ストレンジャー・ザン・パラダイスを二回たて続けに観て映像を脳裏に焼きつけた僕は、富ヶ谷のマンションに帰るとすぐテスト・プリントに取りかかった。しかしどうも同じような手法では写真表現に力がないことを知り、ジム・ジャームッシュの映像のシャドウを明るくハイライトをハイキーにというスタイルではなく、シャドウはよりアンダーにハイライトはよりハイキーにという掟破りのプリント処理に方法を切り替えた。
 さらに全体に淡く紗をかけることで、イメージはよりインパクトのあるものとなっていった。数日で12×14インチ(大四ツ切り)のバライタ印画紙五十枚ほどのプリントが仕上がり、タイトルを”MAHIRU-白い影の記憶-”とした。
 数日後写真展会場となる銀座キャノンサロンでサロン担当のS氏と写真弘社のMさんと展示方法の打ち合わせに出かけた。出来上がったばかりのプリントを見るなり、Mさんが「スゲー写真だなぁ!」と僕の肩をたたきながら笑い、S氏も眼を細めて「頑張れよ!」と応援してくれた。僕の気持ちの中にはわだつみの末裔たちの時に感じていた不安は微塵もなかった。
 しばらくプリント眺めていたMさんが「曽根ちゃん、写真少なくして大きく見せようよ!」と突飛とも思える発言をし、さらに「ロール・ペーパーでさ、壁面を埋めるんだよ。迫力あるぞ!」と眼を輝かせている。
 僕は「35フィルムからそんなに大きくして大丈夫ですか?」と聞くと、「そんなことは任せておけよ!」「このプリント預からせてくれる?」といってもらえたので、写真弘社のプリンターの方に思いを託しプリントをMさんに手渡した。写真展が終了しプリントが返却された時、プリントそれに展示した作品以外に4×5のネガ五十枚が添えられていた。つまりロールペーパーにプリントする前に4×5で複写して、4×5ネガから引き伸ばしたということだが、経緯を知らなかった僕は大変な作業をしいてしまったのだなと恐縮し、日をあらためてプリンターの方に挨拶にいった。
 写真展は順調に進み、見た人たちの感触も悪くなかった。畳み一帖分ほどの巨大なロールペーパーにプリントされた写真が並んでいる光景は圧巻で、僕自身十分納得できる写真展となった。
 
 写真展最終日森山さんが来て下さり、「曽根君これ読んだ?」といってアンリ・ミショー詩集をプレゼントされた。ワークショップの頃から同人雑誌で詩を書いていたことを憶えていてくれた森山さんの心配りが感じられ嬉しく頂戴した。
 詩といえば以前森山さんから一冊の俳句集をいただいたことがある。それは森山さんのお父さんの非売品の俳句集”独楽”で、奥付をみると昭和三十五年三月五日発行。著者森山薫風、発行者森山大道となっている。お父さんが四十六歳という若さで亡くなって二年後、森山さんが発行者として出版した俳句集だった。
 扉を開くとどこかの河原だろうか、和服姿で黒ぶちの眼鏡をかけ伏し目がちに犬の背に手を置くお父さんの写真が掲載されていて、何故か森山さんの撮影した犬のイメージと重なり不思議な気持ちになった。句集”独楽”は新年、寒・春・夏・秋・冬と順に目次があり、新年、寒の章から読み進んで行くうちに

金魚の死この日夕焼け永かりき

という夏の句に眼がとまった。読んだ瞬間身体がゾクッとするほどの張り詰めた情感を感じるものの、温もりと儚い情景がランダムに旋回して、僕自身が森山薫風氏の感じとった眼と感性の中にいるような錯覚にとらわれた。その瞬間からこの句集は僕の大切な宝物となったが、後日森山さんにこの話をすると「僕も金魚の句は好きだな」といって眼を細めて笑っていたのを記憶している。