フォトクローム(Fotochrome)
1948年アメリカで初代ポラロイドランドカメラ、モデル 95・タイプ 40 ランドフィルムが発売された。それは撮った写真をすぐ見ることができるという、信じがたい出来事だったに違いない。そしてモノクロプリントができるパンクロフイルム・タイプ43ランドフィルム発売ののち、1963年初のインスタントカラーフィルム、ポラカラータイプ48が発売され、ランド博士によって考案されたポラロイドカメラは世界中に広まって行った。
ポラカラータイプ48が発売されて2年後、アメリカのフォトクローム社によって依頼され日本のペトリが製造輸出(1965年)したのが”Fotochrome”であり、カートリッジフイルムを使用するインスタントカメラである。
フォトクロームをヤフ−オークションで見つけた時、奇抜なデザインとフォーマットがブローニーの6×9であることから興味がわきそのまま落札した。その時の出品者のコメントがかなり詳しいので少し長いが抜粋引用すると、「60年代、アメリカのフォトクローム社のためにペトリが生産し輸出したものの実際には市販されなかった幻のカメラです。使用感材も特殊なものだったようですが当然ながら現在は手に入りません。日本に里帰りした約500台の内、125台がブローニーフィルムを使用できるよう改造されたことになっています。出品のカメラはそのうちの1台のようです。複数台入手しましたがみな同じ改造がされています。従って現行のブローニーフィルムが使用できます。もともとはモノクロ専用だったため黄色のフィルターが内臓されていたようですが今は取り外されているのでカラーフィルムも使用できます。巻き上げは裏蓋から赤窓を見ながら巻き上げる形式です。画像を反転させるミラーがカメラ内部に内蔵されていますのでプリント時には「裏焼き」と指定しないと左右が逆の写真になり・・・」ということらしい。
漠然と60年代生産輸出とあるが、調べてみると正確には65年である。カメラのパッケージやその他の記録を見ると、フォトクロームは「Fotochrome color camera」と明記されており、ポラロイド社からすでにカラーフィルムが発売されていたことなどを考えると、「モノクロ専用機」という解釈には多少疑問が残る。
さて僕の手元にあるフォトクロームは改造モデルなのでオリジナルの構造は分からないが、改造後の構造は裏蓋の赤窓でフイルムのリーダーペーパーのカウントを見ながら送るといういたって単純な仕組み(フイルム室にスプールをを固定する部分を設置していのが多少不安ではある)で、重量は725グラムである。露出はセレンメーターによるEEなのだが、感度設定も絞りもシャッタースピードの表示もない。つまりカートリッジタイプのフォトクローム専用特殊ロールフイルム(この場合印画紙といった方が良いだろう)に設定さた感度で露出をきめる仕組みであったようだ。
ISO100のリバーサルフイルムで撮影してみるとほぼ適正露出が得られたことから、シャッタースピードは1/125秒あるいは1/100秒固定で、明るさによって絞りが変化する機構のように思われる。面白いのは印画紙に露光されることを前提として造られているので、フイルムに焼きつけられる映像は、出品者のコメントにもあったように「左右が逆」に写るのである。もちろん僕はモノクロフイルムでの撮影を前提としているので、プリントは引伸しの時に逆にするだけで済むのでこれは対した問題ではない。
ただフイルムを現像して分かったことだが、赤窓の位置が少しずれていて8カット撮影できるのだが、最後のカットがフイルムぎりぎりになってしまうのだ。当然フイルムを乾燥に回す時クリップで吊るすことになるわけだが、写っている画像にクリップの詰めが刺さってしまうのである。しかし元々ブローニーフイルム使用で造られたカメラではないのでやむえおえないだろうが、安全をきするなら7カットでフイルムを巻取ることが賢明である。
しかし最後まで疑問に残るのは、なぜフォトクローム社が完成したフォトクロームを販売しなかったかということである。当時のペトリとフォトクローム社のことに詳しい方がいたら、是非真実をお知らせ頂けたらと思う。ちなみにフォトクロームには「made in japan」の刻印はあるが、ペトリの名前はどこにも記されていない。