家族五人全員が写っている、色褪せた一枚の記念写真がある。裏を見ると”昭和三十六年春、津田沼の谷津遊園にて”と書かれていて、春の温かい日ざしを真正面に受け全員眩しそうに眼を細め清々しい表情で写っている。昭和三十六年といえば僕は八歳になったばかりで、幕張に引越してはじめての春ということになるが、この谷津遊園は後に閉鎖され現在その跡地はマンションが建ち谷津遊園の痕跡はまったくないらしい。
 谷津遊園で思い出すのが近くにあったもうひとつの娯楽施設である船橋ヘルスセンターで、”船橋ヘルスセンター〜♪”というテレビコマーシャルは”伊東に行くならハトヤ〜♪”同様、娯楽の少なかった時代の勢いのようなものを感じる。その船橋ヘルスセンターも今はなく、跡地には現在巨大ショッピングセンター”ララポート”が建てられ相変わらず人の行き来の多い場所となっている。
 船橋ヘルスセンターの幼い頃の思い出はないが、中学三年の夏海水浴場に遊びに行った時、海上に作られた小さなステージでグループサウンズのアウトロー的存在だったゴールデンカップスが生演奏しているのを見た。
 ゴールデンカップスは通称カップスと呼ばれ、横浜の本牧にあるゴールデンカップというライブハウスから名前をとったバンドで、ヴォ−カルのデイヴ平尾・ギターのエディ藩・ベースのルイズルイス加部・ドラムのマモル・マヌ−といった名前でも分るように、日系のハーフの集まったのバンドで日本人にはないファンキーな音が光っていた。
 僕自身音楽が好きで日本のバンドでは特にゴールデンカップスの熱狂的ファンだったので、偶然近くでライヴを見ることが出来てすごく嬉しかった。しかし僕が見た時のメンバーのパートで気になったのは、ルイズルイス加部が何故かギブソンのロケット型の赤いギターを持って、ベースではなくリードギターを弾いていたこと。しかしそれはエディ藩の弾き方とはまったく違う信じられないくらいのカッコよさで、ゾクゾクするスリリングなそのギターの音は歌謡曲全盛の時代にあってロックを始めて生演奏で聴いたという実感があった。
 その後国内外の沢山のギタリストを見て来たが、ルイズルイス加部の独特な音感とファンキーなフレーズ、ガムを噛みながらあらぬ方に視線をおくり、やる気無さそうな弾き方であるにも関わらず凄まじいテクニックで見事に弾きまくるスタイル。ギタリストとしてもベーシストとしても、カッコよさで彼の右に出るものは日本にはいないとその頃思っていた。その後たくさんのギタリストを見たり聴いたりして来たが、あえてもうひとりフェバリットなギタリストをあげるなら自殺した”ニルヴァーナ”のカート・コバーンくらいだろうか。