ルナティック・シップ


1
森の緑の
アーチをくぐり抜けると
ネーデルランドの
鳥瞰図の描かれた
見覚えのある
キッチンの木目の鮮やかな
テーブルに落ちた真魚の涙や
とぎすまされた衣擦れが
祝詞をあげるように
僕の中で照応しはじめた
深く息づく
熱帯雨林の
逼塞してしまいそうな
霧のカーテンを裂き
なめるように
光学的な
視界を傍観すべく
いっきに立ちのぼる
宙の頂点へ
数え切れない
無意識の像を
フラッシュバックする
その感覚
天空石の
幾千もの光跡が
道を
照らし出してゆく


2
聖アントワーヌの誘惑にみる
青白い
アメーバの誘導路が
まぶたを透過し
脳内閃光する
あやうい瞬間
憑かれたように
聴覚は先鋭化し
彼方の惑星たちの
ささやきまでも
瞬時に解読可能なほど
センチメンタルな
感触
印の記憶はない
これは誰にでも
そう思えることなのか?
あの夏の日の
むせ返るような
草いきれに誘われて
セイタカアワダチソウの
幾千も連立する
第三の視界に足元を奪われ
よろけながら
大地にうつ伏し
カビ臭い地中の酵母から
思いもよらず天空に放たれた
あの記憶に
僕は長い間
翻弄され続けて来た
こうした
あまりに私的な
あまりに小惑星的な
ものいいに
エソラゴトであるかのような
あるいは
扇情的である
という烙印を
足かせのように
視覚的に
傍観されなないほど
寂しい血流を
母胎のそれではない
形状の具現化された
事象にすり替わり
公言されたことが
かつてあっただろうか?


3
覚醒
記憶の
不確かさを証明する
残像装置
西方の大地で
人差し指を天空に掲げ
ひと知れず
昇天することを許される
凡人も
日常のわずかな亀裂に
脱糞する
聖人も
不謹慎な自我を
垂れ流しにする
詩人の
感傷的
自慰行為をいざなう
どれほどの物語が
生まれ
退屈な言葉を愛撫しながら
水晶玉を抱いた
少女が
悶々と時を剥離する
その車窓から
投影される奇景色に
新星を望景する人の
手のひらに
白昼迷い道をしたまま
ベランダの
鉄柵のペンキの剥げ落ちた
クレーターのような
錆び付いた空間に
うずくまっていた
てんとう虫がよじ登り
天体を仰ぎ見ては
立ち止まり
前髪が微かにそよぐほどの
微風が吹いた
その瞬間
闇夜の
空殻変動亀裂を目視し
テンペル第一彗星めがけ
飛び立ったことを
知るものはただひとり
受胎告知を
自らの啓示として
ゆるぎない
二重惑星の直感を放ち
冥王星の
はるか彼方から舞い降た
二分の一世紀の相似形であり
十二宮巡礼途上の化身
パタンの
とある寺院で見かけた
この世のものとも思えない
透き通った
中性的
御影
その不意の遭遇が
どれだけ芳醇な
直感的酵母の発酵うながしたことか
深海の限りなく
透明で
濃密な
海水に身を包まれ
遠のいて行く
意識の薄れを抱きしめるように
深く
さらに海の奥深く
絶景海底惑星を
瞬く間に通過し
暗黒海の果てまでもすり抜け
宙に放なたれ
瞬間を夢想する
藍白色とも
亜鉛華色ともつかない
ゼラチン状の流動物が
固形になる頃
青白い月に照らし出された
ある都市の路面に
刃の形状で光のアーチが
輝いては消えるのを見た
時の経過を裂くような
眩さの中
景観をトレースしたように
幾度か実体と重なる
棄景の街が
記憶を滑るような
その感覚は
金魚の死 その日夕焼 永かりき
といみじくも詠んだ
薫風の情感
テレポーテーションをいざなう
十七文字の魔法


4
夜明け前の
漆黒の闇から
ダイヤモンドのように
エッジの立った稜線が
スイートアリッサムの優しさで
霜月の水星を
直視した
像となって蘇る日
おやゆびとひとさしゆびで
無限大を描くように
空を切り
地球に降りたつ純白の
萌芽を思う
それは天体を映しだす
大海の
藍色の水底から
漆黒に
諧調が移行するように
色に溶け込み
息づいていた
きわめて微かな昇華は
液体に循環する
連歌のように反応するだろう
そして限りなく
オートマティスムの渦に
眩いばかりの
言の葉は
絶え間なくゆらめき
天を突き抜ける稲妻のように
海王星の妖しげな
光彩と
天王星の静謐なる沈黙に
急速な浄化をもたらす
君の誕生
上弦の宵月の中潮
平成十六年十一月十九日
午後二時十七分
天海より祝福された


5
サランコットのおかの
ビューポイントより
よあけのヒマラヤを
ははがちょうぼうしたとき
じょうげんの
よいつきのじこくに
ちじょうにおりるよう
ルナティック・シップから
テレバスをうけた
それはめいおうせいから
いっちょくせんにたいようへ
そしてつきをけいゆして
かあさんのいしきのなかに
しきゅうこうをひらくときを
インプットするためだった
ルナティック・シップ
それはたいばんをあおぎみる
しきゅうのこと
やわらかたいないの
なんおくこうねんのかなたから
くりかえされるいでんし
そしてゲノムせんしょくたい
れきしをきょうゆうするとき
まぶたにかんじる
あわいめいあんや
しきゅうにはんきょうしていた
ふたつのこえは
どせいのリングにきょうめいし
ぼくのまぶたにえんをえがく
そしてきたるべきとき
みずのせかいからくうきのせかいへ
さらにうみづきまで
とぎれることなくきこえていた
かあさんのこどうが
とおのきはじめたしゅんかん
あらゆるおとやこえ
ひかりやかげが
いっきにぼくをつつみこみ
みずのないせかいに
ぼくはおりたった
きゅうげきなへんかにみぶるいし
くるまれたしろいぬののはしを
おやゆびとひとさしゆびで
つまんででみた
やわらかいひだをさわるように
たいないにいたころ
ぼくがよくしていたのを
おぼえてる?
うまれてすぐそれをしたのは
ぼくがぼくであることのあかしを
みてもらいたかったから
かあさんに


6
まだ見ぬ君を想い
具象する染色体から
静かに内視する時
ひとつの形象は浮かんでは消え
浮かんでは消え
天空の厚い雲のなかに
放たれたように
僕は彼方の水音に耳を傾け
架空立像を
想い描いて来た
そして来るべき時
処女航海に
出奔しようとする
まさに気の立ち昇る瞬間
君からの意思を
一瞬の瞬きの中で
完璧に洞察し
解読した
断続的瞑想ではなく
遺伝子の密度
密なる伝承として帆走する
頌詩(ほめうた)として
この詩編を
息子・怜王に贈りたい
ペルセウス座流星群が輝く
葉月の宵
心優しき
獣王になぞられし
君に

DRUG 3号 2005(Autumn)

 

昼下がりの扉


1
風がそよぎ
かすかに窓ガラスを
ふるわせた
夏の余韻の残る
初秋の昼下がり
昼寝をしていたレオは
振動の波紋に共鳴するように
眠りから覚め
窓のフレーム越しに
青空に浮かぶ白い大きな雲を
ぼんやり見上げた
雲はゆったりレオのつま先の方から
頭の方へ流れていて
眺めているうちに
自分が浮遊しているような
不思議な感覚におそわれた
その瞬間天井の方から
カチッという音が…
ゆっくりレオは身体をおこし
音がした上の方を見上げ
まじまじ観察したが
いつもと同じ
白塗りの天井が広がるばかり
しかし何かが違う…
そんな違和感を抱きながら
眠る前キッチンで
お昼作っていた母を探すが
どこにもいない…
「おなかすいた…」
そう思いテーブルの上を見ると
レオの大好きなハムサンドがおかれていて
コーンスープからは
湯気が立ちのぼっていた
ハムサンドを取ろうと
コーンスープの真上に手をかざすと
何かが変な感じがした
それは蜉蝣のように
あるはずの実体に
手は通るのだが湯気が揺るがない…
不思議というよりあまりに唐突で
まじまじ湯気を見つめていると
視線の先の壁丸い時計が見え
十二時半を示していて
秒針は三時の位置で止まっていた
いつもと違うこの状態に
胸騒ぎを感じたレオは
はやる気持ちを押さえ
キッチンから廊下を小走りに駆け抜け
サンダルを突っかけて
玄関のドアを
突き飛ばすように開け
外に出た


2
耳の奥から眼球を抜け
閉じたまぶたを透過し
ふたたび耳に
静寂のこもったような
遠い反響音が聴こえていた
玄関のドアを開いた時の白い閃光に
まぶたを閉じたレオは
深閑とした音そのものを感じながら
ゆっくり目を見開く
そこにはあるべきはずの家の門がなく
信じられないほど広々感じる風景と
でこぼこのホコリっぽいの道
そこはレオが知っている
家の前の風景であるようでいて
まったく違う場?
記憶の曖昧な景観を
驚愕の面持ちで
数えきれないほどの
瞬きを繰り返しながら見つめていた
どれくらい時間がたったのだろうか
母を探してい家を出たことを思い出し
あたりをきょろきょろしているうちに
今出て来た家のドアを見ると
そこにはドアではない
引き戸の古めかしい木造の平屋が
そして表札を見ても知らない字の名前…
胸騒ぎと恐怖感から
早く自分の母を探そうと
見覚えのある路地から家の裏手に回るが
母の姿はなかった
どのくらい歩き続けただろうか
鬱蒼とした樹々の
ざわめきが聴こえる
三叉路にそびえたつ
見たことのある洋館前で
レオは立ち止まった
廃墟のように
朽ち果ているのではなく
建てられたばかリのように
美しい…
いつも浸食で形が変形してしまっような
レンガ塀のある部分を探すと
微かに見覚えのある位置に
微妙にくぼんだ部分を発見
さっそくひとさし指でそっとなぞってみる
レオはこの場所を通るとき
必ずある場所にひとさし指を触れた
家の中でも二階へ上がる階段の
右端の柱の角に親指の第一関節を合わせ
柱のある部分をひとさし指で
そっとなぞる癖がレオにはある
ひとり歩きを始めた頃からすでに2年
儀式であるかのように
その場所を触れることをレオはやめない
魔法をかけるように
息を少し吸い込みながら
そして優しく…


3
ふと気がつくと
しっぽの短い三毛猫が
洋館の斜向いの日だまり路地から
レオをじっと見つめてた
「あっ、まおさん…」と
レオがつぶやいたその名前
レオが生まれた時から家にいた猫で
今年の夏の老衰で死んだ
まおさんそっくり…
レオがきょとんと見ていると
「みちにまよったの?」とその三毛猫…
微かに笑っているようにも思え
とりたてて猫がしゃべったことを
不思議に思えなかったレオは
今までの経緯を話してみた
すると一度目をつぶった三毛猫は
すっとお尻を向けると
「あとをついてきて」といって歩き始めた
数歩歩くと振り返り
ついて来ているのを確認しては
また歩くを繰り返し
見たこともない路地を
ゆっくり歩いて行く
ずいぶん歩いたような気がしたが
気がつくと道沿いにある
下水を流すドブの脇で
少し傾いたように
その三毛猫はひょこっと座り
「いいかい、いえのなかにはいったら
そとにでたときのことをよーくおもいだして
すんぶんたがわずおなじように
もういちどやってごらん」
と言ってレオを見て微笑んだ
思わずぶるっと身ぶるが出てしまったが
木造の家の前に立ち出てきた場所を見上げた
さっきは気がつかなかったが
引き戸は障子のように格子があり
障子紙の代りに江戸切り子のような
模様の入った磨りガラスが…
ほんの少し前に乗り出した時
星の形をした磨りガラスの部分が
太陽の光に反射して
キラッと光った
とその瞬間
磨りガラスの青っぽい感じっと
星模様にふと懐かしさを感じ
吸い込まれるように引き戸を開け
レオは家の中へ


4
中に入ると背後から陽の光が射し込み
自分の影が玄関の床に落ちた
そこには何と焦げ茶色の土…
一瞬不安になり
開けたままの引き戸の先を
振り返ってみると
三毛猫はじっとレオを見て
「だいじょうぶ!」
「あんしんして、さきにすすみなさい!」
そんな言葉に
レオはふうっと息を吐いて
三毛猫に微笑み返し引き戸を閉め
ゆっくりサンダルをぬいで
廊下に上がった
目の前にある障子を開けると
そこは六畳ほどの畳の部屋
右側に割れた補修後のあるガラス窓
その下に図案の奇麗な
えんじの布がかかった三面鏡
左手には年期の入った茶色いタンス
部屋の真ん中には丸くて低いテーブル…
すべて見たこともないものばかり
丸いテーブルの上には
おいなりさんとお吸い物がおかれていて
お吸い物からは湯気が…
レオは湯気に手をかざしてみたい
そんな衝動に駆られたが
自分を制すようにふうーと
湯気に向けて息を吐きかけてみた
すると湯気はゆらゆら揺らいで
部屋の空気にとけ込んでゆくではないか
ほっとしたレオは六畳の部屋を通り抜け
正面のふすまを思いきって開けて見た
冷蔵庫も電子レンジも
トースターも炊飯器もないが
石で出来た流しのようなものがあったので
ここがキッチン?
そしてもうひとつの引き戸はトイレ…
再び六畳の部屋に入ると
背後の上の方で「カチッ」という音
振り返ると時計であることは分かるが
縦長の箱のよう形をしていて
文字盤の下のガラス窓には
銀色の丸くて大きい
手鏡のような光るモノが…
時間を見ると
秒針こそないが十二時半を示していた
「あっ、いそがないと!」
とレオは走りかけたが
「まてよまてよ」と自分を制し
「いち・にい・さん…」と十五数えてから
六畳間を通り抜け破れた障子を開き土間に降り
いっきに引き戸を開けた


5
いくつもの光景が
凄まじいスピードでレオの脳裏に
記憶として焼き付けられて行く
それはまったく違う時代が
場所というイメージの
共有感覚に同化するように
歴史の隙間を綿密に埋めて行くような
けなげな光景の連続であった
「レオくん、起きたんだ」
「お昼ごはんできてるよ!」
郵便物を手にした母が
ニコニコしながら目の前に立っていた
周囲を見渡すと
門はあるし家もドアも元のまま
よかった…と思いながら
「おかあさん、まおさんがいたよ」
「さっきまおさんとおはなしをしたよ」
と堰を切ったように話す
「えっ…」と怪訝な顔の母…
「だっておかあさんのうしろに…」
とレオが必死の形相でいうので
母は振り返えってみたが
そこには門があるばかり
「いないのよ」
「まおさんはね
天国へ行ってここにはいないの…」
「……」一瞬沈黙をし
何かを聞いているような仕種をしたあと
レオは母の脇をするりと抜け
門を開けて外に出た
まばたきをするくらいの一瞬に
五十年前の時の狭間
時空のスクリーンが現れ
さっきと同じ町同じ空気
同じ匂いを感じたかと思った時
父のアルバムから出て来たような
レオによく似たおかっぱ頭の少年が
レオに微笑みかけた
「まおさん、いた?」
「ううん…」
「でもちいさいおとうさんの
しゃしんのこがいまぼくをみてわらったよ!」
そう言ってからにこっと笑うと
玄関のドアを開け
一目散に家のなかへ入っていった
レオが入っていったドアを
しばらく見つめていたが
思い当たることがあって
「ふふっ」と苦笑いをし
レオに続いて玄関のドアを開け
母は家の中に入っていった


6
「小さい頃の自分に似ているぞ」などと
父はレオに写真を見せたがっていたが
等のレオはと言えば「ふうーん」というだけで
父の話にレオは取り合わなかった
しかし昨夜はめずらしく
「ちいさいおとうさんの、しゃしんみせて」と
めずらしくレオが父に懇願していた
それを聞いた父は
嬉しそうに押し入れの奥の方から
古いアルバムを出して来て
「な、そっくりだろう!」と
田端のおばあちゃんの家の前で
キャッチャーミットを得意げに構えている
自分の写真を見せると「あっ、ほんとだ…」
といってレオが目を丸くしながらも
父が見せた写真に見入っていことを
思い出したからだった
「レオは想像力がたくましいから…」
と思うが三毛猫のことは腑に落ちない…
父がレオくらいの頃三毛猫が家にいて
「毎日家の前のドブ脇でよく遊んだ」
そんなことを思い出したがレオは
まったくそのことを知らない…
とそんな時「いただきまーす!」
というレオの声
「手を洗わないとダメよ!」と
キッチンへ向かう母
すでにハムサンドをひとつ
手にしていたレオは
二階へあがる階段の下まで行くと
右側の柱の角に
親指の第一関節を合わせ
すでに変色しつつある部分を
ひとさし指でそっとなぞり
振り返って母の顔を見るなり
「わーっ!」と言いながら
階段を駆け上がって行った

DRUG 4号 2005(Winter)