1977年〜1997年

夏の記憶

雨の降りそうな
遠くの空で
電車の走る音がする
アンリ・ルッソオの飛行機のことを考えながら
汐風にゆらいでいる
影を追いかけてみたけれど
ちっとも眼が水平にならない
いつのまに加工されたんだろう
傾斜した乾板の上で
まどろむような
夏の記憶を集めた水晶は
貝のように静止している
急に苛立ちを覚えた私は
十五年前の防波堤をかけおり
焼けつく砂に足をとられながら
海を朱色に染めた
屠殺場に向かって
走っていった




夏の記憶2

繰り返された夢の酵母は
硝煙のにおいと
崩壊しかけた赤煉瓦の渇きのなかで
揮発する香料のように退色してゆく
振り返ることさえしない
まひるの白い影である記憶は
手探りの疑惑を培養しながら
樹々におおわれた
大きな洋館を夢想する
ゆるやかな勾配
三叉路にそびえたつ赤煉瓦の壁
陰湿の樹脂と地面
剥き出しになった死相の木の根につまづき
まばゆい鱗の舞い散るなか
吐息まじりで登る坂のさきを
私は覚えていない




微風の道

紅の疾走へ
植物の吐息から
水滴の影に
流れるような魚を見るすべはない
あくまでも点影浮遊する微風のなかに
模造された風景を
消し去ることだ
さかしまの道
走る空似太陽は隠れ
闇にひびく液体は
樹皮の細密迷路を抜け
静かに落下してゆく




朝の旅人

ひめくりの振動
眠らない朝を歩き
耳を澄ます
闇の流れは
波紋の芯のようでもあり
追しよせる青さに
優しさを感じる
窓ガラスにモザイク
滑り落ちる風景
冷たい空気の壁が正方形に名手なって
紫糸のように外気へ向かう
あけはなたれた時間
その場所から
太陽のない
不意の宇宙を発見する




歩道橋

星のない夜に
のぼりかけた歩道橋の上で
静寂の棺によこたわり
光のプーブメントに縛られ
複眼の発光体を垣間見る
私の中で見え始めた青白い粒は
肥大する金属の雨となり
発色する白い吐息の奥に
呑み込まれ
無数の魚に
変化してゆく




感情

汗ばんだ額から
ナイフの線で
おちる
つかみきれない微熱のカケラが
手のひらの上で
迷っている
そして ふっと
消えてしまった






野に眠る
禽獣の死骸や
草花の化身は見つめ
空白の少年は
ブリューゲルの絵のなかで
顔を覆っている
うすれゆく花折れの残像に
息をあわせ
追いかけては
そっと耳を傾ける
少年の見たものは
すきとおった画用紙のすみへ
夜露のようにすいこまれていった




アレゴリー

羊歯類のアレゴリー
図形の陰を擦り抜ける
小さな要塞のなかで
鮮血する眼球の裏に
人知れず洗脳の刻印を焼き付けてゆく
深淵から
溺死を曳航する者
すべて不幸な末路が待っている
逃れるべく呪われた善人たちは人肉を食らい
ケガレの運命をすり替える
哲学的死の崩壊
レム睡眠から引き込まれ
眠り狂うこと
悪夢をむさぼり
倒錯したアレルギーの仮面から
剥がれ落ちるものは
黒い血のりの
爛れた皮膚ばかり
わずかな気配は
植物の死
静かな妄想の海




温室

緑色の群れから
熱帯の風はふるえ
ルビーの液体を呼び回る
傾いた風景
坂下のバス停に
幻覚の海が湧きあがる
二月の眠りは深くて
夢の中の陽炎さえ
青く揺らいでいる影を踏めない
湿気の多い温室を後に
深海のガムランは
聴こえない




昼の夢

記憶の胞子が
恥ずかしそうな
複雑な表情をして
白い眩暈の時を行き交っている
ガリバーの夏
憧憬の海を愛撫する
むせかえる夏草の感触は
少年の吐息のようだ
胸いっぱいの沈黙
知らないことってあってもいい
知ってることを言わなくてもいい
新しいナイフの先端から
かすかなオイルの匂いと
鮮血のしずく
甘酸っぱい味覚が闇をおおったとしても
おまえの夢は
ざらついたアイスクリームの
わずかなベッドでしかない
休息を 緑 赤 青の記号に託して
皮膚のすべての原色の言葉は
眠ることを放棄して
笑っている



植物

鐘の裂け目は
無花果の生殖を監視し
まあたらしい頬の傷をかばっている
闇の硬質な世界を飛翔する
白い月は困惑し
初梅雨に潤う植物質を撹乱する

肉厚の触手を満たす緑色の夢
ささやかれた扇動の扉
アンモニア臭のする透明な液体
夜明けに燃え上がる白馬のたてがみ
宙に浮いたゼラチン状の球体
挿入された海星の群棲地
横たわる不眠症の欲樹
膨張した薔薇の交配

昆虫の悲鳴を幻聴し
巨大な魚におおわれた空を夢想する時
ねじれるような深淵のぬめりから
稜線をはいまわる脳下垂体は錯乱し
うごめくように濃密な記憶である
僧侶の禊が始まる