CAMPは新宿二丁目の小さな公園に隣接した、ゴジラの頭を横から見たような形をしたビルの二階(のちに三階に移転)にあった。中にはジュークボックスがありCAMPのロゴマークでもある蠅をプリントしたTシャツなどを販売するという空間は、今考えてみるとギャラリーの形態としてはかなり新しいことをしていたと思う。
 ゼミは週に一回で、五十枚のプリント持ってくることがかせられていた。ひとくちに五十枚といっても昼間アルバイトをしている身としては大変なことで、バイト先の昼休みに撮影するだけでは足りず大半のカットは夜の写真ばかりとなった。
 その頃の一週間のスケジュールは、ゼミのある日をのぞき最初の三日は撮影に専念し、四日目にフィルム現像、五日目コンタクトをとりプリントという毎日が続きそれはワークショップが終わるまでの六ヶ月間やすまずくり返していた。現像は自宅の二階の押し入れを暗室にし部屋の戸を閉め切ってやっていたが、ビニールなどを敷いてもどうしても畳に現像液やら定着液のシミをつくっては母親に怒られた。十帖の部屋はいつの間にか酢酸の臭いが染み付き、自宅を出て独り住まいをするまで客間として使われることはなかった。
 CAMPではワークショップ以外に、ある楽しみがあった。それはワークショップをしている最中にフラリと訪れる来客だ。亡くなった奥さんの陽子さんと仲良くビールをたくさん持って現れ、ワークショップがその瞬間からの飲み会に変わってしまうことが多かった荒木経惟。ニコニコしながらもほとんどしゃべらないでいた沢渡朔。ほろ酔いで人形師の四谷シモンと踊りながら現れた篠山紀信。僧侶のように坊主頭で厳つい顔をした高梨豊、といったそうそうたる写真家達がCAMPに集まって来ていたからだ。
 
 いつだったか僕の写真を床に敷き詰め森山さんに見てもらっている時、荒木さんがビールを持って現れ、僕の写真を見るなり「ダメだよー、こんな写真撮っちゃー!」といった。さすがの僕もカチンときて「こんな写真ってどんな写真ですか?」「どの写真ですか?」と食って掛かかったことがあった。荒木さんはしばらく「ダメなものはダメなんだよー!」をくり返していたが、僕がひかず質問していると、「ケトーを撮っちゃダメなんだよなぁ!日本人を撮らなくちゃ!」と思いもよらない返事が帰って来た。森山さんはくわえタバコでクックックと笑い、事の成りゆきを楽しそうに見ている。もしかしたらこれは荒木さん独特のジョークではないか、それとも本気で外人を撮ったらダメ!といっているのか判断がつかないままうやむやのままこの話は終わった。
 その後の荒木さんの仕事を見ていて、女流写真家ナン・ゴールデンを撮影したり、CDジャケットや音楽雑誌でミュージシャンのビヨークを撮ったり、映画監督のヴィム・ベンダースを撮影したり、海外で外人をスナップしているのを見るにつけ「荒木さんも外人撮ってるじゃないか!」と、二十五年前にいわれた言葉を思い出して不快な気分に陥ることもあった。ともかくアマチュアの頃は善しにつけ悪しきにつけ大御所の一言からうける影響力は大きいと思うが、その一言をいわれたことで僕自身悔しさの中からムラムラと「絶対写真で食えるようになってやる!」というやる気が出たのも事実で、いい起爆剤になったのかもしれないとこの頃思う。