三十五歳になった頃仕事は順調だったものの、まったく自分の写真が撮れなくなっていた。それはスランプという言葉で表現するほど重くなく、かといって自信を持っていられるかというとそうではない、あやふやでまのびした春昼のうたた寝のような状態だった。
 相変わらずカメラを持って町に出てスナップするものの、まったく手ごたえのようなものが感じられない。撮った写真は”シジフォスの神話”の主人公のように、また元に返されてしまうそんな感触の毎日は数年に渡り続いた。そして写真から離れるようにクルマに熱中しはじめたのもその頃だった。
 月刊カメラマンの編集長だったYさんが編集長を退き、しばらくして同社からの新しい中古車雑誌の編集長になった時「曽根君手伝ってもらえないか?」という誘いが湯原さんからあった。編集部で若いカメラマンを統括するという仕事で、自分が撮影することはほとんどないいわゆるデスクワークだった。少し迷ったが今の自分に一体何が出来るのかという問題に結論が出ないまま、ともかくその仕事を受けてみることにした。案の定毎日クルマの写真をたくさん見ているうちにだんだん欲しいクルマが変わり、すでに中古で購入していたプジョ−504からシトロエンBXブレーク、そしてシトロエンCXとフランス車の魅力にのめり込んでいった。
 しかしフランス車にうつつを抜かしているうちに、まるでその事とひきかえのように月刊カメラマンからの撮影依頼が減り、唯一の残ったのは撮影ではなくカメラマン誌のフォトコンテストの審査員の仕事だった。まだまだ自分が撮った写真をいろんな人たちに見て欲しかったのに、そんな中途半端な自分がどうして他人の写真を講評できるだろうか?という大きなジレンマを抱えながら審査会場に足をはこんでいた。
 
 そんな頃精神的に落ち込んでいったことはいうまでもないが、その反動でクルマを乗り回すことが多くなった。そしてしだいに町でスナップすることから遠ざかり、休日には周囲から孤立するように植物や樹木のある代々木公園・駒場公園・新宿御苑・世田谷公園・井の頭公園・白金自然教育園・小石川植物園・夢の島熱帯植物園・哲学堂公園などの近場から、神代植物公園・牧野庭園など遠方にまで出かけては植物ばかりを眺める日々が続いた。
 中でも特に気持ちの和む小石川植物園に足しげく通うようになったある日、何気なく眺めていた植物群の中からまるで人格があるかのように植物の葉の形状の一部がこちらを見て何かをいっているような気がした。
 何やら神がかりのような状況だが、確かに僕の心の中に問いかけてく感覚を感じとることができた。この感覚は植物や樹木などに接することの多い方であれば分かってもらえると思うが、僕には「ここにいるよ。撮るなら私を撮って!」といっているような不思議な感覚だった。鬱蒼とした植物の生い茂る中何かを感じる方に接近していき、おもむろにミノルタオートコードを取り出すとピントグラスに映る植物の葉に焦点を合わせシャッターを切った。切りとられた植物の葉は今まで見たことがないような存在感で僕を魅了する。
 自宅に戻り急いでフィルムを現像をしコンタクト・プリントしてみると、そこには明らかに性別を感じさせる匂いのよいうなものがあり、これは単なる植物を撮ったものではなく植物の肖像写真ではないかと思った。
 コンタクト・プリントが乾かないまま、数枚選び六ツ切りの印画紙にプリントしてみる。現像液に浸した印画紙からじわっっと浮き上がる植物の葉の映像に、数年眠っていた写真に対する情熱がふつふつと沸き上がり、アドレナリンが凄いスピードで体内を駆けめぐるように僕は小躍りした。
 もう迷うことはない、植物を撮影しようと心にきめる。こうして長い眠りからさめた僕は、撮影範囲を金沢・佐賀・屋久島と南方に進め、約三年撮り溜めた写真に”BREATH”と命名した。