「トッケイ!、トッケイ!、トッケイ!」、という奇妙な鳴き声で早朝眼がさめた。どんな鳥がいるのか気になって、部屋からバルコニーに出て外を見渡しても鳥らしき存在はない。しばらくバルコニーにいて植物の生茂るウブドの景色を撮影していると、再びどこからともなく「トッケイ!」という奇妙な鳴き声がする。ともかく鳴き声のする方角を注意して眼をこらしていると、そこにはトカゲのような生き物が樹木にへばりついていた。
 奇妙な鳴き声の主は”チャクチャク”、もしくは聞こえたままの”トッケイ”とよばれる大ヤモリだった。帰国後読んだ”好きになっちゃったバリ”(下川佑治責任編集:双葉社刊)という本にバリの人の話として、「トッケイが鳴いた時にね、””って数えるんだ。つまり、奇数回鳴けば金持ちに、偶数回鳴けば貧乏になるってわけさ。十一回はいちばんよくて、な〜んでも願いが叶う。ハッハッ、遊びさ」という一文があったが、しかし僕がトッケイの鳴き声をその時何回数えたのか、すでに忘れてしまっていた。まあ今の自分を見れば、偶数回だったのかも知れないが・・・
 朝の眩しい陽射しを浴びたウブドの町は、いたるところにトレイに乗せられた切り花が置かれ神聖な別世界のように僕には映った。それはホテルのバルコニーに、家の前に、市場の雑踏の中にと場所を選ばず限り無く置かれているのを見て、あらためてバリの町いるのだなぁ!と実感した。妻は旅の疲れか午前中ホテルの部屋で仮眠をとるというので、友人と連れ立ってウブド散策に出た。
 歩いていて気がついたのだが、バリの人たちはイタリア人同様小柄な人が多く、イタリアでも感じた違和感のない感じは、もしかしたら日本人とかわらない身長にあるのかもしれないと思った。ともかくはじめてのバリであるウブドの町を、くまなく歩き写真を撮り始めた。
 
 宿泊しているオカ・カルティニのあるトゥブサヤから民家の多い北西のタマンからラヤ・ウブド通りに戻り、町の中心であるマーケットでしばらく撮影をし有名な”カフェ・ロータス”で昼食をとった
 。友人達はホテルに戻らずショッピングをするというのでカフェ・ロータスで別れ、仮眠をとっている妻の間食用にスーパーマーケットでビスケットや飲み物を買い求め、来た道とは違うマーケットの裏道を通りを撮影しながらホテルに戻ってみると妻はすっかり回復していていた。
 元気になった妻を連れ出し再びマーケットのある方に歩き始めると、犬の好きな妻はさっそく犬を見つけ撮影している。
 バリの犬は総じて愛想が悪く、どの犬も不機嫌な顔をしているかぼんやりしているのが印象的だ。僕はふと藤原新也の著書”藤原悪魔”(文藝春秋刊)の中の”マユゲ犬の伝説”に掲載されていたユーモラスで愛くるしい”マユゲ犬”を撮影した写真を思い出し、ウブドにももしかしたら・・・と思い、滞在中注意して探していたがけっきょく出会うことはなかった。そしてバリ島の犬はクルマも人も関係なく、縦横無尽に通りを渡り糞をする。そのしぐさはどことなく偏屈な人っぽく感じられ、何度も苦笑いをした。
 マーケットから南にのびるモンキー・フォレスト通りを進み、時折雑貨店などに入りながらサッカー・グラウンドまで来ると、向いから制服を着た小さな女の子が二人ゴミを捨てに歩いて来た。カメラを向けると、ちょっと照れたような顔をして立ち止まり僕のカメラに収まった。カメラから眼を離して再び二人を見ると立ち去る様子もなくこちらを見て笑っているので、指を一本立て「もう一枚ね!」と日本語でいいながら少しずつ近づいて撮影をする。写真を撮られたのが嬉しいのか、二人ははしゃぎながら笑顔をふりまき立ち去った。こんな清々しい感触は、とうてい東京ではあり得ない。
 そんな事を考えながら道を東の方角に下ると、とても感じのいいレストランが眼に入った。妻がちゃんとした昼食をとっていなかったのを思い出し、”バタン・ワルー”という端正なレストランに入る。妻は迷わずナシゴレンを、僕はビンタンビールを注文し店内から見える外の景色を見ながらビールを飲む気持ちは格別だった。
 そしてさっき友人達とカフェ・ロータスで食べたナシゴレンの味とはまったく違い、バタン・ワルーの方が数段美味しく値段も安いのに驚いたが、新しいお店が有名店に対向するには、味と値段が勝負なのだなと感じた。バタン・ワルーでのひとときは帰国後も忘れることなく、またバタン・ワルーで食事をしてビンタンビールを飲みにまたウブドに行きたいとなどと思ったりしている。
 
 夜添乗員のアリッツさんが、バタン・トゥガル村集会場で行われるトレン・ジェンガラという歌舞団のチケットを予約してくれていたので皆で乗り合いタクシーに乗り出かけた。古代遺跡のような広い集会所を取り囲むように客席があるまん中の、一番前の席が僕たちの席だとわかり感激する。公演が始まり僕はデジタル・ビデオを回していたが、ケチャ・ダンスをする百人近い団員の動きと声に圧倒された。
 あまりに感激しながら集中していたこともあり、脳が高揚しすぎたのか何度か睡魔に襲われたようなトランスに近い状態に陥りハッとした。それくらい集会所に漂う独特の雰囲気は凄かった。翌日O夫妻と奥さんのお母さん、そして奥さんの友人のTさんと連れ立ってモンキー・フォレスト方面に出かける。
 モンキー・フォレストには時間がなくて入らなかったが、モンキー・フォレストまでの道のりでアヒルがゾロゾロ道を歩いていたり、ニワトリに出会ったりという何とも平和で幸せな時間を過ごすことが出来た。
 ウブドは中心を少し離れたくらいが、心和ませる景色が広がっているようだった。しかし東京で必死に探しまくり撮影していた植物の写真をほとんど撮らなかったことが不思議に感じられたが、ともかくまた来たいという願望を優先して植物は次回に残しておこうと思った。