新しい土地での生活にもなれ友だちも沢山出来てきた小学四年の冬、当時流行っていたマンガ”鉄腕アトム”の妹の”ウランちゃん”を思わせる華奢な女の子が転校生して来た。
 担任のO先生が黒板にKSと白墨で名前を書き、「皆さん新しいお友達の”KS”さんです。」「今日は都合があってこのまま帰りますが、明日から登校することになりますので、皆仲良くしてあげましょう!」というと、Sさんは伏し目がちにはにかみながらぺこっと頭を下げた。「席は曽根君のとなりにします、いいですね!」と先生がいった。自分の名前が出てびっくりしたが、それより女の子と一瞬目があってどぎまぎした僕は自然に赤面してしまうとそれを見たクラスの皆はどっと笑った。Sさんを見ると恥ずかしそうに口元に笑みを浮かべてこちらを見ていたので、僕はさらに心臓が高鳴り下を向いた顔を上げられなくなってしまった。
 小柄で無口なSさんは、僕が知る限り終始おとなしい娘だった。ある時木枯らしが頬を指すような寒さで舞っている昼休みの校庭で、寒さしのぎにクラスメイトと”おしくらまんじゅう”や”うまのり”といった遊びをしていると、僕の視線の先でじっと立ってこちらを見ているSさんに気づいた。咄嗟に「いっしょに遊ばない?」と、一度だけいったことがある。といいうのもSさんは病気がちで、体育の時間を見学していいたり、学校も休みがちだったので皆も遊びたいのにあまり声をかけていなかったから、僕が声をかけたことを皆もSさんも驚いたに違いない。
 Sさんは僕の呼び掛けに、意外にも「うん!」といい笑いながら近付いて来た。”うまのり”を順繰りにくり返していて僕が三人の一番前で馬になって屈んでいると、Sさんはすごいジャンプで二人飛び越して僕の背中に飛び乗って来た。心地よい重量感とはずんだ吐息、そして赤いタータンチェックのジャンパーを着たSさんの腕が僕の身体にしっかりしがみついていた。一瞬振り向くとそこにはSさんの楽しそうな笑顔が眼と鼻の先にあり僕はどぎまぎしながら夢中で足を踏ん張り馬を続け、「ずっとこのままだったらいいのに」と心の中で思った。
 数カ月が過ぎ春休みが近付いて来た頃、Sさんの学校を休む回数が日に日に増えてきた。そのたびに家が近かった僕が給食のパンを届けに清風荘というアパートの一室までいったが、ほとんどSさんも家族の方もいたことがなく、しかたなくとなりの部屋の人に頼んで渡してもらったり、部屋の前に置いて帰ったりする日が続いた。
 そしてその後一度も登校することなく「Sさんはお父さんの転勤で柏というところに引越しすることになりました」という、担任のO先生の一言が最後となり二度とSさんの顔も姿も見ることはなかった。
 僕自身転校生だったが、たった数ヶ月で転校しなければならないお父さんの職業ってなんだろう?と当時考えたことがあった。おそらくSさんはその後も、数限り無い転校をくり返したに違いない。誰でも経験するだろう淡い恋心ではあったが、これが初恋だったと気がつくのは”赤毛のアン”や”ゲーテ詩集”といった文学に興味を持ちはじめた中学一年の頃と大分後のことだった。その間知らず知らずのうちに甘酸っぱい想い出は膨張し、幼いながら心の中で理想の女性像としてのイメージが焼きつけられていった。