父の一番下の弟のたけおっちゃん(壮ニ・たけじ)は、三十五才の若さで白血病で死んだ。僕が中学生になってすぐの出来事だった。
 葬式は僕の家の裏にある本家(父の兄である曽根英雄宅)でおこなわれたが、物心ついてはじめてみる死者の姿だった。もともと痩せて色白だったたけおっちゃんの死に顔は青白く、喉には一センチ程の穴があいていてまだ息をしているような印象を受けた。
 たけおっちゃんは中央大学を卒業すると、幕張銀座商店街入り口に”カメラフォート”という小さな写真店を開いた。アパートを改造したようなその写真店は、入り口を入るとすぐ現像の受付用の小さなショーケースの台があり、その左手に暗室、奥は四帖半程の畳の部屋というささやかな店だった。店に遊びに行くとたけおっちゃんはいつでも眼を細めて笑いながら、「陽ちゃん現像見て行くか?」といって暗室に入れてくれた。父は暗室に入ると眼が悪くなるから入っちゃダメだといつもいっていたが、僕はそれを無視してよく遊びにいっては暗室に入れてもらっていた。
 暗室ではただたけおっちゃんが作業しているのを見ていただけだが、白い紙から映像がゆっくり浮き上がってくる瞬間は何度見ても不思議でわくわくした。通っているうちに僕でもできる印画紙の乾燥を手伝うようになっていた。といってもドラムという円筒形の機械に印画紙を張り付けひと回転する写真が乾いて下に落ちるのを拾い集めるという単純作業だったが、印画紙が熱で乾燥してゆく時の匂いと剥がれ落ちる時のパリッ!という音には独特の常習性があり胸いっぱいその匂いを吸い込むという変な癖までついてしまった。 
 今でも写真を撮ることはもちろんだが、暗室作業が好きなのはこの頃の記憶がそうさせるのかも知れない。特にバライタプリントの最終行程で、セレニュームトナーによるトーニング処理をする時など、セレニューム独特のアンモニア臭を嗅ぐことに心地よさを感じるくらい、匂いに敏感な自分にふと苦笑いをしてしまう瞬間があるから可笑しい。
 匂いといえば文字も読めないくらい小さな頃、新聞紙のインクの匂いで新しいか新しくないかを当てて両親を驚かせていたということもあったらしい。ともかく将来写真を仕事にするとは思ってもいなかった僕の中に、微かではあるが写真的要素がこの頃つちかわれていたことになる。