幕張小学校に転校した僕を最初に困惑させたのは言葉で、かなりのカルチャーショックを受けた。荒川を境に東京に隣接している川口で育った僕の言葉は標準語であり、いわゆる”東京弁”と同じイントネーションで話す僕の言葉がクラスの同級生たちには奇異に映ったに違いなく、逆に皆の話す言葉は僕にしてみれば千葉弁であり荒っぽい漁師言葉にしか聞こえず理解に苦しんだ。
 東京で生まれ母は当然標準語で話し、幕張で生まれた父もほとんど標準語をしゃべっていたので、僕を含め兄弟全員千葉の言葉に馴染むことなく時間が経っても使うこともなかった。例えば「ニシラドコサイグ?」は「おまえらどこへいく?」であり、「ソアッペ?」は「そうだろう?」、「オッタチ!」は「生意気でカッコつけている!」とこんな感じだ。
 まだまだテレビが一家に一台という時代ではなく、現在のようにテレビや雑誌を通して東京で流行っていることや言葉使いが日本全国に均一化していない、マスメディアの発達していない時代独特の体感だったと僕は受け止めている。
 いまは日本中テレビでもラジオのFM放送でもリアルタイムで、言葉や情報が飛びかう時代となり、僕の知り合いを見渡してもドイツ人、アメリカ人、アイルランド人e.t.c.などと国籍も様々だ。そんな友人たちと何の違和感もなく電話で話したりお酒を飲んだりメールのやり取りをしたりしているが、転校して幕張(千葉)弁にカルチャーショックを受けた小学生の頃こんな時代が訪れようとは思いもよらないことだった。