KくんといえばOSに入社する奈津子を面接をした事実上の上司であり、僕にとっても公私ともに付き合いのある大切な人物で、奈津子のたっての希望もありイタリアツアーに同伴で行くことになった。
 イタリアは翌年の一月末からニ月の頭までの約一週間でいくことになったが、K夫妻は綿密に計算をして、二千年二月二日という二並びの日を結婚式の日としていた。僕達もすでに結婚の約束をしていて、イタリアへ立つ数日前に世田谷区豪徳寺のマンションを借り引越しの手続きを済ませていた。そして友人のジュエリー・デザイナーKさんにお願いしてあった婚約指輪を、密かにチェーンにかけ首から下げて。
 長時間の飛行機の旅は意外にも快適なもので、それは伴侶がいるという安心感があったからかも知れない。成田を出発してパリのシャルル・ド・ゴール空港、そしてヴェネチアのマルコ・ポーロ国際空港へ着く。ヴェネチアは深い霧におおわれて幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 空港近くからタクシー(モーターボート)に乗りサン・マルコ広場近くの船着き場で下船するまでの景色は、見るものすべて新鮮で下船するまでのタクシーから見えるヴェネチアの景色は信じられないような美しさで、五本以上のフィルムを消化し切っていた。
 
 小さいが歴史のありそうなホテル”サヴォイア&ジョルダーニ”の部屋で少し休み、さっそく奈津子とヴェネチアの町を散策する。手にはオリンパス・ミューとコンタックスAria、という軽量でコンパクトな機材を選んだ。目の前に広がる幻想的な景色と迷路のように入り組んだヴェネチアの町を歩いていると、面白いように写真がとれる。
 それはやみくもにシャッターを切っているのではなく、撮りたい被写体が一歩歩くごとに目の前に出現し、「一瞬たりとも見のがせない」という感情が籍を切ったように溢れ出てくるからだった。歩きはじめて一時間もたたないうちに、写真をはじめた頃のあのピリピリした感触が戻って来たような手ごたえを感じ始めていた。「来てよかった!」と心の中で呟いた。奈津子を見ると僕同様盛んに写真を撮ったりビデオを回したりして、ヴェネチアの町を満喫しているようだ。三時間ほど散策し皆で夕食に出かける前一度ホテルの部屋に戻った時、すでに十本撮影済みのフィルムがポケットに入っていた。
 奈津子が身支度のためホテルの部屋の洗面所に入っている間に、僕は首からチェーンをはずし婚約指輪を手渡す用意をしていた。東京でKさんから婚約指輪を受け取った時、スタイリストのCさんといっしょになって「絶対渡すまで見つかっちゃダメよ!」「ぼーっとして目に着くような所に置いちゃダメよ!」「婚約指輪は渡す時の状況が問題なんだから」「間違っても引越しで指が笹くれだっているようなタイミングで渡しちゃダメよ!」ときつく釘をさされたのを思いだしちょっと苦笑いをした。
 そんなこともあり成田を出国する時も何気なく首から下げていた指輪が気になっていて、金属探知機が何度も鳴った時はかなり動揺した。一足先に通過した奈津子が不思議そうにこっちを見ていたが、後ろ向きになって「これは彼女へのプレゼントです・・・」としどろもどろの英語で小声に係員に説明し通り抜けたのを思い出しさらに苦笑いをしてしまった。
 洗面所から出て来た奈津子に婚約指輪を黙って差し出すと、とても驚いたのだろう一瞬凍りつくような表情をした後満面の笑顔で喜んでくれた。そして「KさんCさん、上手くやったよ!」と東京にいるふたりの協力者に心の中でつぶやいた。
 
 翌日純白のウエディング・ドレスとスーツに身を包んだK夫妻は、ゴンドラで結婚式会場である古い教会に、僕らは彼等より先に小型船で会場に向かった。
 天井まで絵の書かれたその建物も素晴らしかったが、隣接しているある部屋と庭に案内された時僕は仰天した。なんと”カサノヴァ”の住居跡だったのだ。
 怪し気でがらんとした寝室は当時カサノヴァが住んでいた時のままだというが、こうした部屋が今も保存されていることに感動した。式は厳かながら終始和やかな雰囲気すすみ、ヴァイオリンとチェロの生の二重奏が流れる空間は石作りの建築物内ならでわの響きがあった。その後ホテルに帰り披露宴をしたが、奈津子の指輪に気がついた人たちが「すごーい!」「いいなぁ!」を連発して、奈津子は恥ずかしさで伏し目がちになっていたが嬉しそうな表情で楽しそうだった。
 午後から皆別行動で再びヴェネチアの町を散策。奈津子は家族や友だちへのお土産を買いにあちらこちらを見て回り、僕はいっしょにいるものの相変わらずシャッターを切り続けていた。帰国後久しぶりに詩でヴェネチアの印象を印した。

『ヴェネチア』

羊水に体をあずけるように
石の幻影は浮かび
鮮鋭な塔は曇天の彼方に姿を隠す
怠惰で透明な皮膜を裂くような朝
海の底から体内細胞を泳ぐように
息をひそめた崇高なビッグアイまでもよせつけない
ヴェネチアは褐色の鉱石のようだ
老いらくの不条理をなぞり
化粧された滑稽な屍の記憶をかさねながら
かび臭いじめじめした路地を這い回る汚れた犬でさえ
大理石の彫刻のように美しい

 夕方全員ホテルに集まり、ヴェネチア最後の夜を楽しみに食事に出かける。パスタもワインもとても美味しく、ワインの好きな僕にとっては最高に幸せな時間だった。そして夜もふけて来た頃、旅行会社の社長で添乗員のYさんが「いいバールにつれていってあげる!」と人気のない運河沿いの道を歩き、店の看板も出ていないドアを開けた。
 そこは作家へミングウェイが足しげくかよいつめたという、ハーリーズ・バーだった。皆それぞれに好きなお酒を頼んだが、奈津子はアイスクリームのエスプレッソがけをたのみ僕はグラッパというきついお酒を注文しヴェネチア最後の夜を満喫した。映画”ベニスに死す”を見て感じた、退廃的で暗いヴェネチアの印象が嘘のように遠ざかっていった。