そうとしたが心当たりはない…。気分的なものか布団の中が暖かくなりすぎたのか分からないが、ともかく寝かしつけたあと自分も寝ようとするが夜早く寝すぎたため4時半くらいから目が覚めてしまい…ひたすら覚醒したまま目を閉じているといろんなことが脳裏をかすめたが、妻と怜王の寝息を聞いているうちに気がつくと眠りに落ち気がつくと6時半を回っていた。
 朝までに怜王は2回目を覚ましたが、背中をさすってあげると数分で眠りについた。さほどかゆいわけではなく、目が覚めてしまって習慣的にかゆいような気になるのではないだろうか。本当にかゆい時の怜王は、数分で眠ることなく1時間はぐずり続けるからだ。
 ともあれ僕としてはうかつにも10時前に眠り、実質的に(横になっている時間の意…)8時間半眠ったことになる。通常5時間ほどしか眠れていないので、新年早々良い兆候と言える?だろう。
 新年の朝昨夜セレクトしたシトロエンC5ディーゼル ツアラー2.0の画像データを妻のMacに送信し、2009年1月用のジャベルの扉写真(http://www.javel.co.jp/)の制作をしてもらっている間に怜王をお風呂に入れた。
 12時過ぎ、等々力不動尊(http://www.manganji.or.jp/)へ初詣に出掛ける。ここは等々力に住んでいた時に自宅マンションから徒歩数分の距離にあり、弘法大師ゆかりのということで毎年初詣に行っている場所。
 都立大学駅近くのバス停から、東急バスで終点等々力下車。元旦は道路が空いているので、5分ほどで到着。等々力駅前の渓谷入り口から、渓谷沿いに不動尊へ。お参りをし三人でおみくじを引いて等々力不動尊をあとに、等々力2丁目の住宅街を通り環八を渡り尾山台のハッピーロード商店街を抜けて大井町線の尾山台駅まで。
 この街は怜王を妻が生む時にお世話になったクリニックもありとても懐かしい街なのだが、都立大学に住んでもうじき5年エリア的にもう一度戻って住みたい(数年前まではそう思っていた…)と言う思いはなくなっていた。
 帰宅後怜王は3時半過ぎから昼寝を始めた。眠る前に少々ぐずったが意外にその眠りは深く、5時半過ぎまで爆睡。このラッキーな時間を利用し、妻は年賀状を僕はT社の原稿を書き進めどうにか仕上げる。
 起きて来た怜王は快調に夕飯を食べ、9時過ぎに眠るまで楽しそうにしていた。2009年は、穏やかにスタートしたのである。
2009年01月01日(thu)  No.2

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