思わぬ切っ掛けから写真の世界に入り、すでに二十五年が経過している。誰しも自分の好きな仕事で生きていける時代ではないにせよ、曲がりなりに写真を撮ることだけで僕は今日まで生きて来た。というより写真にしがみついて生き延びて来た、といった方が良いかも知れない。
 その間数多くの出合いと別れをくり返しながら、何のあてもないままこの半生記のような文章を思い立って書き始めた。それは世の中に何の形もなかった僕が埼玉県川口市十二月田町の清宮薬局の二階に間借し祝言をあげた父・曽根陽来と母エキの長男として昭和二十八年一月十日に生を受け、今日の日まで生き延びて来たことの詳細な証を記すためではなく、ひとりの人間として記憶の中にあるいくつかの忘れ去られようとしている記憶の断片を拾い集めてみたいという思いからだった。
 平成十四年一月、世田谷区等々力の美しい夕焼け空と雲。道端に芽吹いた小さな朱色の葉。そして東横線のくすんだ車窓から見える景色を見て、「あっ、東京タワー!」と呟いた妻のまなざし。これら日常の移り行く事象は記憶という不思議な保管場所に記憶され、僕はそれをフィルムという自分の眼の分身に記録する。記憶と記録は僕の中で絶えまなくくり返され、写真という記憶装置に焼きつけられてゆく。
 
                       平成十四年一月十日、等々力の自宅にて