ジンバランに移動し、ホテルの部屋に案内されてすぐトラブルが発生した。予約されていたホテルは”ミンピ・リゾート・ホテル”で、ホテルとしては立地条件も素晴らしいのだが何故か僕たちが到着した時季にレストランの補修工事でレストランは封鎖、僕らの部屋は海を前にした眺めのいい部屋なのだが、何故かシャワーだけでバスタブがなかった。妻は翌日に結婚式を控えて部屋の設備に落胆していたので、旅行代理店に連絡をし宿泊先を”バリ・インターコンチネンタル・リゾート”に変更した。
 その夜、タイ旅行中だったK夫妻と奥さんの妹さん、それに友人のドイツ人でWebデザイナーのSが到着。さらに友人のK、S、Hの七人がバリ・インターコンチネンタル・リゾートの野外レストランに集まり、総勢二十名全員がそろい結婚前の祝杯をあげた。
 翌日結婚式を挙げるスミニャックの教会に向かうが、半袖でも熱い気温であるのにホテルから妻はウエディング・ドレス、僕はマオカラーの黒のスーツを着込んでの出発はきつく、スミニャックの教会に到着するまでに冷房してもらったもののびっしり汗をかいてしまった。
 それに教会まで約三十分の道のりレギャン通りあたりで思わぬ渋滞に巻き込まれ、到着までに一時間もかかってしまった。それにしてもクルマの多さには辟易したが、信号のない交差点などで、クルマどうしよくぶつからないものだと感心する。しかし渋滞と排気ガスのバリなど想像もしなかった事も事実で、ある種カルチャーショックを憶えた。しかし教会のあるスミニャックが近づくと風景は一変し、懐かしい日本の田舎を思わせる穏やかな田園と丘陵が美しく広がり心を和ませてくれた。
 
 教会に着くするとすでに参列者は全員教会前に集まっていていた。そして現地の女子高生だという、民族衣装を着たフラワーガール四人に導かれ挙式は始まった。インドネシア語で挙式をすすめる神父は鋭い眼光に優しい笑顔を織りまぜながらたんたんと語るが、熱さと極度の緊張感で頭も足元もふらふらしておぼつかなかったが、時折教会の外から聞こえてくるニワトリの鳴き声がとても滑稽で、式の緊張感をほぐしてくれた。
 署名する直前、マリア像に向かってお祈りをするというので祭壇から脇のマリア像の前まで先導された。見上げるとそこには西洋では考えられない、素朴でかわいらしいアジアの匂いを残したマリア像が僕たちを見守っていた。
 挙式が全て終わり教会の外に出るといっぺんに緊張感がほぐれ、ようやくふたりに笑顔が戻った。そして記念写真の撮影となったが、アシスタントをやってくれていたO君がメインカメラマン、そしてO君の大阪芸大時代の後輩のI君がビデオというフォーメイションで挙式を記録してくれていた。
 しかし挙式をプロデュ−ス会社からも現地のカメラマンが来てて、彼はどうにか自分で場を仕切ろうとするのだが、面白いことにO君とI君もその場を仕切ろうとしていて現地のニコンを持って来ていたカメラマンの青年は苦笑いをしながら、日本から来た若い二人のカメラマンにその場を譲っていたのが撮られる立場で見ていると頼もしいやら照れくさいやらで面白かった。
 すべてが終わりクルマに乗り込もうとすると、教会近くに住んでいる人たちおよそ五十人ほど全員が笑顔で拍手をしてくれた。そんなセンチメンタルな映画のワンシーンのような光景を車窓越しに見ながら、僕らを乗せた白色のベンツは静かな走りで田園の広がるスミニャックの村の一本道に滑るように出ていった。