大学進学が現実的な選択として感じはじめた頃、授業の一貫でどの大学に行きたくてどの学部に入りたいのか?というアンケートをクラスでおこなったことがあった。この三十分あまりの時間で、図書館通いをし進学のための勉強をして来たすべてを捨てることを決意することになろうとは夢にも思わなかった。
 それは希望する大学に入れるならどの学部でもいい、というほぼクラス全員に共通したアンケート結果に腹を立てたことが始まりだった。その日Kとそのことについて話し、お互い共通の結論を出した。それは大学進学しても回りを見渡せば同じようなことを考えているやつばかりで下らない。だから僕らだけでも将来に向けて何か皆と違う生き方をしよう、という結論だった。
 僕らのとった行動は、卒業する一ヶ月前からお茶の水にある外語専門学校”アテネフランセ”の仏文科に入学するというということ。皆より先に行動し、自分達の行動んも正当化を見せてから卒業する方法をとったわけだ。
 僕自身高校の時に勝手に中退した前科があるだけに、話が決まれば行動は早く、僕とKは卒業を前にした他の同級生が大学受験を始める直前にアテネフランセの仏文科に二人で入学届けを出し、高校在学中から専門学校の授業を受けはじめていた。
 何故アテネフランセだったのかというと、その頃Kが好きだった作家が坂口安吾、僕が好んで読んでいた詩人中原中也が通っていたことがあるただそれだけの理由で決めた将来への一歩だった。卒業後Kは家を出て目黒区八雲の東横線都立大学駅前にある”Y書店”に住み込みで入り、人生の出発をした。僕はといえば神田の”書泉”という大きな書店にM先生の紹介でアルバイト扱いだったが働かせてもらえる算段をとりつけ、ふたりとも同じ書店という場所で働くことである種の共通性をもちつつも、まったく違う方向にスタートしはじめたことを二人は知るよしもなかった。
 その後Kは数カ月でアテネフランセを退学しY書店も辞め、渋谷区富ヶ谷のアパートに移転し今でいうフリータ−のような生活をはじめた。僕はといえばバイト先の書泉で知り合った詩人の桜心太郎の誘いで詩と詩論の同人誌”FORCUS”、芦原修ニ主催の”海とユリ”そして友人達と作った”沈黙と饒舌”といった同人雑誌に詩を書くことで自分の思いをぶつけはじめていた。その中でもはじめて”FORCUS”で活字になった詩”岩礁”は自分の内面から出てくるものを精一杯オブラートに包み表現している詩で、二十歳になったばかりの屈折した重々しいもがきが見えかくれしている。

『岩礁』
醒めた抽象をとらえる
細密的な沈黙
巨大な岩肌に
洪水の予言者が現れ
描写された
世界風景とも言うべき大地の歪みに
地質の軟化した神話を埋め
神秘的に淀んだ空の重量感が
胸苦しいまでに美しく
連続する母韻のひびきに
生命の危機を告知する
レームデンの思考