1998年〜2000年

夜のために

少年の手のひらに
限りなくこぼれ落ちる断片は
はらはらと浄化された永遠のように
冷たい輝きをはなっている

直感ではない

満天の星の下を散歩する
天文学者の絶望
繰り返される労働ではなく
寓話の中を這い回るダイヤモンドの雨
眠れない夜のために
手探りの文字が思考しながら
嘘をつく

1998・2・15




部屋

初老の女性に通されたのは
旧家独特の
慣習のよどみが充満した
端正な和室だった
静けさが妙にざわついていて
微かに線香の香りがくゆるように
漂っている
白々と雪見窓から射し込む
眩いばかりの斜光は
どっしりした光沢のある和膳に反射し
数千数億のほこりの群れが
ダイアモンドダストのように
ひらひら舞っている
どのくらいたったろうか
ロココ調の
重厚なソファーに横になっていた僕は
大きな水槽のある薄暗い洋室にいた
過敏な環境の中
色鮮やかな色彩を放つ熱帯魚たちは
海面を浮遊するクラゲに心酔するように
まばゆいばかりの
アースををはりめぐらしている
この場所は・・・・・
僕は水平移動するように
分厚い扉をとおり抜け
ほの暗い
大理石のエントランスにふれないまま
彼方の深淵に吸い込まれてゆく・・・・・
草の焼ける匂い
春昼の田園卵形
朽ち果て赤茶けた石塀
さびついた門扉の前には
ラベンダー色につつまれた
懐かしいひとが立っている
「水槽のある部屋
君の部屋だったっけ・・・・・」
言葉が屈折しながら消えようとした時
真赤な海にダイブする
流星の閃光

1998・3・3




卵形

真夏の校庭に歓喜する
子供たちの声はおぞましい
鮮やかなざくろの味覚にすりつぶされた
卵形の残照を回想してしまった彼にとって
煽情され続けた
少女のはずんだ息だけが
かすかなぬくもり感じさせていた
そしてあの日時期を合わせるように
まとわりついた記憶は
すでに見てしまった甘美な景色までもかき消し
時の忘れ形見である発端までも遠ざけ
静かなる安息を決め込んでいた

1998・3・14




刻印

空き地に張られた
鉄条網に鮮血し
裂けた左腕に
三日月が刻印された瞬間から
精緻をきわめていた
彼の惑星に
かすかな軌道の誤差が発生した
薄暗い部屋の
壁が赤々と燃え上がり
ほてった頬に毛細血管が食い込み
空がぐるりと回転し
放り出された身体は
驚異的な速さで劣化する
宙を凝視する彼の網膜は
記憶をはるかにさかのぼり
ランダムに遺伝子像を
供給しつづける機械となる

1998・3・20



セラピストの夜

重たい雲が遠くの空にかかっている
表参道の交差点を足早でわたりながら
いくつかのことをはんすうしていた
じっさいどれも宵やみの冷たい風に
顔から体温が剥離して行くようなもので
今日の渋谷の空の美しさにはかなわない
ビルの屋上の大きなイルミネーションや
ようやく点灯しはじめたヘッドライトの光跡
ティッシュ配布のおんなのこのかんだかい声や
呪文のようなホームレスの説法
すれ違う白い顔の群れにまぎれ
遠くの空を見上げる
そして深海のセラピストのように
高揚したクモの糸をたぐりよせては
ひとしれず陶酔してゆく

1999・12・5



虹色のリング

冷たい風が入り込んでくる
カーテンを踊らすように
いつか見た海岸線がインサートされ
はだけた皮膚の下まで染み入るような風だ

押し倒された草むらの中
擦り切れたフィルムに写された
虹色のリングが現れては消え
金色の産毛をなでるように
往復する無数のアリの群れ

2000・1・10



ヴェネチア

羊水に体をあずけるように

石の幻影は浮かび

鮮鋭な塔は曇天の彼方に姿を隠す

怠惰で透明な皮膜を裂くような朝

海の底から体内細胞を泳ぐように

息をひそめた崇高なビッグアイまでもよせつけない

ヴェネチアは褐色の鉱石のようだ

老いらくの不条理をなぞり

化粧された滑稽な屍の記憶をかさねながら

かび臭いじめじめした路地を這い回る汚れた犬でさえ

大理石の彫刻のように美しい

2000・2・24