それから数カ月、OSでは相変わらず「曽根さん、もう後ニケ月しか残ってませんよ!」「大丈夫ですか?」とちゃかされていたそんなある夜、「新宿の”H”という居酒屋で新入社員の歓迎会を兼ねてOSのメンバーで飲んでいるんですが、今から来ませんか?」「社長が曽根さんを呼べって煩いんですよ!」という電話を、ARAの仕事を手掛けているKくんからもらった。とるるものもとりあえず部屋を出て、タクシーを拾い歓迎会会場のHに着いたのは夜八時を回った頃だった。
 会場に着くとすでに皆は出来上がっていて、鍋に御飯を入れ雑炊を作っていたりするが思ったとおり彼女は来ていた。僕が着いてしばらくたって会は終わり、二次会で入った小さな居酒屋もお開きになり店の外に出ると、いつもちゃかしていたYさんが「曽根さんゴールデン街でもう少し飲んでいきませんか?」と誘われた。
 僕も「そうだね」といってふと横を見ると彼女が近くに立っている。これでダメならしょうがないという思いで、「いっしょに行きませんか?」と誘ってみると信じられないことに笑顔でうなずいてくれた。ゴールデン街に着きYさんが知っているという小さなバーに入りはじめて面と向かって彼女と話しをしたが、お酒が入っていることもありことのほか会話ははずんだ。そして寡黙ではあるが明るく繊細な女性であることがわかり、「本当にこの女性かも知れない」という確信をもった。彼女の名前は奈津子。兵庫県西宮市生まれの二十九歳で、この日を機会につき合いは始まった。
 つき合い始めて数カ月後、Kくんがイタリアのヴェネチアで結婚式をするというので、式に出席するため台湾以来十数年ぶりに海外に出ることになった。この決断がその後精神的に予想を越えた転機をもたらすとは思いもよらなかった。というのは自分のスタンスがスナップ写真から静物に移行し”BREATH”という植物の葉の写真でひとつの方向性を示せたものの、どこかに写真をはじめた頃のアクティブなスナップ撮影に戻りたいという願望があって、その切っ掛けを探しあぐねている最中だったからだ。
 まして知らない町、それもイタリアのヴェネチアとフィレンツェという歴史のある古都を歩くことができるというその話にふたつ返事で乗ることにした。