心機一転というに相応しく東京の高校に入学した僕は、長い通学時間を利用して一日に一册の割で文庫本を読破する文学青年に変貌し、勉強も中学時代とは打って変わって真剣にやりはじめると、クラスでも三番以内の成績は落ち着き学年でも上位に食い込むくらいになっていた。
 しかし相変わらず音楽は好きで、父に頼み込み銀座山野楽器にあったヤマハフルート教室に通ったり、学校近くの尚美高等音楽学園のアルトサックス科にかようなど、新しいことをやりはじめそれは卒業まで続いた。時々駒込の母方の親戚の家に学校帰りに寄り、上野の音大のピアノ学科をでたKちゃんという親戚のお姉さんにピアノを教わり、バイエルを終了しツェルニ−の頭くらいまでやり遂げた。その頃からクラシックを聴きはじめ、ショパンやシューマンといったベーシックなものから次第に現代音楽に興味移って行って、最終的にはシェーンベルクやクセナキス・武満徹などを好んで聴くようになった。
 そんな高校生活で現代国語のM先生との出合いは、僕の人生の中でとても重要だった。M先生は五分刈りで黒ぶちの眼鏡をかけ穏やかな僧侶のような風貌で、文学それも詩俳句が好きな文学者のようだった。高田馬場にある自宅に招待され部屋に入れてもらった時、あまりに膨大な蔵書の量に愕然とした。
 はじめて伺った時に「曽根君、欲しい本があったら持って帰っていいですよ」と言ってくれたので、遠慮せず北原白秋の”邪宗門”とボオドレエルの”悪の華”のニ冊を図々しくも頂いて来た。特に白秋の

われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法

で始まる”邪宗門秘曲”にはただならぬ気配と言葉の美しさを感じ、静かに詩の世界に埋没して行った。
 同級生の中にも運命的な出合いとえる男、Kがいた。彼はよく学校を休んでいてたまたま登校して来たニ年の秋の体育祭の時、隣り合わせになり何気なく本の話をしたら「学校来てもつまんないから、家で本読んでるんだ」と大胆なことをいいはじめた。
 「最近何読んだ?」と聞くと「ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟かな・・・」という返事がきて、それにも僕は仰天した。その頃ドストエフスキーは難解すぎるのと長すぎるので読みきれる自身が僕にはなかったということもあったが、学校を休んで本を読んでいいたということに自分にはない大胆な行動力のようなものを感じたからだった。
 僕が呆然としていると「曽根は最近何読んだ?」と聞いてきたので三島由紀夫の”天人五衰”と答えると、「三島か、早すぎるよなあ自決するなんて。それも割腹自殺だし・・・」と吐き出すように呟いたのが印象的だった。