キヤノンVT型(Canon model-VT)

 1968年9月に発売された「7S型」を最後に、キヤノンは35mmレンジファインダーカメラの製造を中止した。時代のニーズが、35mm一眼レフへと移行しはじめたからである。その終焉を向かえる12年前(1956年)、フイルムを底蓋を外して落とし込むバルナックタイプから裏蓋開閉式に変貌をとげるべく、1台のレンジファインダーカメラが誕生した。それはキヤノンVT型で、ノブ式フイルム巻き上げの他にトリガー巻き上げ機構を加えたデザインの美しい堅牢なカメラである。
 ライカM3発売以降、ほとんどのカメラメーカーがLマウントレンジファインダーカメラの製造から撤退を仕始めたが、キヤノンはVTを皮切りに、いわゆるライカとはまったく違うデザインとポリシーの元、レンジファインダーカメラを製造し続けた。すべてにおいて極めて誠実に造られた、レンジファインダーカメラの黄金時代ともいえる頃である。

 ライカM3が発売されたのは1954年秋で、ピント精度の高さに世界中のカメラメーカーが驚異を覚えたに違いない。キヤノンIVSb改型の発売は4月であるが、その少し前ドイツのケルン市で開催された国際カメラショー第4回フォトキナで発表されたライカM3の衝撃は、VT型の開発発売までの約2年という長きに渡ってキヤノンを沈黙させることになる。
 しかしキヤノンのカメラ開発陣はいわゆるライカコピーではなく、まったく独自の発想でオリジナルレンジファインダーカメラの開発に乗り出した。ここでもっとも象徴的なことは、インダストリアルデザイナー川田龍宥(かわだ・りゅうすけ/L-1・キヤノンフレックス・デミなどを手掛けた)を起用したことにある。
 ライカM3が丸みを帯びたデザインであるのに対して、VT型の直線的デザインは圧倒的にインパクトがある。そしてカメラのあらゆるパーツや機構など、斬新で息を呑むほど美しいデザイン処理である。そしてVT型の前進であるIVSb改型と見比べると、それはあまりに一目瞭然の機能美であり、川田氏の先鋭的な眼とキヤノンのカメラ開発陣の情熱がそそがれたカメラであることが理解出来る。つまりVT型はライカコピーから脱却した、どのカメラにも似ていないキヤノンオリジナルデザイン第1号機でありVシリーズの先駆である。
 
 キヤノンの前進は精機光学工業株式会社という社名であったが、1947年9月15日よりキヤノンカメラ株式会社と社名の変更をしている。それに伴い親しまれて来たセレナーレンズも1953年にすべてキヤノンの名称に変わった。そして僕がVT型用にセレクトしたキヤノン35mmf3.2は、1951年6月発売のセレナー35mmf3.2と同型であるが、名称はキヤノンである。つまり社名がキヤノンに変更された1953年以降、そして製造を打切る1955年までの間に発売されたレンズであることが分かる。コンパクト仕様だがずっしりと重量感があり、完成度の高いレンズである。描写に関しても、かりっとした色のりの良い発色とシャープな描写性は、まったくといっていいほど現代のレンズ比べても遜色がない。というようり、それ以上の再現性を備えているように思える。
 レンズ構成は4群6枚、最小絞りF22の6枚羽根で距離表記はフィートである。個人的なことだがこのレンズを選択するきっかけは、VT型のブライトフレームが35/50/RFを内蔵しているということにあった。つまり今までフェド2やゾルキー6といったレンジファインダーカメラを使用して来てそれらのファインダーが50mm固定であり、広角レンズを使用するとなるとビューファインダーをカメラに取り付けなければならないという煩わしさがあって、広角レンズ使用に踏み切れなかった。ちなみにライカM3に内蔵されたブライトフレームは50/90/135mmと広角レンズにはやはりビューファインダーが必要で、このあたりのことも考慮してキヤノンはVT型開発で35mmフレーム内蔵に踏み切ったのだと思われる。
 50mmレンズに関しては、あえてキヤノンレンズを選択せずソビエト製のジュピター3(ЮПИТЕР−3)をチョイスしたわけだが、VT型とのマッチングはかなり良く白鏡胴にありがちな黄色味の強さもめずらしく少ない固体であった。このレンズはヴァルダイ(valdai)という工場で生産されたもので、ロゴマークはおでんのような形をしている。ジュピター3はツアイス・ゾナーのコピーであり、白鏡胴は前期型・黒鏡胴は後期型でKMZ/ZOMZ/Belomo/MMZといった工場で生産された。
 
 さてVT型だが、手にしてみるとずっしりした金属の重量感が圧巻である。そしてシャープな形状と突起した部分の少ないデザイン処理もまた先鋭さを感じさせるに十分である。そしてすべてがシルバーであるのに対し、トップカバーにあるシャッタースピードダイヤルと円形のファインダーフレーム切り替え表示の2ケ所がブラック塗装仕上げで視覚的にも精悍な印象がある。
 このトップカバー上でもっともデザインの美しさを感じるのは、フイルム巻き戻しレバーであろう。翼の方翼のような形状をしたピンを矢印の方に回すと、カメラ内部からポップアップでフイルム巻き戻しノブが現れる。滑らかな作動感は、何と表現して良いか分からないほど感動的だ。
 巻き上げは2ケ所あり、トップカバーの裏にあるボタンを押して巻き上げノブをポップアップさせるとノブ式巻き上げに、そして底蓋からレバーを起こすとトリガー巻き上げになる。トリガー巻き上げはモータドライブなかった当時、秒間3コマの巻き上げが可能とうたわれただけあって速写性に優れている。しかしトリガー巻き上げはVT型以後が衰退して行くのだが、おそらくカメラを三脚に取り付けた時巻き上げがしにくいという問題があったのだと想像する。それはVT型発売と同年、VT型からトリガー巻き上げを無くし、レバー式の巻き上げにした廉価機種L2型が発売されていることからも伺い知るところである。トリガー仕様はその後もVTdeluxe型・VIT型と継承されるが、当然のことのようにシリーズ最終型の7S型に向かうにつれレバー式フイルム巻き上げが定番となって行った。

 VT型のシャッタースピードはB・Xを含む1秒から1/1000秒(中軸指標付き回転ダイアル式)までで、1/30秒から1秒そしてTまでのの低速シャッターはボディ前面にあるダイヤル(1軸回転ダイアル式)に組み込まれており、セルフタイマーも内蔵。そして有効基線長は長いわけではないが、ピント精度はかなり高く二重像も合わせやすい。またファインダーは黄色味があるが、それは視野率を明るくするためにハーフミラー・プリズムの金メッキ処理(従来比2.5倍明るい視野)をしているからであまり例をみない贅沢な仕様といえる。このハーフミラー・プリズムの金メッキ処理は、1958年に発売されたVL型から銀メッキ処理に変更された。