17才頃から大手拓次や西脇順三郎に感化され、詩を読みあさり書きためていました。 高校を卒業すると同時にアテネ・フランセで仏語を勉強しながら神田のS書店でアルバイトをしていた時詩人の桜心太郎氏と知り合い、初期詩編トップに掲載した「岩礁」を彼の主催する同人誌「フォーカス」5号(1973)に発表。その後作家芦原修二氏主催の「海とユリ」に参加し、詩を量産しはじめていました。
 その後書店で働いている時たまたま開いたカメラ雑誌に、「ワークショップ写真学校」生徒募集の広告を見た時直感的に写真家になる思いをつのらせはじめ、写真への興味が詩を追いこして行き、写真のアシスタントからプロになった1977年ころより 詩作を再開。
 思えば自分の経過してきたあらゆるシーンに、詩を書くという行為があったといえます。ここではほとんど写真と平行して歩いてきたもうひとりの曽根陽一である詩作を紹介します。