昭和二十八年一月十日父・陽来(はるき)母エキ(えき)の長男として、埼玉県川口市末広町の借家で僕は生まれた。身長五十一センチ体重三六五〇グラム。十日の早朝七時くらいから陣痛がはじまり、午後一時十分助産婦の手で取り上げられた。
 長男であることから父の名・陽来(はるき)のひと文字をもらい、それに一をつけた陽一という名を僕は貰った。三つ違いの長女は父の弟のお嫁さんが美しい人で美代子という名前だったので、「美代子さんあやかって美人になりますように!」という願いを決めて美代子と命名され、弟は織田幹雄という走り幅跳び(三段跳び)の選手がオリンピックで優秀な成績を残したのを知った父が、「こんな立派な人間に!」と幹雄と命名した。
 そういう意味では僕の陽一という名前は単純といえば単純、ありふれているといえばありふれている。しかし父が陽来という自分の名前の読みづらさに、難しい名ではなく自分の名前から一文字取って陽一。つまり”陽はひとつ”というストレートでありながらスケールの大きい名前をつけてくれたのだろう、と僕は勝手に解釈している。
 陽一という名前を授かったことで、”太陽”という大きな守護神に守られるように、その後の僕の性格や方向性を常に明るくいい方向に示唆してもらえているような気がしてならない。