アパートの近くにクリームソーダという、ドクロのマークをシンボルにした小さな店があった。五十年代風の雑貨や洋服が並べられ、店員もリーゼントに皮ジャンというファッションンで身を包み、店内はいつも修学旅行の中高生や若いこたちであふれてちょっと近寄りがたい雰囲気の店だったが、いつも気になって時折のぞいていた。
 ある日知り合いの週刊誌をメインに仕事をしているにしているカメラマンの先輩から、「ブラック・キャッツって知ってる?」という電話が入った。どうやらクリームソーダの店員が作ったロカビリーバンドらしいが、クリームソーダ自体を知っていたので、「その店ならうちの近くにあって時々入りますよ」と答えると、「ガレッジ・パラダイスっていう名前の店が別の場所にあって、そこにで取材しなきゃならないんだけど、よかったら手伝ってもらえないかな?」となにやら不安げな言い回し。クリームソーダに少なからず興味を持っていた僕は「わかりました」と返事をし、興味津々でが”ブラックキャッツ”の取材に同行することにした。
 ”キディディランド”の向いにある旧渋谷川歩道を少しいった場所に、”ガレッジパラダイス”はあった。アパートの近くのクリームソーダとは比較にならないくらい大きな店構えで、そこには五十年代のアメリカの匂いに満ちあふれていた。それはとても新鮮なもので、僕の日常生活とはまったくかけ離れた別の世界が広がっていた。Tシャツ、キーホルダー、バンダナ、コインケース、クシなどあらゆる商品ににドクロのマークがついていて、中高生相手ということもあり値段がとても安い。いろいろ店内を物色しているうちに、ブラックキャッツのメンバーが現れた。
 メンバーはボーカルニ人、サイド・ギター、リード・ギター、ウッドベース、ドラムのの六人で、トレードマークのリーゼントもハンパではなく、海外のロカビリー・バンド”ストレイ・キャッツ”のブライアン・セッツァーを彷佛とさせる雰囲気に眼を見張った。撮影が終わり先輩カメラマンとガレッジ・パラダイスを後にした僕は、アパートまで歩きながらいろいろなプランに思いをめぐらしていた。
 
 その頃やはりアパートの近くにあったクロコダイルというライブハウスに、時折足を運んでいた。ある時関西からやってきたFUNAという、インパクトの強いボーカルのいるバンドを偶然見た。本来はデラックスというバンドを見たくて行ったのだが、FUNAという不可思議な名前のバンドのボーカル、町田町蔵の吸い込まれそうな存在感と音に完全に圧倒されてしまった。
 ブラックキャッツと町田町蔵という、まったく違った方向性と音楽性を持った人たちを知り僕の中で何かが動きはじめ、どちらも撮影してみたいという強い願望が芽生えていった。ちなみに町田町蔵とは、現在作家として各方面で活躍している町田康である。
 ブラックキャッツの撮影から数日後、僕はガレッジパラダイス通いはじめていた。何度か足を運ぶうちに、ウッドベース担当のJさんと話をよくするようになり、店内で撮影する許可を得たからだ。
 撮影は一年にも及んだがビクターレコードでメジャーでビューが決定した頃、ブラックキャッツに注目していた中央アート出版のKさんという女性編集者から「ブラックキャッツの写真集を出したいと思っていて、曽根さんが一年ほど前から撮影されていて写真をたくさんお持ちと伺ってお電話差し上げました」という電話があった。僕は目的もなく撮りたいだけで彼等を撮影していたので、もっと撮影条件が楽になるのだったらと思いKさんにあうことにした。こうして横山忠正のプロデュースでメンバーのプライベート写真とポートレートを加え、初めての写真集”ブラックキャッツ 50's a go go!”は完成した。
 横山忠正といえば著名なデザイナーであり、スポイルというフェイク・ジャズのバンドでアルトサックスを担当するバンド・リーダーでもあった。スポイルは後に僕の弟の幹雄が勤めていたキティレコード会社からデビュー・レコード出すことになり、横山さんとのつながりはより深くなり六本木のライブハウス”インクスティック”などによくスポイルのライブを見に行った。
 つまりブラックキャッツ、スポイル、町田町蔵という、お気に入りのミュージシャンが僕の前にほぼ同じ時期に現れたことになり、写真イコールバンドという図式が僕の中で成立して行った。