禽獣と樹林と輝くもの
冷たい雨の
数えきれないほどの層の中
ふたつの光源が漂って見える
寒椿と椰子
蘇鉄の葉のゆったりした眠りは
黒々と天へ伸びる樹林の影をぬうように
本能的に青白い光に照準を合わせる
微かに神経を逆なでする
バスクラリネットのような禽獣の鳴き声は
静まり返った土の底から
バルーンのような空気の表面を
圧迫するようにくり返される
そして長い沈黙の後
瞬きすることさえ許されない
ひっそりとした時の経過の中
自分を誇示するかのようなふたつの光は
そこにあり続ける
2002.2.3
詩人頌
柘榴の果汁の因習と
無花果のやわらかな香りは
ツァラの日常のように
樹皮の眠りをさまたげるであろう
それは彼方
鳥獣の飛び交う
ロートレアモンの教典がもたらした
見果てぬ夢に呪縛されるであろう
罪深い司教たち
道をひらくものたちは眩い陽の光の中で
東方のゾンガラスである西行の驚異を
桜花の頃に知ることになるであろう
たとえばキム・ジハの黄土を忘れても
ブローティガンの東京日記を知らずとも
アンダルシアの神童も
富士見坂の錬金術師を否定できないであろう
そして旅するもの
その天空の匂いを嗅いだものたちは
すべて大手拓次の夜から生まれた香料の糧である
蛇の花嫁となるであろう
2002.2.17
深海の記憶
深海に横たわる青白いもの
ジュゴンの棺のような
なめらかな質感を讃えた
おぞましい形状の水泡は
唇からこぼれ落ちるアメリカの宝石
ワイヤーの上の円筒形の夢
太陽のへばりついた尾道の
色鮮やかな青磁のタイルに
耳を寄せ聴いたボレロの調べが
睡魔が忍びよるたびに
くり返され 蛇行し
いくつかの時がすり落ちて行く
そんな臨終の景色を
あの日頬を撫でた
なま暖かい風が眼球をなめ回し
ざらついた記憶が
点描画のように増殖して
僕の視界をさえぎる
眠りたい
瞼に映るクラゲのように
眠りたい
2002.3.7
ダンデライオン
削ぎ落とされた
キャベツの断面のように
招かれざる
ダンデライオンの影はかき消され
あざやかな迷路を流れては
濃厚な残り香をふりまく
オルフェの手のひらは
いつしかくすんだ窓ガラスへ残像だけを残し
培養された紫煙の気配は
いっきに退色した過去へ向かう
僕の中でうごめくもの
青白い炎のが映り込んだ
爬虫類の表皮のようなざらついた感触
夏の防波堤に吐き捨てられた
ローズマリーのアイスクリームや
都庁展望台から見た
デバイスのような細密な紋様
あらゆる記憶がランダムに蘇る
絵巻物の黴くさい匂い・・・
僕には見える時がある
渋谷のスクランブル交差点で
いつしか知り合うだろう人とすれ違う瞬間
母体にいた昭和二十七年八月二十三日の
叢にひそむグラスホッパーや
古今和歌集にさかのぼる
血縁たちの幻影
自分の息が途絶えるであろう
まだ見ぬ土地のデジャヴ・・・
2002.5.13
なずな
いつになく静ひつな樹林の影から
おまえは息をひそめるように上昇する
微かな振動を頼りに透明な触覚を伸ばしながら
ひとしれず形状を保とうとするその姿は
いまだ誰にも認知されていない
夏の焼けつくような雑踏を見下ろし
おまえは思うことだろう
千の陰獣をむさぼる風穴の世界を
あるいは地表に落ちた懐かしい塔の残像を
雲を貫いた摩天楼のような蔓の行方を
いまだひとの目に触れない引力の母体は
おまえにひとつの試練を与えている
青白い昆虫の胎内から噴霧され
幾度となく磨きあげられた結晶の採取という
果てしなく退屈な労働だ
”なずな”と命名された琵琶湖の新生児を
おまえは文字のひらめく分厚い聖典を見るまでもなく
知っているに違いない 探し出すのだ
しかるべく手にすべき欲望の姿である一握りの糧を
そして安息の眠りを知る神童の行方を
2002.08.22
メビウス
点と線を包み込むプラチナの
浄化された固体から放射線状に広がる
小宇宙を秘めた唯一の惑星は微細な回転を
しながら僕の中に振動を伝えて
は神経質な痙攣とも安らかな麻痺とも
つかない刺激を与え続け
ている重力に反した等々力の
天空とインナートリップする
ような感触が体内から離脱し記憶の形状へ
と再生をはかる
封印された欠界を透視するメビウス
の輪を強く水晶体に感じ
ながらアンバー色に染まった環状八号線
沿いの歩道を天地の境もない
まま浮遊しては肉体を蝕むサナギの
ようにけなげな輝きを僕は胸一杯に吸い
込み眠りをむさぼる
こともなく光を集め続けテントセンヲツツミ・・・
2002.10.14